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Tuesday, January 3, 2023

優子を失い由美を得た歴史年表

1年ぶりの投稿だな。

14年目、、、と指折り数えるのもしんどくなった。
でも、時々どれくらいたったんだっけって考えたりするもんな

新しいブログに年表を作っているので、その拡張版を作ってみよう。

2009年1月3日)優子昇天

2015年10月3日)由美がひきこもり講座に申し込み、広尾で初めて出会う

2016年1月23日)父が亡くなる

2016年9月11日)由美の診察の後、下のカフェで告白する

2016年10月9日)横浜シェラトンに泊まったが、お付き合いを断念する

2017年10月7日)母が亡くなる 2018年6月)有楽町の『ふるさと回帰支援センター』へ群馬への移住を相談に行った

2018年9月6日)移住のことを伝えた後、由美と2年ぶりに再会する

2018年10月8日)高尾山ハイキング。由美が受け入れてくれて付き合い始める

2019年1月)生活の拠点を移すために、榛名病院に非常勤で勤め始めた

2019年10月)古民家「お片づけ隊」の協力で改修を開始する 2020年5月)古民家の改修が竣工し、高山村に住み始める

2020年11月22日)中之条町役場に婚姻を届ける

2021年6月15日)亮子がBostonで亡くなる

2023年1月3日)14回目の優子の命日ブログを榛名当直で書いている


つまり、優子を失ってから、紆余曲折の後、

9年半後に由美と安定した愛着を形成し、

11年後に由美との生活を始めたわけだ。


書き始めはこんな風に歴史を振り返るつもりはなかったんだけど、

結局、僕にとって優子のことはもう歴史になっちゃったんだ。

おめでとう!

優子の仏壇は高山村の古民家にも持ってきて、お正月に由美が花をあげていたよ。

俺はほとんど見てもいない、、、

いや別に忘れているわけじゃなくて、そういう儀式的なものがピンとこないんだ

そんなの神棚を作らなくたって、ちゃんと心の中にいるから

優子を失ってから、由美を得るまでの歴史だもんな

あと、両親と亮子の喪失も入れておかねば。。。


大切なものを失い、、、

大切なものを得る。

失ったから得られるんだよな、由美は。

別に両親や妹のreplacementはいらないけど、妻はそういうわけにはいかなかった

いやぁ、喪失というのは痛いものですなぁ。

52歳になるまでは、そういうのほとんどなかったんだけど、それ以降たくさん喪失して。

それでも生きてこれたのは、3人の子どもたちと由美がいたからだよ。

いや、それまでの途中経過でお付き合いいただいた女性の方々にもお世話になりましたよ。

どうもありがとうございました。


これからは獲得のニュースを得られるかなぁ

子どもたちのパートナーや

孫たちや、、、