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Sunday, March 6, 2016

父の終焉日記(2月23日〜3月6日)

2月23日
今日はおじいちゃんの初めての月命日だったんで、おばちゃんが家に来たてくれたよ。
サプライズで来たからおばあちゃんはびっくりして、喜んでいた。

そうかぁ、今日は命日なんだね。。。

なんておばあちゃんはしみじみ言ってたけど。
パパも正直、月命日のことは忘れていたんだ。
ママの時は、しつこく、しつこく、いつまでも月命日のことを憶えていた。
でもそれも3−4年間くらいかな。さすがに7年経った今は「3日」のことは忘れてるけどね。

  • この度は御尊父さまのご逝去、ご愁傷さまでした。
  • 少し時間もたちましたが落ちつかれましたでしょうか?

なんてことを時々いろんな人が聞いてくるんだけどね。
あまりピンと来ないというか、パパはもうすっきりしちゃっているんだ。
2週間前にスキーに行って、夜に仲間と飲み交わしながら、話の流れの中で
「ボクも2週間前に父が亡くなってね、、、」
なんて軽く言ったら、友だちは「おいおい、大丈夫かよ!?」
まあ、そんなこと聞けば普通はびっくりするというか、深刻に受け止めるよね。
でも、パパの場合は別にもう大したことないんだ。
ママがスキー場で死んだ後は1年間、スキーに行けなかったもんね。翌年に恐る恐る行ってみて、また行けるようになったけど。
今なんか、スキー行きまくってるよ。

今回は、どうしてこんなにすっきりしてるんだろう?
パパの中で、おじいちゃんのことはすっかり整理がついてしまっているんだ。
おじいちゃんからもらうものは十分にもらったし、おじいちゃんに与えるものも十分に与えられたっていう感じかな。

おじいちゃんからはたくさんのものをもらった。
そんな風に振り返られるようになったのも、パパが40歳を過ぎてくらいかな。それまで必死に生きてきて、やっと余裕ができてまわりが見えてきたんだと思う。

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で、ここからは3月5日、というか6日。もうそんなに必死にブログ書かなくなっちゃった。
気持ちが必死だと、文章たくさん書くんだよね。ママの時がそうだった。書きまくってたよ。でも、今はそんなに一生懸命書く必要なくなっちゃ、、、と言いつつも、多少こうやって書くかな、、、だから時間が出来た時にポチポチ書いてるって感じ。

おじいちゃんのことを思い出そうして出て来るのは、たくさんパパにやってくれたんだなってことかな。そういう思い出が出てくるってのはつくづく幸せなんだと思う。そうじゃない人、けっこう多いもんね。特に父親のことは。母親はまだ良いんだけど、父親の思い出って「ない」のが思い出だ、なんてね。

おじいちゃんは、とても家族を大切にする人だった。
パパが子どもの頃も、いつもそばに居てくれた感じ。
そりゃあ、主婦のおばあちゃんがいつも家に居て、おじいちゃんは物理的には外に居たけど、気持ち的には、いつも見守られていた感覚が残ってるんだ。
・幼児の頃はおじいちゃんのおっぱいを触って寝ていた話は、もうしたよね。
・子どもの頃はよくスキーとか田舎の里帰りとか一緒に行ったし。
・高校時代、アメリカに留学したいと言った時も、おばあちゃんは想像を絶するびっくりポンで、良いも悪いもなかったし、高校の担任教師は「そんなことしたら大学に行けなくなるぞ」なんて言うし。
そんな中で、おじいちゃんが「行ってこい」ってはっきり勧めてくれたんだ。
あと中学の吉澤先生もそうだったかな。かなこちゃんのおじいちゃんだよ。中学を卒業した後も先生とはコンタクトがあってね。
(祐馬の◯◯先生みたいに。そういうの大切だよね)
・ママを失ったこの7年間も、じいちゃん・ばあちゃんはパパと子どもたちのことを出来る限り助けてくれた。それは子どもたちも見えてるだろ。

おじいちゃんとおばあちゃんはパパと子どもたちに、親(と祖父母)として出来る限りのことをしてくれたよ。
パパもおじいちゃんに、息子として出来る限りのことをしてあげたよ。
特に、おじいちゃんの最後の半年間かな。
それまでは、おじいちゃん、ちゃんと自分で自分のことを出来ていた。
でも、頸椎に転移が見つかってからは、すっかり弱気になっちゃって、幼児返りみたいになっちゃった。身体がいうこと効かなくなっちゃったからね。仕方がないんだ。
パパがじじばばと一緒に住んで、いつもそばに居たことが大きな安心だったと思うよ。
だから、パパが海外出張とか居なくなると、すごく不安がっていた。
だからと言って、パパが旅行をすべて取りやめて家にずっといるということまではしなかったけど、病院に付き添ったり、在宅医療をアレンジしたり、おじいちゃんの実家に連れて行ったりね。その頃から、おじいちゃんは大切な判断をできなくなり、すべて息子のパパに委ねるようになったよ。ちょうど幼い子どもが親に判断を求めるようにね。
パパは、じじばばのもとで、安心して大きくなった。
おじいちゃんは息子の元で、安心して小さくなっていったんだ。

てなわけで、するべきことは十分にやったから、ぜんぜん悔いはないというか、もうきっちり済んだ感覚。
ちょうど紙コップでコーヒーを最後まで飲んで、空っぽになったから捨てても全然構わないっていう感じかな。そりゃ、捨てるのもったいないけど、十分役目は果たしたからね。

おばあちゃんも、妻としておじいちゃんには出来る限りのことをやったね感はあるんじゃないかな。まだ聞いてないけど。
ママの時は、出来る限りもなにも、まだやってる最中だったからね。
おいおい、なんでそこで急に生きるの止めちゃうんだよ!
びっくりするし、ムカつくし、冗談じゃないよ、っていう感じだった。
まだ紙コップにスタバのコーヒーがたくさん入っていて、これから楽しもうと思ったのに、いきなりこけてゴミ箱にポンと捨てちゃって、ゴミ箱と床がコーヒーでびちょびちょ水浸しになっちゃったという感じだな。