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Saturday, January 31, 2009

元カノ

子どもたち

そんな感じで、ママはすごく可愛かったし、性格も良かったし、お付き合いを深めていったんだ。
付き合い始めて結婚するまで2年くらいあったと思うんだけど、その間、パパは毎晩欠かさずママに電話して、1時間くらいおしゃべりしていたんだ。今から考えると不思議だよ。よくそんなにしゃべることがあったなあって。当時はケイタイなんかなかったから、おうちの電話でしゃべるわけ。居間にあるから、パパはおじいちゃん・おばあちゃんに頼んで、電話線をすごく長いのに変えてもらったんだ。その頃は、コードレスなんかなくて、電線で壁に繋がっていたんだよ。話しているところ聞かれたくないじゃん。電話機だけ自分の部屋に持ち込んで、しゃべっていた。りょうこおばちゃんは呆れていたよ。

でもね。
そんな良いことばかりじゃないんだよ、ふたりが付き合うって。結構、危機もあったりしてね(笑)。
ママはすごく可愛いし、頭も良かったんだけど、内面は結構悩んでいたというか、いまいち暗いところもあったんだよ。なんとなくわかるでしょ?
ママとママのお兄さんはとても仲良くて、小さい頃は、いつもお兄さんの後にくっついてお兄さんの友だちと一緒に遊んでいたんだって。で、お兄さんはチョー秀才でさ。そんなに勉強しなくても東大に現役で合格しちゃうくらいだったんだ。ママも、世間の常識からすればとっても頭がいいのだけど、自分じゃあそう思っていないんだ。お兄さんほどじゃあなかったからね。お兄さんが行ったような偏差値の高い高校受けたけど落ち、東大も落ち、就職するときも、第一志望の会社は落ちて、第二志望だった会社に就職したんだ。それも、身体検査で心臓にちょっと問題アリということで落ちたんだけどね。だから、ママはぜんぜんそんなことないのに、何か私ダメなのみたいに自分のことを思っていたみたい。
それに、ママのお母さんとの関係にも悩んでいたみたい。ゆんたもママと時々派手に喧嘩してたじゃない。母親と娘の関係って、どこでも結構むずかしいものなんだよね。普段、ママとお母さんはとても仲が良いんだ。だけど、仲が良すぎて、お互いに依存して、期待しすぎてケンカになっちゃうというか。だから、ママも、20歳を過ぎて、母親から精神的にも自立したかったのだけど、いまひとつ自信も持てないもんだから、自立できず、ママに当たっちゃっていたみたい。ゆんたもそうだったの?

そんなこんなで、結構悩んでいたから、エンカウンターグループという心理学の合宿みたいなのに行きなよってパパが勧めたんだ。それは、10人くらいの人たちが一緒に2泊か3泊かして、深く話し合いながら集中的に自分たちのことを見つめるグループ・カウンセリングみたいなものなんだ。以前、パパも友だちと一緒に参加して、とても良かったから、ママも行ってごらんよって説得して、車でその会場まで送って行ったんだ。そしたら、そこで、パパの元カノと偶然にばったり出会っちゃったんだ。その人とは、はじめはうまくいっていたんだけど、結局、パパが勝手に振ったみたいに気まずく別れちゃったんだ。パパとママが一緒にいるところに、突然その人が現れて、とってもびっくりしたけど、平静を装って、ママのことを友だちですって紹介したんだ。でも、女の勘は鋭いから、すべてわかっちゃったみたい。

そんなわけど、ママは、パパの元カノといっしょに合宿することになっちゃったんだ。もう、自分を見つめるどころじゃないよね。ママも、元カノも、どちらかというと引っ込み思案タイプだから、お互いに一言もしゃべらなかったけど、とても苦しかったって。帰ってきてからワンワン泣かれたよ。ママは真剣にパパと別れようかとも思ったって。パパは一生懸命ママの話を聞いて、ゴメンって謝って、結局は別れずに、付き合っていきましょうということにしたんだ。いくらラブラブでも、付き合っていけば、お互いにイヤな面も見えてくるし、ヨコから妨害も入ってくるし、辛いものなんだよね。でも、そんな危機を乗り越えていく中で、パパとママは、お互いの信頼関係を深めていったんだよ。一度、そういうことを経験しておけば、また同じようなことがあっても乗り越えられるかなって思えるからね。

だからさー、ちょっと話は違うんだけど、今、パパと子どもたちは、ママが突然死んじゃって、人生でありえないような最大級に悲しく辛い経験をしているじゃない。今はまだとてもダメだけど、これからどうにかして、パパと子どもたちが、この辛さを乗り越えて、また元気になることができたらさ、、、、将来、どんな辛いことがあっても、乗り越えられるって思わない?だって、ママが突然死んでいなくなっちゃうことほど辛いことは、この世の中にありえないもの。

Thursday, January 29, 2009

婚約発表

優子

なんか、今日は感慨にふけることがふたつあって。
ひとつは、僕の高校時代の同級生に声かけて、3人でランチしたんだ。
緊急プチ・クラス会みたいな雰囲気で。
普段は、無愛想でヘンな奴なんだけど、今日は妙に優しく気遣ってくれるんだ。本当はそういうヤツだってことはまあわかっていたけど。昔の友達だから、今は何年かごとのクラス会で会うくらいなんだけど、こういう時に支えてくれるって、なんかいいよなあ。

もうひとつは、10個さんからのメールだよ。
昼間、診療の合間にメールチェックしたのがまずかった。
とても、懐かしくて、嬉しくて、悲しくて、泣けてしまった。
しばらく次の患者さんを呼べなかったよ。

こんなメールだったんだ。
 JASCの実行委員していたときのこと。職権を乱用してUnitedのファーストクラスに乗ったてるさんが、「この雪見大福が・・・・」って、優子ちゃんのこと可愛くってたまんない、っていう感じで呼んだのね。優子ちゃんたら、ちょっとテレながらてるさんのこと優しくにらみ返していたけど。本当に、雪見大福みたいに、ほっぺが柔らかくてめちゃくちゃ可愛い人なんだよね。
 優子ちゃんが企業に資金をお願いする電話をしていたの。お相手のかたが、「ゆう子さんはどういう漢字ですか?」って聞いたらしい。「あの~優しいという字です」って、電話口でテレて首すくめながら説明してるんだよ。電話終わった後、私に「自分で自分のこと優しいっていうのすごく戸惑うわ・・・」っていってた。可愛い人だよね。人間性が外にまで出てくるようなかわいらしさ。
 優子ちゃんは頭脳明晰でしっかりしていて、私もかなり頼りにしていたんだけど、それと同時に私の中の優子ちゃんって、めっちゃくちゃ可愛い人なんだ。同性でもヤキモチ焼けないかわいらしさ。
 優子ちゃんも私も結婚して、ランチしたときのこと。優子ちゃんが「この前、ティキと屋台でおでん食べてお酒飲んだわ。」って言っていたの。優子ちゃんって、「素敵なお嬢さん」のイメージがあったので、優子ちゃんと屋台という関係が新鮮でした。旦那さんが優子ちゃんの世界を広げているんだなあ・・・ってほほえましかったです。
 結婚前に優子ちゃんから電話もらったことがあるんだ。「ティキが結婚って車選ぶようなもんじゃない?っていうのよ」って、ちょっとがっかりしていた。そこで私が読んだ男心・女心。男性側のティキは、「君しかいない!君と結婚したい!」って、言いたいけどなかなかいえないよね。女性側の優子ちゃんは「あなたしか見えない!」って言って欲しかったんだなって。それからまもなくして、二人の婚約発表がありました。優子ちゃんがみんなの前で、「ティキったら、クリスマスまで待てなかったのよね。」って、めちゃくちゃ嬉しそうにプロポーズされたときのこと話していたのを覚えています。本当に好きだったんだよね、ティキのこと。今はもっともっと好きなんだろうけど。

 追伸 特に最後に書いた話、ばらしちゃったら優子ちゃん怒るかなあ?ブログにコピーしてくださっても構いませんが、Tikiが判断してください。

 こうやって、10個さんやMargaritaさんなんかと思い出を交換していると、どんどん記憶が膨らんでいくんだよね。読みながら、いろいろ思い出してしまったよ。
 そうか、屋台のおでんは良かったのね。その後、福岡の中州とかタイのバンコックでも、優子は屋台が好きだったからね。でも、回転寿司はダメなわけね。行った時はふつうに食べてたけど、後から、デートで回転寿司に行くなんてと憤慨していたそうだね。何が良くて、何が良くないんだかわかんないよ。優子はむずかしいんだから。

 僕らの婚約発表は覚えているよ。JASCの仲間が集まったとき(というか、僕が集めたんだっけ?)、僕、結婚しま~す。その相手は、この中にいま~す、と言いながら、優子の席の後ろに回って、優子の肩を抱いたんだよね。あれは、クリスマス前だったのだっけ?覚えてないや。でも、発表したとき、「ちぇっ、しまった」という男性の声が聞こえたような、聞こえなかったような(このあたり、かなり作ってるかな?)。

優子も、結構人気あったんだよなあ。優子のことを好きだった男の子がいて、自宅まで押し掛けてきて帰すの大変だったとか、後から話してくれたよね。大学の卒業旅行で、ひとりでパリにいた兄貴を訪ねたときも、ヨーロッパまで追っかけてきたんだって!?当時は僕が優子にプロポーズして返事待ちのときだったよね。追っかけ君のことは直接は知らないんだけど、悪いことしちゃったね。でも、そこまで思いつめる気持ちは男性としてよくわかるよ。10個さんに言われるまでもなく、優子はすっげー可愛かったもんなあ!

言葉の花束

優子
学生たちから言葉の花束をもらったよ。このブログの下の方に貼り付けておいたから。
先週、優子を失った体験を授業で話したんだ。
それを聞いた学生たちのコメントだよ。

この、「しんぶん」というアイデアは、Mikiちゃんからもらったんだ。
学生たちに感想・質問を書かせて、教員のコメントを含め、次の週に印刷してフィードバックするという手法。Mikiは出席カードの裏に書かせたのを人数分縮小コピーしてたんだけど、僕はそれをメールで送らせるというやり方にしたんだけどね。
優子も読んでごらん。みんなとても良く聴いて、感じてくれているでしょ。
ホントに嬉しかったよ。

Wednesday, January 28, 2009

ママとどうやって付き合い始めたか

3人の子どもたち

これからさー、ママとパパがどう出会って、結婚して、君たちを産み育てたか教えてあげるよ。別にそんなこと、聞きたくないって?
まあ、今、読んでもいいし、もっと大きくなって、好きな人ができたときでもいいし。
パパは、ママがいなくなってとても寂しいから、こうやってママのこと思い出そうとしているんだよね。悪いけど、それにつきあってよ。

昨日は、ママとの初めての誕生日デートのこと話したけど、今日は、どうやって出会ったかということを話すね。こんなこと、ママが生きていたらとても恥ずかしくて話さなかったよ。でも、現物のママちゃんがいなくなっちゃったから、話しちゃってもいいんだ。

あれは、ママが大学3年生の春だったかな。パパは大学院生だったんだ。ママは大学生の活動として、日米学生会議というのをやっていたんだよ。JASC (Japan America Student Conference)とも言うけど。これは、日本とアメリカの大学生が全部で50人くらい集まって、夏に日米どっちかの国に集まり、ディスカッションしたり見学したりする活動なんだ。ママは、その前の年も参加していたから、その時は、実行委員をやっていて、春に説明会を開催したんだよ。パパは、そのこと全然知らなかったのだけど、ぴあっていう東京の情報誌をパラパラめくっていたら、そのことが書いてあって、当時、外国に行きたいなと思っていたから、試しに参加してみたの。
だれか忘れちゃったけど有名な人の講演会と抱き合わせだったから結構たくさんの人が参加していたかな。実行委員の人たち(今は、パパとママの仲いい友だちなんだけど)が、会場にいてみんなを案内していたんだ。その中に、ママがいたんだよ。おっ、可愛い子がいるなと思って、トイレどこですか?とかわざとらしく聞いたりして。
それで、講演会が始まって、そのあとに、実行委員の人が何人か出てきて、日米学生会議の説明をしたんだ。そのうちのひとりに、あのトイレを尋ねた可愛い女の子もいたんだ。「おっ、また出た!」と、観客席から思ったかな。ママはどちらかというと、ぽっちゃり系じゃない。パパはそういうのが好みで、まだ幼い、夢見るような雰囲気だったけど、大勢の観衆の前で、堂々と話していたよ。でも、そのときは、それだけだった。パパもまだ若かったから、いろんな人を見てかわいいななんて、思うことは、何度もあったんだ。別にパパはエロじゃないからね。みんな、内心はそんなこと思っているんだよ。

それで、JASCは面白そうだったから、応募することにしたんだ。英語の面接もあったよ。後から聞いた話だけど、Tikiさんの英語はbrokenでめちゃくちゃだけど、なぜか不思議と通じるので、合格にしてくれたんだって。数日後、女の人から電話がかかってきて「私のテーブル(分科会のこと)の一員として参加していただけますか?」とか、ずいぶんへりくだって丁寧に話してくれて、パパとしては、受かった、ラッキーとOKしたんだよ。日本人学生4人+アメリカ人学生4人で、ひとつのテーマに沿ったテーブルを構成し、その8人が、約4週間の会議中、一緒にディスカッションしたり、ずっと行動するんだ。そのグループのコーディネータがママで、パパを参加者として選んだんだよ。だから、パパがママを口説いてプロポーズしたとかよく言うけど、本当は、ママが一番初めにパパに電話して、パパを口説いたんだ。そのあたり、よく覚えておくんだよ。

そして夏休み、4週間ほどかけて、アメリカ各地を回ったんだ。西海岸サンフランシスコのスタンフォード大学から始まって、東海岸のワシントン、フィラデルフィア、ニューヨーク、プリンストンなど。とても、楽しかったよ。いろいろ勉強したし、みんなとも仲良くなったし。ママちゃんとは、そのたくさんの友だちの中のひとりということで、特に、好きとか付き合いたいとか意識していたわけじゃなかったんだ。みんなが一人ずつ準備してきて、自分の言いたいことをプレゼンテーションするんだけど、パパはすでに大学院で研究とかやっていたから、他の人たちは、「オッ、本格的だなあ」なんて感心していたけど、ママちゃんのは、学部生のレポートみたいで、まあまあ普通かなという感じだったよ。でも、ママは英語うまくてね。パパの英語は張ったりと押しの強さでどうにかごまかして、ときどき英語人の言ってることがよくわからなかったけど、ママはとてもうまかったよ。いつも、グループで行動していたけど、一番初め、ママとふたりだけで行動したのは、たしか、ニューヨークの郵便局にママが行くというので、パパがついて行ったんだ。それが、パパとママの初デートかな。ママはそんなこと忘れていたけど、パパがそのことを覚えているってのは、やっぱり内心、意識していたからなんでしょう。

で、その会議は終わり、日本に帰ってさよならして。そのあと、しばらくは何もなかったんだ。というか、正直に言うと、その時、他に付き合っていた女の人がいたんだよ。それで、もっと正直に言うと、その女の人に、「結婚してください」と言ったんだ。まだ、3ヶ月も付き合っていない人だったんだけど、ママちゃんとはまた別の意味で素敵な人だったんだ。きっとパパは、その頃、だれかと結婚したかったんだろうね。でも、お手紙で返事が来て「お気持ち、ありがとう。でもごめんなさい。」とあっさり振られちゃったんだよ。その人は、その後、どこかの人と結婚したらしいけど、よく知らない。もしかしたら、ママがその頃から風になって後で引っ張っていたのかもしれないね。だって、そうじゃないと、君たち3人は生まれていなかったもの。

パパは失恋のショックで、しばらく落ち込んでから、どうにか立ち直り、さあ、じゃあ次はどうしようかなと思い始めたのが、翌年の夏だったんだ。そういえば、しもゆうがいたなと思って、デートに誘ったんだ。といっても、いきなり二人のデートだと怪しまれるから、JASCで同じテーブルだったなおみちゃんを誘って、3人で山中湖まで、その次の回のJASCをやっているところに遊びに行ったんだよ。また、友だちみんなとワイワイ楽しんで、帰り道、なおみちゃんを降ろしたあと、ママとふたりになった車の中で、「好きだから、付き合ってください」ってコクったんだよ(こんなこと言うの恥ずかしいなあ)。ママは、「えっ」とか言って、すごくびっくりしていたけど、断らなかったよ。後から聞いた話では、ママは当時、来るものは拒まずというポリシーだったから、まあとりあえずお付き合いしてみましょう、とか思ったみたい。こうしてママとパパのデートが始まったんだ。それが確か8月だったから、その3ヶ月後が、昨日話したクイーン・アリスだったのよ。

こうやって思い出すと、とても懐かしい思い出だなあ。
ママちゃんもパパも若かったよ。今、パパが教えている学生くらいの歳だもんなあ。
今日は、これくらいにしておくね。この続きは、また明日。
これで今日はうまく眠れるかな。

Tuesday, January 27, 2009

思い出を語り合おう

優子
今日も、多摩サイ往復、気持ち良かったよ。
帰りに、サイクリングロード脇にあるベンチで休憩して、エネルギー補給にコンビニで買ったどら焼きを食べるんだ。エクササイズ中はメタボにならないから。だいぶ日も長くなって、まだ明るかった。至福のひと時。

走っても、どうして優子風が出てこないかわかったよ。
死んだ時の優子をイメージしていたんだ。
リカちゃんとユカちゃんから、心を打つメールをもらったよ。
彼女たちも、僕と同じで、優子の訃報以来、時間が前に進まないんだって。
僕も、優子が倒れたスキー場の現場に、時間を置いてきてしまった。
お葬式やら、仕事やら、まわりはどんどん進んでいくのに、僕だけ進んではいけない気がする。優子を置いて行ってはいけない気がする。そういう気持ちをリカちゃんも持っていたんだって。

それに、優子の死が、昔の仲間たちを結びつけたんだって。
大学時代や、JASCの仲間たちも。
優子の思い出の灯をともし続けていこうって。

そうなんだ。
無理に前に進もうとするから苦しくなる。
死んだ時や、その直前の優子ではなく、もっと前に戻って、優子との楽しかった時、昔の優子を呼び出せばいいんだ。そう考えながらチャリを走らせると、昔の優子が出てきたよ。

あれは、付き合い始めて、初めての優子の誕生日だったよね。
今でいえば婚活っていうのかな、僕もかなり張り切っていたんだ。
優子は、大学4年で、就職が決まるか決まらないかの頃じゃなかったかな。
グルメ本で調べて、まだ、できたばかりの西麻布クイーンアリスを予約したんだ。事前に下見に行って、カードを使えるか、タクシーを呼べるかとかチェックしたりして。
当日、四谷駅前で待ち合わせ、まずバラの一輪をあげて。
クイーンアリスは美味しかったよ。僕でさえ、めったに行かないアダルトな雰囲気で、まだ大学生だった優子はびっくりしてたよね。デザートがふた皿でて、優子はお腹いっぱいで全部食べきれず、僕が優子の分も食べたんだよね。11月の誕生石トパーズの指輪もあげたよね。
事前に花屋に手配して、優子が自宅に戻ったら、いっぱいのバラの花束で出迎えるようにしたり。

今から考えれば、なんか精一杯だったよ。まあ、僕も凝り性だからね。
その次以降の誕生日は、何やったか全然覚えていないんだけど、初回だけはよく覚えている。
そのあと、しばらくして、プロポーズしたんだっけ。まだ、卒業する前だと思った。
いきなり、6歳年上のオジサンから変なこと言われて、戸惑っただろうね。僕はもうすぐ30歳で、まわりにも結婚した友だちも大勢いたから、違和感それほどなかったけど、優子の友だち関係では結婚話とか、ぜんぜんなかったんでしょ!?プロポーズの返事が1年くらい(だっけ?)かかったのも無理ないよな。だって、これから就職するというときだもの。

その前後だっけ、優子の友だちのリカちゃん、ユカちゃんなんかも紹介してくれたのは。優子、僕のことをどんな風に話してた?スケベなおっさんとか言っていなかった?よかったら教えてくださいよ(笑)。

というような具合に、優子のことを語り合いませんか。
ここに来て、優子のことを思い出してくれる方々。みんなが持っている優子の記憶の断片をつなぎ合わせると、優子が立体的に浮かんで来そうな気がする。
学生時代の優子、仕事をしている優子、保育園の優子、などなど。
さおりは、草津に来た時の一瞬の優子の姿を紹介してくれましたよね。そんな感じでいいんです。
ブログは読んでも、書き込みは尻ごみしちゃうかもしれないけど、大丈夫ですよ。よかったら、お願いします。

気が済むまで優子がよみがえって来てくれないと、優子にさよならは言えないよ。

Monday, January 26, 2009

詰まった悲しみ

優子
通勤途中って、よく優子が出てくるんだ。何も考えずにボケっとしているとね。
行きは多摩サイ。気温は低かったけど風は穏やかで気持ち良かったよ。冬のやわらかい日差しが川の水面に反射してキラキラ光っている。川越しに富士山もくっきり見えたし。
優子も風になって来てくれていたんだよねえ。
でも、あまりうまく交信できなかったよ。
僕の心の中に満たされている優子は、ウジウジしていて外に出ていかないんだ。
いつもの恥ずかしがり屋の優子みたいに、はっきりその姿を表わさず、同じところをぐるぐる回っている。
僕としては、気持ち良い風となって、チャリを漕ぐ僕と並走して吹いてほしいんだけどねえ。
心の中に詰まってしまっているよ。

帰りは、大学から四谷までチャリを折りたたんで電車で輪行。夜の仕事を終えて、そこから品川⇒優子ロードを通って帰宅だ。
電車でうとうとしていると、あの場面が繰り返し出てくるんだよね。
スキー場で、優子が倒れ、何も感じず必死に人工呼吸と心臓マッサージをやっていた、あのシーンを。
それを思い出すことを自分自身に禁じてはいないので、フラッシュバックではない。別に記憶が出てきてもパニックにはならないのだけど、隙あればジワジワと記憶が恐怖と後悔とともに心に浸み出してきてくる。思わず、電車の中でノートを取り出して、このことを書き留めたんだよ。そうしないと、苦しくて耐えられない。

今日は、銀行やクレジット会社、生協なんかに連絡して、優子の口座を止めてもらった。
電話越しに、「妻は死にました」って、いちいち言わなくちゃならない。
辛く、悲しい作業だよ。
保険金をもらったって、嬉しくもなんともない。

多くの人たち

優子、おはよう。
昨日も、のんびりとした良い日だったよ。
午前中は、ゴルフを打ちに行って。
先生や、レッスン仲間たちが声をかけてくれたよ。

昼間、保育園パパが来てくれてね。お葬式の時のメモリアルコーナーの写真をいくつか、綺麗なフレームに入れて持ってきてくれたよ。

午後は、ゆんたの友だちママさんふたりと一緒に、ヨーカドーまで中学の制服の注文に行ったよ。なにしろ僕は女の子の洋服なんてぜんぜんわからないからねえ。ついでに、下着もいろいろ買っていたね。ホント助かったよ。

夜は、馴染みの中華屋さんで、じじばばも一緒に家族6人で会食。おばあちゃんの誕生日だったんだ。たくさんのお客さんで賑わっていて、お店のママさん忙しそうだったよ。

こうして見ても、どれだけ多くの人たちに支えられていることか!!
子どもたち、ママがいなくても、寂しくないよね。何とかやっていけるよね。

その一方で、お義母さんが気になるよ。
久しぶりに電話したけど、何もやる気がせず、寝込んでいるみたいだったよ。
悲しすぎて、まわりの人にも、娘が亡くなったことは伝えていないんだって。
まあ、それが普通の反応だろうな。無理することはない。
でも、前から一人暮らしのお義母さんが、これではますます孤立してしまう。

Sunday, January 25, 2009

もんじゃ焼き

優子おはよう。
昨日は、一日家に居て、ゆっくり優子の机やベッドのまわりを整理していたよ。
優子のiPod touch、僕が使うぞ、いいね。でも使い方わかるかなあ??
ベッドのシーツを洗濯したけど、優子のねまきはしなかった。
優子の匂いやDNAの一部が残っているかも。顔に押し付けてみたけど、洗剤の匂いしかしなかったよ。そっとたたんで、タンスにしまっておいた。

夕食は子どもたちと、我が家式もんじゃ焼き。これ、うち独特に進化したよね。ふつう、キャベツを炒めて堤防を作って、その中に小麦粉水溶液を流し込むけど、うちは大量のキャベツ千切りをドサっとばらまき、ペットボトルを振って作った水溶液をホットプレート全体に注ぎ、洪水状態にする、いつものやつ。トッピングはべビスタとシーフードミックスとチーズとカレーの残りと、、、スペシャルバージョンだ。
子どもたちは、いつもどおり、ケンカしながら競い合って食べていたよ。

いつもの週末の夕食。
昼間はそれぞれ勝手なことやっていて。夕食は、こうやって鍋を囲むか、外に食べに行くか。
なぜ、ここに優子がいないの?
子どもたちの喧噪を聞きながら、いっしょにビールとか飲んでいたじゃん。
ぽっかり心にがあいちゃっているけど、それでも、子どもたちの賑やかな声が、僕の気持ちを支えてくれているよ。

Saturday, January 24, 2009

ゴルフ

優子おはよう。
12時過ぎから、朝7時まで眠れたよ。

昨晩、久しぶりにクラブを握ったよ。1ヶ月ぶりだな。
半分、やりかた忘れちゃったよ。でも、病み上がりにしては、まあ上出来だったな。
もう、この際、ゴルフやめようかなとも思ったんだよね。いくらやってもなかなか上達しないし、休日コースに行ってはよく優子ともケンカしたしね。
でも、お葬式に、先生やレッスン仲間たちが来てくれちゃってね。ああ、仲間だったんだって、思えたよ。
ゆんたの水泳や、チュケのテニス。なるべく子どもたちには以前と同じ日常生活を保ってやりたい。
そう考えれば、僕も今までの日常をキープした方がいいのかなと思えてきた。
週1の練習場と、たまにウイークデイの年休使ったコースレッスンなら、これからもできるかもしれない。
ドライバーも、最近ちょっとは飛ぶようになってきたしね。
優子、上から文句言うなよ。

今日、土曜日は、本当は午前・午後と仕事が入っているんだけど、わがまま言って同僚に任せちゃったよ。
だから、フリーののんびり週末になれそうだ。ゆんたは水泳で、チュケは合格発表。僕は少しずつ、優子の散らかした身の回り品でも整理するかな。

Friday, January 23, 2009

ひとりで居れない

優子
今、これを移動中の電車内で書いているよ。
仕事とか何かをやっているときや、だれかと会って話しているときはいいんだ。でも、何もしてないとき、ひとりでいるとき、優子が勝手に頭の中に入り込んでくる。

優子、いい加減に、僕を放してくれよ。
前よりはいくぶん良くなった。優子が死んだ直後は、強い悲しみ、怒り、どうしてよいかわからない焦燥感など、激烈な辛さで満たされていた。感情が涙とともに押し寄せてきた。そのころに比べりゃ、少しは落ち着いてきたかな。今は、もう少しマイルドな感情、たとえば寂しさ、無力感、不安感などに暮れてしまう。少しは落ち着いたものの、優子のこと、優子がいなくなったことしか考えられない。
これだけ、僕の心に優子がへばりついているのは、優子を失った現実を受け入れまいとして拒否しているんじゃないか。優子のことで心を満たすことで、優子がいない、優子を失ってしまうことを否定しているみたい。無駄だとわかっているのに。

優子が生きているとき、こんなに優子のことを思ったことはなかったよ。まあ、付き合い始めのラブラブ時代を除いてね。日常で、優子のことを忘れていられた。少なくとも仕事中は全く忘れていたよ。海外出張なんかに行けば、2-3日、家族のことをまったく忘れることもよくあった。帰り際になって、おみやげどうしようと、あわてて思い出したりして。それも、優子がいるという安心感があったから、忘れていられたんだ。
でも、今は、優子がいない。不安でたまらない。亡くしたものを取り戻そうとして、心が優子のことを求めているのだろう。

このようにして、僕は失った優子を求めている。でも、それは自分自身のことだ。自分でどうにかすることができる。別に優子に依存していたわけじゃない。優子が居なくたって、生きていけるし、そのうち、心を満たすものを見つけるさ。
でも、子どもたちも求めているんだよ。それは、言葉に出さないだけで、僕以上だろう。彼らが自分の手で母親を突然失った悲しみを乗り越え、生きていく術を見つけていかなければならない。僕ができるのは、その環境を準備するだけで、彼らの心に直接介入できない。僕にはどうにもできないこと。それを考えると、とても不安になる。

これは今、ひとりでいるときに考えることなんだ。家に帰り、子どもたちやじじばばと一緒になれば、こんな風には感じない。もう、ひとりで居れない人になっちゃった。精神科臨床でよく出会う、そういう人たちの気持ちがよくわかるよ。だからこうやってブログで気を紛らわせているんだ。

お弁当づくり

優子
昨日はクリニックの日だったけど、ラッキーにも、まったく偶然に最初と最後の患者さんがキャンセルになったんだ。だから、1時間遅く出勤して、1時間早く帰ることができた。こんなの初めてだよ。なんか、患者さんまで僕に優しくなっちゃったわけ?

今日は、優子が死んでから、初めての講演だ!例によって、時間ギリギリにPPTを準備していて、寝たのが午前2時すぎ。今までの早寝の習慣が崩れたよ。で、今朝は6時に起きて、ちゅけの弁当作りだ。ちゅけは、今日が一発目の受験。どうなることやら。優子みたいにあまり心配しないで、送り出したぞ。でも、これからちゅけが高校通い出したら、毎朝、弁当作るんだよなあ。保育園時代は優子がずっと作っていて、今度は僕が作るんだ。まったく、ひとりでやらなくちゃならないじゃないか!!

今日の仕事は単発の講演だから、担当者にも誰にも優子が死んだことは伝えていないんだ。今までは、職場の人、みな知っていて、どことなく安心できたけど、今日は違う。うまくできるかなあ。「共感とは」とかいう話にもなるので、急に泣き出さなければいいのだけど。講演自体は問題ないが、感情的に自信がないよ。

ティキー



ティキー。私だよ。優子だよ。
今日はよく眠れて良かったね。毎日、天からブログ見てるよ。
私に秘密の事って何?フフ子供たちがお腹空かせて待ってるから早く帰ってあげてね。

Thursday, January 22, 2009

愛着対象

優子、おはよう。
今朝は、優子が死んでから初めて6時までぐっすり眠っちゃったよ。
といっても、夜、ワイン1本空けちゃって。
今までは、優子とふたりで1本でちょうど良かった(あるいややや足りない気味だった)けど、このままじゃメタボ的にやばいかも。

昨日は、いろいろ良いこととイヤなことがあったよ。
職場では1勝1敗。家に帰ってきて2勝だから、まあ勝ち越してはいるのだけど。
職場で、相談員さんたちと2時間、じっくり、ゆっくり話し合えたんだ。みんなには、いち早く優子の悲報を伝え、お葬式にも来てくれた人たちで、僕が優子を失った悲しみや、みんながそれぞれ持っている過去の悲しみなどを共有することができた。中には、僕に何と言って接したらよいかわからない、私なんかお葬式に行ったり、悲しみをともにする資格なんかないんじゃないだろうかと苦しんでくれた人もいたんだよ。僕にとって、とても良い体験だったよ。

その後は、月1度の長い会議日。大学はタコつぼだから、教授同士、顔は知ってるけど、そんなに親しくはないんだ。超仕事モードで進む中で、最後に起立して、「妻の葬儀に際して、ご盛花をいただき、ありがとうございました。」と挨拶しないといけないんだ。中には、お葬式にも来て、優子を悼んでくれた先生もいるし、まったく優子の死なんて関心のない人もいる。だれが前者で、だれが後者なのかもわからない。そういう中で、たった10秒で終わるような一言なんだけど、すごくイヤだった。言いたくなかったよ。

帰りは遅くなったけど、子どもたちにはおばあちゃんが夕ごはんを作ってくれ、楽しく食べられたみたい。帰ったら、すでにじんは寝ていたよ。初めて寝ているところを見たけど、おじいちゃんにぴったりくっついて寝ているんだ。微笑ましいというか、ホントに安心したよ。優子が亡くなる前から、じんは母親から離れ、じじばばを移行対象としていたわけで、少なくともじんにとって、愛着対象は失われていない。それを確認できて、とても安心できた。
思えば、僕も幼い頃、妹が生まれてから、パパにひっついて寝ていたんだ。おじいちゃんは二世代つづけて愛着対象になってくれている。じじばばがいてくれて、本当に良かった。核家族から、拡大家族に変わったね、すっかり。

もうひとつ、とても良かったこと。これも子どものことなんだけど、みんなが読んでくれているここでは言えないや。とても嬉しかったんだ。でも、優子と一緒に喜べない。。。

Wednesday, January 21, 2009

悲しい現実

今、寝ているじんを起こしたら、ひとこと。
「ママが生き返った夢を見た。」
ボソっと言って下に降りて行ってしまった。
まだ、あいつの現実の中で、優子は生きている。
母親の死は受け入れられていない。

今後、彼は時間をかけて、悲しい現実を受け入れていかなければならない。
それが、身を切るように痛い。

思い出を語り合う

優子、おはよう。
4時間半だな。昨日は多摩サイ往復したから、身体はクタクタに疲れたけど、やっぱり目は覚めてしまう。
昨日は大寒。気温は低かったけど、優子風はそうでもなかったから、走りやすかったよ。加減して吹いてくれたのか、それともサボって来なかったの?ちゃんと来いよ。

昨日も、がんばりすぎちゃったよ。
授業で優子を失った僕自身の体験を話して聞かせたんだ。「家族の死」は重要なテーマだから、以前はわざわざゲストスピーカーを呼んで話してもらったこともあったのだけど、今回は、教員が正にそれを体験したから、ちょうどよかったわけだけど。
2-3人、居眠りしていた学生もいたけど、みんな真剣に聞き、涙を流してくれていた。僕は、思ったほど泣けなかった。優子のことを話す前に、先週のテーマ「家族の誕生」の続きで、出産を立ち会った夫の話をしたんだ。15年前、僕が優子のお産に立会い、はじめて父親になったときの体験。
陣痛が始まり、待ち切れずに病院に行ったものの、なかなか子宮口が開かず、痛い、痛いと苦しんでいた優子。分娩室でいきみたくなる陣痛をこらえ、一緒に「ヒーッ、ヒーッ、ハーッ」と呼吸した体験。生まれ、おギャーと言った時の安ど感。優子がお産の後処理をしている間、となりの部屋でベビーウォーマーに入っている、名もない長男を見ながら、「私はこの子の父親になるんだ!!」と自分自身、肝に銘じていたシーンなど。
この話をして、泣く予定ではなかったのだけど、なぜか涙があふれてきて止まらなかったよ。しばらく、しゃべれなくなっちゃった。そこで、今日の涙の規定量を使っちゃったから、その後の優子の話では、泣かずに落ち着いて話せたみたい。

記憶を肝に銘じた体験は、僕自身、何度かあるんだ。
小学校の入学式。それまで、いろんな記憶を思い出せず忘れちゃうのが幼いながらくやしくて、このシーンは絶対、覚えているぞ、と自分自身に銘じたのが、小学校の校門をくぐり、母の手に引かれ教室に入るまでの校庭でのシーンなんだ。ちょうど、優子とじんじんの入学写真をパネルにしてもらったのだけど、あのシーンだよね。それは、今でも鮮明に覚えている。
もうひとつが、長男のお産のシーンなんだ。なぜか、二人目、三人目の記憶は鮮明でないのだけど。父親になるというtransitionは、僕にとってとても大きかった。
他には、どんなシーンがあったかな。
今回の、優子を失った出来事のうち、どのシーンが僕の記憶にずっと後まで残るんだろう?できれば、失いたくない。でも、ゆっくり色あせていかなくちゃいけないんだ。優子の記憶を手放していくのは辛いけど。

絵本わすれられないおくりものの中で、アナグマの死を悲しむ仲間たちが、アナグマがくれた思い出をみんなで語り合うんだ。それをアナグマが聞いていてくれることで、悲しみが消えていくんだ。
これは、良いかもしれない。僕の持っている優子の思い出を、僕自身が語りたいし、それを子どもたちに残してあげたい。彼らが成長する中で、優子がそばにいてあげられるようにね。20年前の結婚式のビデオ、まだ見れるかなあ?まだ、一度も見たことないんだけど...

Tuesday, January 20, 2009

犬のこととか

一日、一日、思ってる事がガラって変わるものだよね。前までは犬のことで頭がいっぱいだったのに、やっぱ犬のことで頭がいっぱいになる前の時と、今が一緒なかんじ。てゆうか今は犬の事でイライラしてる。あたいはせっかちだから性格の問題が・・・・鐘さんの言ってる事も全く納得できないし。むしろ「おせっかいだよ~!!」って怒りたくなるし。あたいはすごく、すっごく飼いたいのに、あたいの孤独感は誰にも絶対わかってもらえないと思ってるし、なのに分かんないよ。あたいがどれだけ犬との楽しい日々を想像してるかも。
でもみんなの事とか見てると(もうだめだよ・・・)って言ってる自分がどこかにいてそれにすごい不安になってあんなに焦ってるんだと思う。(もちろんあたいは思ってもいないのに)最後まで諦めたくないし。
だから、凄い強引かもしれないけどできるだけ、できるだけ分かってほしいんです。 
そうそう、それで肝心なのは今思ってる事なんです。最初の方がすごかったんだけど、(犬の時とも一緒なんだけど・・・)学校とかで、ボーっとしてると、ママと最後に交わした言葉は何だったっけ?(バイバイ。がんばってね。ぐらいだったかな?)とかパパが部屋にかえってきて、「ママの心臓がね・・・、もう動かなくなっちゃったんだ・・・。」って言ったことがドラマのシーンみたいに頭の中でぐるぐる回ったりとか、ママに触った時のあの冷たさと固さの感触が急に戻ってきたりとかして、それが一日中繰り返されて、その時はすごい孤独感とゆうか、寂しさに凄い流されそうになったりするけど。
ホントに・・・(ハァ)前ちょっと仲が良かったりした男子とかもちょっとしたことをきっかけにブタとか呼ばれたりして(前は呼ばれたりしなかった・・・前から言葉つかいが悪くって・・・)もう、サイテーとか思ったり。(隣の席にもなりたかったんだよ!?ちょっとは・・・)ショックだったり。。(恋までは発展しなかったからよかった~~!)
でも、うちのクラスのがっくんちょは結構、優しいよ。熱中して本読んでる時とかも中断して「大丈夫なの?」とか聞いてきたりしてくれて。(やっぱ、保育園仲間の男子とかって優しい子多いいよね~。芽ー君とか。)
ま、、また何か思ったらかくわ!!

ミスチルと葉っぱのフレディ

優子、おはよう。
睡眠は6時間確保できたから、まあ上出来さ。

えっちゃんがミスチルのHANABIを紹介してくれたよ。
正直、ミスチルはそんなに好きでもないし、歌詞もいまいちわからないし。
でも、娘のiPodにすでに入っていたよ。僕がyoutubeで聞いていたら、娘も何度も聞いていて、そのあとメロディーがしばらく彼女の頭の中で反響していたみたい。

僕が今生きているこの世界に
すべてが無意味だって思える
ちょっと疲れているのかなあ

車を運転しながら思ったよ。今の、この感覚って、前にも経験したような。
若い頃、優子と付き合う前、2-3回、失恋したんだ。その時の気持ちとそっくりかなって。
付き合ったっていったって、せいぜい1年とかそんなもんだけど、その時は真剣だったから、別れた時は、自分の大切な身体の一部が引きちぎられて、なくしちゃったような感覚だっと思う。

君がいたらなんて言うかなあ

2-3日前、ちょっとした良いことがあったんだよ。
優子に言えば、きっと、「そう、良かったじゃない...」くらいで済んでしまう何気ない日常の会話だと思う。
でも、今はそれを言う人がいなくなっちゃった。やっぱり、いくら親切にしてくれても、他の人じゃダメなんだよね。

そんなこと感じながら帰宅したんだけど、子どもたちには救われた。
学生時代の仲間の一人が絵本を送ってくれたんだ。葉っぱのフレディわすれられないおくりもの。あいつ、そんなに優しい奴だったかなあ。まあ、きっと奥さんが選んだのだろうけど。娘は、これ、読んだことあると言いながら、もう一度、読んでいたよ。

夕食の食卓は、ごく普通だったよ。おばあちゃんがおかずを差し入れてくれて、僕が大根の煮物とニンジンサラダを作って。「優子は仕事で遅いから、先に4人で済ませている」夕食みたいだった。子どもたちは普通に騒ぐし、きょうだいケンカもするし、言われたことはなかなかやらないし。僕はそういう子どもたちにどれほど救われていることか。5人→4人に減っただけだから、まだ以前と同じような会話が成り立つんだ。これが、もし3人→2人だったらそういうわけにはいかないだろう。子どもたちと居ると、僕も普通でいられるし、自然に笑うこともできる。優子がいなくても平気だよ。

これからは、この何気ないひと時を大切にしなくちゃ。子どもたちにとっても、僕にとっても。

Monday, January 19, 2009

ブログを書くわけ

優子、おはよう。
やっぱ、二時だ。
昨日は、優子の職場のなーさなんと、保育園のぎーさんカップルが来てくれたよ。いろいろ、話しできて。
ついでに、優子の本を何冊か持って行ってもらった。おかげで、部屋の書類の山が少し減ったぞ。

しかし、やっぱり優子は僕の気持ちをわかっていないねえ。何年一緒にいたと思っているんだ!?
別に、僕は家族のプライバシーを切り売りしているわけじゃないんだよ。なぜ、書かなくちゃいられないか、僕の気持ち、わかっていないでしょ!?
時々、自分の感情に押しつぶされそうになるんだ。悲しみ。怒り。後悔。不安。などなど。
今、現在は、すごい孤独感。優子を失った孤独だよ。
子どもたちも、じじばばもいるし、まわりにはたくさんの人たちがいてくれる。でも、孤独なんだ。
まるで、自分の身体の半分を失ってしまったような。それを、いつかは取り戻せるかも、優子が戻ってくるかも、なんて、まだ半信半疑だったりして。それを、本当に受け入れることは、まだできていないと思う。

でも、こういう激しい気持ちを、僕が抱えているわけにはいかないんだ。ぜったいうつになっちゃうよ。
こうやって、優子に語りかける口調で、僕の気持ちを読んでくれているであろう人たちに伝えてさ。それで、他者と繋がっている安心感を得て、孤独を癒そうとしているんだろね。
優子がいるときは、もちろん、そんなことする必要なかったさ。ケンカしていようが、海外出張中だろうが、優子と繋がっていたからね。ケンカしてたときって、すごくstressfulに強く繋がっているじゃない!孤独じゃなかった。
でも、今は、孤独なんだ。

それに、子どもたちのことだよ。
子どもたちがこれから成長していく中で、不幸であってはいけないんだ。
若くして母親を亡くし、不幸な家庭に育ったのではなく、
母親は亡くしたけど、幸せな家庭に育ちました、というシナリオを与えてあげなくちゃいけない。
そのために、父親が不幸であってはいけないんだ。
昨晩は、鍋を囲んで、野菜をたくさん食べ、残りご飯でおじやをして、子どもたちも楽しそうだったよ。
でも、心の仲間では分からない。もしかしたら、みんな、楽しさを演じていただけなのかもしれない。

確かに、優子が心配しているように、僕は焦り過ぎている、ってことは認めるよ。
あたかも、伴侶をなくしたら、○○kgの喪の作業量があり、それを消化しない限り幸せにはなれないぞ、だから早く消化しなくちゃ、というように考えていたりして。
しかし、実際は、じわじわゆっくり湧き出てくる悲しみに、時間をかけて向き合っていかねばならないてこともわかってはいるんだけど。

わかったよ。プライバシーには気をつけるよ。
別に、うちの日記帳じゃないんだから、今日、あんなこと、こんなことがありましたとか、出来事を書く必要はないんだ。書きたいのは、僕自身の心情の変化なのだから、そこに集中するよ。
子どもたちの名前なんかも、別の名前に全部編集して変えることもできると思うんだ。面倒だけど、必要ならそうするから。

Sunday, January 18, 2009

不適切

優子、今晩はキムチ鍋したよ。腹いっぱい。
優子が死んでからはじめてだ、ナベしたのは。
子どもたちは、優子がいたときと同じように、ワイワイやっていたよ。

今日、anotherゆうこちゃんからメールがあったんだ。
いつもブログ読んでくれていて、コメントしたいけど、不適切かもしれないから我慢しているって。
そんなことないんだけどなあ。なにしろ、優子がいきなり死んだことが、極限的に不適切なわけで、それ以上の不適切はありえないから、どんなことでも言ってもらって構わないんだよね。もちろんその背後に僕らを悼んでくれる気持ちがあればだけど(当然、あるでしょ)。

今朝、こんなことがあったんだ。ゴルフのプロに買い物ついでに挨拶に行ったんだ。(まだ、レッスンはやらなかったよ。だって、そんな時間ないもの、忙しくて。)プロは、僕の顔を見ると、いきなり握手してきてさ(そんなこと普段やらない人だよ)、「予定をいっぱい作って、自分のやりたいことやって、できるだけ忘れることだよ!」と力説してくれたんだ(要するに、早くゴルフやれという意味も含まれているんだけど)。僕の趣旨からすれば、それはちょっと不適切なんだけど、そんなこと構わない。周りの人に何を言われようが、僕は僕のやり方を貫くし。
それより、彼なりに一生懸命僕のことを考えてくれたということが嬉しいんだ。その気持ちが確認できれば十分で、そこから発せられる言葉は何だって良いんだ。優子は、この気持、わかるよなあ。

ワンちゃん

優子、おはよう。

子どもたちは何とかやってるよ。
今日の予定。
湧仁は、ぱるんちが誘ってくれて、一日畑へ外出。
祐麻はさえと髪切りに行って、そのままプールへ。
友だちがとても支えてくれているんだ。
全は、今日も図書館だろう。
彼のことがちょっと心配だな。以前と変わらず淡々と受験生やってるんだけど、気持ちを全然見せないからね。内心はどうなんだろう?必死にこらえているのか、それともあまり感じないだけなのか。そんなはずないと思うけど。

ねえ、優子、祐麻のリクエスト、どう思う?
祐麻の寂しさもよくわかるし、できたらワンちゃん飼ってあげたいけど、場所とか世話とかどうしたものか、、、。おばあちゃんは生き物あまり好きじゃないし、息子たちの反応もいまいちだし。優子がいれば、はっきりダメと言えるんだけど、今、そう祐麻ちゃんに突き放してもよいものか、迷うところだよ。

そういえば、ゆかちゃんがメールくれたよ。彼女のことは優子からよく聞いていたから、とてもうれしかったよ。優子と親しくしてくれた人が僕の知る優子とは違った側面を聞かせてくれると、優子のイメージが立体的に広がってくるんだ。ブログにも来て、来てと言っておいたから、そのうち来てくれるかもしれないぞ。

今日もなるべく、ゆっくりと一日を過ごそう。

Saturday, January 17, 2009

究極の撃退法

優子。
西の魔女に会ってきたよ。
なんか、すごくホッとできたというか、心の肩こりをすっと抜くことができた。
葬式以降、泣きたくても泣けない便秘的な日々が続いたのだけど、思いっきり泣くことができた。
それに、今まで、誰にも話せないこと(優子にもだよ!)まで話せちゃって。ホッとしたよ。
Therapist側の反対の、Client側を初めて体験することができた。
会う前は、ちょっと心配だったんだよね。初対面の人だから、どれだけ話せるか、どれだけ信頼できるかって。でも、西魔女個人は見知らぬけど、psychotherapyという枠組み自体は信頼してるので、まあ、うまくいったんじゃないかなあ。優子の死、あるいは優子の生、そして僕らの関係性にも新しいことに気づくことができた。これからも、定期的に会ってゆくよ。新たな出会いだな。

で、そんな調子でせっかくいい気分で帰ってきたのに、立て続けに電話があって。
フルートの先生と、ピアノの先生に連絡が行かなかったみたい。今日、まだ来てませんけど、どうされましたか、だって。また、とても驚かれて、一から説明して、、、このプロセスは正直もう勘弁してほしいよ。あと、セールス電話がかかってきて、奥様はご在宅ですか?と尋ねるから、妻は死にましたと答える時の快感。究極のセールス撃退法だからね。

な~んか、良いことがあったり、イヤなことがあったり、いろいろだよ、ホント。

肩の力

優子、おはよう。
いつも、朝目が覚めたら時計を見るのだけど、今朝は5時だった。
ほっとしたよ。10時から寝れば、睡眠時間は十分だものな。昨晩は祐麻とDVD見ながら、いつものごとく寝ちゃったよ。祐麻がしなだれてきて暖かかったよ。優子がいるときは優子の方ばかりに行って、僕はシッシッだったもんね。その点では、優子がいない方がいいのだけど。

なんかさあ、今週に入って、どうやって泣いたらよいかわからなくなっちゃったよ。先週はあれだけビービー泣けたのに。もう十分泣いたから大丈夫というわけでもないし、喪の仕事を進めるためにもっと泣かなくちゃと焦ってもしかたがないこともわかってはいるんだけど。

やっぱ、日常が仕事モードに入っちゃうからね。感情を崩しちゃいけないと、無意識にガードしちゃうんだ。それを崩せるかなと、昨日は相談員さんたちとグループセッションを試してみたんだけど、やっぱり泣けないよ。逆に、みんなは泣いてくれるんだ。

たくさんの人が支えてくれるんだ。葬式が終わっても、みんな僕のことを見捨てないでくれている。すごく嬉しいんだ。ラッキーだなって。

でも、僕はそれに応えられていないよ。なぜ、もっと肩の力を抜いて、のんびりできないんだろう?別に、そんなにがんばらなくたっていいじゃん?でも、それができない。
もっとも、これは優子が死んだからじゃなくて、それ以前からの僕の課題だったんだけどね。

Friday, January 16, 2009

西の魔女

優子、今日、多摩サイに来た?
あまり存在感、感じなかったよ。いっしょうけんめい漕いでいたんだけど。
いつもの遠慮する癖なんじゃない、もっとわかるように吹いてきてよ。正面からでもいいからさ。

明日、西の魔女に会うんだ。
今日、しんちゃんに相談したら、さっそく紹介してくれたよ。
電話して、アポとって。何か、それだけで、気持ちが楽になったというか、明日の展開が楽しみだ。
カウンセリングする立場はいつもやってるけど、受けるってどんなんだろう?
救われたいよ。

これから、祐麻と「西の魔女、、、」のDVDを見るんだ。今の我々にちょうど良いのかもしれない。優子も、そっちから一緒にみようぜ。

心のコップ

優子、おはよう。
睡眠は、やはり10:00-2:30。久しぶりのチャリ通勤で身体はクタクタ。不眠も何もなく、吸い込まれるように眠れたよ。

すごく寒かったけど、気持ち良かった。12月30日に優子と品川まで軽くサイクリングした時以来だよ。あの時も、優子は自転車漕いでも全然平気だったものなあ。その4日後にあんなことが起きるなんて、今でも信じられないよ。
大森海岸から品川港南口までの、あの道も通ったよ。第一京浜に沿った旧東海道の道。あれ、沿線の商店街がレトロな雰囲気で気持ちいいよね。これから、あの道を優子ロードと呼ぶことにしよう。そうしたら都心へ向かうときは、いつも優子を通れるからね。
自転車は、常に風を感じて走っているんだ。風向き、強さ、軽さ、においとか。もう少しして、春先になると、風の匂いが微妙に春めいてくるんだよ。これから僕が走る時は、優子も一緒に来てよ。そうすれば風の中に優子を感じながら伴走できるから。こりゃ、楽しいわ。
でも、頼むから、正面から絡み付かないでくれる!?走りにくくてしょうがないんだ。
後から軽く押すように吹いてくれると嬉しいんだけど。

昨日は、復帰以来初めてのクリニックで、どうなるか心配だった。だって、いつも講演なんかでは、自分の心のコップがいっぱいのときは、人の心の水を受け取ることはできない、なんて言ってるわけで、今の僕の心は悲しみでいっぱい、いっぱいのはずだもの。
でも、案外、うまくいったよ。新患はなく、みんな何度も来ている顔なじみの患者さんたちだったし。それに、いっぱいながらも、ここや、いろんなところで必死に水をかき出しているから、まあどうにか受け取ることができた。そのあたりはプロだからまかしてくれ。

むしろ、大学での仕事よりも楽だったかもしれない。クリニックでは、仕事モードながらも、共感モードをたくさん使うからね。なんか、患者さんたちの話をずっと聞き入っていたよ。ここのところ、自分の乱高下する感情にとことん向き合ってきたから、相手の感情も、普段よりも、なんとなくすっと入ってきたみたい。
いつも、来るたびによく泣く患者さんがいるんだよね。今までは、わりと客観的に、ああ、ここがポイントなのね、くらいにしか思っていなかったけど、今日は、その気持ちがよく伝わってきた。やはり祐麻が言ったように、こういう自己体験は、精神科医にとって大切な肥やしになるのかもしれない。辛いけど。

祐麻は、がんばって優子からのメッセージを書いていたよ。よく書けているよなあ。
でも、さすがに辛かったみたいで、しばらくしてから、悲しそうに泣いていたよ。祐麻の涙もお葬式以来だな。ちょっと可哀そうだったけど、まあ良かったんじゃないかな。

さあ、今日も天気は良さそうだから、がんばってチャリで行こう!

Thursday, January 15, 2009

三日坊主

優子おはよう。
10時に寝て2時30分起き。ちょっとメールとか整理して、また明け方寝ようかな。
結構たくさんの人が、このブログ読んでくれているみたいだよ。ここのコメント以外にも、個人的にメールくれたり、会った時に声をかけてくれたり。

祐麻ちゃんも言ってたよ、パパ、まだあれ続けてるの?三日坊主じゃじゃないじゃん!いつママのメッセージは出てくるの?だって。
じゃあ、祐麻が書いてくれる?と言ったら、「いいよ~」とか言ってたから、そのうち祐麻がしゃべってくれるぞ。そっちから、風をよく祐麻に吹き込んでおけよ。

Wednesday, January 14, 2009

感情的便秘症

優子。
今日はラッキーだったよ。
午後に特に仕事のアポが入っていなかったので、2時過ぎに帰って来ちゃった。こんなこと初めて。
それに、もうひとつラッキーなのは、今週末の仕事を免除してもらえたこと。例の、大切な仕事が入っていたのだけど、仲間たちが配慮してくれた。それを決める会議でもさ、僕は医者根性出しちゃって、
「今のところ、意欲低下、食欲不振、身体症状などは出ていないのですが、不眠、易疲労性、集中力・判断力低下、情緒不安定などの症状がありまして、、、」
とか、感情を抑え、さも他人事のように言っちゃったりしてね。でも、これでホント助かったよ。

今日は、電車で出勤。チャリで行けないこともなかったんだけどね。朝はすごく寒かったし。明日はクリニックだからチャリにしよう。歩きながら、ふと思い出した。忘れないうちに、伝えておかなくちゃ。年末のいつだったかな、僕がちょっと落ち込んでさ、寝る前にふたりで梅酒とか飲んでたじゃない。そのとき、ふと、優子が、「でも、Tikiと一緒にいれて、ホント良かったと思っているんだからね」とかなんとか言ったじゃない。びっくりしたよ、急にあんなこと言うなんて。その前のケンカの仲直りのつもりだったわけ?僕は、内心とてもうれしかったんだよ、めったにそんなこと言わないからね。でも、とっさで、何も言えず、「ふ~ん」とか返しただけだったでしょ。優子がそう言ってくれて、ホント嬉しかった。それを伝え忘れてたということを、ふと、出勤途中歩きながら思い出してね。涙がツーッとあふれてきたよ。

よく、そんなことあるんだ。帰り道でも、何を考えていたわけじゃないのだけど、涙が出てきてね。こりゃあ、感情的便秘症だと思ったね。気持ちを出せなくて詰まっちゃってるか、逆に慢性下痢症なのにトイレに行けない状況のような。感情モードを忘れ、仕事モードで活動してるとそう感じるんだよね。でも、ふとすれ違った同僚が、「ブログ見てますよ!」って声かけてくれたんだ。それだけなんだけどね、すごく嬉しくって。

ふと、思ったんだ。
喪の仕事量=(感情の表出量)×(受け止めてくれる人数)
みたいな法則があるんじゃないかって。
告別式で、たくさんの人の前で、泣けたじゃない。あれ、僕的にはすごく良かったように思うよ。

今晩は、夕食に里芋の煮っころがしを作るぞ。優子はカイカイが出るから食べれなかったじゃない。
いいだろう!?

仕事復帰初日

優子、おはよう。
10時に寝て、4時起きだから、まあ睡眠時間は確保されているよ。昨晩は、飲まなくても十分に眠れたのだけど、ワインを寝酒で飲んでいたら、祐麻が、パパあんまりお酒飲まないでね、だって。優しく注意してくれたよ。

いやあ、昨日は一日疲れた。仕事的には一コマ授業があったくらいで、ぜんぜん大したことしていないんだけどね(そうでもないか、ゼミ学生指導とか、教育相談とか、いろいろあったかな)。病み上がりはそう簡単じゃないとは予想していたけど、やっぱり予想どおりだったよ。共感モードと仕事モードをまだ使い分けられず、自分自身、混乱していたみたい。さあ、仕事に向かうぞと仕事モードにセットしようとすると、研究室にいる相談員さんが優しく話しかけてきてくれて共感モードになっちゃう。葬式のときたくさん手伝ってくれた事務の人たちにお礼に行くと、その話はそこそこにして、さっそく仕事の話をしなくちゃならない。昼休み、ゼミ学生たちと研究室でお弁当を食べ、みんなも来てくれたから、この話題を持ち出したんだけど、学生たちにとって、指導教官に共感するってのはやっぱ無理だよね。「出来事」としてのお葬式や妻の話はできるんだけど、「先生、お気持ちは、、、、」みたいな話はできないし。「家族関係学」の授業で、来週のテーマを、「家族の死」と宣言しちゃったよ。授業まで、僕のグリーフワークの場にしようと目論んでみたのだけど、いいのかなあ。できるのかなあ。不安になってきた。

さらに輪をかけて疲れたのは夜の葬儀屋さんとの打ち合わせ。いや、相手はもう慣れているから、優しく、優しく、とても気を使ってくれているんだよ。別に優子のことを思い出すとかそういうことで辛いんじゃないんだよ。何が辛いって、たくさんの判断を求められること。お葬式までで打ち止めだと思ったら、今度は、位牌や、納骨や、香典返しや、銀行や税金の手続きや、これからやるべきことのリストをもらっちゃった。ヒェーっという感じ。いやあ、疲れた。

でも、たくさんの人が応援してくれているんだ。心理学の同僚がこのブログを読んでくれて、僕は「強すぎる」って。「’精神科医’として立派に今回の事態に対処しようとしすぎているのではないか」と心配してくれた。実は、この先生も、私と同様に妻を亡くされているんだ。確かにそのとおりだよねえ。セオリーどおり、一生懸命自分の気持ちを整理しようとしている。ここまで自己開示しちゃっていいのと我ながら思うけど、やらずにはいられない。

優子も心配してるだろ。だいたい僕は、夢中になるとやり過ぎちゃうからね。これも、やり過ぎ、急ぎ過ぎなのかもしれない。その一方で、はっちゃんが手紙とGrief Workの本を送ってくれたよ。彼女も数年前、夫を亡くされたんだって(知らなかったよ)。悲しみに100%浸りきってから次の段階に行けること、いくつか泣ける場所を確保すること、薬をうまく使うこととかアドバイスしてくれた。やっぱり、急がず、時間をかけて、浸りきらないといけないみたい。そういう意味じゃあ、まだまだ始まったばかりだよ。まったく優子はひどいよな、こんな過酷な試練を僕にくれるなんて。まあ、優子自身だって悔しいのはわかるけど。

やっぱ、うつ状態かもしれないよ。意欲低下、食欲低下、身体症状などはないから一見元気だけど、不眠(早朝覚醒)、易疲労感、代償的なそう状態(過活動性)みたいなあたりかな。自分を保とうとして必死な自分がわかる。だれかに処方してもらった方が良いかもしれない。

さて、ちょっとメールでも片付けるかな。今日は、午後、できたら仕事を早く切り上げるよ。

Tuesday, January 13, 2009

無題

優子、おはよう。
12時に寝て、4時起きだ。ぐっすり眠れたよ。もう、起きたら眠れないけど。
今日から仕事復帰で忙しくなるから、今後、早朝覚醒が直っちゃったら優子との会話の時間を取りにくくなるかもしれない。そういう意味では、不眠症の方がよかったりして(笑)。

昨日も、良い日だったよ。
さすがに、優子の衣類、特に、救急隊員がハサミで切ったスキーウェアを手に取るのはつらかった。でも、これも捨てさせてもらうよ。

それ以外は、涙も枯れ果てた、というか出す必要がなくなったみたい。
昨晩、MKPの連中が3人、いつもどおりのミーティングを2時間やったんだ。いや、3人じゃなくて、4人だ。上海にいるEnioが電話で特別参加してくれた。今回はうちの家を提供したから、子どもたちと両親も挨拶できたし。たぶん、僕のワークではベロベロに泣くんじゃないかと思ったら、そうでもなかった。淡々と語って、支えてもらうだけだったよ。

子どもたちとの時間もたっぷり確保できたよ。
なんか、祐麻が優しいんだよねえ。昨晩も、寝る前に、祐麻の方からいろいろしゃべってきてくれて、パパとママの昔の関係や(いつからつきあったの、ホントに浮気してなかったの、とか)、事故の日にホテルで待たされていた時の祐麻の気持ちとか、祐麻の恋バナとか、なんか、今まで優子がいる時にはありえなかったタイプの会話だよ。優子が亡くなってから、僕が人と会ったり、電話するたびにビービー泣いている姿を見て、祐麻はとても辛かったんだって。それまで、「強かった」父親が、一気に弱くなっちゃったわけだ。今までのような父への反抗は、すっかり消え、たぶん、ママちゃんに求めていた、ラブラブの気持ちが、パパの方へ向いてきてくれたみたい。パパを思ってやっているのか、それとも、祐麻自身のニーズからそうしているのかよくわからないけど、少なくとも僕にとってはとても救われているよ。

MKPの仲間も優しい、子どもたちも優しい、みんなすっごく優しいんだ。
僕にとって、一番、身近で、太く、大切な絆が、いきなり乱暴にブチ切れてしまった。
僕は奈落の底へ突き落され、生きるために、這い上がろうとして、優子以外の絆を必死に手繰り寄せようともがいている。
みんなにしても、僕の喪失はとてもわかりやすい。だから、僕の求めに答えてくれるばかりか、みんなの方から僕に手を差し伸べてくれている。
そういう意味じゃあ、本当にラッキーだよ。こう言っちゃあ空で待機してくれている優子に悪いが、MKPの連中や祐麻と話している最中は、優子なんかいなくたって全然かまわない気持ちになるんだ。

子どもたちは大丈夫だよ。無理していて、子どもらしさを失っているわけじゃあないから。祐麻はジワジワと「ワンちゃん買って!」をおねだりしているし、湧仁は「僕もiPodほしい!」とダダをこねたり、祐麻とも以前と同じようにケンカしてるし。

さあ、今日からどういう展開になるかな??
優子、そこからちゃんと見守っているんだぞ。わかったか!

Monday, January 12, 2009

モノの整理

優子、おはよう。
昨夜は10時過ぎに眠くなってすぐ眠れたのだけど、起きたのは午前2時。相変わらず早朝覚醒だよ。

気分的にはかなり楽にはなってきたのだけど、相変わらず「優子関連のこと=喪の仕事」しかできないよ。こうやってブログで優子と会話したり、お香典の整理をしたり、優子のことでメールをくれた人に返事を書いたりね。
明日から仕事を始めるから、いい加減、このパターンから抜け出して日常生活に復帰しないといけないんだけど、徐々に馴らしてゆこう。まず、「心の整理」だけでなく、具体的な「モノの整理」というか、帰ってきてから手をつけていないスキー道具や優子の机・本棚まわりの片付けとか。

Sunday, January 11, 2009

無題

優子
 のんびりとした休日だよ。さっきはちょっと昼寝した。
 しかし、つくづく感じるのは、人がみんな、とっても優しいんだよね。
圧倒的な、情緒的弱者の立場にいると思うんだ。しかも、まわりの人からみても、とてもわかりやすいし。
今まで、僕は、そういう立場を経験したことがなかった。今までの人生の中で、これといった大きな挫折も経験してこなかったし、ラッキーなことに、知的・経済的・社会的・身体的な個人resourceも持っている。心理支援者(精神科医)として、たくさんの情緒的弱者の人たちに接してはきたが、自分自身が本当に弱者になることはなかった。祐麻に言わせれば、「パパ、これで本当の精神科のお医者さんになれたんじゃない?」だって。あの子はよく言うよ。
 一言でもいい、ちょっと振り向いてくれるだけでも良い、ちょっとした他者からの優しさで、こんなに自分が救われるのか、実感してるよ。
 それに、この弱さがあるから、人を繋げてくれるんだよね。お葬式に来てくれた人の名簿を整理していて、こんな人まで来てくれたのかって。子どもたちも、不思議とすごく仲良くしている。祐麻と湧仁も、今までになく仲いいよ。じじ・ばばもヘルプしてくれるし。僕は、最愛の人を失ったことで傷つき、愛してくれる人と結びつくことで癒されている。

 でも、すごく敏感になってるのも確かだよ。ちょっとしたストレスに弱いみたい。ときどきかかってくるセールスの電話あるじゃない。いつもは、ふつうの口調で断るか、ガチャ切りするけど、今朝、かかってきて思いっきり怒っちゃったよ。それに、どこで情報を得たのか知らないけど、仏壇とか香典返しのDM・カタログがたくさん送られてくるんだ。今日だけですでに3つもだよ。とても傷つくよ。

終わったよ

優子、おはよう。
全は、がんばってもう模試に行ったよ。祐麻はまだ寝てるけど。
今朝は、6時までちゃんと眠れた。まあ、これだけ酔っぱらえばね。

みんな、良いお葬式だったと言ってくれているよ。何が「良いお葬式」の定義なのか考えてみたけど、参加してくださったみんなが、それぞれの気持ちの中で、優子を失った悲しみを感じあうことなのかなって。
そういう意味では、僕も思いっきり自分の気持ちを絞り出すことができたから、僕自身にとっては、とても良いお葬式だった。自己満足でごめんね。
一番大きかったのは、とてもたくさんの人が、お葬式に来てくれて、僕の気持を受け取ってくれたということ。それが何よりも僕にとっての宝になったよ。たくさんの人とつながることができたからね。そのこと自体はとてもうれしいこと。まあ、優子が死ななきゃこういう状況は作れなかったから、その点だけは優子に感謝するよ。(ほかの点ではぜんぜん感謝しないけど)

PCから家族の写真をピックアップする作業自体、涙ボロボロで辛かったけど、それを保育園のみんなが、あんなにきれいなメモリアル・コーナーに作り上げてくれ、ビジュアルに私の気持を伝えられました。昨晩は、打ち上げで、親だけで19人、それプラス子どもたちのたくさんの人たちがうちに来てくれたよ。園長もね。とても賑やかに、楽しくお酒を飲めた。みんな、ありがとう!!

弔辞を、あのふたりの方に頼んで、本当によかったよ。みんな、すごく良かったと言ってくれている。僕とは違った接点で、優子と深く結びついていたんだね。悲しんでいるのは僕だけじゃなかったんだ。そのことを気づく余裕がなかったけど、お話を聞いて、気がつくことができたよ。優子をひとりじめするわけにはいかないんだ。

僕のご挨拶もよかったでしょ!?
まあ、自由に飛び回る優子を引きずりおろしてきたのは済まなかったけど、子どもたちに、ママちゃんを一緒に心の中に呼び込んで、対話できるようにしておきたかったんだ。まあ、ちょっときつく優子を怒り過ぎちゃったかもしれないけど、そうすれば優子のお母さんや子どもたちも真似できるでしょ。怒りでも、悲しみでも、気持ちを出していいんだよ、ってことを子どもたちに見せたかったんだ。でまた、そうやってる姿を来てくれたみなさんにも見ていただく中で、僕の気持も伝えられたしね。良いアイデアだったでしょ。なにしろ、お葬式の日まで、ずっとそのことを考えていたんだから。

MKPのMichael, Kevin, Robたちも来て、セレモニーを助けてくれたよ。

⇒ブログを読んでくれてるみなさん、MKPって、こんな感じなんですよ(英語ですけど)
アメリカで数万人規模で男性たちが活動していて、日本でも小さくやりはじめているんですよ。みなさん、一緒にやりませんか?(男性限定なんですけど)

今日と明日は、思いっきりのんびりするよ(できるかな?)。
というか、子どもたちとの時間をたくさん作るね。

そろそろ、祐麻が起きてくるみたい。じゃあね。

Saturday, January 10, 2009

お通夜

優子、たくさんの人が、優子の寝顔を見てくれたぞ。恥ずかしかっただろ。
僕は、クタクタで11時から爆睡したけど3時間で目が覚めてしまう。優子のレンドルミンをひとつぶ借りて、6時まで寝れた。睡眠も十分にとれたよ。

優子、そこに寝ていて、雰囲気伝わってきただろ。いやあ、何と言ってよいか、すごいお通夜だったよ。まあ100名強かなと予想していたんだけど、はるかに越えるたくさんの人が集まってくれて。お部屋が満員で、ゆっくりしていただけなかったんじゃないかな。保育園チームが作ってくれたメモリアル・コーナーすごく素敵だった。僕らの家族の(まあ、多少美化された)雰囲気が少しでも伝えられたんじゃないかな。でも、みんな来てくれた人たち、じっくり見てくれていて、とてもうれしかった。
「楽しいお葬式」のコンセプトで、僕もたくさんの人と話せたし、優子のたましいをひっぱってくるやり方も、子どもたちに教えることができたし。
優子の通訳学校での若い教え子たちにも会ったよ。そうか、優子も「先生」だったんだよな。優子の知り合いの人たち、仕事関係は初対面の人ばかりだったけど、昔からの友だちたちは、私もなんとなく知っていたりもしたので懐かしかった。
喪主としては、もうちょっと沈んで、泣けばよかったかなあ。ちょっとは泣いたけど、それ以上に、僕自身が興奮して、傷心モードをはるかにジャンプしたところでみんなと話していたよ。

さあ、今日でおしまい。告別式は、昨日の雰囲気とは変えて、割とオーソドックスにいくしかないね。でも、喪主挨拶の中で、思いっきり優子への思い、子どもたちのことなど伝えようと思う。それが済むまでは、気を抜けないな。優子、しっかり僕を支えていてね。

このブログにも、お葬式に来てくれた人がきっとたくさん来てくれていると思う。ここで、みんなで話し合えたらいいね。そしたら、ときどき優子もコメントしてよね、天国から。

ホント、圧倒的な死に方だよな。

Friday, January 9, 2009

これからお葬式

優子、オーストラリアからRyokoがブログに来てくれたよ!
昼間、いつもの中華屋さんに湧仁と行ったら、おばさんが今晩来てくれるって。
さっ、これから準備していよいよ出発だ。
優子、今から冷蔵庫から出してやるから、とちるなよ。

早朝覚醒

優子。
やっぱり、午前3時に目が覚めちゃうよ。寝入りばなはだいぶスムーズになり、昨晩もすごく眠くなったんだけどね。早朝覚醒ってやつ。しかも目がさえちゃって、布団の中で悶々としてるよりは起きてブログ書いてるよ。これも優子へのあてつけだってこと、わかってんだろうな。
でさあ。
今日と明日、来てくれる人たちに、このブログ紹介しちゃうよ。
やっぱし、ネットってたいしたもんだよ。優子の写真とか子どもたちの名前も出しちゃってるから、我々の知り合いが来れば、匿名もなくバレバレだけど、もし、知らない人が検索して(検索エンジンにひっかかるのかね、これ?)訪ねてきたとしても、苗字もメアドもないので、どこの誰だか分らないようになってるんだ。
優子のこと、知っていた人には来てもらっていいじゃん。ねえ。そんなの恥ずかしいからダメ、とか言いだしそうだけど、やらしてもらうからね。それぐらいいいだろ、勝手に先に死んじゃったんだから。

Thursday, January 8, 2009

高揚感

優子、そっちの生活にも慣れたか?
僕は、なんか毎日、気分が変わっているよ。
今日は高揚感・多幸感euphoriaっていう感じだよ。何だか変だけど。

いよいよ、明日に優子の葬式を控え、ちょうど、去年の学会長をやったときの学会前日や、21年前の結婚式前日みたい。何ごともうまくいっちゃうような気分になるんだよね、まあ、もともとの楽天的な性格が下地があるのかもしれないけど。
初期の過覚醒状態は落ち着いたみたいだけど、そのノリで、まだ精神が興奮状態なんじゃないかな。
今、風呂に入って、シャンプーで髪を洗い、流して、ふと気がついたらまたシャンプーを髪に付けちゃっているんだよ。バカバカしいけど、こんなこと普通やらないものね。
子どもたちは、TVでバカ殿を見て、バカ笑いしている。今までだったら、テレビ消せよ、とか言っていただろうが、今は、その姿を見てホッとするんだよね。子どもたちにとっては、じじばばの存在は大きいよ。今晩も、湧仁は下で夕食・風呂、そしてじいちゃんと寝てるから。
明日、どれくらい来てくれるかなあ。子どもたちの同級生や、僕の学生たちなんかも結構来るだろうからねえ。

でさあ、優子。
土曜の告別式が終わった後、保育園の仲間たちに打ち上げやろうよと誘っちゃったよ。
優子がいたらやらないけど、なにしろ優子はいないからねえ。(文句言えないだろ)
どうせ、疲れて、酒飲んで寝るなら、みんなと騒いで楽しんでからの方がいいじゃん。
みんなには、とてもお世話になったし、これからも続けたいし。

やっぱり、これは高揚してるよね。

Wednesday, January 7, 2009

疲労感

優子。
今日は、なんだかずいぶん疲れたよ。あくびが出てしかたがない。優子が死んでから、こういう状態にはならなかったし、過覚醒が治ってきたと考えれば、良くもとれるのかな。
優子が逝ってから、祐麻がずいぶん変ったよ。急にしっかりしたというか、わがまま言わないし、パパとはスキンシップしたり、よく話したり。急に大人になっちゃうのもかわいそうな気もするけど。祐麻は泣かないねと言うと、実は、優子が倒れて緊急事態の時、ホテルに残されて、さんざん泣いたんだって。僕らの帰りが遅いから、何度も電話し、
僕が「ママが倒れたから、もうちょっと待っててね」
祐麻「えっ、転んだの?」
僕「うん、そうそう。」
祐麻「えっ、ほんと?死んでないよね?」
僕「大丈夫だから、もうちょっと待っててね」
というあたりの会話で、勘の良い祐麻ちゃんは、なんとなく感づいていたみたい。
その後、何度も、電話して、僕が出ないもんで、東京のおじいちゃんにも電話して。
僕からおじいちゃんに口止めしていたから、おじいちゃんから祐麻へは「パパから聞きなさい」
といわれるし。ただ事ではないことは、わかるよね。
やっとの思いで、ホテルに戻り、祐麻と湧仁に悲しい知らせをどう知らせるか、すごく気が重かったのだけど、祐麻は、僕が部屋に戻り、話す前から、もうパニック泣き状態だったから、そういう意味では楽だった。むしろ、けろっとしてテレビを見ていた湧仁に伝えるのがイヤだったよ。

一方の息子たちは、あまり変わらず、普段のままだよ。湧仁は変わらずおじいちゃんべったり。良い緩衝材になっているというか、ホントにおじいちゃんの子になっちゃうんじゃないだろうか。全もポーカーフェースで淡々としているけど、なんとなくさびしさを身体で表現しているように感じる。

子どもたちは、今後、どうなるのだろう?
すごく心配な一方で、どうにか乗り越えてくれるかもという期待もあるよ。
じゃあ、おやすみ。

過覚醒

優子、そっちでは眠れたか?
僕は、4時半まで、3時間ほどは眠れたよ。でも、そのあと起きちゃった。
日いちにち、気持ちも落ち着いてくるよ、なんて心配してくれるみんなには言ったけど、まあ、そう簡単でもなさそうだね。でも、昨日まで、空白になった心に浸み出てくるのは昨日書いたような、最後の私にとって大切ですごいトラウマ的な出来事だったけど、優子にここで伝えたのもあると思うんだけど、だいぶ減ってきたよ。で、その代りに出てきたのは、優子のお葬式のこと。今、そのことばっかり考えている。要するに、優子の方向に強制的にむけられてしまう強い風は相変わらずなんだけど、その内容がちょっとは益しなことになったということみたい。
 で、昨晩、台湾のピンシャンがチャットで声をかけてきてくれて、その中で、「don't over-burden yourself」って言うんだよ。それ聞いてふと気づいたね。僕は今、過覚醒状態なんだって。すっごく大きな心の出来事に、どうしても吸い込まれてしまう。心の嵐みたいに。そこから這い上がろうと、何かをやってないともたないんだ。今のところ、優子のお葬式っていうのが、優子に向けた気持ちの中ではconstructiveというのかな、だから、そっちに向いちゃっているみたい。ってことは、それが済んでからはどうなるのか、またつかめるものを探さなくちゃいけない。それが、何か建設的なものだったらいいんだけどね。ちょうど、締め切りを過ぎた原稿があるから、それに向けられたら一気に書けて、都合好いんだけど、そこまでまともな思考をできる状態になれるかな。そうなれたらいいね。優子、そっちで応援していてくれよ。ちゃんと見ているんだぞ。わかった!?

Tuesday, January 6, 2009

3日目

 妻との往復書簡というアイデアは、保育園親仲間の高島パパからいただいた。
 悲嘆と恐怖のどん底から毎日少しずつ這い上がれてきているのも、家族・親族、友人たちのおかげで、初期の混乱からかなり立ち直れてきた感じがする。妻の体を葬儀場の保管庫に預けることができ、友人はさびしくないかと言うが、むしろ気がかりをひとつ下ろすことができた。
 保育園でいっしょだったパパママ仲間に、この3日間、どれほど助けられていることか。ようやく、梅酒を飲む気持ちの余裕も出てきて、高島パパと飲みながら、話の成り行きで父親との往復書簡の本を見せた。そのまえがきの中に、「次の相手は妻だが、まだ子育ての真っ最中、もうちょっと後だ」ということを書いた。それも今はできなくなってしまったと言ったが、高島パパの助言で、そうだ、いなくてもできるんだということに気がつくことができた。天国の優子に届ければいいんだ。何を書いても、自分が傷つくことはあっても、現実の優子を傷つけることはない。かの地の優子なら許してくれるだろう。なんという幸せ。そして、時には、優子からのメッセージを、僕が代筆すればよい。
 優子。そういうわけで、勝手に手紙を送らせてもらうよ。
 どうだい、そっちの居心地は?僕は、もうびっくりしたよ。なんで、急にいなくなっちゃうんだ。愚痴を言い出したらきりがない。怒りをぶつけようとしてもきりがない。でも、いいよな。天国にいれば、僕も怒ることができないから。年末に、鮨屋のカウンターでやらかした夫婦けんか、というか口論はすごかったよね。僕も久しぶりにムカついた。店員のねーちゃんたち、ひいてたよね。でも、あれでよかったのだと思う。しかし、さすがに、この手紙では喧嘩はできないなあ。残念だが。
 でもまあ、ふたりのツーショットスキーの最中に逝っちゃうなんで、よくしたもんだ。しかも、痛みも、苦しみもせず、倒れて、即昇天なんて。思いっきり、心肺蘇生したの、わかってた?一度だけ、手を動かしたよね。おっ、息を吹き返すかなと、必死だったよ。でも、ほんの一瞬だった。ずーっと、ずーっと、ディープキスして、唾でべちょべちょだったけど、楽しんでいたわけじゃあないんだ。生きているとき、あれほどの熱烈キッス、やったっけ?あんなに長くはやらなかったよな、いくらなんでも。でも、あれはやっぱりトラウマだったよ。その時は、もう必死というか、必死であることも感じず、周りのスキー客が怖そうに見ているのが視界の隅に入ったけど、そんなことどうでもいい。とにかく、キスしつづけた。でも、怖かったんだと思う。いまから思い返せば。寝ようとして、出てくる情景は、それが多いもん。とても怖かった。脳裏をかすめる優子の死を追い払い、とにかく、吹き続けた。心マッサージのために、救急隊員がはだけた胸が妙にまぶしかったよ。あんなにきれいな胸してたっけ、優子は。
 スキー場の医師も、救急隊員も、駆け付けた麓の病院の方々も、とてもやさしかった。待合室でまってた他の救急患者の家族さんたちまでやさしかったよ。どうぞ、お座りくださいって、声をかけてくださって。落ち着いたら、お礼に行っておくね。
 別に、美化しようとしているわけじゃあないんだ。自然に、こうやってやさしい気持ちで優子に手紙を書けるのも、周りの人が僕にたくさん優しさをくれているからなんだ。たくさんの弔問、たくさんのメール、そして、保育園のパパママたち。毎日たくさん来てくれて、食事から、留守番から、とっても親身になってくれる。甘えて、葬儀の写真コーナーとか、会葬御礼の手紙の印刷までお願いしちゃった。素敵なお葬式ができそうだよ。楽しみだ。たくさん、来てくれるといいな。
 優子との最後のふたりだけの旅行となったソウル。その時の写真を祭壇に置くよ。あれ、とても気に入っているんだ。理知的っていうのかな、とてもきれいだったよ。胸のペンダント、あれは、出張の連続でムカついている優子に、恐る恐る千歳空港で僕が買ってきたやつ。あれを、つけてくれてたのも、僕は、とてもうれしかった。あれ、どこにあるか見つかるかなあ。祐麻が知ってるっていうから、見つけたら、理香ちゃんにあげるね。告別式での弔辞を友人代表として頼んだから。理香ちゃん、快く引き受けてくれて、福岡から飛んできてくれるよ。
 今晩、眠れるか心配だよ。こんなこと初めて。眠れないとかいう優子の横で、いままで僕は、不眠を全く経験したことなかったからね。今回、初めて不眠の辛さを経験できた。精神科医としては必要なことだし。
 じゃあ、おやすみ。「今日は祐麻がいるから大丈夫」だって。祐麻もずいぶんと優しくなったよ。昨日まではさえちゃんちでお泊まりしていたからね。今晩は、うちで、さえとしおりとが一緒にお泊まりだ。