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Friday, August 23, 2013

じんの体操大会

なるほど。ここにもyoutube経由で動画を載せられるんだ。

小5から地域の体操教室に通いだし、今回初めて大会に出場した。
じんは言葉が少なく、自分のことをあまり言わないからなぁ。
でも、途中で飽きることなく中3の今までずいぶん続けたよな!
パパも年1-2回、体操教室内で開かれる発表会には顔を出したりしていたけど、じんがどれほどうまくなっているかとか知らなかったよ。

でも、上のクラスに行けたとか、喜んでいたよな。競技クラスになり、それも競技クラスBから、競技クラスAに上がり、いつの間にかこんなになっていたんだ。

じん自身にしてみれば「失敗だ!」と言うけど、そりゃあ周りにもっと上手な仲間もいるだろうけど、パパにしてみれば十分過ぎるほどすごいことだよ!パパだって、中学の柔道部はずっと補欠選手で大会に出ることは3年間なかったんだ。でも、そんなこと関係ないよね。じん自身の達成なんだ。
祐馬の水泳にちゅけのバレーボール。いくつかのスポーツを試してみた後に自分の好きなスポーツを見出すんだね。良いことだと思うよ。

でも、ちょっと待てよ。じんは体操、小5のいつ頃から始めたんだっけ?
4月から。。。

ということは、ママが死んだのが小4の冬だったよな。その3ヶ月後に体操を始めたんだっけ?
そうだよ。

そうだったのか。パパもそのことはno careだった。
よく続いたよな。
でも、どうして体操を始めたの?
ママを失ったことと何か関係あるの?

と尋ねても、寡黙なじんは何も答えない。
そうだよな。そうやって大人はすぐにママの死を何でもかんでも結びつけようとするね。
じんにしてみれば、そんなこと関係なく、たまたま興味を持っただけだよね。わからないけど。

Saturday, August 3, 2013

4年7ヶ月


30年ぶりで会った皆は、素敵に時を重ねていて、若い頃より努力した輝きがましていて、とても魅力的でした。

確かにみんな「若い」ですよね。というかみんなと会って、若い自分に戻れるんじゃないですか。
若い頃はみんな輝いていた。それ以降、それぞれの道でがんばって、何度も挫折して、立ち上がり、なんとか辻褄を合わせて生きてきているんじゃないでしょうかね。
 

これって、優子ちゃんのおかげなんだ・・・って改めて思いました。優子ちゃんのことで皆が集まって・・・皆は、それからずっと一年に一回集まっているって、優子ちゃんがこの世に残して行ってくれたかけがえのない宝なんですね。

①確かに優子がきっかけだったかも。
悲しみ、あるいは心の痛みって、人を結びつける作用がありますよね。
優子の仲間たちもそうみたいです。
痛みを静かに共有できるって、辛いけど良いですよね。

②あと年齢もあるよね。
私のまわりでも、中学、高校、大学時代のクラスとかクラブとか、40代の半ば過ぎくらいから会うようになりました。仕事も子育てもひと段落する時期というのもあるし、人生にメドがつく時期なんですよ。それまでは一生懸命登っていたんです。昔の友だちっていわばライバルでしょ。登っている最中はそいつらに会いたくなかった。でも、人生の競争から降りたら肩を抱き合えるんですよ。レースのゴールを切ったら、競い合っていた選手たちがお互いを讃え合えるようにね。

③ネットの影響もあるね。
電話で話し合うほどでもないし、人数は多いし、往復はがきを出したり、ネット以前は集まるのも大変でした。今ではメーリングリストとかFacebookとか年に1回集まる時だけでなく、いつも情報交換して話し合えるようになりましたからね。この影響は大きいでしょ。