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Wednesday, August 5, 2020

ブログのタイトルを変えちゃった

今までは、
優子と子どもたちとの往復書簡 Letter to Yuko in the Wind
これからは、
優子と由美との往復書簡 Letter to Yuko and Yumi in the Wind

Tuesday, August 4, 2020

愛妻弁当

愛妻弁当❤️


って一言書いて、弁当の写真をFacebookに載せただけなのに、

160人の「いいね!」をもらった。

今までで最高の人数じゃないかな!

コメントもたくさん。


  • 素敵なセカンドステージですねー✨ うらやましいです💕

  • これはちょっとたむ研としては、お祝いしないとですねぇ🥂

  • 本当ですね。色々、根掘り葉掘り聞かないと 笑笑

  • そういうことですかあ!👩‍❤️‍👨

  • そういうことだったんですね!!素敵です😍おめでとうございます㊗️🎊💕㊗️🎊💕

  • おめでとう🎊ございます✨。ここまでくるのに長い道のりでしたね。お幸せに‼️。

  • ちょっと待って!、聞いてない。同期へのお披露目はいつだ。

  • うわぁあ、びっくり! よかったよかった。おめでとうございます!

  • おめでとうございます🎊🍾 良かった^ - ^ほんとに良かった!

  • そうなんですか。ひとりで里山暮らしは寂しいですよ。それで新居も必要だったんですね。


今までの経緯を知っているポン友からはもっと突っ込んでくる。

  • そりゃ、おめでとう㊗️🎊 若い嫁さん?

    • 14個した

  • いまは2人で群馬に住んでるの?

    • そう。東京には2-3日/月戻る程度ね。例のB子とバッティングしちゃった女子だよ。

  • またヘンなこと言って墓穴を掘らないようにな!


その翌週の「愛妻弁当2❤️」でも100人の「イイね!」
普通、私の投稿のイイね数は多くて4-50くらいなんですけどねぇ、、、
  • そのご愛妻を正式に紹介して下さい!
はい。

お披露目をしなくちゃとは思うんだけど。

由美は、ウェディングドレスを着た二人の写真だけ撮って、お披露目はいらないと言う。

俺としては写真なんかどうでもイイけど、身内ぐらいは紹介しないと。子どもたちにはすでに紹介したけど、兄弟くらいにはね。親はすでにいないし。


結婚って、そんなにおめでたいんすかね?

結婚するという変化がおめでたいってことか。

ずっと結婚し続けていることがおめでたいって感じられるわけじゃない。

いつも奥さんに弁当を作ってもらってたって、毎回「愛妻弁当」とか言ってFacebookには上げないもんなぁ。

こんなことやっているうちは、まだおめでたいんでしょうね。


結婚って、安定した愛着を新たに作り上げることで、それがおめでたいわけ。

生きる上で、それがどれほど重要かって、臨床上も、僕の経験上も身にしみてわかったよ。


親族以外の人にはどう紹介するか?

普通の結婚なら、披露宴をしたり、友だち呼んでパーティーしたり。

今はネット時代だから、ネットを介して紹介したり。

別に姿かたちを紹介したいわけじゃない。

みんなが知りたいのは根掘り葉掘りでしょ!

どこで知り合ったんですか?

どうやって結婚を決めたんですか?

みたいなたぐい。結婚に至るストーリーを聞きたいんでしょ。

おとぎ話だって、恋愛ドラマだって、みんなそうですもん。

人生の、ある意味、最大の物語だよね。

ふだん精神科医として、というよりは家族療法家、心理セラピストとして、クライエントの病気や問題に至る物語を聴いている。面白いですよ、と言ったら失礼だけど、テレビの恋愛ドラマや小説なんか読むより迫力がある。リアルですからね。


でも、ここまで書いちゃっていいんでしょうかね。

まず、由美に見せるとしても、、、


いや正直、この11年間はホント大変、長い道のりでしたよ!

そのことは、みんななんとなくわかっていてくださる。

愛着が途切れるって、こんなに苦しいことだったんでね。

ホント、人は狂っちゃんですよ。

私も狂いました。

というか、理性が効かなくなっちゃうんですよ。だから、自分の行動が予期できなくなる。

「愛着障害」でしたよ、今から思えば。

でも、愛着障害って治るんですね。ちゃんとした愛着を手に入れることができれば。

ある意味、それがとっても難しいことも身にしみてわかりました。

愛着スタイルは幼少時に作られ、残りの人生を決定づける鋳型じゃないんですね。

まあ、私の場合、ここに来るまでにしっかり愛着があったから、なんとか挽回できたという見方もできますが、いくら愛着の鋳型があったって、人はいくらでも狂えますよ。

逆に言えば、人はいくらでも狂気から回復できる可能性も持っていると思うんです。その後の体験いかんによってね。

ってことは、私はクラシカルな「愛着障害」ではなく、「一過性愛着欠乏状態」だったんでしょうかね。「うつ病」と「うつ状態」が異なる概念であるように。


11年半前に優子を失った時は、ホントにきつかった。今から思ってもゾッとしますよ。愛着って空気みたいなもんですね。当たり前に存在する時は、それが生きる上でどれほど重要かってことは感じないんですよ。失って、空気が薄くなって、初めて気づきます。

私は、生まれてから11年前までずっとちゃんとした愛着があったのでしょうね。

両親からの愛着は、彼らを失ってからより明確になったけど、その前からなんとなくは感じていましたよ。

愛着で苦労するってこと、今まで経験したことなかったんですよ。


優子とは20代の頃、普通に恋愛して、結婚して、家庭を作って。

そりゃあ幸せでしたよ。

でもそんなことは当たり前でした。

、、、ということを、優子を失って気づいたわけです。


さあ、どうしよう???

そこから僕の戦いが始まります。

別に、愛着なんてなくたっていいじゃん!

普通に生きていけるよ。

僕の父方祖父がそうでした。妻を還暦前に亡くしたのかな。そのあと、90代で亡くなるまでずっと独身でしたよ。まあそういう時代だし、周りに大家族はいたけどね。


1年半たち、悲しみがどうにか少し落ち着き始めた頃、友だちの紹介でA子と付き合い始めました。いい子でしたよ。彼女は結婚する気満々でした。初婚だもんね、申し訳ないことしました。お付き合いが4年を超えても何も言い出さない私に業を煮やして「ねえ、どうするの?」と切り出され、YESと言えませんでした。

答えを求められ、いつまでも曖昧に引き延ばしているのも悪いと思い(このあたりの想定問答はスーパーヴァイザーと相談済みでした)、

「A子と付き合えて気持ちが救われた。今こうやってお付き合いしてるのはホントに幸せなんだ。でも、今後もずっと寄り添えるかどうかは、わからない。ごめん。」という具合だったかな。

そしたら泣かれて、さよならして、それでおしまい。

縛られたくなかったんですよ。

要するに「遊びたかったっんでしょ?」と言われるかもしれないけどそんなことはない、マジメでしたよ。

優子へのリベンジの気持ちもあったかな。勝手に俺を捨てやがって、天国の優子に見せつけるために、やりたい放題やってやるってね!

決してA子を愛していなかったわけではないんですよ。

今だったら、きっとYESと言えていたと思います。


「海外にしょっちゅう出かけている田村くんならちょうど良いかも」と、若い頃の女友ダチに紹介されたのがB子でした。その女友達に久しぶりに会い、「田村くん、どうすんの?再婚するの?」といきなり切り出され、「一緒に住んで、落ち着いて、とかはまだ考えていないんだけど、信頼できるパートナーは欲しいな。」みたいに答えたと思う。

B子は素晴らしい人でした。才能があり、長年海外でひとりで活躍して、しっかり自分の基盤を築いています。ずいぶん苦労もしたのでしょう。コツコツと真面目に一生懸命頑張れる人でした。

僕とのお付き合いも頑張ってくれました。

将来、B子がリタイアしたら、海外と日本とを半年ごとに行き来して、生活するのも楽しいかなぁ、、、なんて思い描いてもいました。


B子が年に3−4回帰国して、僕が1−2回彼女の国へ行き、そんな付き合いをしていた頃に由美と出会いました。

由美は息子くんのひきこもりに困り果て、本屋でたまたま僕の本を見つけ、ひきこもり脱出講座に参加しました。

彼女との初対面で、僕はこりゃヤバイなと思いました。

可愛すぎる!

ミスコンに出てくるような美人基準とは違いますが、僕のタイプにどストライクです。講座が終了した後に、「継続して相談にいらっしゃいますか?」うちは自由診療で高いけど、「ひとり親割引」がありますから、とその場で割引制度を作りました。由美が来るたびに、私はドキドキでした。今まで患者にも、大学時代の女子学生にも、こんな気持ちを投影したことはありません。今回が初めてです。

スーパーヴァイザーにも相談しました。彼女が曰く、「すぐにその人を他のセラピストに紹介して、会うのをやめなさい。」

セラピストとして最も基本的な倫理に反することは百も承知です。

大学で学生に手を出したらキャンパス倫理委員会にかけられ、退職です。

アメリカでは患者から訴えられ、負けたら職を失います。


でも、当時の私は理性がぶっ飛んでいました。

理性で、感性をコントロールできませんでした。

やってはいけないと十分に理解しているのに、やめられないんですよ。

突き詰めれば痴漢やセクハラやストーカーや恋愛依存症と同じ心理メカニズムです。

世の中にはそういう人がたくさんいますからね。

私も同様です。


当時参加していた男性グループにも打ち明け、助けを借りたのですが歯止めは効きませんでした。

由美の診療を終えた後、下のカフェで話したいことがあるからと連れ出し、告白しちゃいました。


そのことを西魔女に打ち明けたら、あなたは深刻な人格の問題を抱えている。女性の私では無理です。経験豊かな男性のスーパーヴァイザーに相談しなさい。日本人はダメです。アメリカ人の。というから、David McGillに国際電話をかけて相談しました。

「診察室じゃない場所で告白したんだけど、やはりダメかね??」

David「ダメに決まってるだろ!」

私の理性は完全に停止状態でした。

「セラピーを終えて、患者じゃなくなったら、付き合っても良いですか?」

西魔女「ダメに決まってるでしょ。一旦、患者になった人とは一生、私的な関係を結んではいけません!」


一方、由美は相当ビックリしたでしょう。

息子の回復のために一生懸命通っていた先生から告白されて、、、

でも彼女の決断は早かった。

LINEで、

「私は覚悟を決めました。だから先生も覚悟を決めてください。」

なんのことかよくわからなかったけど、2回目に会った時、今まで付き合っていた男性と別れたことを教えてくれました。


由美のコメント)

別に覚悟決めたから別れたわけじゃないよ! 

今までの恋愛黒歴史を話す覚悟を決めたんだよ😅 

いっぱい酷いことした私でも良いのか確認したかったんだ‼️

たけがどれくらい本気か確認したかったのかもね😝


僕はもともと覚悟したから西魔女の反対を無視して告白しちゃったわけだけど、もう一つ覚悟して、今付き合っている人が他にいることを伝えました。

それでも由美は受け入れてくれると僕は思ってたんですね、きっと。

なんせ理性はぶっ飛んでいましたから。

由美は「そんなのありえない!」

当然、受け入れてくれませんでした。


由美と西魔女からダメ出しをくらい、私としては切るしかなかった。

この時だけは感情よりも理性が勝っていたと思う。

涙をポロポロ流しながら無理やりLINEでさよならを告げました。

(本当のさよならではなかったのですけど)


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と、ここまで書き進めて、筆が止まっていました。

何のためにこんなこと書いているんだろう。

自分だけの日記ならまだわかるけど、なぜこれを公表しようとしているんだろう??

やっぱ、まだ僕は理性がうまく働いていないんでしょうかね。

とことん自己開示して、承認を得たいのか?

カトリック教会の懺悔(ザンゲ)と同じでしょうかね。

白状したら救われるんでしょうか?

きっとまだわかっていないんだと思います。

仕方がないから、わかっていないままに筆を進めますかね。


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この時は、由美と僕と、思っていることやっていることをすっかり全部話しちゃって、お互いに出し切っちゃったんですよ。

すっかり素の状態になっちゃった。

そのために、すっごく深く結びついちゃったんです。

当時付き合っていたB子にも、全部話しちゃいました。

これも馬鹿な話です。話す必要もないことを敢えて話してしまって、結果的にB子は私から離れていきました。まあ、当然ですよね。私としてはそんなことさえわからなかった。というか理性が働いていなかったんでしょう、きっと。


由美にここまで深い自分を見せてしまったのだから、B子に気持ちを戻すには、由美に対してと同じように見せなくちゃ挽回できない。自分をさらけ出して、自分の弱さを見てほしかった。そして、自分の弱さをわかってほしかったんでしょう。

もしかしたらB子は私を受け入れてくれたかもしれない。

そんな期待をしていたんですよ。

でもダメでした。そりゃそうでしょ。


由美と別れてから、再び結びつくまでの2年間、いろんな女性と付き合いましたよ。

ネット婚活やったんですね。そりゃ必死でしたから。

ネットでたくさんの女性とコンタクトして、会うところまで行ったのは7人だったかな。うまくいくかなぁといい線まで行った人もいたけど、結局ダメでした。

でもある意味、面白かったかな。いろんな人とデートできるのは楽しいじゃない。結果が成就しなけりゃ相当消耗しますけど。

男性はまだ良いけど、女性はよくやるなぁと思いますよ。

うまくいく確率より、傷つく確率の方が高いと思いますよ。


そんな中で、由美と再会して再燃しちゃったんです。(注:このあたりの事情は別コラムに書きました)

お互いへの思いは捨てきれなかったんでしょうね。

あそこまで気持ちをすべてさらけ出し、見せ合ってしまったので、それを閉ざすことはできなかったみたいです。


今が幸せかって聞かれれば、まちがいなくYESと答えられるんだけど、

それだって、気持ちの問題でしょ。厳然とした事実なんかじゃないんですよ。

優子を失うまでは、両親を失うまでは、愛着が当然のようにそこにあり、寂しさに気づいていなかったんだと思います。

愛着を失うと、人はいくらでも狂ってしまうんです。

理性なんか利かなくなってしまうんですよ。


でも愛着を失っても、それを安全に手に入れることができれば、人は理性を取り戻していくらでもマトモになれるんですね。

それを経験しましたよ。

幸せなんてはかないものだから、それを失うことに怯えて、必死にしがみつかなくても良いんです。

失っても、また取り戻すことはできるし、それはある意味とても難しいことだけど、できないわけじゃないんですよ。


、、、って由美、これをブログに載せてもイイ?

てか、もう載せてるけど。。。