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Saturday, August 29, 2009

JASCのリユニオン

 第36回JASC(日米学生会議)の仲間がリユニオン(同窓会)を開いてくれた。
25年前、日米合わせて50名ほどの学生たちと夏の4週間アメリカを旅し、優子と出会った(詳細は1月28日参照)。だから、みんな優子と僕の共通の友人なんだ。亡くなった直後も真っ先に連絡して、お葬式に駆けつけてくれた。
 でも、それ以降、それぞれの道を進み、個別に会うことはあっても、みんなに知らせ、まとまった同窓会はやらなかった。お葬式の後、テッドが、
「僕が落ち着いたら、『Tikiを励ます会』をやろう!いつ頃がいい?」
と言ってくれて、夏か秋ごろとお願いしたんだ。春くらいまではまわりの人が関わってくれ、それがひと段落して、またさびしくなるのがその頃だろうと予想していた。
でも、その予想は当たらなかった。秋になっても、僕もまわりも相変わらずで、ひと段落していない。まわりの人は僕と優子を忘れることなく関わり続けていてくれるし、僕の心の寂しさは上がったり下がったりすることなく一定をキープしたままだ。この8ヶ月間、時間が経過した感覚はない。
みんなに声をかけてくれて、9名の旧友たちが集まり、もう10名の仲間が近況を知らせてくれた。みんな、25年前の自分にタイムスリップし、持ち寄った当時の写真を見ながら思い出話に花が咲いた。
歳とともに昔の記憶は断片化し、よく覚えている自分の持ちネタを何度も披露することになる。僕の持ちネタは、同じ分科会だったナオミちゃんをダシにつかって、優子をドライブに連れて行った話や、優子と一時期付き合っていたヒロシからの手紙を優子が保存していた話とか。両名とも来ていてね。大学生だったナオミとヒロシも今は大学教授と高級官僚。でも、そんなことは関係なく、ニックネームで呼び合う仲は懐かしさに満ちていた。
 ふだんは別々の人生を歩でいても、心のどこかで繋がっている。ブログにも来てくれて、応援してくれている。何もしてくれなくていい、思っていてくれること自体が、悼んでくれること。とても救われる。
次は、いつ集まれるのだろう?
 お葬式で会うのなら、集まらなくていい。

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この記事を書くのにずいぶん時間がかかったよ。
一週間後の金曜の晩に書いている。ブログ記事の日付は変更できるんだ。
JASCの話だから、絶対に書いておきたい。
と思っても、文章が出てこないんだ。
リユニオンは楽しかった。満ち足りていると、それで完結してしまって、書く動機が湧いてこない。書くためには、書く必然性=書かずにはいられない気持ちが必要みたい。

Wednesday, August 26, 2009

クラシック・コンサート


 毎年、お盆を過ぎると草津夏期国際音楽フェスティヴァルが始まる。草津の中心街から離れ、山に向かう森の中に、しゃれたクラシック音楽専用のホールがある。有名観光地の旅館組合から強力な経済支援があるのでしょう、かなり立派だし、毎年、ドイツあたりから(よく知らないけど)一流の音楽家たちがたくさん招かれ、群馬交響楽団のメンバーも加わる。皇后陛下のピアノの先生だった遠山慶子も出演するので、天皇夫妻も時々お忍びでやってくる。
 僕らも、スケジュールさえ合えば、毎年少なくとも1回は見に来ていた。森の自然に囲まれた静かなホール。優子と早めにやってきて、開演前のひと時をホワイエに面した芝生の庭でコーヒーかワインを楽しんだりしていた。お盆が過ぎれば草津はすっかり秋の風になる。
 優子はクラシック・ファンだった。高校では古典ギター部、その後もずっとフルートを習っていた。僕はクラシック・ファンではない。気軽なポピュラーやジャズの方が性に合っている。と言いつつ、子どもの頃はピアノを習ったり、中学・高校ではブラスバンドでトランペットを吹いたり、結構、音楽系だ。若い頃は、よく優子と音楽を楽しんだものだ。結婚した前後にはN響の定期公演のメンバーになったりもしていた。
 特にロンドン時代はよくコンサートに出掛けた。ロイヤル・オペラハウス(コヴェント・ガーデン)、ロイヤル・フェスティヴァルホール、バービカン劇場、ウィグモア・ホール、ロイヤル・アルバート・ホール(夏のプロムナード・コンサート)などなど。日本では、たまに来日したときに、高いお金を出して聴くような演奏が、ごく身近で気軽に聴けた。どんな演目か、誰が演奏したかは小澤征爾が来たことくらいしか覚えていない。僕はもともとクラシック演奏家の名前なんて知りませんので。優子はよく知ってたけど。
 日本に戻ってからはそれほど行く機会も時間もなく音楽鑑賞から遠のいていた頃、草津でも結構良い演目をやってるじゃん!ということで、優子はファンクラブ(友の会)に入った。脱会する手続きを忘れていたので、夏前に優待券が1枚送られていた。どうしよう?あえて一人で行くほどのこともないし、優子を思い出す場所にひとりでなんか行きたくないし....今年の優待券は無駄にして、退会の手続きをしようと思っていた。
 でも、間際になり、ちょっと待てよ。ゼミ合宿で静かな草津にまた来るんだ。昨年は学生たちと鑑賞したけど、そうそう彼女たちに付き合わせるのも悪いし。結局、学生ゼミを早く終え、ひとりでやってきた。
 ひとりでコンサートに来るなんて、高校生の頃以来だ。当時は吉田拓郎、泉谷しげる、Cat Stevensなど、純粋に音楽を楽しむために、ひとりでよくコンサートに行ったものだ。その後のクラシック・コンサートは、考えてみればひとりで行ったことはない。必ず誰かと一緒だったと思う。優子以外の人と行ったこともあったかなあ?昨年の暮れには初めて子どもたちを連れて、第九を聴きに上野まで行ったのが、優子とは最後だったね。
 夏の草津。ひとりのコンサートも悪くなかったよ。メンデルスゾーンの真夏の夜の夢。初めて聴くメロディーだときついので、あらかじめCDをiPodに入れて少し予習をしておいた。なんだ、結婚行進曲じゃん!大編成のオーケストラではなく、10名程度のアンサンブル。迫力ではなく、純粋に音を楽しむという感じ。

純粋な孤独と静謐

優子の面影と重なるフルートの音色の奥に、静謐が聴こえてくる。

結局、友の会は脱会せず、名義を優子から僕に変更した。

Tuesday, August 25, 2009

静かな草津

今日から、また草津に来ている。
2週間前、家族と仲間で過ごした草津がだとすれば、
今回の草津は、
二泊三日の研究室ゼミ合宿。学生たちは群馬大の草津セミナーハウスに泊まり、僕はひとり、家から通ってくる。昼の活動を終えれば、夕食以降は学生たちと離れ、完全にひとりになる。そんな時間、普段の生活の中でめったにないもんなあ。

それはおそらく純粋な孤独と静謐だ。(村上春樹『1Q84』第18章)

村上の作品には、よく孤独が出てくる。
「海辺のカフカ」でも、田村カフカ君は、3日間、山の家で完全な孤独を味わう。

これから、僕が直面するのはこれかもしれない。
優子を失ったことで、悲しみは十分味わった。
優子がいた状況から、いなくなった状況への変化が悲しみとなる。
気持ちの中ではまだ生存している優子が、現実には消失してしまったという落差。
この次のステップ、つまり、優子の存在の消失を僕の気持ちが請け負う事が出来たら、次にでてくるのは、実存的な孤独だ。
生存的な孤独でない。優子がいなくたって、十分に生きていくことはできる。
衣食住は満たされ、愛する子どもたちも、老親も二人ともいる。支えてくれる仲間たちもいる。
やりがいのある仕事も、社会に認められるポジションも持っている。
まっとうに生きて行くことに、なんら支障はない。

でも、実存的にはどうしようもなく孤独だ。
ジャガイモか、ゴルフコースのグリーンをイメージする。
じゃがいもの芽を取り除くために、あるいは、旗ざおを立てるために、道具でグリグリと穴(ホール)を開ける。すると、それまで何もない平らな面に、とつぜん、ぽっかり穴が開く。
穴が開いて初めて気がつく。それまで、自分の一部だと思っていたものが、実は、優子とか、子どもとか、家族とか、他の人が境い目なく詰まっていたのだって。

生きがいって、結局のところ、人との関わりの中から生まれる。
家族でも、友人でも、神でもいい。有意なる他者に照射されることで、自己の存在が意味を持つ。有意なる他者を失うと、自己の存在、生きる根拠も失う。

「だから、孤独は、精神健康に有害ですよ。うつや自殺につながります。
孤独は避けましょう。共感し、寄り添いましょう。」

僕自身、孤独になることを恐れてきた。
というか、今まで、僕のグリーンに穴があくことはなかった。
いつも、有意な人で満たされ、安心感に満ちていた。
優子を失ったのは、生まれて初めての大きな喪失体験。
それを、この半年間経験してきて、喪失しても、生きていけることを初めて体験した。
辛い。でも、その辛さと共に生きながらえることも可能なようだ。

僕は、完全な孤独ではない。
優子というどでかい穴が空いたことで、表面がスムーズなグリーンの他の部分の下には、自己の存在を照射できるたくさんの人が隠れていることに気づいた。子どもも、親も、仲間もいる。その存在を自分のグリーンの中に埋め込んで、自分というグリーン(存在)がなりたっているんだ。優子が抜けた穴はでかい。でも、それがすべてではない。穴が開いたら危険だ。わらでも泥でもなんでもいいから、すぐに埋めないと、グリーン全体が崩壊してしまう、と思っていたけど、そうでもなさそうだ。穴は穴としてぽっかり開いたままのグリーンがあってもいいのかもしれない。攻めるのに相当難しいグリーンにはなるけど。でも、まっ平らのグリーンというのもつまらないでしょう。アンギュレートしているグリーンのほうが妙味があって面白いじゃない。ちょっと危ういけど。

Friday, August 21, 2009

夏休みの想いで

何ヶ月ぶりでしょう。みなさんきっと忘れてる。祐馬だっ。
さて、夏休みもあとわずか・・・というのに私は明日から3日間プールの合宿が・・・。
という事で、少し夏休みの想いでに浸りたいと思います。

今夏の私の中で最大なイベントとはやはり、ap bank fesでしょう。
ここでBank Bandとmr.childrenのセットリストをお教えしたいと思います。

Bank Band
第一部
・糸
・明日のために靴を磨こう
・煙突のある街
第二部
・スローバラード
・ステップ!
・奏逢~Bank Bandのテーマ~
・慕情

Mr.Children
・Simple
・靴ひも
・箒星
・エソラ
・彩り
・タダダキアッテ
・overture
・蘇生
・and I love you
・終わりなき旅
・僕らの音
 アンコール
・to U

です。たくさん!!でも早かったねぇ・・・。
糸 はとっても良いうたですよね。感動しちゃう!!
今月の28日!祐馬が一番楽しみにしてるコト!
池上本門寺のコンサート。salyuがすっごい楽しみ。違う日にちだけど、ハミングキッチンのイシイモモコさんが出るというのにも注目・・・!
そうそう、Tikiさんが急遽、行けなくなったので、1名様募集しております。edohiさんご一家も行きたい方がいたらどうぞ。
年末にもミスチルのDOMETOURあるし。行きたいなぁ。北海道。

草津もみんな、ありがとう!沢山来てくれて。バドミントンはあれからハマってしまって、のんちゃんとクラブに入ろうかという話も・・・。
ハイキング、来年はKaiも。えっちゃんも。ちょっとハードでいいからさぁ。
そうそう、Kaiといえばこの間、ケージの2ミリあるかないかという幅に自分のちんちんを挟むというおバカな事件をおかしたんですが、お陰様ですくすくと育っています。
お散歩もあと少しで出来るので、今度はkaiも連れて田園調布の緑の中でお散歩したいなぁ、という想いが日に日に強くなっております。今度行こう・・・!
では、今日はここらへんで明日から頑張ってきます・・・。

お墓参り

明日(22日土曜日)の午後、子どもたちと優子のお墓参りに行きます。

Wednesday, August 19, 2009

親の余裕

午前中、仕事をサボり、子どもたち3人と、秋葉原のヨドバシカメラにPCを買いに行った。
近くのイトーヨーカドーへは子どもたちと一緒によく買い物に出かけるが、子どもたち3人そろってのよそ行きのお出かけは先月のハリーポッター以来だろう。祐馬とじんとはともかく、班活で忙しく、親から離れかけているちゅけとの接点はわずかだ。
3年前、初めて子どもがPCを持ったのは、サンタさんから与えられた。それがもう古くなり、今回は、子どもたちにも大型店の様子も見せるために、一緒に出かけることにした。僕自身も、子どもたちの衣料品や祐馬の友だちの誕生日プレゼントの買い物に付き合うことよりは興味が持てる。当初は、ノートPCにするつもりだったけど、多種な品ぞろえを見比べ、結局デスクトップにした。アジア製の基本的なやつで6万円。インターネットとiTunesしか使わない子どもたちにとっては十分な性能だ。

子どもたちとの触れ合い
親が余裕を持つことができれば、うまく接することができる。
子どもの話や言い分をゆっくり聴いて、冗談を言いながら受け答えてる。
多少のワガママは受け入れ、限度を超えれば、きちんとダメと伝える。
わいわい、すったもんだしても、結果的に、親も子も楽しい時を過ごせるか!?

親に余裕がなければ、
子どものちょっとした言動にイライラして、必要以上にきつく当たってしまう。
親であることに自信をなくし、こんな親、子どもは好いてくれないだろうと、変に子どもに迎合したり、甘くなってしまったり。

あーだ、こーだの要求。ひとりでも大変なのに、3人いれば必ず意見が分かれる。
ちゅけはノートPCで、祐馬はデスクトップがいいと言い張る。よく見比べさせて、結局画面が大きく、マウスが使えるデスクトップにした。
ちょっと早めの昼食を、ヨドバシ8階のレストラン街でとる。意外と多くの店舗が並んでいる。
祐馬とちゅけはお好み焼き、じんは回転寿司が食べたい。
3人でじゃんけんさせて回転寿司へ。じんは、まぐろばかりを5皿食べた。

親の余裕って何だろう?
○PCを買える経済的な余裕。
○一緒に買い物に行く時間の余裕。
★親自身の気持ちの余裕。

親に余裕がないと、自分の生活のメンテナンスで精いっぱい。
子どもに向き合う余裕なんかなくなってしまう。

今まで、こんなこと、考えたことなかった。
余裕があるときは、余裕があるかないかなんて考えない。
意図することなく、ごく自然に与えられているものだから。
今回、★のcapacityが激減した。今、どうにか、それを維持するのに精いっぱい工夫している。
「親がひとりでも、ちゃんと子育てはできます。」
なんて、講演ではいつも言ってくるくせに、いざ自分がその立場になったら不安が高まる。
他の余裕のキャパは今までと変わらないのに。
ひとつでも減ると、とたんにバランスを維持することがデリケートな問題として浮上してくる。

Monday, August 17, 2009

夏の終わり

優子がいない初めての夏も終わりに近づいている。

昨日、草津から東京に戻り、今日から仕事に復帰した。
いつもどおり、朝にはちゅけと自分の弁当を作る。
今年は、いつもより多めに草津特製ベーコンを作った。
1/3は草津滞在中に消費し、1/3はお世話になった人たちに宅配した。残り1/3は冷凍して持って帰り、弁当と普段用の食材に活用する。さっそく、カリカリに焼いて油を出したベーコンに輪切りのナスを加えた炒め物。これにズッキーニも入れるともっと美味しいんだけど。明日はジャーマン・ポテトにしようかな。本物のベーコンはとても香ばしく、塩コショウは不要だ。

いつもどおり、チャリで職場へ向かう。相変わらずセミの声は高いが、快晴の太陽は8月前半ほどの力はなく、ギラギラは弱まってきている。風を切る空気には何となく涼しさも漂う。今週の仕事は、まだフル稼働ではない。身体は仕事に戻っても、気持ちは楽しかった休暇を反芻している。
夏が終われば、新しい秋が来るのはわかっていても、子どもたちと仲間たちと過ごした夏と別れるのは淋しい。

この10年間、草津の夏は家族で楽しんできた。
今回、優子とちゅけのいない、3人だけの草津なんて、あまりに淋しい。
と思い、たくさんの人に来てもらった。
祐馬の友だちを中心にその親たち。それに妹家族。
おかげで、いつも以上ににぎやかでactive & sportiveな夏を過ごせた。

でも、いつものワイワイだけではない。その対極も僕には必要だった。
Be in touch with MYSELF.
自分自身と向き合いたかった。
村上春樹とMourning Workの本。
仕事で忙しい普段は、読書の時間がなかなか取れない。
じっくり、味わいながら読むことができた。

草津で作ったベーコンは、いつも3人の人たちに送っている。
ひとりは、高校の山岳部顧問だった斉藤先生。結婚前に優子を紹介し、結婚式にも来てくれた恩師。退職後、信州の信濃境、甲斐駒と八ヶ岳が見える家に引っ越してからは、家族やOB仲間と訪ね、よく飲み明かした。

もうひとりは、大学の先輩格の元教授。僕が就職する際に引っ張ってくれた人。ちゅけが生まれて生後一カ月、一番初めに優子と一緒に外出したのが、この先生のところだった。ゴルフを始めるきっかけを作ってくれた。

あとのひとりが、北海道で開業する小児神経科医。ロンドン留学を始めた時に出会い、右も左もわからない僕を家に招いてくれて、お世話になった。2-3ヶ月後、先に帰国したので、ロンドンでご一緒した期間はごく短いのだけど、その後も、スキーに出かけたり、学会で講演を依頼されたり。また、妻同士も仲良くして、家族ぐるみの付き合いが続いている。

なぜ、この3人なんだろう?
他にも、お世話になっている人はたくさんいるはずなのに。
僕にとって、この3人は特別なのかもしれない。
共通点を挙げれば、
・自分にとって先輩格と勝手に思っている。まだ若く未熟だった頃、いろんな意味で導いてくれた。
・それでいて、僕の身近にいて、親しめる人。固苦しいところが少ない。登山・ゴルフ・スキー・テニス。僕の好きな運動系の趣味で繋がっている。
・優子のことをよく知っている。夫婦・家族単位で付き合ってきた。

普段、頻繁に交流しているわけじゃないのだけど、なぜか時々、便りをしたくなる。
今回は、モンブランを使って、手書きの手紙を添えた。

Saturday, August 15, 2009

白根火山と芳ケ平湿原


草津滞在も残すところあと1日、みんなで登山ハイキングを楽しんだ。

前日、炊き出したおにぎりと麦茶ペットボトルをナップサックに詰め、子どもたち7人と、その保護者たち5名が、まず標高2161m、白根山の湯釜に向かった。魚も住めない超酸性の火口湖を遠くから眺めた後、下り道の途中、観光ルートから外れた静かな場所を選んだ。上州の山々を見降ろす大パノラマ。眼下には万座プリンスホテルが見える。

みんな、あそこに白い大きなホテルが見えるでしょ。あの一帯が万座温泉スキー場。ママちゃんは、寒い冬にあそこで亡くなったんだよ。

ピラミッド優子を作るときに細かく砕いた優子の一部を小瓶に詰めて持ってきた。
さあ、みんなでママちゃんを、この広い空に放してあげよう。

祐馬は半分イヤな顔。
えー、パパまたそれやるわけ!まったくー。
どうぜ、また泣くんでしょ。

泣かないから大丈夫だよ。

祐馬とじん、それに見守ってくれる仲間たちに手には少量の優子の遺灰を置く。
祐馬はブツブツ言いながらも、ママを手のひらに載せてくれた。
さあ、いち、にの、さん!

空高く、優子が舞い上がった。
さあ、これでママちゃんは、いつもお空を自由に飛び回ってるからね。

その後は、ハイヒールとサンダル履きの観光客たちが群がるレストハウスを離れ、芳ヶ平湿原へ小一時間の静かなハイキング。草木も生えない硫黄臭が漂う白根火山の山裾を抜けると、草津と白根の山々に囲まれ広大な湿原が広がる。緑と水が豊かな湿原には尾瀬ケ原のような木道が整備され、子どもたちは先に走っていく。点在する池糖のほとりの木のベンチでお弁当を広げる。カルガモの親と赤ちゃんがどこからともなく現れ、我々を歓迎してくれた。

Tuesday, August 11, 2009

子どもたちとの時間


インターネットに繋がらない!
草津のお家から、以前は電話アナログ回線でつなげていたけど、今は遅すぎるし。
春までよく利用していた無線LANが牽いてある湯畑のカフェは今回行ってみるとつぶれてるし。
ネット回線がなくても、ケイタイ電話から最小限、メールのチェックはできる。この時期、どこも夏休み体制だから、すぐに返事しなければならない連絡はそれほど入ってこない。
ネット依存症から離脱するいいチャンスなんだけど、一番困るのは、このブログ。アップできないんんだ。しかたなく、PCに書き込んでおいて、東京に帰ってからアップするけど、なんとなく気持ち悪い。自分から出したものは、ちゃんとしかるべきところに処理しておかないと。病院で、とりあえず尿瓶にし尿をためておくような気持ち悪さだ。

で、
Be in touch with children.
祐馬とじんと、たっぷり時を過ごしている。
少したっぷり過ぎるというか、祐馬の友だち3人もずっと一緒で、大人は僕ひとり。日曜日から明日までの4日間、子どもたちとの蜜月の時間。温泉に行っても、
「大人ひとり、子ども5人お願いします!」なんか、小学校の先生になった気分。
でも、それなりに楽しい。祐馬は、家族だけの甘える顔と、友だちの前の社交的な顔が半分はんぶん。パパに対峙するプンプン反抗モードが緩和され、それなりの距離感をキープできる。
中1たちは、大人として扱うには幼すぎて、子どもとして扱うには大人すぎる。放っておけば、おしゃべりとゲームボーイに熱中して何もやらないけど、こちらから言うことはちゃんと聞く。「祐馬のパパの言うことはちゃんと聞くのよ!」という親の声が聞こえそうだ。昨日は、子どもたちだけでカレーライスと野菜サラダを作った。今朝は、お家の床をみんなで雑巾がけ。
今も、ベランダのテーブルで、夏休みの宿題を広げながら、勉強してるんだか、おしゃべりを楽しんでいるんだか,,,,
でも、昨年までのような
「ねえ、テルメテルメ行こうよう!」
「わたなべ牧場、行こうよう!」
といったおねだりは影を潜めただけ成長したんだ。
一方のじんは男ひとりでヒマそう!
「ねえ、パパ!テニスやろうよ!」
と言ってきているから、もうそろそろやってやろうかな。
子どもたちとゆったり過ごす夏休みのひと時。
ブログなんか書いているより、大切だよな!

「ちゅけ、元気にしているか?
草津は涼しいよ。朝はTシャツの上にトレーナーか何かを羽織らなくちゃ寒いくらいだよ。
祐馬やじん、そして祐馬の友だちと一緒に、テルメテルメやわたなべ牧場、テニスに温泉、いつもの夏と変わらない生活だよ。今日からはみんな来てBBQやハイキングでにぎやかになると思う。
ちゅけは、班活がんばっているね。パパも高校時代、山岳部での仲間たちとの絆や、限界を超える体力など、その後の人生で役立つ貴重な経験をしたよ。ちゅけも、無理することはないけど、自分がやりたいだけがんばってごらん。
今回は、ちゅけが草津に来れなくてとても残念だけど、また来れるときが来るよ。」

Friday, August 7, 2009

ふるさと

The first day of my L・O・N・G V・A・C・A・T・I・O・N

今年は、10日間確保できた。
研究室の秘書が「先生、このところ若ナビで忙しかったから、ゆっくり休んでください!」
ありがとう!そう。この春、ひとつ新たなプロジェクトを立ち上げたんだよね。みんなの力を合わせて。だから、今はのんびり身体と心を休めてもいいんだ!羽根尾ではねをのばそう!

I want/need to relax and be in touch with myself.
初日は、野尻湖に子どもたちと行き、西魔女に会ってきた。午前中は僕も一緒にカヌー遊び。インストラクターに教えてもらい、湖の風と水が気持よかった。
午後も子どもたちはカヌーを続け、僕は西魔女の家へ。彼女は親の代から日本に居るんだ。父親が60年前に建てた湖畔の家が彼女のsummer house。彼女にとって、ここはふるさとなんだ。

Be in touch with the Mother Nature.
長野は僕にとってもふるさとだ。高校時代の山岳部。たった3年間だけど南・北アルプス、八ヶ岳、奥秩父あたり、新宿23:55発の夜行列車でずいぶん来たもんだ。立山から槍ヶ岳至る裏銀座、扇沢から白馬岳への後立山連峰、北八ヶ岳から赤岳へ、甲斐駒・仙丈・北岳、、、どれも懐かしい夏の勇壮な稜線の縦走。野尻湖にも30年前、父の外国からの友人を訪ねて、湖畔をチャリで一周した(そういえば、昔からチャリやってたんだ)。だから、普段の東京真ん中ではなく、敢えてここで会うのは、彼女にとっても、僕にとっても懐かしいhomecoming。

Be in touch with my ふるさと。
群馬も僕のふるさと。生まれ育った東京も好きだけど、本当に好きなのは山の中かも。群馬の山奥、平家の落ち武者部落(観光ブームの今は、常に全国温泉ランキングの上位にいる温泉宿場)に父親は生まれ、子ども時代は家族でよく行ったもんだ。先祖代々のお墓があるんだよな。そこから山一つ隔てた草津を10年前に買った。優子と僕にとってのくつろぎの場。子どもたちにとってのふるさとになった。

Be in touch with my children.
じんが起きてきて、僕の前に座っている。
「夏休みの自由研究どうしようかなあ・・・」
「そうだね、お家のまわりに、たくさん素材があるよ!」
「弓矢みたいなの、作ろうかなあ・・・」
さっそく、のこぎりとナイフで木材を切っている。
ふだんの生活では子どもたちと一緒に居たくても、こま切れの短い時間しか確保できない。今日から10日間、ずっと祐馬じんと一緒に居れる。
「毎日、午前中は静かに勉強しようね。夏休みの宿題、済ませちゃいなさい。パパもひとりでやりたいことがあるから。そして、午後は一緒に思いっきり楽しもう。」
でも、ちゅけは夏休みも毎日班活があるから、草津に来れない。
「ああ、僕も草津に行きたいなあ!」
そう、去年の夏は、パパとふたりでたくさんテニスしたよね。まだ、僕の方が強かった。来年あたりはちゅけの方が強くなるかなと思ってたけど、ちゅけは高校に入り、バレー部に転向し、家族より班活の仲間を選んだ。僕もそうだったもんなあ。高校では夏合宿山行でふるさとには帰れなかったよ。
ふるさとは、子ども時代の10年間にできあがる。

Be in touch with my friends.
祐馬は文鳥2羽とカイくんを連れてきた。
ママはいないけど、カイがいるからね、さみしくないよ。それに、友だちもたくさん来てくれる。一緒にBBQやって、ハイキングしよう!
MONTBLANCの万年筆と便箋を持ってきた。このペンを握ると、中学時代の親友の中にいる優子と、アメリカでhome stayしていた高校時代の僕に出会える。電子メールではなく、このペンを使って手紙を書こう。優子を亡くした1ヵ月間、たくさんの人からメールや手紙のメッセージをもらった。まだ、何人かの人には返事しきれていないんだ。僕の教え子もそのひとり。彼女自身、流産で子どもを失ったことも書いてきてくれた。ゆっくり返事を書こう。

Be in touch with my sadness.
1月3日、優子はここから30分のスキー場に出かけたまま帰らず天に昇っちゃった。この空に漂っているんだよな。
夏の草津音楽フェスティバルにもよく行ったよね。BBQが焼きあがる間、優子はよくこの家でフルートを吹いていた。その音色も天に吸い込まれたまま戻ってくることはない。優子を失い、子どもたちも遠からず家から巣立ってゆく。この家も使わなくなるな。そうなったら売却しよう、、、と考えていたのだけど、西魔女と話して考えが変ったよ。子どもたにとって、ここはふるさとなんだ。子どもたちは、成長した後もどって来れるように残してあげないと。この場所に優子の灰を鎮めよう。

Thursday, August 6, 2009

Homecoming

朝、目が覚めると優子が台所に戻っていた。
「あれっ、朝食は祐馬とふたりと思って、炊飯器のタイマーセットしなかったんだけど...」
嬉しさのあまり、優子を抱きしめながら思いっきり泣いた。
「ああ、やっと帰ってきたんだ。これで、やっと現状復帰できる。
いままで辛かったんだよ...」
優子は、「わかった、わかったから...」とニヤニヤしているだけ。

その直後に目を覚ました。
同じシチュエーションのままで、こんどは悲しみの涙を思いっきり流した。

なんか、最近、同じパターンの夢ばかり見てるんだよな。もうそんな時期は終わったはずだったんだけど。

夏休み、お盆、帰省、ふるさと...
やっぱり、夏はhomecomingの季節なんだ。
お盆に魂が戻ってくる意味がやっとわかったよ。

昨晩、NHKの歌謡番組「ああ故郷」で流れていた五木ひろし。思いっきりド演歌だけど。
特に、見ていたわけじゃない。食事中にBGMとして耳にしていただけなのに、どうやらそのノスタルジーが影響してたのかな。

今晩から草津だ!

Sunday, August 2, 2009

モンブランの万年筆

東さんが、また優子のことを載せてくれた(モエ8月号)。
そういえば、僕もモンブランの万年筆を持っていたんだ。高校交換留学のお祝いに、当時親しくしていた知人が贈ってれた。その人もとっくに亡くなっているけど。1975.7.16.アメリカ出発の日付と僕の名前を入れて。僕の人生は、ここからスタートした。留学中は、これを使って日記を書いていた。始めは日本語で、途中から英語に変わっちゃった。
帰国してからは、使うこともなくなり、34年間ずっと机の引き出しの底に眠っていた。
そういえば、ボールペンもあったよな。入学祝いか、就職祝いか、誰からもらったのか、自分で買ったのかも忘れてしまった。

そうだ、このペンを生き返らせよう。優子は生き返ららないけど、ペンならできる。
さっそく、銀座のモンブラン・ブティックでオーバーホールして、ペン先も取り換えてもらった。ついでに、ペンケースも買った。自分へのプレゼント。
でも、普段、ペンを使うことはほとんどないんだよな。東直子さんはこのペンで手紙を書いて、雑誌を送ってくれたけど、僕は手紙はほとんどe-メールだし、せいぜい打ち出した原稿を推敲する時と、ブログネタを思いついた時、ノートに書き留める時に使うくらいだ。ちなみに、このネタもPCに向かう前にペンで下書きしている。今、日曜日の午前中。今日は、これからゴルフの練習に行くぐらいで他には予定を入れていない。モンブランは本体が太いから好きだ。いいよね、こうやってお気に入りの筆をすらすら動かすのも気持ちがゆったりとしてくる。
お礼状もこのペンで書いてみようかな。その場合は、ますPCで下書きをして、漢字を確認してからでないと(笑)。
あとは、診察の時のカルテはペンだな。これから、使う頻度が増えるかもしれないぞ。

夏の草津

僕らの家族にとって、草津のお家で過ごす時間はとても大切だ。
普段、忙しくバラバラでも、草津ではみんなが一緒に過ごす。
冬の草津はスキーの基地。
草津国際、万座温泉、パルコール嬬恋などのスキー場に出かけた。お家の周りは寒すぎて、せいぜい雪が積もった時にそり遊びをするくらい。

夏の草津がハイライト。
僕の夏は、仕事が割と自由になるから長く滞在したいけど、優子は通訳の仕事を始めてから何かと忙しく、そう長くは居れなかった。じじばばや親せき家族、友だち家族を呼んで、楽しく、にぎやかに。
だいたい、いつもやることは決まっている。
お庭でバーベキューとハンモック。テニスをしたり、近くの渡辺牧場と手打ちの十割そばに出かけたり。
日に一度は草津の町へ出かけて温泉巡り。大滝の湯、ベルツ温泉センター、あるいは白旗の湯、地蔵の湯などの共同浴場へ。子どもたちはプールが大好きで、テルメテルメか町営プール。スーパーもくべえで食材を、ちちやで温泉まんじゅうを買ってお家に戻る。いつも、この繰り返し。
家ではネットも繋がらないし、ゆっくりと家族の時間が流れる。

この夏は、今週末から行くからなあ。そろそろ、ベーコンづくりの下ごしらえで、バラ肉の塊を買ってきて塩漬けにしなくちゃ。なんてことを考えながら寝たから、優子が甦ったよ。

あれは、どこだったんだろう。草津かどうかはわからない。ごく普通に僕のそばに優子がいて、ホッとした気分で語りかけているんだ。
「優子が死んでた3ヶ月間(夢の中ではそうなっていた)は、ホントきつかったんだから!!なにしろ、優子はホントに死んでたんだよ。その時の気持ちをブログに書いたから読んでみてよ!」

夢の中は、とても楽しく、現実に戻るときが一番つらい。

冬の草津で、優子を亡くした。
夏の草津に、優子はいない。
ちゅけは夏も毎日部活なので、東京にじじばばと共に居残りだ。
子どもたちも成長していく。
草津のお家も、現実世界から、思い出の世界に移って行くのだろうか。