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Tuesday, February 17, 2009

優子を失った痛みの一考察

優子

なんか、ここのところようやく痛みが少し和らいできたみたい。
今までは、痛くて、痛くて、どうやって痛みを逃がそうかと必死だったんだけど、ここ2-3日はそうでもなくなったよ。そしたら、疑問がわいてきたんだ。

前からちょっと考えていたんだけど、優子を失った痛みって、どれくらいの大きさなんだろうってこと。
人ごとだとわかるんだけどね。
たとえば、僕の祖父は、若くして祖母(妻)と死別して、その後、90歳まで長生きしたんだ。でも、まわりから「おじいちゃんは、とても寂しかったんだよ」とよく聞かされ、子どもなりに、そりゃそうだろうなとは想像していたよ。といっても、祖母は享年55歳だったんだ。優子はそれよ10歳若いのだから、僕は祖父よりもっと寂しいわけ?まわりからそう見られているわけ?

優子 「あなた、精神科医でしょ。それくらいわからないの?」

わからないねえ、さっぱり。
人のことはわかったつもりで医者やってるけど、自分のことはさっぱりわからないんだ。

でも、専門家だし、ちょっと考えてみるね。
夫婦は空気みたいな存在とかよく言うし、優子を失って、身体の一部を失った感じ、身体を引き裂かれる思い、みたいな言い方がしっくりくるんだ。
じゃあ、その存在している時は意識する必要がないほど深くひっついているモノって、いったい何なの?

★生活面での依存?
優子がいないと、生活が成り立たない=つまりメシを作ってくれる人がいないとか、家事が成り立たないとかいう夫婦もいると思うんだけど、僕の場合はそれは大丈夫かな。僕自身ある程度はできるし、おばあちゃんとか、周りの人がたくさんサポートしてくれているから、生活はどうにか回っているんだ。

★子どもを産み育てること?
子どもを作らないカップルも多いけど、我々は作ったわけで、僕にとって子どもたちは正に生きがいだからね。優子のおかげで3人も作ることができたんだよね。その体験は最高に大きいはずだ。まだ子育ては途中なので、急に母親に消えられてしまってはとても困る。
でも、ちゅけが15歳、じんが10歳だから、まだ何とかなる可能性もあるかな。もし、優子に5年くらい前に死なれちゃったら、もっと大変だったと思う。
だからといって、今、これから僕が父親としてがんばったとしても、母親なしで子どもたちをうまく育てられるかというと、そう簡単ではない。この問題はとても重要だから、後でまたじっくり考えてみるよ。

★スキンシップ?
Sexualityってのは、やはり理屈抜きで深く結びつけるものだよね。特に若い頃、それが子ども作りと結びついていた頃は、とても重要だったし、身体レベルで深く深く結びついていたと思う。そうやってお互い身体の一部になっていったんだ。
でも、子どもたちが成長した今は、前に比べればそれほど重要ではなくなったよね。欲求がなくなったわけではないけど、若い時ほどではないし。
でも、こうやって優子を失ってみると、改めてスキンシップがとても懐かしく、それを失ったことがたまらなく寂しくなったりするんだけどね。

★心理的な愛着
やっぱりこれが一番大きいよ。
20年間、心も身体も生活も何もかも共有して、さらけ出してきたわけじゃない!子育てして、ケンカもたくさんして、いろんな苦楽を共にして、その結果、僕のことは優子が一番(いい意味でも、悪い意味でも)理解してくれている。僕のことをずっと見ていてくれる人であったし、僕の存在を支えてくれる人だったんだ。
人は、ひとりでは生きられないでしょ!?だれか、見ていて、認めてくれる人が必要なんだ。それは、親であったり、家族であったり、神様であったり、友だちだったり、同僚であったり、授業の学生たちだったり、いろんなケースがあるけど、やはり、優子が圧倒的に大きな存在だった。
その優子を急に失っちゃったわけだから、僕の存在自体が危機にひんしているといっても大げさではない。このことが、やはり一番痛いのだと思うよ。



じゃあ、僕はどれくらい痛いわけ?
パートナーを失うなんて、ありふれたことでしょ。ずっと連れ添えば、確率二分の一で経験するわけだからね。みんな、僕と同じように痛みを経験するのかなあ?

痛みは主観的な体験だから、比較できないとエニオは言っていたし、確かにそうだと思う。
痛みの大きさを、それが引き起こす結果によって推し量ることができるの?
身体が傷ついたら、血が出たり、腫れたり、骨が折れたりするでしょ。たくさん血が出たら、それだけ傷を与えた外力も大きかったということ?
でも、同じ外力でも、人によって感じる痛みは違うから、話は単純じゃないはずだ。
僕はお葬式で、テンション高く、みんなと談笑してたよね。ちょっとだけ泣いたけど。
参列した人は、それがとても痛々しかった、僕がもっと暗く、沈んでいたほうが気が楽だったと言っていたよ。
僕もそう思う。再起不能なほど落ち込み、仕事もなにもできなくなれば、それだけ僕の痛みが大きいんだということを証明できるからね。
ところが、あいにく、食欲もあるし、夜は眠れるようになったし、仕事もちゃんと(表面的であるにせよ)できちゃっているんだ。ということは、優子を失った影響はそれほど大きくなかったってことなの?
そんなはずないし...
だから、自分でもよくわからなくなるんだ。

僕自身の痛みって、どう推し量ればいいの?
・優子が死ぬにはまだ若かったから?
もし、優子との別れが30年後だったら、この痛みは違っていたのだろうか。
80歳になり、子どもたちが巣立ち、人生をやり終えたら、もっと楽に優子を見送れたのだろうか?
80歳なら、優子の死はもっと自然なこととして受け入れられたのだろうか?
でも、50年も連れ添ったら、優子は今以上にもっと深く僕の身体の一部になっていたんじゃないかな?

では、逆に、結婚後3年間で優子を失ったら?
一緒にいた年月が短ければ、痛みも軽くてすむのかな?
でも、その頃はもっと若い情熱で優子を求めていたはずだし....

・子どもがいたから?
10年前に夫を失ったはっちゃんは、子どもがいなかったから、Tikiの痛みとはまた違うだろうと言っていたよ。
確かに、母親なしで子どもたちをどう養っていくのだろう...という不安と重圧はある。
でも、逆に、子どもたちが僕を癒してくれる面もあるんだ。
今、遊馬がソファの座り、ぴったり僕に身体をひっつけてテレビを見ているんだ(笑)。
ママちゃんがいたら、絶対こんなことはなかったしね。

・死に方は?
僕は、何の予期も、心の準備もなく、突然優子を失ったよ。そういう失い方は、傷が深いの?
河辺さんは、辛い闘病生活の末、夫をガンで失ったんだ。
それは、とても辛かったけど、時間をかけて喪の仕事を始めることができたみたい。
そういう意味では、僕は、突然、何の前触れもなく喪の仕事を始めなければならい。ツケを後回しにした感じだよ。
あるいは、もし自殺だったらどうなんだろう?あるいは、交通事故だったら?
かっしーは父親を自殺で失ったんだ。その痛みは凄いと思う。もし優子が自殺だったら、なぜ僕がそれを食い止められなかったか、罪悪感で押しつぶされると思う。
もし、交通事故だったら、加害者への怒りがものすごくなるだろう。そういう意味で、だれにも怒りを向ける必要がない分だけ、まだマシなんだろうか?よくわからない。

・失恋や離婚とどう違うの?
愛する人を失うという意味では、似ているはずだよね。
振られる立場は、相手が関係を断ち切ろうとするわけだから、自分の思い込みは一人芝居だったとバカバカしくなり、相手に怒りをぶつけることもできる。
振る立場は、自らの意思で相手を切るわけだから、悲しみは少ない?
僕の経験では決してそんなことないし。
関係を切る場合でも、愛着がなくなるわけではない。愛と憎しみのアンビバレンスの中での決断だから、別れを告げるのも辛い。それに、相手に与えた辛さを考えると、もっと辛くなる。
ひろし君も、離婚だって辛いぞ!とさかんに言っていたしね。

・パートナーではなく、他の家族や親友を失う場合と違うの?
老いた親を失うのは自然の摂理とよく言うが、そう単純ではないだろう。
済んだ関係だとしても、以前は身体の一部だったはずだ。身体の一部を失う喪失感はきっとあるんだろうな。幸か不幸か僕はまだ親を失っていないから体験していないけど。

じゃあ、友だちの場合は?
こんど、りかちゃんと会うことにしたんだ。そりゃあ、一緒にいた時間の長さは違っても、家族とはまた違う、深い結びつきだってあるはずだ。特に若い頃は。
分量は違っても、優子を失った痛みは共通しているんじゃないかなと思ってね。

とまあ、こんな風にいろいろ考えてみたところで、結局、自分の痛みの深さはわからないままなんだ。

こんなこと書いているから、仕事の原稿書く時間がなくなっちゃったよ。

4 comments:

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  2. 豊穣な「書簡」読ませていただきました。

    冷静な、そして良い意味で情熱的・感情的な、考察が
    多々盛り込まれていて、こうしたプロセスが、Tikiさん
    と、ご家族、お子さんの痛みを癒していくことを
    陰ながら、心から祈っています♪

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  3. おいでを心よりお待ちしております。

    当地では今、梅が満開です。
    東風が吹いて、毅さんを運んでくれたら、
    千の風も梅の姿となって、主を思い起こすことでしょう。

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  4. 普段は、まわりの親しい人が急にいなくなってしまうことを、論理的に考えることはありません。読ませていただいて、私自身ちょっとだけ、立ち止まって考えることができました。
     そして、すこしづつ、時間とともに心の痛みが軽くなってくるんだとおもいます。

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