Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Friday, October 30, 2009

Fear of no intimacy

それと、人を愛して、甘えられて、関わっていける、人にエンゲージしていける能力って実は当たり前なのではなく、ありがたいこと、すばらしいことではないのでしょうか。

同感。
自然にそうできる人にとっては当たり前のことで、わざわざ詮索することもないのだけど、「なぜうまくいかないんだろう?」と悩んでいる人って結構いるみたい。

Fear of intimacy
というか、普通のお友だちのうちは良いのだけど、ある距離より内側に入ってきて自分に近づいてくると、怖くなって逃げたくなっちゃうパターンや、steadyな関係になって始めの頃は良いのだけど、お互いに深くエンゲージしていくうちに、自信なくして関われなくなっちゃうパターン。そういう男性多いんですよ。先日も、友だちとそんな話をしてました。
 よくよく彼に聞いてみると、親の姿が影響しているんだって。子どもの頃、表面的には普通の、問題ない夫婦なんだけど、実はうまくいっていない冷めた関係ということが子どもの目からもよくわかっていたんだって。そういうのが反面教師みたいになって、誰かと親密になることにすごい違和感を感じるそうです。
 そういう意味では僕はラッキーだったのでしょう。子どもの頃、両親はくだらないことでケンカもしてたけど、基本的にはしっかり親密だったから、僕も優子との親密性を違和感なく獲得していったのでしょう。優子の親もそうだったみたい。
すごいケンカしても、その後仲良くなれる姿を見せるって大切じゃないかな。ケンカするってのも、すごいエンゲージだし。
ケンカできない夫婦もたくさんいますよ。

だから、僕の場合は、逆で、
Fear of not having intimacy
つまり、親密な関係が欠如していることが辛い、要するに寂しがり屋なんですね。
精神的に自立していない甘えん坊と似ているけど、ちょっと違うんですよ。
ひとりでも、生きていくことは可能です。
堪えようと思えば堪えられるかもしれないけど、ただ、辛いだけかな。

Thursday, October 29, 2009

ひとりの時間

電車の中でブログネタを書くことが多い(今も、そうだが)。
ひとりになれる時間
家の居間の隅にある書斎コーナーで、PCに向う。子どもたちが寝静まった深夜か、起き出す前の早朝なら可能なんだけど、ついつい、他の用事を思い出したり、集中しにくいんだよな。
大学の研究室は個室で、机とPCと本棚に囲まれ、研究に没頭する環境にあるはずなんだけど、そうでもない。
人が押し寄せてくる。寂しがり屋の僕は、ひとりよりも人といる方が落ち着くので、秘書に学生、相談員さん達。常時5-6人は居るかな。
仕事が押し寄せてくる。授業に学生指導。それに雑用の多さ。自分の好きでない仕事=雑用、と呼ぶのだが、会議類が多いのには閉口する。
だから、結局、家や職場ではなかなかひとり自分と向き合う時間を作れない。

むしろ移動中の電車の中が良い。
時間が短くても、まわりに人が居ても、ひとりになれる。他の用事もできないので案外集中できる。
JR中央線(東京駅-職場の国分寺)往復は通勤ラッシュと逆方向なので必ず座れる。本を読むか、睡眠か。でも最近はノートを取り出しモノを書くことが多い。車内でブログの下書きをして、後でPCに打ち込む。そういう時は、結構アイデアが出てくるんだよね。家や職場よりも文章がスラスラ出てきて、後で読み返しても、結構文章が走っている。iPodで好きな音楽を聞きながら、モンブランの万年筆を使えば最高だね。

もう少し長い時間ならノートPCを持ち込む。
新幹線は良い感じかな。大阪や仙台くらいまでなら集中力も途切れない。
特に、東海道新幹線の新型車両にはACコンセントや無線LANを使えるから、移動オフィス感覚だ。
もっとも、自分と向き合うためにはネットはない方がよいかも。ついついメールをチェックして、より集中力の要らない雑用に走っちゃうから。

飛行機も良いのだけど、座席が狭いからちょっと厄介だ。それに離着陸は使えないし、途中で食事が回ってくるから、案外落ち着かない。
欧州やアメリカなどのLong Haul Flightは、時間がたっぷりあるのだけど、ずっと集中するのは難しい。まずい食事をごまかすためにワインなんか飲んじゃうと、結局寝ちゃうし。
どうしても集中したければ、ワインを絶ち、あらかじめローカロリーメニューを注文しておけば、一番初めにスッチーが持ってきてくれて、(思いっきりまずいけど)満腹にならないから、仕事に集中できる。

チャリで通勤している時も、大切なひとりの時間だ。頭は自由なので、おっ、これブログに書けるじゃん!、研究に使えるじゃん!、というアイデアが結構浮かんでくる。覚えて置いて、後でノートにメモする。だから、チャリ用バックの中にはいつも小さなメモ帳とペンを入れている。
でも、時々忘れちゃうんだよな。2-3個アイデアが続けて出てきた時など、頭の中で漠然と浮かんだだけなので、始めの方のやつを思い出せない。なんか、もったいないと悔やむのだけど、また別の瞬間に出てきたりして。

人によっては、寝床の中で発想が出てきたりするらしいが、僕は寝床に入るとすぐに寝ちゃうからダメだ。でも、優子を亡くした直後しばらくは、夜なかなか寝付けず、早朝覚醒してしまい、どうしようもなかったので、よくブログを書いてたりしたよな。

Wednesday, October 28, 2009

精神科医に求められるもの

Pさんが我々の年代になって、今までなさってきた○○科から精神科に転科するのは、ある意味、とても賢い選択だと思います。○○科が体力や的確な判断力、技術力などを使うとすれば、精神科は習得すべき知識や技能ははるかに少ないし、体力もそれほど要求されないから、一見とっつきやすいです。しかし、実は奥がとても深い分野です。他の分野ではそれほど要求されない医師自身の人生経験や感性を主に使うからです。

私の経験からアドバイスさせていただくとすれば、まず自分さがしを十分に整理したらよいということです。

私も含め、精神科を志す人は多かれ少なかれそういう動機を持っています。
自分が何者で、どうやってここまでたどり着いたか。そこを十分にクリアしておかないと、自分が秘めた精神構造と患者のそれがごっちゃになってしまうんですよ。
そのためにも、個人的なsupervisionを受けられたらよいと思います。医局や病院では、そこまでは難しいでしょう。僕もいろんな機会を利用して受けてきました。今も継続して受けています。ご希望でしたら、具体的にご紹介しますよ。

精神科は診断・治療に関する理屈や知識ではないんですよ。本を読めば、さまざまな○○理論があるけど、それを深く理解したところで患者さんを治せるわけではありません。自分の心情や自己理解をどれだけ深めているか、ということが最も大切だと思います。

患者さんを診断するために、身体医学のような客観的データは一切なく、治療者の主観的観察のみがデータとなります。そこには、観察力の正確さよりは、豊かさが求められます。患者が語り、表現する内的体験をどう受け取り、どう意味づけするか。その際には、必ず自分自身の体験を基準枠として、そこからのズレを有意な情報、あるいは異常として感知しているのだと思います。
自分自身の体験自体が曇っていたら、いくら診断学を学んだってダメです。自分という主体が相手を知る時には、必ず自分独自のレンズを通します。まったく曇りがないレンズはありえませんね。多少、色がついていたり、歪んで見えます。自分のレンズは無色透明で、正確に対象を映し出しているんだなんて考えている人ほど危ないわけですね。病識がないというか。
自分の持っているレンズの色の付き具合、ゆがみ具合をちゃんと自分自身で把握できているか。つまり、自分の感情の動きをモニターできており、それが自分の人生体験のどの部分と、どう関連しているのかということを理解してなくてはなりません。そこまで自分自身を見つめ、深めることができれば、クライエントの体験も、無理なく深めることができます。逆にいえば、自己の体験を深められなければ、クライエントの気持ちを深めることもできません。誰でも心のふたを開け、その中の気持ちを深めようとすると抵抗しますからね。その違和感・不快感をどう乗り越えるかということは、治療者自身がそれを体験していないと、わからないことだと思います。

あえて整理しなくても、こういうことは自分自身わかっていらっしゃるかもしれません。普通の人は、それで十分なんですよ。でも、患者さんの心を支援する専門家は、さらにその一歩先まで深めなくてはなりません。自己の体験に言葉を与え、信頼する他者に向かって言語化する体験が大切だと思います。その困難さ、表現した時の、自己が崩壊する感覚、そしてそれが他者に受け止められ、カタルシスとともに再生する体験なんです。けっこう難しいですよ。ひとりじゃできませんから。協働してくれる人を見つけなくてはなりません。

表面的な症状を記載すること自体は簡単だから、短時間の研修でも、操作的診断マニュアルに当てはめて診断し、適当な薬を処方することはできます。でも、それを人間的に理解できないんですね。
こういうことは、いくら偏差値が高くて頭脳明晰なお医者でも、若い頃は無理だと思います。僕もこんなことを考えるようになったのは40歳を過ぎて、いろんなスーパービジョンやグループワークを体験してから考えたことなんです。だから、20代の医学教育に含めるのは無理で、自己努力でやらなきゃいけないんですよ。日本ではそういう体勢もほとんどできてませんからね。僕の体験の多くの部分は海外での研修やワークだったりするんです。

そういう意味でも、この歳から心機一転、精神科を始めるPさんには、ぜひ、このあたりのトレーニングも含めて考えられるとよいと思います。

Sunday, October 25, 2009

この顔はオレだ!


「いとしい女房」を失った長門裕之の表情を新聞で見て、そう思った。
始めの1-2ヶ月は、泣いたらホントにこんな顔してたんじゃないかな。
さすがに、今はもうこんな姿は見せないよ...いや、わかんないよ。一周忌ではまたこうなっちゃうかもしれない。

でも、心の中は、まだ変わっていない。
全然、忘れられないよ。

気持ちが詰まってくる

だんだんと、気持ちが詰まってくるんだ。

毎年、秋は週末がほとんど仕事関連で埋まってしまう。
大学の入試監督や講演、研修、出張などなど。
秋は祝日も多いから、すべての休日がつぶれるわけではないが、何だかいつも仕事をしている感じ。
いくら忙しくても、身体はぜんぜん疲れない。
精神的にも「疲れた!」という疲労感ではないんだ。何かで心の中がパンパンに詰まってきてしまうような感覚だ。
子どもたちと過ごす時間が少ないからかな。
昨日の土曜は祐馬の学芸会。
合唱でクラスが優勝したんだって!
でも、父親は参加できなかった。
じんは体操教室。
ちゅけはバレーの班活。祐馬は水泳。
3人とも週末も元気に運動しているよ。

昨日の土曜日は、子どもたちが起きる前に仕事に出かけた。
ちゅけが冬の洋服欲しいんだって。
じゃあ、パパが仕事を終えたら電話するから駅で待ち合わせよう。3人で、バスに乗って来れるだろ!?
駅ビルのユニクロで待ち合わせて、セーターとジャケットを買った。
その後、どこかで美味しいものを食べようか。
駅近のタパスタパスにしよう。
ママともよく行ったよね。
じんはいつものマルガリータピザ。ちゅけはスパゲッティの大盛だ。
美味しいけど、なんかまわりがうるさくて落ち着かないね。隣の人たちはタバコ吸ってるし。

今日は、これから西魔女に会いに行く。
夜は、また子どもたちみんなで食べよう!
じんはすき焼きをリクエストしたけど、もう一度、イタリアンにしようか。今日はパパが作るから。
家でゆっくり。昨晩のリベンジだ!

そうすれば、パパもきっと気持ちがすっきりするよ。

Wednesday, October 21, 2009

韓流プルコギ弁当


焼き肉用に、韓国で買ってきたプルコギ・タレ(日本でも売ってるよね?)と本場のキムチ、それに冷蔵庫に残っていた野菜(ピーマン、玉ねぎ、ナス)を加えて炒めただけ。刺激が強くて美味しそうでしょ!

祐馬曰く
パパ、毎日お弁当にお肉ばかり食べていたら身体に悪いよ!

Tuesday, October 20, 2009

house warming

Ryoko夫妻がオーストラリアから帰省して、週末に家に来てくれたよ。
ついでに、昔一緒に過ごしたJASC仲間にも声をかけ、4人くらい集まってくれてね。

でも、仕事で忙しく部屋を片づける暇がない。仕方がないか、散らかったままでも、これが現状だから
、、、と思っていたら、頼みもしなかったのに、ちゅけが掃除をしてくれた。
「これじゃあ、きたなくて、どうしようもないでしょ!」
そうだよな、ちゅけの言うとおりだよ。ありがとう!!助かった。

持ち寄りで買ってきたお寿司やチーズとワインを広げて、小さなhouse warming。
思えば、この家を新築した15年前にもみんなhouse warming partyに来てくれたよな。集まるのはその時以来だよ。優子の話をネタに楽しい晩を過ごした。

子どもたちは食べるだけ食べ早々に子ども部屋に引き揚げるかなと思ったら、そうでもない。居間に残りみんなと案外楽しそうに話している。日本語ペラペラのだいちゃん(オージーはDavidをダイビッドと読む)とも、日英チャンポンでよくしゃべっている。

僕)パパのお友だちが来るよと言ったら、子どもたち『え~、また~?』とかイヤがっていたんだよね。
ゲスト)親のお客さんなんてそうだよね。なのに、こうやってこの場に一緒にいるだけで、えらいよ!」
祐馬)えー、でも...
だいちゃんの子どもたちは、パパのことを恐いけど、本当は好きなんだって。
ゲスト)パパのことどう思う?
祐馬)しまりがない!
みんなで大笑い。
ニュアンスをダイちゃんに説明するの、苦労したよ。
じんは、9時前に早々に寝ちゃったけど、ちゅけと祐馬は結局、最後までお客さんたちと付き合った。

みんなを送った後、
僕)たくさんおしゃべりできて楽しかったね!
祐馬)うん。でもねえパパ、祐馬が言ったことみんなに全部バラさないでよ。イヤとか言ったら失礼じゃない。恥ずかしいんだから!
僕)いいじゃん、子どもはみんなそんなもんだって言っていたし、話してみたら楽しかったでしょ。だからイヤな気持は変わったんだし。
祐馬)そういうの、イヤなの!!もう人の気持ちがわからないんだから。ママもそうやってパパが人にすぐ言っちゃうことを怒っていたでしょ。祐馬、知ってるんだから。
僕)へぇ~、よくパパとママのこと観察していたんだね。

祐馬)でもさ~、ね~、オーストラリアに行きたくなっちゃった!
僕)そうだね、いつでもおいでと言ってくれたよね。
祐馬)とか言って、そのうちごまかして、忘れちゃうんでしょ。

みんな、後片付けどころか、散らかっていた台所まわりを、ピカピカにしてくれちゃったよ。こんなの、優子がいなくなった直後の保育園ママさんたち以来だ。

またこういう集い、やりたいね!
ぜひやりましょう。
ママもきっと僕らの姿を見て、微笑んでいるよ。

Sunday, October 18, 2009

寂しさの恩恵

Tikiは、ブログで寂しがりやだから人に囲まれていたい、って書いてるけど、呼んでもらっている私たちもTikiの寂しがりやの恩恵いっぱい受けている、っていうわけです。

そう言ってくれるのは嬉しいのですけど。
僕としてはドキドキ・ハラハラの綱渡り状態なんですよ。
確かにこうやって、寂しさのエネルギーをうまく利用してプラスに持っていくことは可能だと思うんです。
でも、ひとつ間違えたら恩恵迷惑になっちゃうからね。
寂しさの出し方の問題かな。
出しすぎす、ひっこめすぎず、蛇口を調整して、ちょうどよい分量を出すって難しいんですよ。

ひっこめすぎると、寂しさのエネルギーが自分の中にこもっちゃって、身体の中がパンパンになっちゃうんですよ。すると身体症状や精神症状(うつ状態とか)、あるいは逸脱行動に走ったり。

逆に、出しすぎると、人に迷惑をかけちゃうんですよね。期待しすぎたり、依存したり。だから、十兵衛さんみたいに、普段は遠くにいて、ネットだけとか、たまに会うだけくらいのほうが安全かもしれないよ。

Tikiは、ブログで寂しがりやだから人に囲まれていたい、って書いてるけど、呼んでもらっている私たちもTikiの寂しがりやの恩恵いっぱい受けている、っていうわけです。その証拠か、ブログを読んで大泣きした後、しばらくすると何故か安心感があります。人って本当に素晴らしい...ってじんわりします。これって何なのかしら、やっぱり、人だから・・ですね。

泣くって感情表出でしょ。
そのときは辛いけど、出しちゃった後は気持ちが楽になりますよね。
ゲロと似てるな。
子どもたちが小さい頃、マクドナルドのハンバーガーを食べて長距離ドライブしたら、ちゅけが車の中で吐いちゃったんですよ。それを見ていた祐馬が泣き出し、連鎖的に吐いちゃって。以来、子どもたちはマックが嫌いになりました。

詰まっているモノ(感情)が解放されるって感じでしょうかね。カタルシスcatharsis(感情浄化)とも言います。
ひとりでも泣けるよね。小説とか。
映画だとストーリー展開に加え、音とビジュアルが入ってくるから強烈だよね。
音楽でもあるかな。僕はミス・サイゴンのテーマを聞くとミュージカルで見たシーンを思い出して泣いたり。
祐馬はミスチルを聞いて、歌詞で感じてるって。
僕は歌詞よりも音そのものかな。20年以上前に青年の船に参加して、フィリピン沖を通過した時、大戦戦没者の洋上慰霊祭をやったんですよ。花束とお酒を海に捧げたところまではよかったのだけど、ボ~~~っという低く長い汽笛には参った。なぜか意味なくボロボロ涙が出てきたのを覚えている。

散歩していたり、チャリ通勤していたり、ブログを書いていても、時々ひとりで泣けてくるんですよ。
それなりにカタルシス効果はあるんだけど、誰か見守ってくれる人がいると効果倍増だよね。
さらけ出しちゃった自分の本性を受け入れてくれる、認められた、自分が肯定されたという感覚かな。

以前、映画館でクイールを見終わり、祐馬と顔を見合わせたら、お互い涙でボロボロだったね。
祐馬は「パパ、きもい!!」とかブーブー言ってたけど、パパはすごく何かを感じたよ。

クリニックでも、よく患者さんを泣かしているもんね。べつにイジメてるわけじゃなく、その反対のこと。
泣いてくれた時は、マッサージ屋じゃないけど、感情のツボをうまい具合に探し当てたな、シメシメという感じ。そのあとは、たいてい治療効果が上がるんですよ。

ケイさんとは現実でも接点があるから、よけい共感しやすいよね。これがもし知らない人のブログだったら、そう大泣きはしないんじゃない?
ケイさんが僕のブログで大泣きして、安心して、そのことを僕が知って、また安心するんですよ。
見守られているという安心感。

そうやって、ひとつひとつ、繋げていくことなんでしょうね。我々ができることは。

Friday, October 16, 2009

濃密な時間

韓国まで2泊3日の研究会に行ってきた。
僕が主催したのだが、日本・韓国・台湾から4名のeperienced family therapistsが集まり、各国で社会問題になりつつある「ひきこもり」の事例を紹介し合う。昼間、息抜きに観光もちょっとしたけど、基本的には朝から夜遅くまでホテルの広めの部屋に缶詰めになり、議論し合う。ひきこもりは日本特有の問題なんですよ。他の国にも同じような現象は見られるけど、日本ほど大きな問題になっている社会はない。そこに、最近、韓国や中国文化圏でも問題になってきている。国内の研究者だけが集まって、同じ文化の枠組みの中で話し合っていると気がつかない文化的前提も、違う立場stand pointsから話し合えるので、なぜひきこもりが日本に多いの、という文化的前提まで掘り下げることができる。
 また、以前(構造主義)は、科学者(セラピスト)が中立で客観的な立場が必要とされたが、最近(ポスト構造主義)では、そのような立場をとらず、セラピスト自身の物語も必然的に関与しながら語る中で、対象(たとえば「ひきこもり」)の(真実ではなく)物語が見いだされていく。
 したがって、研究対象の事例を話す前に、我々の個人的(文化的・ジェンダー的)体験を話し合う。今回集まったメンバーはすでにこの1年間ほどの間に3回集まっており、十分に親しい。特に優子が亡くなった翌月に集まったーメンバーと同じだ(2月3日「やっとひと月」参照)。今から読み返しても、ひと月後に、よくこんなこと出来たなあ!!その後の僕の経過なんかも話して、お互いに安心して話し合える信頼関係をしっかりと作る。
 ふつうの学会だと、自分のやってきたことを短い時間にまとめてさらっと紹介するだけだが、この研究会は、話し合うプロセス自体が研究対象となる。じっくり深めた会話を録音、テープ起こしして、さらに分析するんだ。

 帰ってきた翌日はクリニックで患者さんと向き合う。
 ある、うつ病の20代女性は、自分が親から見捨てられるかもしれないという不安を僕に話してくれたのだけど、その気持ちを怖くて親に伝えることができずにいた。
「大丈夫、私がついているから、話してごらん。きっとわかってくれるよ」
付き添いで来ていた母親を診察室に呼び入れ、女性は打ち明けることができた。

 こんなことばかりやってるからなあ。これは職業病ですな。
 あいまいな部分を深く突き詰め、言語化してはっきり浮き出すことによって問題を解決しようとしてるわけですよ、結局。

新婚旅行


済州島は韓国国内や日本からの観光客がいっぱい。
息抜きに済州民俗村博物館を訪れた。新婚旅行風の若いカップルが花壇の前に三脚を立て、自分たちの姿を仲睦ましく撮影している。
そう。この思い出は一生ものだからね。大切に心に刻んでおきな!!

出かける時、成田空港の出発ロビーで、偶然教え子に会った。優子の葬式にも来てくれた子だ。
「センセー、びっくり!」
「えー、奇遇だねえ!」
「今、新婚旅行から帰ってきたんです!紹介します、ケンタロウです。」
「え、ホント?おめでとう。よかったじゃん!でも、これからが本番だからね。がんばってね!」
「ハイ!!」

良いなあ、こういうの。
優子がいなくても、僕らのその時代は、しっかり心に残っているよ。
(というか、いなくなっちゃったから、過去を振り返るしかないんですけど...)

Sunday, October 11, 2009

Wedding Banquet

Tiki,
1日遅れ。気の利いた言葉はみつからないけど、ただ読んでますよ、二人のこと考えてますよ、と伝えようと思って。

竹橋会館だったけ?
皇居のお堀を臨む綺麗な会館だったよね。

そう。よく覚えてくれてるね。今は、KKRホテル東京と呼ばれているんだけど。
開宴の乾杯とともに、それまで締まっていたカーテンが一斉に上がり、皇居の東御苑を一望に見渡せるという演出でした。

赤地に金の刺繍を施した内掛けの優子ちゃんも可愛かったけど、ウエディングベールにつけられた生花にうまっちゃいそうだった優子ちゃんの姿が今でも目に浮かびます。なんかすごく可愛かったんだよね。お花の重みを小さい身体で必死で受け止めてるような、少女みたいな。その隣にいるTikiも、いつになく目がくりくりっとしてどこか少年のような初々しさが!

この写真、高校山岳部の仲間が撮ってくれたんです。まだ、23歳だったもんね!
僕は30歳になり、すでに友だちの結婚式もたくさん知っていたけど、優子にとっては友だちの中で一番早かったのかな。
でも、仲人は自分の趣味で、暗記した二人のプロフィールを延々と1時間くらいしゃべるし、仲人と仲が悪かった主賓の教授は大幅遅刻するし、内心は演台の上で気が気じゃなかったです。

一緒にいたJASCの男性陣からちょっとヤキモチに似た発言を聞いてしまった。まあ、しょうがないよね。Tikiが勝っちゃったんだもんね。タキシードのTikiが誇らしげだったのが印象に残っています。

ハハハ。
今だから言えるけど、その頃はお互いにいろいろドラマがあったみたいね(特に優子は)。
映画「卒業」みたいにならなくてよかったよ。

 二次会のお開きに、「え~、ホテルニューオータニにスイートをとってありますので、皆さんどうぞ来てください!」とTikiが挨拶。お値段のはるスイートって二人きりになるためにとったんじゃないの?そこへ人を招待しちゃう新郎なんて、未だTikiしか知らないです!
 ウェディング・バンケットっていう映画で、宴会直後の中国カップルの部屋にマージャンもって仲間が押しかけるシーンを観た時、そういえばTikiは自ら仲間を招待していたな~と思い出しました。

 そう、みんなを招くためにスイートとったんですよ。そういうノリで、朝までみんなと騒いでいたいなって。どうせ、その後、ハワイの新婚旅行でたっぷりふたりっきりになれるからね。
でも、みんな気をきかせて終電前に帰っちゃったんですよ。
残念、、、ってつぶやいたのが、結婚後、一番初めのケンカでした。
そりゃ、そうだよね。花嫁にしてみれば朝早くから衣装を着せられ緊張して、たくさんの人たちの視線を浴びて、疲れ切っていたでしょう。早く休みたかったはずです。

ハワイではその分、のんびり、ゆっくりできたんですよ。
でも、ドライブで寄ったハナウマ・ベイの長い階段を優子が登り切れず途中で止まっちゃってね。この当時から心臓には問題アリだったんです。
帰って来てから精密検査とバイパス手術をして、翌年から3年間ロンドンへ行き。
ロンドン滞在中にもちょっとおかしくなって、ステント手術を追加したんですよ。
帰国してから子どもを3人作って、育てて、仕事もして、、、、
優子もよく頑張ったよね。
淡々と過ごした21年間だったけど、振り返ればずいぶんドラマチックでした。

Tikiは、ブログで寂しがりやだから人に囲まれていたい、って書いてるけど、呼んでもらっている私たちもTikiの寂しがりやの恩恵いっぱい受けている、っていうわけです。

そう言ってくれると嬉しいのですけど、僕としては恩恵のつもりが、いつか被害に変わりやしないかと、心配なんですよ(笑)。

Saturday, October 10, 2009

結婚記念日

Pさん、メールどうもありがとう。
今日は、22回目の結婚記念日だったんですよ。
体育の日。

こういう日は、どうしても思い出してしまいますね。
仕方がないので、メールに気持ちを書かせてもらいます。

たしかに、ご指摘の通り、僕は今まで、比較的効率よく人生を進めてきたかもしれません。
そりゃ、曲がっているよりは、真っ直ぐの方が良いですし、好き好んで曲がる人はいないでしょう。でも、結局、どっちの筋道を進むのかってのは途中経過であって、大切なのはどこに行き着くかってことなんですよね。僕は、今までが真っ直ぐだった分だけ、この歳になって、それが失われることをとても恐れているんだと思います。いまさら不幸になるなんて、ありえない!ってね。精神科医をやっていれば、幸せが簡単にひっくり返ってしまう例なんか、たくさん見てきているはずなんだけど、いざ自分のことになると、ダメですね。全く冷静でなんかいられません。

確かに、僕は基本的にすごく寂しがり屋なんだと思います。
外向的で、人と一緒に居るのが好きな僕は、それが崩れるとパニックになるんですね。
もともと、ひとりが好きな人だったら、そんなに寂しがることもないのかなって思います。
いまさら僕が内向的性格に変われるわけないし、こうやって、寂しがって、人を求めようとジタバタするしかないんですね、きっと。

そうですか、心の中で共存させることは可能ですか。
それを聞いてホッとしました。
まだ無理だけど、もうしばらくして(どれくらい待つかわからないけど)、就職活動を始めたら、ふつうにしてればいいんですよね。無理に優子を消さなくても、そっと心に置いておけばいいんだ。
まあ、今からそんなことをグジャグジャ考えてもしかたがないし、実際はそう理屈どおりにはいかないのでしょうけど。

ホント、人生がこういう展開になるなんて、想像の域を越えてましたよ。
客観的に振り返れば、優子の心臓は問題アリだったのだから、こういう状況も十分想定できたはずなんですけど(医者のくせして)。考えたくないことは、完全に意識の外に置けちゃうみたいです。

Wedding Anniversary

MKP brothers,

I need your help.
This is nothing urgent nor emergency, but something bugging me all the time.

Data
Today is my 22nd wedding anniversary with 優子.
I am writing this in 新幹線on my way back from 仙台. I had to work all day today (Saturday).
Eugene got a fever yesterday, and he was still sick when I left this morning. I got a phone call from my parents, and found him to be a swine flu. I excused from my work commitment, and hurry back to home.
All the three kids got fever sometime during the week. I did not have enough time to stay with them and take them to a doctor. I have to depend on my parents to look after them. Zen is old enough to take care of himself, but Eugene is not.
I will be off to Korea for three days next week for my research meeting. It is a kind work I would enjoy, but I will be away from my family.
I have been away from our i-group quite some time. I've got too many works to be involved to come to the meetings.

Judgment
I still cannot achieve my long standing intention to cut my workload and to stop being in the middle of a washing machine. I did manage to cut out some of my work assignments since I lost 優子, but still many new projects to come.
Having said it, I have improved the quality of my work. I used to accept every kind of offers, but now I have learned to say NO and only choose the ones which deserve. But I still do not have enough time to spend with my kids. I also want more time to be in touch with my deep feeling. I am always occupied with either my work or my family, which I enjoy both. I can be left alone to reflect myself only when I am in the long ride train or at the group with you.

Feeling
優子is still very alive inside of me. I think about her a lot with the great pain. She is like air I breathe. I do not think about it when it is there. I become very aware of the lack of it when it's gone. I mourn its loss, and feel like choking. I wanted to celebrate our 22nd anniversary of our marriage, but she is gone in the wind. I feel it is no use to think about her, and want to release her from my memory, which I cannot. I cannot breathe if I hide this feeling. The only thing I can do is to talk to you like this and place it at the top of my sword.

Wants
For myself, I want to share this feeling with you.
I want to spend more time with children.
I want control my work load and stop being in the washing machine which never stops.

For the warrior brothers, I want you to be connected with me. I feel sad that I cannot meet you as much as I want, but still your spirits means a lot to me.
I am thinking about how I may organize the one year memorial ceremony. I am not sure yet when and how. Should it be on January the 3rd? It is during the New Year holiday, and many people may come, but I don't know it is the proper time to mourn during a happy holiday season. Could it be before the date (e.g. last week of December), or after the holiday season (like second week of Jan.)
I want her memorial to be non-religious like the funeral. One possibility may be to make the circle with my family to draw her spirit into the circle so that we can directly talk to her. I want you to be present and help us for the ritual just like we did at the funeral. This is just one possibility, and I have not decided yet. At this moment, I just wanted to share with you what I have on my mind.

Thank you for being with me.

Thursday, October 8, 2009

放出系

ケイさん、メールありがとう。
そうやって、こっそりブログ読んでくれていて、メールくれるのが一番ホッとするんですよ。
お返事を書くことで、溜まった気持ちのドブさらいができるから。

無理して頑張っているわけでも、してるわけでもないんです。
みんなの前で、心の痛みをしゃべっちゃうことも、
普段、能天気に明るくしていることも、
ブログに悲しみを乗せていることも、
自然に出てくるものを出しちゃっているだけなんですよ。

僕は放出系なんですね、きっと。
悲しんで、感情を表出することも、
明るく振舞うことも、
感情を身体(筋肉)に乗せて、(暴力ではなく)チャリやスポーツに放出することも。
それらのプロセスを経て、悲しみのエネルギーが消化されていくんですよ。

ただ、条件があって、出しっぱなしではダメなんですね。カラの空間に出しちゃうと、自己が崩壊してしまうんです。それをしっかり受け止めてくれる人がいないと。
それは、テニスの相手だったり、ゴルフコースのホール(穴)だったり、
僕のオヤジギャグを受け止めて、シラケてくれる人だったり、
ブログを読んで泣いてくれる人なんです。

放出しないと溜まっちゃうんです。
それを抑え込もうとすると、全部のチャンネルを締めなければならない。
悲しみというチャンネルひとつだけを締めて、他のチャンネルを開けておくのは無理です。
開いた方のチャンネルから、抑え込んでる気持ちが漏れてきちゃいますから。
もし、すべてのチャンネルを閉じると、喜びも、意欲も、運動するエネルギーも、すべて締まります。それが、抑うつ反応(うつ状態)なんですよ。しまいには、いのちそのものさえ締めなくちゃならなくなります。そういう人たちに、たくさん会ってきましたから。

僕の場合、それはあり得ないんです。
Extrovertな僕は、
内へのひきこもり系ではなく、
外への垂れ流し系なんです。
ひとりでいるのを好む人は前者。
僕は、誰かといるのを好む人なんです。
前者は、内へ貯め込むので、自分が困ります。
後者は、外へ垂れ流すので、まわりの人が困ります。
まわりの人、気をつけて下さいね(笑)!

p/s これが、僕が考える相談活動の基本でもあるんですけど。

Monday, October 5, 2009

The Perfect Day??

日曜日
07:00 起床。ちゅけのお弁当づくりと朝食。
09:00 近所のゴルフ練習場で二箱(100球)打つ。うまく飛ばず、コーチに指導を受ける。
11:00 友人が申し込んでくれた区営のコートで友人4人で2時間ぶっ続けのテニス。足がつる寸前。
13:30 保育園のバザーに子どもたちと行く。保育園時代のお父さん・お母さんたちと交流。ビールと、板前のお父さんが作った本格沖縄そばの昼食。
15:00 またゴルフ練習場で100球打つ。全身くたくたの方が、力が抜けてうまく飛ぶ。
16:00 近所の床屋でさっぱり散髪。
17:30 風呂に入り、念入りにストレッチを2ラウンド。固くなった筋肉をひとつひとつほぐす(村上春樹風)。
18:30 子どもたちの食事をおばあちゃんに頼み、大学の親友夫婦とその友だち夫婦、計5人でイタリア料理の会食。閉店時刻までおしゃべりに花が咲く。
22:30 11時まで営業している駅近くのスーパーで、明日のお弁当用に3割引きのお惣菜を買う。
23:00 帰宅すると、上の子ふたりはまだ起きていた。
23:30 さらにストレッチを1ラウンドして、就寝。

--------

人は、困難に直面すると、元来持っていた傾向を強めることによって、それを回避しようとする。

本人は、それで救われると考えるが、そのことが必ずしも良い結果を生むとは限らない。
たとえば、思春期の子どもが困難に直面すると、母親は保護を強め、父親は厳しさを強める。その結果、母子密着と父親疎遠がさらに強まり、子どもは余計自立が難しくなる。

僕の元来の傾向は、身体を動かすこと(身体的なカタルシス)と、人と交流すること。
それが良い結果を生むか否か、本人は客観的に判断することができない。

------------
下記は、友人がネットで見つけ、転送してくれたジョーク。なんか、似てるなあ。
ブラック・ユーモアの中にも、ジェンダー差が見えておもしろい。

The Perfect Day for a woman:
08:15 Wake up to hugs and kisses
08:30 Weigh in 5 lbs lighter than yesterday
08:45 Breakfast in bed, freshly squeezed orange juice and croissants
09:15 Soothing hot bath with fragrant lilac bath oil
10:00 Light work-out at club with handsome, funny personal trainer
10:30 Facial, manicure, shampoo and blow dry
12:00 Lunch with best friend at outdoor cafe
12:45 Notice boyfriend's ex-wife, she has gained 30lbs
13:00 Shopping with friends, unlimited credit
15:00 Nap
16:00 3 dozen roses delivered by florist, card is from secret admirer
16:15 Gentle game of Tennis, followed by a soothing massage
17:30 Pick out outfit for dinner, primp before the mirror
19:30 Candlelight dinner for two followed by dancing
22:00 Hot shower (alone)
22:30 Make love
23:00 Pillow talk, light touching and cuddling
23:15 Fall asleep in his big strong arms

The Perfect Day for a man:
06:00 Alarm
06:15 Blow-job
06:30 Massive dump while reading sports section of The Sun
07:00 Breakfast, bacon, sausage and eggs, toast and coffee
07:30 Limo arrives
07:45 Bloody Mary en-route to airport
08:15 Private G4 to St Andrews, Scotland
09:30 Limo to St Andrews Golf Club
09:45 Golf
11:45 Lunch, burger, chips and ketchup, 3 Beers
12:15 Blow-job
12.30 More golf
14:15 Limo back to airport (more beer & en-route Blow-job)
14:30 Private G4, to Glasgow (nap)
15:30 Late afternoon Guinness drinking with all female (topless) crowd
17:00 G4 back home, massage & hand job en-route by naked girls
18:45 Shit, shower and shave
19:30 Dinner, even more beer, 20 oz. Steak
21:00 Brandy and Cuban Partagas cigar
21:30 Sex with three women
23:00 Massage and Jacuzzi
23:45 Bed (alone)
23:50 12 second, 4 octave fart, dog leaves the room
23:55 Giggle self to sleep.

Saturday, October 3, 2009

9ヶ月目

今日は月命日だってこと、昨日まで忘れていたけど、やっぱり覚えていたよ。今日は、久しぶりに家でゆっくりできる週末なんだ。

Q) 9ヶ月目の心境はどうですか?

いや、だんだんと回復してるよ...
なんて言えればいいのだけど、今までの毎月3日前後のブログを読み返してみても、あまり変わってないみたい。始めから生活はどうにか成り立っていたし、心の痛みも相変わらずだね。
でも、あえて言えば、痛みの質が変わってきたかも。
悲しみから寂しさかな。
悲しみ=優子が居た状況から居なくなった状況への変化に対する喪失感。
寂しさ=優子が居ないという状況そのものに対する孤独感。

Q) Tikiは幸せですか?

幸せのわけ、ないだろ!
じゃあ、不幸か、といえばそうではないことも確かだ。

Q) 優子がいた時は、幸せでしたか?

今から振り返ればそうだったろうけど、その時は、そんなこと考えなかったよ。
要するに、今に比べれば幸せだったということかな。

あと3ヶ月で一周忌だ。
どんな風にしようか、思案しているんだ。
どこでやるか。だれを呼ぶか。どんな風にやるか。
身内の親族だけにするか、優子のことを悼んでくれる人をお誘いするか。
僕としては後者がいいのだけど、子どもたちやお義母さんの気持ちはどうなんだろう?
お坊さんとかは呼ばない代わりに、告別式でやったように、優子の魂を空から降ろしてきて、優子に話しかけたい。参加する人たちにもそうしてもらい、みんなで悼み合いたいのだけど、他の人には負担になるのでは?
僕だけでなく、優子に残された人たちが一緒に悲しみを放出し、優子を空に戻してあげたい。その後は、ゆっくり、親しく会食して、気持ちを分かち合いたい。

なんて考えているんですけどね。
良いアイデアあったら教えて下さい。