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Sunday, November 24, 2013

青春の影

君の心へ続く 長い一本道は
(中略)
自分の大きな夢を追うことが今までの僕の仕事だったけど
君を幸せにするそれこそがこれからの僕のいきるしるし
(青春の影。チューリップ、財津和夫)
そう。青春時代の話なんだ。

Q) 僕は優子を幸せにしたのだろうか?
A) したよな!?
線香花火の盛りにボタって落ちたから、幸せのまま落ちたから。
優子にとっては幸せだっただろ?

Q) 優子は僕を幸せにしたのか?
A) したと思うよ。
悲しみと不幸とは違う。
下手に生き長らえていると面倒なことが起きて幸せを目減りさせる。
幸せだったはずだという幻想だけを抱いている方が幸せなのかもしれない。

悲しいから幸せなのだ。
悲しくなかったら、幸せを感じる余裕なんかないもの。

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以上、家でボジョレーを空けて、テレビでチューリップの特集番組をやっていたもので、、、

Wednesday, November 13, 2013

The 50th Birthday

50回目のBirthdayおめでとう。そっちに行ってもうすぐ5年だな。もうあまりこっちに来なくなったね。

お墓参りもあまり行けずゴメン。まあこっちの生活が忙しいし、そう度々来られても困るだろうしな。
ちゅけはダイビングに夢中みたいだ。もう彼自身の世界だから親が心配しても仕方ないね。何かに夢中になるのも大切な体験ではあるだろう。
祐馬は来年の今頃はアメリカに行っちゃってるよ。天国と札幌とアメリカと、離ればなれは寂しいけど気持ちが繋がっていれば大丈夫だよね。
じんは世の中の厳しさに直面しながら今がんばってるぞ。

洗濯機を買い替えるぞ!優子がいなくなってからずっとおばあちゃんに頼っていたからね。そうやって、みんな自立していくんだ。悪いけど優子からも離れていくぞ。絶対に忘れはしないけど。


Sunday, November 10, 2013

ふらふら病

そう、フラフラしすぎなんだよ。
1泊で済む仕事の前後にくっつけて3泊してしまなみ海道往復とか。
学会出張の名目で海外をフラフラしたり。

もともとオレはフーテンの寅さんなんだと思う。
でも、寅さんや壇一雄に比べれば遁走したって規模の小さい、他愛ないものだ。

ひとところに落ち着けず、現状に満足できず、もっと他に良いことあるんじゃないかと、あちこち可能性を追い求めてフラフラする。
いや、別にbetter chanceを求めているわけではない。現状がダメなわけではない。十分にOKでしょ。でも飽きてしまうんだ。
外向的とか発展的とか言えば聞こえは良いけど、要するに落ち着かないんですよ。
高校時代にアメリカに1年間行っていたのが良くなかったな。
日本からアメリカへ現実を総チェンジして、良い体験を得てしまった。
それが、現実を入れ替えるクセがついてしまったんだ。
Flying Doctor、空飛ぶ医者。国境のない医師団みたいに。但し、オレは人類の平和のためにフラフラしているわけではない。自分自身の平和のためにフラフラしている。
もともと男には放浪癖があるんですよ。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、落ち着くことがない。
だって、その方が楽しいじゃん!

ひとつのところに停滞するのは死を意味する。
学生時代に「今日が昨日と全く同じであることが理想だ」という友達がいて、彼は公務員を志望していた。
俺はちがう。カメレオンと同じなんだ。静止ている獲物は認識しない。
虫が動いたら、自動的に捕食行動が惹起される。
犬と同じだね。相手が目の前でじっとしていると何もしない。相手が逃げると追いかけはじめる。

よくそんなことやっていられるわね!
そうだよ。愛着というアンカーで僕を繋ぎ止めていた優子がいなくなったからじゃないか!優子の責任だからな。天国で反省していなさい!!
結婚して、家庭を作って、子どもを産み育てて、、、
糸の切れたタコの親じゃ困るでしょ。
優子がいたからオレは根を張っていた。
でも、優子が居なくなり、子どもも空に飛びたとうとしている。
子どもも老親もいる。
子どもがもっと幼かったら、子どもがアンカーになり得た。
でも、子どもたち自身が今は北海道に、アメリカに、高校に風船のように頼りないけどそれなりに飛び立とうとしている。
今、根を張らねばならない事情はあまりないんだよ。全くないわけではない、あるのだけど、子どもが小さい頃よりは、奥さんがいた頃よりはそんなことしなくてもいい。

その一方で、Professional/occupational self はしっかり自前のアンカーを作って根を張っている。その部分では問題ない。いや、だからこそハンドルのあそびを得ようとしているのかもしれない。

問題はPersonal selfの部分での立ち振る舞いなんだ。
じゃあ、いったいオレはどうしたいんだ?
今のままフラフラ気球に乗って彷徨いたいのか?
あるいは碇に繋がって母港に停泊したいのか?
まあ、人生の航海も終盤戦に近づいている。
遅かれ早かれ廃船の時は来る。
最後の航海は今しか出来ないのなら、もう少しフラフラしてもいいかな?
てか、いつまでフラフラしているつもりなんだ?
優子の責任だ!
いや、優子のおかげだ!

Wednesday, November 6, 2013

久しぶりに優子が出てきた。

来島海峡大橋はしまなみ海道で一番大きな橋だ。第一、第二、第三と3つの橋が連なり、全長4キロ、高さは65メートル。対岸は遠すぎて見えない。斜め前方は大海原。見下ろすと来島海峡の渦潮が見え、大きなタンカー船も行き来する。
渦潮を眺めていると海の広大さが広がる。ここを自転車で疾走していると、空を飛んでいる感覚になる。

この海は全地球に繋がっているんだ。連想がどんどん広がる。
沖縄の海にも、久米島のはての浜にも繋がっているんだ。
そこに4年前に撒いた優子の灰は、全世界の海に回っているのだろうな!

じんが出てきた。
冷たくなった優子の身体がスキー場から戻り、家の居間で寝ている。
おやすみ!
じん、ママにおやすみ言うか?
ふだん感情を表さない小4のじんが、冷たくなった優子の髪を愛しそうにそっと撫で、
おやすみだけを言うはずが、
「ねぇ、ママ〜、お願いだから生き返ってよう〜〜!」
泣き崩れたじんを私が抱きかかえようとしても、もがいて私の手をすり抜けようとする。
じんが泣いた姿を見せたのはこの時だけだった。私はしょっちゅう泣いていたけど。

ついで、葬式の場面が出てきた。
MKPの仲間とともに天の優子を引き摺り下ろし、優子に話しかけるシーン。
まず、私が見本を見せて、子どもたちとお義母さんにもやってもらった。
「ふざけるな!!」
空に向かって再び叫んでいた。
「優子が心臓悪いのは知っていたよ。でもこんなに早く逝くことないじゃないか!」
このシーンは知人に頼んでDVDに録画されているはずだ。未だそれを観ていない。永久保存版。消えて欲しくない、保存しておきたい。その思いから録画を頼んだ。まだ観る気はしない。観なくても、心の中にしっかり保存されているからその必要はない。
サングラスの下で涙が頬を伝う。

対岸に着き、橋を降りればもう出てこない。現実に戻る。
残りの5つの橋でも出てこなかった。他の橋は来島海峡大橋に比べれば短いんだよね。対岸が見える。空を飛ぶ感覚は消えてしまった。

後日談)「来島海峡大橋」をいろいろググっていたら、建設中の1998年に橋げたが落下して7名の工事関係者が犠牲になる事故があったのね。その後も自転車レースで歩行者の死者が出たり。
栄光の裏には影がある。このあたりの空には多くの魂が飛び交っているんだ!

Saturday, November 2, 2013

愛着を手放す辛さ

ちゅけは札幌で元気でやっている。ダイビングに夢中だ。
「良識ある大人」の目線ではちょっとやりすぎ、常軌を逸している。やるべきことはちゃんとやっているのか?
若者の目線からすれば、熱意を打ち込める対象があって良いんだよ。うまくいって自信を獲得し、失敗から学ぶことができる。彼女にのめり込むよりはダイビングの方が安全だろう。自分自身の経験からしても。
だから、何も心配することはない、、、と理屈では考える。
大学もちゃんと行っているし(成績までは知らないが)、ダイビングも、バイト仲間も、しっかり適応できているじゃないか。

それなのに、あいつから離れる時が辛いんだ。
全をひとり北の大地に残し、東京に戻る時。
心がひよひよする。さみしいわけでわはない。
あいつを残してしまって大丈夫なんだろうか?
自分てやってゆけるんだよな。
でも本当に大丈夫なのか?フォローしなくていいのか?
何かあったら責任をとらないといけないんじゃないか。

親が子どもを離す辛さは保育園に子どもをあずけ始めた頃からあった。
冬、園の寒い板の間に震えて泣いている(ように見えた)。彼を保育園に残して仕事にいかねばならない。保育園でちゃんと面倒を見てくれるだろう。もちろん信頼している、、、というか信頼したい。任せなければダメなんだ!

去年、入学時にはキャンパスを一緒に見に行った。アパートの家財道具を買いに行った。夏には妹弟を連れて行った。あいつがちゃんとやってるか確認しなくちゃいけない。信頼してるよ。でも、見届けないといけないんだ。

これって日本人的な心性?
オレオレ詐欺は日本に特有でしょ。

子どもがダメになっていくシナリオを作ってしまう。
「君はOKだよ」という方が辛い。
子どもを手放し、関われなくなってしまうから。親の心配の行き場を失ってしまう。

「君はまだダメだ」という方がまだ楽なんだ。
親が心配しないといけない。親が子どもにかかわり続けることにより、親の心配を子どもに投影することができる。その方が、親はまだ良いんですよ。