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Thursday, November 12, 2020

最後の誕生日のお祝い

優子、57回目の誕生日おめでとう!
子どもたちは順調に成長してるよ!
じんは大学4年。コロナの中で最後の学生生活と就活してるよ。就活は人事を尽くして結果待ち。あいつが自ら進める道を見つけられればいいのだが、親はそばで見てるしかできないよ。
祐馬はオーストラリアから戻り都内で働き始めてもうすぐ1年か。あいつのことだからどんどん前に進んで行っている。高山村にもどんどん来てるし、おまえ少し来すぎだろくらいで、由美の小姑みたいになっちゃってるよ。おまえもそろそろbest partnerを見つけろよ!
ちゅけは社会人4年目くらいか?そろそろ次の決断の時じゃないか!?
おまえが先鞭をつければ妹・弟もフォローするよ。
その道はパパとママがしっかり見本を見せたはずだぞ!
俺も前に進んでるぞ!高山村に住み始めてまだ半年なんだよな。なんかもう3-4年は住んでるような気もしたりするよ。住み心地はイイぞ!これからはかなり寒くなるけどね。由美がいればリア充だし。。。
ってなことを毎年カードに書いて、子どもたちにも書かせてシェアしてたけど、もう今年で最後だな。
子どもたちは自立し(つつあり)、父親がinitiativeを取らなくても勝手にお墓参りに行ったり生田のばあちゃんと交流してるし、父親が取り持つ役目は終わったよ。
俺自身も、もう優子をいちいち思い出すニーズもなくなったし。
父と母の誕生日みたいなもんだな。一応、〇月〇日が来れば、そういえば今日は、、、って思い出すくらいで、お祝いとかカードとかしないからね。
11月12日も同じ風さ、もう俺にとっては!
命日には、一応、定期的に思い出してあげるよ。
ってか、いちいち記祈日に何かしなくたって、優子のことは俺と子どもたちの中にしっかり納まっているから、安心しな!
、、、俺は、前に進むし!!!

Saturday, October 10, 2020

結婚記念日を移動します

 ブログを読み返しても、10月10日の結婚記念日の記事は4年前が最後でそれほど書いてないんだね。
しかし、自分の書いたのを読み返すのは恥ずかしいね。
ああ、俺はやっぱアホだったんだ、、、
なんて自虐的になることもないけど、自分の心の軌跡。。。
大切なんだけど、やっぱ振り返るのは恥ずかしいよ。
で、結婚記念日を移動します。
由美との入籍は、いつでも良いんだけど、多分11月22日:良い夫婦の日にします。
なんと陳腐な!!
そうしないとタケが忘れちゃうでしょ!と言う由美の配慮から。
確かに忘れるかもしれない、、、
優子との結婚記念日も、忘れないように体育の日の祝日にしたくらいだからね。
優子の誕生日も忘れた大失態も経験してるし、覚えてるの面倒じゃん!

入籍の日を10月10日にしようかって言ったら、流石に却下されたよ。
まあ、そうだよな。
元妻の影は払拭して、新しく始めたいものね。
俺もそうだよ。
でもさ、俺の中では優子も由美も一緒なんだよね!
なんて言うと女性たちからひんしゅくを買うこともわかってるけど。
そうじゃなくて、俺の気持ち(=愛する・大切な人に向ける気持ち)は同じなんだよ。
別に二人を比較するとかという概念は俺の中にはない。
だから、10月10日でも覚えやすくて良いんだけど、由美の気持ちを尊重して引っ越そう!
で、多分、今のところの予定では、11月22日になります。

で、結婚記念日の引っ越しは解決したんだけど、
優子の誕生日と命日はどうしよう、、、
もう祝わなくて・覚えておかなくて良いのかなぁ。。。
まあ、命日は祈念するとしても、
誕生日は放念するかね!
でも子どもたちにとってはママの誕生日はそのまま生きているからなぁ。。。

ま、そんなことグズグズ言わなくたって、そのうち忘れるでしょう。

Wednesday, August 5, 2020

ブログのタイトルを変えちゃった

今までは、
優子と子どもたちとの往復書簡 Letter to Yuko in the Wind
これからは、
優子と由美との往復書簡 Letter to Yuko and Yumi in the Wind

Tuesday, August 4, 2020

愛妻弁当

愛妻弁当❤️


って一言書いて、弁当の写真をFacebookに載せただけなのに、

160人の「いいね!」をもらった。

今までで最高の人数じゃないかな!

コメントもたくさん。


  • 素敵なセカンドステージですねー✨ うらやましいです💕

  • これはちょっとたむ研としては、お祝いしないとですねぇ🥂

  • 本当ですね。色々、根掘り葉掘り聞かないと 笑笑

  • そういうことですかあ!👩‍❤️‍👨

  • そういうことだったんですね!!素敵です😍おめでとうございます㊗️🎊💕㊗️🎊💕

  • おめでとう🎊ございます✨。ここまでくるのに長い道のりでしたね。お幸せに‼️。

  • ちょっと待って!、聞いてない。同期へのお披露目はいつだ。

  • うわぁあ、びっくり! よかったよかった。おめでとうございます!

  • おめでとうございます🎊🍾 良かった^ - ^ほんとに良かった!

  • そうなんですか。ひとりで里山暮らしは寂しいですよ。それで新居も必要だったんですね。


今までの経緯を知っているポン友からはもっと突っ込んでくる。

  • そりゃ、おめでとう㊗️🎊 若い嫁さん?

    • 14個した

  • いまは2人で群馬に住んでるの?

    • そう。東京には2-3日/月戻る程度ね。例のB子とバッティングしちゃった女子だよ。

  • またヘンなこと言って墓穴を掘らないようにな!


その翌週の「愛妻弁当2❤️」でも100人の「イイね!」
普通、私の投稿のイイね数は多くて4-50くらいなんですけどねぇ、、、
  • そのご愛妻を正式に紹介して下さい!
はい。

お披露目をしなくちゃとは思うんだけど。

由美は、ウェディングドレスを着た二人の写真だけ撮って、お披露目はいらないと言う。

俺としては写真なんかどうでもイイけど、身内ぐらいは紹介しないと。子どもたちにはすでに紹介したけど、兄弟くらいにはね。親はすでにいないし。


結婚って、そんなにおめでたいんすかね?

結婚するという変化がおめでたいってことか。

ずっと結婚し続けていることがおめでたいって感じられるわけじゃない。

いつも奥さんに弁当を作ってもらってたって、毎回「愛妻弁当」とか言ってFacebookには上げないもんなぁ。

こんなことやっているうちは、まだおめでたいんでしょうね。


結婚って、安定した愛着を新たに作り上げることで、それがおめでたいわけ。

生きる上で、それがどれほど重要かって、臨床上も、僕の経験上も身にしみてわかったよ。


親族以外の人にはどう紹介するか?

普通の結婚なら、披露宴をしたり、友だち呼んでパーティーしたり。

今はネット時代だから、ネットを介して紹介したり。

別に姿かたちを紹介したいわけじゃない。

みんなが知りたいのは根掘り葉掘りでしょ!

どこで知り合ったんですか?

どうやって結婚を決めたんですか?

みたいなたぐい。結婚に至るストーリーを聞きたいんでしょ。

おとぎ話だって、恋愛ドラマだって、みんなそうですもん。

人生の、ある意味、最大の物語だよね。

ふだん精神科医として、というよりは家族療法家、心理セラピストとして、クライエントの病気や問題に至る物語を聴いている。面白いですよ、と言ったら失礼だけど、テレビの恋愛ドラマや小説なんか読むより迫力がある。リアルですからね。


でも、ここまで書いちゃっていいんでしょうかね。

まず、由美に見せるとしても、、、


いや正直、この11年間はホント大変、長い道のりでしたよ!

そのことは、みんななんとなくわかっていてくださる。

愛着が途切れるって、こんなに苦しいことだったんでね。

ホント、人は狂っちゃんですよ。

私も狂いました。

というか、理性が効かなくなっちゃうんですよ。だから、自分の行動が予期できなくなる。

「愛着障害」でしたよ、今から思えば。

でも、愛着障害って治るんですね。ちゃんとした愛着を手に入れることができれば。

ある意味、それがとっても難しいことも身にしみてわかりました。

愛着スタイルは幼少時に作られ、残りの人生を決定づける鋳型じゃないんですね。

まあ、私の場合、ここに来るまでにしっかり愛着があったから、なんとか挽回できたという見方もできますが、いくら愛着の鋳型があったって、人はいくらでも狂えますよ。

逆に言えば、人はいくらでも狂気から回復できる可能性も持っていると思うんです。その後の体験いかんによってね。

ってことは、私はクラシカルな「愛着障害」ではなく、「一過性愛着欠乏状態」だったんでしょうかね。「うつ病」と「うつ状態」が異なる概念であるように。


11年半前に優子を失った時は、ホントにきつかった。今から思ってもゾッとしますよ。愛着って空気みたいなもんですね。当たり前に存在する時は、それが生きる上でどれほど重要かってことは感じないんですよ。失って、空気が薄くなって、初めて気づきます。

私は、生まれてから11年前までずっとちゃんとした愛着があったのでしょうね。

両親からの愛着は、彼らを失ってからより明確になったけど、その前からなんとなくは感じていましたよ。

愛着で苦労するってこと、今まで経験したことなかったんですよ。


優子とは20代の頃、普通に恋愛して、結婚して、家庭を作って。

そりゃあ幸せでしたよ。

でもそんなことは当たり前でした。

、、、ということを、優子を失って気づいたわけです。


さあ、どうしよう???

そこから僕の戦いが始まります。

別に、愛着なんてなくたっていいじゃん!

普通に生きていけるよ。

僕の父方祖父がそうでした。妻を還暦前に亡くしたのかな。そのあと、90代で亡くなるまでずっと独身でしたよ。まあそういう時代だし、周りに大家族はいたけどね。


1年半たち、悲しみがどうにか少し落ち着き始めた頃、友だちの紹介でA子と付き合い始めました。いい子でしたよ。彼女は結婚する気満々でした。初婚だもんね、申し訳ないことしました。お付き合いが4年を超えても何も言い出さない私に業を煮やして「ねえ、どうするの?」と切り出され、YESと言えませんでした。

答えを求められ、いつまでも曖昧に引き延ばしているのも悪いと思い(このあたりの想定問答はスーパーヴァイザーと相談済みでした)、

「A子と付き合えて気持ちが救われた。今こうやってお付き合いしてるのはホントに幸せなんだ。でも、今後もずっと寄り添えるかどうかは、わからない。ごめん。」という具合だったかな。

そしたら泣かれて、さよならして、それでおしまい。

縛られたくなかったんですよ。

要するに「遊びたかったっんでしょ?」と言われるかもしれないけどそんなことはない、マジメでしたよ。

優子へのリベンジの気持ちもあったかな。勝手に俺を捨てやがって、天国の優子に見せつけるために、やりたい放題やってやるってね!

決してA子を愛していなかったわけではないんですよ。

今だったら、きっとYESと言えていたと思います。


「海外にしょっちゅう出かけている田村くんならちょうど良いかも」と、若い頃の女友ダチに紹介されたのがB子でした。その女友達に久しぶりに会い、「田村くん、どうすんの?再婚するの?」といきなり切り出され、「一緒に住んで、落ち着いて、とかはまだ考えていないんだけど、信頼できるパートナーは欲しいな。」みたいに答えたと思う。

B子は素晴らしい人でした。才能があり、長年海外でひとりで活躍して、しっかり自分の基盤を築いています。ずいぶん苦労もしたのでしょう。コツコツと真面目に一生懸命頑張れる人でした。

僕とのお付き合いも頑張ってくれました。

将来、B子がリタイアしたら、海外と日本とを半年ごとに行き来して、生活するのも楽しいかなぁ、、、なんて思い描いてもいました。


B子が年に3−4回帰国して、僕が1−2回彼女の国へ行き、そんな付き合いをしていた頃に由美と出会いました。

由美は息子くんのひきこもりに困り果て、本屋でたまたま僕の本を見つけ、ひきこもり脱出講座に参加しました。

彼女との初対面で、僕はこりゃヤバイなと思いました。

可愛すぎる!

ミスコンに出てくるような美人基準とは違いますが、僕のタイプにどストライクです。講座が終了した後に、「継続して相談にいらっしゃいますか?」うちは自由診療で高いけど、「ひとり親割引」がありますから、とその場で割引制度を作りました。由美が来るたびに、私はドキドキでした。今まで患者にも、大学時代の女子学生にも、こんな気持ちを投影したことはありません。今回が初めてです。

スーパーヴァイザーにも相談しました。彼女が曰く、「すぐにその人を他のセラピストに紹介して、会うのをやめなさい。」

セラピストとして最も基本的な倫理に反することは百も承知です。

大学で学生に手を出したらキャンパス倫理委員会にかけられ、退職です。

アメリカでは患者から訴えられ、負けたら職を失います。


でも、当時の私は理性がぶっ飛んでいました。

理性で、感性をコントロールできませんでした。

やってはいけないと十分に理解しているのに、やめられないんですよ。

突き詰めれば痴漢やセクハラやストーカーや恋愛依存症と同じ心理メカニズムです。

世の中にはそういう人がたくさんいますからね。

私も同様です。


当時参加していた男性グループにも打ち明け、助けを借りたのですが歯止めは効きませんでした。

由美の診療を終えた後、下のカフェで話したいことがあるからと連れ出し、告白しちゃいました。


そのことを西魔女に打ち明けたら、あなたは深刻な人格の問題を抱えている。女性の私では無理です。経験豊かな男性のスーパーヴァイザーに相談しなさい。日本人はダメです。アメリカ人の。というから、David McGillに国際電話をかけて相談しました。

「診察室じゃない場所で告白したんだけど、やはりダメかね??」

David「ダメに決まってるだろ!」

私の理性は完全に停止状態でした。

「セラピーを終えて、患者じゃなくなったら、付き合っても良いですか?」

西魔女「ダメに決まってるでしょ。一旦、患者になった人とは一生、私的な関係を結んではいけません!」


一方、由美は相当ビックリしたでしょう。

息子の回復のために一生懸命通っていた先生から告白されて、、、

でも彼女の決断は早かった。

LINEで、

「私は覚悟を決めました。だから先生も覚悟を決めてください。」

なんのことかよくわからなかったけど、2回目に会った時、今まで付き合っていた男性と別れたことを教えてくれました。


由美のコメント)

別に覚悟決めたから別れたわけじゃないよ! 

今までの恋愛黒歴史を話す覚悟を決めたんだよ😅 

いっぱい酷いことした私でも良いのか確認したかったんだ‼️

たけがどれくらい本気か確認したかったのかもね😝


僕はもともと覚悟したから西魔女の反対を無視して告白しちゃったわけだけど、もう一つ覚悟して、今付き合っている人が他にいることを伝えました。

それでも由美は受け入れてくれると僕は思ってたんですね、きっと。

なんせ理性はぶっ飛んでいましたから。

由美は「そんなのありえない!」

当然、受け入れてくれませんでした。


由美と西魔女からダメ出しをくらい、私としては切るしかなかった。

この時だけは感情よりも理性が勝っていたと思う。

涙をポロポロ流しながら無理やりLINEでさよならを告げました。

(本当のさよならではなかったのですけど)


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と、ここまで書き進めて、筆が止まっていました。

何のためにこんなこと書いているんだろう。

自分だけの日記ならまだわかるけど、なぜこれを公表しようとしているんだろう??

やっぱ、まだ僕は理性がうまく働いていないんでしょうかね。

とことん自己開示して、承認を得たいのか?

カトリック教会の懺悔(ザンゲ)と同じでしょうかね。

白状したら救われるんでしょうか?

きっとまだわかっていないんだと思います。

仕方がないから、わかっていないままに筆を進めますかね。


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この時は、由美と僕と、思っていることやっていることをすっかり全部話しちゃって、お互いに出し切っちゃったんですよ。

すっかり素の状態になっちゃった。

そのために、すっごく深く結びついちゃったんです。

当時付き合っていたB子にも、全部話しちゃいました。

これも馬鹿な話です。話す必要もないことを敢えて話してしまって、結果的にB子は私から離れていきました。まあ、当然ですよね。私としてはそんなことさえわからなかった。というか理性が働いていなかったんでしょう、きっと。


由美にここまで深い自分を見せてしまったのだから、B子に気持ちを戻すには、由美に対してと同じように見せなくちゃ挽回できない。自分をさらけ出して、自分の弱さを見てほしかった。そして、自分の弱さをわかってほしかったんでしょう。

もしかしたらB子は私を受け入れてくれたかもしれない。

そんな期待をしていたんですよ。

でもダメでした。そりゃそうでしょ。


由美と別れてから、再び結びつくまでの2年間、いろんな女性と付き合いましたよ。

ネット婚活やったんですね。そりゃ必死でしたから。

ネットでたくさんの女性とコンタクトして、会うところまで行ったのは7人だったかな。うまくいくかなぁといい線まで行った人もいたけど、結局ダメでした。

でもある意味、面白かったかな。いろんな人とデートできるのは楽しいじゃない。結果が成就しなけりゃ相当消耗しますけど。

男性はまだ良いけど、女性はよくやるなぁと思いますよ。

うまくいく確率より、傷つく確率の方が高いと思いますよ。


そんな中で、由美と再会して再燃しちゃったんです。(注:このあたりの事情は別コラムに書きました)

お互いへの思いは捨てきれなかったんでしょうね。

あそこまで気持ちをすべてさらけ出し、見せ合ってしまったので、それを閉ざすことはできなかったみたいです。


今が幸せかって聞かれれば、まちがいなくYESと答えられるんだけど、

それだって、気持ちの問題でしょ。厳然とした事実なんかじゃないんですよ。

優子を失うまでは、両親を失うまでは、愛着が当然のようにそこにあり、寂しさに気づいていなかったんだと思います。

愛着を失うと、人はいくらでも狂ってしまうんです。

理性なんか利かなくなってしまうんですよ。


でも愛着を失っても、それを安全に手に入れることができれば、人は理性を取り戻していくらでもマトモになれるんですね。

それを経験しましたよ。

幸せなんてはかないものだから、それを失うことに怯えて、必死にしがみつかなくても良いんです。

失っても、また取り戻すことはできるし、それはある意味とても難しいことだけど、できないわけじゃないんですよ。


、、、って由美、これをブログに載せてもイイ?

てか、もう載せてるけど。。。

Monday, March 9, 2020

雪崩に遭いました、、、

北海道から戻り、ボーッとしている、、、
午後から診療だからシャンとしないといけないんだけど、それまではね。
いつもは張り切ってイケイケ元気な姿を見せてるけど、まあそこまでガンバんなくても良いのかなぁってね。

雪崩って、普通死ぬでしょ!
家族の反応が面白かった。
救急車の中から電話したのはこれで2回目だな。
由美に電話して、オレ雪崩に遭っちゃってさ!
倶知安厚生病院に運ばれるんだって!
由美が先に着いてたよ。
1回目はチャリで転んで鎖骨を折った時。妹に電話して、別に病院に来なくて良いからって伝えたけど、今回由美には来てもらったさ!
由美が心配しないように、元気そうに振舞ったさ!

東京に戻ってから子ども達には伝えた。
祐馬は「なんでもっと早く伝えてくれないの!パパはいつも無責任なんだから!!
パパが雪崩で死んても、どうしようもないじゃないの!!」
と怒り出した。
2年前、ニセコでBCが遅くなった時と同じ反応だ。
祐馬にとって、スキーで何かあって、連絡が遅くなるってのは10年前のフラッシュバックなんだよな。

息子たちも同じ体験をしたのに反応の大きさは異なる。
ちゅけとじんは、「え〜、大変だったね!」
と、まあ普通の反応というか、特に過大な反応もない。

まあガイドの責任といえばそうなんだけど。
ハイクアップして尾根に着き、ここからドロップしようとモードチェンジしていた場所でいきなり襲われたからね。ガイドは先にドロップして、さあこれから行こうとした瞬間にやられた。何が起こったのかさっぱりわからない状況で、いきなり後ろから突き飛ばされて、斜面をめちゃくちゃ流されて、太い木に引っかかって止まった。雪崩が起きたってことさえ、後から振り返ってわかったことで、その時は要するの世の中が突然メチャクチャになっただけのこと。右手と顔面は雪の上に出ていたので呼吸は問題なく窒息することもなく、同行していた功さんがすぐに駆けつけて来てくれた。体が全く動かない。足が痛い。木と雪に足が挟まれ動けない。意識ははっきりしている。功さんが雪を掻き出してくれて、なんとか態勢は立て直し、雪の上に座ったものの、ブルブル体の震えが止まらない。ドロップしたガイドのゆうき君も功さんからのトランシーバーで異変に気づき、ハーハー登り返してきてくれた。119番通報して、ターナーに連絡して素早く駆けつけてくれ、震えながら待つこと1時間(?、時間の感覚が良くわからなかったから違うかもしれない)、救急隊がたくさんやってきて(6−7人?、わからない、、、)私をグルグル巻きにして大人数で引っ張り下ろしていく。スノーボードも入らず、担架を分解して手分けして運んできてくれたのだろう。救急隊は優しく精神的動揺にも配慮して声をかけてくれる。一応、意識清明でちゃんと対応はできるのですけど、内心どれほど動揺していたのか自分さえも良くわからない。
ある程度下ろして、夏の林道まで来たらスノーモービルが待機していたらしく(ほんのちょっとの空しか見えないから、何が起きているのかさっぱりわからない)、エンジン音に引っ張られて2-30分?、次に救急車で30分程度?。
救急車でやっと由美に電話して、病院には由美が先に着いていた。
ちゃんと対応できますよ。意識清明だし、事情は説明できるし。
大腿部が痛く、気づいたら顔面も痛かった。
全身のCTを撮って脚の骨折はないが、顔面の副鼻腔の奥の骨が折れていると。それがどれほどの臨床的な意味があるか(治療が必要か否か)当直医もわからない(整形外科らしい。整形外科でもわかんないの?)ということで、一応タクシーで、と思ったらターナーが送ってくれてホテルへ。翌日、耳鼻科の外来を受診して、副鼻腔の骨折はほっておけば良いことを確認した。

まあ、怪我自体はざっとそんなもんなんですよ。
でも、それでどうなんだ?
バックカントリーは危険でいっぱいですねぇ。
そんなスポーツ、懲りてやめるべきか?
危険は避けられたのか?
少なくとも、雪崩が起きうる場所でモードチェンジしていたってことは、ガイドの判断ミスだろうけど、ゆうき君を責めるつもりはないし、そのあたりはターナーと良く反省してもらって。
私にとっての幸いは、私の体力・技術力の不足で起きた事故ではないということ。今回のはね。
なら、まだやっちゃうわけ?
そりゃそうだ、やりたいから。
でも、いつまでもこうやって自分の体力の減退を否認して、まだまだ若いんだから!!ってアピールしたいわけ?
チャリで鎖骨を折ったって、チャリを手放さなかったし。
ターナーやコッシーにガイドされたBC、時々、体力・技術力の限界を感じるときはあるわけ。そして転けたり、板を外したりということがまあ2回に1回のツアーであるよね。それは危険でしょ!
それも経験して乗り越えて、技術力・体力を向上させていくの?
それとも、それはもう限界として撤退の道を選ぶの?
そうやって、いつまでも強がっていたいわけ?

人間、強けりゃ一人でも生きていけるでしょ!?
人間、弱ければ、支えが必要なんですよ。
今回、由美がいてくれて本当に助かった。
もし、普段のツアーみたいに一人で、由美がいなかったら?
ターナーや宿の人が支えてくれた??

老いても、最期までひとりで生きてゆけるの?
そのための社会サポートでしょ?
それがアングロサクソン的な個人主義でしょ?
それが、自分と向き合うってことなの?
自分の限界に挑戦するってことなの?
それもちょっと違うような、、、
わかんね〜な〜、、、

Friday, January 31, 2020

11年目

忘れてたわけじゃないよ。
3日には子どもたち3人とちゃんと墓参り行ったもん!

でももうボクの気持ちの支えではなくなったんだ。
失ってから3年くらいは優子がいなくなったことを悲しんで気持ちを支えていたんだ。
と同時に新たな愛着対象を探していたんだよ。
男は、、、というかオレはよっぽど寂しがり屋だからね。
優子は「あなたならすぐ見つけるでしょ!」なんて簡単に言ってたけど、そう簡単じゃないよ。
「祐麻が良いって言えば再婚しても良いよ!」
別に子どもたちの意向の問題じゃないんだよ。
愛着の入れ替え作業はタイヘンなんだよ。
優子はそこまでわかってなかっただろ!!

リア充。

幸せが何かって、安心感に満たされることかも。

子どもたちは何とかやってるよ。
じんはボランティアに行ってるんだ。被災地とか、貧困の子どもたちに教えたりとか。
ちゅけと祐馬は言うまでもなくしっかりやっているけど、
もしかしたら一番しっかりしてるのは、一見抜けてるように見えるじんかもしれないよ。
西魔女もそう言ってたし。
ちゅけと祐馬は一見ちゃんとやっているようで、案外抜けてたりするからね。

オレだってバッチリだよ。
優子と由美を比べるつもりはない。同じ「ゆ」だからってね。
優子は過去の人。
由美は今とこれからの人。
どっちもボクにとってすっごく大切な人なんだよ。
安心できる人、愛する人がいるっていかに大切なことか。
空気(愛着)が普通に満たされていた時には、その存在の大切さに気づけないんだ。
空気を失い、息苦しくなって、ああ空気ってすごく大切なんだなって実感できるじゃん!
そう言う意味で消えてくれた優子や両親に感謝してるよ。
いや、いる時も感謝してたけどね。

空気が存在することの大切さを、もう知っちゃったから、
これからは由美を思いっきり大切にするよ!!!!
言葉に表してね!!