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Thursday, November 24, 2011

ラビット・ホール

祐馬に勧められて観たけど、、、、う~ん、微妙だな、、、!
いや、すごく良い映画だし、子どもを亡くした親なんか絶対みるべきだと思う。
でもなあ、なんかちょっと違うんだよな~。
アメリカ映画にありがちな、ハッピーエンド。喪失をくぐりぬけ、再生しました!ジャーン!
というのではないのはホッとした。
かといって、お涙ちょうだいもの的にたくさん涙を流して癒してくださいみたいな雰囲気でもない。

悲しみはずっと消えない。でも重さが変わるの。
のしかかっていた重い大きな石が、ポケットの小石に変わる。

っていうフレーズは全くそのとおりなんだけど、それをわざわざ伝えたいための映画なわけ?
そんなこと自明でしょ!?
批評家でもないのに、なにかひねくれてるね>自分。素人は素人らしく、素直に受け止めればいいじゃん!?
いや、家族の喪失に関しては素人とは思っていないんでしょうね。自分の経験第一主義。

家族自助グループを風刺してるのはまだ良い。それだけ、アメリカでは一般的になっているからなんでしょう。日本ではもっとやるべきだと思うから。
でも、あれほど悲しみと向き合うことを拒絶している妻が、なぜ加害青年にするするっと近づけるわけ?
子どもの喪失・悲しみは、夫婦関係の喪失にも繋がるところは、とてもよく描けている。でも、それがなぜ最後に手を握れちゃうの?そこに至るまでには、もっと何かがあるはずでしょ!?
再生なんかしていない。
Come to term with it.
ってとこかな。
そういうもんなんだよね。
下手に自分が経験しちゃってるものだから、それと比べてあーだこーだ批判したくなるんでしょう。喪の仕事は人それぞれ、みんな異なる、なんて言ってしまえばそうなんだけど。でも、もう一歩、何かが欲しい。
決してヘンな映画ではないけど、いまひとつしっくりこない感が残った。それは映画のせいではなく、私自身のせい?
もう一度、観た方が良いかもしれない。

Saturday, November 19, 2011

「あまりにも早すぎる」死

訃報が続けて入ってきた。
学会の評議員仲間のAさん。47歳。
大学クラブ後輩のBさん。43歳。
Aさんは学会で長く知っていて、一緒に議論したりもしたが、それほど個人的に親しいわけではない。
BさんはMLで流れてきて、顔も知らない。
亡くなりました、葬儀はどこそこですという事実だけ伝えられ、死因は明かされない。
ひょっとして自死???と心配になる。
Aさんはどうもガンだったらしいね。Bさんはわからない。数年前に同じ大学クラブの後輩が急死した時はくも膜下出血だった。自死でなければ安心するというわけではないのだけど。

、、、あまりにも早すぎる。40代ならそういう形容詞がつく。
50代でも十分早すぎる。
40年前に亡くなった祖母はたしか享年55歳だった。そのときは、「早すぎ」たけど、「あまりにも早すぎ」ではなかったような印象だ。でも、オレ、あと1年でその歳なんですけど。
60代もまだ早すぎる?
大学の同僚は、定年退職数ヶ月を残して64歳で亡くなった。退職金をもらえなかったのは早すぎたわけ?
優子の父親は69歳だった。退職後なら、まだ許されるわけ?
70代に入れば、「早すぎる」という形容詞はいらなくなるのかな。亡くなることが許容される歳なの?
80代以降は天寿を全うしたというか、まわりのひとも落ち着いて悲しみを受け入れられるのだろうか。
90代は、もうおめでたい死?
30代より前は問題外。あってはならない死なのか。想像できない、不条理な死。それを受け入れるという方程式に解が立たない特殊な出来事。
それに比べたら40代はまだ受け入れられる?いや、受け入れられない?
10代のあっぴは、絶対にあってはならない死だった。
40代の優子やAさんやBさんは、あまりにも早すぎるけど、受け入れるしかない死なんだろうか。

でも、何歳だって、死は死だろ!?

Wednesday, November 16, 2011

金子みすずと尾崎翠

先ほど金子みすずと尾崎翠を送らせていただきました。

優子は日米学生会議でも精神病について発表したり、心の世界に興味を持っている点では私と共通していました。しかし、その方向性が異なり、これらの本は二人の間で共有できませんでした。優子は自分の内面に深く掘り下げ、私は外向きに他者(患者さん)と広く交流することでその興味を満たしてきたように思います。

でも、こうやって優子の魂のかけらをみなさんにお分けして、優子を心の中に生かしておかなくても良いのかな、しがみ付かなくても天に戻ってもらっていいのかなとも半分思うようになりました。かといって、この本を自炊してクラウドに上げても、たぶん優子は天からPDFにアクセスできないと思います。優子の魂は別にしても、少しでもご参考になればと思いつつ、そうなるかどうかわからないまま送らせていただきます。ご迷惑でないことを願っております。

Tuesday, November 15, 2011

死んだ人のことは思い出してあげないといけない

「死んだ人のことは思い出してあげないといけない」と言われた。
普段は思い起こすことなどしない。
死んだ人のことを語っても意味ないじゃないか。
そんなことをしても生き返らないし。半身が千切れたような痛みが消える訳じゃない。
「死んだ子の年を数える」という諺だってあるじゃないか…。
だから、どうして先生はあんなにも亡くした人を饒舌に語るんだろうと不思議だった。
まるでそこに居るかのように会話をして、月命日を数えたり、もういない人の誕生日を祝ったり。いつも居ないことを実感するだけの悲しい作業ではないのかと思うけれど違うのかな。



違うよ。だから、これが心のマッサージなんですよ。
痛みは一生消えません。というか、消えては絶対いけない。自分のidentityだから。
触れただけで「半身が千切れるような痛み」から、「あっ、そこそこ凝ってるの。痛~いけど、気持ちいい!!痛み」に変わっていくんですよ。
安全な場所で、信頼できるマッサージ屋さんにゆっくり揉みほぐしてもらうわけ。自分でセルフマッサージやってもいいよ。筋肉に蓄積された乳酸の痛みを、血流に流して代謝して無毒化します。


確かに、普通とは逆のことをやってるよね。普通、それほど語らずに封印して隠します。
治療には二種類あるんですよ。急性期の救急治療と、それが落ち着いてからの根治治療と。
急性期には救命が先決です。患部に包帯を巻き、倒れて死にそうになる痛みを感じないよう麻酔します。それが落ち着いて、生命に異常がないことを確認してから、ゆっくり包帯をほどいて痛みの膿を出します。私の場合、救命処置が優先されるべき急性期から、膿を開いちゃったからね。かなり危ない治療だった。周りの人が「おいおい、やりすぎだよ」とびっくりするのも無理はない。


先生はそれができて良いですね~!


そりゃ、痛みに向き合うガッツはあるよ。でも、なぜガッツがあるかって、それは私が強い人間とか家族に恵まれてるとかじゃない。安全な環境さえあれば誰でもできることをやってるだけなんだ。確かに、この方面の専門知識を持ち、多くの人を治療してきた経験を自分自身に当てはめているという点では得をしているのかもしれない。


それに、なぜこんなに必死かと言うと、自分のidentityを再構成してるんですよ。親と過ごした子ども時代(第Ⅰ期)⇒優子と過ごした第Ⅱ期から、次の第Ⅲ期に向かわねばならないんです。優子はもういないから第Ⅱ期はcloseしなければならない。そのためには、前の期を捨てるとか、蓋をかぶせるとかじゃなくて、しっかり整理して卒業しなければならない。そうしないと砂上の楼閣の上には新しい建物は建てられないんです。無理して進んでも、結局地震によって地盤が液状化し、上の建物が崩れてしまうから。前の期の未解決の感情体験が、次の新しい期にも持ちこされてしまって、思わぬ時にひょこひょこ顔を出してきます。そんなんじゃあ、落ち着いて新しいidentityは獲得できないでしょ。


p/s 別にあなたにサービスしてるわけじゃなく、自分のために書いてるだけなんですけど(笑)。

Saturday, November 12, 2011

48回目の誕生日

優子、おめでとう!
ときどき、「お子さんたちはお元気ですか?」なんて周りの人が心配を装い聞いてくるんだ。やっぱり、お母さんがいない子どもって心配されるのかな、可哀そうなのかななんて思うけど、3人を見てる限りそんなことないよ。

じんは中学生になり、なんだかずいぶん身体がしっかりしてきたよ。子どもから、青年っぽくなりはじめているね。ただし自分の腕力をコントロールことも覚えなくちゃな。友だちが迷惑するぞ。
相変わらず体操はがんばっているし、数学が得意になってきたみたい。授業参観行ってきたけど、学校でも家でも勉強がんばっているよ。

祐馬とちゅけは受験生。今が一番大切な時期だけど、祐馬は志望校目指して安定してがんばっているよ。
ちゅけは目標をずいぶん高く設定したもんだからちょっと空回り気味かな。自分の人生について考えているみたい。目指したい自分と、現実の自分をどうすり合わせ、折り合わせるのかという困難な作業にこれから向かわねばならない。まあ、もう少し時間をかけて自分を作っていくのだろう。

優子だったらきっとあれこれうるさく言うだろうけど、天国からそんなにプレッシャーかけるなよ。まあ父親としてはあまり言わないで全を信頼しようと思ってるよ。だから、3人とも大丈夫だよ。天国から地上を心配しなくて良いから、そっちでのんびりしてな。

今日はこれから九州出張だ。今晩は祝えないけど、明日、福岡空港で空弁とケーキを買ってきて、子どもたちと歌うからな。そっちからキャンドルを吹き消せよ!

Saturday, November 5, 2011

2年10ヶ月

今日、祐馬に怒られちゃったよ。
ママの場所、ホコリが積もってるよって。
まあ、ママの場所に限らず、部屋中ホコリだらけなんだけどね。
日常の生活から優子がだんだん遠ざかっているのは確かだ。まあ、それが全うな道だと思うけど、まだ子どもたちが成長するまではママの面影は必要だからね。
今日、丸善でBirthday Cardを買ってきたよ。子どもたちと一緒に来週、祝うから。俺はもうどうでもいいのだけど、子どもたちにとっては大切な年中行事だから、まだまだ外せないな。

そうそう。あっぴの母さんから丁寧な欠礼の葉書をもらったよ。
「ぼくたちはまだ負けていない。」
「哀しみを忘れないで幸せになろう」
すっごくpositiveな、すごい悲しみのお手紙。
何をしても、どこにいても、悲しみから逃れられない辛さばかりでなく、そんな状況なのに前向きになっちゃう自分へのもどかしさみたいな部分に共感するなぁ。
そんなに前向きになっている場合じゃないでしょ、あなた!
いえ、好き好んで前向きになっているわけじゃない。
プラス指向が(心理学的に)好ましいから、そうなろうと努力しているわけでもない。
辛いから、前向きにならざるを得ないんだよね。
人間、誰でも危機に直面すると、元来持っているcoping mechanism(対処機能)を強めることによって、困難を乗り越えようとする。性格傾向もそのひとつだね。落ち込みやすい人はたくさん落ち込み、怒りっぽい人はたくさん怒り、暗い人はますます暗くなって、どうにか危機を耐え忍ぶ。前向きな人は、ますます前向きになるしか手がないんだよ。安心して、楽しんで前向きになっているわけじゃない。でも、前向きって安心して、楽しむことでしょ?別に無理して前向きになろうと意図しているわけでもない。何にも考えていないと、なぜだかわかんないうちに前向きになっちゃうんだ。前向きになりたくてもなれない人から見れば、うらやましい・贅沢な話なのかもしれないけど、前向きを止めたくても止められないってのも、別の意味で辛いかも。
もっとも、こんな風に前向きさを持て余しつつも、それによって救われているのも確かだから、別に止めるつもりもないんだけどね。
ほら、やっぱり止められないでしょ。

堂々巡りだね。
何を言ってんだか、わかんなくなっちゃった。

Wednesday, November 2, 2011

妻を亡くしたおかげで、、、

 先生には真っ先にご連絡すべきのところ、遅くなり、大変失礼いたしました。
大学は申し分ない職場でした。学科はこじんまりちょうど良いサイズで、細かい点ではいろいろあるのはどこでも同じですが、研究も授業も自由にさせてもらいました。
研究室の学生たちと親しく人生経験を伝授し、教師を目指す大勢の学生たちに知識を伝えていくのもやりがいがあるのですが、私がこだわり、一番の専門性を発揮できるのは、精神科医の専門性、とくに思春期、家族、男性性などの分野です。大学で多くの人々でなくとも、少数の本当に必要としている人への支援活動が、私の本当にやりたいこと、という気持ちはかなり以前から抱いていました。妻を亡くす二ヶ月ほど前にも、二人で開業フェア、これから開業しようとする医師への支援企業のPR展示会へ行き、そろそろ具体的に考えようかという時期でした。しかし特に不満のない安定した職場に区切りをつける積極的な理由もありませんでした。
妻を亡くし、喪失に対する耐性が出来てしまいました。もう、失うものは何もない(子どもたち以外は) 。本当に得たいものを素直に求めることにしました。
都内では自由診療で開業している精神科医もちらほら見聞きしますが、果たして経営的に成り立つのか、確信しているわけではありません。しかし、躊躇する理由もなくなりました。じっくり時間をかけて丁寧にお話を伺い、それほど多くの方々とは関われないかもしれませんが、クライエントにとっても、セラピストにとっても納得できる仕事をしたいと思っています。

 宛名まで全部手書きのお手紙は、どなたからもこの何年も目にしたことはありませんでした。先生のお気持ちが伝わってくる思いでした。
 外の人々の多くは、どうして安定した職に見切りをつけられたのかと思うでしょうが、お手紙を読んで、それは亡き奥さまのお気持ちでもあり、それを引き継がれた思いで決断さえたのだと思いました。改めて、優子奥さまのご冥福をお祈りしております。

な~んちゃってね!
要するにオレのidentity(自分を表すコトバ)になっちゃったんだ。

Q1) 私は誰でしょう?
ハイ、私は3年前に妻を亡くした人間です!

Q2) 「私は、、、」で始まる文章を20個作りなさい(SCT)。
・私は男です。
・私は50代です。
・私は日本人です。
・私は精神科医です。
・私は開業しました。
・私は3人の子どもがいます。
。。。
・私は、妻を亡くしました。

Q3) ねえ、Tikiさんってどんな人だっけ?
ほら、いたじゃない!しばらく前に奥さんが亡くなって、、、
ああ、あの人ね。思い出した!

オレがやることなすこと、「妻を亡くした、、、」という枕詞がくっつくわけ。
もちろん、普段はそんなこと言わないよ。でもちょっと深く掘り下げればそうなっちゃうんだ。
大学を辞めて開業した理由だっていろいろあるんだけど、一応「妻を亡くして、、、」と結んでおけば、なんとなく落ち着くというか、納得されちゃうわけ。便利だよね、これって!
うまくいっても、失敗しても、「妻を亡くしたおかげで、、、」なんてね。
いい加減なもんだよ。

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解説)そろそろ「妻を亡くした自分」から脱皮したいと思い始めたようです。