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Monday, November 30, 2009

大学のクラス会

に行ってきた。
同じ学科の同期100人中、半分弱が集まった。学部の6年間、ほとんど必修科目で選択の余地はなく、みんな同じ授業や実習をとったから、お互いによく知っている。
卒業以来クラス会は3回目らしいが、僕が参加したのは初めて。小学校から高校まで、僕自身いろんな意味で何となくクラスの中心の方にいた(と思っている)から、クラス会に出ることは何の苦もないが、大学はねえ。
中心というよりは辺縁のほうにいた(と思っている)から、何となく顔を出しにくかった。でも、集まってみれば杞憂は吹っ飛び、懐かしさであっという間に30年前にタイムスリップする。
少なくとも集まった連中は、皆元気そうだった。メタボ体型もそれほど多くはなかった。ホントに25年も経ったのかねえ。
Tikiは特に全然変わってないよ、
という皆の声。
在学中に交通事故で亡くなった二人を含め、物故者は5名。
優子が亡くなった翌月に、やはり心臓発作で亡くなった奴がひとりいる。
連絡が同期のみんなに流れ、休止していた連絡が復活する。その流れで今回のクラス会が成立した。
優子の大学のクラスメートからも、訃報をきっかけにみんなが集まるようになったとの便りをいただいた。
吉報ではそんなわけにはいかないかも。悲しみは人々を凝集させるんだ、きっと。

明日から12月。さすがに、忘年会の誘いはないのだけど、なぜかクラス会が結構ある。高校のプチ・クラス会に、高校山岳部のOB会。
クラス会は良いよ。
昔に戻り、今を忘れさせてくれるから。

悲しみに降りてゆく

男おひとりさま道
上野千鶴子著。法研、2009年。

流行ってるし、おひとりさまになっちゃったから読んだ。
元本の「おひとりさまの老後」は読んでないけど、これから老後を迎えるおひとりさま女性向けに、
それで大丈夫、安心して老後を迎えられるよ、
というトーンなのだろう。
一方、この男バージョンは、
まず男のビョーキを直しなさい、ちゃんと自分を反省して見つめ直しなさい。そうすれば、男にも道は開けるから、
みたいな、一発ジャブを食わせて、謝らせてから、元気を出させるようなトーンだ。

この本を批判するつもりはない。ベストセラー作家だし、文章はうまいから、ついつい真実であるかのように受け取ってしまうけど、ひとりの人間(否定的な両親体験を持つ、団塊世代の女性)の考えた物語だから、すべての男たちにあてはまるわけないと気づけば、そこまで固執する必要もなくなる。

でも、あえて共感した部分を挙げれば、男たちは老後の生活に必要な坂を下りるスキル(=弱さの情報公開)がとても苦手なこと。それは僕自身も、まわりの男たちを見ていてもそう。弱さを認められない弱さを我々は抱えている。

僕は、喪失の悲しみという弱さを体験しつくして、それを乗り越えようとしている。

でも、こういうの、本当の弱さじゃないんだよね。
強さが根底にあるから、弱い自分を演じることができるんだ。
上野さんだって、僕だってそうでしょ。
基本的に自分の強い部分を自覚している。それは、学歴社会の中での偏差値的強さ、社会的成功体験に裏付けられた強さが根底にある。そこに弱さが後から部分的につけ加われば、その部分だけ取り出して語ることができる。でも、本当に負けちゃいないんだ。
上野さんにとっては、女性であるということの弱さを使える。一方、男たちは、男であることが弱さになりえないから、なかなか自然に弱さへ降りて負けることができない。それができれば、とても楽だし、人生の本当の豊かさに気づけると思うんだけど。

Saturday, November 28, 2009

続・幸せな最後?

私たち夫婦も、子供達がスキー教室に参加した時など二人でスキーに出かけます。
友人達からは、熱々ね~などと冷やかされますが、合宿そのもの(笑)

内股を意識して!
板の間ん中に垂直に体重掛けて!
上下の運動をもっと大げさに!

などなど、先に滑って待っている主人から厳しい~アドバイスを受けつつのスキー。
内心は、もうこの歳だし、上達する気もないし放っといて~とも思うのですが、反面楽しんでいることも事実です。
恋愛期間中なら、無理して付き合うこともあると思いますが、優子さんはご主人が大好きだったんですね。
本当に辛いのであれば、一人で滑ってくれば?と言うはずですのも。
お二人の時間をたっぷり楽しんで幸せだったと思います。
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体重はむしろ真ん中より前の方、思い切り前傾した方がいいぞ、特に急斜面では!

なんて、うちと全く同じですねえ(笑)。
お返事を戴いて、あの日のことをさらに思い出しました。
お昼すぎに一旦ホテルの部屋へ子どもたちを連れてゆき、
「さあ、僕はもうちょっと滑ってこようかな。優子どうする?」
内心、「ひとりで滑ってくれば。子どもたちと温泉でも入ってるから」
という返答を期待していたんですよ。でも、僕の方からそれを言うと、
「子どもたちを押しつけて、自分だけ!」というパターンになるのを恐れてました。
そしたら、「私も行くわ」とついてきたんです。
その時点では、体調も悪くなく、無理したわけでもなかったんですよね。

そういえば、亡くなる5日前、年末の大掃除の合間にふたりで街中サイクリングに出かけたんですよ。自宅から品川まで8kmほど、ゆっくり40分ほどかけて走り、品川駅港南口のアトレでお茶して帰ってきたんです。後からついてくる優子の体調は、全然問題ありませんでした。

こんなことが起こらなければ、普段と変わらない何気なく通り過ぎるふたりの時間。
でも、こうやってよ~く振り返ってみると、それは幸せだったんでしょうか?
少なくとも、僕は幸せだったと、今は言える。

なんか、お産と似てますねえ。
ものすごい痛みの直後に、誕生のものすごい幸せが来る。
でも、その順序が逆だな。
何気ない幸せの直後に、喪失のものすごい痛みが来た。

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昨年末の年賀状に書いた優子の言葉です。
今年は経済がどうなるのか心配だけれど、状況を悲観せずに、今、自分ができることは何かを考えてやるつもりです。スキルアップ、(仕事関係・外の)読書、音楽の練習、家の掃除・整理整頓(!)。メタボの予防もそのひとつ。基本は運動嫌いなので楽しくやれそうな気がするサイクリングを中心に。多摩川土手をかっこよく走りたい!釣りも始めたいのだけれど、きっかけがつかめなくて、、、。

Friday, November 27, 2009

幸せな最後?

優子さんと中学校の時、同級でした。卒業以来お会いしていませんでしたが、数年前から年賀状をやり取りしていました。

我が家も、毎年恒例、年末年始のスキーをしています。そんな日常の行事の最中に、何の前触れも無くそのような悲劇が起こるとは、、。優子さんとの思い出を大切にされ、そして、ずっと繋がっていこうとされているお姿に感動致しました。

中学生の優子ちゃんは、ぽっちゃりしていて、笑顔が可愛い、そして、もの静かで、お勉強ができて、誰からも好かれるあったかい女の子でした。でも、ときどきズバッと的を得た発言をして周囲を驚かせる一面もありました。(観察力が鋭かったのかな?)ちょっと大人っぽくて、一目置かれる存在でもありました。
年賀状を頂く度、素敵なご主人と出会って幸せな生活を送ってらっしゃるんだなぁ、また随分とアクティイブになったんだなぁと驚いたものです。

私も、優子ちゃん同様インドア派でしたが、体育会系の主人に振り回されキャンプ、スキー、etcに付き合っています。
それはそれで、楽しいものですよ

私の知らない優子の少女時代をお知らせいただき、ありがとうございます。
当時の写真を見ると、ずいぶんぽっちゃり、というか太ってましたね。
大人になっても、基本的にはポッチャリでしたが。

優子の心臓の病気がはっきりしたのは結婚した後でしたが、中学時代、原因不明の「肝臓の病気」でしばらく学校を休んで寝込んだと聞きました。その後、肝臓疾患の気配はなく、今から思えば、それは肝臓ではなく心臓の病気であった可能性もあります。スキー場での突然の発作の背後には、昔から徐々に病気は進行していたのかもしれません。今となっては推測にすぎませんが。

うちも、インドア派の優子がアウトドア派の私に引きだされて、というパターンだったと思います。付き合い始めた当初は、スキーも下手で一番下の初心者コースしか滑れなかったんですよ。でも、私が無理やり毎シーズン何度か連れだして、最近では上級者コースも十分滑れるようになっていました。
でも結果的には、そのために心臓発作を誘発してしまいました。

優子の内心はどうだったのかな?
楽しんでいたのでしょうか?
もしそうだったとしたら、最高の最後だったのかもしれません。

その日、疲れた子どもたちをホテルに残し、ふたりだけで白銀の世界を楽しんでいました。
午後3時を過ぎ、そろそろ上がろうかという最後の一本でした。
疲れたからか、あるいは既に前兆があったのか、「ゆっくり行くから、先に行って」という優子の先を一気に滑り降りました。
下で待っていると、優子が私のすぐ横までスムーズに滑り降りてきました。シャープに静止し、さあ、上がろうとリフト乗り場に進もうとした時、「あっ!」と短い声を上げ、そのまま倒れ込みました。駆け寄った時はすでに意識もなく、痛みで苦しむ間さえなかったと思います。
私は、夢中で人工呼吸を繰り返しましたが、息を吹き返すことはありませんでした。しかし、運ばれた病院の救急治療室で死亡診断を受けるまでは、まさかこれが優子の死だったとは全く考えが及びませんでした。これが私にとっての悲しみの始まりでした。

その直前までは、夫婦ふたりだけの幸せな時間でした。
優子もそのように感じて楽しんでいてくれていたとしたら、最高の亡くなり方だったのかもしれません。ただ、それが子どもたちが成長し、人生の仕事をやり遂げた後のことだったら申し分なかったのですが。

Thursday, November 26, 2009

古着の山どうしよう?

いのちの電話に相談がありました。

「もしもし、、、古着がたくさんあって、寄付したいのですが、どこか受け取ってくれるところないでしょうか?」
新人相談員「お調べしますね。少々お待ち下さい。
、、、、はい、お待たせしました。○○に送れば、海外の貧しい人たちが活用してくれますよ。」
「どうもありがとう。」
電話は5分で終わりました。

「もしもし、、、古着がたくさんあって、寄付したいのですが、どこか受け取ってくれるところないでしょうか?」
ベテラン相談員「お調べしますね。少々お待ち下さい。
、、、、その間、ちょっとお話ししましょう。古着をたくさんとは、どうされたんですか?」
「実は、最近、妻が亡くなったんです、、、」
その後、30分ほど妻を亡くした切実な思いが語られました。
「聴いてくれて、どうもありがとう。」
でも、古着の話はどこかに行ってしまいました。

よく、相談員の研修に使う挿話でした。



Monday, November 23, 2009

昔の教え子

先生、ご無沙汰しています。
昨日、先生からの葉書を読んで言葉を失ってしまいました。
先生の悲しみを想像すると耐え難いものがあり、メールするのもためらっていたのですが、ブログを読み、いっぱい泣いて、でもなぜか暖かい気持ちになって、私の思い出をお伝えしても良いのかな。と思い、メールさせていただいています。

私にとって、先生の家族は学生の頃からずっとあこがれであり、背伸びして少しでも近づきたい…と思う存在です。家庭思いで知的な夫と優しくて控えめだけどデキル妻。自由にのびのびと個性豊かに成長している子ども達。
結婚前に夫を連れてお宅にお邪魔したのも、Tiki家の雰囲気を夫に伝えたかったからなんですね。優子さんは本当にかわいらしくて素敵な方でしたね。お宅にお邪魔した時は、ゆまちゃんが生まれたばかりの頃で、優子さんが話の流れの中で
「この子がギャルみたいになったらどうしよう?」
みたいなことを言っていてどう考えてもそれはあり得ないでしょ!、と私は思っていたのに(多分、先生も)結構、真面目に心配している様子がおかしかったです。(そのゆまちゃんも中学生なんですね~!)

私が大学3年か4年の時、学生との夕食会に優子さんを連れてこられたことがありました。先生が本当にうれしそうに「私の愛する妻です」というオーラで私たち学生に優子さんを紹介していたのを思い出します。優子さんは少し恥ずかしそうでしたよ。でも、
想像していたよりもみなさんが落ち着いていたからホッとしたわー
とおっしゃっていました。私たちはいっぺんに優子さんを好きになっていました。

また、ブログを拝見させていただきます。身を切られるような悲しみを乗り越えてゆくことができますように。3人のお子さんが幸せな人生のシナリオを描けますように。

Qさん、こういうの、とても嬉しいんですよ。
真正面からは見えない、斜め横からの優子の姿を知ることで、優子が立体的に浮かび上がってくるんです。
学生からは、「先生」の家族ってすごく素敵に見えるよね。Qさんも、教えている子どもたちに家族を見せたりする?イケメンのダンナさんを見せたら、一発でファンになっちゃうよ、きっと。
私は「家族関係学」の講義を持ってるけど、家族関係って、別に理屈を教え込むものじゃないからね。教師の家族を見せるのが一番の勉強になるんじゃないかな。1回だけ、ナマの優子を授業にゲスト出演させたこともあったんですよ!
私も小学生の頃、先生に子どもができた話は今でも覚えているし。
毎年、卒論・修論を終えた研究室の学生たちを家に招いているんですよ。私の手料理でご馳走したりしてね。正直言えば、うちの家族を見せたいなという気持ちもあります。
でも、恥ずかしがりの優子は嫌がっていたんですよ。
「あなたは親しいだろうけど、私は初対面なんだから!」
「いいじゃん、初対面で会って、親しくなれば。」
という感じでケンカしてました。
人前では、仲の良い夫婦を演じていたけど、ふだん家ではケンカばかり。
だいたい、優子は真面目すぎるんですよ。固いというかね。
まあ、ズボラでいい加減なボクと2人で、ちょうど良いバランスだったのかもしれません。
その点、祐馬は父親に似て不真面目だけど、なぜかケンカは優子と同じ調子です。

昔の友だち

お久しぶりです。
お葉書受け取りました。ものすごいショックを受けてます。こんな悲しいことが起こっていたなんて、それも1年近く知らなかったなんて…
優子さんにはお会いしたことはありませんが、毎年、年賀状で頂く家族通信を楽しみにしていました。文面のスタイルですぐわかったので、何で今ごろ来たのかな、と思って読み始めて呆然としてしまいました。
ブログも読ませていただきました。これからものぞかせてください。

若く、多感だった頃の親しい友人からの言葉は、とても心に沁みるんです。
現在が確固たる現実で満ちている時は、昔の現実は不要だけど。
今を失い、前に向かう元気がないと、後に戻るしかなくなる。
昔、若い頃の現実を共にして、今はかろうじて年賀状だけの関係だよね。
毎年、年賀状を誰に送るか迷うんだ。もう10年以上も連絡が途絶えた人はだいぶ整理した。でも、中には切れずに繋がっていたい人がいる。
中学・高校・大学時代、未熟なボクが親しかった人が、今の僕によみがえってくる。

じゃあ、昔に戻りたいかって!?
思春期によく見られるのが退行現象(赤ちゃん返り)だ。この時期の葛藤に耐えられず、前に進めなくなると、親への甘えの世界に戻っちゃうんだ。その気持ち、よくわかるよ。

でも、僕の現実は優子だけではない。子どもたちや、友人や、仕事仲間がいる。
もし、これらも失われたら、完全に逆戻りしちゃうだろうけど。

ぜひ、ブログ見に来て下さい!!
ブログで繋がっている安心感で、前に進めそうな気がします。

衣類の整理


連休に、横浜から妹と大学生の姪が来て、優子の衣類を整理してくれた。
前から気にはなりつつ、とてもひとりでややる気になれない。今まで何も手をつけられなかった。

タンスから引っ張り出すと、居間に衣類の山。よくこんなにあったもんだなあ。
祐馬とおばあちゃんも加わり、女性軍4人総出で、
・祐馬の将来にとっておくもの、
・形見分けするもの、
・捨てるもの
に仕分けしていく。
仕分け会議でワイワイ、袖を通したりしながら、さながらバーゲン会場みたいだ。
おばあちゃん「Tikiはこういう品々を見ていると懐かしくなって、涙が出るでしょ!?」
と言いながら自分で泣いている。
特に肌着を見ると辛くなる、、、なんて良く言うけど、そうでもなかったよ。
心配しなくても、僕は下着フェチではなかったようだ。
妹「捨てる服も、写真撮っておくと良いらしいよ。」
ふ~ん、そうなんだ。
とっておいても仕方がない普段着を、一枚ずつ僕が手に取り、祐馬がデジカメで写していく。
そうねえ、やっぱり普段、よく着ていた馴染みの服が出てくると、ちょっと辛かったかな。
でも、大胆に処分していくしかない!
本体が消滅したのだから、付属品を持っていたって仕方がないもんなあ。
まる一日かかって、すっかり整理できたよ!!

夜は、おじいちゃん・おばあちゃんも交え、みんなでお疲れさまの手巻きずしパーティ。
ちょっと飲みすぎちゃったかな。

Saturday, November 21, 2009

祐馬とバトル

なんか、懐かしかったなあ。
優子とのバトルを思い出す。

夕食後の祐馬との会話。
カイ君を動物病院に祐馬が連れていくか、パパが連れていくか、どちらでもいい単純なこと。でも、お互いに譲れない。
父)それは、祐馬の仕事でしょ!
娘)パパは口だけで、ぜんぜん家のことをしないじゃない!ゴルフとかテニスとか、自分で勝手に予定を入れちゃって!

言い方まで優子そっくり。
しかも、絶対に引かない。あくまで主張する。
これは、祐馬のキャラなのか、両親のバトルを見て学習したのか?
ちゅけは、こういう場合、口答えせずすぐに引く。
いつの間にか食卓から静かに身を引き、後でテレビを黙って見ている。

祐馬も涙を流しながら、一生懸命応戦する。
表現は稚拙だが、論旨はそれなりに通っている。
僕が第三の対案を出したりしているうちに、結局、僕が引き、祐馬の主張が通る形で落ち着いた。
僕が引けば、祐馬も引く。
僕が押せば、祐馬も押す。

妹)ねえちゅけ、テレビの音うるさいんだけど!
兄)もう(バトルは)終わった?
妹)うん。

その後、祐馬はひとり親のベッドにもぐり込んでテレビを見ている。
ほとぼりが冷めてから、
父)祐馬は口ゲンカ、上手だね!
祐馬はニッコリ、ホッとした表情を見せる。

優子も、始めの頃はちゅけタイプだった。
夫婦対立しても、ムカついたまま引っ込め、ブスっとしていた。
それが、子育てが始まった頃からか、祐馬のようにしっかり主張するようになった。
初期は僕の連勝、最近の4-5年は優子の連勝だった。

歯に衣着せず自分の言いたいことを思いっきり言い放す。
その後の、譲歩と和解。
Positive/negative入り混じった濃密な関係。
それを何度も繰り返し、優子との濃密な関係を築いてきた。

優子がいなくても、祐馬がいる。
思春期を卒業するまでは、僕のバトル相手になってくれるかな。

Wednesday, November 18, 2009

このブログの使い方

喪中はがきをご覧になって訪ねて来られた方、優子とみんなの往復書簡へようこそ!
このブログの使い方を簡単に説明します。

始めは、妻への往復書簡というタイトルでした。Tiki個人が妻を失った悲しみの語りからスタートしたのですが、4月ごろ(だっけ?)からこのタイトルに変更し、みんなの往復書簡として開放しました。
まず、祐馬が興味を示して、ときどき乱入してきます。息子たちは興味を示しませんが。
また、読者の方々がコメントしてくれたり、私に個人的にメールをくれます。それも載せちゃいます!
優子は風になり、地上に残った私たちが優子をキーにして繋がっていきます。
優子の話題や、それ以外の話題でも、何でもOKです。
ブログを読んで思いついたこと・感じたこと。夫婦や親子など家族のこと。いろんな人間関係。
フルートや自転車、お弁当にお仕事。。。。

ギリシャ悲劇のコロス(合唱隊)のように、俳優に代わって代弁したり、劇のテーマを注釈します。おなじテーマのもとで複数の俳優が、並行してそれぞれの物語を語り、言葉にできなかったみんなの気持ちが統合され、ひとつの大きな物語に成長します。

参加方法
1.記事に直接コメントしてください。各記事の末尾のコメントをクリックします。
2.あるいは、私へ直接メールをお送りください。プライバシーを配慮して、つまり誰が書いたのか、近しい人が見てもわからないようにして載せさせていただきます。

ここは、モノローグではなく、優子とみんなが会話できる場所です。

喪中はがき


まだ喪中はがきの印刷が終わらない。

一週間くらい前から考え始め、Microsoft Publisherで文面はすぐにできたのだけど、プリンターの調子が悪くて!
普段、ふつうのA4コピー用紙を印刷するのは全然問題ないのだけど、はがきを大量に印刷すると、とたんにトラブル続発。もうムカつくよ。
来年からは印刷業者に出そうかな。でも、うちの年賀状は特殊だし、結構、料金もかさむみたい。

全部で650枚。
優子のお葬式に来てくれた人たちの住所録に、例年の優子の住所録と僕の住所録を加えると1000人超!
そこから重複を削って、650名になった。
多ければ良いと思ってんだろ⇒自分!?
それだけ多くの方々が僕らの周りにいるんだという安心感を求めようとしてるわけね。全く、誇大妄想的なんだから。

何、これ!!?
びっくりされた方もいるんじゃないかと思いますけど、うちでは数年前からこういう騒々しい年賀状を作ってたんですよ。
ちなみに、これが去年のやつ

「年末年始のご挨拶を遠慮しません」
とか、済みませんねえ。
それじゃあ、喪中の挨拶の意味がないじゃないの!

昔から、型にはまるのが大嫌いだったんです。
型破りといえば聞こえはいいが、要するに理屈っぽくって、扱いにくいんですよ。
型にハマることで安心する人も、きっといるでしょう。(introvert)
僕は、型を破ることで安心するんです。(extrovert)

人が型に合わせるんじゃなくて、
型が、時代の流れに変わっていく人々の習慣に合わせるんだ。
そんな勝手なこと言ってたら、社会が混乱しますよね。

服喪中は年末年始の挨拶をしない。
だれが、そんなこと決めたんだ!?
聖書にも、コーランにも、民法にも、そんなこと規定されてないでしょ。
世間の目ですよね。みんながそうするから、自動的に自分もそうする、という。

みんながそうしても、俺はそうしないんだ。
既製の型にハマるほど、俺の喪は甘くないぞ。
型を破るくらい、激しいんだ!
ほとんど、怒りモードだね。

こういう人、扱いにくいんだよね、ホントに。

Tuesday, November 17, 2009

長崎での講演

突然にお手紙を差し上げます。
私は11月7日、長崎での先生の講演をお聞きしたものです。長崎新聞で講演の記事を見つけ興味があり参加しました。
どうして、お手紙を差し上げたかというと、先生の講演を聞いてというか、奥さまのことをお話になったことで感動したからです。講演会であんな風に自分の家族の写真を見せるなんて今までありませんでした。
「愛妻家、またはマイホームパパなんだなあ」
という印象を受けましたが、奥さまの死のことを語られびっくりしました。精神科医である前に、ひとりの人間として、自分の悲しみ、苦しみ、どうしようもない気持ちを聴衆にぶつけられたことに、ひどく感銘を受け、心が熱くなりました。まだまだ、奥さまの死を受け入れることができないでおられることでしょうね....

お手紙、拝見しました。
私の話に共感していただき、ありがとうございます。
このようなフィードバックを頂けることがとても嬉しいです。
私も、授業や講演で、よく亡くした妻のことを話しちゃうのですが、今回ほどしっかり率直に私の気持ちを話したのは初めてでした。

どうしてあそこまで話しちゃったのかな??
自分でも不思議です。でも今から振り返ると、いくつか目的があったんだなと思います。これも、今だから考えられることで、講演を準備しているときは、こんなに整理して考えてはいなかったんですよ。

第一に、自分の心のため。
あの日、話し終わった後、疲れたけどとてもすっきりした気持ちになれました。私が表現した感情を、多くの聴衆が受け止めてくれたという実感がありました。一方的に話していても、聞いている人たちの気持ちはけっこうわかるもんなんですよ。私が話しているとき、すすり泣く声が聞こえたりして。それに、最後の20分ほどの質問タイムには多くの人が質問してくれましたよね。中には、ご自身の喪失体験を話してくれた人もいました。うまくいかない講演だと、ぜんぜん質問が出ないんですよ。
ずるいですよね、みんなのためではなく、自分自身のために話して、それで講演料ももらっちゃって。

第二に、「気持ちの使い方」をみんなに体験してほしかったんです。
ふつう、大学教授とか医者の『講演』って、むずかしく、堅苦しいですよね。
理屈ばかり話しているから。

左脳が論理をつかさどり、右脳がイメージをつかさどる。
こういった、よく聞く右脳と左脳の機能局在論はいわゆる通俗心理学というやつで、ぜんぜん科学的根拠はないのですが、比喩として便利だから、あえて使っちゃいますね。
堅苦しい話は、すべて左脳(理屈)を使っているからなんです。
心の問題って、いくら理屈で理解したところで、ぜんぜん解決しません。
いかに右脳(感性)を使えるかということが大事です。
でも、それをこうやって文字で解説しちゃうと、すでに左脳(理屈)なんですよね。
言葉では説明できない。感情は、感情でしか説明(体験)できないんです。
それで、私の感情をみなさんにお見せしたわけです。
妻を喪失しなければ、みなさんに見せるほどの感情はありませんからね。
パートナーを亡くした感情は、だれでもわかりやすいですから。
左脳(理屈)の話をちゃんと受け取ってくれたら、「よく理解できました。よい知識を得ました。」という反応になるでしょう。
右脳(感性)の話をちゃんと受け取ってくれたら、「感銘を受けました。心が熱くなりました。」という反応になるのだと思います。
そういう意味で、私の伝えたいことがにちゃんと伝わったわけで、とても嬉しいです。

第三に、いつでも辛くなったら心の支援を受けても良いんだよ、ということをみんなに伝えたかったのかなと思います。
「いのちの電話」の講演でしたからね。こころを支援すること、支援を受けることがテーマです。
ふつう、心の支援を受けるなんて恥ずかしいし、そんなことするべきじゃない、と感じている人は多いと思います。特に日本では。
だから、あえて私がカウンセリングを受けてますということも伝えたんですよ。
その話をすると、家族も心配するし、ある友人に伝えると、
「おまえ、そんなに具合が悪いのかよ!」
とかなり心配されました。
いえ、そんなに具合が悪いわけじゃありません。別に、カウンセリングを受けなくても、普通の生活はちゃんとやってゆけ(ると思い)ます。でも、よりベターな生活のためには、カウンセリングがとても役立つんです。
北杜夫が昔、自分は「うつ病」だと言いまくり、こころの病を持っても構わないんだという社会認知に貢献してましたけど、そんな気持ちかな。

お返事ありがとうございました。
私の所属する団体のブログに先生の講演の事を取り上げさせて頂きました。すみません、事後承諾になってしまいました。
また、メールさせて頂いてもよろしいですか?

どうぞどうぞ!
また、こうやってブログネタに使わせてもらうかもしれませんけど。

追伸
ふつう、大学教授は理屈(左脳)を表現してメシ食ってますよね。
芸術家・作家・アーティストたちは感性(右脳)をうまく表現してメシ食ってる。
じゃあ、精神科医・心理カウンセラーはどっちなんだ?
ホントは両方使えなくちゃダメなんだけど。

Thursday, November 12, 2009

Happy Birthday!!

優子

46回目の誕生日、おめでとう!
ハッピーバースデーの歌、聞こえた?
ケーキは優子の分も子どもたちが食べちゃったよ。
去年までは「一緒にがんばろう」とか「これからも、よろしく」とかカードに書いていたけど、今年からは僕の心の中の優子に語るしかないよな。

正直、まだ優子を心のどの辺に置いたらよいか、よくわからないんだ。
3月くらいまでは、そうとう暴れていたよな。
圧倒的な悲しみに加え、後悔とか、怒りとかが洪水のように溜まってきて、一生懸命あふれる気持ちを掻き出していたよ。いろんな人に気持ちを話して、たくさん泣いて。
4月に納骨を済ませた頃から、少しずつ水位は下がってきたけど、まだ水浸しだったかな。後悔や怒りは静まり、悲しみに収束してきた。
これで、優子の誕生日や一周忌が過ぎて、自然に引いていってくれるといいのだけど。

優子は愛着という、心の一番大切な席にいたんだよね。
生きていた時は気がつかなかったよ。
急に空席になり、僕はどうしたらいいんだ!?
代理の人を立てようかとも思ったけど、とても無理だね。
残りの人生、このまま一番大切な席を空席にしておけっていうの?

優子を消そうかとも思ったんだよ。
たくさん悲しみを吐き出したら消えてくれるかなって試してみたけど、それも難しそう。
なぜなら僕自身、優子を消したくないから。

じゃあ、どうすればいいの?
横っちょの上の方に、新たな特別席を設けて、そこに鎮座してもらうとか。
でも、そういうのもイヤだなあ。なんかいつも斜め上の方から監視されているみたいだよ。

少なくとも、子どもたちの心にはずっと居てほしいからね。
親ってそうだよね。子ども時代は、一番大切な席にいた。でも成長していく中で、自然にその席から離れていった。
(今は、別の意味で、大切な席に居るけど。)

そうか!
執着しなければ、ふつうに居てもいいんだ。それほど気にしないで。急に出て来ても、急にいなくなっても、いちいちびっくりしなくても済む。
優子もそうなってくれないかなあ。
僕の心にもずっと居てほしいんだ。
でも、ヘンな時に出てきて、僕の人生のじゃましないでくれよ。
わかってるよ、優子はそんなつもりは毛頭ないってことも。
僕の勝手な思い込みだからね。

じゃあ、こうしよう。
僕と子どもたちの心をくっつけて広くしておくから、その中を自由に吹き渡っていてよ。そうたびたび出て来なくてもいいと思うから。
でも必要な時は呼ぶから、すぐに出てきてね。

Tuesday, November 10, 2009

優子が離れない

まだ、優子が離れない。
今まで、一生懸命優子を失った悲しみを表現して、優子のことを客体化しようとしてきたんだ。でも、まだ駄目だなあ。
優子は、ぴったり僕の心にひっついていて離れないよ。
よっぽど優子が生きているときのほうが楽だった。ちがう物体として存在していたから、ムカついてケンカしたり、忘れていることもできた。
でも、物体としての優子がいなくなっちゃったから、優子は僕の心の中にしかいなくなった。(もちろん、子どもたちや他の人たちの心の中にもいるけど⇒それを、一周忌で出し合おう!)
理論的に考えれば、優子ぐらい素敵で、関わっていく中で素敵なパートナーになれる人は、この世の中にたくさんいるはずなんだ。でも、そうは思えない。

もともと、付き合う前は優子と他人だったんだから、いなくなった今、また優子が他人になってくれればいいんだ。そうしたら、「ああ、そういう人がいたね」、って過去の人のこととして懐かしく思い出せるのに。

別の人ができれば、自然に離れてくれるのか。
それとも、優子が離れてくれないと、別の人はできないのか。
わからんね。

他人=愛着対象ではない人

(多摩サイを走っていて思いついたメモより)

Tuesday, November 3, 2009

優子の会

仏式は一周忌、神式は一年祭、カトリックは追悼ミサ、プロテスタントは記念式...
じゃあ、優子の場合は何と呼べばいいのかね。
偲ぶ会というのも、イマイチだなあ。とりあえず、優子の会にしておこう。

その日取りと場所を決めた。
そんなに派手にやるわけじゃない、親族と、優子と近しかった少しの友だちと、、、
だから、三が日でもいいか。
命日の3日にしよう。その方が、みんなの都合もつけやすいだろう。
場所は、都内の会館かホテルかな。
方々あたっても、まだ年始休業中だったり、新年会なんかですでに満員だったり。
いくつか当たった末に、都心の便利なところが見つかった。

だれに来てもらおうか?
どんな風にやろうか?
コンセプトは?
いろいろ、アイデアが湧いてくる。
優子を悼む気持ちは僕だけじゃない。
子どもたちだって、お義母さんだって、友だちだって。。。
みんなが無理なく、深い気持ちを分かち合えるにはどうしようか?
そういうのは、オマエの専門分野だろ!?
チャリ通勤しながら、こんなことを考えていたら、涙で顔がくしゃくしゃになってくる。

同じことが葬式の時にも起きたなあ。
毎日、葬儀屋さんが自宅に来てくれて、葬儀の打合せ。
無宗教だから、やり方も自由だ。
話しあっているうちに、涙が留めなくあふれてくる僕を、両親や、保育園の友だちが支えてくれた。

今日がちょうど10ヶ月目。
これから2ヶ月間、このことばかり考えているんだろうなあ、きっと。