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Sunday, November 24, 2013

青春の影

君の心へ続く 長い一本道は
(中略)
自分の大きな夢を追うことが今までの僕の仕事だったけど
君を幸せにするそれこそがこれからの僕のいきるしるし
(青春の影。チューリップ、財津和夫)
そう。青春時代の話なんだ。

Q) 僕は優子を幸せにしたのだろうか?
A) したよな!?
線香花火の盛りにボタって落ちたから、幸せのまま落ちたから。
優子にとっては幸せだっただろ?

Q) 優子は僕を幸せにしたのか?
A) したと思うよ。
悲しみと不幸とは違う。
下手に生き長らえていると面倒なことが起きて幸せを目減りさせる。
幸せだったはずだという幻想だけを抱いている方が幸せなのかもしれない。

悲しいから幸せなのだ。
悲しくなかったら、幸せを感じる余裕なんかないもの。

---
以上、家でボジョレーを空けて、テレビでチューリップの特集番組をやっていたもので、、、

Wednesday, November 13, 2013

The 50th Birthday

50回目のBirthdayおめでとう。そっちに行ってもうすぐ5年だな。もうあまりこっちに来なくなったね。

お墓参りもあまり行けずゴメン。まあこっちの生活が忙しいし、そう度々来られても困るだろうしな。
ちゅけはダイビングに夢中みたいだ。もう彼自身の世界だから親が心配しても仕方ないね。何かに夢中になるのも大切な体験ではあるだろう。
祐馬は来年の今頃はアメリカに行っちゃってるよ。天国と札幌とアメリカと、離ればなれは寂しいけど気持ちが繋がっていれば大丈夫だよね。
じんは世の中の厳しさに直面しながら今がんばってるぞ。

洗濯機を買い替えるぞ!優子がいなくなってからずっとおばあちゃんに頼っていたからね。そうやって、みんな自立していくんだ。悪いけど優子からも離れていくぞ。絶対に忘れはしないけど。


Sunday, November 10, 2013

ふらふら病

そう、フラフラしすぎなんだよ。
1泊で済む仕事の前後にくっつけて3泊してしまなみ海道往復とか。
学会出張の名目で海外をフラフラしたり。

もともとオレはフーテンの寅さんなんだと思う。
でも、寅さんや壇一雄に比べれば遁走したって規模の小さい、他愛ないものだ。

ひとところに落ち着けず、現状に満足できず、もっと他に良いことあるんじゃないかと、あちこち可能性を追い求めてフラフラする。
いや、別にbetter chanceを求めているわけではない。現状がダメなわけではない。十分にOKでしょ。でも飽きてしまうんだ。
外向的とか発展的とか言えば聞こえは良いけど、要するに落ち着かないんですよ。
高校時代にアメリカに1年間行っていたのが良くなかったな。
日本からアメリカへ現実を総チェンジして、良い体験を得てしまった。
それが、現実を入れ替えるクセがついてしまったんだ。
Flying Doctor、空飛ぶ医者。国境のない医師団みたいに。但し、オレは人類の平和のためにフラフラしているわけではない。自分自身の平和のためにフラフラしている。
もともと男には放浪癖があるんですよ。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、落ち着くことがない。
だって、その方が楽しいじゃん!

ひとつのところに停滞するのは死を意味する。
学生時代に「今日が昨日と全く同じであることが理想だ」という友達がいて、彼は公務員を志望していた。
俺はちがう。カメレオンと同じなんだ。静止ている獲物は認識しない。
虫が動いたら、自動的に捕食行動が惹起される。
犬と同じだね。相手が目の前でじっとしていると何もしない。相手が逃げると追いかけはじめる。

よくそんなことやっていられるわね!
そうだよ。愛着というアンカーで僕を繋ぎ止めていた優子がいなくなったからじゃないか!優子の責任だからな。天国で反省していなさい!!
結婚して、家庭を作って、子どもを産み育てて、、、
糸の切れたタコの親じゃ困るでしょ。
優子がいたからオレは根を張っていた。
でも、優子が居なくなり、子どもも空に飛びたとうとしている。
子どもも老親もいる。
子どもがもっと幼かったら、子どもがアンカーになり得た。
でも、子どもたち自身が今は北海道に、アメリカに、高校に風船のように頼りないけどそれなりに飛び立とうとしている。
今、根を張らねばならない事情はあまりないんだよ。全くないわけではない、あるのだけど、子どもが小さい頃よりは、奥さんがいた頃よりはそんなことしなくてもいい。

その一方で、Professional/occupational self はしっかり自前のアンカーを作って根を張っている。その部分では問題ない。いや、だからこそハンドルのあそびを得ようとしているのかもしれない。

問題はPersonal selfの部分での立ち振る舞いなんだ。
じゃあ、いったいオレはどうしたいんだ?
今のままフラフラ気球に乗って彷徨いたいのか?
あるいは碇に繋がって母港に停泊したいのか?
まあ、人生の航海も終盤戦に近づいている。
遅かれ早かれ廃船の時は来る。
最後の航海は今しか出来ないのなら、もう少しフラフラしてもいいかな?
てか、いつまでフラフラしているつもりなんだ?
優子の責任だ!
いや、優子のおかげだ!

Wednesday, November 6, 2013

久しぶりに優子が出てきた。

来島海峡大橋はしまなみ海道で一番大きな橋だ。第一、第二、第三と3つの橋が連なり、全長4キロ、高さは65メートル。対岸は遠すぎて見えない。斜め前方は大海原。見下ろすと来島海峡の渦潮が見え、大きなタンカー船も行き来する。
渦潮を眺めていると海の広大さが広がる。ここを自転車で疾走していると、空を飛んでいる感覚になる。

この海は全地球に繋がっているんだ。連想がどんどん広がる。
沖縄の海にも、久米島のはての浜にも繋がっているんだ。
そこに4年前に撒いた優子の灰は、全世界の海に回っているのだろうな!

じんが出てきた。
冷たくなった優子の身体がスキー場から戻り、家の居間で寝ている。
おやすみ!
じん、ママにおやすみ言うか?
ふだん感情を表さない小4のじんが、冷たくなった優子の髪を愛しそうにそっと撫で、
おやすみだけを言うはずが、
「ねぇ、ママ〜、お願いだから生き返ってよう〜〜!」
泣き崩れたじんを私が抱きかかえようとしても、もがいて私の手をすり抜けようとする。
じんが泣いた姿を見せたのはこの時だけだった。私はしょっちゅう泣いていたけど。

ついで、葬式の場面が出てきた。
MKPの仲間とともに天の優子を引き摺り下ろし、優子に話しかけるシーン。
まず、私が見本を見せて、子どもたちとお義母さんにもやってもらった。
「ふざけるな!!」
空に向かって再び叫んでいた。
「優子が心臓悪いのは知っていたよ。でもこんなに早く逝くことないじゃないか!」
このシーンは知人に頼んでDVDに録画されているはずだ。未だそれを観ていない。永久保存版。消えて欲しくない、保存しておきたい。その思いから録画を頼んだ。まだ観る気はしない。観なくても、心の中にしっかり保存されているからその必要はない。
サングラスの下で涙が頬を伝う。

対岸に着き、橋を降りればもう出てこない。現実に戻る。
残りの5つの橋でも出てこなかった。他の橋は来島海峡大橋に比べれば短いんだよね。対岸が見える。空を飛ぶ感覚は消えてしまった。

後日談)「来島海峡大橋」をいろいろググっていたら、建設中の1998年に橋げたが落下して7名の工事関係者が犠牲になる事故があったのね。その後も自転車レースで歩行者の死者が出たり。
栄光の裏には影がある。このあたりの空には多くの魂が飛び交っているんだ!

Saturday, November 2, 2013

愛着を手放す辛さ

ちゅけは札幌で元気でやっている。ダイビングに夢中だ。
「良識ある大人」の目線ではちょっとやりすぎ、常軌を逸している。やるべきことはちゃんとやっているのか?
若者の目線からすれば、熱意を打ち込める対象があって良いんだよ。うまくいって自信を獲得し、失敗から学ぶことができる。彼女にのめり込むよりはダイビングの方が安全だろう。自分自身の経験からしても。
だから、何も心配することはない、、、と理屈では考える。
大学もちゃんと行っているし(成績までは知らないが)、ダイビングも、バイト仲間も、しっかり適応できているじゃないか。

それなのに、あいつから離れる時が辛いんだ。
全をひとり北の大地に残し、東京に戻る時。
心がひよひよする。さみしいわけでわはない。
あいつを残してしまって大丈夫なんだろうか?
自分てやってゆけるんだよな。
でも本当に大丈夫なのか?フォローしなくていいのか?
何かあったら責任をとらないといけないんじゃないか。

親が子どもを離す辛さは保育園に子どもをあずけ始めた頃からあった。
冬、園の寒い板の間に震えて泣いている(ように見えた)。彼を保育園に残して仕事にいかねばならない。保育園でちゃんと面倒を見てくれるだろう。もちろん信頼している、、、というか信頼したい。任せなければダメなんだ!

去年、入学時にはキャンパスを一緒に見に行った。アパートの家財道具を買いに行った。夏には妹弟を連れて行った。あいつがちゃんとやってるか確認しなくちゃいけない。信頼してるよ。でも、見届けないといけないんだ。

これって日本人的な心性?
オレオレ詐欺は日本に特有でしょ。

子どもがダメになっていくシナリオを作ってしまう。
「君はOKだよ」という方が辛い。
子どもを手放し、関われなくなってしまうから。親の心配の行き場を失ってしまう。

「君はまだダメだ」という方がまだ楽なんだ。
親が心配しないといけない。親が子どもにかかわり続けることにより、親の心配を子どもに投影することができる。その方が、親はまだ良いんですよ。

Friday, October 11, 2013

札幌の夜

Uさんが学会に呼んでくれて札幌に来た。
昨夜、千歳空港に着いてちゅけを呼び出し、ばかでかい駅ビルのユニクロで買い物。
おとん、ダッフルコート買ってもいいかな?
おぅ、いいよ。
ふたりの息子は素直なんだよな。草食系か?親に反抗しないのか?
その分、ひとりの娘が十分に反抗してくれる。彼女は肉食系だよね、まだevidenceはないけど。
ハラ減った!
昼メシ食ったんだろ?
いや、、、
朝メシは食ったんだろ?
いや、、、
おまえ何やってんだよ!パパはこれから友だちからジンギスカンを一緒に食おうと誘われているけど、おまえも来るか?
おぅ!
マブダチ夫婦はちゅけの赤ん坊時代から知っている。
ちゅけが1−2歳の頃、一緒にハワイ行ったの覚えてる?
いや、さすがにそれは覚えていないけど、、、
肉を気持ちよいほどたくさん食べて、次はちゅけのバイトしている居酒屋に行くか!?
おぅ!
ちゅけの案内で店に入ると店員仲間がちゅけを笑顔で迎えてくれる。
ああ、こいつは皆から受け入れられているなぁ、、、父親はついこと細かく観察してしまう。
いつも厨房だから客として入るのは初めてなんだよね。
社員割引で料理は半額にしてくれるって!
二十歳まであと4ヶ月だけど、良いよな。梅酒を2−3杯飲んでいた。
パパも生チュウを3杯いったかな。
それが昨夜。

今日の学会講演を終えて、ちゅけのアパート近くの安ビジネスホテルに泊まる。
おまえの部屋に泊まれるか?
いや、それは無理。散らかっているから。
夜に部屋を訪ねる。まあ散らかってはいるけど、パパの学生時代の経験があるから何も言えない。
もうメシは食ったのか?
おぅ。友だちと食ってきた。
明日はどうするんだ?
午前中からバイトだ。
明後日の日曜日は?
ダイビング。
えっ、この季節にもまだ潜るのか?
うん。
一人暮らしを始めて1年半。まあ仲間も居場所も確保して、それなりに適応しているようだ。
昨夜は一緒に飲んだ。サシではなかったが、大人の仲間に違和感なく入ってくれるのが嬉しい。
今晩もまた飲むわけにもいかないしな。アパートで小1時間もいれば男同士話題も尽きてしまう。じゃあ、パパはもうホテルに戻るから。次に会えるのは正月か成人式の1月だな。それまで頑張れよ!、、、って何をどう頑張るわけ、と自問自答。握手をして部屋を出る。
べつにおまえのことを心配したり詮索するつもりじゃあないんだよ。ただ、一緒に居たいだけなんだ。
子どもは親のアイデンティティだ。
そのアイデンティティを再構成して、親は家族ライフサイクルを進めていかねばならないと、昼間に学会で講演したばかりじゃないか!
そこに不安感が含まれていると、前に進むことは困難になる。

ひきこもりのA君のお母さんは、「母子分離が出来ていない」と数年前まわりから言われたことがトラウマのように残っている。母親が思いっきり心配する息子から離れろというのは拷問に近い。

B子さんは最近、調子が悪い。主治医の私から見ればそれも一時的なこと、立派に成長してますよと伝えても、両親は不全感を抱き、B子さんを心配し続ける。親役割から卒業できないんですよ。夫婦仲が悪かったことがB子に影響しているのでは、、、子どもへの贖罪から離れることができない。子育てという全課程を修了しないと、修了証書をもらうことができないんですよね。

親の気持ちが痛いほどよくわかる。ちゅけは心配ないはずだ。ちゃんとやれている。不安を抱く必要はないはずだ。私は楽天的で不安の少ない人間のはずじゃなかったのか?
でもでも、親の不安は理屈を超えて存在し続ける。
子が親から離れる方がよっぽど楽だ。少なくとも私の経験からすると。
親が子どもから離れる方がよっぽど難しい。
愛着ってそういうものなのだろう。
それでも目の前に居なければ、忘れることができる。
目の前に現れると、愛着が再構成され、喪失感を毎回味わう。
なんだ、これは祖母がお盆の里帰りから東京に戻るとき、いつも流していた涙だったんだ。女性はいいよな、おばあちゃんは良かったよな。そうやって表現できるから。
私はせいぜい握手とブログでしか表現できない。

優子の4年9ヶ月も、結婚記念日(何回目かも、もう数えない)もブログに書き留めることができないまま通り過ぎてしまった。愛着対象が目の前に居なければだんだんと忘却できるんですよ。いまは愛着というより執着だね。
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一昨夜は、大変頼もしいご子息にもお会いでき、本当に楽しかったです。

私も、よその子だったら頼もしいと思うと思います。
でも、自分の子はそうは思えないんですよ。
ちゅけのプラス面も見ているけど、不十分な面だってたくさん知っているし。なにしろ、ゼロからスタートしたんだからね。
それは、親自身の不十分な面にも繋がるわけです。

Monday, October 7, 2013

学生時代の仲間とテニス合宿

もう12-3年続いているだろうか、毎年秋に大学時代の仲間と1泊泊まり込みでテニスをしている。
大学5-6年生に国家試験を控えた自主勉強会の仲間5人+高校山岳部の仲間。気の置けない学生時代の仲間だ。
軽井沢は既に紅葉が始まっていた。
学生時代もよく授業をサボりテニスをした仲間たちが、30年後も同じようにテニスをしている。汗を流して、温泉に浸かり、マッサージで筋肉をほぐし、ホテルでビュッフェ・レストランで会食。その後は部屋で遅くまでワインを傾け昔話に花が咲く。
類は友を呼ぶ。私以外はみな外科に進み、運動が好きな体育系。そんなオトコたちの青年期の思い出話は他愛ない下ネタばかり。何歳になっても童心(?)に返り、普段のマジメな社会人・家庭人の鎧を脱ぎ、心おきなくそういう話をできる仲間は大切だ。

学生時代、私はどちらかといえば劣等生だった。自信を持てず、不安を抱え訳のわからないまま突っ走っていた。傍から見れば国立大の医学部はエリートコースだろうが、当事者たちはそうは思わない。
卒業試験に通るか、国家試験に受かるか、医者になれるんだろうか、何科の医者になるんだろうか、自信も保証もなくただ多分どうにかなるだろうという期待と希望で不安を押さえ込んでいた。
勉強に自信がなかった私は内科を選ぶこともできず、体力でカバーする外科か産婦人科かなと思ったけど、なぜか精神科を選んでしまった。ホントに精神科で良いんだろうか?国家試験受かるんだろうか?

連中と一緒にいると、そんな学生時代の漠然とした不安がよみがえってくる。彼らは一緒に勉強も悪いこともするちょいワル仲間であり、ライバルだった。何度も何度も繰り返される試験をこなし、通るヤツと、落ちて追試を受けるヤツ。私は追試の常連だった。
そして30年後の今は、開業して儲かっているヤツ、大きな病院の外科部長でがんばっているヤツ。みんな成功している。まあ、こういう場に出てこれるのはそれなりに上手くいってるという自負を持てるからなんだろう。

本当に児童精神科で良かったんだろうか。
紆余曲折があって、今に至っている。成功も失敗もたくさんした。
もっと別の道を選択した方が良かったんじゃないだろうか。
この人生で良かったのだろうか?
普段はそんなこと言っていることはできない。不完全な自分の力を信じて前を見るしかない。

連中と一緒にいると、まだ若く不安だった頃の心情に戻ってしまう。
ちょっと辛いのだが、自分の原点に戻る貴重な機会なんだよな。
何しろ彼らと一緒にいると安心する。
優子を失った時も、いち早く駆けつけてくれた仲間だ。

また、来年の秋には再会する。
それまでは会うこともないだろう、きっと。

Monday, September 23, 2013

停滞の週末

シルバー・ウイーク。
この2回の連休は全くどこも出かけずずっと家にいた。
こんなことホントにめずらしい。
基本的に私は狩猟民族なのか、男の性(サガ)なのか、フーテンの寅さんなのか、じっとしておれず、ウロチョロしないと落ち着かず、こんなのんびりペースは耐えられないのだが、幸か不幸か来週から年内の週末はほとんど泊りで家にいない。明日からも仕事が立て込んでいる。
だから、のんびり停滞の週末を受け入れることにした。

子どもたちは出払っている。
パートナーでもいれば何かするのだろうけど、それもいない。
ヒマだ~!

しかし、こういうのが貴重なんでしょ。少し自身を落ち着けて、集中して本を執筆できる良いチャンスでしょ。来週の講演の準備を時間をかけてpreziで作ることができた。
あとは、こんなブログ書きに逃避しないで、本の原稿を書かねば!

Thursday, September 12, 2013

熱き心

優子を失い、なぜこんなに辛かったんだかやっと分かった。
私は熱く突っ込むタイプだったんだ。
若い頃、優子をゲットする期間は四六時中優子のことを考えていた。だから付き合い始めて結婚するまでの3年間、毎晩電話して小一時間しゃべっていた。
必死に嬉しかった。

結婚して僕の一部になったらは敢えて考えなくなった。
そこにいるのが当たり前だから。

そして優子が亡くなり僕の一部から無理やり切り離された時、優子のことを四六時中考えていた。必死に悲しかった。

そんなに必死にならなけれはもう少し楽だったのか?
でも恋愛ってそういうものなんじゃないの?
少なくとも僕はそう思うけど、、、

from iPhone

Friday, August 23, 2013

じんの体操大会

なるほど。ここにもyoutube経由で動画を載せられるんだ。

小5から地域の体操教室に通いだし、今回初めて大会に出場した。
じんは言葉が少なく、自分のことをあまり言わないからなぁ。
でも、途中で飽きることなく中3の今までずいぶん続けたよな!
パパも年1-2回、体操教室内で開かれる発表会には顔を出したりしていたけど、じんがどれほどうまくなっているかとか知らなかったよ。

でも、上のクラスに行けたとか、喜んでいたよな。競技クラスになり、それも競技クラスBから、競技クラスAに上がり、いつの間にかこんなになっていたんだ。

じん自身にしてみれば「失敗だ!」と言うけど、そりゃあ周りにもっと上手な仲間もいるだろうけど、パパにしてみれば十分過ぎるほどすごいことだよ!パパだって、中学の柔道部はずっと補欠選手で大会に出ることは3年間なかったんだ。でも、そんなこと関係ないよね。じん自身の達成なんだ。
祐馬の水泳にちゅけのバレーボール。いくつかのスポーツを試してみた後に自分の好きなスポーツを見出すんだね。良いことだと思うよ。

でも、ちょっと待てよ。じんは体操、小5のいつ頃から始めたんだっけ?
4月から。。。

ということは、ママが死んだのが小4の冬だったよな。その3ヶ月後に体操を始めたんだっけ?
そうだよ。

そうだったのか。パパもそのことはno careだった。
よく続いたよな。
でも、どうして体操を始めたの?
ママを失ったことと何か関係あるの?

と尋ねても、寡黙なじんは何も答えない。
そうだよな。そうやって大人はすぐにママの死を何でもかんでも結びつけようとするね。
じんにしてみれば、そんなこと関係なく、たまたま興味を持っただけだよね。わからないけど。

Saturday, August 3, 2013

4年7ヶ月


30年ぶりで会った皆は、素敵に時を重ねていて、若い頃より努力した輝きがましていて、とても魅力的でした。

確かにみんな「若い」ですよね。というかみんなと会って、若い自分に戻れるんじゃないですか。
若い頃はみんな輝いていた。それ以降、それぞれの道でがんばって、何度も挫折して、立ち上がり、なんとか辻褄を合わせて生きてきているんじゃないでしょうかね。
 

これって、優子ちゃんのおかげなんだ・・・って改めて思いました。優子ちゃんのことで皆が集まって・・・皆は、それからずっと一年に一回集まっているって、優子ちゃんがこの世に残して行ってくれたかけがえのない宝なんですね。

①確かに優子がきっかけだったかも。
悲しみ、あるいは心の痛みって、人を結びつける作用がありますよね。
優子の仲間たちもそうみたいです。
痛みを静かに共有できるって、辛いけど良いですよね。

②あと年齢もあるよね。
私のまわりでも、中学、高校、大学時代のクラスとかクラブとか、40代の半ば過ぎくらいから会うようになりました。仕事も子育てもひと段落する時期というのもあるし、人生にメドがつく時期なんですよ。それまでは一生懸命登っていたんです。昔の友だちっていわばライバルでしょ。登っている最中はそいつらに会いたくなかった。でも、人生の競争から降りたら肩を抱き合えるんですよ。レースのゴールを切ったら、競い合っていた選手たちがお互いを讃え合えるようにね。

③ネットの影響もあるね。
電話で話し合うほどでもないし、人数は多いし、往復はがきを出したり、ネット以前は集まるのも大変でした。今ではメーリングリストとかFacebookとか年に1回集まる時だけでなく、いつも情報交換して話し合えるようになりましたからね。この影響は大きいでしょ。

Monday, July 29, 2013

祐馬の旅立ち

パパの時はね。
羽田空港だったし、友だちが大勢来てくれて、「Tikiがんばれ!!」ってのぼりまで作ってくれて、胴上げしてくれて、、、、
だって、外国はおろか飛行機に乗るのも初めてだったもん。
だからもう天地がひっくり返るほど大変なことだったんだよ。

その点、祐馬はパパみたいに1年間じゃない、たった1ヶ月間だし、外国旅行も飛行機もすっかり慣れてるしね。
それでも空港って独特な雰囲気だよね。
パパは気分が高揚するよ。祐馬はどうだ?
まあそれも、パパの高校生の頃の記憶がそう感させるのかもしれないけど。
反復強迫(repetition compulsion) =過去に起きた大きな感情体験を繰り返して再現しようという、抑えようのない衝動のこと。
通常これは、トラウマなど苦痛を伴う否定的な体験を繰り返してしまう不条理な衝動をいうのだけど、肯定的な体験も同じだね。パパは高校以来、海外渡航を何度も何度も繰り返している。観光旅行じゃダメなんだ。研修とか留学とか学会とかじゃないと。しかもそれを自分の子どもにまで伝えてしまっているんだよ。

むこうに着いたら、「着いたよ」ってメールくらいくれてもいいけど、AFSがちゃんと見てるからそんなことしなくて良いんだって。まあAFSの伝統なのかもしれないね。今だからこそネットがすぐに繋がるけど、パパの頃はそういうわけにはいかなかった。早くても4-5日かかるエアメールしかなかったもん。国際電話もあったけど、とても高くてクリスマスとか特別の時しか使わなかった。

でも、パパは平気だからね。全然心配してないし。
パパもよく分かるんだ。チャーター機の機内で、離陸するときはみんなで万歳三唱。San Franciscoに着いたら、スケールのでかいアメリカの風景にすっかり我を忘れて、日本や親のことなんかすっかり頭の中から消えてたし。だから、何も連絡しなくていいよ。

要するに子離れするいいチャンスなんだよ。
親離れより子離れの方がよっぽど難しいね。
でも、パパは「妻離れ」を経験してるから、ぜんぜんへっちゃらさ!

Friday, July 5, 2013

どんどん先に行っちゃって

セイジ君がどんどん先に行っちゃって。
私、怖くて、怖くて、、、

帰宅したら祐馬が「耳をすませば」を観ている。
雫のセリフだ。

そうなんだよなあ。パパも先に行っちゃうんだよ。
優子からは「早く歩きすぎる!」と文句言われたし。
喪もせかせか進めちゃうし。
プロジェクトもどんどん先に行ってしまう。
仕事が早いことが僕の取り柄。The sooner is the better.
先に進めた方がいいじゃん!
急いでいるわけじゃない、前を向くんだ。
そういう価値観でやってきた。
まわりがブレーキになる。足並みを進めてくれない。それがムカつく。

いつも「早すぎ!」と言われる。
「遅すぎ!」と言われたことはあまりない。
いや、そうでもないか。原稿はぜんぜん遅い。書きたいのに書けない。

---
、、、と、一晩考えた。
そうじゃないんだ。私は傷ついていたんだ。
それを別の見方で認知したに過ぎなかった。

人から否定された辛さ。
しっかり持ちこたえようとはするし、持ちこたえることは可能なのだが、自分が他者から否定されることはとても辛いのだ。自尊心(self-esteem)が低下する。

人から何と批判されようと、自分の信念を押し通せば良いじゃないか!

そりゃあ、そうなんですよ。
そうしようと思います。
でも、その自分の信念というやつが「人のため」=人にプラスをもたらすことなわけで、そのことでマイナスを招いてしまったら当該の信念自体が成り立たなくなる。

しかし、まだ良いのかもしれない。
今回、傷つけられた相手は私の家族(=親密な相手)ではない。
そう考えればまだ救われる。
逆に、家族から否定されたら、それはもう立ち上がれなくなるほどきついことは容易にわかる。

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否定的な人との関わり(否定されたり、喪失したり)の傷を癒すのは、薬でもアドバイスでもない。
肯定的な人との関わりですね。
自分を支えてくれる、傷ついた気持ちを知り、わかってくれる。
家族でも友人でも専門家でも知らない人でも良い。
自分を承認してくれる人がいれば、自分を否定する人がいても、承認する人が居なくなってもどうにかやっていける。

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家族(親密な人)から否定されたら、それはもう立ち上がれないほどきつい。
その逆を言えば、
家族(親密な人)から十分な肯定(承認)があれば、ソトの世界で多少(かなり)否定されても(傷ついても)、なんとか持ちこたえることができるわけだ。

Thursday, July 4, 2013

4年6ヶ月とママ友

四年半かぁ。
べつに月命日といったって、もう思うことも書くこともないんですけど。
一応、「3日」はGoogleのカレンダーに毎月繰り返しの予定として入れてるから思い出しはするのだけど、書くことないよ。

先日、祐馬と保育園友だちとそのパパママと焼肉を食いに行った。
いっしょに歩いて帰る道すがら、ママ友がいうんだ。
優子さんといえばほうれん草とトマトを思い出すんですよねぇ。
えっ、それなに?
みんなと畑に言った時、ほうれん草を収穫しながら優子さんが
「私、ほうれん草の根っこの赤い部分ってふつう切っちゃうけどおいしそうに見えるのよねぇ
と言って、実際にかじっちゃったんだって。ホウレンソウを見ると優子のその姿を思い出すんだって。
そんな話、知らないよ。

ママ友のパワーって大きいんだな。
いつまでも心の中に保持してくれている。

トマトの話もしてくれたんだけど、酔っていて忘れちゃった。
だんだん、忘れていくね。良くも、悪くも。

Sunday, June 16, 2013

人の喪を使うな!

それほど近しくはない、年賀状をやりとりする程度の仕事関係の人から「遺作展」の案内が来た。
えっ、奥さん亡くなったんだ!ずっと前に一度お会いしただけの人。ダンナとも何度か会ったけど、それほど親しい間柄でもない。きっと年賀状発送リストから送ってきたのだろう。

訪ねようか迷う。
でも、「私も4年前に妻を、、、」とは言うまい。

優子を失った時、けっこうそういう人がいた。
「私も〇年前に私の〇を亡くしたんです。」
だから、あなたの気持ちもよくわかります、、、
と続くのだろう。
どうもありがとう、私の気持ちをわかってくれて。
その時は感謝してたけど、後々に振り返れば違和感がないわけでもない。
人の喪を借りて、自分の喪の作業をしているんでしょ!

でも、出掛けることにした。
以前患者さんを紹介してくれたこともあるので、営業活動の一環でもある。

しばらくぶりにお会いしたら、名乗るまでもなく私の顔を覚えていてくれた。

奥さまがなくなり、お手紙を書いていたのですが、途中で書けずにやめてしまいました。

それはどうもありがとうございます。

いつも年賀状楽しく拝見しています。
私も一年たち元気にやっています。先生も はもう大丈夫ですよね?

そりゃあ大丈夫だけど、そんなことどうでもいいんですよ。
とは言えず、
「お互い頑張りましょう。」
としか言えなかった。

奥さんが亡くなったのは一年前だって。
会場には奥さんの写真が1枚あるだけ。他には説明もなにもない。
こういう手もあるな。
それまでは広く知らせず、一年後に広める。

私は一気に全部やっちゃったけど。

きっとそれで良いんですよ。

天童 荒太の「悼む人」なかもその典型じゃない!
お互いに喪をシェアすれば良いんですよ。

Tuesday, May 28, 2013

子どもの成長についてゆけない

ちゅけの大学から連帯保証人宛に成績表が送られてきた。
大学の通信簿なんか見てもわからないんだよな。
2年前までそれをつける立場だったから、科目・教授によっていかにばらつきが多いのか知っている。中学では「内申書」として進学に影響するが、大学の成績なんてあまり関係ないでしょ。GPAというシステムも教員生活の途中から導入されたけど、未だによく理解していない。
「必修単位はすべて履修されました。」の一言があれば、あとはどう見れば良いのかわからない。

そもそも、18歳の子どもにどこまで関わり、どこまで心配すれば良いのかよくわからない。
その一方で、20歳を過ぎても、30歳を過ぎても、親がたくさん心配する状況も精神科臨床では多く見ている。

ちゅけの4年前は確実に親が心配するべき年齢だった。
中3で、これから高校受験を迎える。親がどの程度関わり、心配すべきか優子ともたくさんケンカした。
子どもにとっての4年間はぜんぜん違う。成長が早すぎる。
一方、親にとっての4年間はぜんぜん変わらない。もう成長していないから?
4年間どころか、18歳の息子への眼差しの奥には、生まれた時や保育園時代の姿がこびりついて離れない。
放すべきとわかっていても、離れないものはしかたがない。

ちゅけの4年前は、じんの今だ。高校受験を控え、未だエンジンのかからない中3をどうしたものか、必死に心配しているし、心配する姿を見せないように心配もしている。
じんだって、4年後には変わるんだよな、きっと。いや、変わらないかもしれない。それも心配だ。

40年近く前、17歳で飛び立つ私を見送る母親が羽田空港で流した涙と、私がこの春に札幌で流した涙は相似形であることにやっと気づいた。
親にとっては、子どもを放すための儀式なのだろう。かなり難しい儀式だ。
あと二人も続くわけで、厄介だ。
でも、祐馬は既に半分ちかく離れている。じんの方が心配だ。

一方の、子ども側はそんな親の思惑とは無関係だ。
40年前の羽田空港では、初めて空を飛ぶ体験に、チャーター機の中で100人の仲間たちと大騒ぎをしていた。
祐馬は親のウザい眼差しを断ち切ろうと、一生懸命反抗している。

そもそも大学はなぜ親に成績表を送ってくるのか?
単位不足の学生対策の一環なのか。
心配したい親へのサービスなのか。
その一方で、ちゅけは「金がない!」とSOSを送ってくる。

どこまで子どもで、どこまで大人なのか、よくわからない。
どこまで心配して、どこまで突き放すのか、よくわからない。

Saturday, May 18, 2013

PrivateからPublicへ

こっちのブログは優子を亡くした3日後、 2009.1.6.からスタートして、この4年4ヶ月の間に555件の投稿。今日で総ページレビュー数が35650。最近は一日20-30程度。

あっち(Public)のブログは開業を決意した(と思われる)頃(注)2010.3.6からスタートして、この3年2ヶ月の間に187件の投稿。今日で総ページレビュー数が 35649 。最近は一日50-250程度。

ページレビュー数がほぼ並んだ。勢いからすると、Public blogが今後凌駕していくだろう。今がちょうどPrivateからPublicへのturning pointね。別に統計をじっと見張っていたわけじゃない。たまたま今日見比べてみたら、ページレビュー数がほぼ互角なのでびっくりした。


Public blogはたくさんの人に読んでほしい。営業用ですから。

Private blogはたくさんの人が読んでくれる必要はない。少数の人が熱心に読んでくれる。どうもありがとうございます。
あなたのお陰です。


注)振り返れば、喪失のほぼ1年後に開業を決意したのね>自分。
ちょっと早すぎたんじゃないの?

Thursday, May 16, 2013

父娘のガチンコ勝負

講演会では聴衆を引き付けるために、まず自分の家族を語る。
「いやあ、私も専門家である以前に思春期の子どもたちを持つ父親ですから、みなさんと同じ当事者ですよ。」
「人さまの家族のことは専門家としていろいろ言えるのですが、自分の家族のこととなると全くダメ。灯台下暗しですね。私の方がみなさんに相談したいくらいですよ、、、」
謙遜でなく、ホントにそうなってしまった。

昨夜は祐馬にぶちまけてしまった。
怒っているときは、正当に叱っているつもりだったが、今から思えば、要するに親子の距離を詰め過ぎたんだ。
きっかけはほんの些細なことだ。父親が娘にものごとを頼む。しかし、娘は期待どおりに反応しない。さらにしつこく求めると、娘は引いてふてくされ、距離を開けようとする。すると、始めの依頼事項はどこかに飛んでゆき、そのふてくされた態度に怒りが転化し、さらに態度が悪くなる。あとは悪循環のエスカレーション。お互いに疲弊して、time outをとるしかなくなる。

パパがどれだけ祐馬のことを思っているかわかっているのか!?
日曜には二人で買い物に行き、
月曜には祐馬の振込で郵便局に奔走し、

親の思いが強すぎる。
肯定的な思いが強いなら、良い関係・良い雰囲気を生む。
否定的な思いが強くなると、葛藤・衝突を生む。

祐馬だって、外ではちゃんとやっているんだから!

そうだね、きっとそうなんだろう。
家では我が(思いの)ままに振る舞おうとするのは、本当はわかってはいるのだけど依存して距離を詰めたいんだよな。だけど親から近づいてこられるのは拒否する。

親は子どもと同レベルになってはいけない。思春期は不安定なのだ。生意気な大人の口をきく一方で、未熟な不安と不安定性も抱えているのだ。理屈では分かっていても、親もつい我を忘れて不安定になってしまう。

父親もそうなんだよ。ホントはひとりの成長した(しつつある)人格として個を尊重したい。距離を開けたい。その一方で、パパにとって子どもたちは大切なんだよ。自分の気持ちの安定装置に使ってしまう。君たちが生き甲斐だから。

ママがいない、親はひとり。父子関係しかないんだという悲壮感が、お互い不安を高めnegativeな依存心を高めているのかもね。パパも君たちに依存しているんだよ。
祐馬もママも言ってたよね。パパが出張とかでいないときに、よく母娘がぶつかるって。
やっぱり親がひとりだとどうしても親子が濃くなってしまうんだよね。そういう意味では父子家庭は辛いかもしれない。

要するに、君は気が強すぎるんだ。そして、パパも気が強すぎるし。
それをお互いにぶちまけあう。そういう関係でいたいんだよね、ふたりとも。タイヘンだけど。

思春期は、依存と自立の葛藤なんだ。
それを見守る親も、保護と子離れの葛藤なんだ。

Sunday, May 12, 2013

パパ、洋服買いに行こうよ!


祐馬と川崎のラゾーナに行ってきた。
背広も着ず、ユニクロにしか用のない私にとって洋服の買い物に付き合わされるのは試練&苦難だ。
祐馬はまだひとりで行くより「センスのないパパ」でもいいから着いてきてほしいらしい。
金づるだし。
それもいつまで続くかと考えれば、父親がJK娘と服を買いに行けるのも、母親がいない役得かもしれない。
ママみたいに一緒に「これがいいわよ!。あれはどう?」まで出来ないけど、ふてくされたり、「早くしろ!」と怒らないよう気をつけて付き合ってあげるよ。
GAP、ZaraにAmerican Eagle、、、
店に入れば、娘の後をウロウロ追うのもお互いにうざいだろう。
店の端っこで客の邪魔にならないように立ちんぼ。
この空白の時間を少しでも意味づけようと、ブログネタをスマホに打っている。

---
一度だけ、祐馬が色違いの3つのワンピースを持ってきた。
「ねえパパ、どれが良いと思う?」
そうねえ、これかな!

この話を西魔女にしたら、思春期の娘にとって父親に服を選んでもらうのは稀有で貴重な体験だって!
そうかもしれない。

Friday, May 3, 2013

4年4ヶ月

そうか。4月は投稿しなかったか。
先月の月命日も一応は意識の中にあったのだけど、敢えてミスした。
そう強迫的に続けなくても良いでしょう。
というかもう一つのブログの方に力点をシフトしたいので。
ということはこのブログもそろそろ終結の時期が来たのか?
いえいえ、それはないでしょう。間隔が空いても、私にとっては必要な場所。
まったり落ち着いて自分と向き合える場所。
優子と向き合える?
そりゃあそうなんだけど、優子のイメージは薄れてきて向き合いにくくなってきたのも事実だし。

今日は祐馬の誕生日。
彼女の友だち二人とカイ君と草津の家に来ている。
ちゅけは北海道。
じんは一応受験生ということで、「オレ、草津だと勉強できないから」じじばばと留守番。
娘たちがキンパ作るんだとかはりきっている。祐馬は韓国にハマってるからなあ。
だいぶ楽になった。
僕はノートPCと、買っておいてまだ読めなかった村上春樹の「多崎つくる」君を読んでいる。他に仕事もどっさり持ってきたのだけど、できるかどうか、、、

今日はクライエントさんに会った。
夏に何セッションかやることになった。
Working Holiday。
夏にこっちで仕事ができると良いんだけどなあ。
研究室草津分室にして、のんびりしながら仕事もできる。
去年、それも考えたのだけどポシャった。
今年は試験的にやってみよう。

祐馬の友だちは優子の写真をどう見ているんだろうか?
天国に旅経つ3時間前のスキー場での姿。
気をつかってか話題にはしないけど、きっと感じているんだろうな。

やっぱりダメだ。どうも気持ちが乗らない。

Wednesday, March 27, 2013

韓国旅行:慶州

慶州の普門湖畔でコーヒーを飲んでいる。

午前中は釜山に住むヨンジュさんにチャガルチ市場を案内してもらって韓国式お刺身の午餐。美味しかったねえ!生ニンニクがまだ口の中に残っているけど。

ヨンジュさんはパパの韓国の友だち。
ママが亡くなる一ヶ月前、ソウルに行った時に紹介し、
亡くなった一月後には家に来てくれて。
まだ小学生だったじんの手を繋いでくれて、新宿の雑踏を抜け、みんなでレストランに行ったよね。そのちゅけがずいぶんと大きくなって。
パパと子どもたちをしっかり見守ってくれている人たちのひとりなんだよ。
昨日も釜山をたくさん案内してくれた。

午後はヨンジュさんと別れ、KTXで慶州に来た。
チェックインを済ませ、さあこれからどうしよう?
まずは湖畔でも散歩しようか。
ひととおり回ると、あとはすることがない。
祐馬は「先にホテルに戻る。
ちゅけは、「おう、自由時間ね。じゃああっち行ってくるよ!」
パパはひとり売店でコーヒーを飲み湖と観光客をぼんやり眺めている。
そうか、子どもたちにとっては拘束される時間なんだよな。そこから解放されるのが喜びなんだ。でもまだそこまで自信がないからついて来るだけだろ。
となりには若いカップルがお茶をしている。彼らにとって一緒にいて拘束し合うことが喜びなんだろうな。

僕らにも遠い昔、そういう時代はあった。
二人でそこから出発してホームベースを作り、3人の子どもを作っちゃったんだよ。ベースを作っている時代は夢中だったけど、作り終えてしまった後は無意識の土壌のようなもの。そこに根をしっかり生やしていれば、子どもたちは成長し、親たちは仕事とかやりたいことをやって、自由に枝を伸ばすのが喜びだった。
枝から子どもたちは飛び立ち、その後はゆっくり枯れていくはずだった。
しかしそうなる前に土壌の半分がなくなったので、土壌が無意識でなくなっちゃった。また意識化しなくちゃならない。いったいどうなるんだろう?

パパにとっては君たちと一緒の時間を持つこと自体が喜びなんだよ。でもそれもはかないよね。君たちが成長して飛び立ってくれるまでの話なんだよな。ちゅけにはもうその時期が来つつあるし、下の二人だって時間の問題だろう。

子どもたちにとっては、親のそんな思惑なんてどうでもいいよな。
さて、メシでも食いにいこうか!

Tuesday, March 26, 2013

韓国旅行:成田空港


都営地下鉄と京成線で成田空港へ

ちゅけとじんは文庫本を読んでいる。

祐馬とパパはスマホをいじってる。スカイライナーとかスカイアクセスとか特急料金を払っても時間差はせいぜい1時間以内。のんびり旅なら通勤電車で行こう。快特とか特快とか結構早いんだよ。
君たち三人と一緒の海外旅行は初めてだな。いや、ママがいたときはいろいろ行ったよ。グアムのときはじんはまだ生まれていなかったっけ?おばあちゃんも一緒にカナダのバンクーバーに行ったときは、ちゅけが小学生の頃だったよなぁ。国内旅行ならもうたくさん行ったもんな。

ママがいなくなってから四人一緒の旅行というと、昨年の夏にちゅけの札幌に行って以来だよな。

ホントは一年前に四人で海外旅行するはずだった。ちゅけと祐馬か受験勉強でがんばっていた頃、もし2人とも受かったら、海外旅行でもどこでも行こうな!と約束した。ますちゅけは受かるはずないと思っていたから励ますつもりの言葉が手形になってしまった。

受かったら受かったで、函館に行ったり札幌に行ったり、のんびり海外旅行の余裕はなかった。

ということを今年祐馬にリマインドされて。

まあ、そうね。じゃあ行こうか!

ヨーロッパ行きたい!ドイツのサッカー観たい!

まぁ、ちゅけが一年浪人することを考えたらそれくらい奮発してもいいのだけど、どこでも同じでしょ。ヨーロッパなんてこれからたくさん行く機会もあるし。脱亜入欧の時代は終わって、これからは脱欧入亜だよ!

というわけのわからん理屈で韓国になった。

パパにしてみれば何処だって良いんだよ。観光地巡りやショッピングやグルメなんてどうでも良くて、君たちと一緒に過ごす時間か至福なんだから。


ほら、押上を過ぎてだいぶ空いてきたよ。なのに何故ちゅけとじんはずっと立ってるの?
座ればいいじゃん!


君たちとはあとどれ位一緒に旅行できるんだろう?

パパは高校で山岳部で山ばかり行って親とは旅行なんてしたくもなかった。だからいつ来なくなっても文句は言えないんだけど、家を離れたはずのちゅけも休みには実家にもどってくるし、旅行にも来るもんなぁ。ひょっとしたらまだしばらくは一緒に旅行できるかな?パパとしては嬉しくもあり、ちょっと心配にもなるんだけど、まあいいか。


今回は仕事の書類は諦めた。毎回溜まった原稿を書くチャンスとどっさり持ち込んで、結果的にはそのまま持って帰る。読みたかった文庫本も持ってきたけど、ホントに読むかなぁ。

ノートPCとiPhone 5は持ってきた。メールをチェックして、ブログを載せる。

ソトの世界を旅してるのに頭の中はウチの世界を彷徨ってるってのも逆説的だが、取り敢えずの日常仕事から解放されるからできることだ。


眠くなってきた。でももうすぐ着くよ。チェックインしたら軽く昼飯食うか!?どうせ機内でも出るから軽くて良いよな!

第1ターミナルの5階のフードコートでラーメン、祐馬はタイごはん。

from iPhone

韓国旅行:東京

これから子どもたち3人と3泊4日の韓国旅行。
なぜこんな風に自分のプライバシーを切り売りするのだろう?
旅行に出ると、なぜか書きたくなるんですよね。
高校留学の時は一生懸命日記を書いていた。
ロンドンに留学した時も優子が後から来るまでの短い期間はいろいろ書いたっけ?
優子が来てからはあまり書かなくなったと思う。
非日常の世界。自分を見守る他者が必要になるのだろうか。

私小説だって、作家たちは自分の体験を切り売りしている。それと同じでしょ。
「日常」の世界はそれ自体で完結している。何も訴える必要はない。
日常のバランスが崩れ、危うくなったときに、バランスを取戻し、自分を確認するために何らかの作業が必要になるのだろう。
それは何かを書くこと、誰かに訴えること。ウチの世界が完結しなくなり、外に何かを求める必要が出てくる。
何かを表現せずにはいられなくなるのかもしれない。

Friday, March 22, 2013

NHKの連ドラ「純と愛」より

愛)僕は死ぬのは怖くありません。僕が生きた証を残したのですから。
神様は言ってました。愛し合う者たちはいつは別れるんだって。
残された方はどんなに辛くても、生きていかなくてはいけないんだって。

神様は全知全能の神じゃなくて、ちょっとしたことしかできないんですよ。あんまり神様に期待しちゃダメです。願いが叶わなくても。結局僕たちの運命を決めているのは、自分自身の意思と信念しかないのですから。

純)いとし君は納得しているの?

愛)はい、、、と言いたいけど、やっぱ無理だな。入院してからずっと心の中で叫んでいます。なぜオレが死ななきゃいけないんだろうって。どんどんイヤな奴になっているんです。オレの他にもっと死んだ方が良い奴なんていっぱいいるじゃないかって。
もっと純さんと一緒にいたいなって。離れたくないなって。もっといっぱい純さんと話したいなって。

Sunday, March 10, 2013

4年2ヶ月

日曜日。すっかり初夏の陽気だ。今年初めてスタバをアイスコーヒーにした。多くの人はマスクしてるけど、僕はしない。したってしなくたって鼻水タラタラはさほど変わらないし、家に戻りしばらくすれば何とか落ち着くんだ。今年は花粉が多いという割にはそれほどひどくはない。鼻が詰まって眠れない夜はまだないし。

今電車の中。新調したiPad miniで書こうと思ったけどあれは両手を使うんだよな。立ったままだとiPhoneの方がやりやすい。講演に招かれ久しぶりに国分寺に向かっている。昼メシどこにしようかな?駅前のスタバは学生っぽくて進化がないし。食べログでみたら駅ビルにイタリアンとかありそうだ。この陽気だと混んでるかもしれないけど。

朝、じんの昼メシにチャーハンを作った。祐馬はえっちゃんにあげるんだと、ケーキを一生懸命作っている。ちゅけは春休みで北海道から戻ってきたけど泊まり込みでスキューバに行っちゃった。

月命日の記事を書いてないことがずっと気になっている。
だって書けないんだもの。
それでいいじゃん!おめでとう!
そうも言えるんだけど、まだそうしたくないでしょ。

でもリア充だと書けないんだ。気持ちの底に降りて行けない。一般人なら支障ないんだけど、精神科医としてはハンディでしょ。共感力が低下するのが心配。今日もこれからそんな話をするのに。

なら、もう少し落ちていたいわけ?
そうね、その方が優子の哀しみに触れられるから。
なにワガママ言ってるの?!
落ちることと不幸になることは違うんですよ、きっと。今までのうわっついたhypomanicなトーンをもっと下に軌道修正して、孤独の近くに佇むみたいな。
その位置をキープ出来ればいいのだけど、僕の場合そうなるとすぐにウロチョロし始めて軌道を修正し始めるからなぁ。
そうだ、子どもたちとカラオケに行って「M」を歌おう。


---

講演は終わった。
夕方になるとずいぶんと涼しくなるなあ。半袖ではさすがに寒い。
あれで良かったんだろうか?
ちょっとまたしゃべりすぎちゃったかなぁ。。。

Q) 強迫的に相談電話をかけないといられないとはどういう心情ですか?

その質問に答えるために、俺の優子体験をしゃべってしまった。
「ざわわ、ざわわ、ざわわ、、、、」
心の稲穂がすべてザワザワなびいてしまう体験。
あの時は友だちに電話しまくっていたもんなぁ。
そんなに自虐的にしゃべらなくたっていいじゃん。
いや、良いんですよ。そうやって低め安定で日常生活をナビゲートしていたほうが落ち着くでしょ。

ま、そういうことにしておきましょう。

Tuesday, February 5, 2013

優子ちゃんへの伝言です。

優子ちゃん、お久しぶりです。
いつもバタバタと生活に追われちゃってて、なかなか話しにこられなくてごめんね。
でも、優子ちゃんのこと忘れたことはないんですよ。
今日はなんだか無性に優子ちゃんとTikiがロンドンのアパートで優子ちゃんの27歳の誕生日のお祝いしている写真がみたくなってやってきました。嬉しそうにシャンパンを抜いている優子ちゃんの姿がたまらなくほほえましくて。
もう4年がたったんですね・・・・。
正直、4年前のTikiの悲しみは私たちにはどうすることもできなくて、辛かったです。
Tikiの悲しみのかたちはかわっていくのかもしれませんが、Tikiが優子ちゃんに会えるこのブログを更新して、私たちにも開放してくださっていることに感謝しています。
そして、Tikiの優子ちゃんへの深い思いと家族の絆をいつも感じています。



この写真ですね。誕生日ということで優子がロンドンではめずらしい生牡蠣を探してきたんですよ。
家賃が高かったHampsteadからもう少し郊外のEaling Broadwayに移り、ロンドン生活にも慣れた頃です。屋根裏部屋の小さなフラット:小さいと言っても日本のスタンダードからすれば狭いというほどでもないかな。
僕は大学院に通う学生生活。優子はロンドンの日系企業で現地スタッフとして仕事してました。当時はまだバブル時代。ロンドンには結構職があったんですね。小さなままごとみたいな二人の生活で、週末にはヨーロッパあちこち旅行したり。仕事的にも経済的にもまだ安定しておらず、子どもを作ろうなんていう話も出ませんでした。結婚3年目で、まだきっと将来があるさ、、、という懐かしい時代でした。

優子が生きていようが死んでいようが、もう戻れない昔の思い出。優子が死んでくれたおかげで、こうやって懐かしく振り返る事ができるのかも。もしまだ生きていたら、感傷にふける余裕なんてないだろうしね。

Sunday, February 3, 2013

4年1ヶ月

今日は節分の豆まきだったんだね。
夜になって気がついたよ。

昨日、久々の友人と飲んだ帰りの電車、ふたりきりになったら、
「もう何年になりますかね?」
おっ、その話、来たね。
「いやあ、4年ですよ、もう。」
「あぁ、そうですか、、、」
それ以上は話が続かないけど、それだけのこと。

今日、行きつけの中華料理店へ子どもたちと夕飯に行く。
中国人のおばちゃんは優子の葬式にも来てくれた。
中国なまりの日本語で、
「ぼく、ずいぶん大きくなったねえ!!」
そう、中2のじんは最近すごく胸板が厚くなったし。
家族の成長を見守ってくれているおばちゃん。
「ところで、ママは、もう3年でしたっけ?1月3日だったのは覚えているんだけど、、、」
おっ、また来たね。
「いやぁ、4年なんですよ。」
「えっ、もう4年!?早いねえ、、、」
そうなんですよ、早いよねえ。。。子どもたちは大きくなるし。
中国の人の方がフランクに話せるみたい。日本的だとみんな遠慮するし、なんとなく触れないように避けたりして。

いや、避けなくても良いんですよ。言及してくれるって、割と嬉しいものです。覚えてくれているんだものね。一緒に振り返ることができる。
でも、アンビバレントかな。一瞬ちょっと身構えて「悲哀の仕事」モードに心を切り替える準備をしなくてはいけない。エネルギーの切り替えを要する。
いや、だからと言って避けなくて良いんですよ。いつでもスイスイ優子の面影を、過去の記憶を出し入れできるようにしておきたいのですから。身構える必要はないんですよね。身構えなくてもよいところまで持っていきたい。

Friday, January 11, 2013

ナマ乾きの悲しみ

だんだん、ブログが書けなくなってきている。
この4年間、一生懸命悲しみを叫んでいた。
意図しようがしまいが、書かずにはいられなかった。
今は、意図して書こうと思っても、書けなくなってしまった。書かなくてもよくなってしまった。
つまらない。

以前、教え子の学生が「ネットにみる心の叫び」というテーマで卒論を書いた。彼自身、叫ばずにはいられない状況だったのだろう。その2−3年後に父親が自死した。

中学恩師の写真展企画も、私の思春期の大切なパーツの喪失への悼みから乗り出したのに、会う人ごとにpositive strokeをくれる。

T君はすごく良く出来たもんねえ。

あなた、覚えているわ?何をやっていたの?
いや、いろいろやってましたけど。柔道に、ブラバンに、生徒会に、、、

クラスは同じじゃなかったよね?
でもよく知ってるわよ、T君、有名だったもの。

確かに中学時代は良かった。喪失に向き合い過去を訪ねると、昔の承認感がいっぱい飛び出してくる。そうやって自ずから再建しちゃう。

この4年間も、一生懸命復興に励んできた。結果的にはけっこう復興しちゃった。
痛みが消えると、言葉も消えてしまう。
言葉は出し続けたいのに。創造性はキープしたいのに。
べちょべちょだと困るけど、すっかり乾いてしまっても困る。
いや、普通の人なら良いのですけど、商売柄ひとの痛みに関わるためには、ナマ乾きくらいの方が都合が良い。自分に痛みを残しておけば、相手の痛みによくtune inできるんだよね。

それに、悲しみが消えてしまうのが怖い。
悲しみが、優子を留めていく唯一の手がかりだから。
優子が消えてしまうのが悲しい。
悲しみを手放したくないのに、だんだんfade outしていく。

Saturday, January 5, 2013

ブログへの転載可です

あれから4年。早いですね。早すぎますね。
でもお子様方は確実に育っていらっしゃって、うれしく思います。
特にご長男は昨春、大学進学なさったし…一つの大きな区切り、立ちですね。お正月を一緒に過ごせて良かったですね。優子さんも喜んでおられると思います。

さて、ブログにも書いておられましたが、腎臓が一つ無くなって、お子様方にとって、TikiさんがNo. 2からNo. 1に昇格したこと。
これが大きいですね。
換言すれば、それだけ喪われた優子さんの存在が大きかったと言うことですが。

我が家の場合、4人兄弟姉妹の末っ子を一昨年6月に亡くしたので、「地位」は何も変わらず、敢えて言えば、一番下のSYが「末っ子」になり、親の末っ子かわいがりの恩恵を受けている(笑)くらいです。

11月27日のブログのコメントにも書いたかも知れませんが、っ子を亡くしても、両親の歯車がちゃんと噛み合ってきたので、きな破綻もなく、家と車を買い、ネコを買い、ピアノが実家から来て、…等々前に進んでこられました。

ただ、末娘を喪った心の傷、空白は容易には埋まりません。
日々に占める割合は確かに減りつつありますが…

話戻って、優子さん。
思えば、草津のお家、ほかで、家族ぐるみでも、私1人でも、随分お世話になりました。
昔話をすれば、妻のSとのJASCでの同期で、楽しい時を過ごしました。

私1人で彼女のフルートコンサートを聴きに新宿に行ったこともありました。

その彼女の命日を「その日は」忘れていたのは不覚です。すみません。

最近、妻のSに、「Tikiさんに倣って、私が不慮の死を遂げたら、私のパソコンを開けて、メールのやり取りある人皆にお葬式に来てね、とメールしてね」と言っておこうかと思っています。

あの日、Tikiさんから来たメールは衝撃でした。
本当に突然のご逝去でしたから…。

Tikiさん、3人のお子さんにとってはどれほど衝撃だったかは想像を絶します。
その後4年、体勢を立て直してここまでこられたのは本当に立派だと思います。風の中の優子さんが見守ってくれていたからこそかも知れませんね

改めて優子さんの冥福を祈らせて頂きます。

---

後輩クン、どうもありがとう!

私にも先パイがいて、ずいぶん助けられました。
おなじようにパートナーを亡くした友人が何人かいて、お便りをくれたんですよ。それまではそれほど親しくもなかった人からもとても心のこもったメッセージをいただき、どんなに安らいだことか。中には気持ちの軌跡を書き表した人もいて、よく読ませてもらいました。悲嘆の法則性みたいなのがない訳ではないけど、そのプロセスは皆ひとりひとりユニークです。あ、そこは私と同じ!と共感したり、そこは私と違うな!と対比したりしながら、自分の気持ちがよりよく見えてきました。自分ひとりで悲しみに閉じているのではないんだ、仲間がいるんだという実感がとても気持ちを和らげました。そういう人の物語に触発されながら、自分の物語を見い出してきたのだと思います。

、、、とスキー宿で下書きを書いたのだけど、あまり乗らなかったよ。
じっくり心に降りていくには賑やか(楽し)過ぎる。
明日からは仕事が始動するし。まだもうちょっと深めたいのだけど、とりあえず諦めます。

Friday, January 4, 2013

友人の中の優子


あけましておめでとうございます。
突然メールを差し上げるご無礼をお許しください。

毎年お正月が巡ってくるたび、優子さんのことを思い出しておりましたが、今日は、机上の整理をしていて、今日1月3日が優子さんのご命日だと気づきました。

早いものでもう4年になるのですね。小さかった一番下の坊やももう中2になられるのでしょうか。実は私の息子が1歳違いでとても親近感を抱いておりました。それだけに、あのあと、お子様たちのことが気にかかって仕方ありませんでした。

優子さんとは仕事の合間に おしゃべりしたことなど、今も鮮明に覚えております。優子さんが天国に旅立たれたあとしばしば彼女のことを思い出し、また、あの悲しかったけれども、ご主人さまの 愛情に満ちたお別れの会のことを思い出しています。

私も今、反抗期に入りつつある難しい年頃の息子との距離感をうまくはかることができず3人ものお子様を育てながら、バリバリ働いていらした聡明な優子さんなら、どうされただろうか、などと時々想いを巡らせております。

読んだあとは燃やして天国の優子さんに返してあげて、と書いていらしたお手紙は、勝手ながら今も手元に置いて、おりにふれ、読み返しては、自分と自分の家族が問題にぶつかったときの支えというか、指針にさせていただいております。

あれから4年ですが、こうした形で、奥様が友人の心の中で、話しかけているということをふとお知らせしたくなって、メールしました。大きな空白を埋めながらも、きっとご家族が一層強い絆で結ばれて、前進していらっしゃることと思います。
突然のメール、失礼致しました。

---
心温まるメールをありがとうございます。
このように優子や我々のことを思っていただける方がいることは我々にとって大きな安らぎです。
昨日の命日は子どもたちとお墓参りに行き、夜は4年前に助けてくれた近所の保育園時代の仲間を家に招いて楽しく過ごしました。

子どもたちは元気に成長しております。悲しみを隠さず表現するのが心理学のセオリーで、子どもたちには父親の悲しみをたくさん見せてきましたが、彼らは大人ほど表現しません。まだその表現力がなく隠したままなのか、あるいはそれなりに消化しているのかわかりません。
幸い、老親が家事を協力してくれ、仕事で不在がちの私を補ってくれます。大震災と同様に、危機は人々の絆を深めるようです。多くの友人・知人たちが見守ってくれ、また父親と子どもたちの距離も近づいたように思います。思春期らしく親にも反抗したりいろいろ心配させてくれますが、幸い前向きな元気さは失っていないように思います。

優子は天国のブースから、私の数々のミスをハラハラしながら眺めていることでしょう。
お気持ち、ありがとうございました。

Thursday, January 3, 2013

4年目

お墓参り、前回いつ行ったっけ?
忘れた、、、
ホント、久しぶりだよね。寒かったけど海が澄んでいて奇麗だったね。途中の高速道路からは白い富士山もくっきり見えたし。
ちゅけはもう札幌に帰っちゃった。祐馬とじんと3人でお墓参り。
帰り道に今晩のお魚でも買おうかと思ったらマグロ市場はまだお正月休みだった。市場が開いていないのかね。午前中から出かけてお昼には戻ってきた。じんはおじいちゃんと書き初めの宿題。祐馬とパパは本門寺に初詣。そうだ、カイ君も連れて行こう。

(年末の会話)
ねえパパ、1月3日どうすんの?
いやあ、どうしようかね。特に考えてもいないのだけど、、、。何かしたい?
祐馬、わざとらしいのイヤなんだよね。みんなと集まって楽しくやろうよ、、、
じゃあ、保育園の連中を呼ぼうか。
だれを呼ぶの?
Aさんと、Bさんと、Cさんと、、、
Dさんは?パネル作ってくれたんでしょ!?
そうだね、いいよ、呼ぼうか。でもあまりたくさんだと大変じゃん!
だって、ママが死んだときは部屋中いっぱい人が来たじゃん!
まあそうだけど、そこまでしなくてもいいんじゃない!?

残念ながら、年ごとに優子を想うintensityはどんどん落ちていく。
「あの時以来、時間が止まったままです、、、」
とよく言われる気持ちはわかる。しかし私の場合、進んで欲しくない時と、否応なしにずんずん進んでしまう時とのギャップに悩んでしまう。
子どもたちは良いんだよ。どんどん進みなさい。どんなに変わったって、成長したって、Childhood Memoriesは消えるはずない。ママの記憶も消えるはずない。45歳のまだ元気なままのママのmemoryで凍結させることができるね。おばあちゃんにならなくて済んだから優子はラッキーだ。私も心配することはないのだろう。どんなに進もうが変化しようが、優子の記憶は変わらず保存され続ける。

PTSD (=Post-Traumatic Stress Disorder)の逆バージョンがPTG (=Post-Traumatic Growth)なんだそうだ。Singaporeでのプレゼンテーションでは震災後の日本文化の復興をPTSL (=Post-Traumatic Stress Life)という造語で説明した。病気になっては困るけど、ごく普通でいいんだ。超楽観的な欧米的価値観ではすぐ「成長」したがるが、なにも成長(grow)しなくたっていい。

でも、確かに成長はしたのだと思う。優子を失ったストレスに向き合い跳ね返すために、何かが必要だった。優子を失わなければ、その何かを発動する必要はなく、平穏無事な生活で事足りたのだ。それは何か?

1)人々との出会い・サポートネットワーク。
 一番大切な関係の喪失を埋め合わせるため、たくさんの関係性を築いてきた。子どもたちとの関係。ふたつの腎臓の一つがなくなり、残った一つしかなくなった。そりゃあ大切でしょう。子どもたちにとっても、父親にとっても、重要度は増した。母親に次ぐNo. 2のparenthood statusからNo. 1 (Only One)に格上げされた。
 老親との関係。孫と関わる大切な役割を担ってもらっている。
 保育園仲間から、友人から、教え子から、講演会の聴衆まで(この4年間、優子ネタを相当使ったし)。そしてブログの読者。多くの人を巻き込み、私のsecurity networkを作っていった。優子を失わなければ、ここまでやる必要もなかったのに。

2)物語の創造。
 喪失は、失ったままだと何が起こったのか理解できない。優子を失わなければ、これほどたくさん考え、たくさん書く必要はなかった。普通の(defaultな)時間・人生であれば際立たせる必要も意味もない。普通ではない、特殊な、traumaticな出来事に対して、それはどういう意味なの?自分にとって、家族にとって、今にとって、今後にとって、、、、?
よくわからないから、その意味を一生懸命考えて見出さなければならない。そうしないと、不可解の渦に巻き込まれ、自分を見失ってしまいそうだった。たくさん悲しんで、でも悲しむだけだったらしゃくだから、どうにかpositiveに意味づけようとわざとらしくこじつけたり。結局のところNegativeでもPositiveでも良いんですよ。その両者がごっちゃになって、生きていくために新たな意味づけを迫られた。まあ、それは終わりのない物語なのだけど、それを綴ろうという動機づけ、綴らずにはいられない状況に陥った体験は、psychotherapistとしては確かに成長したのかもしれない。

というのが、私にとってのresilienceなのかな。
さて、そろそろ夜の集まりの準備にとりかからねば。今晩はラザニアとクスクス・サラダでも作ろう。あとはみんなが適当に持ち寄るだろうし。

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今日はどうも。久しぶりに会えて嬉しかったです。

子供たちのこと(パパもですが)、いつも心配してますがどうしたらよいのかよくわからなくて何も出来なく申し訳なく思ってます。
でもみんな心身頭ともに上質な筋肉に恵まれてるからね、大丈夫。
とはいっても色々あるでしょうし中年オバサンと変な?おじさんでお役にたてることがあればいつでも声かけて下さいね~。
お休みなさ~い