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Wednesday, December 30, 2009

勇気の源

二十年くらい前、タクシーでご一緒した時、Tikiが私に
「僕には夢があるんだ。優子と子どもたちに囲まれて暮らす夢が。でもそれは無理な叶わない夢なんだ。」と。
その時に、優子さんに心臓の病があると初めてお聞きしました。
その後、毎年の年賀状に三人のお子さんに囲まれ幸せなTikiの暮らしに、よもやそんな出来事が起ころうとは夢にも思っていませんでした。

そんなこと言ったっけ?
よく覚えているね。僕はぜんぜん覚えてないけど。
言ったとすれば、心臓の手術の前後だったんじゃないかな。
心冠状動脈のバイパス術。心臓を一時止め、人工心肺を回す、そりゃあ大がかりな手術だったよ。その時は優子の健康をとりもどすことが精いっぱいで、とても出産を考える余裕なんてなかった。でも、不思議と危機感や不安はなかった。意味もなく、現代医学を信頼していた。僕がしっかりしないと、優子を不安がらせてはいけない。あえて、不安を除外視していたのかもしれない。
その後、優子は驚異的に回復した。といっても、それが驚異とは思わず、当然と思っていたのだけど。退院した翌月に僕が渡英し、2ヶ月遅れて優子もロンドンに来た。
病気のことを考えている余裕もないほど、僕らはexcitingな結婚生活をスタートさせたんだ。

東京での1回目の手術の翌年、渡英したロンドンで二度目の手術をした。今度は、胸を開かず、足の動脈からカテーテルを入れ、狭くなった動脈に補強壁を埋め込むステント手術だった。当時、この手術はまだ始まったばかりの最先端医療で、日本ではまだ受けられなかったんじゃないかな。英国の医療制度NHS(National Health Service)は、税金を払っていない外国人でも受けられる全額無料のシステム。通常、とても待たされるのだけど、なぜか優子は待たずに迅速に手術を受けられた。結果は良好。その後、健康を取り戻した。とてもラッキーだった、、、ことさえ気がつかなかった。
その後、亡くなるまで20年間、優子は薬を服用し、定期的に心臓内科の検診は受けていたが、2-3ヶ月に一度、主治医とお茶飲み話をする雰囲気で、私は全く優子の健康を心配していなかった。

3人もの子どもたちと優子に囲まれた暮らし。夢は叶ったんだよ!
毎年書いていた年賀状のとおりね。
でも、それが突然終わっちゃったんだ。まだ完結していない、乳幼児期という前半は終えたけど、思春期という後半に入ったばかりだった。
子どもという夢の他にも、優子は自分自身の夢もあっただろうに。

私は療育という現場で、1歳から6歳までの母と子と共に日々過ごしています。重度の障害を抱えながら生き、死にも出会います。日常の普通に笑顔でいられることや家族の存在が本当に宝であること。その宝を大切にし感謝して生きられること。それらが現世に姿はなくとも、それらを支え守っている人々の存在。そんなことを感じながら生きています。

私は5年前、乳がんの手術をしてから、死を身近に感じるようになりました。毎日生きている喜び、仕事ができる喜び、人と交流できる喜びを味わっています。生がいつ終わっても自然に受け入れられるような気がします。お若い時に心臓の手術をされたということで、奥様の心境もこれに近いものだったかと想像してしまいました。素晴らしい生を送られたと思います。

僕にとって、優子の死は遠かった。
でも優子はいつも自分の死と向き合っていたのかもしれない。手術の後も、何度か心臓の調子がおかしくなり、救急車で運ばれたり、検査で短い期間入院したことがあった。じんの妊娠中も、多分微小な梗塞が起きたと思うんだ。妊娠の継続は危ぶまれたけど、主治医のサポートで見事出産したんだよね。僕にとって、優子の病気は乗り越えられるものと勝手に思い込んでいた。でも優子はそうは思っていなかったんだろ!?
お母さんには、ふと弱気になる自分を見せたみたい。でも、僕や子どもたちには決してそんなそぶりを見せなかった。
「Tikiと一緒になって、本当に良かったと思ってるのよ」
亡くなる1か月前、何の脈絡もなく出てきた優子の言葉。僕にしてみれば、とっさに何も答えられず後悔する瞬間だ。優子にしてみれば、自分のいのちをいつも意識していたのかもしれない。ねえ、そうなんだろ、空の優子?
だから、優子はがんばれたのかな。ずいぶん、がんばっていたもんね。

僕だってそうなのかもしれない。祖母の死に向き合った原体験が、いつもどこかで自己の死に向き合わせている。
いのちの有限性という恐怖を乗り越えるには、生を思いっきり全うするしかないもんなあ。

子どもたちも、母親の死と強烈に向き合った。そのことは、彼らの生に、多大な影響を与えているはずだよね。当初は、トラウマ症状というnegativeな影響を心配したけど、それは大丈夫そうだ。とすれば、優子や僕がそうだったように、自己と向き合い、がんばる原動力になれるかな?
子どもたちに聞いても、まだ答えられないだろうな。大きくなったら聞いてみよう。

Tikiのブログからはすごいpowerを感じます。それはきっと優子さんという支えがあるからなのでしょうね。時々ブログをのぞいて私の勇気とパワーの源にさせてください。

けっこう、多くの人がそう言ってくれるんだよね。
なぜかなあ?
悲しみを乗り越えるには、避けずに、向き合うしかないんだと思う。
僕の悲しみが、みんなの勇気になり、そういうみんなの存在が、僕の勇気になる。
Negativeからスタートしたのに、positiveなスパイラルを協働できるのは素晴らしいことかもしれないね。

追伸
TIkiのブログに何となく気になる一言がありました。
「今までの2人分の愛情を、これから私一人ががんばって与えなくては・・・」
私は、仕事がら人の死に出会うのは多い方です。そこでいつも思うのは、実体は現世になくても、魂は永遠に愛する人のそばにあるということ。本当に感じます。そしてこの世の私たちを守ってくれていると。だから「Tikiひとりでがんばる」なんて言わず、肩の力を抜いて、今までどおりのTikiでいてくださいね。

そうだよねえ。もっとリラックスしていても構わないんだよね。
不安だと、つい肩に力が入っちゃうんだ。スピードを恐れるドライバーやスキーヤーみたいにね。
子どもたちへ、愛情の押し付け・関わり過ぎに注意するよ。

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