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Tuesday, April 12, 2011

被災地レポート

は、仕事ブログへ引っ越しました。
http://tamuratakeshi.blogspot.com/
子どもたち、じじばばに教えてあげて!

Sunday, April 10, 2011

被災地へ3

名取市に到着。本部のクリニック付近は大丈夫だが、仙台空港付近の海側は津波でこの通り。ボランティアが集まり明日早朝に陸前高田に入る予定。構造が全て破壊された被災地を支援する我々も構造がない。これから新たに何かが始まる予感と熱気がある。今晩はネットも繋がるけど、明日からの電波は不安定になる。

被災地2

バスで仙台駅に到着。駅ビルはすべて覆われ復興工事中。新幹線乗り場ととなりのお土産物名店街は閉ざされ閑散としている。でも、人々は行き交い、笑顔で普通に生活しているかのように見える。これから仲間の車で名取市のベースキャンプへ向う。ブログに写真も行くかな?

被災地へ1

高速バスで仙台へ移動中。これから約一週間、ボランティア専門家として陸前高田に入る。名取市を拠点に多文化間精神医学会のチームに加わり、内科医、看護師と共に小規模避難所を中心に巡回する予定。
被災地に入るというと、親から心配され、仲間からうらやましかまられ、友人から尊敬される。「ねぇ、祐馬も行きた〜い」「今回は中学生はちょっと無理だなぁ!」じゃあ、まなちゃんと共に折り紙で作った素敵なメッセージを託される。
危機は人々を繋げる。人の為に何かをしたい。人から喜ばれることをしたい。支援は、すごく明確な生き甲斐を与えてくれる。人生の危機は誰でも迎える可能性を持つ。経験していなくても、自分に少し余裕があれば共感できる。すごくわかりやすい圧倒的弱者に対して、誰もが支援者になれる。
まあ私の場合、心の危機からの復興は専門的にも、経験的にもプロですから。二次災害とPTSD二次受傷とburn outに気をつけて頑張ります。

テスト

iPhoneから、メールを介して投稿できるかのテストです。こういう場合、ブログが良いのか、twitterの方が良いのか迷うところだ。
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Twitter @tiki3282

Tuesday, April 5, 2011

先生へ

お元気ですか。私は4月からの小学校が決まりました。このように手紙を書く機会もなかなかなくなってしまうと思うので、最後に先生への手紙を書かせて下さい。


高校生の時に、大学受験に来た日のことを今でも覚えています。大学受験は、正直、勉強不足のまま受けてしまいました。それでも、大学で何を学びたいかはなんとなくですが、考えていました。今の家族関係に不安があったこと、人間関係で悩んでいたこともあり、入学前から家族関係学には興味を持っていました。いざ、面接が始まると幸運か不運か、以前、本で見たことのある先生が目の前にいらっしゃったことで、さらに緊張して上手くしゃべれませんでした。それでも、幸運なことだと思い込み、精一杯アピールした記憶があります。


大学が始まり、難しい授業や、眠たい授業もありましたが、先生の授業では常に何かを考えていました。終わった後に周りの人と討論して盛り上がったり、時には、嫌な気持ちになったり、考えるのが面倒になってしまう授業もありました。物事に対して「本当なのか」「なぜなのか」を一々考えるようになったからです。また、先生の授業を受けて、自分を周りの人に見せることができるようになってきました。なんとなく恰好つけたいから。周りの人と同じが良いから。と最初は思っていましたが、授業中に発表し合うことで、私は私で良いんだ。と思うようになり、泣いたり笑ったり…感情を素直に表現できるようになったと思います。そして、「聞くこと」も学びました。先生はよく、ゼミの途中で「あなたは、どうしたいの?」と何度も聞いて下さいました。聞かれることってすごく気分が良いな、と感じていました。それからは意識して「話を聞く」ようになりました。友人にしても、家族にしても意識をして「話を聞く」と相手のことが少し分かるような気がしました。真似をして「どうしたいの?」と聞くこともあります。小学校の教員になった時も、先輩の先生方や保護者方、そして子どもたちから「聞く」ことをしたいと思っています。


周りの人に先生の話をすると「大学で良い先生に巡り合えるなんてめったにないことだよ。」と言われます。先生は面白い授業をするイメージでした。しかし、松下先輩からブログのことを教えて頂いて、ブログをチェックするようになってから先生のイメージが変わりました。とても失礼ではありますが、身近に感じるようになったのです。最初から読み返し、読みながら涙が止まりませんでした。最近のブログは、本を読んでいるかのように読ませて頂いています。愛読者です。4月からはなかなか読めないと思いますが、夏休みに一気に読んで元気を頂こうと思っています。


ホームパーティー
ブログで知ったことなのですが、先生が私の両親より年上だとは知りませんでした。30歳後半くらいと紹介していたのでとても驚きました。いつまでも、お若い先生でいて下さい。


最後に。人の人生を変えられるのは「先生」と呼ばれる職業だと聞いたことがあります。医師、弁護士、教員。本当に言葉の通りなのですね。私も4月から精一杯頑張ります。本当に本当にありがとうございました!

こうやって、他者と直に関われるって素晴らしいよね。
恋愛関係、家族、親子は一番に直近だけど、それだけじゃなく、こうやって人と人が出会ってじかに触れ合うこと。
人から受けた経験があれば、人に与えることができます。
大学生でさえこんな風に感じることができるんだから、幼く、吸収力の旺盛な小学生はとてもたくさん影響を受けるよね。
影響を与える喜びは、その立場にならないとわからないと思います。
あなたは、影響を受けた後、すぐに与える立場を体験できるからすごくラッキーだよ。

ネットってすごいよね。
ゼミやっても、家に来ても、感じないような身近さを、ブログやメールを介して得られるんだから。バーチャルだからこそ、心に直に入っていくのかもしれない。
リアルな世界だと、どうしても実年齢が影響してくるみたい。私も、30代の頃に比べると、学生たちとの距離がどうしても開いてしまうんだ。本やテレビで見ちゃうと、どうしても偉そうに見えるからね。そんな中でも、こうやって身近に感じることができるのは、影響を与える側にしても冥利に尽きるんだ。あなたも、もうすぐ小学校の先生として体験できるよ。

精神科の臨床に戻るのも、そのあたりに理由があるんです。
大学生との距離は離れていくけど、親の年代とはちょうど良い距離になってきたから。あなたのご両親より年上になっちゃったくらいだからね(笑)。だから、子育てに悩む親世代に直に入ってゆけるんじゃないかなって。若い頃はできなかったことを、これからやろうとしてるのかも。
それは、相手のためでもあり、自分自身のためでもあるんです。

2年3ヶ月

あれっ、ゴメン、優子の日を忘れてたよ!
はっきり言って、優子どころじゃないんだよね。
オランダから子どもたちと帰ってきて、翌日、開業オフィスの引き渡し。
今月と来月は失業状態で少しはヒマになると期待したんだけどとんでもない。相変わらずの忙しさだよ。昨日はクリニック、今日は若ナビ、明日はちょっとヒマだけど、明後日は大学へサポートネット。そして来週は被災地へ。
なにも被災地に行く必然性はないんだけどね。
しかし、僕としては行かないわけにはいかないんだ。優子を亡くしただけで、こんなに大変で、人生変わっちゃうのに、家族も家屋も財産もコミュニティも失くした人が何千・何万といるなんて、関わらないわけにはいかないでしょ。
というわけで、来週、行ってきます。

悲しみは、それを通り越したら喜びに変わるんだよ。
喜びの中に居たら、喜びを感じることができない。
悲しみの中にいたから、喜びを感じることができるんだ。

じゃあね。
忙しいから、優子、また後でね!

サクラまずしい旅に出る

祐馬

ある所にサクラとハクという文鳥が住んでいたのでした。サクラはいつもいつもとても可愛がられていました。が、サクラはいつもかまわれて、とても苦しい生活をしていました。サクラはハクちゃんに愛をぶちばけているのにいつも嫌われていました。
ある日サクラは窓を開けたとき、するりと逃げ出してしまいました。かい主の女の子はとてもあせって、すぐ探しに行きました。とんでる時しわのスズメが来て
「やあ、あなたはいつもエサをくれるサクラさんではありませんか。いつもお世話になっております。でもどうしてこのような所にいらっしゃるんですか。」
さくらは、「ぼく家出したんだ。でも行くところがなくて困っているんです。どこかいいところはありませんか。」
「それなら家にお泊りください。」
「ほんとですか!」
「はい、せまくるしいところですが、よかったらどうぞ。」
「ありがとうございます。とてもうれしいです。」
といって、サクラはスズメの家に行きました。

「おかえりなさい、おとうさん!」
と3羽の小鳥たちが迎えてくれました。
「おかえりなさい。あら、きょうはお客さまがいるので?」
「ああ、いつもエサをくれるサクラさんだよ。家出したらしいよ。」
「まあ、いつもありがとうございます。むさくるしいところですがどうぞ。」

晩ごはんです。
「さあごはんですよ。」
といって葉の上に大きなみみずを1つのせました。
「サクラさん、どうぞ。」
さくらは、「ギョエ!」といって、えんりょしました。サクラはいつもこんなの食べません。サクラは寝るとき、とてもおなかがへって、あまり寝られませんでした。

翌朝、「今日は、紹介したい仲間がたくさんいるんでね。」
と言って、鳥っ子ひろばへ行きました。
「みんな!来て!これがいつもエサをくれるサクラさんだ!」
みんなは、「まあ、いつもありがとうございます。」
そして、「これがおチュンさん、これがチュンキチさん、これがチュンペイさん、これがチュンおばあちゃま、そしてこれがきのう来たんですよ。この人はカナダから飛んできたんですよ。この人は
かもめのキャシイちゃんだよ。」

サクラはびっくりしました。みるものみるもの、ぜんぶ新しいものでした。サクラはかえりたいと思いました。
「ああ、ぼくはなんてわがままを・・・」
そして、「よし、かえろう!」
サクラは、「スズメさん、ありがとうございました。わたしかえります!」
「ああ、そうか。お元気で!」
サクラは佐伯えいよう学校からまっすぐ飛んでかえってきました。

女の子は泣きべそをかいていて、サクラがかえると、
「サクラ!どこへ行ってたのよ!よかった。ハクちゃんもパパもママも心配していたのでよかったね。」
と言って、サクラはとても喜んでいました。

めでたし、めでたし。

祐馬、懐かしいの見つけたね。これ、何年生の時だっけ?ママがジュネーブに出張した時だから、、、?

Monday, April 4, 2011

International Consultation Team

Dear Adela, Isolde, Khawla and David,

I am writing this not only to direct you, but also to my blog readers.
I came to Amsterdam for IFTA this time only because Khawla and David persuaded me. It is my first time I attend an  international conference without giving any presentations.
I value our friendship; it means a lot more than friendship to me. As I said in our last meeting, you have supported me as witnesses of my life cycle. We meet only once a year, which makes it easier to observe the life cycle transition from bird eye view. I am now going through pivotal transition of my life; a) leaving my professorship and getting into my own private practice, and b) my on-going bereavement process for the last two years. I want to stay functional not only for myself, but as a single father of my three precious children. I feel very lucky that I could bring two of my kids. Zen, as 17 years boy, has already left home half way, which I appreciate. I could not come to the last two IFTA meetings mainly because of my children. I feel so attached to them. For myself, I would look forward to my new possible intimate relationship to build in the future.
I appreciate the power of trust and engagement when we talk about our person of therapist issues. I can talk to you from the bottom of my heart only because you listen to me very carefully. We trust each other as matured professional therapists. We are also from different location and culture. We are different in terms of gender, culture and possibly generation, and we do not share our everyday context, and I believe that makes us easy to be connected in our consultation meeting.
I personally want to use our group in two ways; content and process. In terms of the content, I found very useful to share my hikikomori cases in our group as international consultation. Your presence made me try to explain our cultural context to someone who do not share the same cultural premises. I have done many times so far and it is almost at finishing stage to write up as a piece of paper. I want you to read and review my product which I hope to finish up soon probably next time when we meet.
I also value the process of our group so much. We do not belong to the same institute or workplace, but yet met at the conference and successfully formed a solid group. Our process of international peer consultation team is very unique and worth presenting to the therapists worldwide. People seemed to be quite jealous when we presented in Porto three years ago.  
I recently formed a similar kind of group in Asia; Korea, Singapore (and Taiwan) along with Khawla and David. They are younger than I and hope to grow in the future. I want to use our group as a model to follow for them. Family therapy is gradually and rapidly growing in Asian countries. We share the similar cultural tradition among ourselves, but still politically and economically in conflict. It would be my dream that we can organize the trustful relationship and form the similar kind of consultation group. Politicians cannot achieve this, but we as mental health professionals may be able to achieve by using our skills of engaging conflicted relationships.
I also need your help to save our countrymen after the historically worst natural disaster. It is only three weeks ago, the damaged communities are still in chaos. All the people in and out of Japan want to offer some kind of support. I want use my skills as a family therapist, but do not know how. I will visit the damaged community next week. I will come back to you and share what I observe. 

Sunday, April 3, 2011

Amsterdam父子三人珍道中 (機内にて)

子どもたち、オランダはどうだった?楽しかった?
有名な美術館を3つも行ったし、買い物やサイクリングもしたし、いろんなことをしたよね。じんは美術館や買物はあまり好きじゃなかったみたいだけど。
パパは今回、仕事はできるだけ少なくして、キミたちと一緒にいる時間を大切にしたつもりだったんだ。時々、仕事に行って、キミたちに留守番させたよね。でも同じホテルの中だから行ったり来たり、そんな長い間、ほっておいたつもりではなかったんだけど。
いつもは研究とか学会発表とかするんだけど、今回はそういうの全然しなくて、親しい人たちと交流することにほとんど時間を使ったんだ。それは、子どもたちであり、David, Khawla, Isoldeの仲良しグループ;仲良しと言ったって、ただの仲良しじゃなくて、仕事上もとても大切なんだ。そこまでは理解しなくていいけど。
それに、モニカさんとふたりで昼食したんだよ。モニカさんって、とても有名な人で、本をたくさん書いて、パパが若いころは彼女の本を読んで勉強したんだ。そんな人とツーショットでお昼を一緒にできたのはパパにとってすごいことなんだ。
それに、モニカさんとはママのことをたくさん話すことができたんだよ。4年前だったかな、モニカさんが来日した時、ママに通訳をしてもらったんだ。とっても良い通訳だったってその時のことをモニカさんはとてもよく覚えていてくれてね。パパも何も質問しない日本人たちを盛り上げようとして一所懸命質問したことも覚えていて、その続きをdisucussionしようとしたんだ。パパはもうとっくに何を質問したか忘れちゃったんだけど、モニカさんはすごいよ、よく覚えているんだ。
DavidとKhawlaも、ママが死んで1ヶ月後に家に来てくれたの、覚えてるよね。一緒にご飯食べに行ったりしたでしょ?パパにとっては彼らもとても大切な人たちなんだ。
パパにとって大切な人たち:パパだけじゃなくて、ママのことを繋いでくれる大切な人たちと交流できて、その様子をキミたちにも見せることができたから、パパは大満足だよ。
3人分の旅費はけっこうしたし、片道11時間の飛行機はイヤになっちゃうけど、無事に戻ることができれば、とても良い旅だったと思うよ。キミたちが来てくれて、一緒の時を過ごせたことが何より一番の宝だよ。
それができたのも、留守番してくれていたじじばばとちゅけのおかげだね。感謝しようね。