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Monday, December 31, 2018

二十歳の誕生日


じん、二十歳の誕生日心からおめでとう!
これで3人の子供たちは大人になった。父親としてはチョー嬉しいぞ!母親も天国で喜んでいるだろう。この半年くらいの間に、じんは随分と成熟したように思う。自分の道が見えて来たか?末っ子ポジションだとなかなか難しいよな。これからも独自の道を思いっきり進みない!父は応援しているぞ。

Monday, December 3, 2018

10年かぁ〜:なぜ頑張れたかって?

10年かぁ〜
Tikiにとってどんな10年だった?

そうねぇ。ひと言じゃ言えないなぁ...
激動の10年だったかな。
その前を10年単位で振り返ってみると、
  • 40代の10年は子育てしたり、仕事したり、いろいろ苦労もしたけど安定していたっていうか、一定を保っていたし。
  • その前の30代は、結婚したり、仕事を辞めて留学したり、就職したり、子どもが生まれたり、それこそ色んな変化があったけど、特に大きな苦労もなく淡々とこなしていたって感じかな。
  • 51才からの10年間は、そりゃあ大変だったたよ。ってか、出来事の量からすれば、それ以前とそれほど変わらないんだろうけど、気持ちのアップダウンがジェットコースターみたいで目が回ったよ。
逆に言えば、それまで気持ちは安定していたんだよね。
順風満帆、とまでは言わないけど、スムーズな舗装道路を走ってきたんだよね。高速道路もかな。それが急に砂利道に突き落とされて、無理やり走ってきたって感じかな。

Tikiだってメンタル強いでしょ‼

そう、それもこの10年の成果かな。メンタルが相当強くなったってこと。

ってか、それまでは自分がメンタルが強いとか弱いとかを試すチャンスがなかったから自分のメンタルの強さなんてわかんなかったよ。
MTBの性能って、舗装道路じゃわかんないんだよ。砂利道やオフロードを挑戦して、初めて自転車の真価がわかるんだ。
今ままで、僕は舗装道路を走ってきた。早くも走れたよ。
でも、それは自転車が良いからじゃなくて、スムーズな道を与えられてきたらに過ぎないんだ。それは、自分で選んだものじゃない。両親から、周りからたまたま与えられたものなんだ。そういう意味じゃあ、僕はかなりラッキーだったのかもしれない。

でも、この程度の砂利道はいくらだってあるよ。
もっとひどい道だって世の中にはたくさんある。
進めずストップしちゃったり、こけて走れなくなる自転車もあるし、
なぜか悪路でも、乗り越えながらゆっくり進んでいる自転車だってあるんだ。すごいよね。
一番苦労しているのは、それまで舗装道路を走ってきて、急にラフ道に入っちゃった自転車ね。どう走ったら良いかわからないもん。僕もそれだったんだ。

最愛の妻を亡くして、ここまで立ち直ったんだもんねー☺️
たいしたもんだ‼


そう言ってくれる人がいるから、立ち直れたんだよ。
僕がホントに立ち直っているのかどうかって、自分ひとりじゃわかんないだよね。
自分ではちゃんとしてるつもりでいても、
「あなたは狂ってる!」
と言われれば、自分でもそうかなぁ、狂ってるなぁと思っちゃうし。
人は自分にいい加減な自信を持つべきじゃないんだよ。

Tikiは自分をもっと褒めるべきだよ。
尊敬してるよ。

ありがとう!!

そう言ってくれれば、えっ、そうだよねー、って自分にOKサインを出せるような気がするよ。

ゆみは、こんなちっぽけな僕を立ち上がらせてくれているんだよ。
僕が想像している以上にね。


だからさ。この曲を贈ったんだよ。

You Raise Me Up!

人って、いくらでもダメになることもできるし、いくらでも善くもなれるんだ。
自転車の性能って、そんなに差があるわけじゃない。自分でOKか、ダメかって、思い込んでいるだけだよ。
ゆみだって、ちゃんと自転車に乗れたじゃん!
普通の自転車のはずなのに、ラフ道にはまり込んで、走れなくなると、この自転車ダメだなって思い込んでいる。
あるいは、自分はダメだと思い込んで、思いっきりダメのシナリオを演じている人がたくさんいるよ。

一番大切なのはそうではない。

自転車自体の性能ではない。
道の選択でもない。世の中にはいくらでもラフ道はあるからね、急に現れてくる。それは避けようがないんだ。避けてれたら、前に進めなくなる。前に進まないという選択肢は危険を避けるためなんだ。

じゃ、僕がなぜがんばれたかって?
一番大切なのは、応援してくれる人の存在だよ。
大切な人。
僕の近くにいて、いつも見守ってくれている。
手を出し過ぎてお節介してくるわけじゃぁない。
黙って、信じて見守ってくれる人。
そういう人さえ確保していれば、人はいくらでも強くなれるし、自分を肯定できるし、どんな逆境でも乗り越えられるんだ。

そういう人を手繰り寄せることができた自分を、褒めてあげるよ。

Sunday, November 18, 2018

55回目の誕生日

優子、55回目の誕生日おめでとう🎂🎁

じんはバイクを売って柔道部に入ったらしいが、何やってるかわからん。最近プロテインをやけに飲み始めてる。
祐馬はメルボルンでなんかめげると疲れた〜とかいって電話してくるが、何やってるかわからん。来月には帰ってくるよ。家をキレイにしないと怒られる。
ちゅけはじじばばのとこに住んで会社行き始めたが、何やってるかわからん。
僕は相変わらず海外に行きまくり、冬はスキーに行きまくってるよ。東京を引き払って群馬に移住しようと思って、準備を進めているんだ。カイもじじばばもいなくなっちゃったし、子どもたちもほぼ自立しちゃったから、あとは僕の自由にさせてもらうよ。優子には文句言わせないからな!
Tiki

母へ
誕生日おめでとう!
私は東京に戻り、新社会人として元気にしているよ。
学校で研究したこととは全く違うITや金融関係の仕事だけど、とてもやりがいのある仕事だよ。
こちらは相も変わらず、父は好き勝手飛び回り、ゆまは豪州で勉強して、じんは東京の大学で学業に励んでいるみたい。近々生田のばあちゃんと会って報告会でもしようと思うよ。三浦にも遊びに行くから、またその時にでも!!
ちゅけ

誕生日おめでとう!!
最近柔道部に入ったんだが、そこで感じたのが、ふと会社みたいだなと思った。学生それぞれが会計、部長、マネージャーとその他にも役割があって、学生自身で部を動かしているってことを入って初めて知った。それがすげー面白い(笑)。
俺も今年で20歳だが、歳を経るにつれていろいろなことが見えてきたり、考えたりすることができるようになってきたよ。あんま長々とかくつもりはないから、一言だけ言わせてもらうと、「自覚」だね〜、
自分が何をしたいのか、そのためにどう動くか、どうすれば望みの結果が出せるか、またこうやって行動すればこうなる、ああなる、その結果を考えて、自分がどうなるか、どういった自分ができるか、それは自分の望みなのか、などなど、、、、考えていくのが、まあ楽しいよね(笑)
母、大人たちにとっては、こう考えを巡らすこと自体取り止めがないというか、、、。まあこんなこと考えても、まだまだ自分は未熟だからこれから生活しながら学んでいくよ!!
何十年先か分かんないけど、逢える時を楽しみにしてるよ。
その時、胸を張って自慢できる大人でありたいね(笑)
じゃあな!
じん

ママへ
55歳の誕生日おめでとう。10年経つなんて10年前のゆま達には現実とは遠くかけ離れたことに思えて絶対に来ないだろうと思っていたけど本当に10年経ったのね…。現実感はまだ無いけど、10年間ここまでやって来られた事、他の人の手も借りてたけど、ママ無しで家族生き延びれた事は誇りに思う。祐馬はママの遺伝子を信じながら毎日メルボルンで勉強頑張ってるよ。みんな良い友達に恵まれて、色々あるけど毎日楽しく生きてる。ママを恋しく思わない日は一生来ないだろうけど、ある意味で、ゆまのインスピレーションとしてママの事はずっと想ってる。毎日大きな影響をくれてる。
おばあちゃんと出かけると、最初は「ゆま」って呼んでたのがだんだん「優子」ってなって最後の方はずっと「優子」って呼んでくる。良いのか悪いのかちょっと複雑な気持ちだけど、ママのためにおばあちゃんにそう呼ばさせてあげてる。こうやってママ孝行してるからずっとゆまの事見てて、応援してね!!
Love, 祐馬

Wednesday, June 20, 2018

移住計画

この度は、市中引き回しの刑、大変お疲れ様でした(笑)

よってたかって、たくさん案内していただき、ありがとうございました(笑)。

このノリについていけるかが、移住成功のカギなのかな。
都会じゃあ人が多すぎる。だから、あえて人々の間隔を空けないとやってられない。
田舎ではそんなに人はいない。共同体を作るために、あえて人々のcontextを上げる。

移住フェアに行ったら、沼田、高崎、中之条の移住コーディネータたちがすぐ連帯して、LINEのグループを作って、二泊三日、連携してあっちこっちに連れて行ってくれた。彼らもまだ経験が少なく、どうやるのかお互いに様子をみたいんだろうね。他の市に行っても、ずっと付いて来た。何をやるのか興味があるんだって。
夜は街道筋のレストランで会食して。みんな車だから酒はナシで。
すごいhigh contextだよね。

僕はそういうのは好みだから、全然構わない。
しかし、都会から田舎に逃げようというのは、関係性に疲れて、もともとinsecure attachmentなのかもしれないけど、人が少ない田舎に逃げたいわけだ。
人が少ないから、返って少ない人同士が結びつこうとする。そういうのがいやなんでしょうね。それだったら都会でも田舎でも適応できないでしょ。

あと、気づいたのは、動線の違いかな。
都会の間隔だと電車がメインだが、こっちは車社会。車で動線は導かれる。
だから、上毛高原中心というのではなく、道路網を探って車でのアクセスがメインになるんだな。そっちの方向で考えてみよう。

ーーーー
僕のやろうとしていることだって、insecureをsecureにして、high contextに慣らしていこうという趣旨だから、田舎に行くと、今までとはまた新たな臨床ができるかもしれない。

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Deltaの機内で1時間7ドルでネットを買った。
でも、回線は不安定なようだな。。。。

Wednesday, May 23, 2018

安心の文脈づくり

葛藤を通り越した先にある真の安心感。
それが満たされれば、attachment systemはinactivateされる。気づかなくなる。

優子との関係がそうだった。パートナーシップってそんなもんでしょ。
家族はそうなんだ。夫婦だって、親子だって、安心できていれば空気になれる。
それが満たされていないのが、今の自分であり、多くのクライエントなんだ。
どうやってinsecureをsecureに持ち込めるか。
もともとのattachment theoryでは、それは子ども時代に作っちゃった鋳型だから、後から変えるのは無理。
そう言っちゃうと、もともこうもないでしょ。

Therapeutic Relationshipがそうでなければダメでしょ。
というか、どんな理論や技法よりも、それが一番大切なんだ。
不安に満ちた家族システムに、セラピストの暖気を送り込み、不安安心に転換する。
そうすれば、病気なんて治っちゃうよ。

不安:Insecure attachment, Avoidant and/or Clinging attachment
Fear of Rejection。
それを安心に転換するためには、拒否・攻撃されることを恐れず、相手と関わり続けること。相手が不安を見せても、こちらは安心のコンテクストを提供し続ける。

精神病患者を恐れてはいけない。タブー視してはいけない。語り続けること。
それが人薬でしょ。

Open Dialogueがそうなんだよ。
対話を続けることのみ。
みんなが参加するんだ。
途中でバックレてはいけない。
否定してはいけない。
タブー視され、疎外され、村八分にされたクライエントを、もとの安心のサークルに呼び戻す。
それだけの話なんだよね。
ラップランドでできたなら、上毛高原でもできるよな、きっと。

そのためには、セラピストが十分な体温を維持していなければならない。
自分自身が温められていないといけない。
人に分け与えるだけの熱量を持っていないといけない。

BCガイドがそうだね。
自分だけじゃなくて、針金やザイルや熊スプレーや、ゲストを救うだけの小道具を抱えて滑るんだ。それだけ重くても、自分の滑りはちゃんと全うできなければならない。
プロはそういうもんでしょ。

自由(自分でいる喜び)vs.献身(他者に必要とされる喜び)

「献身」と訳すとしっくりこないな。
Freedom vs. Commitment.

このふたつの間を行ったり来たりしている。
優子を選んだのは僕の自由意志だった。
家族を作り、commitした。家族のために献身(?)したのかな。父親役割・夫役割を必要とされることで自分が成り立ってきた。
そしたら、自由を欲しくなる。ゴルフに行ったり、スキーに行ったり、ひとりになりたい!ってね。
やっと「ひとり」になれた。
そしたら、人を求める。
いったい、どっちが欲しいのか?

Freedom vs. Commitmentという対立構造で考えたらうまく説明できないんだ。
両方とも欲しいのだと思う。
僕にとってのCommitmentは説明しやすい。
家族人(父親・夫・息子)として必要とされる喜び。
社会人(精神科医・教授・地域の人?)として必要とされる喜び。
そこに自分の存在価値(生きていることに意味があるんだよ)が生まれる。

僕にとってのFreedomって何?
自分の思いどおりになること。自分で自分の行動を選択できること。
じゃあ、思いどおりになって、何をしたいの?
〇美味しいものを食べる。
〇スキーや登山や自転車に行く。
〇旅行や海外に行く。
〇友だちと出会ったり、飲みに行ったり。
→美味しいものをひとりで食べても美味しいって言えないじゃん。「美味しいね」と言える相手がいて美味しくなるんでしょ。
→スキーや登山。大自然の中で自分の立ち位置を確認できる。mother natureとの一体感を味わえる。Backcountry Skiはホント自由だよね。大自然の中を自由に滑れる。危険だからひとりじゃ行かないけど。夏山なら仲間と行くより単独行が良い。テント場ではひとりでメシ食っても旨いかな。自転車は、ひとりでしまなみ海道やふだんの通勤チャリしても、それなりに楽しい。自分の身体と向き合えるからね。でも、イベントに参加した方が楽しいかな。別に誰かと一緒に走るわけでもないけど、周りにおんなじような人がいて、時には「がんばれ」と声を掛け合ったりする距離感が面白いかな。エイドステーションで地元のね~ちゃんから食べ物をもらうのも楽しいし。
→旅行や海外にひとりで行ったってつまらないし。一緒に行く人が欲しいし。
→友だちという意味では、一番わかりやすいのは、学会のinternational consultation groupやMen's InstituteやMKP groupだったり。そこでは、自分の内面を出し、理解し、受け止めてもらう体験。それが自分のliberationに繋がるんだ。否定されることがないというのが大切だね。

個 vs. 関係性
ということ?
自分でありたい。自由でありたい。
でも、結局自分で何をしたいかというと、関係性の中の自分を成就したいわけでしょ。
自分で自由に関係性を選べるということ?
ひとつの関係性にイヤになっちゃったら、別の関係性を選ぶってこと?
本当に安心できる関係性って、裏切られない関係性。
個を犠牲にして、関係性にcommitするっていうこと?
両者はバッティングするの?
両方を同時にうまく成就できないの?
個を求めるためにひとりっきりだと孤独でしょう。
自分の意思で、自分の求める関係性を成就できることでしょ。
自分の求める関係性とは?
自己を展開して(ありのままの自分を出して)、それをスルーせずにちゃんと受け止めてくれる他者がいること。無視しちゃいけない。否定もしない。
かといって、無条件の肯定とかいって、そのまま傷つけずにまるごと受け止めるのではなく、ちゃんと突っ込み、鎧を脱がせて、素の自分を出したうえで、それを受け止める。
だからかなり葛藤するんだよね。
葛藤を通り越した先にある真の安心感。Secure Attachmentだ。
優子との関係がそうだった。
でも、生きている時はそうは感じなかった。ずっとひっついていると、お互いを縛り合うことになってしまうのかね。離れているからこそ、真の親密性は成就できるのか?
International Consultation GroupやMen's Groupはairplane intimacy。日常生活はcommitせず、たまに会うからこそ真に向き合えるのか。
祐馬がそうだ。パパと一緒にいるのは4日が限度だそうだから。でも、時間限定でも(時間限定だからこそ)貴重な愛着だ。
子どもたちが小さい時はそうはいかない。常時一緒にいて守らねばならない。

夫婦は、安心のcontextが生まれれば、常時ひっついている必要はない。Insecureだと引っ付いて(clinging)いなければならない。それは束縛でしょ。
力の差によるcomplementary(相補的)な関係性だと、一方が成就し、もう一方は犠牲になる。Win/Winの関係にならねばいけない。その調整は難しいね。

スルーせず、ちゃんと向き合い、葛藤しても、相手を受け止められる。
そういう関係性が安心を生む。
それが家族だし、クライエントとの関係性であるべきだし、
僕が求めているFreedomと Commitmentの両立なのかなぁ。
どうやって、安心の文脈contextを作っていくか。
よくわかんなくなってきたから、とりあえずここでやめよう。

Tuesday, May 15, 2018

山とスキー

今日、西魔女と話していて、俺にとってのスキーの意味がしみじみよく分かったよ。

小学校1-2年の頃、初めて父親と行った四万温泉スキー場。
リフトも何もない、斜面があるだけ。長靴をスキーに突っ掛けて滑った。
その後、毎冬に父と行くスキーが楽しみでしょうがなかった。
父親が僕をソトの世界に連れ出してくれた。
猪苗代スキー場で亮子を残して、父とふたりだけで上段の急斜面を降りてきたら、一人ぼっちにされた亮子が怒っていた。民宿のメシのたくあんがすごい味だった(まずかった)。
夜行で行った越後中里スキー場。母親も初めていったけど、さんざんで、二度とスキーには来なかった。
中学のブラバン部活をさぼり、顧問から非難されても、父の職場の仲間にくっ付いて八甲田スキー場に行った。ロープウェイで山頂まで登り、ガイドを付けて酸ヶ湯温泉まで滑り込んだ。初めての山スキーの雄大さ!ガイドの青森弁は理解できなかった。
中3卒業時に、確か戸隠に友だち同士で初めて行ったんだ。酒を飲んでゲロ吐いた。
高校山岳部では、よくスキーにも行ったよ。ゲレンデにテントを張って、飯を作って、かぐらと栂池だったかな。
大学に入って、平良と栂池を登り、白馬乗鞍から蓮華温泉に降りるはずが遭難して、一晩、ツエルトで過ごした。今なら捜索ものだよ。翌日が天気が良く、里に下りて来れたから良かったものの。この話は父親にはしたけど、母親にはしなかった。理解できないもの。
大学時代、父親と万座温泉スキー場に行き、久しぶりに父の滑りを見て、ああ、俺は父親を超えたなと思った。子ども時代は父親がお手本だったから、それが逆転したショックと誇りかな。

優子と付き合い始めて、結婚前にニセコ東山スキー場へ行き、まだ下手くそな優子は一番下のファミリーゲレンデしか滑れない。亡くなる前には、一番上から滑れたのに。

優子と行く前に付き合った女性たちともスキーによく行ったよ。「私をスキーに連れてって」の時代だったからね。

別荘を草津に決めたのも、温泉とスキー場があったから。
子どもたちを背負子に背負ったり、紐をつけてボーゲンをさせたり。
保育園スキーの石打国際も楽しかった。
優子を失ったのもスキー場だった(万座温泉)。
そのシーズンはさすがにスキーには行けなかった。
翌シーズン、山岳部の連中と志賀熊の湯に行ったときには、怖かったよ。オレ、スキーに戻れるかなぁって。でも、ちゃんと戻ったし、以来、毎年山岳部OBで行っている。

父親との愛着のスタートがスキーだったんだ。
高校時代もその延長で山岳部に入り、
優子との付き合いも、子どもたちとの草津も、家族スキーだった。
そして、優子をスキーで失った。

両親も失い、empty nestを埋め合わせるのもスキーだった。
今シーズンは30日以上back countryに行ったもんね。
山にいると、スキーやってると、落ち着くんだ。本当の自分に戻れる気がする。
柔道でも、アメフトでも、テニスでもなかったんだ。
僕の人生は、山とスキーを軸に回っているんだよ。

これから、残りの人生どうなるんだろう?
また、新たなスキー人生が始まるんだろうか?
三浦雄一郎みたいに、じいさんいなってもスキーをやり続けるんだろうか?

Monday, May 7, 2018

守るものが無くなった今、、、

今までは、人生を変えられなかったんだ。
守るべきものがあった。
子どもたちと両親。それらを守るのが優先していた。

今は、守る人がいなくなっちゃった。empty nest。巣が空っぽになっちゃった。
自分のパートナーが欲しい。
今までは、寂しさが満たされる親密性は必要だったが、新しい生活は欲しくなかった。
新たな関係性に責任を持てなかった。だって、責任を果たすべき関係の維持に手一杯だったもの。

今は違う。
巣はいらなくなっちゃった。
守る人が欲しい。
責任を持ちたい。
新しい自分を得る得るために、今まで維持してきた枠組みを捨てられるんだ。
新しい巣と、生きがいを作るために?

Empty Nest Syndromeなのかなぁ

新幹線の隣の席には、若い母親が赤ちゃんを膝に抱き、子どもに離乳食を与えている。
車内は混んでいて、若いお父さんは離れた席に。
「席を代わりましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。」と若い女性はにこやかに応える。

「私の子供たちは24-22-19歳なんですよ。
あなたたちの赤ちゃんを見ていると、その頃の子どもたちのイメージと重なってくるんですよ。20年も前のことなのに、全然違和感なく、まるで昨日の出来事のように思い出しますよ。
その頃は、我々も若かったんだろうね。大変だったんだけど、一生懸命だったし。苦労はそんなに苦痛ではなかった。苦労もしたけど、楽しかったよ。充実してた。
子ども達のいのちに責任を持ち、てんやわんやしながら成長していく姿をまじかに見れば、親として、人として生きている大きな価値を授けてくれた。
今は、そんなこと考えている余裕もないだろうけど、この歳になって、子ども達が自分の手から離れると、あの頃は本当にリア充だったよ。若い頃、多くの異性・同性の友人・仲間に囲まれていることが本当のリア充じゃないんだ。夫婦で喧嘩して、仲良くして、双方の親と確執して、子ども達の教育方針で言い争っていた頃の方が、深いリア充だったよ。夫婦を手放すと、そのことがよくわかるんだ。
私はきっとempty nestなんだね。あなた達が赤ちゃんと頑張っている姿を見ていると、その頃の私と家族のことがフラッシュバックするんですよ。あの頃は、一生懸命、なんの自信も余裕もなかったけど、充実してた良い時代だったと。」

と言いたかったけど、実際に言えたのは、降りる間際の、
「頑張ってくださいね。」
の一言だけだった。

Tuesday, April 24, 2018

心配する人がいなくなっちゃった

良く考えたら、「ヒマになっちゃった」というより、心配する人がいなくなっちゃったんだ。

半年前までは両親のことを心配していた。
気にする・心配するパートナーだっていない。
子どもたちは(ほぼ)巣立って心配しなくていい。

心配する人が居るということは、自分が居なくちゃダメだということなんだ。
親のために自分が居なくちゃいけない。
子どものために、自分がいなくちゃいけない。
自分の存在の必然性が生じる。
そういう人との関連性の中に、自分の生きる意味(いきがい)が生まれる。

母は夫を見送り、子どもたちも孫も心配しなくて済んでるから、生きがいを失った。
そういう意味では、僕も生きがいの喪失?
子どもたちへの心配について言えば、喪失しつつあるのかもしれない。

心配する対象は家族だな。自分の親と、自分の子どもしかいない。
きょうだいはそこに含まれていない。別の愛着システムがあるから。もしなかったら、きょうだいも責任の範囲に含まれるのかもしれない。
クライエント・患者さんは、失礼ながら、僕の心配する人(愛着対象)ではない。
もちろん、プロとして心配するけど、たとえば患者さんがお亡くなりになっても、僕の人生は変わらない。
心配する僕の家族が亡くなったら、僕の人生は大きく変わる。
優子を亡くして、僕の人生はガラリと変わってしまった。10年ちかくになるのに、まだこんなことを言ってるからね。
そしてここにきて、両親と子どもたちがはずれて、またオレの人生は大きく変わるんだよ、きっと。

心配し過ぎてはいけない。
不肖の娘を心配する母親とのカウンセリング。
娘)私の面倒をみてくれなくていいから!
母)お母さんは何のためにいるの!?
娘)お母さんの存在理由を私にしないでくれる!
娘さん、よく言ったよね。
際限なく心配されたら迷惑なんだよ。自立できないし。
親は自分自身の生きる不安を愛着対象に投影しているに過ぎないんだ。

心配がなくなっちゃった。
ーーーすごく良いじゃん。楽しめるね!
しかし、
心配する人がいなくなっちゃった。
ーーーーと書けば、話はまた変わってくる。
要するに、対象喪失ね。それがイヤだから、母親はいつまでも娘に不安を投影して、心配しつづけるんだよ。
ちゃんと自分自身のことを心配しなさい!

ところが、
自分自身を心配しても、それが生きる根拠にはなり得ない。
自分の健康(メタボ)や、自分の仕事(収入)や、、、
そりゃあちゃんと心配しなくちゃダメだよ。
でもそれは自分が存在するための必要条件であって、自分の生きる価値は生み出さない。
自分がいなくなったらそれでおしまいだから、自分がいなくてはいけない根拠にはならないんだ。

対象喪失。
優子と親はとっと去って行ったから、どうすることもできない。
子どもたちは去ったような、まだ去らないような。
だから繋ぎ止めちゃうんだよ。
そこをしっかり整理して。
心配する対象としての子どもたちを喪失したことは、ちゃんと自分で受け入れなければならない。
そうやって、新たな愛着対象を見つける準備をするんだ。

Tuesday, April 17, 2018

ヒマになっちゃった

なんか時間が余っちゃうんだよね。
余裕が出来たといえば聞こえは良いが、人生もう終わっちゃったんじゃないかってね。

去年の今頃は、ばあちゃんの世話で大変だったよ。どんどん知性と生命力を失っていくばあちゃんを病院に連れて行って、ケアマネさんと相談して、デイケアから老健施設に入れて、毎日面会に行って、肺炎になって、大学病院に移して、そのまま見送ったのが半年前だった。

その前の年はじいちゃんだったよ。在宅ホスピスを整えてあげて、無事に天国に帰って行った。

去年までは、おちおち海外旅行もスキーも行けなかった。無理に行って家を空けたら誰かから文句が入っていた。優子が生きていたときは、いつも文句言われてた。

それが、今年はスキーに行き放題。だれも文句を言う人がいない。毎週末に行って、今シーズンは合計30日くらいになるだろう。そんなこと、僕の人生になかったよ。いつもそうしたかったけど、やっとそれが叶ったかって。この文章だって富山で書いている。明日は室堂に入り、立山BCだもんね!!

仕事だって全然忙しくない。
大学教授時代はとても忙しかった。
開業してからは自分のペースで、自分のやりたい仕事だけをやる。
べつに、事業を拡大したいなんて思ってはいない。

子どもたちも巣立っちゃった。
てか、まだ完全には巣立っていないけど、手間ヒマはかからない。息子二人は同居しているが、ちゅけはもう社会人。じんは毎晩、深夜までバイト。一緒に夕飯を食ことさえまれだし。息子たちとは気持ちさえ巣立って行った。
祐馬とが一番気持ちが繋がり、LINEでしょっちゅう連絡してくるけど、なんせ南半球にいるからねえ。

20数年前、子どもたちが生まれてからは、子育てに必死だったよ。ちゃんと子どもたちを育てる責任があるってね。優子がいる時は二人であーだこーだと喧嘩しながら。優子がいなくなってからはシングル・ファーザーとして責任重大だったよ。

優子と知り合い結婚するまでも必死だった。
優子以外にも何人かいたけどね。この人にしようかな、この人でいいのかなぁ。
パートナーをゲットするために必死だった。

勉強だって必死だったよ。中学・高校・大学、さらには大学院に留学。一生懸命勉強して、学歴つけて、良い仕事に就いて、、、まあ僕の場合、満足できる仕事に就けたから良かったけど、そこに至るまではやたら長かったなあ。アメリカから始まって、ロンドンまで行っちゃって。まあ、それも楽しかったけどね。必死だったよ。
いま、同じことを娘と姪がやっている。ふたりとも女子だな。

、、、てな人生を今までずっと送ってきた。
もの心ついた子ども時代から、つい半年前まで、一生懸命に生きてきたんだよ。

人にはやらなくちゃいけないことがある。
  1. 成長して、自立して、自分の力で生きていけること。そのための学校であり、しごとであり。
  2. 家族を作り、子どもを育て、自立させること。(このふたつができないのがひきこもりだからねえ。そりゃあ本人にとっても、家族にとっても深刻だよ)
  3. 弱っていく親を見守り、無事に人生を終えること。無から有を作るのが子育て(up bringing)だとすれば、有から無へ還元するのが親の見送り(down bringing)っていうのかね。これはアジアの家族主義に規定された責任なんだ。欧米では家族ではなく社会がその責任を果たすことになっている。
と考えると、これ全部済ませちゃったんだ。
  1. 仕事も安定しちゃってるからねぇ。開業の営業戦略的にはもっと宣伝して、本を書いて、顧客を増やして、収入を増やして、ということもありうるけど、別に必死にやらなくても良いでしょ。そんなにお金持ちになりたいとは思わないし、子どもの教育費を終えればそんなに金を使うこともない。豪華客船で世界一周しなくたって、海外にはしょっちゅう行っているし。トランプのフロリダ別荘みたいじゃないけど、草津には小さなのがあるし、十分でしょ。
  2. 子どもたち三人とも、もう成長の仕上げ段階。親として心配したり手をかけたりしたら、彼らの自立力を妨げてしまうからやることないんだ。多少の金と安心だけを用意しておけば良い。多少の責任は残っているけど、たいした責任じゃない。
  3. これがこの2年間で一気に済ませたのが大きいね。両親を喪失した悲しみはない。むしろ無事に終えた安堵感が大きい。
もちろん、まだやりたいこと、やりがいがあることはたくさんあるよ。
スキーだって自転車だって、熱中しているとすごい快感が襲ってくる。脳内エンドルフィンが出ているのかね。
子どもたちの成長する姿を見るのは楽しい(うまくいっていればの話だけど)。孫の顔を見れるかな?

家族以外の、社会の人々にも貢献できるよ。(1)と(2)が達成できず「不幸」な人は世の中にいっぱいいる。ぼくはそういう人たちの力になれる。技を持っている。人の幸せは自分の幸せになる。他者を少しでも幸せに近づけることが、僕自身の幸せに繋がる。
これからも僕が活躍するスペースはたくさんあるんだ。開業して、自分の根城を作っちゃったからね。定年もなく、体力と気力が続く限り人のために存在できるよ。

自分一人だけで、「幸せ」というのはありえない。美味しいものを食べれば幸せだけど、人と食べた方がもっと幸せだ。関係性の中で幸せは(不幸も)生まれる。

だから、まだやることはいっぱいある。生きがいはたくさん作れるんだ。生き続ける意味は十分にある。でも、それはオプションなんだ。それをしなければならない「責任」はない。(1), (2), (3)は僕の責任だった。家族を作った以上は。

これからは自由になる。
やらなくたって許される。やればもっと喜ばれるし、僕自身もうれしい。それは必要条件ではなく、十分条件なんだ。
だから、今までみたいに必死こいてやらなくてもいい。焦らなくても、ゆっくりやればいいんだ。

あっ、いけね。。。。もうひとつ大切なことを忘れていた、、、

Wednesday, January 3, 2018

9年目

じん、お墓参りに行ってくれてありがとう。
パパは9年経っても、ぜんぜん変わってないよ。また、スキー場に来ている。
元日に札幌に飛行機で来て、2日はちゅけと氏家さんと一緒にニセコまでバスでやってきて。
氏家さんは仕事があるから日帰りで。
ちゅけも修論の追い込みだから一泊だけして、もう帰って。
明日から3日間は一人残ってバックカントリーだよ。
結局、残っているのは僕だけなんだ。
祐馬はオーストラリア、ちゅけとパパは北海道。あちこちから、ママを悼もう!
結局、東京にいるのはじんだけだし。
じんが自分から俺お墓参りに行くと言ったのは嬉しかったぞ。バイクで行ったんだろ?高速じゃなくて下の道を通って。行った証拠に写真も送ってくれたから、パパは安心だ。

優子を失い、両親も失って、愛着対象の重要性に気づいたよ。
空気のような存在だから、それがある時は、その存在の重要性に気づかない。
ちゅけが札幌を、祐馬がオーストラリアを選んだのも、氏家夫妻とRichardson夫妻という安全基地があったからなのだ。
二組とも子どもたちが生まれるずっと前から優子と僕が親しかったことを、子どもたちは良く知っている。
優子がいなくなっても、子どもたちの基地は失われなかった。
そのこと自体が僕の安心でもある。

子どもたちは良く自立してくれたよ。
北海道とオーストラリアと東京で、三者三様に頑張っている。
自立出来ないとどうなるか、仕事柄良く知ってるから。

もう優子のことをどうこう言う必要はない。
要は、残された僕らがどう生きるかということなんだ。