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Monday, December 21, 2009

小学1年生

想起すれば40年近くなりますでしょうか。
優子さんとは、小学校へ入学した1年生の時、学級担任として1年間過ごさせて頂きました。優子さんのお兄さんの学級担任もして、家庭訪問時にお目にかかったように記憶しております。お二人とも1年間という短い期間でしたが、学力優秀で大変活発で、クラスのリーダーとして、大いに活躍してくれました。
立派なご主人、そして個性豊かで、これから活躍されるでしょう3人のお子様に恵まれた優子さんは、ほんとうに幸せでしたでしょう。
毎年の賀状に、いつもご家族のことをとても楽しく語られておられました。足速にこの世を去ったことが、残念でたまりません。これから実践したいことなど多くあったでしょうに・・・・
かし

40年前に1年間担任をして頂いた優子の事を、これほど鮮明に記憶に残していらっしゃることに感銘しました。教師と子どもとの絆はとても強いのですね。大学では、そこまでの絆を学生と結ぶことはありません。私自身も小・中・高校を振り返ると、卒業と同時に忘れ去る教師がいる一方で、いまだに何人かの先生と交流を続けています。そのような方々は、遠くから見守っていてくれる人生の宝です。ふだんはその存在を意識せずとも、賀状であったり、今回のような悲しみ・喜びなどの人生の節目に大切な役割を果たします。
 ご丁寧なお手紙を拝見しながら、私の心の中に居続ける優子を安らかによみがえらせることができます。優子は先生にお世話になった後、小学2年生から3年半、家族とともにSan Fransiscoに滞在しました。当初は学校で全くしゃべりませんでしたが、数ヵ月後に突然しゃべり始めた時は、完璧なnatural Englishだったそうです。子どもの言語能力の発達は面白いですね。年齢が早すぎれば、すぐに覚えて、すぐに忘れる。遅いと、もう完全には獲得できません。私は1年間の高校留学を通して、それなりに習得できたものの、とても優子の卓越した英語力にはかないません。優子はちょうど良い時期に英語環境で過ごしました。
 優子は兄ととても仲良く、いつも後をくっついていたそうです。それは子ども時代のみならず、青年期も続いていたようです。お兄さんの才能は素晴らしく、高校も大学も仕事も常にNo. 1の道を選ぶ能力をお持ちでした。優子は兄を追っても同じ道は叶わず、高校・大学・就職と、No.2に甘んじてきました。私からみれば十分すぎるほどの能力を持ちながらも、自分を受け入れられず、悩んでいたように思います。
でも、結婚6年目に母親になってから、ずいぶんと変わり、家庭でも社会でも、胸を張って生きるようになりました。

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