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Sunday, June 12, 2016

不安スイッチとおばあちゃんの認知症

ばあちゃんの認知症が始まったかな、、、という感じなんだよね。

玄関のドアのカギを開けられないんだ。
私が、普段使っていないもう一個の鍵も閉めたもんで、おばあちゃんが開けられない、外に出られないってパニックになっちゃったんだ。イレギュラーなことが起きるとダメなんだよね。その後カギを縦にしたら開いて、横にしたら閉まってというごく単純なことが飲み込めなくて何度も繰り返すんだけど、「わかった」と納得がいかない。じんが30分くらい付き合ってなんども説明して、その後パパも同じようにずっと付き合っていたんだけど、ダメなんだよね。ちゃんと問題なく開け閉め出来ているに、「できたんだ」と思えないみたい。
「もう、おばあちゃんダメだなぁ」が口癖になっちゃって、すごくめげちゃうんだ。
その後、いつもの朝の打ち合わせで、「帰宅は6時、夕食はOK」みたいなことをカレンダーに書き込むんだけど、それができないんだ。ペンを持ったまま固まっちゃって、「なんて書いたらいいかわからない〜」という状態。
自分ができなくなっちゃったということはよく分かってるから
「あぁ、おばあちゃんもうダメだなぁ」と、さらに落ち込む。
それでいて新聞読んだり、いつもの碁の集まりとかルーチンの慣れてることは普通に出来るんだよね。今晩も一緒にご飯を食べたんだけど、買い物・炊事・料理はちゃんとできるし、食卓での会話もいつもと同様、耳が遠いだけで、頭は普通に働いているんだ。
認知症って、こうやって少しずつ始まるんだよね。初めは特定のことだけ部分的にあれ、おかしいなという具合なのが、徐々に他の分野にも及んでくる。

心配なこと、不安なこと、びっくりすることなどなんらかの否定的なストレスが加わると、パニック発作、つまり不安スイッチがオンになっちゃうんだ。すると思考停止状態に陥っちゃう。emotional overloaded つまり心がその感情で一杯になっちゃって、理性が働かなくなっちゃって、アタマが止まっちゃうか、暴走し始める。

パパもママが死んだ後、2−3ヶ月間は、自分の心の動きが止まる(うつ状態)か、暴走するんじゃないか(変な行動を起こすとか)と心配だったけど、なんとかそうならずに済んだけど。

パパんとこに来る患者さんたちもそうだよ。例えば子どもに心の問題が発生すると、親の不安スイッチが入っちゃうんだ。すると暴走して制御不能になって、パパがなんかアドバイスとか言っても全然入んなくなっちゃう。子どものためと思って一生懸命子どもに接するんだけど、その方向がずれているもんで、ますます子どもの問題が悪化してしまう。

人は誰でも過大なストレスが加わるといかれちゃうんだけど、どれくらいのストレスで暴走し始めるか、人によって閾値(threshold)が違うんだよね。健康な人は高いんだけど、心の健康を損なうと低くなっちゃう。おばあちゃんはママの死やおじいちゃんの死でストレスが加わって、さらに加齢もあって閾値がかなり低くなっているんだ。だから普通の人ならなんでもない小さなストレスでもアタマが動かなくなっちゃう。さらに、この閾値が低くなって、常時動かなくなっちゃうと、認知症ってことになるんだろうね。まあそうすぐには進行はしないだろうけど、今後はわからないね。

それに今回はパパが海外に行くってことがあって、ばあちゃんにとっては相当ストレスなんだろうね。じいちゃんも、パパが外国に行って留守にする時に限って調子を悪くしてたし。という意味ではパパにも責任はある。でも、パパもずっとおばあちゃんにつきっきりっていうこともできないしね。パパのやりたいこと、やらなくちゃならないことはあるし、一人暮らしや施設で暮らしている高齢者だってたくさんいるわけだから。

ということなんで、君たちもばあちゃんをよろしくね。孫に会うことがばあちゃんにとっての一番のストレス解放になるから。

Wednesday, June 1, 2016

久々に読み返してみたら、、、

母が、父の遺品を整理していて「これ、Tikiのでしょ!」と渡してくれたのが、このブログの原稿。父が読みたくて、私がプリントアウトして渡したんだよ。ブログを始めてから半年分くらいなんだけど、A4のコピー用紙に100枚以上。随分と書いたもんだねえ。
読み返しても、まあよく書けたもんだ。すごいintensityだよね。我ながらびっくりしたよ。
もちろん、書いてある出来事も、その時、そういう心情だったということも覚えてはいる。でも、相当悲しかったんだねえ。。。その気持ちは主観的に呼び戻すことはできない。
Men's group (MKP)の仲間たちの助けも借りて、当時の悲しみの気持ちを蘇らせようとしたんだけど、残念ながらもうできない。悲しみのタオルがカラカラに乾いて、いくら絞りだそうとしても何も出てこない。
書いていた当時は絞らなくてもちょっと触れればポタポタ垂れてくるほど悲しみの水で溢れていたんでしょうね。今は、それがなくなっちゃった。これも、一つの喪失体験かね。当時の気持ちに戻ることができなくなっちゃった。

それは、残念なことじゃあないんだよ!、、、と仲間が指摘してくれた。
彼は優子のお葬式にも来てくれて、僕のmourning processにずっと付き合ってくれていた。つまり、Tikiは悲哀の仕事をうまくこなしたってことだよ。
確かにそうなんだよね。もうあの当時の悲しみの世界には戻れない。それは良いことなんだ。

そろそろ、このブログを本にまとめてみたらどうだろう?
世の中にはこの種の、家族喪失の体験本がたくさん出ているからね。優子を失った直後は読む気がしなかったけど、しばらくしてから随分読んだ。今は、もう読む気しないけど。ってことは、こういう本を必要としている人は常にいるわけで。
中には、喪のプロセスの現在進行形で書かれた本も結構あった。要するに、僕のブログがまだ熱い頃に出版されたような本で、ああ、こうやって本を出すことで喪の仕事を進めているんだなってのがよくわかる。
僕の場合は、もうその時期は過ぎてしまった。悲しみのタオルが乾いてしまっているから、そういう意味では本を出す必要性もないんだけど。
むしろ、乾いた立場、そして喪の仕事を支援する心の専門家の立場から、僕のmourning processを客観的に解説するみたいな二重構造で書けば面白いんじゃないかってね。そうすれば、僕自身の当事者としての心の姿と、支援者としての姿の両方を見せられるから、営業的にもなりたつんだ。僕自身のニーズというよりは、そっちのニーズから書こうということなんだ。

でも、その前に、一向に進まない本の原稿があるから、まずそっちを仕上げなくちゃダメでしょ。そっちを早々に仕上げて、こっちの方は今が優子喪失7年目で、べつにもう少し後でも、タオルの乾き具合はもう変わんないのだから、待っても構わないでしょ。