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Saturday, October 30, 2010

ブログ語り

メールは一方通行のコミュニケーション。
自分の思いを相手に一方的に伝えるから。

伝えた相手からresponseがあると、自分で勝手に作ったイメージの世界を相互作用の中で修正しなくてはならなくなる。折り合うことが必要になる。それが現実の家族生活・社会生活なんだけどね。

メールなら、自分の世界を壊すことなく、傷つけられることなく、他者に伝えたいことだけを選択して伝えることができる。他者に妨げられることなく自己全能感の中に留まりながら、他者と交流できる。
だからひきこもりはネットと親和的なんだ。

ブログの世界も同じだね。
自己陶酔、自分勝手、わがままな世界だ。
現実はそういうわけにはいかない。
優子だってそう。現実にいたときの優子は、良いところもあったけど、ヘンなところだってたくさんあった。
自己陶酔ブログの中の優子は、都合の良い部分だけが再構成される。
時々寄せてくれるコメントだって、傷つける意図はない、僕の文脈の流れの枠内の交流だ。
これが議論するメーリングリストや掲示板だと様相が違ってくる。

優子との接点を語り尽くしていくボクの喪の物語。他人が口をはさむものではない。コメントで支えてくれる。
このブログ語りに終わりがあるんだろうか。今後も、語り尽くすことはないと思う。語れない部分が出てきた時に、あるいは語る相手ができた時に、ブログは終わるんだろう。

その一方で、ブログを読みに来てくれる人たちの存在は大きい。

ご無沙汰しています。
ずーっと、ブログ読ませて頂いています。
これが、お伝えしたかった事です。
が、ついでに、全く自分本位な感想なんかも書いてみます。聞き流して下さいね。
(かなり中略)、、、ブログを読んで、引っかかった事で、また、改めて、未解決の葛藤に向き合うチャンスを与えられたからとても嬉しかったです。

それはxさん自身の物語。
僕の物語が、xさんの物語を発展させるし、そのメッセージが僕に返ってきて、僕の物語が発展するんですよ。お互い、別々の物語だけど、時々交わることでその存在価値が改めて確認されるわけですね。

愛のパラドックス

愛って、ひっつきたい、近くにずっといたいという欲求でしょ。
でも、愛が成就して、安定してカップリングしちゃったら、愛は見えなくなる。これ、パラドックスだね。
ひっついて一緒の生活を始めれば、必然的に葛藤が生じる。
むしろ離れている不安定さの元で、愛が前面に出てくる。

優子と結婚する前は愛を感じた。普段は別々の生活で、週末に一緒の時を過ごすくらいだったから。
新婚当時も感じていたかな。夫婦のカタチを作ろうと試行錯誤していたから。安定を目指していたけど、まだ安定はしていなかった。
病院に優子を見舞いに行くときも愛を感じたよ。不安定な形で離れていたから。
留学から帰国し、ふたりとも就職し、子どもを作ることにした。
出産に立ち会ったときは最高に愛を感じたよ。優子にも、生まれた子どもたちにも。

でも、一緒に過ごす日常生活では、愛は背景に後退し、代わりに仕事や子育ての葛藤とストレスが前面に出てきた。安定しちゃうと、愛は感じなくなるんだ。

ひとりの海外出張から家に帰ってきたら、愛を感じた。
最後に優子とふたりで行った韓国旅行も愛を感じた。非日常性の世界だったからね。
二度と優子と会えない今、ずっと愛を感じている。
成就されない愛=悲しみ
なのかな?

教訓:愛情をキープするコツ
べったり一緒だとダメだね。適宜離れて、ふたりの間に不安定さのスパイスを少量投じる。

仲間とワイワイ解決法

しかしオマエも単純だね。
友だちの子どもが今、大変なんだって!?
昼ゴハンを食べながら、ひととおり話を聞いて、う~ん、親の気持ち的にはcrisisだよ!
さっそく、仲間を集めよう!
明日の日曜日、ママさん、パパさんで集まってさ、いろいろ話し合おうよ!

それは、オマエがcrisisのとき、経験したことをそのままやろうとしてるんだろ。
お葬式までの一週間、保育園パパママたちが集まってくれ、親しい人たちとたくさん交わり、支えてもらって危機を乗り越えたから。
そりゃあ、確かにひとつの有効な方法なんだろうけど、それがすべての人に当てはまるわけではない。
そういう意味では、オマエはかなり極端に仲間とワイワイ志向が強いんだということを覚えてろよ。人が集まると気を使って疲れてしまう人だっているんだぞ。優子がそうだったから。優子は少数の友人を大切にしていた。みんなでワイワイではなく、ツーショットでじっくり深めた方が有効な場合だって多いはずだ。

カウンセリングもそうだね。
個人療法で、1対1、じっくり向き合うのを好む人。
家族療法やグループ療法で、多くの人の中で支えられエンパワーされる人。
いろいろいるはずだ。
オマエはextrovertだから後者が好きなのは理解できるけど。

オマエの職場だってそうだろ。秘書や学生や相談員さんたち、常に多くの人たちが出入りしている。オマエはそういうのが落ち着くんだろ。変わったやつだ。普通の人は、まわりから隔絶され、ひとりでいた方が落ち着くんだぞ。優子もそうだったと思うよ。

Monday, October 25, 2010

大切な週末

今晩は、子どもたちダブル・フンデュだぞ!
チーズ・フォンデュはうちの冬場の定番だよね。
たっぷりのチーズをフォンデュ鍋に溶かし込み、延べる液体はキルシュやワインではなく、牛乳だよ、子供たち向けにね。
具材はバゲットだけじゃなくて、じゃがいも、ニンジン、ブロッコリ、アスパラ、パブリカ、それに今回は祐馬の好物のカボチャも加えて、たっぷり野菜にチーズをつけて、みんなで食べよう!

今回はそれだけじゃない。チョコレート・フォンデュもやろう!うちでは初登場だ。
このあいだダイシンで買ってきたバーニャカウダ用の小さな陶器に板チョコと生クリームを入れるよ。ロウソクで暖めたら、おもしろいように溶けていくね。具材はバナナとリンゴとマシュマロだよ。ほんとはイチゴなんかもあったらいいんだけど。
板チョコ3枚、ペロっと食べちゃった。子どもたちは争うように、というか実際争いながらよく食べる!!
パパは白ワインもね。軽く1本空けちゃった。

すごいカロリーだったよ、今晩の食事は。
でもいいんだ、普段の日は粗食にして思いっきり絞り、
週末は、子どもたちと思いっきり食べよう!

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ホントは大切な週末は子どもたちとずっと過ごしたいんだけど、土日はパパも結構お仕事とか入るしね。
だって、いつもテニスとかも行ってるし。仕事じゃなくて、パパ勝手に遊んでるじゃん。
昨日も友だちと飲みに行くとか言って、夜、遅くなったし!
そうなんだよねえ。なんか最近、友だちと会うことが多くなったなあ。
もともとパパは社交的な方だったけど、最近、それが益々ひどくなってるみたい。
自分でもそう認めるよ。
だって、子どもたちとか家族がいるじゃん!
そう。それは一番大切なんだけど、それとは種類がちょっと違うんだよね。じじ・ばばも家族で大切だけど、子どもたちの大切さともちょっと違うし、パパにとってお友だちの存在も別の意味でとても大切なんだ。
そんなの、わかんない!なんかそういうのって、裏切られたような感じがする。
うん、その気持ちはわかるけど、、、
パパ!子どもの気持ちを甘く見ちゃダメだからね!
、、、、は、はい。
パパ、そうやって、話したこと勝手にブログに書かないでよ!
はい、済みませんm(_ _)m

Thursday, October 21, 2010

今日のつぶやき(ツイッター)

最近、久し振りに会うと「やせたね」と言われる。
そうね、かなりしぼってるのは確かだけど。
マゾヒスティックに、全身の運動と感情のエネルギーを使い切る。
足りていない体重(喜び)が、少しでも満たされる瞬間の落差の喜びを何度も味わうことができる。
でも、後でまた減らさなければ、だんだん幸せが満ち足りてしまい、落差の喜びはもう得られない。
満ち足りてしまったら、欠けることの不安と、際限ない欲望にいつも悩まなければならない。
おなか一杯になってから、また体重と幸せを手放すって、かなり辛いから。でも、それはオレの得意分野だ。手放す痛みは、もうプロだぜ。
愛が深いほど、別れの痛みも深くなる。
失うことは、もう怖くない。
孤独なら、人と出会う喜びを全身で満喫できる。
I don't deserve to be fully satisfied/happy.
I need a vacuum of emptiness where I can meet Yuko.

こんなことが可能となる前提)
僕の外野は応援団で埋め尽くされているから、こんなこと言えるんだ。
マウンドにひとり立ち、プライドを持っで、一流にプレイする自信はある。
でも、どんな球も受け止めてくれる有能なキャッチャーが突然消えた。
いくらでも内野手とボールを回すことは出来るが、ホームベースに直球は投げられない。

健康野菜弁当

ちゅけは中間試験で弁当がいらないので、自分だけの弁当を作った。

  • ナスとピーマンの卵とじ
  • 肉じゃが
  • しし唐の煮つけ

そんだけ。

カルティエのラブ・リング






悲しみと希望が交互に出てくる多摩サイ。
混乱するよ。優子と悲しみしか出てこないよりはよっぽどマシだけど、ジェットコースターのようだ。
こんなにナルシスティックに自分の心情にfocusしたこと、今までなかった。
エネルギーの励起状態。優子を失うというbottom lineをhitした今、何だってできるんだ。
悲しみは手離してはいけない。オレのidentityの重要な構成要素だから。問題は、その上に希望と喜びが乗っかるかだ。
まだ、primitiveで未分化な喜び。今後、どうなるかわからない。安定していた人生が、突如全くわからなくなってしまった。青年期に逆戻り。
その一方で、岩のような安定感を子どもたちやfellow colleague達に提供する。
矛盾してない?
いや、ぜんぜん。不安定な自己があればあるほど、意図的に他者との関係を安定させることができる。もう何だってできるよ。

カルティエのラブリングを2年ぶりに左手の薬指につけて一日過ごしてみた。今日はチャリ通勤ではなかったので、特に意味もなく。結婚10年目にふたりで作った新・結婚指輪。内面にはYukoの文字が刻まれている。もう一個の結婚時のオリジナル指輪はお墓の骨壺に入れ、優子に預けてある。優子のカルティエは祐馬が年頃になったら付ければ良い。
人に見せるわけじゃない。自分で確認するために、ふとつけてみた。今まではつけることができなかったけど。

もうつけちゃいけない?
そんなことない、このリングは僕のアイデンティティの一部なんだよな。過ぎ去った時代の大切な自分。優子を葬るために、リングまで葬る必要はないはずだ。
今までは、優子を思い出すため、悲しみと出会うためのアイテムだった。
今は悲しくないと言ったらウソだが、優子は過去の思い出ではない。今の自分を構成する大切な要素だ。ファッション・アイテムのひとつとして。

優子にしがみつかなくても良い。
無理に忘れようとしなくて良い。
特別扱いしなくたっていいじゃん。ふつうに優子をつけていれば。
悲しむことも、恐れることもない。
だれに見せることも、だれに隠す必要もない。
過去のidentityの基盤の上に、新たなidentityが築かれるんだ。

Sunday, October 10, 2010

結婚記念日

京都へ向かう新幹線の中。
とても気持ちが落ち着くひと時だ。
ひとつの現実から、離れた場所の別の現実へタイムスリップする間のわずかなひと時。明日には、また元の現実に戻ってくる。どの現実からもかい離した空間で、ゆっくり自分の内面に向き合える。
ラミーの万年筆にバイオレットのインクを詰め替えたんだ。黒やblue blackとは違う、パステルカラーの優しい色。直接ノートPCかiPad/iPhoneに入力してもいいんだけど、いったんアナログに落とすと落ち着くんだ。
今回は荷物が少ないのでテルモスの保温ジャーを持ってきた。品川駅のスタバでカフェモカを入れたら、京都まで温かいままもつかな。普段の通勤電車では仕事の本を読むか原稿書きに追われている。普段は読めない(気持ちにその余裕がない)文庫本を3冊カバンに入れた。あと、いつもどおり書きかけの原稿も。どうせ手につかないだろうけど、念のため。

今日は23回目の(、、、そして、優子がいなくなって2回目の、、、)結婚記念日。
大丈夫だよ、オレは前に進んでいるから。ウジウジ優子の面影にしがみつくほど弱虫じゃあない。そう、京都に向かっているんだよ。(去年の今日も新幹線に乗っていたんだ。ブログをみたら)

でも、オレはどこに行くんだろう?
今みたいに迷っているのは、若い頃だった。
大学を出て、優子という伴侶を得て、留学・就職、そして三人の子どもたち、、、
選択肢をひとつずつ選びとり、歩む道は確定していた。安心して迷うことなく、家族というパーティーを組んで稜線を縦走していたんだよ。
そしたら、急に同行者が足を滑らせ谷に落ちて消えちゃった。

でも、大丈夫。オレは山岳部で鍛えていたんだ。
高校3年生、アメリカ留学から帰国した夏、後立山連峰の単独縦走だってこなしたんだぞ!それを区切りに、大学受験の勉強に向かったんだ。

今、霧はかかっていない。
道は自分で切り開ける。
たくさんの人々がまわりから支えてくれている。
かけがえのない三人の子どもたちもしっかり一緒に歩んでいる。
でも、同行者がいないんだ!

それがなんだ!
オマエ、山岳部なんだろ!?
単独行だってできるんだろ!
山麓から稜線までの樹林で覆われた辛い登りのアプローチは終わったんだ。すでに、樹林帯は超えている。見晴らしの良い3000m級の山々をめぐっているんだろ。
十分、ひとりで、子どもたちと歩んで行けるはずだぞ!

Saturday, October 9, 2010

Extroversion

僕も徹底的にプラス人間なんですよ。
Positive Thinkingなんて言えば聞こえはいいけど、要するにマイナスをマイナスに留めておくことができないんです。
ユングのタイプ論で言えばextrovert(外向タイプ)。悲しみでも何でも負の感情エネルギーを自分の内面に関心を向けたり内にとどめておくことができず、外に向け、他者と関わり、具体的な行動・行為として表現して、外に放出するんです。

内向き・外向き、どちらが好ましいとか、良い方法だとかではないんでしょう。
要は、そのエネルギーがうまくコントロールさているか否かで、善し悪しが決まります。

  • うまくコントロールされた内向きのエネルギーは、自分の気持ちを内省し、深く掘り下げ、悟りの境地に向かう。良い本を書けるかも。
  • コントロールできず、逸脱した内向きのエネルギーは、気持ちを落ち込ませ、うつ病になり、自分自身を破滅させ、究極的には自死へ向かう。
  • うまくコントロールされた外向きのエネルギーは、行動化され、人との関わりの中で発散される。僕の場合、自転車のペダルに向けられたり、父親役としての子どもたちへの関わりや、いろんな人との関わりを求める。それが生産性に繋がればラッキー。
  • コントロールできず、逸脱した外向きのエネルギーは、攻撃性としてまわりの人へ投影され、まわりに害を及ぼすような行動となる。

Friday, October 8, 2010

Anti-Aging

今回の集まりで、久しぶりにみなさんと会えたのは楽しかったです。
みなさん、お気づきのことと思いますが、TIKIが若返りました。どうみても30歳代で
しょ?
娘さんのコーディネイトによる当日の服装とのことでしたが、顔色も良く、「もしか
したら?」と思わせるような雰囲気がただよっていました。
Ted

Tikiがほんとほっそりして見違えるようです~。Tedといい、私にもアンチエイジング方法、ご教示ください!!
Misia

アンチエイジングですね。
それは、若い女の人とXXすることです(僕の場合)。
Ted
(XXの答え=仕事でした。)

ハハハ、往年のTed節、全開ですなあ。その話は裏に置いておいて、、、
僕の場合、まずexerciseね。5年前にチャリ通勤を始めて以来、天気が良ければ週に3-4回片道32kmをスポーツ自転車で往復。一気に8kg落とし、その後リバウンドで戻っちゃったけど、この半年くらいなぜかまた落ちてます。真夏にも週末に仲間とテニス4時間してたのも関係あるかな。ゴルフもルーチンにやってるけど、そっちはあまり関係ないかも。

メシは普通に食べているし、週末には結構飲み食いもしているんですけどねえ。
でも、1年半前から子どもの弁当のついでに自分の分も作り、当初は男弁当がっつり一人前食べてたけど、最近はぐんと量を減らしてます。

あと、気分的にはハングリーでいることかな。満ち足りて到達しちゃったらそれで人生おしまいじゃない。どこか、足りなく、欠けた部分があるとハングリーでいられるみたい。僕の場合、気持ちがずっと足りていないから、おなかも足りていないと心身のバランスがとれてちょうど良い感じなんですよ。

Tiki、気持ちハングリーっていいですよね。僕も改めて自分の気持ち見つめ直すきっかけとさせていただきます。究極のアンチエイジンクですね!
Ted.

Wednesday, October 6, 2010

アドレナリンの慢性過剰放出状態

今日から秋学期の授業開始。
祐馬が選んだ若づくりのGAPを着ていったら、みんなから言われたよ。
事務員が「先生、痩せました?
半分まくしあげた前腕を学生が見て、「わー、先生、ムキムキ!
相談員が、「まあ先生、スポーティーで!
夜はJASCの連中とミニreunion。優子も一緒だった仲間たちと、たくさんの懐かしい思い出話のひとつとして、優子の話もできた。「Tikiさん、見るたびにだんだん若返っていくんじゃない!?
そうだよ、どうせオレはベンジャミン・バトンだぜ!

10年前に伴侶を亡くした先輩widowのはっちゃんは
Tiki、元気そうだね。でも、まだ2年経ってないでしょ!?まだまだ!
私は立ち上がるまで3年かかったよ。

心の危機に対して、うつ、やる気喪失みたいなdown系にはならなかった。それは僕の性分ではない。とにかく気持ちが先行しちゃうんだ。やたらに動き回るup系
多分、告別式で優子の亡骸に怒りをぶつけて以来、ずっと怒っているんだよな。
感情のhyperactive状態としての怒り。もちろん誰かに向けるわけではない。僕自身の内在する感情としての、放出する行き場のない、また放出する必要もない怒り。というか、とてもactiveなemotional process。

この1年9ヶ月、ずっと走り続けている。
自転車と同じ。立ち止まると倒れて、起き上がれなくなるのが恐いのかな。
走ることで、前に進めることでかろうじてバランスをとっている。
いや、そんなに切羽詰っているわけでもない。走ることが心地よい。そうやって涙を振りちぎるんだ。
明日はしばらくぶりに多摩サイを走るぞ!

Monday, October 4, 2010

1年9ヶ月

おう、優子、久しぶり。みんなでやってきたぞ。
おばあちゃんも夏の暑さから回復して、まあ元気そう。誘っても来ないかと思ったけど、一緒に来たよ。水で清めて、花を手向け、お線香をあげるだけの短い時間だけど、子どもたちとおばあちゃんにとっても、とても大切なひと時だ。帰りにファミレスに寄って、子どもたちの食べっぷりと騒々しいおしゃべりにおばあちゃんも心を和ませた。子どもたちもお小遣いをもらって超ラッキーだったね。
おばあちゃんも、以前までは、
「優子は仕事で無理をしたのがいけなかったんで、、、
まだ親戚や友だちにも言ってないんですよ、、、
でも、Tikiさんと子どもたちに恵まれて、短いけれど幸せな人生でした、、、
でも45歳じゃあねえ、、、ちょっと早すぎたわねえ、、、」
みたいなトーンだったから子どもたちもイヤがっていたけど、今日の話は少し変わってきたよ。
今だから話すけど、優子は結構もててね、結婚前は盛んだったのよ。
卒業旅行でヨーロッパに行ったら、おっかけて付いてきた男性もいたのよ。
いや、優子もバカというか、当時の彼氏からの手紙や写真をマル秘のお宝箱にとっておいたんですよ。死ぬとわかっていたら処分しただろうに。それを見ると、彼が優子についてきたんではなくて、当時、ヨーロッパに留学していた彼に、優子が会いに行ったみたいよ。彼の手紙には、
「優子は、どうしてもTikiさんと結婚するのか?」みたいなことが書いてあって。
その半年くらい前に僕がプロポーズして、だいぶ待たされていた頃だったから。優子は二股かけていたというより、彼に会って気持ちの整理をつけたかったんだろうね、と良い方に解釈してあげるよ。彼には僕の存在を伝えたけど、僕には彼の存在は伝えなかったんだね。

後悔や悲しみとはちょっと違う、こういうちょっとおバカで楽しい話なら、子どもたちに聞かせてもいいかな。後部座席で祐馬がバッチリ聞き耳を立てていた。
パパがプロポーズする前にも、ママはけっこう結婚を申し込まれたみたいよ。
だって、ママが結婚したの23歳でしょ。それ、早くない?
そうだね。ママはとても男の人にもてたんだよ。可愛かったもの。
なのに、どうしてパパなんかと結婚したの?
そりゃあ、パパが一番良かったんだろうね。ママは、たくさんの男たちの中からパパを選んだんだよ。パパだって、たくさんの女の人たちの中からママを選んだんだから。

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私たちはたくさん得たのよ。何も失っていないわ。そうでしょ!?
そりゃあ、心の中には優子が残ってるけど、片面だけだぞ。B面の、口うるさく、子どものしつけや部屋の整理でケンカして、ムカつく優子は失ったよ。A面の、聖女の偶像しか残ってない。

男としての自分らしさを求めたからって、私を忘れようとしたり、TIkiの人生から私を消し去ろうとすることではないのよ。たとえ、Tikiが新しいパートナーを見つけたとしても、私がTikiの人生の一部だということは消し去ることはできないの。
じゃあ、どうすんの?
もし仮に新しい人ができたって、優子とバッティングしちゃうじゃない!?

そのあたりのことは、僕も机上の空論としていろいろ考えてみたんだよ。
人を愛そうと思ったら、優子を愛した記憶が出てくると思うんだ。それは大切だと思うんだよ。愛の記憶があるから、新たな愛に向かう自信につながる。ちょうど親に愛され、親を愛した体験が、新たな愛へ向かえる原動力になるようにね。成長して親離れすれば、過去の記憶が現在の肥しになるように。
(ただし親離れ・子離れできてないと、親子の愛着や葛藤がパートナー間に投影されたりするけど)
優子を愛した体験が、新たな愛へのエネルギーになりうるの?
親子の愛とパートナー間の愛は、種類の違う別のチャンネルだからいいけど、パートナー間同士だったら混線しちゃうんじゃない?新たな人を偶像の優子と比較しちゃったりして。

しっかり、優子離れすればいいの?
別に記憶から消し去るわけじゃない。親離れみたいに、記憶は大切に温めてるけど、もうそこに執着しないというか、済んで整理された、過去の温かい記憶だったらいいのかな??
、、、よくわかりませ~ん!

Saturday, October 2, 2010

Re: Scrap and Build

Tikiさん、優子です。
Tikiの複雑な気持ちを読むと、私への愛情を感じてとてもうれしいわ。


優子のことなんか、もうどうでもいいんです。悲しみの仕事は、だいたい片付いたから(やせ我慢してる?)
私のことって、もしかしたら悲しみのことよね?
私のことを、まだ深く愛してくれていることよくわかるわ。もうどうでもいいっていうのは、私のことじゃなくて、喪失感のことでしょ?この文章だと、私のことと、私を失ったことがごっちゃになってるわね。
私はずっとTikiと一緒だったから、Tikiの気持ちはよくわかってるつもりよ。20年余りも家族と人生を共にしたんだもの。
私たちはたくさん得たのよ。何も失っていないわ。そうでしょ!?


ときどき、方向を見失いそうで不安になるんですよね。
そんなとき、優子と一緒に20年かけて創った自分の原点に戻って、コンパスとブログという地図を使って、どこまで来たか確認してるのかな。
Tikiは心細くなると、いつも私のことと、私との生活を思い出してくれるのね。

私は、まだTikiの中で生きているのね。

むしろ、今は、親として、男としての自分のidentityを再構築する仕事をしているのかもしれません。
だれでも、いろんなidentity(自分らしさ)を持ってるわ。プロとして、親として、男性・女性として、あるいはスポーツや音楽や芸術などでも。
Tikiはプロ(専門家)の道と、父親(そして男性)の部分で、今、自分探しをしてるのね。
だれでも、人生の節目節目で自分らしさの特定の部分に注目すると思うの。それは、私が地上にいても天国にいても変わらないわ。
男としての自分らしさを求めたからって、私を忘れようとしたり、TIkiの人生から私を消し去ろうとすることではないのよ。たとえ、Tikiが新しいパートナーを見つけたとしても、私がTikiの人生の一部だということは消し去ることはできないの。
だから、悲しむ回数が減っても、自分を責めたりしないでね。頻度はあなたの愛の深さとは関係ないわ。悲しみと愛は別のもの。
Tikiは、Tikiの中にいる私のことをとても大切にしてくれている。とても嬉しいわ。


喪の仕事も、経過とともにずいぶん変わってくるものですね。
そうね。それは、成長しているってことじゃないかな。Tiki, you are doing GREAT!


MOVE ON, Tiki!
そして、自分のことを優しくしてあげてね。


Love,
優子。

家に帰ろう!

仙台の研修はうまくいった。
昨日は、まる一日ワークショップ。新しい仲間も増えていくね!
夜、遅くまで相談員さんたちとホテルのバーで熱心に語り合う。
活動は困難ばかりだけど、みんなで助け合ってがんばろう!

今朝は、ゆっくり部屋の熱いバスに浸かり、チェックアウトして、さあ、家に帰ろう!
駅で、子どもたちとじじばばに萩の月も買ったし。
今晩は、子どもたちの好きなクリームシチューにバゲット。北海道から送られてきた毛ガニも食べよう。パパは白ワインもね。

明日の日曜は、一緒にお墓参りに行こうね。
子どもたち3人は、他のことでは絶対意見がまとまらないのに、ママのお墓参りだけは必ず一致する。
カイも連れて行こう!
ママに会ったら報告しようね....
子どもたちもパパも、がんばってるって!
ママがいなくたって、ぜんぜん平気だよね!
ママがいなくたって、幸せになれるよね!

そんなこと想っていたら、新幹線のホームで涙が頬を伝い、止まらなくなった。