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Thursday, December 10, 2009

記憶の財産

拝復
貴方様からのお便りを拝見して、優子様がまだお若いのに何故、どうしてと思わず声に出てしまう程に驚きました。
何よりも三番目のじん君が四年生であったことも知り、又、又、驚きました。というのは、私が母を亡くしました時も同じ四年生でしたので七十一年前のことが昨日、今日のように甦り他人事とは思えずお便りさせて頂きました。私の母も心臓麻痺であっという間に彼岸の人となってしまいました。
優子様も心筋梗塞で四十六歳のお若さでになられてしまわれたとか。優子様ご自身も彼岸でどんなにか驚かれ、戸惑いし、此岸に心を残されておいでではないかと思いました。何とも胸の痛む思いで一杯でございます。お便りによりますと、ご長男と大阪でお骨を麗石にされたとか、又、霊園は優子様が好きな海の見える三浦霊園とか。そして八月の休みは草津の別荘に優子様を偲んでお子様方の家族の方とにぎやかに過ごされ、草津白根のあの白い山肌に立ってお骨の一部を散骨なさった由、優子様もお子様方も心に残る仏事の数々に私迄心を打たれました。
貴方様には二世帯住宅ですぐ傍に御両親様がおいでになりどんなにか心強かったことでしょう。二つの核家族拡大家族となってとありましたが、こんなに有難いことはございませんね。今は失いかけていますが、日本古来の拡大家族のよさを十分に噛みしめて下さいませ。

私は今、八十一歳になりましたが、今の私の財産は、幼い時の記憶は勿論、父・母の元で育った家庭でのあらゆる想い出と思うようになりました。その沢山の想い出があるということはお金には替え難い財産である事がこの年齢になって分かり始めたのです
貴方様も優子様と共にお子様方と歩まれ遺された数々の想い出がやがて三人のお子様にとって素晴らしい心の財産になることと思います。長々と綴りご免なさいね。
貴方様には余計な事と思いつつも書かずにはいられなかったことをお許しくださいませ。
ご健康をお祈りつつペンを置かせて頂きます。 
かしこ


大変ご無沙汰しております。
先生が、子ども時代にお母さまを亡くされたとは存じ上げませんでした。もしかしたら小学生の頃お話しいただいたのかもしれませんが、そうであったとしてもとうに忘れていました。当時から40年後、五十代になった私に、また先生から教えをいただけるとは思いもよりませんでした。先生ご自身の体験から、改めて親はなくとも子は立派に育つことを知り、少し安心しました。
私も、子ども時代の想い出がたくさんあります。これから3人の子どもたちが成長し、今の事をどう振り返るのか。それを、どう財産として残せるのか、父親として責任を感じています。今までは、優子と私の2人で彼らにそれなりの想い出を作ってこれたと思います。これから私一人で、子どもたちが貴重と思える財産を積み重ねることができるか自信はありません。
今回、母親を失ったことがとても大きな悲しみの財産になることは確かでしょう。でも、その後、良い思い出を作れるか。守られていること、大切にされていること、愛されていること。これらを伝えてやりたいと思います。物質的に豊かでなくとも、たっぷりの愛情を与えたい。しかし、今までの2人分の愛情を、これから私一人ががんばって与えなくては…と焦ってしまうとよくないのかもしれません。私以外にも、祖父母をはじめ、学校や塾の先生、友人など多くの人たちから愛情を受けています。そのチャンスをうまく作ってあげなくては。遠慮のあまり、我々が孤立してはいけないと思います。
幸い、幼く手のかかる時期は過ぎました。幼い子どもへの愛情が安全に保護し、思い切り抱きしめてあげることだとすれば、自立してゆく思春期の子どもたちには、幼いころとはまた別な愛情が必要な気がします。干渉したり、保護しすぎてもいけません。帰ってこれる居場所としての安心感とともに、社会の試練を乗り越えるための力や、彼らの行動基準になる価値や社会の規範も伝えなければなりません。
私も以前から多少は台所に立っていたものの、今年はその頻度が増えました。理屈ではなく、私の素の生きざまを見せるしかありません。母親を失った3人の子どもたちの父親としての役割を全うすることが、私自身の悲しみを乗り越えるすべにもなるような気がします。
長くなりましたが、先生もどうぞ寒さの折り、お体に御自愛ください。

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