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Thursday, November 23, 2017

母の終焉日記7

 例年になく寒さの厳しい冬の到来となりました。
 御母上様が昨年10月にお亡くなりになりましたとのこと、悲しみと寂しさが胸にこみ上げてきます。
 ご家族にありったけの愛情を捧げられた一生を送られたことと思います。
 御母上様はどのようなご様子なのかと思いながらも、近頃は疎遠になり本当に申し訳なく残念な気持ちでいっぱいです。
 学生時代も、その後も尊敬する大切な友人であったこと、感謝いたします。
 どうぞ御母上様の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

S 様
 ご丁寧なお手紙ありがとうございます。
 Sさんのことは、子ども時代に母の手を引かれてお目にかかったことが遠い記憶にあります。女学院時代にとても親しくさせていただいたこと。私と同年代の息子さんがいらっしゃることなど。
 母は、2年前の1月に父を見送ってから、伴侶を失った悲しみから抜けきれず、「私はもういつ(この世から)おさらばしてもいいのだから。」とよく口にしていました。昨年の1月に転倒して腕を骨折し、骨折自体は大したことなかったのですが、一気に認知が低下してしまいました。4月には近所の老人ホームに移り、落ち着いた生活をしばらく送っておりました。8月に肺炎のため大学病院に救急搬送され、肺炎自体は落ち着いたのですが、食べ物が喉を通らなくなり、栄養の点滴もできず、入院したまま10月に静かに息を引き取りました。安らかな最期だったと思います。
 おっしゃるとおり、母は家族の愛情の中で生きた人でした。

Saturday, November 18, 2017

絶対的に困る人

昨夜は飲みすぎた。
今朝、見事に飛行機に乗り遅れた。
5時に起きるはずが、目が覚めたのは8時過ぎ。
あ〜あ、やっちゃった〜
もういっそ石垣島に行くのやめようかなとも一瞬思ったけど、どうせ週末ずっとヒマだし、気を取り直して行くことにした。バカ高い普通料金の航空券を買い直してね。
別に行く必然性はないんだよね。
一人で自転車乗りに行くだけだから、僕が行かなくても誰も困らない。

先週、学会も終わった。
これは僕が学会長で、僕がいないとみんな困っただろうから、頑張っていたけど、それも無事に終わったんだ。すごい成功だったよ。

ばあちゃんが亡くなってから、なんかすごく楽になったというか、心がヒマになったというか。
僕がいないといけない、生きていないといけないという必然性から自由になった感じ。
ばあちゃんは、僕がいないと生きていけなかった。
そりゃ、もしいなければ妹か、社会福祉がなんとかするだろうけど、やっぱ僕がなんとかしなくちゃいけないんだ。そういうことになっている。

ばあちゃんの前はじいちゃんだった。
あるいは子どもたち。
でも、子どもたちも成長して、もし僕がいなくなってもなんとかするだろう。
お金に困るくらいなもんだ。
それだって、なんとかするだろう。僕の生命保険もあるしね。保険金いくらだったっけ?

僕がなんとかしなくちゃいけない人が、いなくなっちゃったんだよ。
僕がもし急に死んでも誰も困らない。
そりゃ、子どもたちも、患者さんたちも、ヴァイジーさんたちもある程度は困るだろうけど、絶対的に困るわけではない。心情的なことも含めたら、子どもたちはかなり困るだろうけど、今までに比べれば、その度合いは低くなった。
優子が死んだ時は、子ども達も僕も猛烈に困ったんだよね。
生活はなんとかなったけど、心情的に。よく乗り越えてきたもんだよ。
すでにちゃんと経験しているから、うちの子ども達は父親を亡くしたって全然大丈夫のはずだ。

生きている必然性=生きがいって、自分が生きていないと絶対的に困る人がいるから生じるのかな。
じいちゃんばあちゃんが死んで、子ども達も大きくなって、そういう人がいなくなった。
この先、僕が生きていなくても、絶対的に困る人はいない。
じゃあ、生きていなくても良いのかって、そういうわけじゃないけど。
石垣島で自転車乗ったり、生きていて楽しいことはたくさんあるから生きてるけど、生きがいとか、生きていなといけないという必然性じゃないんだよね。
そう考えると、すごく楽に生きられる感じだよね。自由になったというか。

この先、パートナーを見つけて、また生きてないと困る人を作るかなぁ。。。
今は、身体的にも、経済的にも、心理的にも自活しているから、僕自身、その人がいないと生きていけない人はいないんだけど。
優子はそうだったのに、それを失って、リカバーしたから、もうこの先、いてくれないと僕が死んじゃう人はありえないんだよ。優子が死んでも、僕は死ななかったから。

でも、この先、年とって自活できない時が来るだろう。
その時のために、パートナーを確保しておきたいけど、いま現在は必要ないんだろうか。
でも、生きがいを作るには、そういう人を作るんだよね。やっぱ、生きがいはあったほうが良いのかな。より幸せになれるのかな。愛着関係が生きがいと幸せをもたらすのかな。不幸も成り行き次第でもたらすけど。
このまま生きがい(生きる必然性)がなくても、子どもたちや僕を必要とする患者さんたちを軽い生きがいにして、楽しく生きていくことは構わないんだけど、なんかオプションみたいだな。必須項目ではなくなった。

子どもたちが小さな頃は、必死に生きていた。
結婚する前だって、必死だったよ。絶対に生きていないといけなかった。
今だって、生きてはいたいし、死にたくなんかないけど、必死ではなく、ゆる〜く生きていけるような気がする。

と、乗り遅れて、高い金を出して買いなおした飛行機の中でぐるぐる考えながら書いている。
まあ石垣島に着けば、目先のやることができてこんなこと考えなくなって、楽しくなって、生きる必然性が生まれてくるとは思うんだけど。飛行機の中だけで妄想していることなのかもね。
空港に着いたら、自転車を組み立てて、宿にチェックインして、エントリーしてゼッケンを取りに行って、夕飯は近くの居酒屋さんにして、明日は寝坊しないように早く寝て、、、

客室乗務員って、すごい人気の職業なの?給料いいの?
きっとそうだよね。日本のCAってレベルが高いというか、すごいサービスいいよね。いつもニコニコして、美人ばかりだし。顔が引きつらないのかなぁ。
外国のスッチーはおばちゃんばっかで無愛想だし。

国内線の飛行機の中でもネットに繋がるようになったんだね。
でも有料だから繋がないけど。
あるいは、この記事をアップするために繋げちゃおうかな。
石垣に着いたら、バカらしくなって、アップしなくなっちゃうかもしれないから。

Thursday, November 16, 2017

54回目の誕生日

もう、優子の誕生日なんて、ほとんど忘れてるところだったよ。
でも、かろうじて覚えていた。
10月の結婚記念日は忘れちゃってたけど(笑)。
もう、いいよね!?

今までの誕生日カードは、子どもたちの様子を報告していたけど、なんかもうしなくてもいいかなっていう感じ。
じんも大学生になって、しっかりやってるよ。
ちゅけも祐馬も、それぞれの世界を作って頑張ってるし。
金はかかるけど、もう親があーだこーだ言う余地もなくなっちゃった。

今度は、僕自身だね。
優子は、
祐馬がOKしたら再婚していいよ、
なんて突然言ったことがあったよね。

祐馬も、だいぶ前に、
パパ、女の人とか言うけど、まだ早い。ママのこと忘れちゃったの?
何年経てばいいの?
10年!
って言ったよね。
もうすぐ10年だよ。
僕も還暦を迎え、そろそろ誰か見つけるよ。
なかなかうまくいかないけど(笑)。

この一年、なんか、いろんなことがあった印象だな。
Life is so exciting.