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Friday, January 11, 2013

ナマ乾きの悲しみ

だんだん、ブログが書けなくなってきている。
この4年間、一生懸命悲しみを叫んでいた。
意図しようがしまいが、書かずにはいられなかった。
今は、意図して書こうと思っても、書けなくなってしまった。書かなくてもよくなってしまった。
つまらない。

以前、教え子の学生が「ネットにみる心の叫び」というテーマで卒論を書いた。彼自身、叫ばずにはいられない状況だったのだろう。その2−3年後に父親が自死した。

中学恩師の写真展企画も、私の思春期の大切なパーツの喪失への悼みから乗り出したのに、会う人ごとにpositive strokeをくれる。

T君はすごく良く出来たもんねえ。

あなた、覚えているわ?何をやっていたの?
いや、いろいろやってましたけど。柔道に、ブラバンに、生徒会に、、、

クラスは同じじゃなかったよね?
でもよく知ってるわよ、T君、有名だったもの。

確かに中学時代は良かった。喪失に向き合い過去を訪ねると、昔の承認感がいっぱい飛び出してくる。そうやって自ずから再建しちゃう。

この4年間も、一生懸命復興に励んできた。結果的にはけっこう復興しちゃった。
痛みが消えると、言葉も消えてしまう。
言葉は出し続けたいのに。創造性はキープしたいのに。
べちょべちょだと困るけど、すっかり乾いてしまっても困る。
いや、普通の人なら良いのですけど、商売柄ひとの痛みに関わるためには、ナマ乾きくらいの方が都合が良い。自分に痛みを残しておけば、相手の痛みによくtune inできるんだよね。

それに、悲しみが消えてしまうのが怖い。
悲しみが、優子を留めていく唯一の手がかりだから。
優子が消えてしまうのが悲しい。
悲しみを手放したくないのに、だんだんfade outしていく。

Saturday, January 5, 2013

ブログへの転載可です

あれから4年。早いですね。早すぎますね。
でもお子様方は確実に育っていらっしゃって、うれしく思います。
特にご長男は昨春、大学進学なさったし…一つの大きな区切り、立ちですね。お正月を一緒に過ごせて良かったですね。優子さんも喜んでおられると思います。

さて、ブログにも書いておられましたが、腎臓が一つ無くなって、お子様方にとって、TikiさんがNo. 2からNo. 1に昇格したこと。
これが大きいですね。
換言すれば、それだけ喪われた優子さんの存在が大きかったと言うことですが。

我が家の場合、4人兄弟姉妹の末っ子を一昨年6月に亡くしたので、「地位」は何も変わらず、敢えて言えば、一番下のSYが「末っ子」になり、親の末っ子かわいがりの恩恵を受けている(笑)くらいです。

11月27日のブログのコメントにも書いたかも知れませんが、っ子を亡くしても、両親の歯車がちゃんと噛み合ってきたので、きな破綻もなく、家と車を買い、ネコを買い、ピアノが実家から来て、…等々前に進んでこられました。

ただ、末娘を喪った心の傷、空白は容易には埋まりません。
日々に占める割合は確かに減りつつありますが…

話戻って、優子さん。
思えば、草津のお家、ほかで、家族ぐるみでも、私1人でも、随分お世話になりました。
昔話をすれば、妻のSとのJASCでの同期で、楽しい時を過ごしました。

私1人で彼女のフルートコンサートを聴きに新宿に行ったこともありました。

その彼女の命日を「その日は」忘れていたのは不覚です。すみません。

最近、妻のSに、「Tikiさんに倣って、私が不慮の死を遂げたら、私のパソコンを開けて、メールのやり取りある人皆にお葬式に来てね、とメールしてね」と言っておこうかと思っています。

あの日、Tikiさんから来たメールは衝撃でした。
本当に突然のご逝去でしたから…。

Tikiさん、3人のお子さんにとってはどれほど衝撃だったかは想像を絶します。
その後4年、体勢を立て直してここまでこられたのは本当に立派だと思います。風の中の優子さんが見守ってくれていたからこそかも知れませんね

改めて優子さんの冥福を祈らせて頂きます。

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後輩クン、どうもありがとう!

私にも先パイがいて、ずいぶん助けられました。
おなじようにパートナーを亡くした友人が何人かいて、お便りをくれたんですよ。それまではそれほど親しくもなかった人からもとても心のこもったメッセージをいただき、どんなに安らいだことか。中には気持ちの軌跡を書き表した人もいて、よく読ませてもらいました。悲嘆の法則性みたいなのがない訳ではないけど、そのプロセスは皆ひとりひとりユニークです。あ、そこは私と同じ!と共感したり、そこは私と違うな!と対比したりしながら、自分の気持ちがよりよく見えてきました。自分ひとりで悲しみに閉じているのではないんだ、仲間がいるんだという実感がとても気持ちを和らげました。そういう人の物語に触発されながら、自分の物語を見い出してきたのだと思います。

、、、とスキー宿で下書きを書いたのだけど、あまり乗らなかったよ。
じっくり心に降りていくには賑やか(楽し)過ぎる。
明日からは仕事が始動するし。まだもうちょっと深めたいのだけど、とりあえず諦めます。

Friday, January 4, 2013

友人の中の優子


あけましておめでとうございます。
突然メールを差し上げるご無礼をお許しください。

毎年お正月が巡ってくるたび、優子さんのことを思い出しておりましたが、今日は、机上の整理をしていて、今日1月3日が優子さんのご命日だと気づきました。

早いものでもう4年になるのですね。小さかった一番下の坊やももう中2になられるのでしょうか。実は私の息子が1歳違いでとても親近感を抱いておりました。それだけに、あのあと、お子様たちのことが気にかかって仕方ありませんでした。

優子さんとは仕事の合間に おしゃべりしたことなど、今も鮮明に覚えております。優子さんが天国に旅立たれたあとしばしば彼女のことを思い出し、また、あの悲しかったけれども、ご主人さまの 愛情に満ちたお別れの会のことを思い出しています。

私も今、反抗期に入りつつある難しい年頃の息子との距離感をうまくはかることができず3人ものお子様を育てながら、バリバリ働いていらした聡明な優子さんなら、どうされただろうか、などと時々想いを巡らせております。

読んだあとは燃やして天国の優子さんに返してあげて、と書いていらしたお手紙は、勝手ながら今も手元に置いて、おりにふれ、読み返しては、自分と自分の家族が問題にぶつかったときの支えというか、指針にさせていただいております。

あれから4年ですが、こうした形で、奥様が友人の心の中で、話しかけているということをふとお知らせしたくなって、メールしました。大きな空白を埋めながらも、きっとご家族が一層強い絆で結ばれて、前進していらっしゃることと思います。
突然のメール、失礼致しました。

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心温まるメールをありがとうございます。
このように優子や我々のことを思っていただける方がいることは我々にとって大きな安らぎです。
昨日の命日は子どもたちとお墓参りに行き、夜は4年前に助けてくれた近所の保育園時代の仲間を家に招いて楽しく過ごしました。

子どもたちは元気に成長しております。悲しみを隠さず表現するのが心理学のセオリーで、子どもたちには父親の悲しみをたくさん見せてきましたが、彼らは大人ほど表現しません。まだその表現力がなく隠したままなのか、あるいはそれなりに消化しているのかわかりません。
幸い、老親が家事を協力してくれ、仕事で不在がちの私を補ってくれます。大震災と同様に、危機は人々の絆を深めるようです。多くの友人・知人たちが見守ってくれ、また父親と子どもたちの距離も近づいたように思います。思春期らしく親にも反抗したりいろいろ心配させてくれますが、幸い前向きな元気さは失っていないように思います。

優子は天国のブースから、私の数々のミスをハラハラしながら眺めていることでしょう。
お気持ち、ありがとうございました。

Thursday, January 3, 2013

4年目

お墓参り、前回いつ行ったっけ?
忘れた、、、
ホント、久しぶりだよね。寒かったけど海が澄んでいて奇麗だったね。途中の高速道路からは白い富士山もくっきり見えたし。
ちゅけはもう札幌に帰っちゃった。祐馬とじんと3人でお墓参り。
帰り道に今晩のお魚でも買おうかと思ったらマグロ市場はまだお正月休みだった。市場が開いていないのかね。午前中から出かけてお昼には戻ってきた。じんはおじいちゃんと書き初めの宿題。祐馬とパパは本門寺に初詣。そうだ、カイ君も連れて行こう。

(年末の会話)
ねえパパ、1月3日どうすんの?
いやあ、どうしようかね。特に考えてもいないのだけど、、、。何かしたい?
祐馬、わざとらしいのイヤなんだよね。みんなと集まって楽しくやろうよ、、、
じゃあ、保育園の連中を呼ぼうか。
だれを呼ぶの?
Aさんと、Bさんと、Cさんと、、、
Dさんは?パネル作ってくれたんでしょ!?
そうだね、いいよ、呼ぼうか。でもあまりたくさんだと大変じゃん!
だって、ママが死んだときは部屋中いっぱい人が来たじゃん!
まあそうだけど、そこまでしなくてもいいんじゃない!?

残念ながら、年ごとに優子を想うintensityはどんどん落ちていく。
「あの時以来、時間が止まったままです、、、」
とよく言われる気持ちはわかる。しかし私の場合、進んで欲しくない時と、否応なしにずんずん進んでしまう時とのギャップに悩んでしまう。
子どもたちは良いんだよ。どんどん進みなさい。どんなに変わったって、成長したって、Childhood Memoriesは消えるはずない。ママの記憶も消えるはずない。45歳のまだ元気なままのママのmemoryで凍結させることができるね。おばあちゃんにならなくて済んだから優子はラッキーだ。私も心配することはないのだろう。どんなに進もうが変化しようが、優子の記憶は変わらず保存され続ける。

PTSD (=Post-Traumatic Stress Disorder)の逆バージョンがPTG (=Post-Traumatic Growth)なんだそうだ。Singaporeでのプレゼンテーションでは震災後の日本文化の復興をPTSL (=Post-Traumatic Stress Life)という造語で説明した。病気になっては困るけど、ごく普通でいいんだ。超楽観的な欧米的価値観ではすぐ「成長」したがるが、なにも成長(grow)しなくたっていい。

でも、確かに成長はしたのだと思う。優子を失ったストレスに向き合い跳ね返すために、何かが必要だった。優子を失わなければ、その何かを発動する必要はなく、平穏無事な生活で事足りたのだ。それは何か?

1)人々との出会い・サポートネットワーク。
 一番大切な関係の喪失を埋め合わせるため、たくさんの関係性を築いてきた。子どもたちとの関係。ふたつの腎臓の一つがなくなり、残った一つしかなくなった。そりゃあ大切でしょう。子どもたちにとっても、父親にとっても、重要度は増した。母親に次ぐNo. 2のparenthood statusからNo. 1 (Only One)に格上げされた。
 老親との関係。孫と関わる大切な役割を担ってもらっている。
 保育園仲間から、友人から、教え子から、講演会の聴衆まで(この4年間、優子ネタを相当使ったし)。そしてブログの読者。多くの人を巻き込み、私のsecurity networkを作っていった。優子を失わなければ、ここまでやる必要もなかったのに。

2)物語の創造。
 喪失は、失ったままだと何が起こったのか理解できない。優子を失わなければ、これほどたくさん考え、たくさん書く必要はなかった。普通の(defaultな)時間・人生であれば際立たせる必要も意味もない。普通ではない、特殊な、traumaticな出来事に対して、それはどういう意味なの?自分にとって、家族にとって、今にとって、今後にとって、、、、?
よくわからないから、その意味を一生懸命考えて見出さなければならない。そうしないと、不可解の渦に巻き込まれ、自分を見失ってしまいそうだった。たくさん悲しんで、でも悲しむだけだったらしゃくだから、どうにかpositiveに意味づけようとわざとらしくこじつけたり。結局のところNegativeでもPositiveでも良いんですよ。その両者がごっちゃになって、生きていくために新たな意味づけを迫られた。まあ、それは終わりのない物語なのだけど、それを綴ろうという動機づけ、綴らずにはいられない状況に陥った体験は、psychotherapistとしては確かに成長したのかもしれない。

というのが、私にとってのresilienceなのかな。
さて、そろそろ夜の集まりの準備にとりかからねば。今晩はラザニアとクスクス・サラダでも作ろう。あとはみんなが適当に持ち寄るだろうし。

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今日はどうも。久しぶりに会えて嬉しかったです。

子供たちのこと(パパもですが)、いつも心配してますがどうしたらよいのかよくわからなくて何も出来なく申し訳なく思ってます。
でもみんな心身頭ともに上質な筋肉に恵まれてるからね、大丈夫。
とはいっても色々あるでしょうし中年オバサンと変な?おじさんでお役にたてることがあればいつでも声かけて下さいね~。
お休みなさ~い