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Saturday, May 30, 2009

祐馬のおしゃべり 3

二日ぶりの祐馬です。

実は今日、ちょっとしたニュースをお伝えしたくやって来ました。
決着が着いた!!
やっと、やっと、ワンちゃんが飼えるようになりました!
嬉しーー! ビーグル犬です。
おうちに来るのは最低でも祐馬とちゅけの期末が終わってからだから夏休みぐらいになるかな。でも、絶対草津には連れて行きます!!
ハイキング、登ろうね。
名前がまた問題なんですよね。パパは「優子」がいいとか言って。祐馬は「ゆず」がいいと思うんだけどなぁ。グループのゆずじゃなくて、単にゆずって言う響きが好きなのよね。

優子はさすがに呼びにくいよぉ!!ちゅけは顔が外国だからカタカナがいいとか言ってるし。一応、男の子にしようと思ってるからさ。じんは言ってることがイマイチ理解できない。。。
じゃあ、、、「和寿はっ!?」パパが「桜井は?」ちゅけが「ほくろは?」←ひどいよねー!!いっつもほくろって言うんだから!!
せめてお顔を見てから決めようと思うけど。祐馬は自然とか、緑にちなんだような名前がいいんです。みなさん、何かアイディアがあったらどんどん教えて下さい!
参考にさせて頂きたいです。


↑ちなみに、ワンちゃん祐馬の5回分の誕生日プレゼントなんです。。。(泣)

明日は梅田小の運動会だね。土曜日はほとんどの学校が延期になったんじゃないかしら。。。晴れるかなー?

Thursday, May 28, 2009

祐馬のおしゃべり 2

昨日、ブログを書いたらなんだか楽しくなっちゃって。
だからまた、書きます!
と、言ってもほとんどミスチルの話題なんですけどね。。。(汗)
今は8時42分だから沢山書けるよ!

なんか今日ね、ママの夢見たんだあ。でも忘れちゃった。。。
なんだっけ、、、?
もう四十九日もとっくに過ぎてママはもう、お空の、見えないとこ?

ちがうんだよねえ。なんかね、ずっと祐馬の後ろに居る感じがするよ。なんかね、重なってる感じ。
で、時々祐馬に話しかけようとするんだけど、祐馬がびっくりしちゃうから言いかけて引っ込むの。分かってるんだから。別に隠さなくてもいいのにねえ。そーゆうとこシャイなんだよねええ。「みなちゃん、、、泣き声や笑い声でコジンを見送ってあげてくだちゃい。。。」じゃないんだってば!パパ。見送るなっつーの。見送ってほしくないの!
見送ったらそれで終わりじゃん、それこそ本当のシヌになっちゃうんだから。
じゃあ、お通夜とかでは何やるかって?「身体がなくなってもお元気でね」って。
空気になって、みんなが吸い込んで、今度はみんなの中で生きるの。
話せなくても、その人の中で生きてるから中から声が聞こえるの。
一人で二役演じてんじゃないよ?
よく関わった人とか、仲が良かった人にはその人(コジン)も好きだからよく会いにきてくれるの。そして、話しかけてくれるんだよ。そりゃ、その人は一人しかいないんだから、祐馬の中にだってママは時々居なくなるよ。他の人に会いに行ってるからね。
で、ふと、思い出してくれた人には小さく響いてくるの。「思い出してくれてありがとう。今度会いに行くね。」って。お手紙みたいに。
って祐馬は思うけどね。ちがう??
ほら!今、響いてきた!「こうゆう事書いてくれてありがとう。」って。。。
話しかけられた時ってすごい気分があったかくなるから、分かるよ。
おわりっ

次、ミスチルっ。
祐馬もユーチューブ探ってたら面白いの、見つけたよ!
「Mr.Children トーク」で検索してみて☆JEN(鈴木さん)がとっても楽しい☆☆
あと、、、Mステの時のトークとか。
AnyのPV撮影現場とかもイケる☆
で、あと2,3曲紹介させていただけますと、最近気になったんだけど、
「youthful days」デス。これはPVもあって、、、。ユーチューブで見れるよ。ちょっと怖いけど。。。 あのね!!!首がとれるの。。。桜井さんの。ひえーーっ!!
2番は実話をうたってるそうで。
あとはねえ、、、「蘇生」!!「優しい歌」とかも好きよ。
もーー、、、毎日イヤホン耳にしながら大声で歌ってるから、(気づいたらうたってる。。。)おかげで「歌上手いね」ってみんなに言われて。友達曰く、「地声で歌ってるから」だって(苦笑)
カラオケトレーニング!?
でもね、いざ!歌うとなったら音がボックスに充満して音外しまくりで恥ずかしいんですよ。。。この前、分かった。カラオケ自体はすごく好きなのにねえ。。。
がんばるぞー

お風呂入んなきゃ、、、。
10時6分。。。二時間近くやってるのか。。。
祐馬、打つの遅いからさー。
今日は長く書いたぞー!!  でわでわ、またね。


  



      「youthful days」はいいぞーーーー!!!!

スローライフ

優子

一昨日、ゴルフのコース・レッスンに行ってきたよ。
普段、鳥カゴ練習場で見てくれているプロと一緒に、スコアも付けずにコースを回り、実践の場で練習するんだ。
プロは、2か月前、突然狭心症の発作が起こり、優子と同じ冠動脈形成術、つまり血管に土管(ステント)を通して補強工事をやり、退院してきて始めてのコースレッスンだったんだ。7週間のブランクを感じさせず、がんばていたよ。

彼は60、僕は50。この年代って、健康で若々しい人から、ヨボヨボのおじいさんみたいな人の差って大きいよね、という話になったんだ。僕は、毛の生え際もまだそれほど後退していないし、腹囲を除けば割と若く見られてきた。コーチも仕事で身体を鍛え、今までは若々しかったはずだ。
 でも、ふたりとも、それぞれの意味で死線をさまよい、今までは意識せずに無条件で与えられた健康な命が、いかにあっけなく崩れてしまうものか、身をもって体験したわけだ。今までは、若さののりしろがあったから、多少無理しても、十分に挽回することができた。でも、実はそういう年代じゃないんだよね。一見、普通でも、身体の中では徐々に老化が始まっている。それが、いつ表面に出来るかというだけの問題のようだ。彼は、タバコやめたよ。
 生活習慣病(成人病)が何であるか、それを防ぐにはどうしたらよいか。大学の授業で学生たちに教えてるくらいだから、知識としては十分わかっているんだ。若々コースとヨボヨボコースの分かれ道もよく知っている。でも、わかっちゃいるけど止められないのが生活習慣なんだ。
 江藤淳は、妻を失ったショックから、済し崩し的に人生の終わりに向って行った。伴侶を失うのは、それくらい強烈な体験だからね。でも、僕はそうするわけにはいかない。子どもたちのためにも、僕自身のためにも、今までの人生をリセットし、再起動させるんだ。
 そのためには、ボロボロ、ガタガタの身体じゃどうしようもない。自分の心ばかりでなく、身体もしっかりケアしてあげないといけない。
 食生活⇒時々、ドカ食い、深酒する癖をやめよう。最近は夕食で洋食つくって、ワインを1本あけちゃうもんなあ。これはよくない。じんまで、パパ、お酒やめなよ、と注意してくれる始末。あと、良くないことはわかっていながら、寝る前についついウイスキーやら焼酎やら飲んじゃうんだ。ツマミも食うし。これらをやめよう。まったく禁酒するわけじゃない。適度に食べ、飲めばいいんだ。ちゅけの高校入学から始まったお弁当の習慣は良いね。続けよう。そして、毎晩、晩酌する必要はない。ドライな日を増やし、飲んでも、1杯まで。それ以上、飲んでもしかたないでしょ。
 運動⇒2-3日/wのチャリ通勤は利くね。半端な距離じゃないから。それにゴルフ、テニス、スキーを加えれば、年齢相当、もしくはやり過ぎでしょう。無理はしないように。
 体重⇒チャリを始めたころ、半年で7kg減ったんだよな。でも、そのあとリバウンドで元に戻ったけど。今、71kg。身長から計算した標準体重は58kg。これは無理だ。せめて、1割減の66kgを目指そう。いくら運動しても、食う量を減らさないと意味ないんだよな。
 ストレスの緩和⇒今までのように、仕事をパンパンに詰めて、がんばり、拡大・上昇を目指すライフスタイルはもう要らない。スロー・フード、スロー・ライフ。本当の意味で充実した生活を送ろう。無理する必要はない。

Wednesday, May 27, 2009

祐馬のおしゃべり

こんばんは!
久しぶりにパパのブログにお邪魔させていただきました。祐馬です。
今回、突然現れたのは特にお伝えしたい事があった訳でもなく、
ただお喋りがしたいから遊びに来ました。
無駄話ですがお付き合いして下さい! ! !

そういえば、、、もうすぐ5月も終わりだな~。
5月終わり=ミスチルのコンサートツアーも終わりってことですね!
さあ、これからいっぱいテレビに出るかなー。要チェックですね!みなさん。。。
あ!ちなみに、ある人にメッセージです。
「ほころび」っていう曲があるんです。(知ってるかもしれませんが。。。)
このうたは桜井さんがap bank fesの開催地でもある「つま恋」の自然と芝生を思いながら作ったうたなんです。とってもさっぱりしてて、爽やかな気持ちの良いうただと思います。もし、知らなかったら是非聴いてみて下さい。なんだったら、あたしのipodも貸しますよ。あはは。来週の金曜日はとっても楽しみにしてます!!

話し変わって、、、三中は3週間後には期末試験ですよ!!
どーしよー。。。もうそろそろ勉強始めないと!って事で、今日は机の上をきれいにした!!  でも試験が終わったらもう、夏休みですよお☆
今年も皆でハイキング行きたいなあ。でもね!!今年は一人減っちゃった代わりに一人増えるんですよ!きっと楽しいよお。
みなさん、たくさん草津来てネ!!

と、ゆー事でもう11時20分。眠いです。。。寝なきゃ。
寝よ。   おやすみなさーい、、、みんな。

Sunday, May 24, 2009

Psychic Virginity

Hi Yuko,

I saw my therapist today.

It was my fifth session, and had rather positive talk.

Listening how I was doing, she commented I was surprisingly doing well in my mourning process. I think she is right My pain is not very active any more. I cried a lot for the first two sessions or so. The pain was so powerful at that time, maybe for two to three months, that I had used every opportunity to get it out using anybody available. But today, I did not feel I had to express my painful emotion any more. I am not saying my pain of losing you out of sudden has disappeared. It is still here deep in my heart, but more stable, and smooth on the surface like your pyramid stone.

 Why am I so successful? I told her I did not want to say that I am a professional therapist, I know how to grieve, so I can do it in a short time, I have finished within a half year, and that’s it. I know I have not finished at all; I do not want to finish. I want spend the whole rest of my life so that you stay with me in my life.

If I say I am good in grieving, I can only say it is because of the support I am receiving from a lot of people around me. I am lucky to have my extended family close to me. The basic needs of our daily chores are properly met, like food, laundry and housekeeping. I owe large part of them by my mother. Eugene is securely attached to his grandfather. We had the same household as 二世帯住宅, but the emotional door between them are closed to keep our independence when you were alive. I think that was a right decision to keep the proper distance. But since you were gone, the two households became one big family. It is funny although I lost you, I feel my family became bigger with six people in it.

I owe a lot to my children too. They keep me busy, and never let me be alone at home. I sometimes feel it is too demanding especially from my daughter. Yuma used to be closely attached to you as a mother, but her emotional needs now turns onto me. I know you two had lots of good times and conflicts as mother/daughter dyad. Now this kind of emotional tension and closeness are replicated into our father/daughter dyad which I obviously welcome even though it may be demanding. There are so many people around me at home and at work. I never have time and space to feel loneliness which I appreciate as a typical extrovert.

I know theoretically how to go through this difficult time, so I deliberately seek support from people outside of the family. I have been lucky enough to have so many close friends and colleagues who emotionally support me. Writing this blog helps me for great deal. I can write exactly what I feel; both pain and joy. I want to have somebody to listen to my voice and know me, but I do not want to force anybody. People would choose to visit my blog out of their own wills, some quite often, and other less often, all according to their needs and wants. I appreciate them so much. It does not work like this if it is an e-mail, which I deliver them, and they have to read it with no choice of their own.

So this is how I know how to survive during this challenging time. It is all because of you all; my family, friends and people who come to read my blog, that made me possible to thrive.

It is indeed a life-long process of my grieving work. I would not release the pain of losing you, Yuko. It will always way in my heart, but not in a destructive way to interfere my prospective life, but in an empowering way. I never had such a substantial human pain in my life. My therapist phrased it as I finally lost my psychic virginity to become a matured wounded healer who really knows the client’s deep pain. Yuko, you initiated me to become a proper therapist! She also mentioned I should use your spiritual energy for my creativity. My next task in my professional career is writing a new book. I will dedicate it to you. Yuko, you have to be with me working on the book which I have already started.

So this is the empowering use of your deceased energy. It still exists firmly inside of me. You must also help me finding my next partner. Not now. Later.

優子

西魔女とは今日が5回目になるけど、ほめてくれたよ。喪の仕事、しっかりやってるって。これは、自分の力じゃないよね。一番大切なを失った痛みを、によって癒されている。これが家族の力だね。逆境で、どれほど家族がその潜在力を発揮できるか。家族って、素晴らしいよ。このブログの力もすごいね。人を繋いでくれる。みんな、自分の気持ちで来てくれるんだ。決して、押し付けではない。それが嬉しい。

優子を亡くした痛みは、残りの人生、一生、持ち続けるよ。僕の人生を台無しにする痛みではなく、僕を救ってくれる痛みとしてね。セラピストとしての童貞をやっと失ったね、だって。西魔女はうまいこと言うよ。50を過ぎて、やっと大人になれたのかな。次の本は、優子にdedicateするからね。今までの本もあとがきにちっちゃくそうしてきたけど、今度は、前扉に、恥ずかしいほどでかくね。だから、僕にちゃんと力を吹き込んでくれよ。


Saturday, May 23, 2009

予期不安

ひとみさん曰く:
> 考えちゃってる訳でも、尻込みしている訳でもないんですよ。
> なにもかもが、楽しい。
> 振り返らなくても、現在進行形で幸せ。

だったら、全然問題ないんじゃない?
今を楽しめば良いんですよ。

予期不安=悲観的なことが将来起きるのではないかと想像すること

優子が、こんなことになるなんて、全く想像していなかったよ。
でも、それは医学的には正しくないんだ。
僕の医学部時代の中途半端な知識をもってしても、こうなることは想像できたはずだ。冠状動脈が多発性の狭窄を起こし、20年前にパイパスとステント術で一番の狭窄部位はなんとか広げ、血行状態も日常生活に全く不便がない程度に維持されているものの、動脈造影でみれば、狭い部分はたくさんあった。主治医も「グラフト(移植した血管)もだいぶ痛んできたし。どうしようかなあ。」とは言うものの、とりあえず現在、問題なく生活しているから、それ以上、何か治療すると判断しにくかったのだと思う。もしやるとしたら、さらに別のバイパスをくっつけるか、さもなければ心臓移植??しかし、これらの治療にはリスクが伴う。かえって悪化する可能性だって。あと、○年しかもたないとか、現在の心機能が低下し、痛みや苦しみがあるとか、日常生活が制限されるのであれば、あえてリスクを伴う治療も考慮しただろうけど、とりあえず、ぜんぜん困らず、しっかり生活していたんだもの。
冠動脈パイパス術は、ふつう動脈硬化に伴う高齢者に行われるから、20年後、30年後にどうなってるかというデータはほとんどない。しかも、川崎病に伴う多発性の動脈瘤のケースはなおさらだろう。だから、優子の病気は、進行していく癌のように「余命あと○年」というものではなく、「血管が詰まる可能性は一般人よりはるかに高いけど、詰まらなければ問題なし。詰まっちゃったらオダブツ。その詰まっちゃう確率だって、よくわかっていない。」という程度の判断になるのだろう。少なくとも、この20年間はセーフできたからね。かといって、これからの10年、20年がセーフか、アウトかってことも全くわからなかったんだ。とまあ、僕は理解している。
優子の病状をよく知っている友人のりゆき医師と飲んだ時に、
「おまえ、奥さん、ヤバいんじゃないの?」
と言われたって、
「ああ、そうかもね。」
と返すだけ。何も予期不安はなかったよ。
そうなることは、予想できたけど、予想しなかったから。

> 幸せって、貯金みたいなものなんですかね?
> 貯められるときに貯めておいて、不測の事態に備える?

いやあ、僕はわりと現金主義というか、幸せは貯められないと思うよ。利息もつかないし。
虫歯を考えてみましょう。
いくら、20年間健康な歯だって、いったん虫歯になったら痛いからね。20年間の貯金なんか役立たないよ。
第一、幸せって、その最中は、幸せだって感じないでしょ。
幸せになったとき、たとえば独身から結婚して二人になったときとかは感じるけど、新婚時代が終わり、結婚生活が当たり前になっても、相変わらず「幸せだ、幸せだ」とは感じていないでしょ。

僕らのことも、今だから、優子が死ぬ前は幸せだったとか、優子は幸せな死に方をしたとか言えるけど、優子が生きていた時は「幸せ」とか思わなかったよ。

要するに、幸せは貯められません。
過去がどうであれ、今、現在、幸せかどうかが大切です。
逆に考えれば、過去がどんなに不幸でも、たとえ大切なものを失っても、
それを切り離すことができて、現在が幸せなら、幸せになれると思います。

Friday, May 22, 2009

発熱

気分は最悪!
一昨日あたりから頭痛、のどの痛み、鼻水があって、ちょっとヤバいかな。昨日、熱を計ってみると36.0℃の平熱なんだよね。いっそ、A型の疑いかなんかで、1週間くらい(PCは持ち込んで)隔離してくれないかなと地元の保健所に電話したんだ。

保健師)海外や関西に行ってますか?
僕)いえ、名古屋は行きましたけど。
保健師)まわりに、インフルエンザらしき人はいますか?
僕)らしき、、と言われてもわからないけど、、、
保健師)では、近くのかかりつけのお医者さんに行ってください。

どうも、隔離してくれないらしい。
今日も大学に行ったのだけど、だるくて、だるくて。でも熱は平熱なんだよね。
僕が風邪ひくとちょっと大げさというか、自覚的にはすごく辛くなる。
授業やろうと思ったんだけど、やる気がなくて。
優子の忌引き明けで心がガタガタ震えていたときでも、授業やる気はあったぞ。
よっぽど風邪や発熱の方が響くのかあ。

学生にうつしちゃ悪いからという理由で、午後は休講にして早く帰ってきたよ。
体温は37.9℃。
祐馬に言ったら、
祐馬)お医者さん、行ってきなよ。
僕)大丈夫だよ。ただの風邪だよ。
祐馬)その身体でご飯を作られる身にもなってよ。
僕)パパのこと、心配してくれるんだね。
祐馬)ううん、インフルエンザだったら面白いと思って。
僕)何が面白い???・・・まあ、しょうがない、祐馬の言う通りお医者に行ってくるよ。

行ってみたけど、インフルエンザはやっぱり陰性でした。
明日も、朝から仕事なんだよなあ。できるかなあ?
どっさりくれた薬を飲んで、夕飯くったら早く寝よう。

前回のブログで「もう読んでくれる人も少ないんじゃないかな」って書いたら、いろんな人から「まだ読んでるよ~」って応援メッセージくれて。嬉しかった。まだ僕は見捨てられていない。

Wednesday, May 20, 2009

父と娘の物語

重松清「ステップ」中央公論新社、2009年4月刊★★★★☆
なんという偶然だろう。これは、もう完全に僕と祐馬の物語だ。
本書を見つけたのは偶然なんだよね。
土曜日の夜、祐馬とふたりでイトーヨーカドーで買い物していて、フードコートの隣にある本屋を通り過ぎる時、たまたま平積みにしていたのを見つけたんだ。帯曰く:
結婚三年目、妻が逝った。残された「パパと娘」の新しい生活

それを見た父と娘の会話。
僕:どうしよう、買ってみようか?
祐馬:...
僕:明日の牛乳とパン買って来るけど、祐馬も来る?
祐馬:ううん、ここで待っている
...と立ち読みしてる。 15分ほどで戻り。
僕:どう、うちと似ている話?
祐馬:ううん、ちがうよ。だって、パパは再婚したいんでしょ?この本のお父さんは絶対再婚しないって言ってるもん。
僕:...(無言)...

桑原繁樹「そして、君はそよ風になった:妻のガン死を乗り越えて--僕と娘の物語★★★☆☆
よくもまあ、同じ状況の本があるものだ。
ステップをアマゾンで探していて見つけたので、ついでにこっちも注文しちゃった。

今日は、名古屋に出張。N700系新幹線で無線LANが始まったというので試してみたけど、僕のPCでは「電波が微弱」ということでうまく繋がらないんだよね。それで、往復車内で2冊読んじゃった。
名古屋の仲間と会うのは久しぶり。優子が亡くなった直後にも会合はあったのだけど僕は欠席した。でも、みんな僕のブログを読んでいてくれるんだ。もうすぐ5ヶ月。始めのころは、みんなも応援してくれていたけど、もう読んでくれる人も少ないんじゃないかなと思いつつ書いてるけど、こうやって、さりげなく、「読んでるよ」と言ってくれる一言がどんなに救われるか。

で、この二冊、読めば読むほど、うちとそっくり。
重松のはフィクションで、桑原のはノンフィクションという違いはあるけど、両方とも
妻を亡くした父親が、娘と悲しみを乗り越えていく物語。
桑原は実体験の物語。8年たっても、この人、まだもがいている最中だよ。ただ、純粋に読んでいて気持ちが痛くなる。
自分より不幸な人の話を聞いて、自分の幸せに気づくというパターンは避けたいと思いつつ、そう感じてしまった。ガンの闘病生活は壮絶を極める。優子がそれが全くなかったもんね。今までは、死にゆくプロセスがある方が、徐々に喪の作業を進めて行けるから、死後の作業が比較的楽で、僕みたいに突然失った方が、その作業が大変なんだと思っていたが、そうでもないみたい。だれでもいつかは迎える死の迎え方としては、優子はベストだったのだと思えるよ。死に向かう苦しみを全く経験しなかったからね。(心臓病のために、死に向かう予感はあったのだと思うけど、それほど切羽詰まった苦しみではなかったはずだ)

でも、どちらかというと、重松の方が、フィクションであるにも関わらず、共感できたような気がする。苦しみながらも、回復するプロセスを鳥瞰的に描いているからかな。その方が、僕に向いているのかもしれない。その点、桑原さんのはまだ痛すぎるよ。 重松さんの本は、他の思春期ものと同じように、暗い題材を扱っていてもなぜか明るくしてくれる。

そう、僕は優子を失った悲しみや寂しさを一生懸命、消し去ろうとしていたけど、そうする必要はないということに気づいたよ。
悲しみを、胸に抱いたまま生きていけばよいんだ。それは、辛いんだけど、 悲しみを否定せず、胸に抱き、そこで繋がることができたら、きっと優しくなれる。
祐馬はしいになったよ。
そう、優子に報告できる日が来るといいな。
そんなことを考えながら最終章を新幹線の中で読んでいると、祐馬からCメールが来た。
祐馬:今日はポカリ買ってきてね!!
僕;わかった。今晩は遅くなるけど
祐馬:冷蔵庫に冷やしておいて
僕:いいよ。
それだけの、何気ないメールの短いやり取りなのに、どんなに気持ちが救われることか。
これから、というか既に難しい年頃に入っている祐馬。
祐馬も僕も、お互いに強がる背後の寂しさで、繋がることができる。

祐馬はママにこれだけ愛されていたし、今は、パパからも、みんなからもこんなに愛されているんだよ。
そのことを、伝えてあげたい。

Sunday, May 17, 2009

「婚活」時代:中年オトコ編:その4

パートナー間の役割分担

 以前は、結婚後のライフスタイルに対する選択肢がほとんどなかった。つまり、男性が外回り(仕事、収入)、女性が内回り(家事・育児)と、どちらか一方ずつを担当し、お互いに補うという伝統的性役割分業である。しかし、今は、そのあたりがだいぶ自由になり、男女両方が、内・外の両方を適切な配分で使い分けることもできるようになった。男女が新しくパートナーを求める場合、各々が考えるwork and life balanceをどうするか、よく考え、話し合い、すり合わせておくことが大切だ。
 現代のトレンドとしては、女性が男性に経済的に依存し、男性が女性に家事育児を依存しあうという伝統的パターンはあまりはやらない。その理由は、フェミニストたちが言うように、結局このパターンは女性に過重負担がかかるので、避けたがる女性が多いからである。新たなパートナーを求める中年オトコにとって、経済的にも、生活的(家事育児)にも相手に依存せずに自活できる方が、パートナーの選択肢はぐっと広がる。その前提には、男性も女性も、経済的及び生活スキル的に自立していることが前提である。
 しかし、実際には、お互い依存ではなく、ちゃんと対等に働いて、家事育児も平等にして、ワークライフバランスを楽しめる新しい夫婦関係を実現できる男性はまだ少数である(白河, 2008)
 このように、お互いに自立していれば、あえて一緒に住み、生活を共にしなくてもよい。すでに、それぞれの住居を持っているのであれば、生活の基盤はそのまま移さず、週末婚、通い婚というように、限定された時間だけ一緒の時を過ごすという手もある。さらに、婚姻届を出さないのであれば、結婚関係というよりは、恋人関係といえるだろう。


子どもとの関係

 亡くした妻との間に子どもがいる場合、子どもたちへの配慮が大切だ。子どもが幼い場合は、愛着対象としての母親が必要になる。生活を共にするなら、夫婦間のみならず、子どもとの関係がうまく成立することが大切だ。一般に、継母、継父、継子関係は難しいとされている。それを乗り越えるだけの努力が必要となる。
 子どもたちが思春期に達している場合、親子は親離れ・子離れの時期であり、10歳ころから10年ほどかけて徐々に親から分離していく。中年オトコばかりでなく、子どもたちにとって母親を喪失したダメージは大きい。しかし、子どもの年齢がより高く、父親や祖父母などが、安定した家庭環境を提供してあげれば、案外、母親の喪失を乗り越えてしっかり成長してゆける。
しかし、その場合でも、父親に新しい女性ができると、子どもたちは動揺する。パパが亡くなったママを裏切ったと感じ、子どもに向けられてきた父親の愛情が、別の女の人に行ってしまったという喪失感を抱く。新しいパートナーと、子どもたちとの関係を、うまく構築していかなければならない。それがうまくいくために、子どもたちが、母親を失った喪の作業をどれほどこなしているかが一つの指標となる。表面的には元気でも、心の中では母親を失った悲しみが癒えていないこともある。そのことを確認しつつ、父親と子どもが一緒にお墓まいりに行き、母親のことを語り、みんなが、ママを亡くしたことをどう感じているのか、無理のない形でゆっくりと話し合ってゆくとよい。
 パートナーを紹介する時も徐々に進めていく。いきなり一緒に住むというようなことは避ける。まずは、外で会って、「パパのお友だち」として紹介し、ディズニーランドで一緒に楽しい時を過ごすなどして、パパの大切なお友だちであると同時に、子どもたちにとっても大切な人としての関係を深めていく。特に娘は敏感であり、父親を別の女の人に取られたという感覚を持ちやすい。ある程度の段階で、子どもと相談して、お父さんの気持ちを率直に伝えながら、理解を求めてゆく。

老親介護

 中年期は、ライフサイクル上、子どもの成長・巣立ちとともに、年老いた親への介護がテーマとなる。最近は元気な高齢者が増え、家庭介護ばかりでなく、公的な介護システムも徐々に整いつつある。少子化の中で、パートナー双方の親をうまい形でケアしていくことは、何も再婚の場合に限らない。
 妻を亡くした場合、その親との関係をどう維持するか。娘を亡くした親も、夫以上に深く悲しんでいる。亡妻の親と夫との義理関係そのものはそれほど重要ではないが、孫たちとの関係は、親にとって相変わらず重要である。老親にとって、孫との交流は生きがいにもつながる。妻不在の中で、祖父母・孫関係をどう維持できるか配慮が要する。
 このように、パートナー関係を結ぶということは、二人だけの関係ではなく、子どもや親など、家族全体との関係をうまく結んでいくことである。

(続く)

「婚活」時代:中年オトコ編:その3

再婚の目的

 なぜ、新たなパートナーを得たいのかを自分の中でよく考えてみる。

1)子どもを作るため
若いころは、子どもを作る、家族をつくるという明確な目的があった。男性の場合、中年を過ぎても生殖機能はかろうじて保たれている。若い、生殖年齢にあるパートナーを見つけて、新たに子どもを作るという選択肢がないわけでもないし、そういう例も散見する。その場合、中年オトコと、生殖年齢にある若い女性との大きな年齢差が与える影響、すでにいる子どもとの関係、新たに子どもを産み育てるだけの経済力、体力、これから作る子どもが成人年齢に達するまでの中年男の残りの生存期間など、困難な要因がたくさんあるので、慎重に考える必要がある。

2)生活のため
 中年オトコが仕事一筋で、家事・育児能力が備わっておらず、亡くした妻にその機能を依存していた場合、それを補ってくれるパートナーが必要になる。男性は経済的に女性を支援し、女性は生活を支援するという、伝統的な性役割分担による関係である。
 一方、男女とも、生活力と経済力を持ち備えていれば、あえて生活を共にしなくても、パートナー関係を築くことができる。

3)性的なニーズ
(中略)

4)心理的な安定性
 これが最も重要な動機づけとなる場合が多い。愛する伴侶を失った精神的なダメージから回復した後に、新たな心の支えとなるパートナーを求めるようとする。それは、中年オトコの残りの人生の幸福感を左右する大きな要因である。

多様な結婚形態
 新しいパートナーとの関係性の形態も多様である。
 初めの結婚は世間一般的な手続き、つまり神式。キリスト教式など宗教的結婚式、披露宴、結婚届けの提出などを踏んだ場合でも、中年オトコの場合は、必ずしもそれにこだわる必要はない。
こ のような通常の法的な結婚形態は、社会的、法律的にも正式なものになり、ちゃんと結婚したんだという安心感が得られる反面、後々遺産相続などが他の家族全体とのトラブルのもとになる場合もある。すでに初婚で子どもをもうけている場合などは、従来の法律的な結婚という形にとらわれず、当人たちとまわりの家族に配慮した形を自由に選択すればよい。

(続く)

「婚活」時代:中年オトコ編:その2

妻と死別した男性の心理

 離婚とは違い、突然の死によって失った妻を美化・理想化する。存命中は、それほど仲が良いというわけでもなく、ケンカしたり、それほどうまくいっていない場合でも、先立たれたとたんに、喪失を嘆き悲しみ、素晴らしい妻だった、とても愛していたなどと言い出す。
 新しいパートナーを求める場合、オトコが亡くした妻への思いをどう整理できているかが、まず重要な課題になる。亡くした妻のイメージを心の中に残し、悲しみにくれ、心の整理ができないオトコは、耐えられない寂しさや孤独感を補うために、新たなパートナーを求めようとする。しかし、それは愛情による結びつきではなく、亡くしたものを悼む病的な愛着であり、依存でしかない。
 恋愛は幻想である。愛情とは、その人が客観的にはどうであっても、当人にとって、この世で一番素敵な人と思い込めるからこそ、1対1のexclusiveな夫婦関係を維持できる。しかし、まだ亡き妻の影を引きずり、この世とあの世を混同しているオトコにとって、たとえこの世では一番の女性に出会えたとしても、あの世も含めると、二番にしかならない。新しいパートナーとの関係の中に過去の妻が顔を出してくる。それは、亡くしたオトコの心の中だけでなく、新しい女性の心の中にも現われる。そして、ふたりの親密な関係の樹立を阻害する。それを避けるために、妻を亡くしたオトコは、新しい関係を考える前に、亡くした妻に対する気持ちを十分に整理する必要がある。
 それを理解しやすいように例えれば、亡くした妻を、いわゆる元カノにするプロセスである。若い頃、付き合っていた女性と別れ、新たな女性と付き合っているとしよう。そのデートの最中に、突然、元カノが現れたらどうなるか。元カノと気持ちの上でもちゃんと別れていないと、今の彼女を捨てて元カノの方へ走ってしまうかもしれない。そうではなく、元カノとはいろいろあったけど、最終的に気持ちの中でもしっかりさよならができていれば、突然街で出会ってもちょっとびっくり、気まずい思いはするだろうが、新たな関係にひびが入ることはない。
 突然死んでしまった妻に、どうやって「さようなら」を告げるのか。それがいわゆる喪の仕事(mourning work)と呼ばれる心理的な作業である。それは、亡くした妻に対する悲しみ、喪失感、怒り、愛情、恨みなど、複雑に絡み合った感情を、さまざまな方法を用いて表出してゆく。その作業は心理的な痛み(負担)を伴うので、通常は、押し隠して、自分でも見えないように心に蓋をしてしまうことがよく見られる。特に男性は悲しみや不安といった否定的な感情を扱うことが苦手であり、涙や弱さを見せてはいけないと教え込まれてきた。内面はとても悲しい・さびしいのに、それを押し隠していると、一見平気でも、内面はぐちゃぐちゃで、仕事や日常生活の中では支障がなくても、新たな関係を求めようとするとうまくいかなくなる。
 喪の作業はさまざまな方法で自分の感情を表現することで達成される。ひとりよりも、それを受け止めてくれる相手がいる方が望ましい。友達や身近な信頼できる人とゆっくり話す、心理カウンセラーや精神科医などの専門家と会う、手紙や日記などにして書きとめる。最近は、インターネットを活用してブログなどに自分の気持ちをかき出し、知り合いなどに読んでもらうとなお良い。
 避けなければいけないのは、新たなパートナーとの関係の中に喪の作業を持ち込むことである。デートの場所に亡妻のお墓参りを選んだり、会話の中に自然に亡妻の話が出てきたりするのは、オトコがまだ妻を亡くした痛みから抜け出していない証拠である。また、その逆に、親しくなっても亡妻や過去のことを全く話せない、話したくない場合もある。これは、亡妻を想起することが辛く、痛みが伴うために、自分の気持ちに蓋をしている。この状態では喪の作業はちっとも進まず、亡妻を亡くした悲しみを、いつまでも心の中にため込んでいることになる。そのような状態では、新たなパートナーと恋愛はできない。愛情という深い、親密な感覚に蓋をしているからである。
 親密になるためには、お互いに自分のすべてを知ってもらうことが大切だ。女性にとって、オトコが妻を亡くしたという事実だけ知り、その内容について知ることができないと、相手との心理的な距離が空いてしまう。オトコは、現在の心の中にある亡妻ではなく、過去の記憶の中にある亡妻を語れることが大切だ。そんなこと、できるのかどうか、筆者はまだわからないが。
 この作業を消化するには、時間というファクターも大切な要因である。喪の作業が効率的になされたとしても、新しいパートナーのことを考える余裕が出るまでにはどんなに少なく見積もっても1年から2年ほどかかる。
 亡くした当初の深い悲しみが消え、4-5ヶ月たつと、一見、元気になり、心の痛手を乗り越えたと自分自身で錯覚することがある。その時期に、自分はもう大丈夫だからと、新たなパートナーを求めようといろいろ考えたり、身近な異性の友人などに恋心を抱くことがある。しかし、それは多少行動力が出てきたオトコにが新たに開発した喪の作業の一部に過ぎず、本来の恋愛感情ではない。寂しさ・悲しみを補てんするため、空想にふけっているだけであって、まだまだ、新たな関係を築く心の体制は整っていない。そんなせっかちの人の話はよく聞いて癒してあげる程度にとどめ、その人の話に乗って具体的な行動に出ない方が良い。

(続く)

「婚活」時代:中年オトコ編:その1

このエッセイは、妻を亡くして、中年になってから結婚しようとする人のために書かれた客観的な論文の形をとりながら、実は筆者自身の気持ちを整理しているのである。

「婚活」時代(山田昌弘・白河桃子著。ディスカヴァー携書, 2008)
 この本を要約すれば、男女交際やライフスタイルが自由化し、結婚が人生コースの必須アイテムから選択肢となったために、昔のように当たり前のこととして自動的に出会いの機会があり、結婚できる時代ではなくなった。だから、がんばって結婚活動しなさいよ、という主旨である。
 山田さんは私と同じ歳である。同じ職場だったので一緒に仕事をしたこともあったのだが、本書にも書かれているとおり、彼は甘い物が好きで、本と書類の山で穴蔵のような彼の研究室を訪ねると、「これ、買ってきたんですよ」と、いつもしゃれた洋菓子を勧めてくれた。ちょっとオタクっぽいところもあるけど、基本的には好いやつだ。「パラサイト・シングル」「格差社会」なども彼が作ったコピーで、流行語大賞受賞学者なんて揶揄されるけど、一般の人にはわけのわからないことを研究している学者にくらべれば、直接社会に役立っているという意味で大切なことだと思いますよ。
 本書は「婚活」という言葉を流行らせた価値はあるけど、内容的にはアエラを読んでいるような陳腐さで、まあ大したことはない。白河さんが、そういうジャーナリストだからね。

中年オトコへのエール
 というわけで、みんながんばって婚活しましょうよというこの本のメッセージになぞらえ、妻を亡くした中年男を応援したい。といっても、自分自身にエールを送っているわけだが。

 中年は中途半端な年代だ。通常、パートナーを失うのは高齢者になってからである。それは悲しいながら、ライフサイクル上、確率約二分の一で起こる出来事である。老年期自体が、自分の人生の総決算、力の衰えを受け入れ、やがて迎える自己の死に向けて心の準備をしていく時期である。自分の社会的地位や収入、体力、健康などを徐々に失っていくプロセスのひとつとして、配偶者も失う。それは、やがて自分自身を失うひとつ手前の出来事として、悲しみを受け止めていくのだろう。筆者は老年期を経験していないので、想像にしか過ぎないが、自分だったらそうしたはずだ。
 それに比べると、中年期はライフサイクル上、まだまだ活躍したい時期である。社会的な役割を担い、子育てもまだ終わっていない。体力、生活力などもまだまだ可能性を残している。その中で、予期せぬ出来事として妻を失ったダメージは大きい。悲しみを乗り越え、残りの人生を組み立てていくには、それまであった妻とのパートナー関係をどうするか、もうあきらめてひとりで生きていくのか、新たなパートナーを求めるのか、重要な決断となる。
 しかし、若い時ほど話は簡単ではない。パートナーになってくれる相手は絶対的に少ないし、体力や気力も落ちている。腹はメタボで、頭髪の生え際は後退し、風貌もかなり老けてきている。そんな自分を好きになってくれる女性なんているのだろうか。自信をなくして当然だろう。
 でも、世の中の流れを考えてみれば、それほど落胆しなくてもいいのかもしれない。女性の結婚年齢は上昇し、中年期の未婚者も増え、離婚率は上昇している。案外、中年オトコの相手になってくれる異性は多いのかもしれない。また、バツイチ男はもてるという説もある。バツ自体は不幸な出来事だが、妻をもった経験があるから、女性の扱いに慣れているというような根拠であろう。しかし、実際にはそう簡単ではない。はじめから離婚するつもりで結婚する人はいない。離婚は結婚の失敗であり、そこには夫婦生活を維持できなかった何らかの原因があるはずだ。当人は、相手である妻のせいにしたり、仕事や、突発的な外的要因などに原因を求め言い訳するが、オトコ自身に問題がある可能性は残されている。それを自分でちゃんと認識していればまだいいが、そうでないと、再婚しても同じ失敗を繰り返すことになる。事実、初婚者の離婚率に比べ、再婚者の二度目の離婚率の方が高いというのは、日本の統計は知らないけど、欧米では定説となっている。
 その点、妻と死別したオトコは、離婚の失敗を経験していない。中には、素晴らしく、お互いに満足できる結婚生活を営んでいたオトコもいる。後述するように、妻を失った悲しみと愛着を乗り越えてさえいれば、このような男性は、新たなパートナーとも双方にとって満足度の高い結婚生活を築くことができる可能性が高い。
 そのように考えれば、妻死別中年オトコもまんざら捨てたもんでもなく、本人さえその気になれば、案外、良いパートナーに巡り合えることができる。

(続く)

Saturday, May 16, 2009

ミニ優子

優子

父)先に、お風呂に入りなさい!
娘)携帯メールをやってから!

どっちでもいい、大したことはないことを、ふたりで真剣にバトル。
お互いにキレて、言い合って、祐馬も決して後には引かないし、僕も負けるわけにはいかない。
散々言い合って、しかたがなく祐馬が風呂に入った後、悔し涙でまた父のところにやってくる。
僕は、もう親密モードで、娘に優しくできる。
バトルの後に、取って返したような親密な関係。
お互いに、ちょっと言い過ぎちゃったかなって、すり寄ってきて、普段、気になっているような事を、いろいろ話し合うんだ。おかげで今晩は祐馬のお友だちお誕生日の買い物に付き合わされることになっちゃった。

なんか、このパターンって懐かしいよね、優子。
ふたりで、よくやっていたから。

二人のやり取りをそばで見ていたちゅけは、
「オレ、考えてみれば、人と言い合ったことってほとんどないんだよな。これって、ヘンなのかなあ??」
そんなことないよ、どちらも良いんだよ。

祐馬は多感で、激しい。
自分の感性をしっかり主張し、相手の様子をうかがいながら、自分を押し通そうとする。なんだか僕自身を見ているみたいだ。

祐馬は熱いよ。
ひとつのことを考え始めると、それに頭が完全占拠されるみたい。
先週は、犬を飼うこと。
今週は、ミスチルのコンサート・チケットが取れるかどうか。

僕もそうだもんあ。
結婚前のラブラブ時代は、毎日、優子のことばかり考えていたよ。
結婚して、優子との生活が安定し、僕の存在の一部になったら、ちっとも考えなくて。
優子を失ってからは、まだ、ずっと優子のことばかり考えている。

祐馬の性格は父親似だね。それを言うとイヤがるけど。

Wednesday, May 13, 2009

I am surviving

Dear David, Khawla, and the MKP brothers,

Very nice to hear from my best friends.

Thank you so much for your thoughts on me and my children.

Yes, I am surviving!!

I am in much better shape than in February when I met you last time. It was only a month after Yuko's death. I was in a very active phase of my mourning process. I could not help crying out loud for the pain. I needed a work to release my strong pain with your help. I felt so relieved to have your support. I was insecurely attached to my kids, and could not leave them at all. That’s why I had to cancel my business trip to Okinawa.

 We settled Yuko’s urn in the grave yard in April. It has been four months, and I feel like I am now in a chronic phase of my mourning. I do not feel wanting to cry any more. I can eat, sleep, and be active at work and daily chores with no problem. I play tennis and golf once in a while. I started to see a psychotherapist regularly for the first time in my life. I am not depressed or suicidal. I have to stay alive for my children and for myself. Superficial part of me is fine. But my sadness and loneliness went to the core of my heart and stay there still without moving. I am always conscious on this part of myself, but I cannot do anything about it. It is hard to let them go out. I may say I do not want to do so. I want to keep my sadness for a time being. I do not want lose them. My sadness is Yuko. I do not want to lose her images.

 Talking to you guys on Monday night, I realize I am like walking on a knife ridge of 3000m class mountains. I have to take delicate balance of falling down either sides of the ridges; one side is in a deep valley of sadness and depression that I will not be able to move. The other side is a part of me wanting to have a new relationship to substitute my loneliness, although I know clearly it would not yet work at all. It is still too early to that stage.

 You always ask me how the children are doing. They are pretty in good shape. Zen passed the exam, and now going to a high school of his first choice. He likes the school which is very demanding academically and sports activity that he chose to play in a volley ball team.

Yuma graduated from elementary school in March and now in her first year of a local junior high. She is asking to have a dog at home. Eugene is fine too. He is now devoted in gymnastic club on weekends, and Yuma for swimming as well.

I believe it is a good indication that we manage to guarantee them a comfortable and reassuring environment for them to grow. Sudden loss of Yuko create deep crisis for my family. I am realize the coping mechanism or Resilience of the family functioning. My kids, I and my parents become much closer to each other than we used to be. I am very lucky to have three children with me and my parents living together in one household. We used to manage to set a right generational boundary between my parents’ and our tow households. But now we all became one big extended family.

 

Tuesday, May 12, 2009

風が軽くなった

優子

連休が明け、1週間ぶりに多摩サイを走ったけど、風が変わったよ。
夏の風になった。気温が上がり、空気の密度が下がるんだ。すると、同じ力でも早く走れるようになる。
長そでではなく、半そでが気持ち良くなる。
信号で止まると、じわっと汗が出て、暑さを感じる。また走り出すと、その汗が気化して強制空冷状況。とても気持ちいいんだ。

僕の気持ちも、だんだん軽くなってきたよ。
優子を失った悲しみと喪失感は、まだ心の芯にしっかり残っているけど、べつにそれをどうこうしなくてもいいんだ。もうしばらくは残しておきたい。悲しみを手放したくない。

でも、心の表面は大丈夫だよ。
悲しくなんかはない。
もう、支えてくれる人の前で泣かなくても大丈夫。

これから、今日も多摩サイだ!
優子、出てきてもいいし、出てこなくてもいいよ。

Thursday, May 7, 2009

霊園にて

鍾次郎

春うらら家族・母・兄ひっそりと三浦岬の墓所に集いぬ

夫と子で別れの言葉語りかけるただそれだけの納骨の儀

骨壷に結婚指輪おさめおきいずれ来るよと施主はつぶやく

墓近き東屋でとる昼餐のメインディッシュは持ちよりのむすび

水泳が大好きだったと母語る故人の眠る海望む丘で

Re: 草津のお家

Tiki,

痛みを感じてくれてありがとう・・・
失ったのが私だから、痛いんでしょう?
「痛いよ」って言われたのが、すごく嬉しかった。

あなたの痛みが消えるまで、ずっと
あなたの心の傷口をふさいでいるから。
心が痛いとき、私のぬくもりを心に感じて。
あなたの痛みが癒えるように、
心の傷口に私が手を当てているのがわかる?

あなたの痛みが消えたとき、私は
あなたの心の一部と同化して残っているから
安心して。私はどこへも行かないから。
あなたと一緒にいるから。

それでもあなたは自由だから。
新しい人生を歩んで行って。
私は、あなたの傷口をふさいで
あなたの心と同化しているから
大丈夫。やきもちなんてやかないわ。

ありがとう。痛みを感じてくれて・・・
すごく嬉しかった。

Tuesday, May 5, 2009

草津のお家


優子

草津に来たよ。
優子がここで死んで以来だ。
春休みに来ようと思ったけど、子どもたちは来たくないって。
今回もちゅけは部活で留守番。じんと祐馬と、祐馬の仲良し3人娘と、その家族。総勢大人3人、子ども5人。これくらいが一番楽しいんだよね。BBQや温泉めぐり、とても楽しかったよ。

僕と子どもたちだけでここに来るのは恐かったんだ。
ここは、あまりにも優子の思い出いっぱいの場所だから。

ちょうど4ヶ月前。お正月の元旦行事を済ませ、二日にここに来たんだよな。雪の中、寒かったよ。夕食は、おせちの残りで簡単に済ませたんだったよね。正月&スキーは、何の変哲もない、10年来続けている、我が家の冬休みの風景だったよ。3日の午前中まではね。3日の朝、ここから車で小1時間、万座プリンスHにチェックインして、スキーして。何の前触れもなく、優子が死んじゃったんだ。

それ以来の草津だよ。
ここは、じんが生まれた10年前、ふたりで買ったんだよね。
僕の子ども時代は両親の実家(群馬&愛媛)に休みごとに訪ね、山と海の自然と、大勢のいとこたちと楽しい日々を送ったから、子どもたちにも同じように自然体験をさせてやりたい。僕らも留学を終え、ふたりで働き始めて6年。時間的にも経済的にも少し余裕が出てきたので、軽井沢や八ヶ岳などいろいろ回って物色したよね。ここは、温泉も近いしスキーもできる。ふたりが気に入って、中古物件を値切って買ったんだ。僕は何も考えずに僕の名前で登記しようとしたら、優子が待ったをかけたよね。そうやって何も考えていないところがイヤなのよ。そう言われりゃ、たしかにふたりのものだよね。東京の自宅は僕の親の土地に家を建てたから、優子が口を挟むこともなかったけど。そう、ここはふたりのものだ。ふたりの共同名義で登記したよね。でも、そのおかげで、今、名義の書き換えの手続きで苦労してるぞ。

以来、家族の大好きな場所になった。僕は温泉とスキー、子どもたちは時々出没するトカゲやヘビと、渡辺牧場、優子はフルートの練習と夏の音楽フェスティバルが、大のお気に入りなんだ。
庭には、優子が植えた水仙が、何の手入れもしないのにきれいに咲いていたよ。庭でBBQしていたら、ふと優子が「遅くなりました~」なんて、ひょいと戻ってくるような感覚になる。
いろんな人たちが来てくれたよね。じじばばをはじめ、保育園仲間や子どもたちの友人家族、それに僕の友人など。今回も、子どもたちは前の広場でドッジボールしたり、ハンモックに乗ったり、夜は一緒にパジャマトーク。とても楽しそうだった。それを見てると、僕も楽しくなる。みんなといれば、優子のことを考えていなくて済むんだ。

今は、ひとりペルツのお湯で、のんびり温泉に浸かったよ。みんなを電車で先に帰し、僕は渋滞を避け、これから一人、夜の関越だ。1月3日の深夜も、優子の寝台車と共に、悲しい関越を通ったんだ。

今日は、草津のガラス屋に寄ったよ。ここも優子とたくさん来たよね。優子の仏壇に、一輪刺しとミニチュアの動物細工を買ったよ。動物を選んでいると、優子のことを思い出し、涙が出てきた。それを祐馬が目ざとく見つけ、パパ、やーね、とおこられたよ。

夏休みも、子どもたちとたくさん草津に来ようね。その時は、ちゅけも来れるかな。優子の灰もお庭に散らそう。友だち、たくさん呼ぼう。みんなでBBQやハイキングやテニスをしよう。夏にはゴルフもやりたいなあ。

まだまだ、傷は深いなあ。
子どもたちや、人と居るときは平気だけど、ひとりになると、ズキンズキンと痛みだす。こうやって、ブログをとおして自分に向き合うのも、傷の手当てなんだ。見過ごせば、気づかない形で痛みだす。痛みは、痛みとしてしっかり向き合わないと、かえって苦しくなるよ。
みんなとワイワイ楽しんだ後には、こうやってひとり、自分に向き合う時間も必要みたいだ。その辛さにも慣れてきた。これも、大切な作業だよ。

Friday, May 1, 2009

母親を失うこと


優子

子どもたちにとって、母を失うってどんな意味を持つのだろう? 一見、3人とも元気にやっているよ。父親が気にしているだけで、生活面でも、心理面でもごく普通だ。 僕は子どものころ(どころか、今でさえ)親を亡くしていないから、彼らの気持ちは体験的にわからない。大人が妻という愛着対象を死別により失う体験はわかるんだけどね。...(ママのお墓から海を望む祐馬)...

僕自身が子どもたちの年齢のころ、親が死んじゃうなんて考えただけで想像を絶する、絶対考えたくもない、ありえない現実だった。それを、3人の子どもたちは経験しているんだからね! 

よく、みんなから言われるんだ。子どもは生命力があるから大丈夫。むしろ、妻を亡くしたTikiさんが心配よ、なんてね。もしそうだったら気が楽なんだけど。。。

確かに、子どもにとって大切なのは、安心して育つことができる環境だ。つまり、日常生活での安心・安全。そして、彼らを愛し、守り、大切に思ってくれる愛着対象。なんといっても彼らを産んだ優子は、愛着対象のNo.1だからね。それを失った痛手は大きいと思うんだ。でも、愛着対象の代替可能性について、この3-40年考え方は変わってきている。以前であれば、母親の絶対性が強調された。3歳児神話のように、子どもの愛着対象は母親がベストで、他の人はいくらがんばっても母親にはかなわないという考え方。優子と僕は、その考え方は乗り越えたはずだよね。だから、子どもたちを1歳のお誕生前から保育園に預けていたし。おかげで、園長やつんちゃんなど、子どもたちにとって大切な愛着対象を家庭外に見つけることができた。今でもそれは祐馬の心の中に根付いているみたい。 そう考えれば、ママがいなくても、パパやじじばばや、まわりの人たちが彼らを暖かく守り、愛情を注いであげれば、大丈夫だ、心配することはない、という仮説は十分に成り立つはずなんだけど。

僕は7歳のときに祖母を亡くし、自分という存在も死とともに消滅するんだという強烈な現実に向き合わされた。それは、恐怖でありトラウマ体験であったと同時に、僕の現実(人生?)は、そこからスタートしたように思う。 ちゅけ祐馬はそれぞれ高校・中学に進学し、すごくがんばっているんだ。こんなにがんばっちゃって大丈夫なのと心配するくらい。僕がブログを書かずにはいられないように、彼らも母を失った耐え難い不安・寂しさを、がんばることによって補おうとしているのだろうか。辛いと思うんだけど、それが創造性という形に昇華されれば、受験世代の彼らにとっては好ましいことだ。僕の7歳がそうだったとしたら、一見まだ何も考えていなくてマイペースのように見える10歳のじんも、内心はいろいろ感じているのかもしれない。 

人は誰でも、人生のどこかで現実にぶち当たる日が来る。子どもたちにとっては、僕が同居していない祖母を失ったのとは比べ物にならないくらい、大きな、厳しい現実のはずだ。彼らはそれに耐えられるのだろうか?それを糧にして、乗り越え、大きくなってくれるのだろうか?