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Thursday, January 7, 2010

優子の会(一周忌)

久しぶりの祐馬です。 3日の分・・・。
皆さんから「優秀」、「優秀」って言うことは沢山聞いたんですけど、私にはそんなイメージ全くなかったし、ママがどんな事をやっているのなんて全然知らなかったです。(それは去年の今頃思いしらされました)。
むしろ私にとっては仕事なんて辞めて家で主婦やって、学校から帰ったら「おかえり」って言ってほしかったです。(友達がみんなそうで羨ましかった。)
別にママに不満があったわけじゃないんだけど。それでもなんか生き々してるようなオーラは感じてました。
ママはいつもニコニコ微笑んでいて、だけど機嫌の悪い時は八つ当たりしてくるような人で、パパが出張してる時なんて一日2回ぐらいケンカしてたと思います。去年の3日だって最後までじんのカレーのキノコ(注1)、ニコニコしながら食べてあげてて優しいなーって思ってたんですけど、その日夜8時ぐらいにあんまりに不安なんで(注2)ママの荷物あさったりしてたんだけどノートがあって、中見てみたら出来事をメモみたいに書いてあって、その中に『ゆまの新聞』っていうのがあったんです。ゆまは学級の係で新聞係っていうのをやっていて、でもいつもママは見ないで捨てちゃって。でもゆまがある時、ママに『ゆまが作った新聞なんだから捨てないで見てよね』って言ったんです。そしたら次の日あたりから新聞のキャラクターの『○○ちゃんって可愛いね』って言ってくれて。とっても嬉しかったんです。
今ママと話せるとしたら、ママに『ゆまちゃん、(注3)本当にごめんね』って謝ってほしいです。
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注1) 最後の昼食となったゲレンデ食堂で。じんはキノコがキライ。
注2) 優子が救急隊によって病院に運ばれ、父親が戻ってくるまで、祐馬とじんはホテルの部屋で二人きりで待機していた。
注3) 急に死んじゃって...

1月3日、「優子さんの会」では、優子さんの学生時代のお友達、先生、通訳の同僚、ご家族やご親戚、そして結束固い保育園仲間の皆さんなど、20名ぐらいの方々が、たっぷり2時間かけて、優子さんの思い出を語りました。(このあたり、もうTikiがブログに書いているかもね。)
そして最後に長男クンがご挨拶なさったのですが、これがもう今日のダントツのハイライトです。高校一年生が、あれほど立派にきちんと、大勢の前でお話なさるということ自体、私には驚きなのですが、それに加え、皆が話したことの意を汲み、メッセージを受け取ってくれたことがはっきりとわかる内容で、本当に賢い、素晴らしい若者だと、ただただ感心しました。
お食事の間、同級生の方が、「20数年、ほとんど音信普通だったクラスメートたちが、去年の1月以来、一体何度集まったことか…」とおっしゃっていました。
もっともっと伝えたいことはあるはずなのに、うまく言葉になりません。でも、今日の数時間を、Tikiのご家族と、そして優子さんのお友達と過ごしたことで、とても優しい気持ちになれました。

Tiki,
今日で1年ですね。不思議なことに、昨晩、夢に出てきましたよ。しもゆうの表情はよく覚えてないの。Tikiは何かアドバイスくれて、相変わらずニコニコしてた。
今日の優子さんの会はどんなものだったでしょうか。私も実家で偲びました。
TIkiの悲しみは癒えることはないのでしょうが、元気な姿をまた見せて下さいね。

3日の集まりで、かなり癒えましたよ。みんなありがとう!!
カタルシス(感情浄化)とは「溜まっている感情を排出して心の緊張をほぐす」という意味ですけど、今回の集まりはそんな表現を越えるものを得られました。
僕の心の中の深い悲しみ。それは感じることが辛く、自分でも隠していたい深い悲しみなんですが、あえで表現し、まわりの人が共感し、受け止めてくれます。べつになにが変わるわけじゃないんですよ。悲しみの量は変わらないし、優子を失った状況が変わるわけでもありません。でも、悲しみが特別な辛い感情ではなく、普通の、持っていても構わない、したがってあまり気にすることのない感情に変わっていくんです。
基本的には、ブログとやっていることと同じなんですよ。それをネットでやるか、現実世界でやるかの違いなんです。ブログだといつでも自分の好きな時にできるけど、受け止めてくれる相手はネットの向こうにいて、後で言葉で返してくれます。優子の会では、30人ほどの人間がいてくれて、身体全体で受け止めてくれます。僕が気持ちをしゃべっている時、視線は誰にも注がれていなかったと思うんです。真ん中の優子の場所を見つめていたかな。特定の誰かに語りかけるというよりは、ひとり語りなんです。でも、その場に居る人たちが受け止めていることは肌で感じることができます。
私が語った次に、みんながひとりずつ心の中の優子を語ってくれました。僕が優子と付き合い始めた学生の頃の優子、ブチブチ職場の不満を言っていた優子、保育園ママたちとヘベレケに酔っぱらった優子などなど、ああこんなことも、あんなこともあったなあ。いつもは僕ひとりで反芻している優子をみんなの声として聴けました。まるで、優子の魂が、参加していたすべての人たちの繋がった心の中に広がったように。
そして、優子の想い出をみんなで十分に語りあった後、みんなで優子を空に向かって解き放しましたよね。

春がきて、外に出られるようになると、みんな、たがいに行き来しては、アナグマの思い出を、語りあいました。...
みんなだれにも、なにかしら、アナグマの思い出がありました。アナグマは、ひとりひとりに、別れたあとでも、たからものとなるような、ちえやくふうを残してくれたのです。みんなはそれで、たがいに助けあうこともできました。
さいごの雪がきえたころ、アナグマが残してくれたもののゆたかさで、みんなの悲しみも、きえていきました。アナグマの話が出るたびに、たれかがいつも、楽しい思い出を、話すことができるように、なったのです。
(スーザン・バーレイ「わすれられないおくりもの」評論社)

悲しみが消えたわけじゃないんですよ。悲しみを僕の心の中に閉じ込めておくのは辛すぎます。悲しみを声や文字をとおして一生懸命吐き出して、空に漂わせておきます。また優子を感じたくなったら、心の中に呼び戻します。

昨日は本当にステキな会に参加させて頂きありがとうございました。またこのような機会(もう少しインフォーマルなもの)がありましたら、参加させてください。

今回は、みんなが共有する悲しみの周りに集まれたんですよ。あと1年たったらどうかな?僕自身はまだ悲しみのエネルギーは十分あるだろうけど、みんなの中の悲しみは拡散して薄まり、集まるだけの凝集力はなくなるんじゃないかな。
クリスチャンでは、亡くなった時の葬式でお終い。年忌とか法事というのはないんだって。仏教では、一周忌に続き2年目が三回忌、以降は、七回忌、十三回忌、十七、二十三、二十七、三十三と続き、五十回忌が最終打ち止め。でもそこまでは普通やらないよな。でも、僕が小学生の時亡くなった祖母の三十三回忌はやったような。それは悲しみで集まるというよりは、家制度の中の行事というか、散っている拡大家族の同窓会みたいな感じなのだろう。
3日、僕は微妙な立場にいた。喪主として祭主として場を取り仕切っていた。宗教も心理学・精神医学も、魂の救済という意味では似てるということを今日、雑誌の取材を受けながら気づきました。それでいて、(多分)僕の傷がもっとも深く、癒されるニーズが高い。心理学でいえば、自助グループ(self-help group)としてのグループ・カウンセリングに相当します。MKPもそうなんですよ。だから彼らに来てもらったわけ。

今日のこの区切りの一年が先生の今後の心にどんな変化を与えるかは私にも全くわかりませんが、きっと優子さんはまさに天使の笑顔でずっとみんなのそばにいてくれるんでしょうね。
先ほどすごいことが起こったんですよ。このメールを書こうと私がPCのキーボードを触ろうとしたら、それまでソファーで寝ていた犬のレモンが急にクンクンと鼻を鳴らして、リビングのドアの前に。この仕草は大好きな家族やお友達が来たり、インターホンが鳴るとする仕草。うれしくて部屋をクルクルと走って、私のところへ来て「玄関へ行くから、ドアを開けて」って。
インターホンも鳴ってないし、リビングのドアを開けると走って、玄関へ。でも、誰もいません。なのにレモンはうれしそうに尻尾を振っていました。
きっと優子さんが来てくれたんですね。優子さんは今日、たくさんの人のところへ新年のご挨拶回りをしてらっしゃるのでしょうか?(笑)レモンにだけは優子さんが見えて、急いでお出迎えしたんでしょうね。レモンは女の人が大好きなんです。
ほんの数分の出来事でしたが、すごく不思議で、でも心が温かくなりました。

多分、優子の会を終えて、我々が優子を空に放してから、そっちに行ったんじゃないかな。今日はみんなに持ち上げられたり、こき下ろされたりして疲れたとか言ってなかった?もともと優子はそういうのが好きでなかったからね。

この1年、先生、本当にお疲れ様でした。ブログを読んだり、先生の机の上の写真を見ると、家族関係学の授業に来てくれて先生と奥さんが仲良さそうに照れて笑っていた事と、亡くなった直後の授業で先生が涙で喋れなくなった事が同時に思い出されます。どうしようもなく寂しいことと必死に闘っている先生を見ると、早く5年10年が過ぎて1番苦しい時期が過ぎてほしいと思います。
どうかたくさんの人が先生の悲しみと一緒に闘ってくれますように!3人のお子さんの寂しさをたくさんの人が支えてくれますように!そう思わずにいれません。
先生頑張ってー!
これからもっと寒くなるので、自転車通勤にはくれぐれも気をつけて、ずっと元気な先生でいてください。

闘っている、、、
そうねえ、闘っていたつもりはなかったんだけど、そうかもしれないね。なにしろ悲しみがすごい勢いで押し寄せてきたから。まるで洪水か大雨で、家の中にどんどん押し寄せてくる水と闘って、必死にバケツで掻き出していたね。
そうか、わかった!洪水の例えで言えば、水が家の中に押し寄せてくるのは闘わなかったんだ。それまでくい止めようとすると、かたく家の出入り口を閉ざさなくちゃならないし、圧力で潰される危険がある。床上浸水までは素直に受け入れ、水浸しになりながら、近所の人たちに協力を求めて、一緒にバケツリレーで掻き出そうとしたんだと思います。

でも、こうやって応援してくれる教え子クンたちも強力なサポーターだよ。
松下さん、卒論頑張ってー!


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