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Friday, December 26, 2014

ご厚意のお品、ありがとうございます。

〇 〇 様

ご厚意のお品が届きました。
いつも、どうもありがとうございます。

早いもので、もう6年が経ちます。
私も、ブログを書く必要性がだんだん薄れてきています。
私と子どもたちを含め、優子の記憶が人々の中から薄れていく中で、とても嬉しく思います。
お正月には優子の墓参りに行きますので、お供えさせていただきます。

Saturday, December 6, 2014

優子のビデオ

参加者から頂いた感想を紹介いたします。

  • 痛みは閉じ込めるのではなく、安全な環境下でメスを入れ、安全に取り出していくことによって乗り越えられるもの。
  • 戦争体験や震災の大きな傷は人と共有することによって乗り越えられる。人と人とのコミュニケーション、言葉かけの中から生じるものであることを改めて気づかされた。
  • 人によって傷つけられた痛みは、人によって癒される。人に愛を分け与えることにより、自分も愛をもらう。「あなたのことをちゃんと認めているよ。聴いているよ。」という立場でいのちの電話の相談員として活動していこうと思った。

 これは私がまさに皆さんにお伝えしたかったことです。
 人は無傷では生きていけません。失敗したり、他人から否定され自尊心が傷つけられたり、大切な人や物を失うなど、さまざまな痛みを大なり小なり体験します。人は誰でも痛みを自分で乗り越える力を持っています。辛さをこらえ、なんとか痛みを自分の力で乗り越えた時、それが成功体験となり自信を獲得して、心が成長します。つまり、傷つき体験が成長の糧となります。
  • 最愛の方を失った時の葬儀のビデオは心を打ちました。ご家族を亡くされた痛みを私たちに出していただき、そこからどのように傷ついている人を救うのか示唆していただきました。

 5年前に妻を亡くしてから、全国各地のいのちの電話で講演するときはいつもその話をしてきました。心の痛みを放出しても構わないという具体例を、私自身の体験をもとにみなさんに伝えたかったのです。それは参加者のためでもあり、私自身のためでもあります。
 5年前に突然襲ってきた大きな悲しみにどう対処して良いのかわかりませんでした。いや、理屈ではわかっています。そのような喪失で苦しむ人たちに数多く出合い、支援してきたから。
 私は自分がうつになることが恐かった。「うつ」になることがどんなに辛いことなのか、仕事も人間関係も、毎日の生活が成り立たなくなってしまう。思春期に入ったばかりの子どもたち3人がいる。ひとり親がうつになることだけは避けたい。悲しみを閉ざしていたら「うつ」になることはわかっていました。できるだけ悲しみを開きたい。安全に放出したい。私は必死でした。
 それまでカウンセラーとして、自分の隠れた気持ちを意識化して表現するトレーニングをたくさん受けてきました。一般の人よりも、自己表出には慣れています。あらゆる機会を利用しました。
 子どもたちが過ごした保育園のパパママ仲間たち、子どもたちは卒園していても、親どうしの繋がりは続いていました。亡くなった翌日から、親たちが私のうちに集まり、ご飯を作ってくれたり、葬儀の知らせを手分けして連絡してくれたり、ほとんど機能停止状態に陥っている私と子どもたちを支えてくれました。

 その保育園パパのひとりが気持ちを書き表してみたら良いよとブログを勧めてくれました。それまでブログを作ったことは何度かありましたが、長続きしませんでした。今回は、長続きしました。友だちや葬儀に来てくれた人たちに読んでもらいました。自分の気持ちを表現して、それを見守ってもらう。始めはたくさん書いていたけど、今はもうあまり書いていませんが、でも時々書き続けています。
 悲嘆カウンセリングも受けました。普段は私がカウンセラー役ですが、今回は私がクライエントです。たくさん気持ちを表現してカウンセラーに受け止めてもらいました。

 葬儀も、今から考えれば異常というか、やり過ぎです。ふつう、喪主はなにもせず、黙ってうつむき、悲しみを表現します。私はそんなやり方は耐えられなかった。葬式まで自己表現の場に使ってしまいました。必死だったのです。今でも、その気持ちは続いているかもしれません。
 普通、簡単に済ませる遺族からのメッセージも、やたらたくさん書きました。
 葬儀の様子を友人のカメラマンに頼んで、録画してもらいました。私は妻を失うことが耐えられませんでした。葬式という場さえ失うことがイヤだった。だから、葬式の様子を失いたくない。記録しておきたかったのです。通夜と告別式の様子を丁寧に編集して、1時間ほどのDVDに焼いてくれました。
 しかし、それを観る気持ちにはこの5年間なれませんでした。葬式の時の悲しい気持ちに戻ってしまうことが恐かったのです。でもいつかはそこから抜け出したいと思っていました。

 封印していたビデオを始めてみたのはつい最近でした。韓国に呼ばれ、心の支援者向けに東日本大震災の講演をしました。韓国では船が転覆し、多くの命が一度に奪われました。大災害の後の心のケアについて日本の経験を話して欲しいということです。私が話したかったことは「怒り」についてです。韓国のニュースを見聞きすると、船長や船主ばかりでなく、政府にまで多くの怒りが渦巻いています。怒りの根底には必ず不安・悲しみがあります。悲しみの表現型としての怒り。これは仕方がないことなんです。悲しみは自分自身の気持ちの表現ですが、怒りは、それが他者に向けられます。怒りを向けられた他者を傷つけてしまいます。できればそれは避けたい。でも、悲しみの気持ちを表現するためには、怒りも仕方がないんです。日本でも、震災後、東京電力や政府に対して多くの怒りが向けられました。
 そのあたりのメカニズムをどのように紹介しようか考えていたら、そういえば優子の葬式でずいぶん怒っていたことを思い出しました。
 それを見せたい。でも、自分で再び葬式のシーンを甦らせる勇気が出ませんでした。そこで、講演の1週間前に、しっかり受け止めてくれる人に傍にいてもらい、観ることができました。一回、観てしまえば、あとはひとりでも観ることができます。それで、今回の講演でも紹介することにしました。
 私は、講演を聴いてくれるみなさんに「愛」を伝えたかったんです。我々はいろんな繋がりの中で生きています。優子を失って、そのことがよくわかりました。私の一番大切なつながりが切れてしまったので、今まで繋がっていたことがよくわかり、その後はこうやって必死に繋がりを求めていたんです。いのちの電話での電話線を介した繋がりも、そして、私が演題に立ち、こうやってみなさんに語りかけているのも、結局は「愛」を伝えているんです。普段の仕事もそうです。クライエントの話を伺い、私からもいろいろ伝えていることは「愛」なんだなと最近思うようになりました。