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Tuesday, December 26, 2023

愛する人を失い、得るプロセス

 久しぶりに書いてみるかな!

ニュースでやっていた。「ハチ公」がインバウンドに人気なんだって!

愛する人に会いたい気持ちは世界共通。。。

このブログは、愛する人を失うプロセスを綴ってきた。

それと重なり、愛する人を得るプロセスも進行していた。そっちはあまり書く必要がなかった。その対象が目の前にいるのだから、心的エネルギーはそちらに向かう。失ったときは対象がいないわけだから、悲しみの向かう先を求めたわけだ。

今となっては、失うプロセスも、得るプロセスも落ち着いちゃった。だから書く必要もないのだけど。主観的な感情体験を表出するというよりは、客観的な立場になっちゃった。あまり面白くないよね。今となってこの二つのプロセスを振り返ると、いやぁドラマでしたねぇ。。。

その経験から得られたものは「愛着」がどういうものなのか、どれほどメンタルの維持に大きな役割を果たしているのか気づけたということか。

愛着って、空気みたいなものだからふつうは気づかない。親との愛着も、それが肯定的・否定的どちらにせよ、気づいたら当然のようにそこにあったわけで気づくものでもない。優子という愛着を得たのは20代の後半。それまで何人かの彼女を作ったり別れたりしていたが、それが「愛着」だなんて気づく余裕はなかった。一生懸命、気持ちの赴くままに頑張っていただけだ。それが20-30代までの話。

優子という愛着を失う:失ったのは一瞬だったが、優子への愛着を手放すのは相当苦労した。気づくもなにも、こうやって必死に言語化してきたし、心理学的理論も得たので、感情を整理しつつ、理性的にも自分の愛着について考えることができた。

由美という愛着を得るのも相当苦労した。今だからそれも振り返ることができるが、その最中には必死だったし、何度も失敗も痛みも経験してきた。そこまでして愛着が必要なの?他の人はよくわからないけど、少なくとも私にとって、それはもうとても大切だった。

今は、もう落ち着いてしまったので自分の愛着うんぬんについて言語化したり考えたりする必要もない。ただ静かに由美との愛着をメンテナンスしていくだけだ。そこに大きな苦労は伴わない。

むしろ、その体験を心の臨床に活かしている。Wounded Healer(傷ついた治療者)というわけですな。Attachment Focused Familiy Therapy。あるいはEmotionally Focused Family Therapy。自分の愛着が落ち着いてしまった今、このブログで表出するニーズは消え、別の場所で、こっちの記述を進めていきたい。とはいえ、今までのように書かねばどうしようもない必然性が低いので、うまく書き進めることができるか、自信はない。