Send your message to lettertoyuko@gmail.com


Thursday, July 28, 2011

喪の仕事を数式で表すと、、、

『あっぴのお父さん』です。
褒めて頂いてありがとうございます。
なんとかもがきながらやっていっています。


今日、分野は違いますが、遺伝カウンセラーの人から、『mourning work(喪の作業)は2~3年はかかる。自分の中に、何らかの今まで隠れていた“こだわり”を見つけたとしても、それと戦うのではなく、それを自分の中にきちんとおいておける場所を作ってあげると良い』というアドバイスをもらいました。


なるほど、と思いました。
そんなもんですかね?

そうねえ、だとすると、2年半の私はまだ作業中だよね。
喪の仕事に何年って区切りはないように思います。
その気持ちを表すちょうど良い曲線を見つけたんですよ(済みません、数学系なもので)。
失った時は、何がなんだか把握できず、お葬式の1週間から2-3ヶ月くらいが極値だったでしょうかね。それから、だんだんと下がっていったけど、決してゼロにはならないという。
たとえば、この図でいえばf(x)=0.1以下が一応落ち着くレベルと考えれば、x軸(期間)は3かかりますよね。だからといって喪の仕事は終了したわけではなく、いつまでもいつまでも悲しみは続くと思います。でも、それに付随した痛みはだんだんと軽くなっていきます。

そう、確かにきちんと置ける場所さがしだったかもしれない。
当初は、私の心の中で優子が暴れまくっているという感じでしたね。だからマトモに日常生活が送れたものではなく、普段の生活をこなすためには、如何に暴れまくる優子を落ち着かせるかということにすごくエネルギーを使いました。
でも、無理に抑えつけようとはせず、適当に暴れさせていたら優子も疲れたんでしょうね。少しずつ落ち着いてきました。ちょうど家の中に放し飼いにしている愛犬が、やがて自分の居場所を見つけるように、優子も神棚だか床の間だか知らないけど、私の心の中に居場所を見つけてそこに落ち着いて佇んでくれるようになりました。時々面倒みてあげないと怒るんだけど、さすがに突然出てきて日常生活をかき乱すことはしなくなりました。
でも、私のidentityの一部だから消すわけにはいきませんからね。私の心の中の安全な場所をしっかり確保して、そこに居てくれれば、本体はお墓の中でもどこでも構わないんですよ。そうなるまで4ヶ月くらいかかったかなあ。納骨したのはそれくらいの時期でした。

話を対数正規曲線に戻すと、Extrovert(とりあえず話し合うタイプ)の私は、喪の仕事をひとりでは進められず、誰かと一緒に進める相手がいないとなかなかうまくいかないんですよ。私の悲しみの値が、たとえばf(x)>0.4くらいでとても大きかった当初、優子の友人やまわりの多くの人たちもf(x)=0.1以上でけっこう大きかったから、一緒に進められました。でも、みんなは私より早く0.1以下に下がるから、だんだんと相手をしてくれなくなります。でも私はまだf(x)=0.1以上だった頃、けっこう寂しかったかな。それが半年~1年半くらいの時期だったかな。その後は、私の値もかなり下がってくるので、それほど気にならなくなりました。その間もブログや西魔女はかなり喪の仕事の相手役としてかなり役立ってました。

でも、自分で言うのもなんだけど、Extrovert(とりあえず話し合うタイプ)の人は、適切な相手さえ見つかれば、かなり喪の仕事はサクサクと進められるから良いですよ。むしろ、Introvert「とりあえず考えてみます」タイプの人の方が心配です。気持ちを外に出さなくても、ひとり自分と向き合ってサクサクと進めることができれば良いのだけど、ひとりで喪のスパイラルループにはまってしまったら、そこから抜け出すのにちょっと大変かもしれません。

Wednesday, July 27, 2011

産業医の研修と孤独な一週間

朝の8時から夜の7時まで缶詰状態。
600人の受講生。年一回だけの集中講義に全国から集まる。

大ホールに埋め尽くされた人たちは全員医者なんだよなあ。ふだんの生活や私の職場では、医者ひとりあたりの人口○人という世界だったから、自分が医者のくせにまわりみんんな医者という集団には違和感がある。春に日本医師会でやった講演会でも同じ感覚だったかな。
学会でも同じようだが、私の所属する学会は学際的、つまり多職種の人たちがまじっている。それに、学会なら誰かしら知り合いがいる。今回は600人中ひとりも知り合いがいない。大講堂で一方的に話を聞いているだけで、下手すると一日ひとこともしゃべらないかもしれない。講義をする側をずっとやってきたが、講義を受ける側をこれだけぶっとおしで体験するのは大学時代以来30年ぶりかもしれない。

話の内容は、、、面白くない。
もともと私は一方的に聞く形式の講義が嫌いだ。
資格取得が目的だから、講義内容は多岐にわたる概念を押さえておくというような感じだ。この歳になって、自分の専門性は確立しちゃってるから、今さら他の分野を熱心に学び直す気にはならない。明日のメンタルヘルスの話はきっと興味を持てるだろうけど、今日の話は一日すわったままの苦行だった。

普通の仕事や学会での地方出張は、楽しい「現実からの逃避」だ。仲間と連れだって現地の名産を食べに夜の街に繰り出す。
しかし、今回は付き合ってくれる仲間もいない。ひとりで美味しいものを食べても美味しくない。ならば、がらりと方針を変えて、修行の一週間にしよう。
村上春樹の作品には、よくひとりでトレーニングする描写が出てくる。村上自身、時々テレビで垣間見る体型を見るとトレーニング・マニアなんだろう。1Q84の青豆も、海辺のカフカの田村カフカ君も、ひとりでジムに通い、淡々と「全身の筋肉のひとつひとつを丁寧に伸ばして、鍛え上げていく」みたいな表現だったと記憶している。

ストレッチをして筋肉をほぐしているうちに、少しずつ落ち着きを取り戻してくる。僕は僕という入れ物の中にいる。僕という存在の輪郭が、かちんという小さな音をたててうまくひとつにかさなり、ロックされる。これでいい、僕はいつもの場所にいる。(村上春樹「海辺のカフカ」)

今回のホテルは豪華バージョンをやめて質素なウイークリーマンションタイプ。レストランはなく、部屋に冷蔵庫、レンジ、調理器具、洗濯機などが揃っている。近くのコンビニでひととおりの食材を買ってきた。朝はトーストとシリアルにベーコンエッグ。ちゃんと食べる。昼は会場で日替わり弁当が配給される。夜はアルコールも外食も避け、ホテルの部屋で自炊。夏野菜のカポナータにクラッカーとチーズのみ。低カロリーだが満足できる食事をつくる。
研修を終えた夕方、近くの市民プールでひと泳ぎ。部屋に戻って体幹トレーニングとストレッチング:村上春樹みたいに筋肉に十分な刺激を与える。

 今から百年後には、ここにいる人々はおそらくみんな(僕もふくめて)地上から消えて、塵か灰になってしまっているはずだ。そう考えると不思議な気持ちになる。そこにあるすべてのものごとがはかない幻みたいに見えてくる。...
僕はいったいなんのためにあくせくとこんなことをしているのだろう?どうしてこんなに必死に生きていかなくてはならないんだろう?(村上春樹「海辺のカフカ」)

家族も友人も誰もいない一週間なんて、とてもレアで貴重な体験だ。ひとり飲んだくれる一週間はもったいない。
ちゅけも勉強に集中する休日は、よく昼食を抜くよな。お腹がすごく減っても、減っていることに慣れてしまえば、それはそれで大丈夫になると、食べざかりのおまえの年代で考えるなんて大したもんだよ。
ひとりきりの孤独さに合わせて、食事も不足させる。それに適応できれば、それはそれで居心地がよくなるよな。
まだ始まったばかり。残りの4日間、どれほど孤独をエンジョイできるかな。でも「4日間」という期間限定だからこそ、そうしたいと思うし、できることなんだろう。

Sunday, July 24, 2011

Emotional Emergency(心の危機)

これはパラドックスなんですけど、自分が今、Emergency(危機状態)にあることを認知できたら、もうemergencyじゃなくなるんですよ。何らかの対処行動をとれますからね。
一番危険なのは、自分がemergencyにいることに気づいていない時。津波だって、身体の病気だってそうでしょ!

心(emotional)の状態って、自分でわかっているようで、なかなかわからないものなんです。 でも、喪失体験による危機状態ってのは、誰でも比較的わかりやすい部類だと思います。今のあっぴの父さんだって、2年半前の私だって、誰が見たってそれは明らかでしょ。急性の危機状態だし、その原因が明らかですもの。これが、もっと慢性の、原因がはっきりしないような危機状態だと、本人やまわりの目からもよくわからないし、心の専門家が一生懸命解き明かそうとします。たとえば、うつ病、幼少時の原体験、長年にわたる近い人との葛藤などです。

喪失による心の危機に対する対処行動とは?
私の場合、あらゆる手段を用いて、失ったものを再現させることでした。
優子の写真やモノを集め、優子をたくさん語り、たくさん書き、心の中に優子を再現させます。
さらに、そうしている自分の姿を語り、たくさん書きました。かなりナルシスティックだったけど、仕方ないでしょ。
優子を語り、自分を語る。当然たくさんの辛い悲しみが噴き出してしまう。卒倒するほど辛いので、ひとりではやらない。誰かに助けてもらうのが原則。助ける人も大変だと思うので、いろんな人に変わりばんこで助けてもらったり、プロの人に依頼したり。(まあ、私自身がプロなんですけど、自分のことは自分じゃ無理ですから)
そうやっていく中で、少しずつ、優子と、優子を失った悲しみを手放していくことができたように思います。
まだ終わってませんよ。まだ終わりたくないというか。
実際には終わっていたとしても、まだ終息宣言は出したくないような。

要するに、長い、長い、「さよなら」の挨拶なんですよね。辛いんだけど。
日常の友だちとの「さよなら」は、手を振って一言いえば十分なんだけど、大切な人との永遠のさよならはそう簡単ではない。ずいぶんと時間をかけて、念入りで周到な「さよなら」なんです。
この「さよなら」の儀式には終わりがないんじゃないかと思ったりするけど、結果的には残念ながら終わりがあるようです。というか、徐々に漸近線のように収束して限りなくゼロに近づくというような感じかな。でも、ゼロにはならない(したくない)。

あっぴの父さん、よくやってるよ!!

Monday, July 18, 2011

優子からの伝言

Tikiさん
今日、三浦霊園に行ってきました。
優子さんは、シンプルなデザインの美しいお墓で休んでいらっしゃいました。
高台にある墓苑の遠方に広がる三浦海岸は水面がキラキラ輝いていました。

お会いした2週間後に亡くなられた時は、一緒に年齢を重ねていけないと思うと悲しくてなりませんでしたが、今日は少し違いました。私がいつもの調子で話すと、優子さんはこれまで同様、優しい表情で微笑み、同じ言葉で反応してくれました。これはきっとこの先いつ会いにいっても同じだろうなあと思いました。そして、これまで優子さんとの交流から得たことを、いろいろなかたちで人との交流のなかで還元していくことで、今後も一緒に生きていけると確信しました。

2年半前、優子さんからは二人で韓国に旅行されたこと、Tikiさんと結婚してよかったと思うことなど伺っていましたが、今日もTikiさんは最近開業され、また三人のお子様方も順調に成長されていて幸せだと優子さんは優しく微笑んで話してくれました。

猛暑の中、優子を訪ねて下さり、またメッセージもいただきどうもありがとうございます。
私と子どもたちが、2年前はしょっちゅう来てたのに、最近はほったらかしでちっとも来ないとか文句言ってませんでした?
韓国週末旅行は子どもたちができてから初めて、十数年ぶりの二人だけの海外旅行で、楽しい時を過ごしたことを懐かしく思い出します。ブログの肖像もその時の写真です。

こうして、繰り返し何度も何度も優子の思い出を語る中で、少しずつ悲しみを放してゆけるように思います。
どうもありがとうございます。

Sunday, July 17, 2011

コクリコ坂とけやき坂

休日は図書館に詰めて勉強するちゅけ、パパの研究室を使っていいぞ。鍵を貸して、朝から広尾へ。
祐馬と親友さえが六本木ヒルズでコクリコ坂から観るんだって。
その前か後にパパのとこ行っていい?
良いよ。
じゃあパパも昼間、研究室で仕事してるかな。

お昼ごはん、ちゅけはとらないの?
じゃあ、祐馬とさえと3人で行こうか!
ヒルズにあるけやき坂ベーカリーは休日ランチで大賑わい。女の人と赤ちゃん連れが多いね。

こんな時こそ、イケてる服着てる?
いや、まあ、そこまでいかないけど。

このあたり、美味しいお店多いんだもん!
ホントそうだね。キミたちは二人の会話で夢中。パパとは何を話すわけじゃないけど、一緒にいるだけで楽しいよね。
友だち父娘ってほどじゃないけど、パパにとってはとても大切なひと時なんだよ。

Saturday, July 16, 2011

留学記念日

36年前の今日。
まだ、成田空港もジャンボ機もない時代に、羽田空港からDC-8機で、約100名の高校留学仲間と共にアンカレッジ経由サンフランシスコに旅立ちました。知人から留学を記念してモンブランの万年筆を名前・日付入りでいただきました。留学中は日記や手紙を書くために活用してましたが、帰国後はほとんど使うこともありませんでした。

2009年8月2日に書いたように、東直子さんに触発され、長い間引き出しの奥に眠っていた万年筆をオーバーホールして生き返らせました。
新しいクリニックができ、新しい部屋で、新しい文具を使い、新しいクールビズの服も揃え、モンブランも活用しています。

今までは過去から抜け出し、将来を見通して必死にを生きていた。
今でも、を生きている。将来もある。
しかし、過去は抜け出すものではなく振り返り、自分と一緒にいるものになった。
失われた過去を取り戻すことで、fullな自分の実感を得られる。

36年前の留学仲間との交流が、最近Facebookを通して活発なんだよな~!

Monday, July 11, 2011

真夏のサイクリング

関東地方も、2-3日前に梅雨明けしてたんだ。知らなかったけど、真夏の天気だよね。
今日は広尾ではなく、大学だったので、久々の多摩サイ。片道1時間40分のサイクリングは、ずっしり全身の筋肉に効くよ。

センセ、茹タコみたいに真っ赤ですよ!

いやぁ(笑)、、、
でもみんなが想像するほどきつくはないんですよ。エアロビクス(有酸素)運動ですもの。ジムでエアロビやったらすぐ2時間くらい経っちゃうでしょ。それと同じですよ。冷房がなくたって、強制空冷システムが効いてるもの、地熱を歩いているより熱は感じないものですよ。

お父さん、あっぴブログへの書き込みは、自分自身のためでもあるんですよ。
人のふんどしを借りて、自分の喪の相撲をとっちゃうみたいな。
いや、オレはお父さんと同じタイプだから、気持ち(悲しみ)を他者に伝えることが一番効率的なんです。どんどんやった方が良いよ。

私にとって、もうひとつ向いてたのはphysical exerciseによる喪の作業かな。
これは、始めから狙っていたわけではない。結果的に、そうだったのかなと振り返る感じ。
心と身体は密接に関連している。
心身症は、心の葛藤が身体の症状として現れる現象だ。
意識されない葛藤が根底にあり、さまざまな異常・問題行動があらわれることもある。たとえば、摂食障害、暴力・攻撃性、反社会的行動、嗜癖行動、性的逸脱行動などなど。
心⇒身体化の方向だけでなく、
身体⇒心の状況を変えることもあるんだろうね。
その端的な例がEMDR。
眼球のまわりの筋肉を動かすことにより、深層の記憶がよみがえってくる。そのメカニズムは不可解だが、眼球筋がそうなら、体幹・四肢の筋肉も同様に脳内の感情システムに直接影響するという仮説があったっていいじゃない!
オレの体験が、少なくともこの仮説を実証している。テニスやゴルフなどのスポーツだと、ゲームに熱中するからそういうわけにいかないけど、多摩サイだと何も考えなくていいから、優子の記憶がバンバン出てきた。筋肉活動中の記憶の再現って、なんかEMDR的じゃない!

さすがに真夏の多摩サイは全身の筋肉がヘトヘトだ。
熱いシャワーで身体を温め、念入りにストレッチしたら、四肢の筋肉中の乳酸がしぼり出されてくるようで、気持ちが良い。と共に眠くなる。
今晩は早いけど寝ちゃおうかな。
もう、優子は出てこなくなったよ。

Monday, July 4, 2011

2年6ヶ月

どうしてこんなことになってしまったんでしょう!?

お別れの会でのお母さまの言葉は、2年半前の私の言葉でもあった。
全く突然に襲ってくる家族の死。

でも、優子には心臓病の既往という伏線はあった。理性の上でも、ある程度ストーリーを組み立てることはできた。

しかし、生命力がみなぎる10代、1ヶ月前は病気の片りんさえなかったあっぴが突然の死を迎えるなんて、青天の霹靂。理性の上でさえ、とても受け入れることはできない。

優子の死を理性で受け入れたとしても、心情レベルで受け入れるまで、時間がかかった。夢に出てきた優子は本当に生きていた。ああ、やっと現実に戻って来たとホッとして、目が覚めるとまた現実が入れ替わる。その落差がとても悲しかった。
そういう体験を何度も繰り返した。
最近でも夢に優子は出てくる。でも、その悲しみは色あせ、セピア色になった。

お葬式は、絶好の喪の仕事場だった。
お葬式の前は、優子を考えるエネルギーをお葬式のことを考えるエネルギーに転換できた。葬儀屋さんや保育園仲間たちと打合せ、たくさん話した。自分の悲しみを多くの人に伝え、多くの人の悲しみを受け取ることができた。
お葬式が終わると、喪の仕事場を失ってしまった。父親として、職業人として、日常の仕事が戻ってくる。そこで喪の仕事の内職はできない(いや、実は一度授業中に内職しちゃったんですけど=学生たちに語り、悲しみを受け取ってもらいました)。

仕方がないので、意図的に仕事場を作った。
優子石を作りに、ちゅけと大阪に行った。
リカちゃんに会いに、九州へ行った。
西魔女。それにブログ。
読書もそうだった。小説や手記、一般書から専門書まで、喪の仕事に関する本を買いまくった。
悲しみ、流した涙の分だけ、少しずつ、心の中の喪失を受け入れていったと思う。
語ること、表出すること。それが優子を失った僕のサバイバル術だった。

喪の仕事は、人によりみな異なる。それぞれに合ったユニークな方法を見出してほしい。
ただ言えることは、喪失の痛みをマヒさせ、感じなくさせるために無理やり補てん物を詰め込んではいけない。感情麻痺、代償としての怒り、アルコール、仕事中毒、、、
まず、しっかり痛みを治療しなくちゃ。
といっても何をするわけではない。自然治癒力に期待して、自然に乾くまで待たなければならない。

傷口が乾いてくれば、自然に次の希望が生えてくる。
補てん物を詰め込んじゃったら、自然に生えてこなくなっちゃうから。

あっぴの遺影に、隣にたたずむ祐馬を重ねてみたら、涙があふれてきた。