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Monday, March 9, 2020

雪崩に遭いました、、、

北海道から戻り、ボーッとしている、、、
午後から診療だからシャンとしないといけないんだけど、それまではね。
いつもは張り切ってイケイケ元気な姿を見せてるけど、まあそこまでガンバんなくても良いのかなぁってね。

雪崩って、普通死ぬでしょ!
家族の反応が面白かった。
救急車の中から電話したのはこれで2回目だな。
由美に電話して、オレ雪崩に遭っちゃってさ!
倶知安厚生病院に運ばれるんだって!
由美が先に着いてたよ。
1回目はチャリで転んで鎖骨を折った時。妹に電話して、別に病院に来なくて良いからって伝えたけど、今回由美には来てもらったさ!
由美が心配しないように、元気そうに振舞ったさ!

東京に戻ってから子ども達には伝えた。
祐馬は「なんでもっと早く伝えてくれないの!パパはいつも無責任なんだから!!
パパが雪崩で死んても、どうしようもないじゃないの!!」
と怒り出した。
2年前、ニセコでBCが遅くなった時と同じ反応だ。
祐馬にとって、スキーで何かあって、連絡が遅くなるってのは10年前のフラッシュバックなんだよな。

息子たちも同じ体験をしたのに反応の大きさは異なる。
ちゅけとじんは、「え〜、大変だったね!」
と、まあ普通の反応というか、特に過大な反応もない。

まあガイドの責任といえばそうなんだけど。
ハイクアップして尾根に着き、ここからドロップしようとモードチェンジしていた場所でいきなり襲われたからね。ガイドは先にドロップして、さあこれから行こうとした瞬間にやられた。何が起こったのかさっぱりわからない状況で、いきなり後ろから突き飛ばされて、斜面をめちゃくちゃ流されて、太い木に引っかかって止まった。雪崩が起きたってことさえ、後から振り返ってわかったことで、その時は要するの世の中が突然メチャクチャになっただけのこと。右手と顔面は雪の上に出ていたので呼吸は問題なく窒息することもなく、同行していた功さんがすぐに駆けつけて来てくれた。体が全く動かない。足が痛い。木と雪に足が挟まれ動けない。意識ははっきりしている。功さんが雪を掻き出してくれて、なんとか態勢は立て直し、雪の上に座ったものの、ブルブル体の震えが止まらない。ドロップしたガイドのゆうき君も功さんからのトランシーバーで異変に気づき、ハーハー登り返してきてくれた。119番通報して、ターナーに連絡して素早く駆けつけてくれ、震えながら待つこと1時間(?、時間の感覚が良くわからなかったから違うかもしれない)、救急隊がたくさんやってきて(6−7人?、わからない、、、)私をグルグル巻きにして大人数で引っ張り下ろしていく。スノーボードも入らず、担架を分解して手分けして運んできてくれたのだろう。救急隊は優しく精神的動揺にも配慮して声をかけてくれる。一応、意識清明でちゃんと対応はできるのですけど、内心どれほど動揺していたのか自分さえも良くわからない。
ある程度下ろして、夏の林道まで来たらスノーモービルが待機していたらしく(ほんのちょっとの空しか見えないから、何が起きているのかさっぱりわからない)、エンジン音に引っ張られて2-30分?、次に救急車で30分程度?。
救急車でやっと由美に電話して、病院には由美が先に着いていた。
ちゃんと対応できますよ。意識清明だし、事情は説明できるし。
大腿部が痛く、気づいたら顔面も痛かった。
全身のCTを撮って脚の骨折はないが、顔面の副鼻腔の奥の骨が折れていると。それがどれほどの臨床的な意味があるか(治療が必要か否か)当直医もわからない(整形外科らしい。整形外科でもわかんないの?)ということで、一応タクシーで、と思ったらターナーが送ってくれてホテルへ。翌日、耳鼻科の外来を受診して、副鼻腔の骨折はほっておけば良いことを確認した。

まあ、怪我自体はざっとそんなもんなんですよ。
でも、それでどうなんだ?
バックカントリーは危険でいっぱいですねぇ。
そんなスポーツ、懲りてやめるべきか?
危険は避けられたのか?
少なくとも、雪崩が起きうる場所でモードチェンジしていたってことは、ガイドの判断ミスだろうけど、ゆうき君を責めるつもりはないし、そのあたりはターナーと良く反省してもらって。
私にとっての幸いは、私の体力・技術力の不足で起きた事故ではないということ。今回のはね。
なら、まだやっちゃうわけ?
そりゃそうだ、やりたいから。
でも、いつまでもこうやって自分の体力の減退を否認して、まだまだ若いんだから!!ってアピールしたいわけ?
チャリで鎖骨を折ったって、チャリを手放さなかったし。
ターナーやコッシーにガイドされたBC、時々、体力・技術力の限界を感じるときはあるわけ。そして転けたり、板を外したりということがまあ2回に1回のツアーであるよね。それは危険でしょ!
それも経験して乗り越えて、技術力・体力を向上させていくの?
それとも、それはもう限界として撤退の道を選ぶの?
そうやって、いつまでも強がっていたいわけ?

人間、強けりゃ一人でも生きていけるでしょ!?
人間、弱ければ、支えが必要なんですよ。
今回、由美がいてくれて本当に助かった。
もし、普段のツアーみたいに一人で、由美がいなかったら?
ターナーや宿の人が支えてくれた??

老いても、最期までひとりで生きてゆけるの?
そのための社会サポートでしょ?
それがアングロサクソン的な個人主義でしょ?
それが、自分と向き合うってことなの?
自分の限界に挑戦するってことなの?
それもちょっと違うような、、、
わかんね〜な〜、、、