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Thursday, December 28, 2017

ヒマになっちゃった。

ご飯を作ってあげる人がいなくなっちゃった。
優子がいた時は、交代で作っていた。優子の友達を家に呼んで僕が料理した時、「まあ、素晴らしいダンナさん」とか褒められたりして。
優子がいなくなって、僕が作って。
祐馬が帰国した時は、ご馳走を作って。
ばあちゃんがご飯を作れなくなっちゃったので、僕が作って。
ばあちゃんは、ホームでは食おうとしなかった。僕がヨーグルトかプリンを持って行ったら食った。
それも食べれなくなって、亡くなった。
ちゅけと祐馬は家にいない。
じんはいるけど、バイトで遅い。
遅くなくても、「俺、勝手に自分で食うから」。
自分でやりたい年頃なんだよ。親の飯は食いたくないんだ。
肉が食いたいといえば、メガドンキの硬い牛肉を焼いてやるのに。
昨日はスペアリブと大根の煮込みを作った。じんも食うかと思ったけど、食わなかったから、一人で食った。
僕の作った飯を食ってくれる人はいるんだろうか?

料理は好きなんだよね。
高校の山岳部で良く作ったよ。
山行で疲れきってテント場に着いて、テントを設営して、水を汲んできて、ガソリンストーブをプレヒートして、米を炊いて、カレーか豚汁を作って。えらく大変だったけど、それはそれで楽しかった。朝食の味噌汁に出汁を入れ忘れたり、決してうまくなかったけど、仲間たちと食う飯は旨かった。
大学に入って、まずい吉池の学食は使わずに、寮で自炊した。冬はスキーに行く金を貯めるために、豆腐と白菜と納豆のご飯だったり。

これまで、一生懸命に生きてきたんだよね。
自分のキャリアを作るために。
優子のために。
子ども達のために。親のために。
そういうのが、なくなっちゃったんだ。

そりゃあ、子ども達のためにはもうしばらく続くけど。
お金を出して、遠くから見てるだけでいいから。今までのように手間ヒマはかからない。ご飯も作らない。

僕のキャリアはできちゃったんだ。それなりの評価は得ている。
AAFTのつくば大会はすごく成功して、世界各地から講演のお声がかかる。ホントにInternationalになっちゃった。
セラピーもまあまあうまくいっているし。

このままでも良いし。そんなに儲ける必要もないし。
でも、もっと頑張る余地はある。頑張ろうかなぁ、どうしようかなぁ。
書かないとダメだよ。
国際誌に投稿して、professional向けの論文や本を書いて、世界にアピールする。英語でね。
国内のクライエント向けにも啓発書を日本語で書く。ネタは十分にあるけど、まとめるほど腰を据えて落ち着けない。すぐに、どこかに行っちゃうからね。
ちゃんとやらなくちゃダメでしょ。
仕事面では、まだまだやることはある。

でも、プライベート面でやることなくなっちゃった。
うちに帰っても、誰もいないし。
正月の集まりも今年はやらないし。
お墓まいりでも行ってくるかなぁ。車じゃなくて、電車とバス(あるいは自転車)で。
正月にはちゅけの北海道に行くし。
2月には祐馬のオーストラリアに行くし。
スキーも、自転車も、登山もあるし。
プライベートを満たす手段はたくさんあるのだけど、、、

仕事でも、誰かと必死に関わる必要がなくなったんだ。
ソロでできる。そうしたかったから大学を辞めて開業したんだけど。
もし、大学を辞めていなかったら、今頃、なんとか委員会の委員長とかやらされて、学生やらわからんちんの教員や事務員相手にえらい目にあっていただろう。
人との関わりの中での生きがい。
えらく面倒だけど、それは何かをやっているという実感(満足感)があるんだよね。常に人と関わっているから。
人との関わりの中から喜びも苦しみも生まれる。
人との関わりがなくなっちゃら、何も生まれなくなる。

そんなこと言ってないで、ソロで生きることができるようにならなくちゃダメでしょ>自分。寂しいとか、言ってないで。

学会長をやらされるかなぁ。
これまで逃げ回ってきたけど、立場的にはやるポジションになっちゃった。年齢的にも。
そしたら、人とのしがらみができてくる。

しがらみは辛いから、学会長から逃げるか。
ソロは辛いから、学会長へ逃げるか。
まあ、そこまでみんなが期待してくれるかは分かんないけどね。

なんだかんだ言って、よっぽど承認を得たいんでしょ!

Tuesday, December 12, 2017

多摩サイ

仕事で多摩地区に行くことが二月に一回くらいある。
天気さえよければ、多摩川を自転車で走る。
今日も気持ちが良い。冬の小春日和。天気は快晴。富士山が見えるよ。
日本海側は猛吹雪だって。今年の冬は雪が多そうだ。もうスキーシーズンが始まってるよ。

多摩サイを走り始めたのは優子がまだいた頃だ。小金井市まで片道30km。
初めの頃は、往復するとヘロヘロだったが、今は全然大丈夫。体力ついたよ。
優子を失ってからは、優子を想うロードになった。
登戸付近を通過して、優子の実家の近くだ。もうあまり行かないけど、時々おばあちゃんを訪ねる。

さすがに、もう優子は入ってこないよ。
でも、9年前の僕の気持ちが入ってくる。涙を流しながら走っていたもんなぁ。
走っていると、いろんな連想が出てくるんだ。今、何を一番考えているのか、想っているのかがよくわかる。優子のことや、原稿のアイデアとか。
今も途中のベンチに停まって書き留めている。
一つのアイデアが出て、もう一つ別のアイデアが出て。
三つ目が出ると、一つ目を忘れちゃうんだ。フワフワのイメージが出たり入ったりする。だから、二つ目が出た段階で書き留めておく。

チャリが一番良いんだよね。アイデアがよく出てくる。
電車だと寝ちゃうか、スマフォいじるか。
飛行機の国際線は長い時間を取れるのだが、窮屈で狭い。映画見たり、飯食って酒を飲んじゃう。国内線くらいが良いかな。
その点、チャリだとスマフォも映画も酒もないし、居眠りもできない。しっかり目は覚めているが、頭は何もやることがない。特に多摩サイは信号もなく広々のんびり走るのでイメージを膨らませる宝庫だ。

多摩サイは僕の原点になっちゃったよ。
僕にはたくさんの原点があることがわかった。学会誌に「私のターニングポイント」なんていう原稿を書かされたからね。
・6歳、祖母の死:「死の発見」と恐怖
・AFS :国際デビュー
・JASC:優子との出会い
・London:専門家としてのidentity
・36歳:父親になる
・優子の喪失:そうか、多摩サイは優子を消化するスペースだったのか。走りながら、優子と向き合ったよ。
ターニングポイントとは、何かを得て、何かを失うポイントなんだね。

次のターニングポイントはいつだろう?
順番からいくと、何かを得る番なんだけど、、、