Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Tuesday, February 28, 2017

カイくんを悼む

ビーグル犬の平均的な寿命は12歳~15歳なんだって。
7歳半で逝ったカイは、人でいえば45歳くらいかな。
まだまだ長生きしてほしかった。。。

カイくんのことを子どもたちとパパで語ろう!
カイを悼もう!

カイの人生、じゃなくて犬生って、何だっんだろうか?
カイは幸せだったんだろうか?
カイが生きてきた意味を、その軌跡を見出してあげよう!
パパからいくと、、、

パパにとって、カイへの愛着は間接的なんだ。ママが亡くなり、子どもたちをどうひとり親で育てたらいいのか、必死だった。君たちから犬を飼いたいと言われ、ばあちゃんは反対したけど、じいちゃんが賛成してくれて、パパはそれも良いかなと思ってカイ君を迎えたんだ。パパから子どもたちへの愛があり、子どもたちからカイへの愛がある。
祐馬が送ってくれた写真が、カイ君の思い出だよね。カイ君は子どもたちとパパが幸せになる過程にすごく貢献してくれたよ。

そりゃあ、もっと一緒に居たかったとか、狭いケージじゃなくて、、、とか、もっとできたのにと思うこともあるだろう。でも、カイ君はきっとウチに来て、幸せだったと思うよ。
期せずして、今日はじんの卒業式だ。これから式が始まる。パパはさっきから泣きっぱなしなんだ。もう恥ずかしいよ。
思いっきりじんに「おめでとう㊗️🎊」と言いたい。
祐麻も、成人式おめでとう㊗️🎊
祐麻の振り袖姿にも泣いちゃったし。
子ども達がこうやってぐんぐん成長していってくれるのが、パパにとって最高の幸せなんだ。
カイ君は君たちの成長を助けてくれたと、パパは思ってる。

ちゅけと祐馬は既にウチから巣立っている。
じんは四月から大学生だ。
カイがいなくたって、君たちは幸せになる礎を築けるまでに成長した。
カイ君は立派にその役割を果たしたよ。

カイ君、ウチに来てくれてありがとう‼️

と言ってやろう。
天国に行ったら、優しかったおじいちゃんや、初めましてのママときっと遊んでるよ。
おじいちゃんがたくさんカイの面倒を見てくれてるよ。

Sunday, February 26, 2017

おばあちゃんの認知症

おばあちゃんは骨折してからこの1ヶ月で、急速に衰えているよ。
足腰が弱くなり、外を出歩けなくなり、今の所病院まで手をつないで通っているけど、それも今後は車椅子かな。

それに加えて頭の方がどんどん低下している。

おばあちゃん、体だけでなく、頭もパーになっちゃった。。。

と言えるから、自分がどうなってるかということもわかってはいるみたい。
でも、時間の感覚がなくなり(失見当識)、次に何をしたら良いのかわからなくなっちゃう。それでいて孫の大学入学のことは覚えていて、ばあちゃんがお金出すからね、なんて言えるんだ。家族を世話したいという気持ちは、最後まで残るんだね。これってすごいことだよ。

ついに昨日、ウンチをお漏らししちゃったんだ。
どこでウンチをしたら良いのかがわかんなくなったらしいんだ。
こうなると、介護もきつくなるね。

私が確か小学1年生の時、近所の友達のうちに遊びに行き、ウンチしたくなったけど、まだ人の家のトイレでウンチできなくて、急いで家に帰る途中でお漏らししちゃったんだ。泣きながら家について、おばあちゃんが風呂場まで抱きかかえて、洗ってくれたことを今でもなんとなく覚えている。
50年後になると、立場が逆転するんだね。私がおばあちゃんのウンチの始末をするんだ。

食欲はあるよ。
というか、認知症になると食欲が亢進するんじゃないかな。
知性が解除されると、本能がそのまま出てくるのか。
おばあちゃんの食べ方を見ていると、知性がなくなり、本能で食べているのがよくわかる。なんとなく、目を背けたくなる姿だよ。

カイも死にそうな病気で、ウンチ漏らしているしダブルパンチ、家中がウンチまみれになっちゃった。

これからおばあちゃんの介護はどうすればいいんだろう?
ヘルパーさんやデイケアを使うんだろうか?
施設に入れるってのも視野に入れた方がいいんだろうか。
これから、そんなことをケアマネさんと、おばちゃんと、相談することになるね。
じんは家にいても、彼の世界があるだろうし、私も普段はなんとかするとしても、時々海外出張で1週間とか家を空けるからね。そん時は、どうすれば良いんだろうか?

おばあちゃんは、まだ、家族のことはちゃんと認知しているけど、今後それもどうなるかわからないよ。
今後、レベルがどんどん落ちていくのか、今くらいのレベルで歩止まりしてくれるのか、わからない。

孫たちのことも、もしかしてわからなくなっちゃう前に、会っておいた方が良いかも。

Monday, February 20, 2017

おばあちゃんのデイケア

デイケアの初日、ばあちゃんは大丈夫かなと思ったけど、
初対面の隣の人とよくしゃべっていたんだって。

私、出身は愛媛です。

すると、隣の人は群馬なんで、

うちの主人も群馬なんです。

とか。
すごい社会性。
うちでは考えられない。
うちでは、

つぎ、何したらいいの?
もう、おばあちゃん、死んでも良いんだ!
あぁぁぁ~~~

って溜息だか、泣き声だか、すっかり幼児みたいになっちゃった。

今朝も、そんな感じでダメダメの調子だったんだけど、
でも、デイケアの人が迎えに来たら、さっと表情が変わるんだよね。それまでの、ダメばあちゃんから、外向きの笑顔を作って、正気になる。

おたくのところは、よくできてますね。

なんて、おべっかまで使って。
ばあちゃん、ちゃんとやろうと思えばできるじゃん!

子どもたちを保育園に連れて行った時とそっくりだ。
べったり親に甘えていて、保育園について、バイバイすると泣いたり、ヤダヤダするけど、しばらくしたら諦めて、園で普通にちゃんとしている。
それで、帰りに迎えに行って、パパの顔を見ると、ふだんの甘え顔に逆戻り。

ふたつの顔があるんだよね。
ダメダメな顔と、しっかりの顔と。

幼児と老人に顕著だけど、大人だって、誰だってあるんだと思う。

Tuesday, February 7, 2017

祖母の尊厳、子どもの自信獲得、親の自己万能感

尊厳 Dignity 
  • とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。
自信 Confidence 
  • 自分で自分の能力や価値などを信じること
自立 Self-Reliance 
  • 他への従属から離れて独り立ちすること。自分を頼むこと、独立独行
自己肯定 Self-affirmation 
  • 自らの価値や存在意義を肯定できる
自己実現 Self-Actualization 
  • 自分の目的、理想の実現に向けて努力し、成し遂げること。
自尊心 Self-Esteem 
  • 自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する態度
プライド Pride 
  • 誇り。自尊心。自負心。
自己万能感 Omnipotence 
  • 「価値のあるボク」という肥大した自己イメージを抱えている

いろんな言い方があるけど、どれもに共通していることは、要するに自分はしっかりしていたいんだ。
自分は良いものだと思いたい。それを作るために苦労して、手離すために苦労している。

自分はこういうもんだね、これで良いんだよねって、確認しながら生きている。
自分はなんのために生きているの?
自分の幸せって何?
そんなこといちいち考えていないけど、きっと心のどこかで、いつもそれを探し求めているんだ。
なんとなくそれが満たされたり、なんとなく不満で、なんか足りないんだけど、、、と空虚感を感じていたり。
それを言語化すると、こういうことになるんだ。

人は、これがないと生きていけない。
とっても大切なものなんだ。
それをどう作って、どう調整するのか。
三世代にわたり眺めてみよう。

^^^^^^
おばあちゃんの尊厳

おばあちゃんは、尊厳を失いつつある。
1月26日にシルバーカーで買い物に行った帰り道、僕が見ている前で転んでしまい、右手が痛くて動かなくなった。気持ちもすっかり落ち込んで、

おばあちゃん、もうダメだ。

生きる気力を失った。
足腰も立てなくなり、いよいよ寝たきり生活に入るのかと思ったが、
1月30日に整形外科を受診して、右上腕骨骨頭部(肩のあたり)骨折、つまり1ヶ月くらいで治るという診断が出た。
おばあちゃんは、「右手さえ使えるようになれば大丈夫」というという希望が見出せて、多少は元気が出て回復しようというやる気が出てきた。
しかし、傾眠傾向が強まり、起きればなんとか食事も自分で取ろうとするのだが、刺激がなくなるとぼーっとして何もできなくなる。体はかろうじて動くけど、気持ちが動きにくくなってきた。
1年前にじいちゃんが亡くなってから、急速に坂を下りている。

少し元気な時、食事とか世話をしようとすると、

「大丈夫よ。おばあちゃん自分でできるから。ありがと。」
「(病院などで)かかったお金、80万くらいかな。それ渡しておくから。」

人の世話になりたくない。迷惑・負担になりたくない。自分でやる。
自立したいんだ。
それが、ばあちゃんの尊厳だ。

ばあちゃんの人生において、生きる意味は広い社会の中にはない。
狭い家庭の中にあるんだ。
田舎町で成績優秀で、当時の女性には珍しく四年制大学を卒業して。
その後の世代なら社会の役割を担うところだろうけど、学歴は単なる花嫁修行の一環に過ぎない。卒業証書は就職の履歴書には使われず、お見合い写真の釣書に使われた。
6人姉妹の四女。上から順番にお見合いして結婚して、専業主婦として夫に尽くし、二人の子どもを育て上げた。家族を世話するという役割がおばあちゃんの生きる目的、生きがいなんだ。

その目的も終了した。二人の子どもはとっくに育ち上がり、去年、伴侶を見送った。
やること、なくなっちゃったよ。
孫の洗濯をしたり、カイの世話をしたり。
人(と犬)の世話を与えるけど、人から世話を受けない。それがばあちゃんの尊厳なんだ。
その尊厳を失ったら、尊厳死するしかない。
仕方ないよ、人は自分を徐々に失っていく。
命が失われる前に、尊厳も失われてしまうのも仕方がないんだ。

^^^^
息子の自信獲得

じんは、大学受験の真っ最中。
8日連続の大学受験ちう。

その初日、いよいよ本番だという時、朝起きてきて、

おやじ、ハンドパワーをくれよ!

と、握手を求めてくる。
普段は無口で、親が話しかけても何も答えず、ほっといてくれよと、距離を置こうとするじんにとっては青天の霹靂だ。

きょうだい喧嘩ばかりして、普段は口も利かないアネキにも握手を求めていた。

今日は、彼にとってもよっぽど心細かったのか、緊張していたのか。

40年前、パパの大学受験の時は、スターウォーズのセリフを使ったんだよ。

May the FORCE be with you! (フォースが共にあらんことを!)
https://www.youtube.com/watch?v=D9XYKY4Km20

と友だち同士が励ましあって、試験会場に向かったんだ。

高校の3年間は、マイペースで頑張った。
受験に関して、親に関わらせようとしない。
塾や予備校を勧めても、自分でやるという。
年下の弟。親の目から見ても、頑張っていた。

じんは滅多に自分を表現しない。

どこを受けるんだ?
模試を受けたんだろ?結果を見せろ!

と言っても見せない。
しつこく言って、やっと見せた模試結果の志望校は全てF判定だ。
そりゃあ、親に見せたくないよな。

本番受験日の前日に父が尋ねた。

じん、明日から本番だな。
ところで、第一希望はどこなんだ?

まだ、決めてない。

決めてないわけないだろ。
でも言ってしまって、そこを落ちたときのことを考えてるんだろう。
だから、親には言わない。
自信なんかぜんぜんないよな。

高校受験で当然受かると高をくくっていた高校に不合格。
以来、彼は自信を失っている。。。ように、親の目は見ている。

祐馬も、ふだんはパパがちょっとでも触れると、「触らないでよ!」と怒るのに、
でも、成田空港に見送り、別れ際のゲートではハグしてくれる。
短期の海外旅行なんかじゃない。
ひとり海外で生活する。心細いよな。
普段はブーたれて甘えている父親との別離に際して、やっと愛着を感じるのだろう。

子どもたちは、普段は強気になりたい。
親の力を求めずに、自分の足で歩きたい。
親からの下手な保護や干渉はうざったいのだろう。

オレのことを信じていないのかよ!!

しかし、時に弱気になる。
そういう時が親のチャンスだ。
パパはしっかり愛情を差し出す用意があるぞ。

わんぱくでもいい。たくましく育って欲しい。
(1970年代の丸大ハムのコマーシャル)
https://www.youtube.com/watch?v=L8QGpL8tLWo

父親が子どもたちに向けるまなざしは、そんなもんだよ。
学歴なんて、どうでも良いんだ。たくましく、幸せであってくれれば。

高学歴家族の問題なんだ。
じんの兄も姉も、両親も、祖父母も、いとこたちも、みんなA級の高校・大学に進学した。

じんは兄・姉と同じようなA級都立高校に挑戦して、落ちた。
当然、受かるつもりでいた。彼は、まだ自己万能感の世界の中にいたんだ。
父親と見に行った合格発表に、彼の受験番号はなかった。
兄・姉の時、父親は喜びの涙を流した。特に、ちゅけの時は、優子の死後2ヶ月で初めての喜びだった。
じんの時、父親は呆然として落胆を示した。
じんは「オヤジ、そんなに落ち込むなよ!」と慰めてくれた。
その直後の帰り道、じんの堪えていた涙が突然吹き出した。

じんがエラいのは、受験する大学が、すべて彼の身の丈にあったB級大学だ。
ふつう、一個くらいはちょっと上の大学を受けるだろう。
誰だって、背伸びしたいものだ。夢は捨てられない。
彼は、ちゃんと捨てている。10割から7割に縮んだ自分を受け入れているのか。
だとしたら、父親が未だに解決できていない葛藤をすでに乗り越えていることになる。

いや、そんなエラいもんじゃあないのか。ただ、気が弱いだけなのか、それとも、A, B, Cとかどうでもいいと思っているのか。
本人は高学歴家族がどうのこうのなんて、考えちゃいない。
ただ、目の前に置かれたハードルをなんとかクリアしたいだけだ。
そのハードルが、社会の中でどんな意味を持つかなんて、知らないよな。それは後からやってくるんだ。

どうやって彼は自信を獲得していけるんだろう。
私にはわからない。
それが父親の不安なんだ。
なぜなら、私自身にその経験がないからだ。

じんは頑張っている。
ちゅけだって、祐馬だって同じだった。
自立したいだけなんだ。
自分の足で立ちたい。

40年前の十代の頃の私だって同じだった。
それで良いんだよ。AとかBとか関係ない。
本人にとっては、同等の挫折であり、頑張りなんだ。
本人たちは、直近の目の前にあるハードルしか見えない。飛べたり、飛べなかったり。
そのハードルが全体の中でどう位置付けられるのかってあまり関係ない。

それは家族が気にすることだ。親が不安なだけだ。
その不安を子どもに投影してしまうと、子どもも、せっかく飛べたハードルの意味がなくなってしまう。跳んだハードルを、そんなの価値がないと親が評価すると、せっかく得られた成功体験を台無しにしてしまう。
AとかBとかという価値は、世間からやってくるように見えるけど、実は家族からやってくるんだ。

優子は、秀才の兄に隠れ、親の承認を得るのに苦労していた。兄が行った東大に行きたかったのに、世間では十分A級な上智も、彼女にとっては「滑り止め」に過ぎなかった。

うつ病の太郎さんは、東大経済学部を卒業した。
彼の父親は東大法学部卒の高級官僚だ。
太郎さんにとっては、東大経はたかが「ネコ文二」。あまり勉強しなかったそうだ。
東大だって、太郎家にとってはB級にもなりうる、相対的なものなんだ。

AとかBとかハードルの高さって、関係ない。
努力して飛び越えたものをしっかり承認すれば良い。
来週、じんは、きっとどこかの大学に受かるだろう。
私はそれを、大いに祝福してやりたい。
浮ついた言葉ではなく、心の底から伝えたい。
そのためには、自分自身の心をもう少し深く点検しなければならない。

〜〜〜
父親の自己万能感の再調整

幼児は、すべて自分の望みが叶うという幼児的自己万能感に浸っている。
100%の自分でいたいと願う。そこから、基本的な自己肯定感が生まれる。
そして、成長する中で、プライドが傷つき、100%から70%、60%と縮小せざるをえない。それを受け入れることにより、ピーターパンの世界から現実の世界に降りてくる。
傷つきを受け入れ、傷ついた自分を受け入れることによって、本当の大人になれるんだ。

そういう意味では、もしかしたら私はまだピーターパンの世界にいるのかもしれない。
なりたい自分を成就してきた、、、というかできちゃった。まだ本当の挫折を知らない。
私は、成功体験が先行してきた。
私は、「学歴」というちっぽけな、しかし日本社会では大きな幅を利かせている指標を使って、自尊心を築いてきた。
小学生の頃は、運動が上手で、かっこよくて女の子にもてるハマダ君が羨ましかった。
小学生の頃は、成績なんて意味を持たなかった。
ぼくも、あんな風になりたいなぁ。。。

しかし、中学に入り、期末試験の学年順位が一桁で、都立進学校、高校アメリカ留学、国立医学部・大学院、英国留学、国立大学教授、開業医、、、

たった、それだけの話なんだよ。
しかし、親は喜び、親の承認を自動的に受けた。
上の二人の子どもたちも、わざわざ言わなくても、高学歴家族のハードルはクリアしているということは自明なんだ。

大学の偏差値って、いったい何の意味があるんだ!?
東大・京大>国立医学部>旧帝大>早慶上智>Gマーチ>日東駒専>大東亜帝国、、、
高校や予備校の教師にとっては営業成績のメルクマールだ。
1970年代の高度経済成長時代の終身雇用制度では、大学のランクが就職先のランクに直結して、生涯収入額と幸せの量にも比例していたのかもしれない。
今は、その世間的価値もとっくに崩れている。
一部上場企業に行っても、つぶれるし、転職するし、うつ病だって、過労死だってある。
そういう人たちを、私はたくさん知っている。

だのに、私は形骸化したはずの価値観に、未だに縛られている。
それは、私自身が、その価値観に準拠して自尊心を作り上げてきたからだ。
ちっぽけな、狭い時代の狭い社会にしか通用しない準拠枠を、すべてだと思い込んでいる。

だけど、私だってハードルをクリアできず挫折した体験だってたくさんある。
なりたい自分になれなかった体験だってありますよ。

  • 運動会のかけっこで一等賞になれなかった。リレーの選手になれなかった。
  • ハマダ君みたいに、女の子にもてなかった。
  • トランペットのコンクールで、全く吹けずに恥をかいた。
  • 慶応大の医学部に落ちた。
  • 大学の試験に何度も落ち、学部長室に呼ばれて、お前は学年でビリから2番目だ。今回はお情けで進級させてやるけど、今後しっかりしろと叱られた。
  • 病院実習で失敗して指導医に何度も叱られた。
  • 内科・外科などのメジャーな分野に行く自信がなく、精神科を選んだ。

いやあ、そんな挫折体験たいしたことないじゃないですか。成功体験の方が優先してますよ。
いえいえ、ここでは言えないようなのも、まだあるんですけど、、、

まともな挫折を体験しないまま、大人になってしまう人だっている。人生を終える人もいるのかもしれない。

自尊心を作っていく過程は、自分自身のみに終わらず、そして自分の家族にも及ぶ。
伴侶は自分のプライドに見合った女性を選ぶんだろう。
優子は上智大だった。
そんなのどうでも良くて、可愛いかったから惚れたんだ、、、とは言い切れない。
優子の元カレたちは皆東大生だった。まあ、彼女は東大コンプレックスだからね。
東大でないけど、国立大医学部の私がかろうじて優子のプライドを満たしてくれたんだろう。
僕のプライドも、優子は満たした。

子どもたちの成長もそうだ。
うちの家族の通過儀礼のハードルはA級なんだ。それを飛べて一人前になる。
なんてこと、誰も決めていないのに、私の自己万能感の中に自動的に組み込まれている。
Aのハードルをクリアすることで、自分は自信を作ってきた。
同じことを、自分の子どもたちに承認を与えてきた。
じゃあ、Bのハードルを飛んだじんに、どうやって承認を与えるの?
そんな、単純な、馬鹿げたことが、わからないのかね>自分よ?

講演会では、お話しの前に講師のプロフィールを紹介します。

  • 先生は、大学医学部をご卒業、同大学大学院で博士号を取得された後、イギリスのロンドン大学に渡り、○○を学びました。6年前に19年間奉職された○○大学の教授を早期退職され、西麻布に精神科クリニックを開業されました。。。

過分なご紹介ありがとうございます。
私は、こんなに偉い人なんですよ。良いものをたくさん持っているんですよ。だから、この人の話は為になりますよ。
講演後に、アンケートを取ると、

先生、とても為になりました。

たくさんの人たちが賞賛してくれる。

先生って、すごいんですねえ。

これが、私の自尊心の根拠なわけ?
人より抜きん出ることが?
なんか、それって薄っぺらな自尊心じゃないかしら?
抜きん出て、人と比較しないと、自尊心を持てないの?
人と比べて、自尊心を持つの?
そういうの、エリート意識っていうんじゃないの?

いや、そうじゃないんだ。
自尊心を得るためには、二段階必要なんだということが、これを書いていて見出した。

1)何かを達成する。
ストレートに達成しても良いんだけど、もっと深いのは挫折し、失敗して、自尊心が傷つき、万能感が打ち砕かれた後に立ち上がり、別の何かを達成するんだ。
やっぱり本人の努力が必要だ。それがないと、他者は承認する根拠が得られない。
空手型の誉め言葉では意味がない。

2)それを承認する他者がいる。

よくできた。素晴らしい!
という言葉があって、達成であることが初めて実を結ぶ。
それは、講演会の参加者でも、私の本の読書カードでも良いのだけど、ホントは、身近で自分にとって大切な人、自分のことをよく理解してくれる人の方がいいな。
世間の人から賞賛を得るには、何か偉いことをしないといけない。抜きん出ないといけない。みんながそれをできるわけでもないでしょ。
もっと身近な人が大切なんだ。
ばあちゃんにとっての子と孫。
じんにとっての親(、、、私だよ)ときょうだいと、友だちと。
私にとっての家族であり、優子であり。仕事の人、、、という意味では私の患者さんたちかな。

世間からたくさんの承認を受けているのに、身近な家族から受けていない人は、とても寂しく孤独を感じている。
世間には全く知られなくとも、身近な家族から承認を受けている人は幸せなんだ。
やはり、幸福は世間からではなく、家族からやってくる。

さあ、じん、頑張れ!!
「負け」を認めてはいけない。
もうダメですと、Give upしてはダメなんだ。
Never give up.
そこでくじけず、立ち上がり、前に進みなさい。
自分に妥協してはダメ。もうここでいいなんて言わず、立ち止まらず、前に進みなさい。

南アルプス甲斐駒ケ岳の黒戸尾根は厳しい。もういいよ、ここで今日は終わりにしようと思ったら、七合目小屋で一泊する。そこを乗り越えたら頂上へ達し、北沢峠まで足を伸ばせる。
私は、北沢峠まで達成した。
別にそれが偉いわけじゃないんだよ。七合目小屋だって良いんだ。

どこかで限界を認めなくてはならない。
エベレスト登頂では、勇気ある撤退が必要だ。せっかくたくさんのお金と時間をかけて頂上を目指すが、気象条件と隊員の疲労度を考え、判断する。
ここで無理をすると遭難する。しないかもしれない、でも危険だ。もともと登頂なんて危険なのに、どこで判断するかが勇気なんだ。そして、断念する。

じんは別に山を撤退したわけじゃない。
彼が選んだ山を登ろうとしているんだ。
彼はよく選べたと思う。
家族の伝統を意識したら3000m級の北アルプスを目指さなければならない。
しかし、彼は高校受験で傷つき、すでに自己万能感をリサイズできているんだ。
ちゃんと2000m級の奥秩父を目指している。
すごいじゃないか。父親より、兄・姉より、お前は人間が出来ているぞ。
お前の達成に心から祝福してやろう。

じんは素晴らしい人間だよ。

それを、早く伝えたいよ。