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Sunday, February 15, 2009

ロンドン時代

優子

今日も休日チャリ通勤。
優子多摩サイは小春日和。人もたくさん出ていて、風がすごく気持ち良かったよ。

今朝は、夢の中に出てきてくれてありがとう。
優子と二人だけで会話しているんだ。
「僕さあ、恥ずかしいんだけど、2週間くらいずっと優子が死んだ夢を見ていてさ。すっごくつらかったよ。」
優子は「あら、なに言ってるのよ。」と、何か嬉しそうだったよね。

夢から覚めたら、辛かった(涙)。
はやく、この『夢』から覚めて、あの「夢」に戻りたい。

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子どもたち。

それで、昨日の話の続きだけどね、
パパとママの新婚生活は、今みんなで住んでるお家の場所だけど、前の古いお家で始まったんだ。それは、おじいちゃんが若い頃、田舎から出てきたときに建てて、パパが生まれ育ったうちなんだ。だから、パパは全然違和感なかったけど、ママにしてみれば、パパの実家に間借りしているようで、落ちつかなったんじゃないかな。でも、そこにいたのはわずか1年足らずで、翌年の秋から3年間のロンドン生活が始まったんだ。

パパは、高校時代のアメリカ留学がすっごく楽しかったものだから、また海外で生活したくて、いろいろ虎視眈眈とその機会をうかがっていたんだ。JASC青年の船に参加したのもそういう流れがあったんだ。結婚したとき、パパは医者になって5年目だったから、だいたい一通りのことはできるようになって、もっと勉強したいなと思ったの。ちょうど日本でも家族療法というのが始まったばかりで、これは面白そうだ、でも日本では本格的な勉強はできないので、どうしようかたと思っていた時、イギリスからRobin Skynnerさんという有名な家族療法家が来日したので、懇親会の時、思い切って、パパの希望を伝えたんだ。そしたら、スキナーさんは、私の所に来て勉強したらいいよと言ってくれたんだ。結婚して、2ヶ月後、British Councilから奨学金をもらえる知らせが来て、ママもパパも喜んだよ。ママは、半分英語人みたいなもんだから、イギリスに行くことは大賛成で、それまで勤めていた銀行を2年半で退職して、ロンドンに行くことになったんだ。

パパがひとりで先に行って、住むところとか見つけてから、ママは2ヵ月遅れでロンドンに行ったんだよ。ママが来るまで、パパはとても大変だったんだ。まだ、来たばかりだから知り合いもほとんどいないし、イギリスの英語はチンプンカンプンだし、ひとりぼっちで辛くてね。時間が余ったら近くの市民プールに行って、ひとり泳いでいたんだ。ママへの手紙に、
最近、潜水で50m泳げるようになったんだ。最後の方は苦しくなって、ゴールの壁めがけて必至に泳いでいる。優子が来るまで、水中に潜っている感じ。優子がやってくるゴールまであと○日。それまで頑張るしかないよ。
というようなことを書いたら、ママは喜んでいたよ。

結婚した翌年からの三年間をふたりで海外で過ごしたのは、その後の家族の基礎を作る上で、とても大切だったと思う。よくケンカしてね。その原因は何だか忘れちゃったけど。もう離婚するしかないかななんて、マジで考えたことも一時的にあったかもしれない。でも、親や友達など、まわりに相談できる人もいなくて、どうにかしてふたりで解決しなくちゃならなかったからね。小さなフラット(アパートのこと)で過ごしたママとパパの生活は、今から思えばとても懐かしいよ。

パパがBritish Councilからもらっていた奨学金は1年間限りだったんだ。でも、1年ってすぐ経っちゃって、やっとイギリスの英語に慣れたくらいだったから、パパが当初目標にしていた勉強はまだまだ達成できてない、今、帰ったら中途半端に終わっちゃうと思ったんだ。そしたら、ママが助けてくれてね。当時、まだバブル経済が絶好調だったから、日本企業のロンドン支店とかが、結構現地社員を募集していたんだ。それで、ママが金融関係の会社に就職してくれたんだ。パパもトヨタ財団から研究助成を受けたりしたけど、基本的にはママが稼ぎ手で、パパが大学院生。後半の2年間、パパはママのヒモだったんだよ。

パパは勉強、ママは仕事で忙しく、苦労も多かったけど、基本的にはとても楽しい生活だったよ。
友だちも、少しずつ出来てきたんだ。パパが一番初めに友だちになったのは、北海道のタケシ先生だよ。まだママが来る前、パパがひとりで寂しかったころ、タケシ先生がお家に呼んでくれたり、一緒にテニスしたりしてね。先生はすでに3年間くらいイギリスに留学していたからいろんなことを教えてもらったりして。知り合ってから4ヵ月くらいで先に帰国しちゃったんだけど、現在に至るまでずっと付き合いが続いているのは、スキーとか一緒に行ってるから、子どもたちもよく知っているよね。ここ数年は、タケシ先生とパパより、むしろ奥さん同士が仲良くなっちゃったみたいだったね。ママのお葬式の時は、北海道からわざわざご夫婦で駆け付けてくれてね。パパはとても悲しく、嬉しかったよ。

あとは、留学生仲間と結構親しくなったんだ。パパたちも、イギリスではガイジンだったからね。出身国は違っても、ガイジン同士の人が何故か親しくなるんだよ。特に南米からの人なんか陽気で、ママもひっくるめて良い友達になったよ。
一方のイギリス人って、何かマジメというか、とっつきにくいところがあってね。本当はきっとシャイな人が多いんだろうけど。始めのころはなかなか親しい人ができなくてね。

でも、時間が経るにつれて段々と親しくなっていったんだ。
パパは日本のいのちの電話で活動してるでしょ。ロンドンでもいのちの電話があって、サマリタンズ(Samaritans)というのだけど、外国に住んでいる日本人で、心の悩みとかで苦しんでいる人たちのために何かできないかなと思って、日本語ラインを作ったんだ。初めはパパだけが活動してたんだけど、そのうちママもやってみようかなと参加するようになってね。夫婦で仲良くボランティア相談員として活動していたんだよ。そうすると、ボランティア仲間が結構親しくなって、イギリスの人とも仲良くなったんだ。ソーホーっていうロンドンの中心の劇場なんかがたくさんあるところで活動していたから、役者さんなんかも結構仲間でいてね。そのひとりがゲイだったんだ。ふつう、ゲイとかホモとか、少し引いちゃうけど、イギリスではそんな人たくさんいたし、とてもいいヤツだったから、パパもママも、偏見なく友達になれたんだよ。

あと、イギリスで良かったのは、世代の差があまりないんだ。チャッド・バラさんというチョー有名な人がいて、世界中で初めていのちの電話を考えて作った人なんだ。つい先日90歳で亡くなったんだけど、パパやママよりずっと年上だし、偉い人だから、日本だったらそんな人と親しくなれないでしょ。でも、チャッドはとても気さくで、日本から来た若造のパパやママにもとても親しくしてくれて、時間をとっていろいろ話したり、一緒にご飯を食べたりしたんだ。
そういう雰囲気は、他にもあって、パパの留学のきっかけを作ってくれたRobin Skynnerさんとも親しくなったんだよ。何度もお家に呼んでくれて、会食したんだ。
一番初め、お家に行った時は、奥さんがいて、ふつうにしていたけど、ガンに侵されてるんだって平気な顔で言うんだよ。その後、奥さんは亡くなられて、しばらくしてから(2年後くらいかな)、新しいお家にママと一緒に訪ねたら、若い、新しい彼女が一緒にいたんだ。えっ、もう新しいパートナーがいるの!?って、ちょっとびっくりしたけど、とても幸せそうだったよ。そのあたり、とても自由な生き方をしているんだろうね。パパもそうなってもいい?
イギリスの人はあまりお魚を食べないのだけど、日本人だからお魚好きだろうって、美味しいサーモンをご馳走してくれたのを、今でもよく覚えているよ。

明日は、ママとパパが過ごしたロンドンのお気に入りの場所を紹介するね。なんか、観光案内みたいになっちゃうかもしれないけど。

1 comment:

  1. 外国での新婚生活の狭いフラットでの生活って
    私も何回か激しいのも含めて夫婦げんかしましたけど、
    懐かしいですよね…♪

    想い出をお子様宛に綴る事で
    心の痛みが少しでも癒える事を
    切に祈りつつ、応援しています♪

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