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Monday, December 21, 2009

人生登山

私は登山が好きなんですよ。高校時代、山岳部だったから。

何のために、山に登るんでしょう?そんなこと分からないまま、気がついたら山登りを始めています。歩き始めから稜線までのアプローチが一番辛いんですよ。樹林で見通しがきかず、黙々と少しずつ高度を上げてゆきます。樹林帯を抜け稜線に乗れば、急に見通しが開けます。目指す頂を先に眺めれば、やっと登山の楽しみが見えてきます。風も強くなるけど。
登山の醍醐味は頂に到達した後なんですよね。ひとつの山頂を極めると、それまで見えなかった向こうにさらに高い峰が見えてきます。一旦下ってまた登る。それを何度も繰り返し、高い峰々を制覇していきます。
でも、ずっとは続きません。やがて下山する時がやってきます。せっかく苦労して登った山々から高度を下げるのは、もったいないんですよね。
その点、八ヶ岳はいいんですよ。南から入っていくと前半の南八ヶ岳が高く険しくアルペン気分が味わえ、北八ヶ岳まで足を延ばすと高度は下がり、森と湖が点在するなだらかな山歩きになります。ゆっくりと来し方を振り返ることができます。

Prime of Life
優子はちょうど高い峰々を制覇中でした。結婚、出産そして子育ての前半まで進み、次は子どもの巣立ち、そして通訳という天職を見つけ、社会での役割という峰を登りつつありました。
でも、いずれは下山するんですよね。済んでみれば、登山なんてあっという間でしょう。でも、まだ終えるには早すぎました。ひと通り縦走した後、高度の変化にゆっくり順応しながら下山路を下ります。優子は我々同行者を残し、ひとり勝手に滑り台で一気に麓に滑り降りてしまいました。同行者を失った私は、いまだに稜線の上で立ち尽くしています。幸い、子どもたちは予想に反し、親がひとり欠けても自分たちの足でしっかり歩いています。むしろ私の戸惑いの方が大きいのかもしれません。
ふつう、まだ振り返る段階じゃないんですよ。南八ヶ岳の主要部を過ぎ、北に入ればまだしも、まだ南の急峻な稜線の上で、前を進む事が精いっぱい。来し方を振り返って総括するには早すぎます。
でも、突然のアクシデントに立ち止まらなくてはなりません。
優子は、密度の濃い充実した幸せな人生を送ったのでしょうか?
たとえそうだったとしても、優子自身がそれに気づいたのは、ごく最近だったように思います。
結婚。出産。その部分だけを切り出せば、十分幸せな峰のはずでした。でも、自分がそこを通過しているときは、それが頂上であるということはあまり実感しないものです。急峻な登りを進むことに精いっぱいでした。
でも、あえて振り返れば、みんなが声援してくれるように、優子の軌跡は輝いていたのでしょう。優子はそんなこに気づきもせず、次の山に取り掛かることに必至でした。

誰でも同じですよ。上手に登ってもバテてへたっても、快晴の中を景色を楽しみながら進んでも霧の中で道を間違えても、結局、山を下りてしまえば皆同じ。今の足元を一歩ずつ踏みしめるだけですね。

私は優子の軌跡を振り返る事が出来ても、自分自身の軌跡はまだ振り返ることができません。振り返れば、終わってしまいそうな気がします。
まだ私は山を降りることはできません。母親がいない子どもたちの成長を見守り、仕事もまだ途中です。精神科医として、道に迷った登山者たちをガイドしなければ。最近は、迷う人がたくさんいるから、ガイドも大忙しです。でも、私がすべての迷う人を救えるはずがないし、私がいなくても大勢に大差はないはず。それでも、ガイドし続けるのは、そのことが、私自身の生きがいでもあるからだと思います。

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