Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Saturday, February 27, 2010

メールからも記事を投稿できる試運転

新しいブロガーでは、メールでも記事を送れるんだって。今、試運転中。しかし、眠い。やりたいことはまだ山積みなのに。

Monday, February 22, 2010

志賀高原スキーと、response from the sky

昨年、優子を万座温泉から空に見送って以来のスキーに行ってきた。志賀高原の熊の湯に宿をとり、横手山や渋峠に足をのばした。2日とも快晴で快適なスキー、けがもトラブルもなく堪能した。
子どもたちは来ない。高校山岳部の旧友たちとの達人レベルスキーだ。

優子は出て来たよ。滑降中は出て来なかったけど、リフトに乗ってると去年一月の万座温泉のイメージが出て来た。
でも、大丈夫。普段からさんざん出しつくしているから。

同行した大山は昔からスキーは上手かったが、奥さんも結構上手なんだよな。付き合い始めた頃にスキーも始め、大山が教えて、今ではどんな急斜面でも問題ない。
優子と僕も同じだったよな。山岳部の連中は、結婚しても似たようなことやってるよ。

1年ぶりに着たスキーウェアからは優子の命日のリフト券が出てきた。


志賀高原のブログ読んだわよ。
いい想い出し方してくれてるね。
ありがとう。l love you.
Yuko

Sunday, February 14, 2010

哀愁のバレンタインチョコ

ご無沙汰していました。最近とても穏やかに、ブログを拝見できるようになりました。
でも、今日は久しぶりにぐっときましたね。優子さんの、お子さま達との突然の別れを思うと、どれだけ、どれだけ悔しかったでしょうねえ・・と泣いてしまいました。
 職場での糸まきまき
優子さんは、どこにいても、何をしていても、お子様たちとご一緒だったのでしょうね。

------
最近のTikiさんやご家族の様子はウェブで読ませていただいております。13カ月という時間が経過し、きっと今までのTikiさんは優子ちゃんの期待どおりのTikiさんで、天国からたくさんの愛で見守っていらっしゃるのではないかと思ってます。
先日「優子会」を開き、同級の7名が集まりました。近況報告や昔話に花を咲かせ、あっという間の3時間のランチでした。優子ちゃんのことは私たちにとって最も悲しい思い出となりましたが、みんな毎日を大切に生きており、
これからも人生いろいろいろあると思いますが、がんばって生きていきます。時々優子ちゃんとも会って話ができれば最高だったけど、あなたは私たちの心のなかでいつも生きてます。
というのが優子ちゃんへのメッセージです。

みんな、まだブログ読みに来てくれているんですね。とてもホッとします。
悲しみは人々を結びつける力がありますね。元気な時は特に必要としないまわりの人たちからの支えが、どれほど救いになるか!!

時々、ゆまちゃんが、「洋服を買いに行きたい!」とお父さんとお買い物に行かれた様子が書かれていますね。 そんな時とてもホッとしていました。年頃の女の子が洋服が欲しいって親におねだりすることって、とっても素敵って思うからです。とても健康的で、可愛くって、幸せですよね。
私も年頃の娘がいます。その娘たちが、「服買いに行こっ」て言ってくれると、「えっ!またあ?」とか言いながら、とても幸せな気分になるのです。
ゆまちゃんの場合は、「GAPとかの、ファミリー向けのショップで良かった。」って、ホッとしたりもしています。だって、それが、109とかだったら、Tikiさんが気の毒にも思えてきちゃうからです。(その理由は、省略)
万が一、今後109に付いて行くことになったら、その時のブログは、今から楽しみでもありますが・・。

(夕食時の親子の会話)
父)109とか知ってる?
娘)知ってるよ。なんで、そんなこと聞くの?
ふ~ん、行ったことあるんだ!どんなところなの?
いろいろ、お店があって、、、
109で服とか買おうとか思わない?
ううん(no)。
えっ、どうして?
なんか、チャラチャラしてるし、、、

、、、まだ、大丈夫でしょうか(笑)?

Saturday, February 13, 2010

糸まきまき

奥さまの件、あまりにも突然で、頂いたお葉書を何度読み返しても、しばらくは意味がわかりませんでした。ご家族の皆様には尚更のことだったろうと拝察いたします。


優子さんとは5~6年、机を並べておりました。優子さんは、職場ではクールな女性という印象でした。そう思っていたのは、たぶん私だけではなかったようです。ある時、後輩が、
「優子さんって、よく童謡歌ってらっしゃいますよね」
と言うと、そばにいた上司が、「あらほんとう?意外ねえ」と私を見やるので、
「ええ『糸まきまき』とかよく聞こえてきます」
とお答えしました。あれは、優子さんが一人目のお子さんの時だったでしょうか。優子さんが二人目のお嬢さんを授かった時、私も長女を出産し、産休後出社すると、優子さんが
「赤ちゃんを置いて働くのって、後ろ髪引かれない?私、なんか自分の肉の固まりをもぎ取られるような感じがするの」
と言うのでびっくりしました。私は忙しすぎて、そう感じる暇がなかったのかしら。しばらくして、私は退社したのですが、その折には、
「女の人って、なまじ選択肢がいくつもある分、悩んじゃうよね。私、あなたがうらやましいような気もするし、仕事も捨てられない気もするし」
とコメント。優子さんはそんなこと一顧だにしないタイプかと思っていたので、この時もまた驚かされたと同時に親近感を抱いたものです。


心温まるお手紙、ありがとうございます。
一周忌を済ませ、少しずつ心の中の優子も薄らいできているように思います。優子を悼む気持ちで集まってきてくれた人たちも、我々が落ち着いてきていることを確認しながらだんだんと離れていく中、お手紙は再び優子を想い出す機会を与えてくれました。

あなたがお持ちの優子のイメージは、私のそれと重なる部分も多々あります。しかし優子は、職場と家庭で、異なる側面を見せていたようです(だれでもそうだと思いますが)。優子は「クールな女性」という雰囲気を家族には見せませんでした。確かに、人なつっこく、誰にでも自分から近づいていくというタイプではありません。しかし、「来る人は拒まず」的に、自分が選んだ(選ばれた?)少数の人とはとても親しくしていたようです。

私は、妻が家庭だけではなく外の世界にも繋がっていてほしいと考えていました。それを優子が斟酌していたかどうかわかりませんが、彼女の心中に「仕事を辞めて家事・育児に専念する」という選択肢はなかったように思います。子どもが幼く世話が大変な時期は短縮勤務でしのいでいました。でも、優子は自分の選んだ道を確信するわけでもなく、いつも迷っていたようです。朝、ドタバタと幼い子どもたちと自分の準備をして急いで保育園に送り届け、そのまま職場に向います。子どもたちが親とすぐ別れてくれる時もあれば、ママに抱きつき、なかなか離してくれない時もありました。保母さんに助けてもらいながら、「あ~くしゅ~でバイバイバイ!」と歌で調子をつけ、手を思いっきり振りながら別れたりしていました。特に、長男を0歳からあずけ始めた新米ママの頃、
「こんな小さな子を人に預けて仕事をするなんて、私は悪い母親だ!」
と、最初の1ヶ月は毎晩泣いていました。

その後、娘と次男も同じ保育園に預け、お母さん仲間ができ、先生たちとも親しくなる中で、ゆっくり気持ちを割り切っていったのだと思います。残念ながら、父親である私には身体で感じるような子どもへの愛着はそこまで強くありませんでした。職場で母乳を冷凍パックして持ち帰り、翌朝保育園に届けていました。優子は職場でも、身体に感じる子どもたちに話しかけていたのでしょう。
優子は感情をストレートに表さず、クールにふるまっていても、内面ではさまざまな気持ちを抱え込んでいたのでしょう。私はどちらかというとその逆のタイプなので、このような優子の心の機微を見過ごしていたのかもしれません。

子どもたちは、現在高1、中1、小5です。母親という肉の塊から分かれてきた彼らが、優子が子どもに向けて抱いていたような喪失感を、今どれほど抱いているのか、身近にいる私でもよくわかりません。幸い多くの人たちの助けで生活自体は今までと変わらず成り立っていますし、一見元気に学校に通っています。しかし、これからも注意深く見守らなければ。心の底の悲しみを受け入れられるようになるのは、もう少し大きくなってからなのかもしれません。

一方、仕事がら人の心に接することの多い私は、必死に自分の喪失感に向き合おうとしています。母親と子どもはひとつだった塊から分かれてゆきますが、夫婦はもともと別だったふたつの塊を、愛情という絆を頼りに繋ぎ合わせてきました。今まで、それは自明のこととしてあえて意図しませんでしたが、突然パートナーをもぎ取られた痛みを体験し、初めてそのことの意味の深さに気づきました。

一年経っても悲しみは変わりませんが、このように何度も繰り返し優子を語る中で、徐々に気持ちを放してゆけるのではないかと思います。あとは時間に期待するしかありません。

長々と失礼いたしました。お返事を書く機会を与えて頂き、ありがとうございます。

Friday, February 12, 2010

草津にスキーを取りに行く

(往路)
朝一の特急で草津温泉に向かっている。途中の駅では電車に乗り込まず、次の通勤電車を待つ人々をプラットフォームに残して、一路北の山々へ。
来週末、高校山岳部の友人たちと志賀高原にスキーに行くんだ。スキー道具は全部草津の家に置いてあるので、有給休暇を取り、ひとりで日帰り草津旅行。電車で長野原まで行き、レンタカーで別荘へ。スキー用具をまとめて宅急便で発送し、ついでに温泉にも入って行こう(そっちが目的だったりして)。
今月に入って特に忙しいからなあ。今日だって丸一日休めるわけじゃなく、夜には講義の仕事が入っている。2時間半の列車の旅と大滝の湯はささやかな現実からのエスケープ。このところ、ゆっくり自分を振り返る時間の余裕がない。まあ、去年に比べれば、そこまで徹底して振り返らずともやって行けるまでには回復したと思うんだけど。というよりは、他に考えることが出てきちゃったから、相対的に優子のことは考えずに済むようになったのかも。

帰路は、長野原1450発の特急に乗った。草津ではずいぶん効率よく回ったなあ。荷物を宅急便に出した後、大滝の湯で、熱い硫黄泉に浸かり、生ビールと蕎麦を食う。マッサージを頼んで、また温泉へ。おみやげの温泉まんじゅうを買って、JRの駅へ。
------(意識消失)----------
寝てしまった。
目が覚めると、身体はすっきり。温泉入って、マッサージして、昼寝して。
さあ、この調子で夜の仕事に向えるかな。

Wednesday, February 3, 2010

13ヶ月目

節分。
今日は13回目の月命日だった!
今朝、電車に乗っていて、突然気がついた。
こんなこと始めてかな。今までは、ああ、もうすぐ○回目の月命日が来るなあ、と何日も前から予期していたのに。
一周忌を終えた直後はあまり感じなんかったけど、一周忌の前1ヶ月と、後1ヶ月を比べると確かにだいぶ気分が変わってきたみたい。ブログの投稿数を見ても、
12月4日~1月2日:26
1月4日~2月2日:15
気持ち的には、もっとこの数値の差は大きいように感じる。
心がヒマな時の優子の占有率は、
一周忌前:80%
一周忌後:50%
程度かなあ。
いや、優子のことは想ってるよ。でも、優子以外にも想うことがいっぱい出てきちゃった。
ツイッターは面白そうだけど、まだ今ひとつ面白味がまだわかってないし。
仕事のブログとか、僕の公式ブログなんかも作った方がよいかななんて思案したり。
今までは、仕事や家族に関わっている時以外は、優子にはまっていたけど、優子以外にもはまるものができちゃったみたい。
ああ、もうそろそろ眠くなってきた...

Tuesday, February 2, 2010

ツイッターと新ブログ

3日前からtwitterを始めた(@tiki3282)。
以前から何となく興味を持ってはいたのだけど、よくわからん。でも、流行りだから一応乗ってみるか。
登録すると、PCに入っている住所録から自動的に既に登録してるアドレスを拾ってきてくれる。とりあえず38人ほどフォローすると、すぐに姪っ子や友人たちからレスがあり、フォローを返してくれる。今のところfollowersは12人。
でもまだよくわからないなあ。これくらいの人たちに向かってぶつぶつつぶやいて何になるんだろう?とりあえずもうちょっとfollows/followersを増やしてみないことには、面白味も見えてこないかな。ツイッターやってる方、フォローしてください!

今日、友人の税理士と相談してきた。僕自身にとっては医療法人にするメリットはあまりないみたい。こっちの方も、どうするかなあ。まだ公式には宣言していないが、もうそろそろ具体的に動き出す時期にきているかな。こっちの話を進めるためには、僕自身をPRしたいし、ツイッターのfollowersも増やしたいし。となると、この優子のブログとは、別の新しい僕のブログを作ろうかなあ。この優子ブログは(一応)匿名にしているけど、新しいブログにはバンと僕の名前も素性も出して、クライエント向けにいろんなネタを書いていくことになる。でも今まで、何度も自分のサイトを作っては、更新せずに挫折してきたんだよなあ。これから作るとしたらウェブサイトよりはブログの方がいいかなあ。とりあえずいろんなネタを書きためておきたいし。でも、ここに来るのと、新しいブログに来るのと、両方やるだけのエネルギーがあるだろうか?

年明けて自分のお年玉としてiPhoneを買い、Twitterを始めて、新規ブログにこれからの仕事のプランニング。これらのことをやり始めると、だんだんはまってくる自分に気がつく。
まあ、それでいいんだよなあ。この1年、優子の面影にすっかりはまっていたから、こうやってれば、自然に優子から遠のいていってしまいそうな気がする。それでも良いんだよね>優子!?