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Friday, January 28, 2011

通過点

Mさん、メールありがとうございます。

今晩、ある友人とふたりで飲むんですよ。
彼は、ほぼ1年前、病気で奥さんを亡くしました。
私と彼とは知り合いですけど、一緒に飲みに行くほど親しかったわけではありません。
先日、一年ぶりに彼と近所のスーパーで出会いました。奥さんを亡くしてから初めての出会いでした。
普段は寡黙な彼が(男なんて皆そうですけど)、熱心に立ち話を始めるんですよ。この1年間の寂しさ、うつになってしまったこと、たまらなくなって半年ほど前に私の家の呼び鈴を押したことなどなど(彼は私の電話番号を知らなかったんです)。で、ふたりで語りましょうと、今晩会うんです。

彼と話していて、私がMさんと(メールのみでしたが)語ることがどれほど大切だったかを思い出しました。たくさんの人たちが私の話を聞いてくれて、共感してくれます。でも、パートナーを亡くすという同じ体験をした人へは、私の気持ちが魔法のように入っていくという温かい期待がありました。Mさんの話を伺い、私の話もさせていただくことが、どれほど自分の気持ちを支えるのに役に立ったことか。今は、そのことをお伝えしたくメールしました。

まさに、通過点なんですよね。
Mさんのご本を拝読した時は、通過なんかしたくありませんでした。その悲しみに留まり、手放さないことを使命のように感じていました。でも、幸か不幸か通過していってしまいますね。(幸いに)優子のことは今でもよく考えますが、そこに伴う気持ちはだんだんと薄れてきてしまっています。優子、ごめんね。いや、それでいいんだよ、と彼女が言ってくれると信じるしかありません。

年賀状に書いた通り、3月で大学を辞め開業することにしました。自由診療で少々お高くなるんですが、悩む患者さんとたっぷり時間をとって向き合いたいと思います。前々から65歳の定年を待たず、50代のうちに臨床に戻りたいとは考えていました。でも、今の仕事も面白いし不満があるわけではなく、あえて人生を切り替える必要は今までありませんでした。優子もちょうど、亡くなる2-3年前にそれまでの勤務を辞めてフリーランスの通訳者になりました。とても大変そうでしたが、子どものころからなりたかった職業につき、満足そうでした。
優子を失ったから、(子どもたちを除いて)失うものは何もない。開き直っているわけではないのですが、優子のおかげで今の仕事を辞めることができました。

優子を亡くさなければ出会えなかった人もたくさんいます。昔の友人たちと再会し、新たな人にも出会いました。喪の作業を支えてくれたセラピストは、今は私の臨床のスーパーバイザーとなり、月1回通い続けています。

そんなこんなで、気持ちはどんどん通過してしまっていることだけは確かなようです。なんか、急ぎ過ぎてるんじゃないかと自問自答します。もっとゆっくり進めたいのに、多分焦りの気持ちから、どんどん前に進めちゃっているのかもしれません。あえてブレーキをかけなくても良いのかもしれませんが、もっと落ち着いてゆっくりできれば良いのになと思います。

喪の作業の一歩先を歩んでいる人が、どれほど自分の気持ちにとって支えになるのか。今晩、彼と会う前に、そのことをお伝えしたくてメールしました。どうもありがとうございました。今晩、彼を支え、また精神科医として優子を亡くした体験を間接的に生かし、多くの人を支えることができるのは、私にとって喜びです。

頂いたご本は、後半の部分も拝読して自分の気持ちをメールでお伝えしたいと残していたのですが、私にとっても通過点になってしまいました。もし差支えなければクラウド化してもよろしいでしょうか。スキャンして(最近のは性能が良くなったんですよ)、PDF化し、クラウド上のハードディスクに保存します。現物は無くしても、いつでも空から呼び出すことができます。私の部屋と職場にたくさんあった書物もそうしているんですよ(年賀状に書きましたっけ)。部屋が整理されると、心の中も整理されて楽になります。優子も亡くなる前にスキャンしておけばよかったですね。

長々と失礼しました。読んでいただき、ありがとうございます。

Saturday, January 22, 2011

口では言えないほど

今朝のNHKニュースでやっていた。
「○○の方々は、口では言えないほど辛い思いをなさってきたのですねえ・・・」

なるほど。口では言ってはいけないんですよ。
口で言ってしまえば、口で言えるほどの辛さに矮小されてしまう。

辛さ、悲しさ、怒り、、、
とても強い感情は、表現するのが辛いから表現できないのと同時に、
表現してしまったら、とてつもない思いが、とてつもある思いに縮んでしまうことへ抵抗するから表現しないのだろう。まだ、そんなに縮小化するつもりはない。それほど、自分の気持ちは強いんだ。おいそれと人並みの、言葉に変換できるような思いじゃない。縮めることは反対します!
感情が強いうちは、表現できない。それはそれで良いのだけど、その感情のために不便が生じている場合(たとえば抑うつなど)、その気持ちを整理して、多少とも縮小してあげないといけない。それを助けるのが心の支援者であり、僕自身がこの2年間ずっとやってきたことなんだろうねえ。

Tuesday, January 18, 2011

多摩サイとバナナ

冬ノ寒サニモマケズ、今日はチャリ通勤。
午後はめずらしく授業も会議も入っていなかったので、昼過ぎに職場を飛び出し帰路の多摩サイ定位置で小休止とエネルギーの補給。
ここ2-3日、なんとなく腰が痛いんだよなあ。前にも経験がある。ストレスが溜まるとそうなるみたい。
そういう時は、身体を大事にするより、ストレスを発散するべく運動するんだ。そうすれば、腰痛も吹っ飛ぶはずだ。
夕方に祐馬の三者面談があった。中二も後半だからそろそろ進路の話が出てくるね。
夕食はトマト&カレー鍋とクスクスにしよう!
今週はいろいろ忙しくて土日も含め今晩しか君たちと一緒に夕ご飯食べられないんだよ。だから、今晩は少しご馳走食べて、みんなでのんびりしようね!

Sunday, January 16, 2011

試験監督の仕事納め

大学入試センター試験は、大学の先生にとって最も重要で、私にとって最もイヤな仕事のひとつだ。
まわりの人から見れば「それは、大切なお仕事で!」と、受けがいい。いかにも社会のために貢献しているような。受験生にとっては一生を左右する人生のヤマ場だ。
この緊張感を楽しんでいる監督者もいるかもしれないが、ボクはイヤだ。
決して難しい仕事ではない。やるべきことはすべて完璧なマニュアルに決められ、そのとおりに進めればよい。すべての個性とcreativityを殺し、綿密な指示に従うのみ。
内職もしてはいけない。でも、たまらないからこうやって、誰にも見られないようにブログの下書きをしている。居眠りもできず、何もしないでいることが一番つらい。そういうのが好きな人がいることも分かっているけど。
小さなミスでもたいへん!後々に訴えられることもよくある。受験生の緊張感が伝わってきて、一日中緊張を保たねばならない。終わったら、ヘトヘトに疲れる。

18年間、年中行事としてくり返してきたこの仕事も、今日が最後だ。
後になったら、懐かしくなり、またやりたくなるかも知れないから、最後を楽しんできて!
そんなこと絶対ないって!
思い出を手放すことは、もうオレの得意技になった。喪失のプロだからね。失うものは何もない。
これからは、残りの人生、オレが欲しいものだけを純粋に求めるんだ。
Creativity
人と交わり、共感し、人の存在を直に感じられる生活がしたい。
死んで孤独になるまでは、大切な人の中で生きていたい

Friday, January 14, 2011

おじさんは恋愛対象

ここ数年、中高年男性と若い美女との歳の差カップルが世間を騒がせています。

例えば、タレントの石田純一が56歳で、22歳下のプロゴルファー・東尾理子と結婚。松本人志も45歳で元タレントの伊原凛(26)と結婚しました。最近では、俳優の神田正輝(60)とタレントの長谷川理恵(37)が23歳差の熱愛を発表しました。

しかし、40歳過ぎの男性がモテるのは、芸能界に限ったことではありません。週刊誌『読売ウィークリー』(2008年6月1日号)が20代の独身OLに対して、「40代男性と実際に恋愛経験はあるか?」というアンケートを実施しました。結果は約半数の46%の女性が「ある」と回答。読者を驚かせました。

もうひとつ、興味深い調査を紹介しましょう。養命酒製造株式会社が2010年1月に行ったアンケートで、対象は20代から30代の独身OL500名。質問は同じように、「おじさんは恋愛対象になるか?」でしたが、今度は72%の女性が「人によってはなる」と答えています。しかも、この「おじさん」というのは44歳から62歳を指しているというから、中高年の男性にとっては何とも夢のある話です。

もちろん、「人によっては」という部分を忘れてはいけないでしょう。とはいえ、努力次第では若い女性が振り向いてくれるというのも事実。世の中を騒がせる芸能人たちにならって、第2の青春にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。

(青木一郎『40歳からのモテる技術』)

Tuesday, January 11, 2011

熱い家族

I have been thinking about R family why Yuma and I liked them so much.
I came to realize their communication pattern is very active and 熱い. They communicate to each other with frank and straight forward expressions what one wants to say; anxiety free communication. They do not seem to worry about if others may feel hurt or offended. This is just my brief observation during their family holiday, but they spend so much time together and actively show their concerns to each other emotionally, physically and verbally. This seemed to build upon the strong sense of trust to each other. だから祐馬と彼らの交流を見てると、遠慮とかよそよそしいところが全くなく、子どもどおしからかいあったりケンカしたり、親に甘えたり、すごくリラックスしているんだよね。だいちゃんも、本当の子どものように注意するべきところはしっかり注意するし、温かいところはしっかり抱きしめてくれる。

別の家族を体験すると、自分の家族のことが良くわかる。それは僕の高校時代のアメリカ家族との体験でもあった。This kind of communication is very different from the Japanese 遠慮 communication pattern of avoiding direct confrontation in most of the families which I clinically experience. They are afraid of direct confrontation of the different opinions, and cannot say what they really want to say to each other.

Sunday, January 9, 2011

Skiing in 白馬

Dear R family,
It was a wonderful trip to 白馬 for not only the skiing but felt so relaxed and relieved to temporarily became a part of your family. Snow skiing is my most favorite sport that I have been playing since childhood. I can reassure my physical energy by comfortably skiing the steep slopes.
Your family is so caring, close to each other and open to friends. 祐馬was really a part of your family for a month in Perth. This time Eugene and I had joined temporarily for three days. It was not just a reunion of our old time friendship, but renewed friendship with all the family members involved. Very nice conversation during the ski run and dinner tables. It was comforting to see your kids and my kids interacting like real siblings. I felt so relaxing and at home. This is a kind of atmosphere disappearing in recent years in our city life.
We would have kept our rigid family boundary and would not have this experience of two families get together if Yuko was alive. Sadness of losing intimate partner can only be relieved by the joy of gaining intimate relationship.
Thank you Yuko, Thank you Ryoko.

Monday, January 3, 2011

2年目(三回忌)

リカさん、年賀状ありがとうございます。
今日で、ちょうど2年になります。
葬儀では温かい言葉を頂き、3月に再びお目にかかり、リカさんにはとても助けられました。去年の今日は、親族と友人・知人が会館に集まり一周忌を開いたのですが、今日は親戚だけで自宅に集まり、お正月の恒例の集まりと兼ねて、静かに優子を悼みました。

去年の今ごろ、こんなことをブログに書きました。
> 今回は、みんなが共有する悲しみの周りに集まれたんですよ。
> あと1年たったらどうかな?僕自身はまだ悲しみのエネルギー
> 十分あるだろうけど、みんなの中の悲しみは拡散して薄まり、
> 集まるだけの凝集力はなくなるんじゃないかな。

秋ごろまでは、今日の三回忌(2年目)も去年と同じようにみんなに集まってもらおうかなと思っていました。でも、その頃から悲しみのエネルギーが急に減ってきたんですよ。なぜだかよくわからない。いや、わかってはいるのだけど。だから、今回は多くの人々の力を借りなくても、家族だけで済ますことができました。

私も3人の子どもたちも元気にそれぞれの道を歩んでいます。ブログにも書きましたが、私は今年度いっぱいで大学を辞め、精神科のクリニックを開業することにしました。前々から考えていたことではあるのですが、今までの人生をリセットしたいという気持ちもあります。

前回お目にかかった後も何度か仕事でそちらに行きました。そのたびに、リカさんにまたお目にかかりたいなと思いつつ、会わなくても大丈夫だからと自分に言い聞かせてもいました。2年前、リカさんの前で涙できたのは、私にとって本当に貴重な体験でした。ご一緒させていただいた大宰府の遺跡や天満宮の印象もまだ強く心に残っています。あの時お守りを求めた友人の娘さんは、無事に希望していた大学に進むことができました。

優子がいない寂しさは時と共に薄れてきています。多くの人々の支えのおかげで、優子のいない家族生活と私の人生も何とか支障なく進めています。むしろ優子の記憶を痛まない形で、しかし大切に私の記憶に深く留めておきたい気持ちです。こうやって、リカさんに気持ちを伝えることで、それを確認しようとしています。その痛みは今後も一生持ち続けていたいし、ブログもまだまだ書き続けます。しかし、それとは別の次元で、私の人生も創っていけそうな気がします。

リカさん、これからもどうか見守っていてください。

Sunday, January 2, 2011

2年前の草津

新幹線とレンタカーで草津まで来た。
こっちにおいてあるスキー道具を、週末に行く八方尾根へ宅急便で送り、温泉に浸かってとんぼ返りの日帰りひとり旅。

思えば、2年前の今日も草津に来たんだよなあ。2日に草津に泊り、3日に優子は昇天した。
2年前と同じことは、

  • 快晴なのに空気はきりっと冷たく、地面には薄っすら根雪が積もっている。山に行けば、スキーに十分な雪がある。
  • 温泉が暖かく気持ちが良い。
2年前と違うことは、
  • 2年前は優子と子どもたちと一緒だった。今回は僕ひとり。
  • 2年前は充ちていた。目の前のことだけを考えていた。今回は、過去と将来のことばかり考えている。
さて、ボチボチ引き上げて東京に戻ろう。
今晩は、子どもたちと一緒に、うちの冬の定番のチーズフォンデュだな!

Saturday, January 1, 2011

年賀状

ふう、やっと年賀状の整理が終わった。
年末に大方は書いたのだけど、教え子たちをはじめ、60枚ほど追加して投函した。
年賀状には励まされる。


お正月が来られると色々と思い出されることも多いと思います。

そうですねえ。昼間には子どもたち3人とお墓参りしてきたし、優子のことが蘇る時ですね。墓地にはずいぶんと墓参の人々がいたなあ。


短命を背負い生まれた彼女は貴男を探し、貴男はその命を大切に大切にいつくしみ、その命の刻限を充分に越し新たに3つの命を得ました。けれどあの日待ちくたびれた神様が彼女を連れ戻してしまったようですネ。なんと運命に導かれた2人なのだろうとつくづく思わされた一年でした。「神様に遅いぞって怒られちゃった」と風になって笑っているのではないでしょうか。

素敵な言葉、ありがとう!
年賀状のやり取りだけの人とは、年一回の交流。昨年出したはがきの返事が今年だったりして。

奥さまのお話は存じており、大変なことと思います。

「奥様との往復書簡」を読ませていただき天国でどんなにか奥さまが喜ばれておいでかと思いました。「ふたつの核家族」が「ひとつの拡大家族」となられたという文を読んで、ご両親との二世帯で良かったと思う反面、ご両親様のお体のお疲れを心配いたしました。しかし、反面それが生き甲斐となってお元気になられる様祈っております。

優子さんが亡くなってから二周忌。ご家族で支え合ってがんばっていらっしゃることでしょう。

深い悲しみの日々から少しお元気になられたでしょうか。お子様方のためにも素敵なお父様になって下さい。

これからもブログ楽しみに拝見させて頂きます。

ブログ楽しみです。

先生のブログを見ると、がんばらなくちゃと鼓舞されます。

今年もお子様方が立派に成長されている様子をブログで拝見するのを楽しみにしております。

Tikiさん、いつもブログ読んでます!

ずいぶん多くの人が読んでくれているんだなあ。
そういう人たちに支えられている。今年もよろしくお願いします!