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Friday, February 13, 2009

ママの病気のこと

子どもたち。

昨日、書いたようにして、ママとパパはめでたく、幸せに結婚したんだよ。
シンデレラみたいなおとぎ話では、結婚するまでに困難とか戦いとかいろんなことがあって、最後は、
ふたりはついに結ばれ、ずっと幸せに暮らしました(happily ever after)!ちゃん、ちゃん。
で終わるでしょ。
でも、本当の結婚というのは、そうじゃなくて、結婚してからの方が大変なんだよ。
ママとパパも3年くらい付き合っている間にも、辛いこととかあったし、それに負けないくらいお互いに好きだったけど、結婚した後で振り返ってみると、それはごく表面的なことだったと思うよ。
結婚したら、ずっといっしょに生活を共にするし、お互いの親戚や友だちとの付き合いもたくさんでてきて、もっともっと、辛いことや大変なことが出てくるんだ。そうすると、もうイヤになっちゃって、離婚しちゃう人たちもたくさんいるし、離婚までいかなくても、もう家族のことは大変だからあまり深く関わらないで、お金だけ稼いでいようというような男の人もけっこういるんだ。表面的な結婚というのかな、それでもなんとなく生活できちゃう場合もあるんだよ。
でも、パパはそんな家族をたくさん見てきたので、そういうのはイヤだ、夫婦の間に辛いことがあっても真剣に向き合っていこうと思ったんだ。そうやって、ママとパパは、辛いことを乗り越えながら、本当の絆を深めていったんだよ。そうすれば、楽しいこともたくさん出てきて、本当に幸せになるんだ。
よく、結婚する前の人は、結婚したら自動的に幸せになれると勘違いしちゃうんだけど、そうじゃなくて、結婚してから、たくさん努力して、幸せをつかんでいくんだ。

そういう意味で、ママとパパが結婚してから直面した最初の大変な出来事は、ママの心臓の病気だったんだ。
振り返ってみれば、まだ付き合い始める前、JASCでアメリカに行ったとき、たしか、プリンストン大学の構内をみんなで歩いてご飯食べに行こうという時だったかな。友だちのみんなが歩いていくペースに、ママだけついていけなくて、ゆっくり歩いていたんだよ。パパは、あれどうしたの?と心配したのだけど、ママは「うん、最近ちょっと疲れていて....」というから、「ふ~ん、そうなんだ。一度、病院でちゃんと診てもらった方がいいよ。」なんて言ったことがあったんだ。
でも、その後、付き合っているときは特に疲れてもいないし、結婚前なのに、泊りがけでスキーやサイパンの海にも行ったりしたんだけどね。(ヘンなことはしてないよ!)

それで、新婚旅行でハワイに行ったんだ。本当は、ハワイなんかより、みんながあまり行かないところにしようと、フィジーを予約していたんだけど、急に内乱が始まっちゃって、間際になってハワイに行き先変更したんだ。ママは、子どもの頃行ったことあったけど、パパはハワイ初めてだったから、それでもいいかなと思って。
ワイキキに泊まり、新婚カップルっぽく屋根がないオープンのレンタカーを借りて、ドライブして、ハナウマ湾という有名な観光スポットに行ったんだ。駐車場に停めて、海岸までかなり階段を降りて、散歩したあと、また階段をたくさん昇ったんだけど、ママは途中で止まっちゃうんだよね。「あれ、どうしたの?」とパパは心配したのだけど、ママは、大丈夫とか言ってあまり気にしていなかったみたい。
新婚旅行から帰って来て、生活が始まり、ふだんは元気なんだけど、時々調子が悪くなっちゃうので、パパの大学時代の友だちに相談して、虎の門病院で精密検査してもらったんだ。はじめは、どこに異常があるのかよくわからなかったんだけど、よ~く調べてもらったら、心臓の周りの血管(冠状動脈)がブドウの房のようにボコボコに膨らんでいたり狭まっているのがわかったんだ(動脈瘤)。えっ、これなに!!って病院の先生もびっくりして、ママとパパもとてもびっくり仰天。こうなる原因として、川崎病というのが考えられると先生は言っていたよ。それは、まだ原因がよくわかっていない、小さい子どもに熱や発疹が出る病気なんだ。ふつうは大したことのない病気なんだけど、時々、心臓の血管に動脈瘤という合併症がでてくるんだ。どうも、それなんじゃないかって、先生がママのご両親に尋ねたんだけど、さあ、そんなこと覚えていませんけど、とおばあちゃんは困っていたよ。たぶん、川崎病にかかったとしても、はしかやみずぼうそうなんかと区別つきにくいから、よくわからなかったのだと思う。ママが中学生の頃、肝臓病で、2-3週間学校を休んで寝込んだことがあったんだって。それも、後から考えてたら、心臓の筋肉に小さな梗塞が起きて、肝臓病と間違えたという可能性もあったのかもしれない。
そんな話を先生から聞いて、ママのご両親は、親の責任なんでしょうか??と、とても心を痛めたけど、別に親のせいじゃなくて、防ぎようのない病気だったんだ。

で、とにかく、このままじゃまずいからと、バイパス手術をすることになったんだ。それが、結婚してから8ヶ月後のことだったよ。今から考えれば、それもすごい大手術だったと思う。何しろ、心臓をいったん止めて、太ももから取ってきた血管をつなぎ合わせるんだから。入院して手術して退院するまで1ヶ月半くらいかかったよ。術後はCCUという集中治療室にもけっこういたし。ママ死んじゃった今から振り返れば、すごい大変な病気だったんだと改めて思うけど、当時はママもパパもそんな風には考えていなくて、大変だけどどうにかなるだろうと楽観的に考えていたんだ。
手術はうまく成功して、ママは元気を取り戻したよ。要するに、血管が細くても、血液がうまく流れれば全く問題ないからね。

その後も、何度かあれっと思うときはあったんだ。イギリスに行ってからも、またちょっとおかしくなって、再手術をしたんだ。1回目のときのような胸を開く手術じゃなくて、足の動脈から細い管を入れ、コイル状の金属を細くして心臓まで送り、血管が狭まり細くなっている部分でパカッと開く、ステントという手術だったよ。今では結構さかんに行われているらしいけど、当時はまだ珍しい最新式の方法だったみたい。その時は確か一週間も入院しなかったかな。それも、うまくいって。
しかも、治療費がタダだったんだよ!イギリスにはNHS (National Health Service)といって、医療費を全部税金でまかなってくれていたんだ。しかも、ママのような外国人でも、イギリスに住んでいればその恩恵を受けられたんだ。そのシステムはタダなんだけど、ふつうすごく待たされたりしてあまり評判良くなかったんだけど、ママの場合は、特殊な病気で、お医者さんも興味があったんじゃないかな。あまり待たず、すぐにやってくれて。その点ではイギリスにすごく感謝してます。
その後も、薬はずっと飲んでいたものの、元気になっちゃえばぜんぜん問題なく、スキーやダイビング(シュノーケルだけだけど)とか、パパがアウトドア派だから、登山や自転車とかいろいろつき合わせちゃって、それでもちゃんとふつうに運動も楽しんでいたよ。子どもたちからみても、ママが病気っぽいなんてぜんぜん思わなかったでしょ!?

でも、こうやって死んじゃってから振り返れば、ママの心臓は、常に危険と隣り合わせだったのかもしれない。そんなこと、今から言ったって遅いけどね。
でも、逆に考えれば、ときどき病院に駆けつけたりしたけど、病気のせいでずっと寝込むこともなかったし、仕事もがんばっていたし。何より、君たち3人の子どもをちゃんと産んで、育てたんだから、すごく偉かったよね。ママちゃんはとてもがんばったんだ!!

これが、ママとパパが直面した辛かったことのひとつ。
でも、その時はあんまり辛いという感覚なかったけどね。

でも、そんなことばかりじゃないよ。
とても楽しく、幸せだったこともたくさんあったんだ。
次は、そんな楽しい話をしてあげるね。

4 comments:

  1. Tikiさん、いよいよお二人の出会いと、克服していった
    つらい経験と、それによってさらに結びついていった
    お二人の絆の話が、佳境(山場)に入ってきましたね!

    私も振り返ってみれば、昔、三女が父母の出会いを漫画(!)
    風に書いたときに、『Sさん(お母さんのこと)は、その時に
    「謎のM」(私のこと)に出会ったのでした・・・』と
    書いただけで、一体全体お父さんとお母さんが何故出会ったのか
    お母さんのことは女同士おしゃべりも色々してよくわかるけど、
    そのお母さんが出会って結婚したのがどうしてお父さんで
    なければいけなかったのか、というあたりはよくわかって
    いなかったみたいです。

    私は『謎のM』と名付けられて苦笑するしかなくて、そのうち
    また子どもたちには父母の出会いを話してやろう・・・
    と思ったまま、大学時代のESSの英語劇で出会った・・・
    お父さんが四年生で、お母さんがまだ1年生だった・・・
    という程度しか話していないような気がします。

    優子さんが亡くなられたこの機に、お子さま型に、自分の父母が
    どのように出会ったのか、ということをしっかり語っておく
    というのはとても大切なことだと思います。

    『「なんとなく」ママが居なくなって、なんとなくそのまま
    生活が進んでいった』というのではなくて、ママが居なく
    なったけれども、パパがそのことを真剣に受け止めて、
    時代へ自分たちの絆をしっかり示して支えてくれた・・・
    というのは、大きな違いを生むと思います。

    引き続き陰ながら応援しています♪

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  2. う~ん、知りませんでした。そんなに大変な手術をされていたなんて。

    病気のことで記憶にあるのは、まず銀行に就職が内定した時の健康診断で心臓に異常が見つかり、優子さん本人がとてもびっくりしていたこと。

    次に、仕事に就いてみたら結構激務で、疲れのせいか、次第に右か左かの視野が半分欠けるようになってきたと聞き、後の手術につながったこと。

    手術は良い先生に恵まれて大変上手くいき、「もともとの奇形を手術で治したせいで、今まで調子の悪かったことが心臓のせいだったと分かり、前よりも体調がいいの。」と喜んでいたこと。

    しばらくして二人目の赤ちゃんに恵まれた時、「妊娠すると体がほかほかしてあったかいのよ。かえって妊娠してるときのほうが調子がいいくらい。」と元気そうだったこと。

    そのくらいなんです。どんな病気なのか具体的に聞いたことはなかったので、こうしたお話で、私はすっかり心臓自体の弁の不具合か何かを手術で完治され、学生時代はどちらかというとインドア派のイメージだった彼女が、いろんなアウトドアスポーツも楽しまれるようになったと思っていました。去年の11月末ごろ、しもちゃんが自身のブログ日記に、体調を崩していて「左目が置いてけぼりになる感じがする。以前にも似たようなことがあった。」と書いていた時、ふと20年前の「視野が欠ける」話を思い出したのですが、あれから今までの間にもいろいろな山があり、お二人で乗り越えてこられていたのですね。

    私事ですけれど、私の父も心臓の冠動脈が詰まり、やはり足と手から血管を取ってバイパス手術をしています。胸骨を切り開く手術はよほど辛かったとみえ、気丈な彼がICUで涙を流すのを初めて見ました。
    今回しもちゃんの病気を詳しく伺って、当時の手術が年若い彼女にとりいかに大変なものだったかと、改めて思いました。もっと踏み込んできちんと聞いていたら、病気に対する思いの一端なりとも、もう少しはシェアできたかもしれないのになと・・。もっとも、努力は人に見せない彼女のこと、精一杯生活を楽しみ、「楽しんでるよ~」とメッセージをくれることで、全てを語っていたのかもしれませんね。

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  3. そんなこと、ありましたよね。
    ふたつの目とも左右半分の視野が欠けるのは「同名半盲」といって眼の問題ではなく、大脳の後頭部に原因があるんです。優子の心臓のことと絡めて考えると、心臓にできた血栓が、脳に飛んだということもありうるので、けっこうヤバイ出来事でした。それで手術につながったわけなんです。

    だから、去年の11に「左目が置いてけぼりになる」というのも、もしかしたら同じようなことが起きたのではないかと心配して、症状としては生活にそれほど支障はなかったのですけど、早めに病院に行くよう勧めました。よく検査してみたけど、どうもヤバイことではなさそうだと、泊まらずに帰ってきました。あとから考えたら、その一週間前にインフルエンザの予防注射をしたので、その副作用だったんじゃないかと思います。

    そうなんです。
    僕らにとっても、手術はとても大変だったのだけど、そのあとケロっと良くなっちゃったものだから、ふたりともことの深刻さはほとんど自覚していませんでした。
    お産も難産で苦労したけど、その後に大きな喜びが来たから、似たような感じでしたよ。

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  4. 心臓のバイパス手術をして、お見舞いにいきましたが、プログで初めて詳細なことをしりました。私が克明に覚えているのはまだとても若く美しい、いつも笑顔の気丈なしもが、手術の胸の傷跡をみせてくれて、さすがにがっくりきていた様子です。
    でも、子ども3人生み育て、フルパワーで活躍していたので、いきなり倒れるというのはとても意外でした。優子ちゃんも、想像していなっかたことだと思います。
     去年、そういえば体調はどうなのと聞いたら、ぼちぼち
    やっているから、大丈夫といっていました。それよりも、こんなこと計画しているとか、予定しているとか、子どものこととか、前向きなことをいっぱい考えていて、私は、
    優子ちゃんを見習わなきゃと思ったものです。
     

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