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Saturday, December 31, 2011

投稿数の分析

数字がたくさん出てくると、ついつい研究者根性を出して集計したくなっちゃう。自分の行動を分析したってしょうがないんだけど。
2009年 227件
2010年 130件
2011年 93件
漸減傾向にあるが、月によりデコボコがあります。
冬(1-3月) 164件(36%)
春(4-6月) 101件(22%)
夏(7-9月)  74件(16%)
秋(10-12月)111件(25%)
冬が多いのは1月の命日効果のせいか、物悲しくなる季節なのか。逆に夏は悲しみを忘れて飛んでいっちゃうみたい。

満たされつつ満たされていない状態

この10日間、ずっと書けなかった。
旅行に行っていたし、帰ってからは2日間診療で大忙し。そして昨日は大掃除。
ブログを書けるためには微妙な塩梅が必要なんだ。

人で満たされ、仕事(やること)で満たされ、幸せで満たされると書く必要がなくなる。読む必要もなくなる。痛みを感じなくなるから。
適度に孤独で、幸せに陰りがある状況で痛みが見えてくる。適度に時間があると、それを整理して書くことが出来る、というか書きたくなる。
この塩梅をキープしておくことが、作家にとっても、Wounded Healerにとっても重要なんだ。

逆にその痛みが大きすぎると書けない。
書くこと(表現すること)って結局その部分を手放すことだから。自分がしがみつき、手放すことが出来ない部分は書けない。
それに替わるアイデンティティを持っていないと書けない。

父との往復書簡が書けたのは、僕が40歳を過ぎ、父親との関係を手放すことが出来るようになったからだ。あるいは、書くことで最終的に手放す作業を完了したかったのかもしれない。自分に必要な大切な父親役割はもう父親から得る必要はなくなった。父親はいる。でも父親はもういらない。
その本のまえがきにも書いたが、生きている優子との往復書簡は書けなかった。父親との関係は卒業したが、優子とは夫婦という関係が現在進行中だった。書くと、つまりふたりの関係を相対化すると、本音を語っちゃうと、その関係が変わっちゃうでしょ。隠しておきたいこともあった。夫婦関係は微妙な戦略バランスの上に成り立っていたから、情報を開示してしまうと関係性が変わってしまう。例えば浮気してたこと(してないけど)、昔の彼女と密かに会ったこと(会ってないけど)なんか伝えられないじゃん。伝えたら間違いなくケンカになるし、優子を失うかもしれない、少なくとも平穏な夫婦関係は一時的にせよ失うだろう。優子を失いたくないから、優子のことについて何も書けなかった。

優子を亡くしてからは、逆に一生懸命優子のことを、そして優子を失った自分の気持ちを書いてきた。物理的な優子を失ったからには、心の中の優子も空に放ち、追い出してゆかねばならない。「Tikiさん、やり過ぎ!」とまわりから心配されながらも、亡くなった直後から書き始めちゃったのは、優子なしでもやっていける自分があったからだろう。子どもたちも、両親も、多くの友人たちも、仕事も、収入もあった。心の中の優子を失っても、自分が成り立たなくなるわけではない。というか、成り立たせていかねばならない。〜ねばならない、の背後には、〜できるはず、という確信みたいなのがあったのだろう。

優子と過ごした自分のアイデンティティを手放していくために書いている。
その前提には、優子がいなくてもやっていける基底のアイデンティティをしっかり確保しているから書けるんだ。

思春期の子どもは、自立した大人の部分と、依存した子どもの部分が共存している。臨床では、際限なく子どものことを心配する親によく出会う。彼らは「子ども」を手放すことが出来ない。「子どもの親」としてのアイデンティティを再構成することができない。なぜ出来ないのか、再構成するリスクは何なのか。親自身が崩壊してしまうのか、孤立するのか。そのあたりを解き明かしながら、子どもへの不安を取り除き、自立しつつある子どもを放す手助けをしなければ。

基底のアイデンティティは子ども時代に作られる。しかし、大きくなってからでも育成できる。過去の子ども時代にミスっても、後から十分回復できる。そういう意味で、人はいつまでたっても成長し続けるんでしょうね。

さて、こんなことしていられないんだ。
ぼちぼち子どもたちが起きてくるし。
祐馬の小論文の添削もしてやらないと。
お節は何を作り、何を買おうか?
今年は年賀状さえまだ書けてないんだ!

Friday, December 23, 2011

愛されている実感

祐馬からメールが来た。

パパ早く帰ってきてね~

えっ!
、、、、そうだよな。明日はディズニーランド。お金とかいろいろあげなくちゃね。
パパは明日から海外にお出かけだから、

ズルい、パパだけ行くなんて!
だってキミたちは受験生でしょ!
だからクリスマス過ぎまでしばらく会えないね。元気でね。メリー・クリスマス!

ねえ、パパ!

普段はちょっと触れただけで大声で嫌がるのに、両手を広げてハグしてくれた。


君たちは、愛されているよ。
パパも、愛されている。
愛があれば、十分に生きていける。

愛を失うと、生き続けることがとても苦しくなる。

Wednesday, December 21, 2011

気持ちのコントロール

人間がもっともエクスタティックな、永続的で充実した生の喜びを見出すのは、自己放棄においてである。生をあらゆる意味で満たすのは、死にほかならない。
The Road Less Traveled: A New Psychology of Love, Traditional Values and Spiritual Growth by Scott Peck, 1978.

先生とゆっくりお話しできて、本当に良かったです。お話ししながらいろいろ考えました。というか、お話しした後でもいろいろ考えています。人にはコントロールできる感情の範囲があるんですね。
In Control状態か、Out of Control状態か。

大切なもの(人、健康、お金、時間、地位、、、)を獲得したよろこび
大切なものを喪失した悲しみ
大切なものを失う恐怖(かなり確実な予測)。
大切なものを失うかもしれない不安(あいまいな予測)。

喜びはいくらあっても構わないのですが、その他のnegativeな感情がある範囲を超えてしまうとコントロールが効かないOut of Control状態になってしまいます。先生も、私も体験しました。そうなるとそれを隠そうとしていろんなことが起きるんですね。
感情を抑圧する抑うつ。その反動としてのmanic状態
ドキドキ動悸がしたり、苦しくなるパニック症状。
反動としての怒り・攻撃性。
身体症状。精神症状、問題行動。
身近かな人に投影して、子どもへの不安になったり。
フロイドの防衛機制理論に近いのか。

でも、それを乗り越えられるんですよね。試練を与えられ、ハードルを乗り越えることにより、精神的な成長を達成することが出来るって、それはすばらしいのかもしれません。でもひとりっきりじゃあ難しいんじゃないかな。それを語り合える相手がいること。生の気持ちを隠すことなく生のまままな板にのせて、それをジャンプする体験。汚いものも見るのを怖がっていたら汚いままだけど、それをまな板に載せちゃえば、もう避ける必要はなくなる。向き合えるんですよ。それができるようになるってのは、精神的な成長なんですね。語る人も、聞く人も、それを達成する可能性があるってのは、素晴らしいことなんだと思います。

15年前に自分がどのような動機で、またどれほどの理解を持って精神医学の領域に入っていたのか、今思い出そうとしても難しい。(中略)ただ、精神科医には患者と心を通わせる魔法の言葉と魔法の杖があって、それで心のもつれを解きほぐすのだろう、くらいに思っていた。魔法使いになりたかったのかもしれない。その仕事に患者の精神的成長が絡んでくるとは、ましてや自分自身の精神的成長が関係してくるとは、思いもよらなかった。(Scott Peck)

精神安定剤とか抗うつ剤って薬理的に押さえ込むだけ。心の鎮痛剤。それを使っちゃうと、痛いところがどこだか分からなくから、あまり使いたくないんですよ。もちろん対症療法としてとりあえず痛みを除くためには必要だけど、根本的な解決にはならない。

恋に落ちる現象の本質は、個人の自我境界の一部が突然崩壊して、自分のアイデンティティが他者のそれと融けあうことである。突然自分が自分自身から解き放たれて愛する人めがけて激しく流れこみ、自我境界が崩壊するとともに孤独が劇的に終わりを告げる体験は、ほとんどの人にとって天にも昇るような気持ちである。自分と愛する人はひとつである!もう孤独ではない!(Scott Peck)

Thursday, December 15, 2011

腰痛

昨日の午後から腰が何となく重く痛かったのだけど、今朝起き上がろうとすると激痛が!
起き上がれない!力を入れようとすると痛い!
何とかごまかして朝食と弁当を作り、子どもたちを送り出して、老親には「ちょっと腰が痛いから整形外科に行ってくるよ!」
心配かけないつもりでも、心配する。しかたがないね。

4年前だったかな、同じようなことがあった。
学会の大会長として盛り上がり、極度に忙しかった時も同じような腰痛になったけど、大会が終わったら自然に治った。過労とストレスによる腰椎靭帯の炎症だろう。

町の医者は早い。初診だったけど、あっという間に診察、レントゲン、処方しておしまい。ご職業はと尋ねられ、
「はぁ、精神科医です。」と言うのが恥ずかしかった。
「では座ったお仕事ですね?」
「はい、身体の負担はありません」
レントゲンで骨に異常なし。椎間板ヘルニアでもなし。医学的には問題なし。いわゆる非特異性腰痛。自然に2-3日で治るでしょう。とりあえず痛み止めと湿布薬を出しておきます。
仕事前の1時間で済んでしまい、薬代も含めて3千円もかからない。日本の医療はたいしたもんだ。どこに3万円もとる医者がいるんだ!?

それじゃあ今朝の痛みは何だったんだわけ?!
医学的にいえば不定愁訴。身体に異常なければ精神的な問題でしょう。
オレの精神的問題は何だ?
やっぱ、精神科医がいちばん精神的な問題を抱えているんでしょうか?

不定愁訴じゃなくて、うろうろうろうろうろうろうろうろし過ぎやろ!
人間なんぼ何かしてる方が気持ちがリフレッシュする言っても、身体は疲れるんやで!!
釈迦に説法、医者に説法や!
ちょっと、じっとしときなさい!!

はい。すんません。

Wednesday, December 14, 2011

エンディングノート

私は上手に死ねるだろうか?

というのがこの映画のキャッチコピーだ。
「死は恐れ、忌み嫌うもの。」
という普通の感覚を乗り越え、死に向き合おうとしている人に勇気を与えてくれる。
そういう作品はけっこうあるんじゃない?河邉さんの「ホスピス絵日記」もそうだし。

勤め上げた会社を無事に退職して癌が見つかった。営業マンにとって、死=恐れ、という感情の過程以前の問題として、段取りをつけて目的を達成するものであり、人生の最後を締めくくる一大プロジェクトだった。
そんなプライバシーをすべてビデオに撮り、映画にしたのは3人の子どもの末娘。自分は果たせなかったが、冥途の土産に孫たちをプレゼントした長男家族と父親の交流を丁寧に描いている。
結局、生も、死も、生き甲斐も、「家族」なんだよな。

監督、まだ若いのです。この映画の宣伝とかやるのは、辛かっただろうと思います。監督である前に遺族ですから。

さすが、監督目線(笑)。
でも私はそうでもないと思いますよ。子どもたちを育て上げ、定年までしっかり働き上げ、やるべきことはやった幸せな人生であれば、子どもが親を見送るのはそれほど辛くないはずです。それに、喪失の哀しみは共有してくれる人が多いほど癒されます。映画をつくるプロセス自体が彼女にとって良い喪の仕事になっていたと思います。

むしろ気になるのはお母さん。娘の仕事のためだから了承したものの、自分と夫の姿が公衆にexposeされるのは相当きつかったんじゃないかな。父からオフレコにしてくれと言われても、臨終の床で母が夫婦だけにしてくれと言われてもビデオを回し続ける娘の根性に負けた感じなのかね。これも家族愛として括ってしまえばまとまりがよい。
子どもたちを外に出し、夫婦だけの会話にもカメラは残された。「いっしょにいきたい」という妻の言葉はとても感動的だし、とても官能的だったよね。済みません、変態オヤジのつっこみでした。

俺は妻を亡くした悲しみの後片付けをやっている最中だけど、オレ自身のEnding Noteも書かなくちゃ。
というか、子どもの頃に「死を発見」してからずっと向き合い、書き続けているのかもしれない。
私が向き合って来たのは死への恐怖という感性の段取りであり、営業マンの段取りとは種類が異なる。
死って一番身近なことだよね!別に避けることないよ。いつも話題にすれば良いこと。恐れないで。というか恐れてもよい、その感情と向き合うこと。
Negativeな感情と向き合うのは、精神科医(心の支援者)の得意分野だから。その素地があったから、優子を失ったnegative emotion(悲しみ)にも、バカみたいに必死に向き合ってきたんだ。

蛇足)End Noteという論文の巻末に載せる文献リストを作成するデータベース・ソフトがずっと前からあったっけ。

Sunday, December 11, 2011

ひとり温泉(まただな!)

ふう。落ち着くなあ。
松村屋の大風呂に入った瞬間、思わずため息が出た。
今日は日曜日。まる一日、仕事を終えて、新幹線の自由席に飛び乗った。東京駅で買った駅弁を食べたらもう高崎着。レンタカーで、通い慣れた道を2時間弱。9時過ぎに草津に着いた。
なんかな〜。
ここんとこ、よう気張りはりますなあ。
自分でもそう思うで!
今週は、
月曜に研修。
火曜、木曜、金曜に講演が入った。
そのまま福岡に飛び、土曜は福岡いのちの電話でまる一日研修。
今日も九時五時で相談員さんたちの感受性訓練。
みんな、疲れたでしょう〜!
体力を使うわけではない。
普段の大学でのお勉強みたいに知力を使うわけでもない。
感性を使うんですよ。ふだん使い慣れていないと、今はテンション上げているから感じなくても、おうちに帰ると、どっと疲れるよ。おつかれさま。自分にご褒美を上げてください。私は、これから温泉に行ってきます。

なあんだ、先生、研修終わって脱兎するって温泉だったんですね。
そうだよ。一番大切なことじゃん、自分の時間を確保するって。

先生、どなたといらっしゃるんですか?
なんか、かまかけてない? ひとり温泉って気持ちいいんですよ。
自分のご褒美は草津温泉です。

いろんなご褒美があるだろう。
大切なひとと一緒に過ごす。
美味しいものを食べる。
気に入った買い物。
ひとりで読書、映画。
明日はオフの日。家を奇麗にしてのんびり過ごすという手もあるだろうけど、僕には合わない。すぐに飛び出してしまう。放浪癖があるのかな。檀一雄でも読むかな。

四万温泉は父親の、そして僕の子ども時代のふるさと。
その隣の草津温泉は、我が家のふるさと。
子どもたちのふるさとを作るために、じんが生まれた年に別荘を買ったんだよね。
松村屋は、優子の友だちの有広くんのおばさんちだ。
兄の後を追ったけど東大に落ち、滑り止めの上智に行った優子は東大コンプレックスだった。
有広くんは、優子が出入りしていた東大国政研の仲間だ。我々のイギリス時代、彼はOxfordに留学して一緒にフランスにスキーに行ったり、20代後半、青春時代の延長戦を楽しんでいた。その彼に紹介してもらい、草津の家を買う前も、買った後も時々息抜きで、ここ松村屋にはよく来ていた。
その、有広くんも東大助教授時代、道なかばで他界した。
優子も他界した。
ふたりとも40代。ふざけんじゃあねえよ!!

でも、松村屋はいいねえ。落ち着くねえ〜。
大阪屋やホテル桜井や中沢ヴィレッジみたいな派手な高級旅館ではない。しっとりこじんまりと落ち着いた老舗の和風旅館。
24時間掛け流しの温泉は湯畑から直に引いている。こんなにふんだんにお湯を流して良いのかと思うくらい豊富だ。この匂いをかぐと、ホント落ち着くんだよねえ。
明日は月曜日。診療は休みだけど、夜からまたいのちの電話の研修なんだ。
でも、今日くらいしか時間が取れない。
こっちにおいてあるスキーを持ってくるという口実で、短い時間だけど、「ふるさと」にやってきた。
パパ、ずる〜い。
じゃあ、祐馬も来るか?
無理。
だよな。追い込みだからしっかり勉強しな。あとで小論文みてやるからね。
さて、もう一回、お風呂に行ってくるかな。空いてるよ。だれもいないみたい。
そして、コンビニで買ったナッツをかじって(おまえはリスか?)、ワインを飲んで、早く寝ちゃおう。
明日の朝、起きれたら、原稿書かなくちゃね。
今晩、優子と有広くんの亡霊が降りて来れば良いんだけど!

Wednesday, December 7, 2011

Soul Mate 友人の痛み

久々に心のバランスが崩れた。
仕事帰りの電車の中で涙が止まらなかった。
と思ったら、3時間後には、もう立ち直ってしまった。
そんなんで良いのか?
なんか、立ち直ってしまうことが悔しい。

友人、というか先輩格の医者仲間からメールが来た。
突然ですが、癌で入院しました。化学療法と放射線療法で2ヶ月ほどの入院になります。

U先生は何度もこのブログにも登場している。
22年前のロンドン留学時代で知って以来、家族ぐるみの付き合いをさせてもらっている。
新婚1年後、優子をおいてひとりロンドンに乗り込み、右も左もわからず戸惑っていたときに出会ったU先生は、3年か4年の留学を終える間際だった。Sohoのパブで紹介され、お宅に招いてくれたり、一緒にテニスしたり、心細い異国の生活のスタートを救ってくれた。小児科・児童精神科だから僕とかぶっている。ロンドンの情報をたくさんくれて、どんなに助かったことか。
3ヶ月後に優子を呼び寄せてからほんの2-3ヶ月後だっただろうか、U一家は留学を終え帰国した。だから、一緒にいたのはほんのわずかな時間だったのに、我々も帰国してから付き合いがずっと続いていた。家族でほぼ1年おきくらいに札幌を訪ね、新築した素敵なお宅に泊めてもらい、北海道のグルメを楽しんだり、スキーに出かけたり。子どもたちが歩きはじめる前から連れて行き、奥さんに子守をお願いして、優子とU先生と、スキーしたことも2度や3度ではない。新婚だった我々の夫婦や3人の子どもたちの成長をずっと見守ってくれた。多分、U先生と私は専門分野だけでなく、趣味や性格がかなり似ているんですよ。スポーツ好きで外向的。人と付き合うことがエネルギーの源となるタイプ。先に開業していたU先生から、開業についてもたくさんのアドバイスをもらった。
奥さんは優子より10近く上なんだよな。でも意気投合して、上京されたときには一緒にお茶したりオペラを見に行ったり。季節ごとに北海道のグルメの品を送ってもらったり。

優子の葬儀には、札幌からご夫婦で駆けつけてきてくれた。
無言で抱き合い、泣いてくれたことを昨日のことのように思い出す。
その1年後、お礼を兼ねて祐馬と一緒に訪札し、祐麻とU先生の娘さんはミスチルのコンサートへ、大人たちはグルメのお店で乾杯した。
年に1度会えれば良いくらいの頻度しか直接の交流はない。そういう付き合いが20年以上続いた。

Stage IVの進行癌。それがどういう意味か、臨床医であるU先生ご自身がよく知っている。強い治療が始まる前だから病院の個室に持ち込んだPCからメールしてきたけど、今後、副作用がどれほどになるかはわからない。「必ず無事生還しますので、どうぞご心配なく」という言葉を信じるしかない。さっそく返事が来て、お見舞いOKとのこと。日帰りでも、一泊でも、とにかく行ってこよう。


そんな詰まる思いも、帰宅してから明るい奥さんと電話で話し、子どもたちと話しているうちに和らいでしまう。そんなことで良いの?Stage IVはStage IVなんだよ!!厳しい現実は変わらないんだ。それなのに、気持ちが変わってしまうのは許せない。
妻の死は3年。
友人の病は一晩。
そんな区切りがあって良いわけ?
区切りはないでしょ!

Sunday, December 4, 2011

2年11ヶ月

来月で、まる3年になるんだ!!
早いよなあ。
三周年の記念日はどうしよう?
1年目は(まあまあ)盛大にやって、2年目は家族だけこじんまりとやったから、3年目もそんな感じだろうな。派手にやる必要はない。お墓に参って、おばあちゃんと会食して、、、、

でも、心の居間の神棚に鎮座させた優子を下してきて、一緒に遊んでいるヒマが最近とれないんだ。お墓参りは時々行くけど、もっと頻繁に行きたいほど行けないし。ふだんの生活の中で、寂しさを甦らせる孤独の空間を作りにくい。すぐに、人で埋まってしまう。
優子を失ったからこそ、得たものがたくさんありすぎる。人との関わりが広くなり、深くなったよ。それはそれで嬉しいのだけど、もっと孤独になりたい。悲しみの中に浸かっていたい。でも、悲しみを感じるのは辛い。まるで、心の自傷行為だね。表面的な痛みを求めて、根源的な痛みとすり替えようとしている。人を求め、得られたから、今度は孤独を求めようとしているんだろう。

来週の九州出張は前の晩から入るから、やっと孤独の空間を得られるかな?
なんて言いながら、またふらふら人を求めちゃうんじゃないの?