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Saturday, April 11, 2009

明日は納骨

りかちゃん、メールありがとう。

昨晩は、大学時代のアメフトの連中と、後輩が経営している新橋の焼き鳥屋で飲んだんだ。楽しかったよ。
8人くらい集まったかな。沖縄や仙台、長野からも来て、これだけ集まったのは10年ぶり、あるいはそれ以上かもしれない。みんなは、僕が元気そうで安心したとか言ってたけど。そりゃあ、元気さ。いくらでも、冗談言い合ったり、明るく振舞えることはできるよ。あいつらとは、まったく遠慮せず、何でも言い合えるのがいいよ。ちょうど優子とりかちゃんみたいな関係なんだろうと思う。

僕自身、どう気持ちを持っていったらよいのか、よくわからないんですよ。
明日は、いよいよ納骨なんだ。
はじめは、お葬式みたいにたくさんの人に来てもらって、、、と考えたけど、やっぱりやめたよ。家族だけで静かにやろうと思う。いろいろ、準備してね。料理は、いつも行っている華鳳(かほう)のおばちゃんに頼んだんだ。家族でよく行って、優子のこともよく知っているから、特別においしいおかずを作ってくれるよ。おにぎりは、家族みんなで握ろう。これから、ホームセンターでキャンプ用の椅子とテーブルを買ってくるよ。そしたら、家族みんなで優子のお墓のそばのあずま屋で会食できるし。そのほうが、気取った懐石料理屋よりずっといいよ。
納骨は、四十九日とは関係なく、暖かい季節になるまで待ったんだ。思えば、お葬式以来のセレモニーだよね。お葬式のときは、もう何がなんだかわからない状態で、たくさんの人に支えてもらって、優子と別れたんだ。早すぎて、悲しみの何割も感じられるほど僕自身の体制が整っていなかったように思う。
その点、今回は、もうだいぶ落ち着いたし、自分の気持ちに向き合う余裕も出てきたみたい。
お骨なんて、優子の残骸だよな。本当の優子なんかじゃない。でも、たった3ヶ月前までは優子の本体だったんだ。今は無機物になっちゃった優子ともお別れだ。そんな象徴みたいな、形骸の優子にこだわることないじゃんか!!お骨を手元に抱えていようが、お墓に安置しようが、何も関係ないよ。
でも、子どもたちは結構、そんな優子に会話してるよ。ちゅけもゆまも、朝、急ぎながらも優子のチンを鳴らして、「いってきま~す!」という感じで学校に飛び出すんだ。
優子と別れたくない、まだ身近に居てほしい。居間は優子の写真だらけにして、どっちを向いても優子が見えるようにしてるよ。職場でもね。デジタルフォトフレームには、優子が映っているすべての写真データをメモリカードに入れて、スライドショーにするんだ。たくさんの優子に出会える。優子を忘れたくない。

でも、りかちゃん、わかんないんだよ。こうやって、いつまでも優子のことを思い続けるのが良いのかどうか。ブログでも、「優子!」とか言って語りかけたり。先月、りかちゃんのところに行ったのも、優子に会いたかったからなんだ。優子の親友だったりかちゃんと僕が何度か会ったときは、いつも優子と3人だったよね。りかちゃんと歩いていると、優子との世界にふっと入れた気がした。とても嬉しかった。いつまでも、優子の面影の中に留まっていたい。

でも、その一方で、いいかげん、優子を後に置いて、前に進みたいんだ。
まわりはどんどん前に進んでいる。
子どもたちも、高校と中学、新しい学校で、新しい友だちに出会っている。
そうそう、ちゅけは、高校でさっそくテストがあったんだって。けっこう出来たよって、今朝話していた。子どもたちはがんばっているよ。
僕も新学期。来週から新しい授業が始まるし、新しい仕事も入ってくる。もう、入れたくないのに、引き受けちゃったよ。新しい人との出会いもたくさんありそうだ。秋には台湾での講演の話も進んでいるし。
そういう波に乗っていくことはできるよ。というか、そうしなくちゃいけないんだ。身体と生活は、どんどん前に進んでいく。
じゃあ、僕の心は、どこに置いたら良いんだろう?
もう、優子のことなんか忘れたいよ。
でも、忘れたくない。

ねえ、りかちゃん、僕はどうしたらいいのですか?

やばい。祐馬がそろそろ起きてくる。
じんがきて、ヒマだから人生ゲームやろうって言ってきたよ。
感傷にひたっている場合じゃない。

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