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Monday, March 9, 2009

傷心の旅路


優子
昨日、福岡に飛んで、リカちゃんとヨリちゃんに会ってきたよ。

福岡には何度も仕事で日帰り出張もしているけど、今回のような旅は僕にとって初めてだったと思う。
いつも、優子や家族と一緒か、仕事のひとり旅か、どちらかだからね。
大学入試のとき、もし落ちて留年が決まったらひとりで北海道に流氷を見に行こうと思っていたんだ。でも、受かっちゃったので、行き先を変更して、高校の部活の合宿にOBとしてついて行ったから果たせなかった。

短かったけど、とても落ち着ける時間を持てた。リカが、ゆっくり大宰府を案内してくれたよ。
僕にとって、リカちゃんは、優子そのもの。優子と付き合い始めて、一番初めに紹介してくれた優子の友だちがリカちゃんだったよね。優子にとって、リカちゃんがどれほど大切な友だちか、優子の話から何度も聞いていたし、日記にもそう書いてあった。リカちゃんとふたりで歩いていると、まるで優子と歩いているような錯覚に陥るよ。

リカちゃんとヨリちゃんと3人で、ゆっくり昼ごはんを食べながら、優子のことを思う存分語り合うことができた。僕の悲しみをやさしく受け止めてくれ、とても安心できた。今もブログを書きながら泣けちゃうよ。
僕だけじゃない。親友たちにとっても、優子の喪失は大きいんだってことを改めて感じたよ。

優子は、少数精鋭の友だちをとても大切にしてきたんだね。
そういう付き合い方が優子らしいのか、女性らしいのか、よくわからない。少なくとも僕はその逆というか、グループの中で枠を確保して、そいつらと集団的に付き合ってきたような気がする。

優子にとっても、僕にとっても、そういう友だちってとても大切だよね。
学生時代、部活とかでintensiveな4年間なりの時間を共有するでしょ。多感な時期だったからね。
卒業して共に過ごす時間にピリオドを打ち、別の世界に進んでいくけど、時々会って、お互い、どうしてる?なんて確認しあって。時間的にはわずかの点の付き合いだけなんだけど、その点をつなぎ合わせると、自分を遠くからずっと見ていてくれる人だってことがよくわかるよ。特に、山あり・谷あり、人生に大きな変化が起きた時にね。だから、冠婚葬祭にそう言う人たちが来てくれるって、意味があるんだね。
直接、毎日の生活に関わらないけど、遠くから自分を支えてくれていた人。優子を失ったというのは、自分の存在を支えていた土台の一部が抜けてしまったような不安定さを感じてるんじゃないかな。リカちゃんと話していて、そんな風に感じたよ。

僕も同じだよ。
僕らは夫婦だから、終わった関係ではない。まだ日常のintensiveな生活の最中だったわけだから、その部分での喪失は計り知れないほど大きいよ。
でも、子どもたちをどうにか世話して、毎日の衣食住を回すことができれば、その部分での喪失は何とかなりそうな気もしてきた。
むしろ一番痛いのは、リカちゃんたちとも共通している部分かな。自分の一番近くにいて、ずっと自分の存在を見ててくれていた優子、支えてくれていた優子。
日常生活は、他の人でも補ってくれることは可能だけど、この部分では、他の人ではダメなんだ。

家族関係学の授業で、よく学生たちから出てくる素朴な疑問⇒付き合っている時の恋愛感情って、結婚してもずっと続くんですか?
二十歳前後の彼女たちには、結婚さえ経験していないので、そのあと、夫婦ふたりがどうなるかなんて、全く想像がつかないみたい。せいぜい子どもの立場から両親がケンカしてるか否かを観察するくらいだからね。恋愛時代のラブラブ関係が、そのままずっと続けばいいなあと淡い期待を抱いているみたいだよ。実際は、ぜんぜん違うのにね。

僕らはどうだったかね?
〇結婚前後は、学生たちのイメージとそれほど差異はないとしましょう。
〇結婚後1年後に渡った3年間のロンドン生活は、ふたりだけのexclusiveな生活だったから、ラブラブ的ハネムーンの延長生活に加えて、共同生活が始まって、えっそんなこと違うの?と驚きながらたくさんケンカして、ふたりのペースを合わせようとしていた時期。
〇帰国後の1年間は就職・新しい職場に適応する時期で、いよいよ子どもを持つ決心をしたね。
〇その翌年(94年)にチュケが生まれてから、現在に至る15年プラスは子育て期。妻vs.夫の関係から、親として協力する関係に変っていった。新婚時代みたいな、胸ドキドキのラブラブ関係なんて、ごくたまに。ホッと一息いれるときに、ちょっとあったくらいかな。むしろ、子育て+仕事で目の回るような毎日の生活を必死にきりもりする同志としての関係かね。それをこなすためには、どんなにケンカしても、結局はついてきてくれるはずだという全面的な信頼関係がお互いにあったんじゃないかな。まあ、優子死んじゃったから、こうやって美化しているけど、時にはムカつき、イライラしながらも、結局はお互いに一緒にやっていくしかないと覚悟はしていたよね。
まだ、子育て期は終わっていない!今後10年は続くぞ。それを、僕一人でやらなくちゃならないのは、たいへんだよ。どうしてくれるんだ>優子!?
〇子育て期とオーバーラップして、僕らの場合には、自分のキャリアも追い求めていたよね。優子が通訳学校に通い始めたのは、子どもたちが小学校に上がり、ひと段落した頃からだっけ?通訳は、優子が子どもの頃からやりたかった職業だよね。たいへんそうだったけど、仕事で頑張っている優子はキラキラしていたよ。よくばった生活は、家の中ちらかしっぱなしで、よくケンカもしたけど、休みには家族旅行したり、充実した生活だった。ふたりのラブラブではないけど、家族として、社会人として、幸せだったよね。
〇もし優子が死なずにいて、10年くらいしたら、リカちゃんみたいな、昔の親友的夫婦関係にもなれたと思うんだ。子育てと仕事という大きな役目から荷を下ろし、ほっと人生に一息して、これまでを振り返り、ゆっくり語れるような。豪華客船世界一周のニュースや広告が来るたびに、いつか僕らもできたらいいね、、、なんて夢を描いていたんだけどね。
それも、できなくなっちゃったじゃないか!!

2 comments:

  1. 遠いところをお越しいただきました。お疲れが出ませんでしたでしょうか。

    いろいろなお話を通して、学生時代の純粋で多感な頃を懐かしく思い出しました。
    優子さんとは、あの頃を振り返りながら、これから先もお互いの成長や変化を見届けあい、年を重ねていきたかったと心から思いました。
    人生に多くの出会いがあったとしても、心深く響きあう関係に至るのは稀有なこと。多くの想いを共有した友を失うことで、そうした未来をも失ってしまったという喪失感は、何をもってしても埋めがたいです。

    今は、彼女が身をもって伝えてくれたさまざまなメッセージに思いを致し、自分の今日を全うするのみ。
    優子さんというかけがえのない友に巡り合えた幸せを、胸に刻んだ一日でした。

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  2. 私の喪失感も決して埋められません。
    私の場合、未来に加え、現在の喪失感もあるし、、、
    でも、優子という同じ人間に対する喪失感を語り合い、共に泣き、分かち合えることは、埋まらないまでも、とても救われた気持になります。痛みは、痛みとして残るんですけど、その上に温かさがふんわりとのっかってくれます。
    どうも、ありがとう!!

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