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Saturday, April 28, 2012

獲得し喪失するプロセス

パンパンに詰め込む人生。
まくらに綿をどんどん詰め込もう。そうしたら良い枕ができていく!
たくさん努力することが正しいんですよ!よく勉強して、いい学校に入って、たくさん仕事をして、論文をたくさん書いて、本をベストセラーにして、講演して、テレビに出演して、営業して、多くの聴衆やファンを得て、愛するパートナーと子どもと、多くの仲間たちを得て。

お金も、地位も、愛も、友達も、生きがいもたくさん得よう!良く生きるために、自己実現のために!
今までずっとそうしてきた。たくさん努力して、頑張って。

なぜそこに疑問をはさむの?
もちろんやり過ぎはダメだよ。いろんな余波がくる。ストレスをためて体に負担をかけたり、飲み過ぎ・食べ過ぎ、人に迷惑をかけたり、ズルしたり、、、でも、加減してやり過ぎなければイイじゃん、基本的には。
いや、その基本的な部分に疑問を挟むんだ。
今日の手帳はブランクだ。学生時代に手帳を持ち始めてから、一生懸命毎日の予定を埋め続けてきた。それが生きがいに満ちた良い人生だもの。
この50年間、我ながらかなり効率よく埋めてきたと思うよ。ひとつの山を極めた。
それで良いじゃない!立派だよ。おめでとうございます。

でもそしたら降りられなくなっちゃうんだ。
無から生まれ、生きていくために資源を一生懸命獲得してきた。
でも、それを少しずつ放していく。優子を放し、子どもを放し、職を放し、親を見送り、地位と収入を放し、そうやってだんだん高度を下げて、無に帰っていく。

診療の予約が入っていなくたって、やることはエンドレスにあるんやなぁ。
本を読んで、原稿書いて、メール打って!
キリがないし、エンドレスに詰め込み作業を続けることは可能だ。
おまえ、職もプライドも放すつもりはないんだろう?
日野原さんみたいにずっと働き続けるつもりだろ!
そうだよ。いろいろなものを放した後、最後まで持ち続けるのは人との交わりだ。そこから生き甲斐と喜びを得る。幸い精神科医は手が震えても老眼になっても、認知症にさえならなければ続けられるからね。その方が仙人みたいでご利益があるんじゃない?

得ようとしているときには、コケて落ちちゃうことを心配する。
落とそうとしているときは、コケてまた得ちゃうことを心配する。
大丈夫。どう転んでも、落ちることはない。50年間積み上げてきた財産は強固だ。
今までは、得ることが喜びだった。これからは、それをひとつずつ放してゆき、悲しみを得て、スリムにしてゆく。そうやって、自己が無に返るプロセスを受け入れていく。

な~んちゃって、おまえ悟りきったようなことを言ってるけど、まだそうするつもりないやろ!!

Monday, April 23, 2012

男手ひとつ、、、じゃなくて

この葬儀屋の電車広告シリーズにはつい目が行ってしまう。
今回のはどうだろう?
俺もこうなるのかね。

〇年も前に奥さまを失くされ、
小さかった三人のお子様を、男手ひとつで育てられた方でした。...

小さかった?
まあ、そんなに小さくもなかったけど、大きくもなかった。

男手ひとつで、、、?
じゃないでしょ。
いくつもの手をかき集めて、、、

優子の道具箱

キッチンは道具箱ね。
ちゅけのキッチンを楽しめたので、ふりかえり我が家のキッチンは(涙)。
祐馬とIkeaに行ってきた。
家具ばかりでなく、キッチン用品もデザインが素敵なんだけど、実際に買うとなるとスウェーデン仕様は今ひとつなんだよね。シリアルボウルはあっても醤油差しがない!
日本の狭いキッチンとはサイズも違うしね。少し買って、近所のダイシンに出直してあれやこれやと道具を買ってきた。
ちゅけの台所はサラからのスタートだから楽しかったんだよね。うちの場合は25年間のオリがたまってるから、まず整理から始めなければならない。考えてみれば、多少は買い足したものの、基本的には優子仕様をずっと踏襲してきたんだよね。一応、キッチンは優子のテリトリーだから、僕が使うにせよ優子が使いやすいようにアレンジしていた。僕はそれを使わせてもらってたので、この3年間もその延長だった。使わないものはいじりませんのでという具合に。
3年間、一度も使わなかったものが結構あるんだよね。使えるか使えないかではなく、使うか使わないかでどんどん捨てていくしかない。そりゃ、まだ使えるけど、実際には使わないでしょ、という物でかなりのスペースを占領されていることが今更わかった。すみません、捨てさせていただきます。
やりはじめたらきりがないんだよね。台所が、いかに細々としたものの集積であることか!
いやはや、疲れました。夕方から今までかかっても、まだ一部しか手を付けられていない。でも、今までモノであふれていたスペースは空けて、だいぶ使いやすくなった。
優子、優子仕様を僕仕様に変えるからな!
ふだんは使わない引き出しの奥には優子のまなざしがまだ生きているんだよね。
もう、それも消すからな!悪く思うなよ!

Tuesday, April 10, 2012

2回目の高校入学式

一度経験しちゃうと、二度目の感動はずっと納まってしまうんだよね。
二回目はパターンが見えてしまうし、前の経験と比較してしまう。
ブラバンはちゅけの高校の方が良かったよな。
ちゅけの高校は伝統ある質実剛健。班活や合唱祭・体育祭が盛り上がる。
祐馬の高校はフロンティア精神。
ピアス開けてる子も、髪染めてる子も結構いたよ!
集合写真の後、そそくさに帰ろうとしたら、祐馬から電話。
ねえ、帰りのパスモ代ないんだけど。
えっ、ぜんぜんお金ないのか?しょがない、公園のベンチで待ってるからなるべく早く来なさい。
わかった。
駅に並んで通学定期を6ヶ月買って、スーパーで昼ご飯を買って帰って。
夕食、作りすぎちゃった。ひとり減ったからどうも分量がわからないんだよな。
ねえ、パパさっきから北海道の話ばっかりしてない!?

いや別に2回目の感動が薄いからといって、アルバムの写真の数が少ないからと言って、軽く見てるわけじゃないよ。3人とも大切さに変わりはない。ただ、親にとってしょっぱなは張り切りまくって、次からは多少慣れてくるんだ。だから祐馬やじんの方が落ち着いて関われてきたと思うよ。
祐馬はまだもうしばらく手元に置いておけるからな。ぜんぜん大丈夫。

こんな感傷に浸っている場合じゃないんだ。
今日から仕事に復帰。新年度で新たな契約もいくつか出てきた。
さあ、親役割ばかりでなく、自分のことに取り組もう!

Sunday, April 8, 2012

親のエゴ

エモーショナル全開だよな。
なぜこんなに悲しいんだろう。

なんで、ボロボロ泣いてるの?
ばっかじゃねーの!?
ちゅけのアパートを出てから、札幌駅のコンコースで、千歳空港で、ずっと泣きっぱなし。
喪失の涙。優子を失った時と似ている。
なわけないだろ!
ぜんぜん比べる余地もないはずなのに。
ちゅけを心配してるわけではない。
別れが辛いわけでもない。
一緒に過ごした日々が失われるのが辛いのか?
ちゅけのことをまだ心配しているのだろうか?
函館に行き、札幌に二回来て、ちゅけと過ごした日々。
どれほど自炊するかはおまえ次第だけど、台所の使い勝手が悪いとやる気なくすからな。ここまで整えてやったぞ。やり過ぎたかな。
まだ手放す覚悟が出来ていないんだろうか。

子どもにしてみれば親の気持ちなんか重たいだけ。ぜんぜん関知しないだろ。
オレだってそうだった。17歳で最果ての地に行っちゃったんだから。途中、母親が来るとか言ったけど断ったんだよな。悪いことしたね。でも子ども側としては、巣立つのに精一杯だったんだ。後ろを振り返る余裕などなかった。ちゅけだってそうだろうよ。そんなことはどうでもいい。というか前に押し寄せてくる新生活のことで精一杯だもんな。親のエゴだよ、これは。

18年前にスイッチが入っちゃったんだよな。
ベビーウォーマーのちゅけを眺めてオレが父親になった瞬間から、とても大切な守るべき存在ができた。
いかに3人のこどもたちが、オレの人生にとって大切な存在であるか。
子どもたちに向けた愛着。
思い出すのはちゅけが幼かった頃。
パンカンカンとか、ベーショーショとか、幼児語をしゃべり、青森のキャンプ、保育園の送り迎え、草津の家で過ごした日々。
「大滝の湯だよ!」とか言って、歯からツバを滲ませたちゅけ。
そのちゅけが18歳。旅だちの日なんだよ。
寝顔はまだ幼い。でも、身長は父親を追い越した。

なぜ、そんなに悲しいの?わけわかんないよ。
子離れがこんなに感傷的になるなんて、知らなかったよ。
だって、いつだって会えるじゃん。連休に戻ってくるか?
夏休みは子どもたち2人と押しかけるからな。

じゃなくて、会えるとか会えないとかの問題じゃないんだ。
これからだって大切だし、承認を与え続けるよ。
だけど、もう守るべき存在ではなくなっちゃうんだ。
そりゃ、仕送りは続けるよ。経済的には自立していない。
でも、あいつの日常は切り離された。親はもう守れない。自分で勝手に守るんだ。オレは関知しない。
大切な存在であることには変わらない。でも、大切な存在を手放していく。

孤独と成長

大学総長も2回くらい言ってたよな。大学時代は孤独との戦いとか。
総長さんも若い頃、苦労したんですね。
谷村志穂さんも言ってた。小説書いて、テレビとか映画化されて華やかな生活を送っているとみなさん想像されると思いますが、実は、、、(そう、小説家って結構ヤバい人多いよね)
孤独は辛いけど大切だよ。
人生のスパイス。それがあるから成長できる。
孤独がなければ、自立できないじゃん!
親から離れる孤独。
子どもから離れる孤独。
どっちが大変なんだ?
妻と永遠に離れる孤独とは比べようもないけど、でも寂しいことには変わりはないよな。

今日の午後、ちゅけを残して東京に戻る。
ダメだねえ。子離れは難しいよ。
といっても、それは予定されたnatural life courseとしての出来事だから。
ちゅけはそんなに難しくないだろ?
だって、既に親から突然切り離される悲しみは経験済みだもんな。
大切なものを失う耐性ができている?
あるいは、対象喪失を消化できずに分離不安が残っている?
そんなことはないよな。ちゃんとしっかり前を向いているよ。
辛い孤独を楽しみな。
それとうまく付き合って、大人になればいいよ!

ただ、問題は孤独になれるかどうかだ。
パパは始めの2年間は学生宿舎だったから、夜中までワイワイ騒いでバカやっていた。昼間は授業でつぶれて、午後は部活に、夜はバイト。孤独になるヒマなんてないかもしれない。
でも、やっぱり身近に家族がいないってどんな風だか体験してごらん。
夜になるとひとりで居られなくなって、ふらふら友だちのアパートに転がり込んだりする。パパの頃は麻雀だったけど、今はネットか? それが男女だと同棲が始まっちゃう。
家族が何だったのかよくわかるよ。パパもアメリカで別の家族を体験して、自分の家族を理解できたんだ。

それにU先生やマリちゃんがいるし。
親戚なんかじゃない。パパとママが築いた友だちネットワーク。
U先生はパパからの遺産。
マリちゃんはママからの遺産。
こーこさんなんかホント良くしてくれるもんなあ。アパート選びから家具購入まで保護者みたいなもんだ。
でも、ちゅけにとっては孤独を埋めてくれる愛着対象ではないよな。
むしろパパにとっての安心感、大切なsafety netだ。
だから、パパは何も心配してないよ。

次に来るのは夏だな。妹・弟に一人暮らし生活を見せてやろう。
キャンパスの広い芝生でジンパもやろうな!! 生協に申し込んどけよ。

Saturday, April 7, 2012

大学の入学式

子どもの学校行事(入学式・卒業式)は保、小、中、高、大と上がるに連れてつまらなくなる。


今まで何回くらい出たかな〜? 優子を元号とすれば、優子前15年くらいから保育園が始まって、いまは優子3年。保育園は入園式はなくて卒園式だけ。在園生の親も毎年出てたから9回くらい?その後三人の子どもたち×校種×2(入学式と卒業式)=15回くらい?優子前は二人で出席、優子後はひとりで。優子後だけでじんが2回、ゆまが4回、ちゅけも4回、計10回。去年はじんのが2回、この春はちゅけとゆまだから4回。夫婦連れが多い中、ひとりでの参加にもだいぶ慣れた。

子どもが大きくなるにつれ、保護者との距離が離れていく。保育園では膝の上に乗っていた。小中学校ではひとりずつ壇上に立ち、校長から卒業証書を受け取る姿を確認できた。高校では総代のみ、かろうじて花道を通る姿を見るくらい。
大学なんてもっとひどいよね。なにしろ2600人いる。元職場大学の2.5倍。コンベンションセンターすべてを借りきり、大ホールは入学生で満杯。保護者は小ホールから会議室から、他の部屋すべてに分散して、スクリーン越しに見るだけだ。だいたい保護者が来る意味あるの?オレの時は来なかったよな、たしか。でも、よくもまあたくさんの親たちが来ているよ。しかも両親そろって。大学生になっても子どもは親の所有物なのかねえ。この調子で大学卒業式まで来るわけ?
まあ日本の大学は入るのが難しく、出るのは簡単だから入学式は「お祝い」かね。
アメリカの大学は入るのはまあまあ、出るのが難しいから卒業式がお祝いらしい。


子どもの姿は確認する由もないが、まあ、エンターテイメントとしては飽きなかった。総長の告辞(っていうんだ!?)は短めに。式後の谷村志穂のスピーチは長めだった。30年前、私が入学したころは、、、ってなノスタルジックな話は親世代には共感できても学生には受けない。ちゅけは、話長過ぎ!寝ていたよ!と文句を言っていた。まだそんな話をされてもわかんないよなあ。
バンカラ応援団のパフォーマンスに男声合唱団による応援歌。なんかオトコばかりじゃん。学生の7割が男子。国立大学で最も多い12学部のうち、理系が8つ(農・理・工・医・歯・獣医・薬・水産)。教育学部単科の女子優位の雰囲気とは対極にある。まあね。北海道開拓の歴史。フロンティア魂。クラーク博士も「少年よ!」だったもんな。
谷村さん曰く、これを女性に言い換えるとぜんぜん違う意味になっちゃうんだって(笑)
『少女よ、大志を抱け!』
彼女も「結婚しないかもしれない症候群」以外にずいぶん本書いているんだ。
彼女自身は当然結婚してないの?

Tuesday, April 3, 2012

ちゅけへのはなむけ

じいちゃんもやってるしな。
多分もらう側のちゅけからしてみれば、あーだこーだ親が言わなくったってわかってる。大きなお世話、自分のやりたいようにやるし。
パパがちゅけの立場だったらそう感じるだろうね。でも、ちゅけはもしかしたらそう考えないかもしれないしな。一応書いておきたいってのが親なんだよ。
手紙みたいにして押し付けちゃったら受け取りたくないし、パパのブログに書いておくよ。ちゅけ、これ見てるの?多分、見てるだろ。パパのことなんて眼中になければ見に来ないし、パパのことを思ったら見るよね。そうしたら君へのメッセージが飛び込んでくるわけだ(笑)。
というか、ちゅけのことを書くというより、パパの体験を書くよ。
これ、千歳~羽田の飛行機の中でノートに書いたのを後で打ち込んだんだ。

ちゅけへのはなむけ:モラトリアム

自信ないよな、前に進む。
パパもそうだった。時間が欲しい。もっと大人になってから次に進みたい、今進んじゃったら困るよ、まだその準備できてないし。それに、進んじゃったら忙しくなるでしょ。ホントはそうなる前にやっておきたいことがあるんだ。ブンガクの本も読みたいし、いろんなところを旅行したいし。もし浪人したら北海道の流氷を見に行きたいと思ってたんだ。浪人しなかったので果たせなかったけど。
まだ、大人にはなりたくない、もうちょっと若者時代をちゃんとやってから。そういうの、業界用語でモラトリアムっていうんだよ。

前に進むためには、それ以前の発達課題を終えてないとダメなんだ。
まだ前の段階のやるべきことが中途半端に残っていたら、後ろ髪を引かれちゃうよな。
中学くらいまで学校の勉強にはついて行けても、高校になってくると未消化な部分が出てくるよな。かと言って落第するわけでもなく単位は取れちゃうよね。
大学に入ったらもっとそうなるよ。
パパは化学が苦手だったんで物理と生物で受験したから大学の授業で生化学とか薬理学とかぜんぜんダメだったんだ。
解剖学だって生理学だって。こういうの、奥が深くてもっとわかればきっともっと面白くなると思ったんだ。すごく興味はあった。でもパパは面白くなるところまで行けなかったんだ。そんな中途半端で専門課程の臨床医学に進んだら、基礎医学ができていないのに恥の上塗り、雪だるま式にもっとわかんなくなっちゃうんじゃないかって心配だったんだ。だから大学2→3年の時、留年したいって。

牢屋にずっといたら、本をたくさん読めるかな?
なんて少年の頃、考えていたりして。モンテクリスト伯みたいに。
自分ひとりの時間が持てる。
でも、人の中に居るからそう感じるだけであって、自分ひとりの時間なんて与えられてもきっとダメに決まってるよね。

まだ十分勉強してない。今自信がないのに中途半端なままで進んじゃったらもっと自信がなくなりそうで恐い。時計を止めて自信をつけてから前に進みたい。
時間をかけたら自信が生まれるってわけじゃないんだ。
前に進む中で、自信が獲得される。止まったら自信獲得のプロセスも止まってしまう。
ひとつひとつ、きれいにクリアしてから次に進もうって言ったってPCゲームみたいにはいかないんだよ。クリアしないまま次の画面に飛ぶしかないんだ。

それでも何とかなっちゃうもんなんだよ。
大学の授業は赤点スレスレでかなりやばかったけど、国家試験は受かってお医者になれたんだし。
生化学や解剖学がわかっていなくても精神科医をやる分には何も問題ないんだ。

だからちゅけも思い切って前に進んで良いんだよ。
といっても、進むか停滞するか、ちゅけに選択権があるとは思えないよな。
ちゅけが立ち止まりたいと言っていたとき、パパは始めは応援してくれたみたいだったけど、すぐにコロッと意見を変えて前に進むしかないとか言い出すしな。
3日前には住むところがなかったのに、
2日前にはアパートが決まり、
昨日は冷蔵庫・洗濯機から全部買って、
今日はそれが全部届けられた。カーペットも電磁調理器も。今日から生活が始まる。
明日は健康診断だよな。
3日後には新入生オリエンテーション。
4日後には入学式だ。
パパは大学にいたから、そういうの知っているんだよ。偽一(ニセイチ)とかいるから気をつけな(笑)。
ちゅけはワクワクするか?
ワクワクを通り越して、ビュンビュンスピードを出す車に乗せられて、ちょっと待ってくれ~
という気持ちじゃないか?
だって1ヶ月前を思い出してごらん。
3月上旬はまだ前期試験の発表前で、後期に備えて図書館に通う受験生だったもんな。
絶対浪人するつもりでいたから「大学生」なんてまだ遠い先と思っていたんだろ!?
なのに、今、大学生になっちゃったんだよ!

ちゅけはおっとり、のんびりしているからな。
もっとゆっくりしたいよな。
パパはビュンビュン飛ばすのが性に合っているんだけど、それでも時にはゆっくりしたいとも考えるんだ。
でも、大丈夫。人生はローラーコースター。
スピードが出ちゃうときも、スピードが鈍ってほとんど止まっちゃうときだって、いろいろあるんだよ。そのコントロールはある程度自分でできるかもしれないけど、多くの場合はなりゆき任せ。自分の意思ではどうしようもない状況が向こうから勝手にやってくるんだ。
でも、それで良いんだよ。特に十代後半から二十代くらいは猛スピードの時代だから。外側の現実(身体)だけが先に進んじゃって、内面の心が取り残され必死で後から追いかけていく。

パパはまだモラトリアムをやってるのかもしれないよ。海外出張とかいってフラフラ旅してるし。網走だって大人になってから行ったよ。仕事で行って夏だったから流氷は見れなかったけど。
大人になってもできるから大丈夫。

ちゅけへのはなむけ:愛着

パパだってそうだよ。ママを失い、転職して、子どもたちは大学生と高校生になっちゃった。現実がどんどん前に進んでいくのに、気持ちも進めるのが大変だよ。でも転職や子どもたちのスピードはまあどうにかなるんだ。大変なのはママのことだね。ママへの愛着が残っちゃっているんだ。ママのことを未だにウジウジ考えていたい気持ちが残っている。相当しつこいよね。
でも、ママのことは絶対忘れずに、パパの心の中の隅っこの特別席にきちんと置いておけば、次の愛着に進めるんだ。ほら、国会の参議院だっけ衆議院だっけ、正面の奥に天皇さんが座る場所あるじゃない。あんな感じで特別席をうやうやしく作っておけば、実際の議会の進行に影響しないでしょ。そんな感じかな。
ママのことをキチンとクリアしなくても良いのかもしれない。ひどくとっ散らかっていてはダメだけど、きれいに完璧でなくても、赤点ギリギリでもそこそこできていれば、次に進んでも良いのかもしれない。次のがうまくいけば、自然と前のことは整理されていくもんじゃないかな。

いや、何ともならない場合も実はあるんですよ。
家族ライフサイクル論。
Family with adolescent/young adult.
Launching children and moving on.
思春期の親子にとって、けっこう困難で大きな変化なんだ。
Parent/Child Attachmentをうまい形で離していく。親側・子側、相互にね。
それがうまくいかず、つっかかっちゃって、ころんでしまって、パパのところに相談に来たりするんだよ。

だから、ちゅけは偉いよ。今、ちょうどその時期に差し掛かっているんだ。
パパだって偉いんだよ。ママを失い、今度はちゅけを失おうとしているんだから。
いや、そう考えちゃダメなんだよね。Pauline Bossを読んでいてね。心の家族(Psychological Family)っていうんだよ。失ったわけじゃあないんだ。
パパにとって、死んじゃったママも、北海道に行っちゃったちゅけも、目の前にいなくたって、しっかり心の中ではそばにいるんだよ。ちゅけとは電話でもメールでもスカイプでも何でもできるから全く問題ないし、ママだってお墓に行ったり、子どもたちと一緒にママのことをうわさ話したり、こうやってブログでママと語り合ったり、みんなで共有するshared stories。それがあればぜんぜん寂しくないんだ。
ママをいつまでも心の中で生かしておくのは、すごく悲しいよ。
でも、寂しくはない。安心できるんだ。

ちゅけにとって、ママが天国にいたって、パパが東京にいたって、全然大丈夫だし。
ちゅけの心の中にはちゃんと居場所を確保しておくんだよ。
忘れようとすると思い出しちゃう。
いつでも思い出すぞってかまえていたら、忘れちゃうんだ。
パパ、ママ、妹・弟、じじ・ばばのことはしっかり心に置いといて、新しい愛着を作りな!
友だちは良いぞ!大学時代の友人は一生の友になる。パパもそういう友だちがいる、、、ってことは中年を過ぎないと気がつかないんだけどね。
彼女だって作ればいいじゃん! 祐馬が言っているように、ちゅけはイケメンですごく優しいから彼女できるよ。でも、パパの孫まで焦って作らなくてもいいからな。
そういう意味ではちゅけにとってカメさんはとても大切だよな。
祐馬にとってはサクラやカイ君やえっちゃんやRyokoさんやダイちゃんがとても大切だもんな。でも、一番大切なのはママちゃんということは言うまでもない。それを忘れないように。
さらにもっと一番に大切なのがパパってことは、今いうとむかつくだろうから、まだわからなくていいから。

Secure attachment 愛着が安定していれば、つまり心の中に愛されている、受け入れられているというイメージをしっかり抱くことができれば、離れていても大丈夫。北海道でも天国でも。

Insecure attachment. 不安定な愛着、愛されている、受け入れられているというイメージを抱くことができないと、いつまでもしがみ付く。離れていると不安になる。会わないと辛くなる。

ちゅけへのはなむけ:学歴

親の壁を乗り越えていく。
親が自分と同年代だった頃の土台に達することができれば乗り越えたことになるよな。
土台の高さ=大学の名前(学歴)
ってやっぱ関係するんだろうな。人生における大きな土台だし。
そういう意味じゃあちゅけはパパやじじにちゃんと肩を並べているよ。
高さを何で測るか?
偏差値は高校や予備校の先生の営業成績みたいなもんだ。
まだ日本が貧しかったころ、限られた人しか物質的に豊かになれなかったので、狭き登竜門から入って少数の選ばれた人の中に入ることが幸せへの道だったんだ。
でも、今は違うだろ。日本では経済的・物質的には多くの人が豊かになれる時代になった。
でも、格差はあるよ。
格差社会:勝ち組と負け組がある。決して機会均等とかいうわけじゃない。
でも、そのどっちに行くかという選別方法が昔と今ではかなり違うんだ。
昔、経済が成長して拡大志向のころは守られた社会だった。身分社会の名残りだったのかね、一旦キップを手に入れたら、一生有効だったんだよ。良い大学のブランド名で良い会社に入り、一生雇用してくれる。つぶれることはない(と思っていた)。家族だって、結婚すれば奥さんがしっかり家を守ってくれて、一生離婚せずに添い遂げることができた。
でも今は違うでしょ。集団性は崩れ、個人主義の競争社会。右肩上がりは期待できないから大きな会社だってどれほどもつかはわからない。終身雇用制は崩れ、転職するのは当たり前。家族だってシングルや離婚が当たり前。結婚したら一生御の字なんてことはない。
つまり、登竜門のキップの有効期間がすごく短くなっちゃったんだ。
偏差値というキップは大学を選ぶモノサシにすぎず、社会やパートナーは記憶力や計算力が良いオタクっぽい人を求めてはいない。もっとマトモな信頼できる人間:しっかり考えることができて、身体も心も健康・強靭で、経済的・心理的・生活的に自立している人。
昔はオトコが経済、オンナが生活と分業体制だったからおじいちゃんみたいに「男子厨房に入らず」でやってこれたけど、今は違うからな。素敵なパートナーをゲットするには炊事・洗濯もできて当たり前なんだから。
身体の健康さ・強靭さ。これはまだわかりやすいよな。
心の健康さ・強靭さ。これはパパの専門だから、またゆっくり丁寧に説明してあげよう。

ちゅけへのはなむけ:医学部

さっき、キップの有効期限は短くなったと言ったけど、未だに一生有効(と世間では思われている)分野があるんだ。それが医学部。そのことにこだわるのはちゅけではなくて、パパ自身の問題なんだ。
よく知っている人から、センセ、息子さんも先生と同じ学部に行くんですか?
とか、結構まわりはそういう目で見るんだ、世襲制みたいにね。まあ、昔はどの商売も世襲制だったんだけど。
世の中にはいろんな資格があるけど医者と弁護士の資格はやはり飛び抜けているよね。資格がないとやっちゃいけないし、高い技能が求められる。自分は知識がないから「先生」を信じてお任せするしかない。社会的な地位は高い。しかも独占仕事だからたくさんお金が入る仕組みが整っているし。
弁護士さんの狭き門は大学を出た後の司法試験だけど、医者のキップは医学部に入ることなんだ。大学でよっぽどおかしくならなければ、医師国家試験はまあだいたい受かるし、一旦免許を取得すればよっぽどのことがない限り一生通用する。とても守られた世界(保守的)なんだよ。だから「良い職業」であることには間違いないんだ。

それをパパは子どもたちに期待してるかってことなんだ。
そりゃ、子どもたちも医者になってくれたら嬉しいと思うよ。どうして?
パパ自身が自分の仕事を大切に思い、プライドを持っているからかな。
パパのアイデンティティ。パパは自分がお医者であることで自信を得て、自分を肯定して、幸せだと思っている。もちろんそれだけが幸せの源泉ではないよ。ママと結婚して、子どもたちがいて、友だちがいて、スキーやチャリをして、美味しいものを食べて。み~んな幸せにつながるんだけど、職業としての医師のステータスもやっぱ幸せの源泉なんだ。
子どもたちにも職業に誇りを持ってほしい。パパは医者と大学の先生しかやったことがないから、他の仕事がどうなんだかはよくわからない。ママは銀行員とか国連職員とか通訳とかやっていて、楽しそうにも大変そうにもしてたけど、ホントのところはどうなんだかわからない。

まあ、子どもたちに医学部に入ってほしいとしたら、それくらいのところかな。別に町医者じゃないから家業を継ぐ必要もないし、偏差値の高い大学や学部に入れて人に自慢したいわけでもないしね。いや、結構いるんだよ。親の七光りの逆バージョンの子の七光り。韓国では息子二人をソウル国立大学に入れた母親が本を書いて有名人になったんだって!
ちゅけは自分の好きな、自分の特性を生かせる分野に進みな!仕事を自分の生きがい・やりがい・楽しみにできるって素晴らしいこと。仕事して仲間がいるからってのは楽しいとしても、仕事の中身自体を楽しめるって結構少ないよ。辛くても、大変でも、やりがいがある、やってよかったと思えれば一番良いと思うんだ。

それに、ここだけの話だけど、お金持ちだけど不幸なお医者さんもたくさんいるんだ。たとえば、家族がうまくいかなくなりはじめると、偉そうにしていることが却って災いして不幸のスパイラルをくるくる落ちていく人もいるんだよ。外側からうまく隠して見えないだけで、実際かなり深刻なんだ。無理してグリーン車の指定席を得ようとすると、あとで辛い思いをする。大切なのはお金や地位じゃないんだ。かえって不幸になることだってある。一番大切なのは心と人だよ。

ちゅけへのはなむけ:結婚

ちゅけ、結婚は良いよ。
別に孫の顔を見たいからとか、結婚しないと一人前にならないからとか、結婚しないと幸せじゃないとか、シングルは負け犬だとか、そんな意味で言っているわけじゃないよ。
独身だって、結婚しなくたって、ぜんぜん構わないよ。そうやって幸せな人だってたくさんいる。結婚した方が幸せになる確率が高いとかそんなことでもないんだ。
ただ単純に、パパは結婚して良かった、幸せだったと思っているからちゅけにも勧めているだけなんだよ。
ひとりの人をずーっと愛し続ける、コミットし続けるって、かなり大変なんだ。ママがちょっと可愛かったから好きになって結婚しちゃったけど、ホントの幸せ(苦労もね)は結婚してから。それに一番は君たち3人がいることなんだよ。
一緒に生活すればケンカもするし、もうイヤになっちゃうことだってたくさんあったよ。でも、それを乗り越えた喜びだって大きいんだ。イヤな部分と良い部分のアンビバレンス。パパはたくさんの夫婦の内情を知ってるけど、乗り越えられずにイヤになっちゃう夫婦だってたくさんいるよ。それできれいさっぱり離婚できればまだ良い方で、離婚もできず、気持ちを通じ合わせることもできなくなっちゃうパターンはホントに大変。結婚・夫婦生活は大きな幸せの源泉であると同時に、大きな不幸の源泉にもなりうるんだ。そうなると、子どもが大変だよ。そういう家族の力になることがパパの仕事のひとつなんだ。

だから、結婚にはリスクがある。
結婚するだけ、子どもを作るだけならだれでもできる簡単なことなんだけど、結婚生活を維持して、子どもを育て上げるってすっごく難しいというか、高度な覚悟と能力が求められる。といっても、できちゃう人には何も考えずにできちゃうけど、できない人にはいくら考えても努力してもダメだったりするんだ、悲しいことに。
だから、そういうリスクを避けるためには独身で過ごすという手もあるよ。でもちゅけだって、リスクを覚悟してもチャレンジしたって良いと思うよ。前向きで自信を持っている祐馬は、当然結婚するつもりでいるけど、ちゅけだって大丈夫だよ。
結婚したら幸せになれるよって見本をパパとママは君たちに見せてあげてた?
少なくとも、パパはじじばばからそうやって見てきたよ。

ある意味、ママがこうやって途中で死んじゃったから、結婚生活を一番肯定できるのかもね。もし、生きていて普通に生活が続いていたら、ママがいることが当たり前だし、いろいろイヤなことだってケンカだってあったよね。ママが死んじゃったから悲しみだけ残って、ママとのことを美化できる。もし仮に借金とか浮気とかで離婚してたら、怒り・憎しみだけ残って美化できないもんね(全くできないわけじゃあないんだけど)。
幸せには必ず終わりが来る。死別か離別かわからないけど、必ず別れが来るんだよ。こんな悲しい思い、辛い思いをするくらいだったら結婚しないって?
そりゃあないな。
悲しいけど、幸せだよ。
心の中にママがいるもん!

Sunday, April 1, 2012

心のコリのほぐし方

前回紹介していただいたブログをずっと読んでいるんですけどね。
パスワードを入れなさいってところがあるんですよ。

あっ、そこまで深く読んでくれているんですか。
パスワードはxxxxxです。

でも、先生、相当すごい体験をされてきたんですね!?

ありがとう。普段はヘラヘラ笑ってるけど、実はそうなんですよ。
べつにあなたが読んでくれたからって、私の生活の何が変わるわけではないのですけど、
そうやって私の物語を読んでくれる人を得ることで、私は生き永らえてきたんですよ。
気持ちが繋がって、心のコリがほぐれていく。

交流分析的物件さがし

この冬は3回も北海道に来ている。
来週も来るから計4回になる。
すべて仕事ではなく、プライベートで。
でも、スキーは一回もやっていない。スキーのない冬の北海道なんて、クリープのないコーヒー?(古い)
でも、もっと大切なものがある。
喜びと哀しみ。喪失と出会い。
どっちにせよ、前に向かうしかないんだよな。

ちゅけは新生活の準備に張り切っている。
まず、本人が先にめぼしい物件をあたり、後から私が来て決めるプランだった。
でも、ちゅけは心配する。一昨日と昨日、続けて電話があった。
ねえ、良いアパートが見つかったんだけど、、、
でもパパが来てから決めるはずだったよな。
でも良いのはどんどん決まっちゃっていくんだよ。べつに保護者じゃなくても学生本人が契約できるんだって。やっていいかな?
おいおい、始めの計画と違うんだけど!?
ちゅけの気持ちは、
・不安に駆られた焦りなのか
・親が確認しなくても決めることが出来る自信なのか。
まあ、前者だろうな。
でも、ちゅけのせっかくの巣立ちだ。親のリモコンは外しても良いのかもしれない。
そんなに言うのなら良いよ。オマエが決めれば!こーこさんにも見てもらっているし、決めて良いよ。
あー、うん。じゃあそうするよ!

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人はだれでも心の中にふたりの自分を持っている。
ダメだしの自分と
能天気な自分。
(交流分析っぽいけど、そっちの用語は使わず私の言葉で)
未来のことなんてだれもわからない。でも、どうにかして予測するしかない。
ダメ出しの自分は悲観的。マイナスの予測が好き。それが当たれば、ほらね、だからこれで良かったんだよ。外れてもまあプラスなら許せる。縮み志向。不安感が大きい。
能天気な自分は楽観的。プラスの予測が好き。それが当たれば自信を獲得する。外れたら足をすくわれる。拡張志向。

ダメだしの父親:ちゅけはまだ子どもだよ。決められないよ。変な物件を食わされるからちゃんと親がスーパーバイズしなければ。
能天気な父親:ちゅけは分別があるかな、自分で決められるかな。変な物件でも自分の住むところだから親は知らんし。
ダメだしのちゅけ:早く決めないとなくなっちゃう。心配だ。
能天気なちゅけ:自分で決められるんだけど。

<ダメだしの父親 vs. ダメだしのちゅけ>
パパが来るまで待ちなさい!
決めないとダメなんだよ!
ケンカになる。どちらが勝っても(決めても決めなくても)不安と不満が残る。

<ダメだしの父親 vs. 能天気なちゅけ>
パパが来るまで待ちなさい!
だって自分で決められるもん!
ケンカになる。
父親が勝つと
しょうがないなあ。じゃあ待つよ。
ちゅけは子どものまま。
ちゅけが勝つと、
ホントか?ちょっと心配だけどちゅけに任せるよ。
ちゅけは大人になれる。

<能天気な父親 vs. ダメだしのちゅけ>
もうなくなっちゃうよ〜、でもひとりで決めるのは心配だけど決めるしかない。
じゃあ、決めたら!?
えっ、いいの?じゃあそうする。(でもまだ心配だなあ)
いいよ、君は決められるよ(大人を育成するメッセージ)

<能天気な父親 vs. 能天気なちゅけ>
じゃあ自分で決めるか?
ああ、決められるよ。
じゃあ、そうしな。
問題なし。

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で、その物件を今日これから確認しに行く。
結果は如何に。
優子はもうわかってんだろ?

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(大はりきり)

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いやあ、さすがのパパも今日は疲れたね。
ヨドバシカメラに3時間もいたよ。
新生活セットを揃えて:冷蔵庫・洗濯機・掃除機・電子レンジ・オーブントースター
炊飯器は買わないのが正解だと思うよ。シリコンスチーマーとかでチンすればご飯だって美味しく炊ける。
それにPCまで買っちゃって。Bフレッツがどうのこうの、プロバイダがどうのこうのってえらく面倒だったね。
100均の店行って、ホームセンター行って。
カーペットと机を3階まで運んで。

で、肝心の物件は、、、そりゃ良いよ。申し分ない。
でも贅沢すぎないか? 学生なんて質素の方が良いんだ。
家賃払うのははパパから来るんだからな!
パパの時は月18,000円だったんだぞ!
そりゃ時代も場所も違うんで比べようもないんだけど、北海道は本州と違うんだと言われても、パパは他の物件を見ていないから比較しようがないんだ。

でも、そうしたからってこの物件になる可能性はある。
腹をくくった以上、君に任せるしかないよな。
ダメ出ししても仕方ない。

もう外に出るのもおっくうだな。
ホテルのラウンジで軽く食って、早く寝よ!
明日もまた大忙しだぞ!