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Friday, September 24, 2010

Scrap and Build

ご無沙汰しております。
ブログは時々おじゃまさせていただいております。
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心温まるメール、ありがとうございます。
ブログを書き始めたころは、わりとたくさんの人から「読んでるよ~」とコメントをいただいたりしていたのですが、最近はそれもすっかり少なくなってきました。でも、時々こうやってお便りを頂くと、ああ、まだ忘れられていないんだな。また、その背後には直接言わないけど読んでくれている人がいるという期待に支えられています。
私も、優子のことは忘れたくないんですけど、時と共に、だんだんと忘れていく自分がいて、そのことが悲しくも、嬉しくもあります。
1年と9ヶ月前に、心に溢れてくる洪水を掻き出すために必死で始めたブログですが、最近では心の部屋もすっかり落ち着きを取戻しました。ときどき見出すゴミ屑をホウキとチリ取りでちょっと摘み出すような程度です。

子どもたちの成長には目を見張りますよね。毎日接していても彼らの身体と心が成長しているのを実感します。もし優子が1年半ぶりに出てきて子どもたちに会ったら、とてもびっくりするでしょう。

ちゅけはすでに班活を中心とした自分の世界をつくり、家族旅行にも来てくれません。祐馬も、もうすぐそうなるでしょう。既にその兆しが見えています。じんも、やがてはそうなるかと思うと寂しいけど、それがあるべき成長なのでしょう。そう思うと、まだ付いて来てくれる今がとても大切に思えてきます。

私自身も、新しい仕事を始めようとしたり、新しい出会いがあったり、だんだん変わっているように思います。
久しぶりに会った教え子に言われました。
先生、やせましたね~!!
そうだよ。僕だって努力しているんだから。
苦労して、やつれたわけじゃないよ。
努力して、proactiveに体重を落としたんだから。
もし優子が一年半ぶりに出てきて私を見たら、とてもびっくりするでしょう。

この歳になっても成長するものなんでしょうかね??
以前はそんな視点で自分を振り返ることなんかありませんでした。今までは、安定性を家族に供給するために、変わらないことがテーマでしたから。しかし、私自身の精神的な立ち位置を失ってからは、一方で生活的・物質的な安定は維持しつつも、もう一方では新たな立ち位置・ライフスタイルを模索しているんだと思います。いったん捨てて、再構築するscrap and build。それが荒廃につながるか、成長につながるかは、やってみないとわかりません。できれば、子どもたちと共に良い方向に成長できればうれしいのですけど、どうなることやら、自信はありません。一見ふつうに生活していても、心のバランスを崩してしまった人をたくさん見ているだけに、自分自身に言い聞かせてはいるのですが、、、。人のことは治せても、自分自身は治せませんから(笑)。

時の移り変わりと共に、ぐんぐん成長していく子どもたちと、立ち位置をズラしていく自分。
ときどき、方向を見失いそうで不安になるんですよね。
そんなとき、優子と一緒に20年かけて創った自分の原点に戻って、コンパスとブログという地図を使って、どこまで来たか確認してるのかな。

どうも優子を失っただけではないみたいですね。子どもたちはピーターパンの世界を失い、親は手元において可愛がる対象を失います。僕自身もリセットするために、優子時代の自分を手放そうとしている。
こうやって、喪失と変化の軌跡を記述することで、子どもたちの幼い面影と、優子と共に築いた自分を葬り、子どもたちの自立を認め、生まれ変わろうともがいている自分自身を正当化しているのでしょう。
優子のことなんか、もうどうでもいいんです。悲しみの仕事は、もうだいたい片付いたから(やせ我慢してる?)
むしろ、今は、親として、男としての自分のidentityを再構築する仕事をしているのかもしれません。
喪の仕事も、経過とともにずいぶん変わってくるものですね。

Monday, September 20, 2010

子どもたちの墓参り

ねえ、祐馬、ママのお墓参り行きたい!
そうだねえ。パパも行きたいけど、お休みの日も仕事やテニスが入っていて、ちょっと先になるかなあ。
ちゅけ「ひとりで行けばいいじゃん!」
イヤだ。祐馬はひとりじゃ行きたくない。

そうだよな、ちゅけはひとりで行ったんだよな。
体育祭の後、めずらしく班活も休みの二連休に。
パパ、行けないよ。おじいちゃんと行くか?
いいよ、オレひとりで行くから。

あの電車、いいだろ。休みの日はがら空きで、のんびり本なんか読めるよね。
三浦海岸駅から行きはバスで。帰りは海岸を歩いて戻ったのか?けっこう時間かかっただろう?
う~ん、ゆっくり、途中で海岸に行ったりしたから1時間くらいかな。

ひとりのお墓参りって、良いだろ?パパもそう思うんだ。
法事とか、お付き合いとかでなく、ひとりでゆっくりできるよね。
そうか、おまえはふだん口数が少ないからよくわからなかったけど、心の中のママと向き合えるようになっていたんだね。

Tuesday, September 14, 2010

Releasing the memories

今日あたりから、やっと涼しくなってきましたねえ。
帰ろうと思ったら、夕立が降ってきた。こうやって夏が終わっていく季節の変わり目。

今、研究室にある書籍類をPDF化している。裁断機で背表紙をちょん切り、バラバラになった紙をスキャナーに流し、両面いっぺんにスキャンしてPCにPDFファイルとして保存。そのままクラウド(Dropbox)に上げる。最近のスキャナーは高速で効率よくスキャンしてくれるし、PDやiPadなどの便利なリーダーが出てきたので、可能になった。
といっても、大量の本の作業はけっこう手間と時間がかかる。学生3人にバイトを頼んだ。
本棚から、PDF化する本と、せずに捨てる本を仕分けして、段ボールに詰めていく。
ずいぶん、捨てる本がたくさんあるねえ!
今まで、こんなに大切にゴミを保存していたんだ。20年近くいると、研究室のゴミ屋敷化が気づかぬうちに進行していく。
先生、これも捨てちゃうんですか~?もったいな~い。

そうねえ。たとえば学生時代、国家試験の勉強に向けて使った赤線だらけの分厚い「内科学」の教科書。思い出いっぱいだよ。でも、もう使わないでしょ。今まで捨てられずに本棚に置いておいたけど、使わないもん。そんな本がたくさんある。

大切なものを放すことは、僕は得意だからね。一番大切なものを放したんだから、なんだって捨てられる!それに、読みたくなればちゃんとIT技術を使って読めるし、印刷して生き返らすこともできるんだから、なにも躊躇する必要はない。

捨てた後は気持ちがいいんだ。今まで整理がつかなかった本棚が、すっきり空っぽになる。
気持ちいいんだけど、喪失感がよみがえり、ちょっぴり胸が痛くなる。

家にも整理するべき本が山のようにあるからなあ。家の本もやってしまおう!

Friday, September 10, 2010

高校の運動会

水曜日は祐馬に付き合ったから、今日はちゅけだ。
あいつの学校の運動会はえらく盛り上がることで有名らしい。
去年は行けなかったから、今年こそは。前もって予定を開けておいた。
ちゅけのおばちゃんも来てくれた。小中学校のように保護者がわんさか押し寄せるわけではないが、平日の割にはけっこう多かったよな。
僕の高校時代、保護者なんてほとんど来なかったはずだけど。

遅れていくと、グラウンドのちゅけもすぐに見つかった。
家では、よく食べ、存在のでかいちゅけも、こうやって多くの高校生を背景にすると、そのひとりに過ぎない。でも、チビではないよな。長身ではないが、ふつうに背景に溶け込んでいる。
リレーと騎馬戦、ばっちり見届けたぞ。活躍したな!

高校生たちの運動する姿は気持ちよい。
女子は、ふだん見ている大学生とそれほど変わらない。
男子は大学生とは異なる。
近くから見ると、まだ幼い顔をしているが、遠くから見ると、その身体は既に子どもではない。上半身裸の筋肉は、腹筋がしっかり三つに割れ、たくましい。ぜい肉も、経験も、まだついていない若々しいフレッシュな肉体。ひとりひとりを近くで眺めるとまだ頼りないが、遠くから眺める集団はエネルギーに満ちている。
今までは見せなかった、成長しつつある子どもの姿。優子は見ることなく、終わった。
まあ、天から見ていな。遠くから見ると、頼もしく見えるだろ!?

Thursday, September 9, 2010

ラゾーナ川崎

台風が過ぎ、異常な猛暑もひと段落した一日。
仕事を午前中で切り上げ、午後は学校から帰ってきた祐馬とふたりでラゾーナ川崎に出かけた。

パパ、洋服ダサすぎる。いつも同じの着てるじゃん。祐馬がTシャツ選んであげるよ。そう思って、前に友だちとお店見てきたんだ!

そうだね。パパは自分じゃ選べないから...
グラニフでデザインTシャツを二枚、GAPで長袖と半袖のTシャツを二枚選んだ。

こっちを先に着て、その上にこっち着るの?
違う!逆だよ。こっちを先に着るの!
えっ、そんな着方、パパしたことないよ!
だから、パパはダサいんだってばぁ!ぜんぜん知らないんじゃン
ママもダサいというか、あまり服とか気にしなかったもんね。洋服ダンスの前で、祐馬にこれどっちがいい?とか聞いてきて、祐馬が『こっち!』って言ったら、それ絶対着てたもん。

店員さんが試着室に案内してくれる。
もしかして、お連れ様はお嬢さまですか?
そう、娘ですよ。
まあ、大きな娘さんで。パパ、娘さんに選んでもらっていいですねえ。

傍から見れば、微笑ましい父娘でしょ!?
おかげで、パパもユニクロから脱皮できそうだよ。

その後、祐馬のお目当て、ミスチルの映画Split the Differenceを見に行く。
そもそもこれが目的だったんだよね。
ねえ、絶対見に行きたい!土日に行ったらファンで混むから、平日に行こうよ!

やっぱり、雨の平日にしては、けっこう人が入っていたよね。
祐馬は大満足。

ねえ、パパ、見て良かったと思ってるの?
うん、まあ音楽とか良かったし。
どんなところが良かったの?
そうだねえ。Salyuが出てきたし、キーボードの人、ずいぶん生意気だし上手だと思ったら、あれが小林武史なんだ!! 祐馬はどこが良かった?
ぜ~んぶ!!

帰り道。歩きながら、肩に触れると、
パパが触ったところ、かゆくなるから触らないで!

でも、買い物も、映画も、、パパもとても楽しかったよ!

Monday, September 6, 2010

優子を失って得られたpositiveとは?

美味しい$H$&$b$m$3$7をお送りいただき、ありがとうございます。家族みんなの大好物です。
すぐにお返事をと思いつつ、海外出張などでバタバタしていてこんなにお礼が遅くなり失礼いたしました。
今年の気候は異常ですね。なかなか秋に進めません。その後、お変わりございませんか?

私と子どもたちは、相変わらず元気でやっています。
1年8ヶ月が過ぎ、気持ちの方はまだまだ引きずっている部分もあるように思います。
優子を失ってから、私は趣味でも仕事でも人間関係でも、ひとつのことに凝り始めると、そのことばかり考える凝り性なんだということをつくづく確認しました。優子と付き合い始め、%^%jちゃんと初めてお目にかかった頃は優子のことばかり考えていたし、優子を失ってからも優子のことばかり考えています。もうすぐ二年経つのだから、いい加減頭を切り替えてもよいと思うのですが、我ながら執着気質なんだと思います。


自分自身を振り返り、以前からも感じてはいたのですが、どうも私はpositiveに考えてしまう癖が強いようです。もちろん、それは心理学的に言えば好ましいことなのですが、時々、そんなにポジティブにするなよ、ネガティブな体験は、ネガティブなままで受け取れよ!なんて自問自答しています。苦しいのが怖いのでしょうね。無意識のうちにポジティブに持っていこうとしているみたいです。

優子を失って得られたpositiveとは?
当初はそんなことありえないと、考えたくありませんでしたが、1年を過ぎたころから、そちらの方面に考えが行くようになりました。

1) たとえば、子どもたちとずいぶん近くなりました。特に娘。思春期の一番難しい時期で、反抗もするけど、お互いに親しくならざるを得ません。母親がいれば、父親はいなくても何とかなりますが、ひとり親の方が関係が良い意味でも悪い意味でも関係が濃くなります。下手すればとんでもない方向へ走ってしまうけど、どうにか調整できればすごく大きな支えになるし、それは子どもたちにとっても、パートナーのいない私にとっても必要なことのようです。

2) また、多くの人たちと近づくことができました。たとえば二世帯住宅に住む両親。優子がいるときは、お互いの独立を保とうと、着かず離れずの距離を保っていましたが、優子を亡くしてからはそう言っていられません。子どもたちの世話や、日常生活でずいぶん助けてくれています。高齢ですから一見元気そうに見えても油断できません。そのあたりは私が見守っていきたいと思います。友人・知人たちにもずいぶん助けられたし、以前よりも交流が多くなったように思います。優子が生きていれば、私がこうやって%^%jちゃんにお手紙を書くこともなかったでしょうね。

3) さらに、マゾヒスティックですが精神科医としては、これ以上ないとされている大きな悲しみは貴重な体験でした。今までは、悲しみ・不安・絶望など心の危機にある人たちに接していても、正直なところ、理屈でしか理解することができませんでした。今回、私自身が心のbottom lineまで降りたので、いったいそれがどういう体験なのか、もちろん人によって様々なのですが、他者を理解する上で大きな資源になりました。

4) それに、なによりプライベートな面で、塞翁の馬じゃないけどもしかしたらもう一つの人生のヤマを経験できるかもしれないなんてことも、この夏すぎてから考えるようになりました。
いつだったか、優子がふと言ったんですよね。
「私がいなくなったら、 M4Kc$,OK$7$?$i:F:'してもいいからね。」
何気ない冗談で、私は何も反応せず消えていった会話でしたが、今となってはそれが強く心に残っています。 CK$C$F4pKE*$K!J$H$$$&$+>/$J$/$H$b;d$O!K$9$4$/<%H%J!<$r<:$C$?=w@-$O$R$H$j$GIaDL$K@8$-$F$$$k$N$K!"CK@-$O:F:'$9$k$+!"$&$DIB$H$+<+;&$H$+!"$R$H$j$-$j$G$O$A$c$s$H@8$-$F$$$1$J$$?M$,B?$$$_$?$$$G$9!#;d$b$=$N$R$H$j$@$H;W$$$^$9!#>-MhE*$K$O!"M%;R$K>!$k$H$bNt$i$J$$!J$H$$$&$+!"Hf3S$9$k$3$H<+BN!"0UL#$,$J$$$G$9$1$I!KAGE($J%Q!<%H%J!<=P2q$($k$+$b$7$l$^$;$s!#$b$&$=$m$=$m$=$s$J$3$H$b9M$(;O$F$bNI$$;~4|$+$J$H$b;W$$$^$9!#9,$$!"NAM}$O9%$-$@$7!"O7?F$b$$$k$N$G!"@83h$r;Y$($F$/$l$k!Vp$N
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、などとも考えています。

お礼にかこつけて、長々と私のことを書かせていただき、失礼しました。こうやって自分の気持ちを表現しまくって、バランスを保とうとしています。自分勝手なメールですので、どうか読み流してください。

One year and eight months

Thank you for remembering my birthday.

I spent my 53th birthday in Taiwan. I gave some lectures and workshops on Hikikomori (social withdrawal) to Taiwan professionals. Thanks for the Facebook. I did not tell anybody about my birthday, but some colleague found it like you did, and let everybody know. So on Friday, I finished the lecture, and the colleagues prepared a dinner with a nice cake and candles for me.

It has been one year and 8 months since my loss. I think I have moved to a stage to think about getting “a new friend.” I enjoy cooking at home and my parents help us a lot, so I don’t need “a housewife” or children’s new mother. I can take Mom and Dad roles for my kids. I just need a person who holds me emotionally. We do not need to live together. We can have our own space and commitment most of the time, and meet once in a while and enjoy company.

But I realize it is not very easy to find such a person. At young age, most of the same age group that I met could be candidates, but now be in 50s, most of the women are either occupied or not available for some reason. I am slowly telling some of my friends, "find me someone!" 


Yuko was 6 years younger, so I do not mind someone younger than her! I like someone who is active and assertive.
Having said that, I am still not sure whether I am emotionally ready or not. And I concern about my children to feel a sense of betrayal that “Dad is forgetting our Mom! “ 


These are the fantasies around my birthday. How do you think?
I will take a slow step anyway.
I was away from my children on my birthday, but they gave me a very nice birthday card when I came home today.

Sunday, September 5, 2010

二回目の台北サイクリング(1)

三日間、台湾でしっかり仕事をした後、帰国日を一日ずらして、free day。河沿いのサイクリングを楽しんだ。国立台湾大学を南下して去年と同様に永福橋からスタート。去年にはなかったサイクリングステーションができて、貸自転車をやっている(写真上)。

土曜だったので、子どもと自転車を楽しんでいる家族がずいぶん多かった。市内から右岸を前回来た時よりもさらに北上し、35kmほど先にある淡水という町まで往復した。しかし、サイクリング道がずいぶんしっかり整備されてますねえ。道幅も広いし、歩行者と自転車の道を分けているところが多かった。走るのが気持ち良い(写真下)。東京だってやる気を出せば、多摩サイをこれくらい整備できるだろうに!

二回目の台北サイクリング(2)

淡水(ダンスイ)は市内からのMRT(新しい鉄道)の終点で、港町の観光地(写真上)。

ずいぶんたくさんの屋台やお店が立ち並んでいる。暑い日だったので、酸梅やレモン、オレンジなどのジュースをたくさん飲んだ(写真下)。

二回目の台北サイクリング(3)

帰り道はチャリを折りたたんで、MRTに乗ってもよかったんだけど、せっかくのサイクリングの機会、チャリをこぎ続けることにした。福徳宮(お寺さんの観光地みたいだったけど、そっちは興味がない)の屋台(写真上)で汁そばを食べる。

こちらの屋台はビーフンの焼きそばみたいなのがたくさんあるけど、ラーメンに該当するのはあまりないみたい。でも、水分が欲しかったので、身振り手振りでおばちゃんに頼んだら、奥に引っ込んで作ってきてくれた(写真下)。

往復5時間ののんびりチャリ旅行でした。

二回目の台北サイクリング(4)の後のマッサージ

夜は、台湾式マッサージで、筋肉をしっかりほぐした。現地の友人夫婦といっしょに3人で行ったお勧めのSAKURAという店は、日本のホテル並みの設備なのに安い。全身マッサージ(2時間)と足マッサージ(1時間)と顔マッサージを頼んだ。3人のマッサージ師が各部位を6つの手で同時にもんでくれるので、酒池肉林。ふつう、もみほぐされている部位を感じながらリラックスするのだけど、トリプルだと何が何だかわからない強烈さ。時々、耐えられないほど痛くなるのだけど、一生懸命我慢して悶えていた。これで1万円相当だから、日本では考えられない。

夜はさぞゆっくり眠れるだろうと期待したが、筋肉が熱くほてりすぎて逆に眠れない。こういうのモミ返しっていうのかね。少なくとも、昼間たまった乳酸はすべて放出しきったでしょう。

筋肉を使いきった、physicalな一日でした。