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Wednesday, December 29, 2010

祐馬の帰国

成田で祐馬を出迎える。
到着ゲートのベンチに座り、暇にまかせてツイッターしまくる。


一ヶ月ぶりは成長したかな?
私の高校時代の経験は、「あ~あ、帰って来ちゃった」という落胆だった。

混んでなければ、ボチボチ出てくるかな⁉
14歳のひとり旅。

You will be what you want to be!
初めに、なんで言うかな?

Saturday, December 25, 2010

Writing Down the Bones

今年最後の旅行は沖縄。今回は楽しみの旅なので、ちょっと贅沢してpremium classにした。ジャンボ機のプレミアムクラスの座席は広くていいね。沖縄は国内線では長めの2.5時間、のんびりするにはちょうど良い時間だ。

今回は旅行ガイドブック以外、一冊も本を持ってこなかった。普段は集中したい時、リラックスしたいときなど
TPOに合わせて3-4冊は持ってくるのだけど、今回は読みたい本、読みたくなるかもしれない本を全部PDF化してiPadに入れちゃった。荷物も軽くなり、すっきり。あえて難点を言えば、飛行機の離着陸時に電子機器が使えないこと。だから、本を読む代わりにこうやって万年筆で書いているんだけど。
これから離陸だ。となりは空席、ラッキー。のんびりできる。

西魔女に勧められたNatalie GoldbergのWriting Down the Bones(魂の文章術:春秋社)もiPadに入れて読んでいる。なるほど、そういう書き方もあるんだね。こうやって今書いているのも、そういう感じなんだけど。まあ、今までblogに書いてきたのも、それに近いんだけどね。
新しく買ってきた本をいきなり裁断機でぶった切るのは、はじめちょっと勇気が要ったが、iPadを使えば、かえって読みやすくなるから、今はどんどんちょん切ってしまう。暗いところでもOKだし、拡大自在だから老眼にはやさしい。

Friday, December 24, 2010

祐馬 in Australia

祐馬には、あえてこちらからは積極的にコンタクトしない。すると、祐馬の方から何度か連絡してきた。今は、便利だ。iPhoneを持っているから好きなときに電話・メールしてくる。先週も突然電話してきて、

ねえ、パパのiTunesのパスワードを教えてよ。
えっ、何に使うの?
JackとBenとダウンロードをいろいろ試しているんだけど、うまくいかないからパパの使わせてよ!
ああ、そういうことね。パスワードはちょっと教えられないなあ。
ふーん、じゃあ、いいよ!
ガシャン

それだけの、隣の部屋にいるような会話。

そしてクリスマスイブ。中学は終業式。学校の職員室に出向き、担任の先生から2学期の通信簿と冬休みの宿題をどっさり受け取る。
夜、祐馬に電話する。
まず、ダイちゃんと話す。

祐馬はとても良い子だよ!うちは息子二人だから、祐馬ちゃん欲しいくらいだよ。
Yeah! She may be come back and forth between Australia and Japan.
じゃあ、ゆまにかわるね。

ゆま!
なに...!
通信簿もらってきたよ。帰ってきたら点数を教えてあげるよ。今はそんなこと気にしないで残り4日間のオーストラリアを楽しんでおいで。Merry Christmans!
ねえ、ダイちゃんたちとか、もうずっと祐馬と一緒に居たいって。ダイちゃんたち、お正月に日本に来て、スキーするんだって。祐馬も一緒に行っていいでしょ!
そうだねえ、パパもスキーはしたいし...。まあ、今はっきり言えないけど、予定を考えてみようね。
うん。じゃあ。Merry Christmans!

Thursday, December 23, 2010

師走の後半

年末、12月も半ばを過ぎ、Holiday seasonになると、何となく浮き足立ってくる。忘年会をいくつかやった後は、会議も講演会も減り、仕事も減ってくる。心のempty space が甦ってくる。
1年の反省、NHK大河ドラマの総集編。年間ベストテン、紅白歌合戦。

毎年恒例のしんぶん(年賀状)も作った。今までは家のプリンターで印刷していたが、紙が詰まったりトナーが切れたり、けっこう手間がかかる。今回は、郵便局の年賀状プリントサービスを使ってみた。自力で印刷するより多少お金はかかるが、ネットでデータを送り、2日後には届けられるという早さなので案外使えるかも。

というわけで、年末年始は、普段忘れている優子とけっこう向き合うことになる。2回目の命日ももうすぐだし。
でも、もう大丈夫。寂しさが充たされ、悲しみが過ぎ去れば、優子との出会いは喜びに変わる。年末年始は普段のroutineの仕事から離れ、ゆっくり落ち着ける貴重な時間だ。
Welcome, 心の中の優子! 
もう、悲しみがやってくるのを怖がる必要なんかない。いつでも優子と向き合えるぞ。

Monday, December 13, 2010

学生時代の友だち

サクマ、昨日は楽しかったぞ!
高校時代、おまえはいつもヤニ臭く、チョイ悪のフリしてたから近寄りがたい奴だったけど、こんなにリーダーシップを発揮しているとは知らなかったぞ。何年か前、おまえが会長やってた中学校の「親父の会」に呼んでくれた時は都合がつかず失礼したが、今回の講演は日程調整も含め、ずいぶん前から計画したもんな。ふつう、講演会の打合せってのは、メールか電話か、丁寧にやるとしても、せいぜい担当者がひとり訪ねてくるくらいなのに、おまえらの場合は3回もやったからなあ。はじめにおまえとP連のお母さん会長さんたち数名が研究室にやってきて打合せ、次はオレの授業を見たいというので一緒に授業に参加してもらい、さらにオレがそっちまで行きP連の会合に出さされて、おまけに夜は飲み会に参加して。おまえら、完全にそういうプロセス自体を楽しんでるだろ!まあ、地域活動というのはそういうものなんだろうけど、今回は旧友のよしみでオレもそれに便乗させてもらったという感じだね。

講演も、授業も、カウンセリングでも、どういう内容を話すかということ以上にengagement、つまり自分のことを相手に分かって親しみを感じてもらい、相手(聴衆)の気持ちを引き付けて、この人、信頼できるな、自分のことを話しても良いなと印象づけることが、成功のカギを握るんだ。一般論はともかく、少なくとも僕はそう考えている。そういう意味じゃあ、サクマたちにも登壇して保護者からの質問を読んでもらったから親しみやすい雰囲気作りはバッチリだったね。まあ、講演会はうまくいったと思うよ。聴衆からの反応も聞きたいところだけど。

終わった後の打ち上げも、まあよくやったもんだ。カラオケはホント久しぶりだったよ。少なくともこの2年間は行ってなかったぞ。昔は学生たちともよく行ったけど、年をとり学生たちとの年齢差が大きくなるにつれ行かなくなった。別にこの二年間はしゃぎたくなかったわけじゃない。ただ単に、行く機会がなかったんだ。だから、久しぶりに弾けたね。まあ、酔いにまかせてよく歌い、はしゃいだもんだ。あれだけ騒いだから、すっかり発散できたぞ。ケイタイを店に置き忘れて後から真っ青になったり、終電にギリギリ間に合わず品川からタクシーで帰ったり、今日は昼過ぎまで二日酔いだったけど、悪い気分じゃなかったね。放散した後の軽い気分だったよ。しかし、おまえも良い仲間を作っているな。また、やるときは、わざわざそのために行くから、誘ってくれよ!

明日は、大学時代ののりゆきからpartyに誘われているんだ。
いいねえ、こういう学生時代の友だちってのは。さりげなく、オレのことも気遣ってくれているんだろ?態度には示さないけど。まだ今のところは、無理しないで甘えておくよ!

Saturday, December 11, 2010

ふたりでラーメン

ちゅけは期末が終わり、2泊3日の沖縄修学旅行。
昨晩はワクワクして眠れないかなと思ったけど、そうでもなく眠れたよ。
朝早いんだけど、どうやって羽田空港まで行ったらいいかな?
パパが車で送ってやろうか?
うん、ありがとう!
ついでにカイも載せて、6:40の集合時刻にちゅけを送りとどけた後、ドックランへ。

ちゅけと祐馬がいなくなり、じんとふたりになったね。
普段と変わらないポーカーフェースのじんだけど、何となくのびのびしているような、ちょっぴり寂しいような、、、
夕ご飯はじんと食べに行こうか?どこに行きたい?
ふだんはいつもどこに行くかでケンカするけど、今日はじんの好きなところに行こうね。
ラーメンがいい。
夕食にラ、、ラーメン?
じん、マグロとかも好きだよね。パパはお寿司でもいいよ?
ううん、ラーメン!
わ、わかったよ。じゃあ、ラーメン食べに行こう!
最近できた博多ラーメンに初めて行った。パパはラーメンとビール。じんはラーメンと替え玉。
濃厚スープは飲まずに我慢。ここんところ、忘年会や友だちの付き合いで結構飲んでたからなあ。明日も飲む予定だし、今晩はスリムに軽くいこう!
帰りは、駅前にあるお菓子の安売り店で、ふだんおなかすいたときに食べるお菓子、買いだめしようね。帰り道、
ラーメン美味しかったね!?
オレ、あのラーメンあまり美味しくなかった。
えっ!?
ああ、トンコツ味はあまり慣れてないんだよな。しょうゆ味の方が良かったかな。
それ以上、話すこともないけど、ふたり並んで帰ろうね。

Friday, December 10, 2010

ゴルフ仲間の告別式

Ground Zeroからの復興のプロセスだったんだ。いくら、ふだん元気そうにしていたって、僕自身の気持ちの中はぜんぜん違う。9.11や8.06ではなくて、1.03で一気に吹き飛ばされ、跡形もなくなった空洞から立ち直り、どうやって再建するか、いつもそこ基準にして今の状況を測るしかないんだ。あなたがいてくれて、こうやって話をできることだって、1.03以降のボクの復興段階の中で心強いってことなんだよ。そこが、僕のリカバリーポイントになっちゃったわけ。

4日前の仲間の告別式だってそうだったよ。喪主である奥さんのご挨拶は素晴らしかった。でも参列者からのすすり泣きにはとても違和感を感じたよ。2年前、あの祭壇には優子の写真がはまり、あの席には僕が居たんだ。信じられないけど、そうだったんだ。
僕も一生懸命、式をアレンジしたよ。泣いている場合なんかじゃなかった。参列者への感謝の気持ちも込めつつ、今の自分の気持ちを必死に来てくれた人たちに伝えようとしていた。泣くなんて、そんな状況じゃないんだよ。

まさこさん、何度かゴルフコンペでご一緒したTikiです。3ヶ月たち、いかがですか?式のお姿は素晴らしかった。まさこさんの気持ちがとてもよく伝わってきましたよ。でも、私を含む参列したほとんどの人にとって、彼のことはすぐに過ぎ去った過去になってしまうんです。私だって、彼とは年1度のコンペと、たまにキャンパスですれ違ってニコニコあいさつを交わす程度の関係でしたから。そうやって、集まった人たちは自然に散っていきます。それはそれで良いんですよ。いつまでも捕らわれているのは自分だけでいい。子どもたちには前に向かってほしいから。
周りの人たちはとても助けてくれますよね。でも、心の一番奥の部分は空席のままなんです。それはしかたがないこと。そのことを認めて、受け入れることができたら、だいぶ楽になりますよ。私は、精神科のお医者もやってるから、何かお力になれることがあったら遠慮なく言ってください。(3ヶ月後に出す手紙の下書き)

ずっと優子のことを考えていたわけじゃない。
X-day以前は、そばにいることが当たり前だし、一緒に子どもたちを育て、押し寄せてくる課題を目まぐるしくこなしていた。家族を作り、維持するための道具としてのパートナー。愛情の対象としての優子は、日常生活の間隙を縫うように、あえてお膳立てする意図的な瞬間だった。居るのが当たり前という安心感で満たされているから、それで全然かまわなかったし、それ以上深める必要もなかった。いなくなったから、こんなにしつこくいつまでも優子のことを考えてるんだ。

一緒に居れば、そのことが当たり前になり、それ以上思わなくなっちゃう。過剰な安心感は廃退に繋がる。それがイヤなんだよ。

Saturday, December 4, 2010

No news is good news

「祐馬、元気でやってるか?
祐馬が忘れた数学のワークブックは郵便局から送ったよ。一週間くらいかかるって。
届いたら連絡して。
パパ。」

「わかった。
ありがとう。」

まあ、それだけの返信メールで良いんだけどさ、もう少し、そっちのユマの様子を聞きたかったな。
No news is good news.
とはいうけれど。

ユマの気持ちも、パパはわかるんだ。
高校留学の時、友だちには結構たくさん手紙書いて、普段の様子とか報告し合っていたんだ。
日記もつけてたしね。始めは日本語だったけど、途中から英語になってね。
でも、親には時々義務的に書いていただけ。あまり書くこともなかったし、書きたくもなかった。親から返事が来ればそれなりに嬉しかったけど、いろいろ心配したり息子のことを思う気持ちは重たくて、ハイハイ、大丈夫だから、ほっといて、なんて感じで、あまり考えないように避けていたかもしれない。
親が子どもからの便りをどんなに楽しみにしているかなんて、パパがパパになるまでわからなかったよ。

ホント、それだけで良いんだよ。元気でやってることが確認できて、ありがと、って一言あれば十分なんだよな。Ryokoさんたちはとでも信頼できるパパとママの友だちだから、ぜんぜん安心してるし。子どもの姿が見えなくなるって、すごく淋しいんだけど、ホントはすごく嬉しいことなんだよ、きっと。

、、、というようなことをfacebookでRyokoさんにこぼしたら、
Tikiが寂しそうだからSkypeやりましょ!
って誘ってくれたよ!
今晩、話そうね。
しかし、便利な世の中になったなあ。

1年11ヶ月

優子、おはよう!
昨日は遅くまで忘年会で、書けなかったよ。ゴメン。

もうすぐ、まる2年だぜ。早いねえ。
来月3日、どうしようか!?いろいろ考えているんだ。
優子はどうしてほしい?
去年と同じようにやろうかな。去年来てくれた人たちに「また、来てくれます?」って案内を出して、去年よりはきっと人数が少なくなるだろうから、場所ももう少しこじんまりにして、でも優子の写真をお花で飾って、優子を天から呼び戻して、みんなで語り合う部分は去年みたいにして。
でも、もう優子の思い出話や悲しみを語らなくても大丈夫かなって。語れと言われればいくらでも語れるし、みんなと一緒に底まで降りて行っても良いんだけど、もうこの2年間、さんざんやってきたしね。
むしろ、優子の前で僕も子どもたちも元気だよ、がんばってるよという現状報告みたいな。そして来てくれたみんなも、元気だよ、がんばって生きてるよみたいなメッセージを伝え合うみたいな。
そういうのは、完全にカウンセラーの発想だよね。そういうことできれば、別に優子のこととは関係なく、生きている僕らひとりひとりがすごく元気づけられるはずなんだよ。だから、やっても良いんだけど、みんな来てくれるかなあ、、、

、、、という風に、2-3週間くらい前までは考えていたんだけど。
まあ、そこまでやらなくても良いかなとも最近思えてきたんだ。そういうのは、それなりに面白いんだけど。むしろ子どもたちにとって、どういうのが一番、ママを安らかに思い出して、楽しく時を過ごせるかなって思うと、親族・家族中心でいくかな。おばあちゃんとじじばば、おじさん・おばさん、いとこたちくらいで集まって、お墓参りして、近くの三崎漁港でお刺身食べて、、、くらいかな、とも思うんだ。
で、その後、さえとか、ゆきのとか、えっちゃんとか家に呼んで、楽しく賑やかにやるとか、、、

、、、ハハハ、結局そっちに行っちゃうね。
優子は、あまり人を家に呼ぶの好きじゃなかったからなあ。
でも、優子がどう思おうと、僕の好きにやらせてもらうからね。
あなたは、上から黙って見てなさい!

Tuesday, November 30, 2010

肉食系男子

しかし、よく食ったなあ!
先週一週間は、忙しくて夜もほとんどお仕事だったし、今週も月と火しか君たちと一緒に夜を過ごせないんだ。
じんの服がもう小さくなってきたんだってね。おばあちゃんから聞いたよ。祐馬は自分から買って、買ってと迫ってくるからわかりやすいけど、君たちはあまり言わないからなあ。
よし、まとめて買おう!靴下と、パンツと、パジャマとTシャツと、運動靴ね。ズボンはサイズがないんだよなあ。子ども用ではもう小さいし、大人用は長ズボンしかないよ。だいたい、この時期に半ズボンをはくなんて、君ぐらいしかいないんだよ!
男同士の買い物は早いね。さっと済ませたらご飯を食べに行こう!焼肉にしようね。祐馬がいないから、行く場所でケンカすることもない。
しかし、よく食ったね!!小6・高2・中年3人の男子で、牛角の4-5人前の大皿焼肉セットじゃとても足りず、その2倍くらい食ったんじゃないか!?パパも生ジョッキを二杯。でも、君たちが食った仕上げの冷麺は我慢して、カルビスープにしたぞ(笑)。

パパも肉食系だし。

Sunday, November 28, 2010

アジア家族療法会議:リア充vs.空虚

ふぅ、やっと終わったよ!
この一週間、学会でめちゃくちゃ忙しかった。すごく楽しかったんだけどね。
前半は逗子の和風旅館に海外からの仲間4人と合宿して、intensiveなinternational case consultation discussion。その成果を後半の学会で発表し、今日まで、アジアの人たちとたくさん交流したよ。頭の中の2/3が英語の世界だった。

国内の学会と、国際学会では雰囲気が正反対なんだ。国内の学会ではお互い研究者同士が同じcommon groundに立ち、競い合うみたいな雰囲気だからすごく緊張するし、雰囲気もあまりよくない。国際学会は、お互いに違うという前提だから、よくわからなくて当然、競い合う相手でもないし、違いを超えた共通点を見出すのが楽しいし、国際交流的にwelcomeな雰囲気だ。
経験の違いもあるけどね。若い頃は、学会で発表するなんて緊張の極致だったよ。学会発表デビューの時のことは今でも覚えている。前の日から緊張して心臓が口から飛び出しそうなくらいだったからね。それが、今では大勢の参加者の前でもガンガン発言するし、楽しんでいる自分がいる。違いに触れると、今まで気づかなかったアイデアがポンポン湧いてくるんだ。Psychotherapyはアイデア・発想が勝負だからね。目からウロコの連続。
あと、僕自身の体験もあるのだろう。国際交流は得意中の得意。高校時代に経験してから、異文化の人たちとの交流の場では水を得た魚のように自由に泳ぎ回る自分を感じる。

朝早くから出掛けて、夜は懇親会やpartyで遅くなるし、酒は飲むは、自転車には乗れないわで、すごくメタボな一週間だった。少し体重増えたんじゃないかな!?明日からはまたチャリを飛ばそう!

忙しく、多くの人と会い、リア充であればあるほど、ふと現実の底が割れた時に空虚感が迫ってくる。表層の現実生活の下地にある僕の根っこに気づいたのは最近のことだ。そこは、子ども時代は親によって、結婚してからは優子によって満たされていた。優子が亡くなってから初めてその存在に気づいたよ。それに慣れないうちは、抜け殻の悲しみで満たされていた。しばらく経って、悲しみが引いた後は孤独感。でも、それにもだいぶ慣れてきたし。すると、かえってそのvacuumが心地よかったりして。真空はまわりの人たちを吸い込み、親しくなることができる。少しずつ、暖かい空気で満たされていく感触が素晴らしい。充たされちゃったら、あとはそれを失うことを心配し、満たされている状態をキープすることが大変になる。だから、満たされたら敢えてまた抜くんだ。身体も感情もスリムに絞るhealthy and masochisticなライフスタイルも悪くはない。

Saturday, November 27, 2010

試験監督

今日は、仕事をdouble bookingしてしまった。
国際学会で日本のひきこもりについて講演するはずだったが、大学の入試業務と重なってしまった。仕事としては学会の方がよっぽど面白いのだが、教室主任としては外せない。
うちの学科の受験生はほとんどが女子。緊張して開始時間を待つ表情は子どもではない。でも大人でもないあどけなさが残る。ふと数年後のゆまのイメージか重なり、なぜか涙が出て来る。
春には卒業、入学のシーズンが来るなあ。今年はじんの番だ。
僕はなぜか入場行進に弱いんだよなあ。子どもの姿を認めると涙が出てくるんだ。普段のintimateな姿ではなく、胸を張って前を見て歩いていく姿に成長を感じる。
次の春は俺だって卒業、入学するんだぞ。

Wednesday, November 24, 2010

成田で見送り

祐馬、元気で行ってらっしゃい!
今、どんな気持ち?
ドキドキ、ワクワク?
そうでもないって!? まあ、春に既に行ってるしね。
でも、今回は1ヶ月。けっこう長いよ!
でも大丈夫。祐馬ならぜったいhome sickにならないから。もし万が一そうなったら、Ryokoさんに抱きしめてもらいな!

パパが初めて海外に旅立った時のことを思い出すよ。
まだその頃は成田もジャンボもなかったからね。羽田からちっこいDC-8機で、アラスカのアンカレッジ経由でサンフランシスコまで行ったんだよ。パパの頃は今と違って高校生が海外に行くなんてすごく珍しかったから大変だったよ。さっきロビーにいた会社っぽい人たち、輪になって多分海外駐在の人を見送っていたでしょ。あんな感じで高校のクラスの友人たちがたくさん来てくれてね。
「Tiki、がんばれ!」とかホントにのぼりを作ってきて、胴上げして、そんな時代だったんだ。
パパは高校で初めての海外。
祐馬は家族とは何度も言ってるけど、ひとり旅は初めて(前回は飛行機のお子様サービス付だったからね)。
パパは、100人くらいの仲間との団体旅行。でも、向こうでは全く知らないAmerican Mom and Dadの出迎え。
祐馬は良く知ってるママ(的)友が待ってくれている。
パパは高校3年生。
祐馬は中学2年生なんだよなあ。
パパは、その時、世界に向かって旅立ったんだ。そして、今のパパがいる。
祐馬は、もういつでも旅立っていいよ。パパがここでしっかり見守っていてあげるから。安心して、思いっきり大きくなりな!

パパのときは、パパのママ(おばあちゃん)とそのまたお母さん(祐馬のひいおばあちゃん)も見送りに来てくれてね。やっぱ、泣いてたよ。高校生のパパにとって、その涙はちょっと重たいというか、むしろ重たいかどうかも考えるのも面倒だし、何も感じなかったけど。今、娘を送り出す立場になって、初めてその気持ちがわかるよ。
でも、パパは泣かなかったでしょ!? 全然、平気だし。
泣くとしたら、祐馬とvirgin roadを歩くときくらいだよ、きっと。

そうだ、それにママだってしっかり空と海から祐馬を見守ってくれているよ。比喩じゃなくて、ホントだよ。だって、久米島で流したママの原子のひとつか二つは、きっとPerthにも届いているから。

Sunday, November 21, 2010

ピアノの調律

そろそろピアノの調律を頼もうかねえ。
パパは最近あまり弾いていないけど、祐馬が時々弾いているし。
パパは、もう売っちゃおうかなとも思ったんだけどね。
大阪の高木ピアノさんに電話して、来てもらった。2時間くらいかけて、調律が済んだ。
かなり狂ってました?
はい、そうですねえ。
もう、2年以上、もしかしたら3年くらい調律していなかったからね。
このピアノは大阪でしか売っていないんですか?
いえ、東京でも取り扱っているお店はたくさんありますが、奥さまは私のところでいろいろ選んでいただきました。
僕はどうせ買うなら夜でもイヤホンつけて楽しめる電子ピアノでいいじゃんと行ったんだけど、妻は結構こだわっていたでしょ。
はい、このグロトリアンというピアノはドイツの100年以上続いている小さなメーカーで、人に言わせればアップライトピアノの中で世界一という人もいるくらいでして。奥さまは確か通訳をされていましたよね。私が「フランスのこういうメーカーもある」とご紹介すると、すぐにご自身でもネットで調べて、「この機種はどうでしょう」とお聞きになったりしてましたよ。
そんな違いを気にするほど上手でもないのに。
いえ、上手、下手は関係ないんです。
いや、僕なんかはそういう違いを気にするというか、違いが分かるほど繊細でもないんですけどねえ。
でも、確かに調律されたピアノを弾いてみると、見違えるように良い音がする(気がする)。

でも、調律屋さんが来るんで、部屋を片付けるのが大変だったよ。ピアノの周りには2年間
手つかずの優子の「お宝」類がごっちゃごちゃに積み重ねてあったんだ。子どもの頃の写真や日記帳、友だちや元彼からの手紙:かなりの量をひとつずつクリアファイルに入れて丁寧に保存してある。すごいね、優子が僕にくれた手紙はとっくに捨てちゃってるのに。去年の春、押入れの奥から発掘して、捨てる気になれず、かといってまた押入れに戻して永久に保存する気にもなれず、部屋の片隅にずっとほっておいたんだ。
1年過ぎ、ほこりにまみれ、そろそろ処分しないとな、もう捨てる気にもなってきたけど、なかなか手間をかける時間とincentiveが得られなかった。
調律屋が来る30分前にあわててごっそりリビングに持ってきて、調律している2時間の間にどうにか仕分け出来たよ。
とっておくもの⇒子どもの頃の通信簿、卒業証書、写真、日記帳(祐馬が捨てないでって)、結婚前に僕が出した手紙。
捨てるもの⇒友人と元彼からの手紙、同級生の名簿、仕事関係の書類、優子の心臓のレントゲン写真、イギリスの病院からの紹介状、優子の症例が記載された医学論文、年金手帳、電子手帳(ザウルス)、などなど。
これで、山積みだった品々が大きめの整理箱ひとつと、5つの大きなゴミ袋に仕分けできた。ここまで小さくなれば、押入れに戻してもいいかな。また何年か経ってから仕分けしなおそう。一遍にではなく、少しずつ段階的に小さくなっていく。大切だったものを捨てるのは、けっこう勇気がいるよな。
でも、そのおかげで、散らかっていた寝室がすっきりして、だいぶスペースが増えた。
優子の思い出を放したら、新しいスペースができた。
その一方で、優子が思い入れたピアノは甦った。

さあ、これで片付いたね。
息子たちの夕食はおばあちゃんに頼み、祐馬といっしょにDavidやKhawlaに会いに鎌倉へ行こう。

Friday, November 19, 2010

「家族関係学」第x章:伴侶喪失後の家族再構成

本来、伝統的な家族の機能・目的は、
1)生活の維持・安定(経済的、日常生活の衣食住的)
2)次世代育成(子供の妊娠・出産・子育て・社会への自立)
である。

それを果たすための手段としての家族の要件;
a) 他者を求め、他者に求められるという愛情関係に基づく信頼関係
b) その関係の安定性・永続性
が必要となる。

家族ライフサイクル上、出産・子育て期を終えたのちに伴侶を喪失した場合、
しかも、上記(1)、(2)の目的がすでに達成されている(あるいは、もう少しで達成される)場合、その後の家族再構成において、上記(1)、(2)はその目的とならない。
その場合、(a)と(b)が手段ではなく、主な目的となる。

Wednesday, November 17, 2010

また書いちゃった

祐馬と話すの、パパとても楽しみなんだよ。
祐馬が一ヶ月いなくなってせいせいするなんてこと、絶対ないんだ。本当は寂しいけど、そんなこと言わないよ。
ほら、やっぱりパパはそうやってすぐブログに書くんだし、パパはうそつきと思ってるでしょ!?
ゴメン。
だから、祐馬のことは書かないから、パパが勝手に考えたことだけ書くんだったらいいでしょ?

パパもそうなんだ。自分の思ってることを溜め込むことができず、すぐこうやって出さずにはいられないんだ。ママが死ぬ前はそんなに溜まることもなかったけど、この2年間はずいぶん意識して出してきたかも。

祐馬が隠さず話してくれて、うれしかったよ。ちょっとびっくりしたけど。パパも話すからね。別に隠してなんかないから。確かに祐馬は大人みたいに、中学生にしてはすごくわかってる部分があると思う。でも、なにせまだ14年間しか生きていないからね。理解できないこともたくさんあるじゃん!?その両方が微妙に入り混じってるから混乱すると思うよ。
でも、パパは大丈夫だよ。祐馬が理解できない部分はあると思うけど、子どもたちのことは絶対、絶対、大切だし。他の物や人と比べること自体、意味がないんだ。そのことは、絶対大丈夫って、パパは自信を持って言えるよ。

これからも、パパは正直にしゃべるからさ、パパの相談相手になってね。息子たちは興味ないからこんなこと話さないし。祐馬の相談にも乗るからさ。いっしょにがんばろうね。
祐馬は何でもはっきり言うから良いんだよ。時にははっきりしすぎて、フツウの人はぶっ飛ぶかもしれないけど、パパは強いからいくらでもぶつかってきていいよ。

初期不良直った?

これでGreat blog funができたぞ!

今日はめっちゃ忙しかった、といっても家に早く帰ってきた。
イヤだけどやらなくちゃならない仕事を先に延ばしたくなかったので、(というか、延ばしてもやる時間がないので)、集中してやっつけていたら、イヤだけど出席しなくちゃいけない会議の時間になった。いいや、サボるしかない!自分が困るだけで、人には迷惑はかけない(はず)。
すると仕事は案外早く片づけることができたので、会議の終了時刻より早く帰れた。
子どもたちの待つ家に帰ろう。
朝、カレーライスを作っておいたけど、もう一品作る時間があるぞ。クスクス・サラダを作ろう!
ごはん3合を4人で平らげた。普段は2合でも余るのに。

Sunday, November 14, 2010

大切な物を放していく

金・土の出張から帰り、今日はめずらしく一日なにもなくのんびりとした日曜日。
午前中、ゴルフ練習場へ手土産を持ってプロにあいさつに行った。
ちょっと忙しくなってきたので、しばらくゴルフをお休みしますって。
プロはびっくり。そりゃそうだよな。もう5-6年になるもんね。下手くそなのによく続いたもんだ。何度もコースにも連れて行ってもらい、この2年間も体育会風に僕を支えてくれていた。最近ようやく開眼してきたかな(もっとも過去に何度そう思ったことか)という時だけに僕自身残念でもある。
今までなら「石にかじりついてもがんばる」生き方をして、限界を乗り越えてきた。
でも、これからはそういう生き方はしないんだ。がんばってもいいけど、がんばらないで、ひとつひとつ大切な物を放していく生き方なんだ。悔しいなあ。どうせやめるなら、もう少し上手くなってからやめたかった。いや、また復活するかもしれないしね。それまでの充電期間ということにしておこう。
週1くらいなら何とか時間の都合はつけられるけど、コースに出るとなると丸一日がかりになる。優子ともよくケンカしたもんなあ。休日まる一日ゴルフに出れば、あなたは家庭のことなんか全く考えていないのね、って。そんなことはないんだけど、、、
そういう意味でもゴルフはnegativeに懐かしいし、中途半端にやめちゃうのも、せっかくバトルした優子に申し訳ないような、、、(そんなことないか!)
今のpersonal lifeや来年からのnew professional lifeのことを考えると、力は分散したくない。テニスの方が時間もお金もかからないし、下手で悩むことも少ないから、テニスとチャリで鍛えよう。ゴルフはそれほどフィットネスには関係ないし。

午後は買い物を済ませ、祐馬とカイを海浜公園のドッグランに連れて行く。
だいぶ、寒くなったねえ。カイはシャイな性格で、他のワンちゃんたちに太刀打ちできない。せっかく来たんだから、もっと走りなよ!

夜はパパが腕を振るうぞ。豚バラのかたまりを買ってきて、圧力鍋でイタリア風トマトソース煮。それに魚介サラダ。お肉がトロトロで美味しいでしょ。1300gのお肉がほとんどなくなっちゃったよ。

食後はじじばばも呼び、買ってきたフルーツタルトにろうそくを立て、みんなでママの47回目の誕生日を祝おう!天国にいたって変わらないからね。子どもたちが書いたバースデー・カード、すばらしいよ。気持ちがとても込められている。こうやって、ときどきみんなでママを思い出し、呼び戻すことは、パパにとっても子どもたちにとってもすごく大切だよね。安らかになれるよ。
パパはワインを飲んだのに、よく食器洗いできたなあ。その後は例によってソファで居眠りしちゃったよ。
祐馬はもうすぐ期末だね。それが終われば、待ち望んでいたオーストラリアだ。楽しいことばかりジャン!期末、がんばるんだぞ!!パパは期待してるけど、期待していないから。

その夜、優子の夢を見たよ。
優子と離婚したことになっている。
始めの頃はあんなにうまくいってたのにね。お互いに自分の仕事を持ち、経済的に独立していたら、夫婦関係を維持するのは難しかったのかもしれないね。
もうそのことはいいんだ。でも、気になるのは、遠く離れているママへのアクセスを子どもたちがちゃんと確保できないといけない。僕と優子との関係はもう終わった。でも、子どもたちと優子の関係を維持するために、これからも遠い優子と話し合わなくちゃね。

Saturday, November 13, 2010

ボケの時間

そうだよ、オレはポケッとできないんだ。
常に何かを考えている。そう言えばすごく生産的な人間として良くとるかもしれないけど、そんなことない、要するに焦燥感でいっぱいの落ち着くことができない性質なわけ。

通勤電車の中では音楽を聴きながらiPhoneをいじってるか、本を読んでいるか、原稿の下書きをしているか、そうでなければ爆睡するか。
新幹線ではまとまった時間がとれるので、たいていデジタル(PC)かアナログ(ノートと万年筆)で何か書いているね。本を読んでもいいんだけど寝てしまう。それなら仕事は、はなからあきらめて、ビールと弁当でお腹を膨らませて新横浜(あるいは大宮)近辺まで爆睡するか。
飛行機の場合も同様だね。アジア路線くらいがちょうどいい。アメリカあるいはヨーロッパ路線のエコノミークラスとなるとさすがに疲れる。前半は仕事に集中して、食事が回ってきたらワインをおかわりして、後半は寝るかな。
退屈な会議では、内職仕事を持参しても、まわりの人が気になるし、時にはちょっと会議に耳を傾けないといけないので、内職に集中できない。最近は、机の下でiPhonを使い、ツイッターで「会議つまらね~、早く終われ!今晩のメシはどうするかな」なんてつぶやいていたりして。

唯一、まとまってボケっとできる時間がチャリ通だ。
けっこう良い本・論文のネタ・ひらめきが湧いてきたりするんだ。頭の中だけの虚ろなイマジネーションは、次の新しい発想くらいまでは覚えてるんだけど、3番目の発想に転換すると、元のやつをすっかり忘れてしまうことがよくある。ああ、しまった、もったいないことをした。
そうなる前に、頭の中から放出して記録しておかなくちゃ。3通りのやり方がある。
1)チャリを止めてデイバックからノートと万年筆を取り出して書きとめるアナログ・バージョン。これが一番たくさん書けるけど、後でデジタル化する手間がある。
2-1)デジタルならiPhoneのEvernoteが便利。デイパックのベルトに取り付けてあるiPhoneを取り出し、シュッシュッ入力する。ちょっと手間がかかるけど、入力後は自動的にクラウドに反映される。あとで自宅・職場のPC内のEndnoteを立ち上げればすでに同期されているからそのまま論文に組み込んでいく。
2-2)もっと簡単で時間がない時に即記録したい時はiPhoneのEndnoteにあるvoice recorder。立ち上げて、アイデアをしゃべって録音する。後で文字に起こす手間がかかるが、信号待ちの短時間でも可能だ。

心の中の優子の状態もチャリ通でモニターできるんだ。特に多摩サイね。市街地チャリだと信号や車や歩行者に気が散るけど、多摩川土手ならしっかりポケッとできる。無心で漕いでいて、ふと我に返ると優子が出ていたりする。ああ、今日の優子は暴れてるなってわかる。去年の今頃までは、嵐のようにいつも出てきたからね。出てきた洪水はブログに吸収させてなんとか収めようとしていた。

今はそんなにひどくはない。ときどき小雨のように現れ、自然に去っていく。あまり出てこないと心配になってきて、意図的に呼び出したりして。
この先、どうなるんだろう?優子が全く出てこなくなっちゃうのもイヤだ。今ぐらいで良いよ。暴れなければ時々出てきてもらった方が安心するし。

それとも、優子を越える強烈な人が出てくるかな?

Crash onとはよく言ったもんだ。

出張の帰り路

ゴメン。
出張の帰り路って、なぜか心が空っぽになり、とても寂しくなるんだよ、きっと。
往きとはぜんぜん違うんだ。これからひと仕事だから、すごく張り切っている。僕はたいていギリギリにならないとエンジンがかからないから、間際まで準備で忙しい。頭の中は仕事のことでいっぱい。それでもエネルギーが余ったら、今回なんかスポーツ・ジムでエアロビをやっちゃったよ。なんか、満ちてるよね。
仕事は、たいていうまくいくんだ。若い頃は失敗ばかりして帰り道は落ち込んだり憤慨してたりしたけど、最近は年の功かうまくいっちゃうんだ。というか、そう思い込めるほど鈍感になっちゃった。失敗したら、いつまでもくよくよそのことを考えるけど、うまくいったら、それ以上考えることはない。仕事関係を頭の中から放出releaseしてしまう。
家に戻れば日常の現実に埋没し、空っぽなんて言ってられない。
帰り道は、まだ現実に戻る前のエアー・スポット。仕事でもない、日常の現実でもない、第三の世界が広がるんだ。
あれ、ボクの戻るべき現実ってどこだっけ?
ふと一瞬、道に迷ったように見当識を失い、わからなくなってあたりを見回す。
あっ、そうだった。
子どもたちの顔を見たくなる。
2年前まで優子がボクの現実だった。優子に会いたくなる⇒会えないからとても悲しくなる。

新幹線の中でこれ書いていて、この気持ちもreleaseしようとしてま~す。

娘との会話をどう乗り切るか

祐馬と病院の待合室
いつも祐馬は鼻をかんで、ティシュの山じゃん!今度、耳鼻科に行って診てもらおう!
祐馬、いつ行くの?
じゃあ、パパの都合のつく午前中に学校を遅刻して行こう、、、

2時間も待たされた。たいくつだね~
そのうち、パパに話しかけてくる。

昨日はおじいちゃんと病院に行ったんだよ。専門の先生とおじいちゃんの病気の治療をどうするか相談してきたんだ。
どうしておじいちゃんの病気のこと、祐馬たちにもっと早く知らせてくれなかったの?全だってきっとまだ知らないよ。
それじゃあ、パパはおじいちゃんがあとどれくらい生きてると思ってんの?
どっちの病院でやるの?
もし日赤なら、祐馬、学校の帰りにお見舞いに行けるよ。

おじいちゃんおばあちゃんにとっても、日赤の方が近くで楽だと思うよ。
おばあちゃん疲れちゃうから、そろそろうちらで洗たくとかやろうよ。前から言ってるじゃん!
パパはすぐ親に頼って、そんな甘い気持ちでやってるからダメなんだよ。おばあちゃんがかわいそうじゃん!


オーストラリア行く前に、あれ買って、これ買って、、、
涼子さんと会ったとき、パパはあんまりしゃべってなかったじゃん!

まともにとりあえば、パパへの批判であり挑戦状、国会答弁みたいに切り返さないといけない。
それは違うんだよ、そういう意味じゃない。
それはヤメなさい、ダメだよ。
娘の反抗と挑戦をしっかり切り返す厳しい時
祐馬が納得する回答ができないと、親の威厳が失われる不安。

、、、ふと思った。
要するに祐馬はヒマだから友だちやママに話していたように、自分の頭の中にあることを順番に口に出して言ってるだけだ。語り口はパパへの挑戦状だけど真意はそうではない、パパをどうこうしたいわけじゃない、自分の心配・不安なことを、パパへ投影しているだけなんだ。
そう考えれば、聞いているだけで良いんだ。
思春期の娘の気持ちを受け止め、わかってやればいいんだ。そこに回答なんていらない。
そのことは、いつも思春期の親講座で言ってることなんだけど。
ふ~ん、そうなんだ。そうだねえ。
適当に聞いているだけ。回答しようと真剣にはならない。
なるほど、とわかってやることに留める。
そうすると楽になる。一生懸命答えなくていいんだ。
退屈な待ち時間が、娘との会話を楽しむ至福の時になる。
ふだんさんざん講演してきたことが、はじめて自分の体験になる。奇妙なことだ。

卒業した学生と、先生の迷い

先生
お久しぶりです。昨年卒業した松山祐子です。
学校行事の振り替え休業日だったので会いに来ましたーー
ちょっとタイミングがあわなかったみたいで残念です(汗)
研究室は引っ越しの準備が着々とすすんでいますね!
お忙しいとは思いますが、寒くなってきましたのでお体くずさないようにしてくださいね!


P.S. ブログの「若返ってますねー」って言われて、「ベンジャミンバトンだぜ!!」っていうくだりがめちゃくちゃおもしろかったです(笑い)
祐子より 愛を込めて(ハート)

卒業しても、ここにまだ来てくれてるんだね。ありがとう!
祐子ちゃん、仕事、がんばってるじゃない!
僕も若い頃はそうだったよ。
大学で勉強して、就職して、結婚して、子どもを作り、育てて。細かい点ではたくさん迷って悩んだけど、大筋の方向性では迷わなかった。進むべき方向は確かだった。そこに向かうために、優子とタグを組んで共に歩んでいたんだ。

それがいま、迷ってるんだ。
祐子ちゃんが今、目標としてるようなこと、つまりボクも若い頃目指していた目標はほぼ達成したんだ。経済的・生活的な基盤を作り、子どもを産み、育て、医者と大学の先生として多少とも社会に貢献しているし。これらの面ではぜんぜん迷っていないよ。
迷ってるのは、僕の内面の気持ちなんだ。いったい僕はどうやったら人生の充実感を得るることができるのかってね。なに、それはぜいたくな悩みかって?
この淋しさをどうしたら良いのかね?。
でも、寂しい、寂しいって言ってるけど、その「オレは寂しがりだだから、、、」という前提にこだわらなくても良いのかな、もしかしたらこのままやっていけるのかもしれない、、、なんて思う瞬間だってあるんだ。
人生の目標を達成するため、優子は僕にとっての、僕は優子にとってのの手段だった。幸い、それは80%くらいは達成したんだ。残りの子育ても、しじばばがいればどうにかやっていけそうな気がする。目標を達成するための手段としてのパートナーはもういらない。

淋しさを満たすためのパートナーってどうやるの?
それは、あくまで自分のニーズだろ。相手のニーズはどうなるんだ?自分勝手になるなよ。
昔の若い頃の恋愛ともやり方がちょっと違うような気がする。
自分がこれからいったい何を求めているのかがよくわからないんだ。
優子がいたら、そんなこと考える必要はなかった。マンネリだったとしても、手を取り合って一緒に山を下るしかなかったからね。
でももうそれはない。何か別のことをしなくちゃいけないってことだけは確かみたい。だから、取り敢えず身体を作ってベンジャミンやってんたよ。わかる?

Friday, November 12, 2010

47回目の誕生日

優子、おめでとう!
天国では2回目だね。そっちの生活はもうだいぶ慣れただろ!?こっちも、優子のいない我が家の生活にもだいぶ慣れたよ。もちろん、完全に慣れてはいないよ。そうしちゃったら優子に失礼かもしれないしね。でも、無理して言ってるわけでもないと思う。
子どもたちはみな元気だよ。じんは最近急に身体が成長し大きくなったような気がする。幼い末っ子ポジションから抜け出せるかな。毎週末に体操教室がんばってるよ。時には親も見に行ってやらなければな。進級テストに受かるかもしれないとか言ってたし。
祐馬はオーストラリアとミスチルで頭の中がいっぱいだ。彼女はいつも熱いね!
ちゅけはバレー班の部長でがんばってるよ。今年のチームは強いみたい。先週の大会でも全勝したってよ。来年はじんが中学生、祐馬とちゅけは受験だ。子どもたちの成長には目を見張るよ。

オレだって元気だよ。今日と明日は盛岡に来てるんだ。いのちの電話の講演だよ。本当は明日の朝一に来たのでも間に合うのだけど、せっかくだから前日に来て、近くのスポーツクラブのジムとプールで身体を動かしてきた。夜はひとりで食べたご当地名物じゃじゃ麺と棒棒ギョウザと生ビールが美味しかったぞ。
優子がいなくたって、もう平気だから。
オレの新たな人生はもう始まっているんだ。優子になんかもう捉われてはいないぞ。

二回目の命日はどうしようかなと考えているんだ。
今のところ考えているのは、去年と同じような感じで、でも段々と規模は小さくしていって。
去年来てくれた人たちに、今年もやるから来てくれますかって案内を出そうかなと思うんだ。多分、身内と少人数の友だちで、去年みたいに形式ばったやり方ではなく、もっと気軽に、食事でもしながら、優子の面影といっしょに過ごせたらいいな、ってのはどう思う?
ボク自身はもう大丈夫。むしろ子どもたちにとって、母親の継続性というか良い思い出を残してやりたいんだ。来てくれる人たちにとっても、優子の面影を語るというよりは、今の自分の姿を優子の前で語りあえるような、そんなしみじみとした集まりなんか良いかなと思うんだけどね。

今は出張中だからお祝いはできないんだ。
明日の夜帰るから、明後日の日曜日の夕食に子どもたちとケーキにろうそく一本立てて、優子の誕生日を祝うね。おめでとう!!

Wednesday, November 3, 2010

1年10ヶ月

それに、来週は優子の47回目の誕生日。
週の真ん中に祝日があるってのは良いね。週の仕事が前2日と後2日に分かれて一息できる。
今日はテニス日和。午前中はいつもの仲間たちとテニス三昧。
5人で4時間はなかなかきついね。家に帰って風呂に入り、たっぷり使った筋肉をストレッチでほぐす。
午後は城南島海浜公園のドッグランに祐馬とカイを連れて行く。
昨日は新宿までチャリ通。明日も飯田橋までチャリ通するぞ。そして、金曜は京都だ。
オレは元気だよ。毎日は充実してるよ。寂しさを感じる暇もないくらいactiveにしている。

でも寂しいんだ。
夕食は鶏肉と豆腐と野菜たっぷりの水炊きだ。仕上げは雑炊にして、食後のフルーツは巨峰と梨を切ってやるぞ。
美味しそうにたくさん食べる子どもたちとの食事はとても楽しい。
でも、子どもたちと一緒に居るひと時でさえ、寂しい。

これは何とも致し方ないね。家族や友人たちに仕事仲間、まわりにたくさんの人々がいても、心にぽっかり空いた穴は塞がらない。
別にそれで良いんだ。困っているわけじゃあない。
身体を動かしているときだけ、寂しさから解放される。
あ~、もう眠い。

Saturday, October 30, 2010

ブログ語り

メールは一方通行のコミュニケーション。
自分の思いを相手に一方的に伝えるから。

伝えた相手からresponseがあると、自分で勝手に作ったイメージの世界を相互作用の中で修正しなくてはならなくなる。折り合うことが必要になる。それが現実の家族生活・社会生活なんだけどね。

メールなら、自分の世界を壊すことなく、傷つけられることなく、他者に伝えたいことだけを選択して伝えることができる。他者に妨げられることなく自己全能感の中に留まりながら、他者と交流できる。
だからひきこもりはネットと親和的なんだ。

ブログの世界も同じだね。
自己陶酔、自分勝手、わがままな世界だ。
現実はそういうわけにはいかない。
優子だってそう。現実にいたときの優子は、良いところもあったけど、ヘンなところだってたくさんあった。
自己陶酔ブログの中の優子は、都合の良い部分だけが再構成される。
時々寄せてくれるコメントだって、傷つける意図はない、僕の文脈の流れの枠内の交流だ。
これが議論するメーリングリストや掲示板だと様相が違ってくる。

優子との接点を語り尽くしていくボクの喪の物語。他人が口をはさむものではない。コメントで支えてくれる。
このブログ語りに終わりがあるんだろうか。今後も、語り尽くすことはないと思う。語れない部分が出てきた時に、あるいは語る相手ができた時に、ブログは終わるんだろう。

その一方で、ブログを読みに来てくれる人たちの存在は大きい。

ご無沙汰しています。
ずーっと、ブログ読ませて頂いています。
これが、お伝えしたかった事です。
が、ついでに、全く自分本位な感想なんかも書いてみます。聞き流して下さいね。
(かなり中略)、、、ブログを読んで、引っかかった事で、また、改めて、未解決の葛藤に向き合うチャンスを与えられたからとても嬉しかったです。

それはxさん自身の物語。
僕の物語が、xさんの物語を発展させるし、そのメッセージが僕に返ってきて、僕の物語が発展するんですよ。お互い、別々の物語だけど、時々交わることでその存在価値が改めて確認されるわけですね。

愛のパラドックス

愛って、ひっつきたい、近くにずっといたいという欲求でしょ。
でも、愛が成就して、安定してカップリングしちゃったら、愛は見えなくなる。これ、パラドックスだね。
ひっついて一緒の生活を始めれば、必然的に葛藤が生じる。
むしろ離れている不安定さの元で、愛が前面に出てくる。

優子と結婚する前は愛を感じた。普段は別々の生活で、週末に一緒の時を過ごすくらいだったから。
新婚当時も感じていたかな。夫婦のカタチを作ろうと試行錯誤していたから。安定を目指していたけど、まだ安定はしていなかった。
病院に優子を見舞いに行くときも愛を感じたよ。不安定な形で離れていたから。
留学から帰国し、ふたりとも就職し、子どもを作ることにした。
出産に立ち会ったときは最高に愛を感じたよ。優子にも、生まれた子どもたちにも。

でも、一緒に過ごす日常生活では、愛は背景に後退し、代わりに仕事や子育ての葛藤とストレスが前面に出てきた。安定しちゃうと、愛は感じなくなるんだ。

ひとりの海外出張から家に帰ってきたら、愛を感じた。
最後に優子とふたりで行った韓国旅行も愛を感じた。非日常性の世界だったからね。
二度と優子と会えない今、ずっと愛を感じている。
成就されない愛=悲しみ
なのかな?

教訓:愛情をキープするコツ
べったり一緒だとダメだね。適宜離れて、ふたりの間に不安定さのスパイスを少量投じる。

仲間とワイワイ解決法

しかしオマエも単純だね。
友だちの子どもが今、大変なんだって!?
昼ゴハンを食べながら、ひととおり話を聞いて、う~ん、親の気持ち的にはcrisisだよ!
さっそく、仲間を集めよう!
明日の日曜日、ママさん、パパさんで集まってさ、いろいろ話し合おうよ!

それは、オマエがcrisisのとき、経験したことをそのままやろうとしてるんだろ。
お葬式までの一週間、保育園パパママたちが集まってくれ、親しい人たちとたくさん交わり、支えてもらって危機を乗り越えたから。
そりゃあ、確かにひとつの有効な方法なんだろうけど、それがすべての人に当てはまるわけではない。
そういう意味では、オマエはかなり極端に仲間とワイワイ志向が強いんだということを覚えてろよ。人が集まると気を使って疲れてしまう人だっているんだぞ。優子がそうだったから。優子は少数の友人を大切にしていた。みんなでワイワイではなく、ツーショットでじっくり深めた方が有効な場合だって多いはずだ。

カウンセリングもそうだね。
個人療法で、1対1、じっくり向き合うのを好む人。
家族療法やグループ療法で、多くの人の中で支えられエンパワーされる人。
いろいろいるはずだ。
オマエはextrovertだから後者が好きなのは理解できるけど。

オマエの職場だってそうだろ。秘書や学生や相談員さんたち、常に多くの人たちが出入りしている。オマエはそういうのが落ち着くんだろ。変わったやつだ。普通の人は、まわりから隔絶され、ひとりでいた方が落ち着くんだぞ。優子もそうだったと思うよ。

Monday, October 25, 2010

大切な週末

今晩は、子どもたちダブル・フンデュだぞ!
チーズ・フォンデュはうちの冬場の定番だよね。
たっぷりのチーズをフォンデュ鍋に溶かし込み、延べる液体はキルシュやワインではなく、牛乳だよ、子供たち向けにね。
具材はバゲットだけじゃなくて、じゃがいも、ニンジン、ブロッコリ、アスパラ、パブリカ、それに今回は祐馬の好物のカボチャも加えて、たっぷり野菜にチーズをつけて、みんなで食べよう!

今回はそれだけじゃない。チョコレート・フォンデュもやろう!うちでは初登場だ。
このあいだダイシンで買ってきたバーニャカウダ用の小さな陶器に板チョコと生クリームを入れるよ。ロウソクで暖めたら、おもしろいように溶けていくね。具材はバナナとリンゴとマシュマロだよ。ほんとはイチゴなんかもあったらいいんだけど。
板チョコ3枚、ペロっと食べちゃった。子どもたちは争うように、というか実際争いながらよく食べる!!
パパは白ワインもね。軽く1本空けちゃった。

すごいカロリーだったよ、今晩の食事は。
でもいいんだ、普段の日は粗食にして思いっきり絞り、
週末は、子どもたちと思いっきり食べよう!

--------
ホントは大切な週末は子どもたちとずっと過ごしたいんだけど、土日はパパも結構お仕事とか入るしね。
だって、いつもテニスとかも行ってるし。仕事じゃなくて、パパ勝手に遊んでるじゃん。
昨日も友だちと飲みに行くとか言って、夜、遅くなったし!
そうなんだよねえ。なんか最近、友だちと会うことが多くなったなあ。
もともとパパは社交的な方だったけど、最近、それが益々ひどくなってるみたい。
自分でもそう認めるよ。
だって、子どもたちとか家族がいるじゃん!
そう。それは一番大切なんだけど、それとは種類がちょっと違うんだよね。じじ・ばばも家族で大切だけど、子どもたちの大切さともちょっと違うし、パパにとってお友だちの存在も別の意味でとても大切なんだ。
そんなの、わかんない!なんかそういうのって、裏切られたような感じがする。
うん、その気持ちはわかるけど、、、
パパ!子どもの気持ちを甘く見ちゃダメだからね!
、、、、は、はい。
パパ、そうやって、話したこと勝手にブログに書かないでよ!
はい、済みませんm(_ _)m

Thursday, October 21, 2010

今日のつぶやき(ツイッター)

最近、久し振りに会うと「やせたね」と言われる。
そうね、かなりしぼってるのは確かだけど。
マゾヒスティックに、全身の運動と感情のエネルギーを使い切る。
足りていない体重(喜び)が、少しでも満たされる瞬間の落差の喜びを何度も味わうことができる。
でも、後でまた減らさなければ、だんだん幸せが満ち足りてしまい、落差の喜びはもう得られない。
満ち足りてしまったら、欠けることの不安と、際限ない欲望にいつも悩まなければならない。
おなか一杯になってから、また体重と幸せを手放すって、かなり辛いから。でも、それはオレの得意分野だ。手放す痛みは、もうプロだぜ。
愛が深いほど、別れの痛みも深くなる。
失うことは、もう怖くない。
孤独なら、人と出会う喜びを全身で満喫できる。
I don't deserve to be fully satisfied/happy.
I need a vacuum of emptiness where I can meet Yuko.

こんなことが可能となる前提)
僕の外野は応援団で埋め尽くされているから、こんなこと言えるんだ。
マウンドにひとり立ち、プライドを持っで、一流にプレイする自信はある。
でも、どんな球も受け止めてくれる有能なキャッチャーが突然消えた。
いくらでも内野手とボールを回すことは出来るが、ホームベースに直球は投げられない。

健康野菜弁当

ちゅけは中間試験で弁当がいらないので、自分だけの弁当を作った。

  • ナスとピーマンの卵とじ
  • 肉じゃが
  • しし唐の煮つけ

そんだけ。

カルティエのラブ・リング






悲しみと希望が交互に出てくる多摩サイ。
混乱するよ。優子と悲しみしか出てこないよりはよっぽどマシだけど、ジェットコースターのようだ。
こんなにナルシスティックに自分の心情にfocusしたこと、今までなかった。
エネルギーの励起状態。優子を失うというbottom lineをhitした今、何だってできるんだ。
悲しみは手離してはいけない。オレのidentityの重要な構成要素だから。問題は、その上に希望と喜びが乗っかるかだ。
まだ、primitiveで未分化な喜び。今後、どうなるかわからない。安定していた人生が、突如全くわからなくなってしまった。青年期に逆戻り。
その一方で、岩のような安定感を子どもたちやfellow colleague達に提供する。
矛盾してない?
いや、ぜんぜん。不安定な自己があればあるほど、意図的に他者との関係を安定させることができる。もう何だってできるよ。

カルティエのラブリングを2年ぶりに左手の薬指につけて一日過ごしてみた。今日はチャリ通勤ではなかったので、特に意味もなく。結婚10年目にふたりで作った新・結婚指輪。内面にはYukoの文字が刻まれている。もう一個の結婚時のオリジナル指輪はお墓の骨壺に入れ、優子に預けてある。優子のカルティエは祐馬が年頃になったら付ければ良い。
人に見せるわけじゃない。自分で確認するために、ふとつけてみた。今まではつけることができなかったけど。

もうつけちゃいけない?
そんなことない、このリングは僕のアイデンティティの一部なんだよな。過ぎ去った時代の大切な自分。優子を葬るために、リングまで葬る必要はないはずだ。
今までは、優子を思い出すため、悲しみと出会うためのアイテムだった。
今は悲しくないと言ったらウソだが、優子は過去の思い出ではない。今の自分を構成する大切な要素だ。ファッション・アイテムのひとつとして。

優子にしがみつかなくても良い。
無理に忘れようとしなくて良い。
特別扱いしなくたっていいじゃん。ふつうに優子をつけていれば。
悲しむことも、恐れることもない。
だれに見せることも、だれに隠す必要もない。
過去のidentityの基盤の上に、新たなidentityが築かれるんだ。

Sunday, October 10, 2010

結婚記念日

京都へ向かう新幹線の中。
とても気持ちが落ち着くひと時だ。
ひとつの現実から、離れた場所の別の現実へタイムスリップする間のわずかなひと時。明日には、また元の現実に戻ってくる。どの現実からもかい離した空間で、ゆっくり自分の内面に向き合える。
ラミーの万年筆にバイオレットのインクを詰め替えたんだ。黒やblue blackとは違う、パステルカラーの優しい色。直接ノートPCかiPad/iPhoneに入力してもいいんだけど、いったんアナログに落とすと落ち着くんだ。
今回は荷物が少ないのでテルモスの保温ジャーを持ってきた。品川駅のスタバでカフェモカを入れたら、京都まで温かいままもつかな。普段の通勤電車では仕事の本を読むか原稿書きに追われている。普段は読めない(気持ちにその余裕がない)文庫本を3冊カバンに入れた。あと、いつもどおり書きかけの原稿も。どうせ手につかないだろうけど、念のため。

今日は23回目の(、、、そして、優子がいなくなって2回目の、、、)結婚記念日。
大丈夫だよ、オレは前に進んでいるから。ウジウジ優子の面影にしがみつくほど弱虫じゃあない。そう、京都に向かっているんだよ。(去年の今日も新幹線に乗っていたんだ。ブログをみたら)

でも、オレはどこに行くんだろう?
今みたいに迷っているのは、若い頃だった。
大学を出て、優子という伴侶を得て、留学・就職、そして三人の子どもたち、、、
選択肢をひとつずつ選びとり、歩む道は確定していた。安心して迷うことなく、家族というパーティーを組んで稜線を縦走していたんだよ。
そしたら、急に同行者が足を滑らせ谷に落ちて消えちゃった。

でも、大丈夫。オレは山岳部で鍛えていたんだ。
高校3年生、アメリカ留学から帰国した夏、後立山連峰の単独縦走だってこなしたんだぞ!それを区切りに、大学受験の勉強に向かったんだ。

今、霧はかかっていない。
道は自分で切り開ける。
たくさんの人々がまわりから支えてくれている。
かけがえのない三人の子どもたちもしっかり一緒に歩んでいる。
でも、同行者がいないんだ!

それがなんだ!
オマエ、山岳部なんだろ!?
単独行だってできるんだろ!
山麓から稜線までの樹林で覆われた辛い登りのアプローチは終わったんだ。すでに、樹林帯は超えている。見晴らしの良い3000m級の山々をめぐっているんだろ。
十分、ひとりで、子どもたちと歩んで行けるはずだぞ!

Saturday, October 9, 2010

Extroversion

僕も徹底的にプラス人間なんですよ。
Positive Thinkingなんて言えば聞こえはいいけど、要するにマイナスをマイナスに留めておくことができないんです。
ユングのタイプ論で言えばextrovert(外向タイプ)。悲しみでも何でも負の感情エネルギーを自分の内面に関心を向けたり内にとどめておくことができず、外に向け、他者と関わり、具体的な行動・行為として表現して、外に放出するんです。

内向き・外向き、どちらが好ましいとか、良い方法だとかではないんでしょう。
要は、そのエネルギーがうまくコントロールさているか否かで、善し悪しが決まります。

  • うまくコントロールされた内向きのエネルギーは、自分の気持ちを内省し、深く掘り下げ、悟りの境地に向かう。良い本を書けるかも。
  • コントロールできず、逸脱した内向きのエネルギーは、気持ちを落ち込ませ、うつ病になり、自分自身を破滅させ、究極的には自死へ向かう。
  • うまくコントロールされた外向きのエネルギーは、行動化され、人との関わりの中で発散される。僕の場合、自転車のペダルに向けられたり、父親役としての子どもたちへの関わりや、いろんな人との関わりを求める。それが生産性に繋がればラッキー。
  • コントロールできず、逸脱した外向きのエネルギーは、攻撃性としてまわりの人へ投影され、まわりに害を及ぼすような行動となる。

Friday, October 8, 2010

Anti-Aging

今回の集まりで、久しぶりにみなさんと会えたのは楽しかったです。
みなさん、お気づきのことと思いますが、TIKIが若返りました。どうみても30歳代で
しょ?
娘さんのコーディネイトによる当日の服装とのことでしたが、顔色も良く、「もしか
したら?」と思わせるような雰囲気がただよっていました。
Ted

Tikiがほんとほっそりして見違えるようです~。Tedといい、私にもアンチエイジング方法、ご教示ください!!
Misia

アンチエイジングですね。
それは、若い女の人とXXすることです(僕の場合)。
Ted
(XXの答え=仕事でした。)

ハハハ、往年のTed節、全開ですなあ。その話は裏に置いておいて、、、
僕の場合、まずexerciseね。5年前にチャリ通勤を始めて以来、天気が良ければ週に3-4回片道32kmをスポーツ自転車で往復。一気に8kg落とし、その後リバウンドで戻っちゃったけど、この半年くらいなぜかまた落ちてます。真夏にも週末に仲間とテニス4時間してたのも関係あるかな。ゴルフもルーチンにやってるけど、そっちはあまり関係ないかも。

メシは普通に食べているし、週末には結構飲み食いもしているんですけどねえ。
でも、1年半前から子どもの弁当のついでに自分の分も作り、当初は男弁当がっつり一人前食べてたけど、最近はぐんと量を減らしてます。

あと、気分的にはハングリーでいることかな。満ち足りて到達しちゃったらそれで人生おしまいじゃない。どこか、足りなく、欠けた部分があるとハングリーでいられるみたい。僕の場合、気持ちがずっと足りていないから、おなかも足りていないと心身のバランスがとれてちょうど良い感じなんですよ。

Tiki、気持ちハングリーっていいですよね。僕も改めて自分の気持ち見つめ直すきっかけとさせていただきます。究極のアンチエイジンクですね!
Ted.

Wednesday, October 6, 2010

アドレナリンの慢性過剰放出状態

今日から秋学期の授業開始。
祐馬が選んだ若づくりのGAPを着ていったら、みんなから言われたよ。
事務員が「先生、痩せました?
半分まくしあげた前腕を学生が見て、「わー、先生、ムキムキ!
相談員が、「まあ先生、スポーティーで!
夜はJASCの連中とミニreunion。優子も一緒だった仲間たちと、たくさんの懐かしい思い出話のひとつとして、優子の話もできた。「Tikiさん、見るたびにだんだん若返っていくんじゃない!?
そうだよ、どうせオレはベンジャミン・バトンだぜ!

10年前に伴侶を亡くした先輩widowのはっちゃんは
Tiki、元気そうだね。でも、まだ2年経ってないでしょ!?まだまだ!
私は立ち上がるまで3年かかったよ。

心の危機に対して、うつ、やる気喪失みたいなdown系にはならなかった。それは僕の性分ではない。とにかく気持ちが先行しちゃうんだ。やたらに動き回るup系
多分、告別式で優子の亡骸に怒りをぶつけて以来、ずっと怒っているんだよな。
感情のhyperactive状態としての怒り。もちろん誰かに向けるわけではない。僕自身の内在する感情としての、放出する行き場のない、また放出する必要もない怒り。というか、とてもactiveなemotional process。

この1年9ヶ月、ずっと走り続けている。
自転車と同じ。立ち止まると倒れて、起き上がれなくなるのが恐いのかな。
走ることで、前に進めることでかろうじてバランスをとっている。
いや、そんなに切羽詰っているわけでもない。走ることが心地よい。そうやって涙を振りちぎるんだ。
明日はしばらくぶりに多摩サイを走るぞ!

Monday, October 4, 2010

1年9ヶ月

おう、優子、久しぶり。みんなでやってきたぞ。
おばあちゃんも夏の暑さから回復して、まあ元気そう。誘っても来ないかと思ったけど、一緒に来たよ。水で清めて、花を手向け、お線香をあげるだけの短い時間だけど、子どもたちとおばあちゃんにとっても、とても大切なひと時だ。帰りにファミレスに寄って、子どもたちの食べっぷりと騒々しいおしゃべりにおばあちゃんも心を和ませた。子どもたちもお小遣いをもらって超ラッキーだったね。
おばあちゃんも、以前までは、
「優子は仕事で無理をしたのがいけなかったんで、、、
まだ親戚や友だちにも言ってないんですよ、、、
でも、Tikiさんと子どもたちに恵まれて、短いけれど幸せな人生でした、、、
でも45歳じゃあねえ、、、ちょっと早すぎたわねえ、、、」
みたいなトーンだったから子どもたちもイヤがっていたけど、今日の話は少し変わってきたよ。
今だから話すけど、優子は結構もててね、結婚前は盛んだったのよ。
卒業旅行でヨーロッパに行ったら、おっかけて付いてきた男性もいたのよ。
いや、優子もバカというか、当時の彼氏からの手紙や写真をマル秘のお宝箱にとっておいたんですよ。死ぬとわかっていたら処分しただろうに。それを見ると、彼が優子についてきたんではなくて、当時、ヨーロッパに留学していた彼に、優子が会いに行ったみたいよ。彼の手紙には、
「優子は、どうしてもTikiさんと結婚するのか?」みたいなことが書いてあって。
その半年くらい前に僕がプロポーズして、だいぶ待たされていた頃だったから。優子は二股かけていたというより、彼に会って気持ちの整理をつけたかったんだろうね、と良い方に解釈してあげるよ。彼には僕の存在を伝えたけど、僕には彼の存在は伝えなかったんだね。

後悔や悲しみとはちょっと違う、こういうちょっとおバカで楽しい話なら、子どもたちに聞かせてもいいかな。後部座席で祐馬がバッチリ聞き耳を立てていた。
パパがプロポーズする前にも、ママはけっこう結婚を申し込まれたみたいよ。
だって、ママが結婚したの23歳でしょ。それ、早くない?
そうだね。ママはとても男の人にもてたんだよ。可愛かったもの。
なのに、どうしてパパなんかと結婚したの?
そりゃあ、パパが一番良かったんだろうね。ママは、たくさんの男たちの中からパパを選んだんだよ。パパだって、たくさんの女の人たちの中からママを選んだんだから。

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私たちはたくさん得たのよ。何も失っていないわ。そうでしょ!?
そりゃあ、心の中には優子が残ってるけど、片面だけだぞ。B面の、口うるさく、子どものしつけや部屋の整理でケンカして、ムカつく優子は失ったよ。A面の、聖女の偶像しか残ってない。

男としての自分らしさを求めたからって、私を忘れようとしたり、TIkiの人生から私を消し去ろうとすることではないのよ。たとえ、Tikiが新しいパートナーを見つけたとしても、私がTikiの人生の一部だということは消し去ることはできないの。
じゃあ、どうすんの?
もし仮に新しい人ができたって、優子とバッティングしちゃうじゃない!?

そのあたりのことは、僕も机上の空論としていろいろ考えてみたんだよ。
人を愛そうと思ったら、優子を愛した記憶が出てくると思うんだ。それは大切だと思うんだよ。愛の記憶があるから、新たな愛に向かう自信につながる。ちょうど親に愛され、親を愛した体験が、新たな愛へ向かえる原動力になるようにね。成長して親離れすれば、過去の記憶が現在の肥しになるように。
(ただし親離れ・子離れできてないと、親子の愛着や葛藤がパートナー間に投影されたりするけど)
優子を愛した体験が、新たな愛へのエネルギーになりうるの?
親子の愛とパートナー間の愛は、種類の違う別のチャンネルだからいいけど、パートナー間同士だったら混線しちゃうんじゃない?新たな人を偶像の優子と比較しちゃったりして。

しっかり、優子離れすればいいの?
別に記憶から消し去るわけじゃない。親離れみたいに、記憶は大切に温めてるけど、もうそこに執着しないというか、済んで整理された、過去の温かい記憶だったらいいのかな??
、、、よくわかりませ~ん!

Saturday, October 2, 2010

Re: Scrap and Build

Tikiさん、優子です。
Tikiの複雑な気持ちを読むと、私への愛情を感じてとてもうれしいわ。


優子のことなんか、もうどうでもいいんです。悲しみの仕事は、だいたい片付いたから(やせ我慢してる?)
私のことって、もしかしたら悲しみのことよね?
私のことを、まだ深く愛してくれていることよくわかるわ。もうどうでもいいっていうのは、私のことじゃなくて、喪失感のことでしょ?この文章だと、私のことと、私を失ったことがごっちゃになってるわね。
私はずっとTikiと一緒だったから、Tikiの気持ちはよくわかってるつもりよ。20年余りも家族と人生を共にしたんだもの。
私たちはたくさん得たのよ。何も失っていないわ。そうでしょ!?


ときどき、方向を見失いそうで不安になるんですよね。
そんなとき、優子と一緒に20年かけて創った自分の原点に戻って、コンパスとブログという地図を使って、どこまで来たか確認してるのかな。
Tikiは心細くなると、いつも私のことと、私との生活を思い出してくれるのね。

私は、まだTikiの中で生きているのね。

むしろ、今は、親として、男としての自分のidentityを再構築する仕事をしているのかもしれません。
だれでも、いろんなidentity(自分らしさ)を持ってるわ。プロとして、親として、男性・女性として、あるいはスポーツや音楽や芸術などでも。
Tikiはプロ(専門家)の道と、父親(そして男性)の部分で、今、自分探しをしてるのね。
だれでも、人生の節目節目で自分らしさの特定の部分に注目すると思うの。それは、私が地上にいても天国にいても変わらないわ。
男としての自分らしさを求めたからって、私を忘れようとしたり、TIkiの人生から私を消し去ろうとすることではないのよ。たとえ、Tikiが新しいパートナーを見つけたとしても、私がTikiの人生の一部だということは消し去ることはできないの。
だから、悲しむ回数が減っても、自分を責めたりしないでね。頻度はあなたの愛の深さとは関係ないわ。悲しみと愛は別のもの。
Tikiは、Tikiの中にいる私のことをとても大切にしてくれている。とても嬉しいわ。


喪の仕事も、経過とともにずいぶん変わってくるものですね。
そうね。それは、成長しているってことじゃないかな。Tiki, you are doing GREAT!


MOVE ON, Tiki!
そして、自分のことを優しくしてあげてね。


Love,
優子。

家に帰ろう!

仙台の研修はうまくいった。
昨日は、まる一日ワークショップ。新しい仲間も増えていくね!
夜、遅くまで相談員さんたちとホテルのバーで熱心に語り合う。
活動は困難ばかりだけど、みんなで助け合ってがんばろう!

今朝は、ゆっくり部屋の熱いバスに浸かり、チェックアウトして、さあ、家に帰ろう!
駅で、子どもたちとじじばばに萩の月も買ったし。
今晩は、子どもたちの好きなクリームシチューにバゲット。北海道から送られてきた毛ガニも食べよう。パパは白ワインもね。

明日の日曜は、一緒にお墓参りに行こうね。
子どもたち3人は、他のことでは絶対意見がまとまらないのに、ママのお墓参りだけは必ず一致する。
カイも連れて行こう!
ママに会ったら報告しようね....
子どもたちもパパも、がんばってるって!
ママがいなくたって、ぜんぜん平気だよね!
ママがいなくたって、幸せになれるよね!

そんなこと想っていたら、新幹線のホームで涙が頬を伝い、止まらなくなった。

Friday, September 24, 2010

Scrap and Build

ご無沙汰しております。
ブログは時々おじゃまさせていただいております。
、、、、、、、、、、、
、、、、、、、、、、、


心温まるメール、ありがとうございます。
ブログを書き始めたころは、わりとたくさんの人から「読んでるよ~」とコメントをいただいたりしていたのですが、最近はそれもすっかり少なくなってきました。でも、時々こうやってお便りを頂くと、ああ、まだ忘れられていないんだな。また、その背後には直接言わないけど読んでくれている人がいるという期待に支えられています。
私も、優子のことは忘れたくないんですけど、時と共に、だんだんと忘れていく自分がいて、そのことが悲しくも、嬉しくもあります。
1年と9ヶ月前に、心に溢れてくる洪水を掻き出すために必死で始めたブログですが、最近では心の部屋もすっかり落ち着きを取戻しました。ときどき見出すゴミ屑をホウキとチリ取りでちょっと摘み出すような程度です。

子どもたちの成長には目を見張りますよね。毎日接していても彼らの身体と心が成長しているのを実感します。もし優子が1年半ぶりに出てきて子どもたちに会ったら、とてもびっくりするでしょう。

ちゅけはすでに班活を中心とした自分の世界をつくり、家族旅行にも来てくれません。祐馬も、もうすぐそうなるでしょう。既にその兆しが見えています。じんも、やがてはそうなるかと思うと寂しいけど、それがあるべき成長なのでしょう。そう思うと、まだ付いて来てくれる今がとても大切に思えてきます。

私自身も、新しい仕事を始めようとしたり、新しい出会いがあったり、だんだん変わっているように思います。
久しぶりに会った教え子に言われました。
先生、やせましたね~!!
そうだよ。僕だって努力しているんだから。
苦労して、やつれたわけじゃないよ。
努力して、proactiveに体重を落としたんだから。
もし優子が一年半ぶりに出てきて私を見たら、とてもびっくりするでしょう。

この歳になっても成長するものなんでしょうかね??
以前はそんな視点で自分を振り返ることなんかありませんでした。今までは、安定性を家族に供給するために、変わらないことがテーマでしたから。しかし、私自身の精神的な立ち位置を失ってからは、一方で生活的・物質的な安定は維持しつつも、もう一方では新たな立ち位置・ライフスタイルを模索しているんだと思います。いったん捨てて、再構築するscrap and build。それが荒廃につながるか、成長につながるかは、やってみないとわかりません。できれば、子どもたちと共に良い方向に成長できればうれしいのですけど、どうなることやら、自信はありません。一見ふつうに生活していても、心のバランスを崩してしまった人をたくさん見ているだけに、自分自身に言い聞かせてはいるのですが、、、。人のことは治せても、自分自身は治せませんから(笑)。

時の移り変わりと共に、ぐんぐん成長していく子どもたちと、立ち位置をズラしていく自分。
ときどき、方向を見失いそうで不安になるんですよね。
そんなとき、優子と一緒に20年かけて創った自分の原点に戻って、コンパスとブログという地図を使って、どこまで来たか確認してるのかな。

どうも優子を失っただけではないみたいですね。子どもたちはピーターパンの世界を失い、親は手元において可愛がる対象を失います。僕自身もリセットするために、優子時代の自分を手放そうとしている。
こうやって、喪失と変化の軌跡を記述することで、子どもたちの幼い面影と、優子と共に築いた自分を葬り、子どもたちの自立を認め、生まれ変わろうともがいている自分自身を正当化しているのでしょう。
優子のことなんか、もうどうでもいいんです。悲しみの仕事は、もうだいたい片付いたから(やせ我慢してる?)
むしろ、今は、親として、男としての自分のidentityを再構築する仕事をしているのかもしれません。
喪の仕事も、経過とともにずいぶん変わってくるものですね。

Monday, September 20, 2010

子どもたちの墓参り

ねえ、祐馬、ママのお墓参り行きたい!
そうだねえ。パパも行きたいけど、お休みの日も仕事やテニスが入っていて、ちょっと先になるかなあ。
ちゅけ「ひとりで行けばいいじゃん!」
イヤだ。祐馬はひとりじゃ行きたくない。

そうだよな、ちゅけはひとりで行ったんだよな。
体育祭の後、めずらしく班活も休みの二連休に。
パパ、行けないよ。おじいちゃんと行くか?
いいよ、オレひとりで行くから。

あの電車、いいだろ。休みの日はがら空きで、のんびり本なんか読めるよね。
三浦海岸駅から行きはバスで。帰りは海岸を歩いて戻ったのか?けっこう時間かかっただろう?
う~ん、ゆっくり、途中で海岸に行ったりしたから1時間くらいかな。

ひとりのお墓参りって、良いだろ?パパもそう思うんだ。
法事とか、お付き合いとかでなく、ひとりでゆっくりできるよね。
そうか、おまえはふだん口数が少ないからよくわからなかったけど、心の中のママと向き合えるようになっていたんだね。

Tuesday, September 14, 2010

Releasing the memories

今日あたりから、やっと涼しくなってきましたねえ。
帰ろうと思ったら、夕立が降ってきた。こうやって夏が終わっていく季節の変わり目。

今、研究室にある書籍類をPDF化している。裁断機で背表紙をちょん切り、バラバラになった紙をスキャナーに流し、両面いっぺんにスキャンしてPCにPDFファイルとして保存。そのままクラウド(Dropbox)に上げる。最近のスキャナーは高速で効率よくスキャンしてくれるし、PDやiPadなどの便利なリーダーが出てきたので、可能になった。
といっても、大量の本の作業はけっこう手間と時間がかかる。学生3人にバイトを頼んだ。
本棚から、PDF化する本と、せずに捨てる本を仕分けして、段ボールに詰めていく。
ずいぶん、捨てる本がたくさんあるねえ!
今まで、こんなに大切にゴミを保存していたんだ。20年近くいると、研究室のゴミ屋敷化が気づかぬうちに進行していく。
先生、これも捨てちゃうんですか~?もったいな~い。

そうねえ。たとえば学生時代、国家試験の勉強に向けて使った赤線だらけの分厚い「内科学」の教科書。思い出いっぱいだよ。でも、もう使わないでしょ。今まで捨てられずに本棚に置いておいたけど、使わないもん。そんな本がたくさんある。

大切なものを放すことは、僕は得意だからね。一番大切なものを放したんだから、なんだって捨てられる!それに、読みたくなればちゃんとIT技術を使って読めるし、印刷して生き返らすこともできるんだから、なにも躊躇する必要はない。

捨てた後は気持ちがいいんだ。今まで整理がつかなかった本棚が、すっきり空っぽになる。
気持ちいいんだけど、喪失感がよみがえり、ちょっぴり胸が痛くなる。

家にも整理するべき本が山のようにあるからなあ。家の本もやってしまおう!

Friday, September 10, 2010

高校の運動会

水曜日は祐馬に付き合ったから、今日はちゅけだ。
あいつの学校の運動会はえらく盛り上がることで有名らしい。
去年は行けなかったから、今年こそは。前もって予定を開けておいた。
ちゅけのおばちゃんも来てくれた。小中学校のように保護者がわんさか押し寄せるわけではないが、平日の割にはけっこう多かったよな。
僕の高校時代、保護者なんてほとんど来なかったはずだけど。

遅れていくと、グラウンドのちゅけもすぐに見つかった。
家では、よく食べ、存在のでかいちゅけも、こうやって多くの高校生を背景にすると、そのひとりに過ぎない。でも、チビではないよな。長身ではないが、ふつうに背景に溶け込んでいる。
リレーと騎馬戦、ばっちり見届けたぞ。活躍したな!

高校生たちの運動する姿は気持ちよい。
女子は、ふだん見ている大学生とそれほど変わらない。
男子は大学生とは異なる。
近くから見ると、まだ幼い顔をしているが、遠くから見ると、その身体は既に子どもではない。上半身裸の筋肉は、腹筋がしっかり三つに割れ、たくましい。ぜい肉も、経験も、まだついていない若々しいフレッシュな肉体。ひとりひとりを近くで眺めるとまだ頼りないが、遠くから眺める集団はエネルギーに満ちている。
今までは見せなかった、成長しつつある子どもの姿。優子は見ることなく、終わった。
まあ、天から見ていな。遠くから見ると、頼もしく見えるだろ!?

Thursday, September 9, 2010

ラゾーナ川崎

台風が過ぎ、異常な猛暑もひと段落した一日。
仕事を午前中で切り上げ、午後は学校から帰ってきた祐馬とふたりでラゾーナ川崎に出かけた。

パパ、洋服ダサすぎる。いつも同じの着てるじゃん。祐馬がTシャツ選んであげるよ。そう思って、前に友だちとお店見てきたんだ!

そうだね。パパは自分じゃ選べないから...
グラニフでデザインTシャツを二枚、GAPで長袖と半袖のTシャツを二枚選んだ。

こっちを先に着て、その上にこっち着るの?
違う!逆だよ。こっちを先に着るの!
えっ、そんな着方、パパしたことないよ!
だから、パパはダサいんだってばぁ!ぜんぜん知らないんじゃン
ママもダサいというか、あまり服とか気にしなかったもんね。洋服ダンスの前で、祐馬にこれどっちがいい?とか聞いてきて、祐馬が『こっち!』って言ったら、それ絶対着てたもん。

店員さんが試着室に案内してくれる。
もしかして、お連れ様はお嬢さまですか?
そう、娘ですよ。
まあ、大きな娘さんで。パパ、娘さんに選んでもらっていいですねえ。

傍から見れば、微笑ましい父娘でしょ!?
おかげで、パパもユニクロから脱皮できそうだよ。

その後、祐馬のお目当て、ミスチルの映画Split the Differenceを見に行く。
そもそもこれが目的だったんだよね。
ねえ、絶対見に行きたい!土日に行ったらファンで混むから、平日に行こうよ!

やっぱり、雨の平日にしては、けっこう人が入っていたよね。
祐馬は大満足。

ねえ、パパ、見て良かったと思ってるの?
うん、まあ音楽とか良かったし。
どんなところが良かったの?
そうだねえ。Salyuが出てきたし、キーボードの人、ずいぶん生意気だし上手だと思ったら、あれが小林武史なんだ!! 祐馬はどこが良かった?
ぜ~んぶ!!

帰り道。歩きながら、肩に触れると、
パパが触ったところ、かゆくなるから触らないで!

でも、買い物も、映画も、、パパもとても楽しかったよ!

Monday, September 6, 2010

優子を失って得られたpositiveとは?

美味しい$H$&$b$m$3$7をお送りいただき、ありがとうございます。家族みんなの大好物です。
すぐにお返事をと思いつつ、海外出張などでバタバタしていてこんなにお礼が遅くなり失礼いたしました。
今年の気候は異常ですね。なかなか秋に進めません。その後、お変わりございませんか?

私と子どもたちは、相変わらず元気でやっています。
1年8ヶ月が過ぎ、気持ちの方はまだまだ引きずっている部分もあるように思います。
優子を失ってから、私は趣味でも仕事でも人間関係でも、ひとつのことに凝り始めると、そのことばかり考える凝り性なんだということをつくづく確認しました。優子と付き合い始め、%^%jちゃんと初めてお目にかかった頃は優子のことばかり考えていたし、優子を失ってからも優子のことばかり考えています。もうすぐ二年経つのだから、いい加減頭を切り替えてもよいと思うのですが、我ながら執着気質なんだと思います。


自分自身を振り返り、以前からも感じてはいたのですが、どうも私はpositiveに考えてしまう癖が強いようです。もちろん、それは心理学的に言えば好ましいことなのですが、時々、そんなにポジティブにするなよ、ネガティブな体験は、ネガティブなままで受け取れよ!なんて自問自答しています。苦しいのが怖いのでしょうね。無意識のうちにポジティブに持っていこうとしているみたいです。

優子を失って得られたpositiveとは?
当初はそんなことありえないと、考えたくありませんでしたが、1年を過ぎたころから、そちらの方面に考えが行くようになりました。

1) たとえば、子どもたちとずいぶん近くなりました。特に娘。思春期の一番難しい時期で、反抗もするけど、お互いに親しくならざるを得ません。母親がいれば、父親はいなくても何とかなりますが、ひとり親の方が関係が良い意味でも悪い意味でも関係が濃くなります。下手すればとんでもない方向へ走ってしまうけど、どうにか調整できればすごく大きな支えになるし、それは子どもたちにとっても、パートナーのいない私にとっても必要なことのようです。

2) また、多くの人たちと近づくことができました。たとえば二世帯住宅に住む両親。優子がいるときは、お互いの独立を保とうと、着かず離れずの距離を保っていましたが、優子を亡くしてからはそう言っていられません。子どもたちの世話や、日常生活でずいぶん助けてくれています。高齢ですから一見元気そうに見えても油断できません。そのあたりは私が見守っていきたいと思います。友人・知人たちにもずいぶん助けられたし、以前よりも交流が多くなったように思います。優子が生きていれば、私がこうやって%^%jちゃんにお手紙を書くこともなかったでしょうね。

3) さらに、マゾヒスティックですが精神科医としては、これ以上ないとされている大きな悲しみは貴重な体験でした。今までは、悲しみ・不安・絶望など心の危機にある人たちに接していても、正直なところ、理屈でしか理解することができませんでした。今回、私自身が心のbottom lineまで降りたので、いったいそれがどういう体験なのか、もちろん人によって様々なのですが、他者を理解する上で大きな資源になりました。

4) それに、なによりプライベートな面で、塞翁の馬じゃないけどもしかしたらもう一つの人生のヤマを経験できるかもしれないなんてことも、この夏すぎてから考えるようになりました。
いつだったか、優子がふと言ったんですよね。
「私がいなくなったら、 M4Kc$,OK$7$?$i:F:'してもいいからね。」
何気ない冗談で、私は何も反応せず消えていった会話でしたが、今となってはそれが強く心に残っています。 CK$C$F4pKE*$K!J$H$$$&$+>/$J$/$H$b;d$O!K$9$4$/<%H%J!<$r<:$C$?=w@-$O$R$H$j$GIaDL$K@8$-$F$$$k$N$K!"CK@-$O:F:'$9$k$+!"$&$DIB$H$+<+;&$H$+!"$R$H$j$-$j$G$O$A$c$s$H@8$-$F$$$1$J$$?M$,B?$$$_$?$$$G$9!#;d$b$=$N$R$H$j$@$H;W$$$^$9!#>-MhE*$K$O!"M%;R$K>!$k$H$bNt$i$J$$!J$H$$$&$+!"Hf3S$9$k$3$H<+BN!"0UL#$,$J$$$G$9$1$I!KAGE($J%Q!<%H%J!<=P2q$($k$+$b$7$l$^$;$s!#$b$&$=$m$=$m$=$s$J$3$H$b9M$(;O$F$bNI$$;~4|$+$J$H$b;W$$$^$9!#9,$$!"NAM}$O9%$-$@$7!"O7?F$b$$$k$N$G!"@83h$r;Y$($F$/$l$k!Vp$N
$H8@$$$D$D$b!"!V%Q%Q$,?7$7$$H`=w$r:n$C$F!"%^%^$N$3$H$rK:$l$A$c$&!W$N$O!";R$I$b$?$A$K$H$C$FN"@Z$j$H46$8$k$N$G$O$J$$$+!"$^$@Aa$$$N$G$O$J$$$+$H$b?4G[$7$^$9!#EvLL$O!"$*M'$@$A$r:n$kDxEY$G!"$b$&2?G/$+$7$F#3?M$N;R$I$b$?$A$,AcN)$A!"?F$X$N0&Ce$h$j$b!"H`;a!&H`=w$KL$r8~$1$i$l$k$h$&$J;~4|$,Mh$?$i!"?F;R$G0l=o$KAcN)$C$F$$$/$N$,$$$$$s$8$c$J$$$+$J
、などとも考えています。

お礼にかこつけて、長々と私のことを書かせていただき、失礼しました。こうやって自分の気持ちを表現しまくって、バランスを保とうとしています。自分勝手なメールですので、どうか読み流してください。

One year and eight months

Thank you for remembering my birthday.

I spent my 53th birthday in Taiwan. I gave some lectures and workshops on Hikikomori (social withdrawal) to Taiwan professionals. Thanks for the Facebook. I did not tell anybody about my birthday, but some colleague found it like you did, and let everybody know. So on Friday, I finished the lecture, and the colleagues prepared a dinner with a nice cake and candles for me.

It has been one year and 8 months since my loss. I think I have moved to a stage to think about getting “a new friend.” I enjoy cooking at home and my parents help us a lot, so I don’t need “a housewife” or children’s new mother. I can take Mom and Dad roles for my kids. I just need a person who holds me emotionally. We do not need to live together. We can have our own space and commitment most of the time, and meet once in a while and enjoy company.

But I realize it is not very easy to find such a person. At young age, most of the same age group that I met could be candidates, but now be in 50s, most of the women are either occupied or not available for some reason. I am slowly telling some of my friends, "find me someone!" 


Yuko was 6 years younger, so I do not mind someone younger than her! I like someone who is active and assertive.
Having said that, I am still not sure whether I am emotionally ready or not. And I concern about my children to feel a sense of betrayal that “Dad is forgetting our Mom! “ 


These are the fantasies around my birthday. How do you think?
I will take a slow step anyway.
I was away from my children on my birthday, but they gave me a very nice birthday card when I came home today.

Sunday, September 5, 2010

二回目の台北サイクリング(1)

三日間、台湾でしっかり仕事をした後、帰国日を一日ずらして、free day。河沿いのサイクリングを楽しんだ。国立台湾大学を南下して去年と同様に永福橋からスタート。去年にはなかったサイクリングステーションができて、貸自転車をやっている(写真上)。

土曜だったので、子どもと自転車を楽しんでいる家族がずいぶん多かった。市内から右岸を前回来た時よりもさらに北上し、35kmほど先にある淡水という町まで往復した。しかし、サイクリング道がずいぶんしっかり整備されてますねえ。道幅も広いし、歩行者と自転車の道を分けているところが多かった。走るのが気持ち良い(写真下)。東京だってやる気を出せば、多摩サイをこれくらい整備できるだろうに!

二回目の台北サイクリング(2)

淡水(ダンスイ)は市内からのMRT(新しい鉄道)の終点で、港町の観光地(写真上)。

ずいぶんたくさんの屋台やお店が立ち並んでいる。暑い日だったので、酸梅やレモン、オレンジなどのジュースをたくさん飲んだ(写真下)。

二回目の台北サイクリング(3)

帰り道はチャリを折りたたんで、MRTに乗ってもよかったんだけど、せっかくのサイクリングの機会、チャリをこぎ続けることにした。福徳宮(お寺さんの観光地みたいだったけど、そっちは興味がない)の屋台(写真上)で汁そばを食べる。

こちらの屋台はビーフンの焼きそばみたいなのがたくさんあるけど、ラーメンに該当するのはあまりないみたい。でも、水分が欲しかったので、身振り手振りでおばちゃんに頼んだら、奥に引っ込んで作ってきてくれた(写真下)。

往復5時間ののんびりチャリ旅行でした。

二回目の台北サイクリング(4)の後のマッサージ

夜は、台湾式マッサージで、筋肉をしっかりほぐした。現地の友人夫婦といっしょに3人で行ったお勧めのSAKURAという店は、日本のホテル並みの設備なのに安い。全身マッサージ(2時間)と足マッサージ(1時間)と顔マッサージを頼んだ。3人のマッサージ師が各部位を6つの手で同時にもんでくれるので、酒池肉林。ふつう、もみほぐされている部位を感じながらリラックスするのだけど、トリプルだと何が何だかわからない強烈さ。時々、耐えられないほど痛くなるのだけど、一生懸命我慢して悶えていた。これで1万円相当だから、日本では考えられない。

夜はさぞゆっくり眠れるだろうと期待したが、筋肉が熱くほてりすぎて逆に眠れない。こういうのモミ返しっていうのかね。少なくとも、昼間たまった乳酸はすべて放出しきったでしょう。

筋肉を使いきった、physicalな一日でした。

Sunday, August 22, 2010

スローライフ・スローフード

今夏の草津ハイキングは野反湖にしよう!
エ〜、うちらだけで行くの〜?
そうだよ。うちら3人と犬一匹で行こうね。
エ〜、ヤダー、疲れるから行きたくない〜!

と言いつつ一緒に行けるのも、きっと今年が最後くらいかもね。
標高1500m、一周コースタイムで3時間の道を、犬を放し、4時間かけて湖畔を巡る。
前半は普通の山道を、後半は水位の下がった砂地に靴をのめり込ませながらゆっくり歩く。
こんなところ、歩いてもいいんだろうかね?
草津や志賀高原に比べ観光地化されておらず、人も少ない。
カイ君も、子どもたちも良く歩いたね!
帰路の車は、さすがに疲れて、2人+1匹ともぐっすり。
夜は、じんと2人で白旗の湯の熱〜いお風呂に入る。...というか、熱すぎて入れない。
それが昨日。

今日は午前中、渡辺牧場でブルーベリー狩り。お腹がタッポンたっぽんになっちゃった。
お昼は庭で火を起こし、二日前からタレに漬け込んでおいたスペアリブとトウモロコシでBBQ。
仲間が来なくたって、ママがいなくたって、君たちと一緒に外で美味しい食事しようね。
ねえ、まだ〜?お腹が空いた〜!
あと30分くらいかな。こういのをスローフードって言うんだよ。ふだんはファーストフードですばやく食べるでしょ。
こういうときは、わざとのんびり、ゆっくり食べるんだよ!
カイ君も骨のおこぼれをもらって満足だね。
スモーカーには3日前から下準備したチキンレッグとレバーを、ヒッコリーチップで燻す。
バーボンと氷があれば最高だね!
パパも君たちとゆっくり時を過ごせて満足だよ!

Thursday, August 19, 2010

沖縄3 <優子と感情を放す>

世界の果ての日本。
その果ての沖縄。
その果ての久米島。
その果てのはての浜
周囲7kmほど、草木も生えない珊瑚の白い砂浜だけの無人島へツアーでボートを繰り出した。
昨年、優子石を作るため骨の一部を取り出して砂状に細かくした。その余りを小瓶に入れ、その半分は昨年の夏、優子が昇天した万座温泉スキー場を見下ろす草津の山から空に離した。
残り半分は、ここでみんなで海に放そう!

優子は海派だったよな(僕は山派)。若いころ仲間と行ったサイパンでは一日中シュノーケルで浅瀬に浮かんでいた。だれもが気持ち悪がる黒いナマコを直に指でつまみ上げ、みんなをビックリさせたのが懐かしい思い出だ。子どもの頃は海洋生物学者になりたかったんだってね。最果ての浜辺は、世界の海に直結している。ここは残りの優子を放つには最高の場所だ。これで、優子は空と海を自由に吹き渡ることができる。
白く小さくなった優子を手のひらに取り、海に放す。思わず涙があふれてくる。保育園パパも灰を手に取り涙を流してくれた。

でも、ユマは参加していない。ママの灰を手に取るのを拒否して遠巻きに眺めている。まわりの人の目を気にして、パパが泣けばすぐにタオルを投げてくる。
「大丈夫だよ、サングラスかけてるからわからないよ。」
「イヤなの!」

さえもそうだったよな。昨晩、民謡酒場でお父さんのパフォーマンスに耐えられず、恥ずかくて顔を上げられなかったよね。われ関せずと知らんぷりしてればよいのに、そうはいかない、普段はうざくても、ほんとはすごく大切なお父さんだもんね。
自分の気持ちを我慢して、他者と折り合う術を学びはじめた中二の彼女たちにとって、気ままに感情を放すパパたちのパフォーマンスは耐えられないよな。

沖縄2 <民謡酒場にて>

「元気だった母親が急に亡くなるなんて、子どもたちにとって、絶対考えられないほどのすごい出来事だったと思うの。それなのに、去年、お手伝いにおじゃました時、子どもたち3人とも健気に普通にしてたじゃない。おかしくなっちゃうとかじゃなくて、普通にしているのが考えられなかったの。」
泡盛も手伝い、しながら仲間のママさんが去年の気持ちを語ってくれた。

ありがとう。
そうなんですよね。僕もあのときは自分自身に精いっぱいで、子どもたちがどうなるか、それに対してどうすればよいかなんて考える余裕は全然なかったですよ。でも、幸い子どもたちは意外と平気だったですよね。僕もびっくりした。むしろ僕の方が全然ダメだったもの。

今から振り返るafter thoughts。
大人は、過去・今・未来の連続した流れの中で自分の存在・安定性を確保しているんじゃないかな。それが急に途切れたときのショックは大きく、悲しみは深いですよ。
それに比べると、子どもは、に生きているみたい。母親が亡くなった時、彼らはそれなりの反応を示したんですよ。祐馬は母の死を知らせたとき号泣し、じんは自宅に安置された冷たい母の顔に頬を押しつけ、「ねえ、はやく生き返ってよう!」と号泣した。ちゅけは、、、少なくとも僕には見せていない。でもその後は、悲しみを振り返ることもなく、あっけらかんとしている。ずっと僕の方が引きずってますね。
大きな喪失・悲しみを体験しても、その後、周りの人たちが支えてくれて、残った家族がバランスを崩さなければ、彼らは健やかに生きていけるみたい。逆に、喪失と悲しみのために、彼らの生きる生活が混乱したら、子どもたちもきっと混乱するんでしょうね。
そして、子どもから大人になっていく思春期に、今までバラバラだった過去の記憶と今の自分を結びつけ、未来へ向けた安定した自我像をつくっていくのでしょう。その時、近しい他者から愛され、受け入れられた過去の記憶がとても大切な肥しになると思います。

のんきなこと言ってられない、ちゅけと祐馬は、まさにその時期なんだよな。