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Sunday, October 30, 2011

コロキウム・テニス・クラブ

始まったのは、もう10年くらい前になるかね。たしかちゅけがまだ小学生になるかならないかくらいの齢だったから。
大学時代の勉強会仲間とのテニス合宿。医師国家試験は内科・外科・産婦人科などなど全科をカバーするのでやたら範囲が広く、難しいというよりは覚える量が膨大で、ひとりではやってられない。医学部5年生くらいになると、みんな5-6人でグループを作って勉強し合う。週1か、試験が近づくと連日のように集まりお互いを励まし合う。その前後に息抜きで飲んだり遊んだり。「コロキウム」という午後ぶっとうしの授業(臨床講義ってのかな)をよくサボってテニスをしていたので、コロキウム・テニス・クラブ。Tシャツまで作ったりして。

若い頃は余裕がなかったが、40歳を過ぎて年1回集まり始めた気の置けない仲間たち。お互い、まだ青かった頃の失敗談を語り始めたらきりがない。始めの頃は持ち回りでいろんな場所に行ったが、ここ4-5年は場所もパターンも固定した。茅野まで特急で行き、車で山に上がる途中スーパーで食材を買い出し。午後、2時間ほどテニスをした後、温泉に浸かり、僕はフルコース60分の全身マッサージ。筋肉と疲れをほぐした後、キッチン付きの部屋でみんなは飲みはじめ、僕が食事を作る。ホテルのレストランでも良いのだけど、高い割にはたいしたことない。部屋でワインをたくさん持ち込み、思う存分飲み、食べ、語り合う。といっても女性グループのようにペラペラしゃべるわけでもないが、酒が回るにつれて饒舌になる。女性には、たとえ(特に)奥さんにも言えないような話がポンポン出てくる。話が尽きる前に意識が尽きて、朝までぐっすり。
2日目は午前中テニスをして温泉に入り、茅野の駅前のそば屋で生ビール。帰りの電車は爆睡状態。

家に戻れば、それぞれの日常生活が待っている。束の間のタイムスリップ、昔の自分に出会える。はじめの頃は奥さんや子どもたちも一緒に来たけど、もう子どもたちも大きくなり、奥さんたちからは見放され、男だけの合宿になっちゃったね。それはそれで良いんだけど。
優子の葬儀にもみんな駆けつけてくれた。優子を亡くした年にも集まった。連中に会うことが大切だった。
あと何年ぐらい、テニスを続けられるだろう?
俺はずっと夕メシ作ってやるからな!

Tuesday, October 25, 2011

喪失の耐性

だんだんと紅葉が美しい季節になって来ております。
パンフレットを御郵送いただきまして、どうもありがとうございました。ホームページを拝読させていただきまして、御開業までいろいろご苦労なさりながら、今日までに至っていらしたことがよくわかりました。
研究室のパンフレットを頂戴いたしました時から、ずっと優子ちゃんのことを思い出させていただいておりました。
OB・OG会のとき、ボーイズをそっちのけで、二人でお話していたこと。
優子ちゃんからの同時通訳者の御相談を電話でいたしたこと。
でもTiki様は優子ちゃんの深いお悲しみからは、前向きに歩んでいらっしゃったのですね。

心温まるメールありがとうございます。
開業できたのも、優子のおかげと思っております。
数年前から、いずれは開業したいと思っていたのですが、前の大学の職もそれなりに居心地がよく、リスクを冒してまで転職する動機づけは持ちえませんでした。それでも、優子が亡くなる2ヶ月ほど前にふたりで開業フェア(これから開業を目指す医者向けの関連企業展示会のようなもの)を覗きに行ったりしていました。

そして優子を失ったことに向き合う中で、喪失に対する耐性のようなものができてしまったように思います。もう失うものは(子どもたちを除いて)何もないといった開き直りでしょうか。現状維持に躊躇する理由もなくなりました。優子が小さい頃からの夢だった通訳者に転身したことを見習い、思い切って自分自身を前に進めることにしました。心が平穏であればもっと落ち着いて現状を自然に受け入れ、留まっていたのかもしれません。普通にしていたらバランスを失ってしまいそうな不安感から、一生懸命前に漕ぎ出してバランスを保とうとしているのでしょう。

優子を失った深い悲しみを体験したことは、私の仕事にはプラスになったかもしれません。患者さんたちはとても深いマイナスな気持ち(悲しみばかりでなく、不安、恐怖、怒り、自信喪失など)を抱えています。正直、私は今までの人生でそれほどの辛さを体験してきませんでしたので、患者さんたちの話を伺って客観的に理解・共感するしかありませんでした。優子を亡くしたおかげで深い悲しみはどういうものであるか、言葉では言い表せないものを、自分自身で体験することが出来ました。そして、それをどうにか乗り越えることが可能なんだということも、何となく体験している最中です。人を失った悲しみは、人によって救われるのだということを身近な家族や友人などと交流する中で体験することができました。
今までは理論と他者と関わる体験からしか得られなかった本当の癒しのすべを、自分自身が体験することで、精神科医としての深い自信につなげられるのではないかと漠然と感じています。

Monday, October 24, 2011

親子三代珍道中

良かったよね、三人で行けて。
もともとはおじいちゃんがお墓参りにひとりで行くはずだったんだけど、月曜日ならクリニックも休みだからパパも来れることになり。
そしたら三中も学芸会の振替休日だったんだよね。じんも来るとかはじめは言ってたけど体操教室があるからやっぱ行かないって。
祐馬は受験生。そんなことしてられないって言うけど、まあイイじゃん。勉強道具持って来なよ。
祐馬がしゃべったことのないはとこが言ってたよ、中学生の時なんて絶対お父さんと旅行なんて来なかったって。

ゆま、パパと来たんじゃないもん!
おじいちゃんと来たんだもん!

おじいちゃんも良かったと思うよう。息子と孫娘がお伴したんだからね。
別にわざわざお墓参りに行かなくったって、、、と前は思ってたけど、子どもたちやパパがママのお墓参りするみたいなもんだから、おじいちゃんが時々行かないと落ち着かないって気持ち、分かるよね。
おじいちゃんはもう祐馬の歳にはお家から離れて前橋で学校とか行ってたんだよ。時代が違うって言えばまあそうだけど、偉いよね。祐馬でもできるか?
でも実家が温泉旅館ってかなり良いよね。パパが子どもの頃は毎年来てたよ。 パパやおじいちゃんにとっての四万温泉は祐馬たちの草津みたいなもんなんだ。

また来年も一緒に行くか?
高校生になっても、それくらいの時間、きっと取れるよね!?

Saturday, October 22, 2011

手帳に予定が埋まる人生

往復書簡のほうは時々楽しんでいたんですけど、最近、あんまり書かれないな~と思って・・・。


そうなんですよね~。
書きたいといつも思っているんですけど、モチベーション、、、というより書かなければならない気持ちの必然性が下がってきているのかもしれません。
最近、優子はもうあまり来なくなったんですよ。いや、来てくれればそれに越したことはないんだけど。
まあ来なくても、それはそれで構わないんだけど。


手帳に予定が埋まる人生を、今までベストな生き方にしてました。
多種多様な人々と交われば、それだけ自己効力感や生き甲斐が増すような。
そういうのを辞めたんですよ。
身近な家族との交わりは手帳には書かない。そっちの方が大切かなって。


祐馬、じん、三中の合唱コン、良かったよ。
中学生なんてそんなマジで歌わないってのはパパ自身の経験からそう思ってたし、テニスの予定があったからあまり行きたくなかったんだけど、来て良かったよ。
パパは音派の人間なんだ。音に感動するタイプかな。中1なんて、そんなに上手くないけど、一生懸命歌ってるし、合唱曲も結構いいじゃん! パパの中学生の頃に比べると、ずっと良い曲が多いね。
何だか知らないけど、何も考えていないんだけど、合唱を聴いてると涙がツーッと流れて来ちゃうんだ。そこに君たちが登場すると、もうダメだね。普段@homeで近くに繋がっている君たちが、社会の中の遠くで切り離されてる姿を見てしまうことに感動するんだ。


身近な、親しい人とゆっくり過ごす一日が最高だね。
あるいは、ひとりぼっちで過ごす一日も良いんだ。寂しくないかって?その寂しさが良いんじゃん。優子と出会えるし。
もちろん、それオンリーじゃ煮詰まってしまう。違う世界があるからこそ、広い世界に行くからこそ、またここに帰って来れるんだ。
広い世界も捨てたわけじゃない。というか、捨てさせてくれない。イヤそうなフリしてるけど、ホントはそれがあるから充実してるんだけどね。
クリニックの手帳(というかGoogleカレンダー)も、なんだか書き込みが多くなってきななあ。
そりゃ、おばあちゃん的には安心するのだろうけど、僕としては、もう半年後くらいでも構わないのだけど。
と言いつつも、じっくり、ゆっくり救いを求める患者さんと深い話をできるのは、それはそれで充実してるんだ。


祐馬、『ラビット・ホール』は一緒に観に行くか?11月5日に封切だってよ。
テーマ的に、パパとしては見逃すわけにはいかないんだけどね。
べつに祐馬と一緒じゃなくたって良いんだけどさ。

Tuesday, October 11, 2011

結婚記念日

10月10日は晴れの特異日だよ。今日も晴れたね。
そもそも、なぜ10月10日が体育の日だか知ってる?
1964年に東京オリンピックが開催されたんだ。
あなたはまだ生まれてなかったけどね。
私は小学校1年生だったから、よく覚えているよ、開会式とかアベベとか円谷とか、東洋の魔女とか。
夢の超特急ひかり号ができて、首都高速ができて、日本は前に進んでいた。
そう、10月10日はボクにとって新幹線の特異日なんですよ。
去年も今年も新幹線。1年経ったんだよなあ~!
連休は充実してた。体重増加を1.2kgに抑えられたのは良しとせななぁ。

でも、オレはどこに行くんだろう?
去年の同じ日のブログにそう書いてある。
まだ、同じ様に迷っているなあ。進歩してない。でも進歩してる。

夜はちゅけとモーツアルトのレクイエムを聴いた。9.11と3.11のチャリティー・コンサート。
良かったね~。はるこさんもよく見えましたよ。
今まで、なぜレクイエム(鎮魂歌)があんなに盛り上がるのか理解できなかったけど、なんとなくわかってきた。悲しみはひとり静かに弱く、寂しく落ち込むものじゃないんだよね。悲しみのエネルギーは、喜びのエネルギーよりずっと大きいものなんだ。
悲しみと喜びは交互にあらわれてくる。喜びがあったから、悲しみが大きい。悲しみがあるから、次に喜ぶチャンスもやってくる。悲しみを天に向かって力強く放出した後に、喜びがやってくる。人を失った悲しみの向こうには、人と出会う喜びがある。chanceとchangeは一文字ちがうだけだね。
10.10は悲しみと喜びのmemorial dayなんだ。

帰り道、ちゅけとふたり駅前でラーメンを食べた。パパは生ビールも。
ちゅけ、歩きながら参考書読むなよ。おまえは二宮金次郎か!?
次はラフマニノフのピアノコンチェルト聴きに行きたいね。

Friday, October 7, 2011

すごい勢いで語ってた2年前

もちろん、Tikiも周りに、同居しているご自身のご両親も含めて、亡くなった優子さんについて語り合える相手はいらしたと思う。でも、人生で最大・最愛のパートナーにして語り相手の奥様を亡くされたんだ。お子さんはまだ小さかったし、語り相手にはなっても、「完全に対等な対話相手」にはなりにくい。
だから、きっとTikiは、ブログに全面的に(近いほどに)思いをぶつけていらしたのだと思う。本当にすごい勢いで、当初から3か月を経た後も、ブログを書いておられた。

確かにすごかったですかね(笑)?
私自身はすごいなんて思わず、必要に迫られて書いてただけでしたけど。

う~ん、でも振り返ってみると、優子について語っていたんじゃなくて、優子に向かって語っていたんですよ。お父さんだってそうでしょ!?
なにしろ、ひょこひょこボクの心の中に優子が出てくるもんだから、お相手してやらないと「無視しないで!」って怒られそうで恐かったからね(笑)。
ブログを読みに来てくれる人には語っていなかったですねえ。読んでくれるのはすごく支えになっていたんだけど、横で聞いていてくれるだけで十分だった。

それが、今はこうやってブログ読んでくれてるお父さんに語ってるでしょ。2年前と、だいぶ違うよね。
つまり、あまり優子が出てこなくなったんだ。
それは、ホッとする反面、すこし寂しいんだけど、まあそれで良いとは思ってる。
優子が生きてるときは、そんなにたくさん意図して語り合わなかったもんなあ。死んでからの方がたくさん語り合った、というか一方的に語りかけていたと思う。

(ここで、また家族療法家根性を出せば)家族の危機って夫婦関係にとって両刃の剣なんですよ。たとえば子どもを失い、気持ちに余裕がなくなり、それぞれ別のペースで喪の仕事をやってると、辛い気持ちを夫婦間でぶつけ合って、仲がすごく悪くなっちゃう場合もあります。離婚の危機なんかもよくありますよ。悲しみが家族を壊しちゃう。
逆に、普段以上に語り合うことが増えて、辛い時期を乗り越えるためにふたりが近づく場合もあります。悲しみが家族を強くするんですよね。お父さんの場合なんかまさにそれでしょ。素晴らしい!!

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おい、優子、聞いてるか?
優子が生きているときはそれほど語る必要もなかったけど、亡くなってからずいぶんたくさん話しかけたんだぞ。一方的だったから、かえって話しやすかったのかもしれないけどね。ヘンに返されると話しにくかったりするし。
、、、な~んて、優子に語りかけても、今となってはわざとらしくなっちゃった。もう、優子はそんなに出てこないし。
逆に言えば、2年前は、こうやってブログを通して優子に語りかけることがぜんぜんわざとらしくなかったんだよね。確かに当時は尋常じゃない、すごかったんだよ。今から振り返れば。

Wednesday, October 5, 2011

2年9ヶ月:人と関わる喜び vs. 不安

土曜日は大学時代の悪友ふたりが夫婦同伴で広尾を訪ねてきてくれ、近くの隠れ家すし屋に繰り出した。こいつらと飲むと、必ず後半には前後不覚に陥るんだよね。なんとか覚えてはいるけど。
日曜日は保育園のパパママたちが無理せず適当に作った料理を持ち寄りプチ・パーティー。子どもたちは高校生・中学生だもんなあ。子どもはどんどん成長して、大人はどんどん老けていく。
人と関わる喜び。久しぶりの仲間たちと交流して安心する。

人と関わる不安
昼間はカウンセリングしてた。クライエントさんたちは、不安と緊張感を抱えてやってくる。
うまく話せるだろうか。ちゃんとわかってくれるだろうか。言いたいことが伝わるだろうか。
先生は怒らないだろうか、叱らないだろうか。良いアドバイスくれるだろうか。
初対面だったら、そんなことわからないもんなぁ。
クライエントは、普段の生活の中で人と関わる不安を抱えて、カウンセリングにやってくる。そして、カウンセラーと関わる不安を抱く。
それじゃあ悪循環なんだよなあ。
子どもがうまく人と関われず、ひきこもってしまう。
親は、そういう子どもとどう関わってよいかわからない。親子関係に自信を持てない。
子どもの将来に不安を抱く。
子どもの問題をどうしよう?夫婦で意見が合わない。うまく話し合えない。それ以上つっこむとキレるから突っ込まない。パートナーに関わる不安、自信を持てない
子どもにどう接したら良いのだろう?子どもの頃の親の記憶が蘇ってくる。近くに、あるいは天国にいる親とうまく向き合えない。老親に関わる不安
これらはすべて連関している。ひとつの関係性の中で生まれた不安が、他の人に関わる不安に波及してしまう。それじゃあ辛いよ。

このセットをどこかでひっくり返すことはできないだろうか。
人と関わる不安・辛さから、安心・喜びへの転換。
まず、カウンセラーとの関係の中で、それをやってみよう。
たくさんの不安を持ち込んできたクライエントさんとの関わりの中に安心・喜びを生み出す。
えっ、そんな体験は初めてなの?
そうかもしれない。今まで関わってきた人たちとの関係性を振り返ってみると、そのことが改めて見えてくる。ショックだった?でも、みんなそうなんだよね。あなただけではない。

そうじゃないよ。人と関わるのは安心するよ、楽しいよ。
まず、カウンセリングの中でそれを産み出し、徐々にまわりの世界に広げていく。
それがバケツリレーでパートナーや子どもに伝わっていく。
人と関わるって、簡単そうで難しい
喜びと苦しみが混在している。
でも、ホントは難しそうで簡単なのかもしれない。

じゃあ、カウンセラーさんはどうなのよ?
結局、カウンセラー自身の体験が、クライエントさんにも伝わっちゃうんだよね。