Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Wednesday, January 28, 2009

ママとどうやって付き合い始めたか

3人の子どもたち

これからさー、ママとパパがどう出会って、結婚して、君たちを産み育てたか教えてあげるよ。別にそんなこと、聞きたくないって?
まあ、今、読んでもいいし、もっと大きくなって、好きな人ができたときでもいいし。
パパは、ママがいなくなってとても寂しいから、こうやってママのこと思い出そうとしているんだよね。悪いけど、それにつきあってよ。

昨日は、ママとの初めての誕生日デートのこと話したけど、今日は、どうやって出会ったかということを話すね。こんなこと、ママが生きていたらとても恥ずかしくて話さなかったよ。でも、現物のママちゃんがいなくなっちゃったから、話しちゃってもいいんだ。

あれは、ママが大学3年生の春だったかな。パパは大学院生だったんだ。ママは大学生の活動として、日米学生会議というのをやっていたんだよ。JASC (Japan America Student Conference)とも言うけど。これは、日本とアメリカの大学生が全部で50人くらい集まって、夏に日米どっちかの国に集まり、ディスカッションしたり見学したりする活動なんだ。ママは、その前の年も参加していたから、その時は、実行委員をやっていて、春に説明会を開催したんだよ。パパは、そのこと全然知らなかったのだけど、ぴあっていう東京の情報誌をパラパラめくっていたら、そのことが書いてあって、当時、外国に行きたいなと思っていたから、試しに参加してみたの。
だれか忘れちゃったけど有名な人の講演会と抱き合わせだったから結構たくさんの人が参加していたかな。実行委員の人たち(今は、パパとママの仲いい友だちなんだけど)が、会場にいてみんなを案内していたんだ。その中に、ママがいたんだよ。おっ、可愛い子がいるなと思って、トイレどこですか?とかわざとらしく聞いたりして。
それで、講演会が始まって、そのあとに、実行委員の人が何人か出てきて、日米学生会議の説明をしたんだ。そのうちのひとりに、あのトイレを尋ねた可愛い女の子もいたんだ。「おっ、また出た!」と、観客席から思ったかな。ママはどちらかというと、ぽっちゃり系じゃない。パパはそういうのが好みで、まだ幼い、夢見るような雰囲気だったけど、大勢の観衆の前で、堂々と話していたよ。でも、そのときは、それだけだった。パパもまだ若かったから、いろんな人を見てかわいいななんて、思うことは、何度もあったんだ。別にパパはエロじゃないからね。みんな、内心はそんなこと思っているんだよ。

それで、JASCは面白そうだったから、応募することにしたんだ。英語の面接もあったよ。後から聞いた話だけど、Tikiさんの英語はbrokenでめちゃくちゃだけど、なぜか不思議と通じるので、合格にしてくれたんだって。数日後、女の人から電話がかかってきて「私のテーブル(分科会のこと)の一員として参加していただけますか?」とか、ずいぶんへりくだって丁寧に話してくれて、パパとしては、受かった、ラッキーとOKしたんだよ。日本人学生4人+アメリカ人学生4人で、ひとつのテーマに沿ったテーブルを構成し、その8人が、約4週間の会議中、一緒にディスカッションしたり、ずっと行動するんだ。そのグループのコーディネータがママで、パパを参加者として選んだんだよ。だから、パパがママを口説いてプロポーズしたとかよく言うけど、本当は、ママが一番初めにパパに電話して、パパを口説いたんだ。そのあたり、よく覚えておくんだよ。

そして夏休み、4週間ほどかけて、アメリカ各地を回ったんだ。西海岸サンフランシスコのスタンフォード大学から始まって、東海岸のワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク、プリンストンなど。とても、楽しかったよ。いろいろ勉強したし、みんなとも仲良くなったし。ママちゃんとは、そのたくさんの友だちの中のひとりということで、特に、好きとか付き合いたいとか意識していたわけじゃなかったんだ。みんなが一人ずつ準備してきて、自分の言いたいことをプレゼンテーションするんだけど、パパはすでに大学院で研究とかやっていたから、他の人たちは、「オッ、本格的だなあ」なんて感心していたけど、ママちゃんのは、学部生のレポートみたいで、まあまあ普通かなという感じだったよ。でも、ママは英語うまくてね。パパの英語は張ったりと押しの強さでどうにかごまかして、ときどき英語人の言ってることがよくわからなかったけど、ママはとてもうまかったよ。いつも、グループで行動していたけど、一番初め、ママとふたりだけで行動したのは、たしか、ニューヨークの郵便局にママが行くというので、パパがついて行ったんだ。それが、パパとママの初デートかな。ママはそんなこと忘れていたけど、パパがそのことを覚えているってのは、やっぱり内心、意識していたからなんでしょう。

で、その会議は終わり、日本に帰ってさよならして。そのあと、しばらくは何もなかったんだ。というか、正直に言うと、その時、他に付き合っていた女の人がいたんだよ。それで、もっと正直に言うと、その女の人に、「結婚してください」と言ったんだ。まだ、3ヶ月も付き合っていない人だったんだけど、ママちゃんとはまた別の意味で素敵な人だったんだ。きっとパパは、その頃、だれかと結婚したかったんだろうね。でも、お手紙で返事が来て「お気持ち、ありがとう。でもごめんなさい。」とあっさり振られちゃったんだよ。その人は、その後、どこかの人と結婚したらしいけど、よく知らない。もしかしたら、ママがその頃から風になって後で引っ張っていたのかもしれないね。だって、そうじゃないと、君たち3人は生まれていなかったもの。

パパは失恋のショックで、しばらく落ち込んでから、どうにか立ち直り、さあ、じゃあ次はどうしようかなと思い始めたのが、翌年の夏だったんだ。そういえば、しもゆうがいたなと思って、デートに誘ったんだ。といっても、いきなり二人のデートだと怪しまれるから、JASCで同じテーブルだったなおみちゃんを誘って、3人で山中湖まで、その次の回のJASCをやっているところに遊びに行ったんだよ。また、友だちみんなとワイワイ楽しんで、帰り道、なおみちゃんを降ろしたあと、ママとふたりになった車の中で、「好きだから、付き合ってください」ってコクったんだよ(こんなこと言うの恥ずかしいなあ)。ママは、「えっ」とか言って、すごくびっくりしていたけど、断らなかったよ。後から聞いた話では、ママは当時、来るものは拒まずというポリシーだったから、まあとりあえずお付き合いしてみましょう、とか思ったみたい。こうしてママとパパのデートが始まったんだ。それが確か8月だったから、その3ヶ月後が、昨日話したクイーン・アリスだったのよ。

こうやって思い出すと、とても懐かしい思い出だなあ。
ママちゃんもパパも若かったよ。今、パパが教えている学生くらいの歳だもんなあ。
今日は、これくらいにしておくね。この続きは、また明日。
これで今日はうまく眠れるかな。

2 comments:

  1. Tikiさんとしもゆうさんの出会いが日米学生会議36回だというのはよく知っていましたが、詳しいなれそめは初めて知りました。
    こうして細かいところまで思い出すことによって、優子さんがどんどんよみがえってきますね。アナグマさんの『忘れられない贈り物』と同じで、思い出がその人の存在を根底から支えてくれていると言うことがよくわかります。

    私自身の、優子さんの存在をも支えてくれるエピソードでした。感謝しています!

    引き続き、Tikiさん、ご家族を応援しています。

    M.W.,S.W.,Sy.W.の三人より!♪

    ReplyDelete
  2. そう。そして、アナグマさんの友だちが集まって、みんなで思い出を語り合うんだよね。そうやって、だんだんと優子の思い出もふくらんできます。それは、とっても嬉しいことです。

    ReplyDelete