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Tuesday, May 28, 2013

子どもの成長についてゆけない

ちゅけの大学から連帯保証人宛に成績表が送られてきた。
大学の通信簿なんか見てもわからないんだよな。
2年前までそれをつける立場だったから、科目・教授によっていかにばらつきが多いのか知っている。中学では「内申書」として進学に影響するが、大学の成績なんてあまり関係ないでしょ。GPAというシステムも教員生活の途中から導入されたけど、未だによく理解していない。
「必修単位はすべて履修されました。」の一言があれば、あとはどう見れば良いのかわからない。

そもそも、18歳の子どもにどこまで関わり、どこまで心配すれば良いのかよくわからない。
その一方で、20歳を過ぎても、30歳を過ぎても、親がたくさん心配する状況も精神科臨床では多く見ている。

ちゅけの4年前は確実に親が心配するべき年齢だった。
中3で、これから高校受験を迎える。親がどの程度関わり、心配すべきか優子ともたくさんケンカした。
子どもにとっての4年間はぜんぜん違う。成長が早すぎる。
一方、親にとっての4年間はぜんぜん変わらない。もう成長していないから?
4年間どころか、18歳の息子への眼差しの奥には、生まれた時や保育園時代の姿がこびりついて離れない。
放すべきとわかっていても、離れないものはしかたがない。

ちゅけの4年前は、じんの今だ。高校受験を控え、未だエンジンのかからない中3をどうしたものか、必死に心配しているし、心配する姿を見せないように心配もしている。
じんだって、4年後には変わるんだよな、きっと。いや、変わらないかもしれない。それも心配だ。

40年近く前、17歳で飛び立つ私を見送る母親が羽田空港で流した涙と、私がこの春に札幌で流した涙は相似形であることにやっと気づいた。
親にとっては、子どもを放すための儀式なのだろう。かなり難しい儀式だ。
あと二人も続くわけで、厄介だ。
でも、祐馬は既に半分ちかく離れている。じんの方が心配だ。

一方の、子ども側はそんな親の思惑とは無関係だ。
40年前の羽田空港では、初めて空を飛ぶ体験に、チャーター機の中で100人の仲間たちと大騒ぎをしていた。
祐馬は親のウザい眼差しを断ち切ろうと、一生懸命反抗している。

そもそも大学はなぜ親に成績表を送ってくるのか?
単位不足の学生対策の一環なのか。
心配したい親へのサービスなのか。
その一方で、ちゅけは「金がない!」とSOSを送ってくる。

どこまで子どもで、どこまで大人なのか、よくわからない。
どこまで心配して、どこまで突き放すのか、よくわからない。

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