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Thursday, May 16, 2013

父娘のガチンコ勝負

講演会では聴衆を引き付けるために、まず自分の家族を語る。
「いやあ、私も専門家である以前に思春期の子どもたちを持つ父親ですから、みなさんと同じ当事者ですよ。」
「人さまの家族のことは専門家としていろいろ言えるのですが、自分の家族のこととなると全くダメ。灯台下暗しですね。私の方がみなさんに相談したいくらいですよ、、、」
謙遜でなく、ホントにそうなってしまった。

昨夜は祐馬にぶちまけてしまった。
怒っているときは、正当に叱っているつもりだったが、今から思えば、要するに親子の距離を詰め過ぎたんだ。
きっかけはほんの些細なことだ。父親が娘にものごとを頼む。しかし、娘は期待どおりに反応しない。さらにしつこく求めると、娘は引いてふてくされ、距離を開けようとする。すると、始めの依頼事項はどこかに飛んでゆき、そのふてくされた態度に怒りが転化し、さらに態度が悪くなる。あとは悪循環のエスカレーション。お互いに疲弊して、time outをとるしかなくなる。

パパがどれだけ祐馬のことを思っているかわかっているのか!?
日曜には二人で買い物に行き、
月曜には祐馬の振込で郵便局に奔走し、

親の思いが強すぎる。
肯定的な思いが強いなら、良い関係・良い雰囲気を生む。
否定的な思いが強くなると、葛藤・衝突を生む。

祐馬だって、外ではちゃんとやっているんだから!

そうだね、きっとそうなんだろう。
家では我が(思いの)ままに振る舞おうとするのは、本当はわかってはいるのだけど依存して距離を詰めたいんだよな。だけど親から近づいてこられるのは拒否する。

親は子どもと同レベルになってはいけない。思春期は不安定なのだ。生意気な大人の口をきく一方で、未熟な不安と不安定性も抱えているのだ。理屈では分かっていても、親もつい我を忘れて不安定になってしまう。

父親もそうなんだよ。ホントはひとりの成長した(しつつある)人格として個を尊重したい。距離を開けたい。その一方で、パパにとって子どもたちは大切なんだよ。自分の気持ちの安定装置に使ってしまう。君たちが生き甲斐だから。

ママがいない、親はひとり。父子関係しかないんだという悲壮感が、お互い不安を高めnegativeな依存心を高めているのかもね。パパも君たちに依存しているんだよ。
祐馬もママも言ってたよね。パパが出張とかでいないときに、よく母娘がぶつかるって。
やっぱり親がひとりだとどうしても親子が濃くなってしまうんだよね。そういう意味では父子家庭は辛いかもしれない。

要するに、君は気が強すぎるんだ。そして、パパも気が強すぎるし。
それをお互いにぶちまけあう。そういう関係でいたいんだよね、ふたりとも。タイヘンだけど。

思春期は、依存と自立の葛藤なんだ。
それを見守る親も、保護と子離れの葛藤なんだ。

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