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Monday, October 6, 2014

Narrative/Creative Writing Assignment

    9/29/2014
Yuma
Ms.Walker 1st period
Narrative/Creative Writing Assignment

     “Hello, nice to meet you.”  A woman came into our room suddenly.  Who are you? I thought, very soon after I could tell she was one of the staffs at the hotel we were staying at. My little brother and I were in our room.  Where are my father and my mother?

      It was January 3rd of 2009 in the evening.  My family and I were on the winter vacation in Gunma for skiing.  We quit skiing earlier than my parents and got warmed in the room.  -“ I got a call from your father, I’m afraid I do not know in detail, but according to him your mother has fallen down and he doesn't know what time they can come back here.  So why don’t you go for dinner at the restaurant with me?”   Fall down? Did she trip?  Is she not conscious?  Does she get injured?  So many questions about her crossed my mind.  I asked her several of them though she wouldn't give me a proper answer.  My heart started beating fast.

    She led us to the restaurant where all the guests were supposed to eat dinner at.  I felt other people’s glances at us, a pretty young woman gazing at us wondering, I suppose, why such a little boy and his sister are having dinner without their parents.  I caught a glimpse of a waiter, who seems the chief of all, whispering to one to give us soft drinks for free.  There were no groups of table not having cheerful conversation, but us.  I was very uncomfortable and a little bit angry with my parents to leave us two, believing she had just tripped during skiing.  It was the loneliest dinner I ever had and would have.  On the other hand, my innocent little brother seemed to have no idea, and was absorbed in eating.  Then I remembered my mother was a cardiac.

     I knew we had to take a bath at the hotel's large public bath so after the dinner I took my brother there.  In front of men's and women’s entrances I said to my brother “Can you take a bath without Papa, can't you?  We'll be meeting here in 15 minutes or so.  Don't go back to the room alone.”  As I walked into the bath room, I thought by one of millions chance, I might have to take baths without Mama in the future.  I suddenly came to hate the tradition of Japanese hot spring having to share a bath room with other families and strangers.  He was already there waiting for me when I came out from the entrance.  I could see he didn't wash his hair.  

     I called my parents' phones for a number of times, but would never answer.  I couldn't help crying.  I couldn't help remembering every single of thing Mama had said and did for the recent few days.  In the morning of that day, I was being fretful claiming I couldn't find the other one of my gloves.  She had said “Don't lose your temper with such a tiny thing again, Yuma.  You'll have to make yourself steady without my help.”  She picked up mushrooms with a smile on her face from my brother's curry rice because he claimed he didn't want to eat at that day's lunch.  I thought that was the great kindness of her because I don't like mushrooms either.   My brother asked me worried “Why are you crying Yuma?  What happened to them?”  I felt myself weird because I didn't even know what I was crying for.

     Once my father called me from taxi late that night.  “Papa please explain what happened.  Let me talk to Mama next to you, will you?  Please!”  He only said “I can't.  She's in the hospital now.  I will explain it to you and Eugine when I'm back there.”  His voice sounded as usual to me. 

     My father explained what had been happening and how it had eventually ended up as if telling a story to little children.  It was a heart attack for the first and last time for her.  He later told me that it was harder for him to inform my brother than me because he looked innocent, having no idea.  My brother burst into crying and screaming.  I felt the moment that had certainly changed my life and my family.  After being hugged tightly by my father, my heart stopped beating fast. 

     Now I can understand how hard for my father his wife's death was.  He tried to save her life by giving artificial respiration on her in the mountain.  He drove home for five hours in the middle of that night informing our relatives and friends of her death while we were asleep.  He made himself busy not to give him space to be in grief.   Fortunately, he is a psychiatrist, and knows well how to fix himself.  I may have been too small to feel the grief, but now I think I know better than I used to that sometimes we clashed to each other.  I think there is no father like you, with both good and not good means, but I'm proud of having you as my father.       

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エッセイ、とてもよく書けてるよ!!
パパのブログに載せていい?

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あのさ読んだならフィードバックくれないの?

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とてもよく書けてるよって言ったじゃん!
もっと、ここはこう書いた方が良いとかのフィードバックがほしいの?


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それは感想じゃないよ。
ブログ載っけてもいいけど感想が聞きたいね。

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今、じいちゃんと四万温泉に来てるんだ。
普段は今現在のことに夢中で過去のことを振り返る余裕はないんだけど、こうやってゆっくり温泉に浸かってのんびりすると、祐馬の感想を書けるんだ。

祐馬とじんが、寒いからもう帰るって、ホテルの部屋に戻ったのは3時頃だっけ?
その後、ママと2-3本滑って、これで最後ねという時にママはパッタリ倒れたんだ。だから4時頃だったんじゃないかな。そりゃあ夢中で人工呼吸と心臓マッサージをしてたから、子ども達のことを考える余裕なんかなかったな。30分くらい一人で心肺蘇生をしていたらスキー場のお医者さんが来て、二人で心マッサージと人工呼吸を分担してもママは一切反応せず、瞳孔が開いてきてスキー場のお医者さんはこりゃヤバいななんで言ってたけど、パパは何の感情もわかず必死だったよ。1時間くらいして、やっと麓から救急車がやってきて、救急隊が心肺蘇生をやってくれて、パパの手が空いて、ホテルに電話したんだ。妻が倒れてこれから病院に同行するから遅くなる、子ども達をよろしくってね。パパの気持ちは動転してわけが分からなかったけど、必死にこらえて平静を保とうとしていたと思う。ホテルの人は事の重大さを理解してくれて、しっかり任せられたから、じんと祐馬がどんなに不安な思いをしていたかなんてわからなかったよ。祐馬は夕ご飯とかお風呂とか、じんのことを良く見ていてくれたんだね。

祐馬からもケイタイに何度も電話がかかっていたのは分かってたけど、とる余裕はなかったし、祐馬と話せることもなかったと思う。じいちゃんには電話して、優子が倒れてこれから病院に行く、祐馬が心配して電話かかってくるかもしれないからよろしくって言っといた。

救急車の中で心電図をとっても波形は一切反応せず。でも病院に着いたらきっとなんとかなるはずだって思っていた。ママが病院の集中治療室で治療を受けていた小一時間の間に祐馬まに電話しようと思えばできたんだ。でもできなかったよ。がらんとした待合室で座るベンチはたくさんあるのに、座ることも出来ず、ウロウロ歩き回って何も出来なかったよ。集中治療室のお医者さんに、「手を尽くしましたがダメでした。残念ながら、、、」と言われ、そうなることは予期していたけど信じることが出来ず、一瞬ワッと泣いたけど、泣いてなんかいられない、ママの身体は?、子ども達は?、、、これからどうすればいいのかさっぱり分からなくなって、まきたおじさんに電話して、すぐに来てくれませんかってお願いしたんだ。病院からホテルに戻るタクシーの中で生田のばあちゃんやおじいちゃんとかに電話して、ワンワン泣いて、運転手さんに、「僕はどうしたらいいんですかぁ?」なんて言って、運転手さんも何て言っていいか困ってたみたい。祐馬が電話で、どうしたの?ママは?説明して!なんて言われても、電話じゃとても言えなかった。
ホテルの部屋にやっと戻って、祐馬はワンワン泣いて予期していた風だったからまだ言いやすかったけど、あっけらかんとしていたじんにママの死を伝えるのが一番辛かったよ。泣きじゃくる子ども達をギュッと抱きしめたのは覚えているけど、その時、祐馬の心臓のドキドキが落ち着いたことは知らなかったな。祐馬とじんにとってこの瞬間に、パパにとっては病院で臨終を告げられた時に、みんなの人生が完全に変わっちゃったよね。

ママの心臓発作はこれが初めてではなく、小さいのを2-3回起こしていたんだ。じんの妊娠中にも小さいのを起こして、2-3日入院する程度で済んだのだけど、出産は危険だから堕した方が良いなんて当直医は言ったんだ。その後、主治医は大丈夫だろうということで、がんばってじんを産んだんだ。もう一回、亡くなる2-3ヶ月前にも小さな発作があって、虎ノ門病院に駆け込んだけど、入院せずに済んだ程度だったんだ。こうやって振り返ってみれば、ママも結構ヤバかったんだよ。でも普段は元気だったから、パパもママもヤバいなんて深刻には受け止めていなかった。でもママはあまり言わなかったけど自分の身体のことは分かっていたのかもしれないね。

ホテルの人は本当に良くしてくれたんだ。夜中に帰りますって言ったら、料金はいりませんって言ってくれてたし、夜の山路は凍って危ないからって、麓のママの病院までホテルの車で送ってくれたよね。祐馬が車の中で喉渇いたって言って、パパのコーヒーしかなくて飲ませたら「苦〜い」って言ってあまり飲まなかったよね。

ホテルの人はお葬式にも来て暮れたみたい。万座プリンスはスキー場の中にあるし、とても眺めがいい露天風呂があって、ママとも何度も来たことがあったんだ。その後は行ってないけど、いつか子ども達とも行ってスキーできたら良いね。

思えば、あの晩はホテルで休んで、翌朝東京に戻っても良かったんだよ。でも、そんなこと思いつかなかった。ホテルにいてものんびりもできるわけないし、眠れないだろうし、クタクタだったはずだけど疲れを感じる余裕もなかったし。寝台車を病院から手配して、夜中に帰ることにしたんだ。車の中で子ども達は寝てたよね。運転しながら、ホントはいけないんだけど、あちこち電話してた。えっちゃんとか、高木ママとか。

明け方に東京に戻って、少し寝たのかな。よく覚えていないけど、4日の午後には保育園ママ達とか子ども達とか、夜には保育園パパたちも来てくれたよね。最初の晩にはゆきのとさえも一緒に泊まったんだったっけ?怖くて夜眠れなかったよね。オバケが怖いとかじゃなくて、悲しみが怖いと言うか圧倒されるというか。

その後は一週間後のお葬式まで必死だったし、お葬式の後も必死だったし、ある意味、今だってその必死状態は続いているのかもしれないよ。

そういえば、お葬式のビデオ、最近見たんだ。ビデオ撮ったことは知ってるでしょ?大切な記憶を失いたくなかっらからえっちゃんか誰かの知り合いのプロの人に撮ってDVDにしてもらったんだ。でも、いままでずっと見る気は起こらなかったんだけど、最近見たんだ。その話はまた別の時にするね。

ママが死んで、家族みんなに人生がガラリと変わったよね。
祐馬の人生はどう変わった?
パパの人生がどう変わったかというと、、、、

死んでからの方がママのことがよく分かるようになったかな。
ママとパパの夫婦関係とか「愛情」って何なのとか。
今までパパのまわりには当たり前に普通の愛情があったんだよ。子どもの頃は親の愛情があったし、ママとの愛情も全然普通だった。ママと知り合った頃、ママは普通に可愛かったし、普通に好きになって、普通に結婚して、普通に子ども達が生まれてきて。(ママは心臓に病気があったから、そんなに普通でもなかったけどね)
愛に満たされていることに何の違和感もなく、いくら夫婦ケンカしたって、結局パパとママの愛は盤石だったんだ。だから愛なんて意識しなかったし、そこにあることさえ気づかなかった。空気が普通にある時には空気の存在なんてわかんないけど、空気がなくなって窒息した時にはじめて空気の大切さがわかるでしょ!
ママを失って、満たされいたものを失った時に、何で満たされていたのが分かるんだ。悲しくて、寂しくて。子ども達や、じじばばや、友だちや、パパのことを分かっていてくれる人は一杯いるから、普段の生活は全然問題ないけれど、でもやっぱし寂しいんだ。その逆が愛なんだよ。そういう人生の孤独や不安を満たしてくれるのが愛なんだなって分かったんだ。

もうひとつ変わったのが、パパがひとり親になっちゃったことだ。
子ども達ともパパとの距離が近づいたよね。子供達にとってのランキングはママが1位、パパが2位だったけと、ママがいなくなってパパが自動的に1位に繰り上がったんだ。
ママが死ぬちょっと前に、全の受験の教育方針で寿司屋でケンカしたってことは話したよね。そんな感じでいつも二人であーだこーだと子ども達のことをケンカしながら話し合っていたんだ。パパが一人になれば、あーだこーだと相談する人がいなくなった。そりゃあなんとなく相談できる人はいるけど、自分のこととして考える人はパパ一人になっちゃった。だからママからの妨害が入らずにパパの思い通りにやらせてもらってます。それが良いのか悪いのかはまだ判断できないよね。子ども達が一人前の大人になった時にどうだったか振り返って判断できると思うんだけど。でも、今のところ三人ともどうにかうまく育ってるよね。

ちゅけとじんについてはここでは言わないけど、
祐馬はママが死んだすぐ後に生理が始まったじゃん!? それも全く偶然ではなく、祐馬がグンと成熟したんだよ。というか、成熟せざるを得なかったのかもしれない。
小学校の卒業式でも、みんなと同じように中学の制服を着ないで自分の個性をしっかり主張してたじゃん!

中2になる春のオーストラリアも一人でちゃんと行けたし。パパもRyokoさん達がいたから安心して祐馬を旅立たせることができたよ。
中学でも頑張ってたよな。中3夏休みの塾は泣いてたけど、それも頑張りのひとつだ。
そして今もアメリカで頑張ってるよな。この調子で行けばオーストラリアでも祐馬は頑張ると思う。
と言っても祐馬は今その最中だからパパが「頑張ってるよな!」とか言うと拍子抜けするよな。そりゃあママが死なずに生きていても子ども達は普通に頑張ったと思う。けどママがいないんだという悲しみというか大変だという危機感が、なんとなく意図せずとも普通以上に頑張るはめになっちゃったんじゃないかな。

そういう意味では祐馬はすっごく大人だと思うよ。これだけ5年前の出来事や自分の気持ちをちゃんと言い表せる人ってそうはいないんだ。みんなそこまでできないもん。
外面は背が低くて童顔でとてもseniorには見えなくても、内面はすっごくしっかりしているよ。英語でもこんな風に普通に喋れるようになれば、友だちやまわりの人もそのことに気づくんじゃないかな。Momはそのこと既に分かっている?

祐馬がこうやってママが死んだ晩の気持ちを克明に表現したから、パパもあの時のことを振り返って表現することができたんだ。これってとても大切なことだよね。大切なママの記憶だから絶対忘れちゃいけないんだ。でもあまりに悲しい出来事だから普段は出せないもんね。祐馬がこうやって振り返る機会を与えてくれた。それはパパ自身にとっても大切なことなんだ。
ちゅけやじんはそんなことしないよ。
祐馬は十分に強いよ!