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Thursday, February 5, 2009

優子の夢

優子、おはよう。

優子のお葬式のビデオができたって。もうすぐ送ってくるよ。
そのことを子どもたちに話したら、祐馬あの時は泣いてばかりいたから見たくないって。
ちゅけは、何でそんなときのビデオ撮ったの?だって。
僕もわからない。
あの時は、この時間は記録しておかねばならないと自動的に思って、ビデオと写真と両方頼んだんだ。特にビデオは友人の知り合いのプロの人にお願いしたから、きっときれいに撮れていると思うんだ。
でも、できてきたビデオを見たいかっていうと、見るのが怖い。あの時間とその時の気持ちに引き戻されてしまうから。でも、あの時は、この時間を決して忘れてはいけないと思ったし、今でもそう思っている。

昨日、優子の夢を見たよ。
祐馬が、「パパがうがいしてたって言ったら、ママがひいてたよ!」だって。
何の意味かよくわからないけど、いかにもありそうな日常のワンシーンだった。
ちょっとだけだったけど、夢の中で優子と会えてとてもうれしかった!
でも、目が覚めてとても悲しかった。涙があふれてきた。

いったい僕は、いつまで悲しめばいいのだろう。どれだけ悲しめばいいのだろう。よくわからない。
いい加減、この辛さから解放してほしいよ。でも、忘れられない。
優子が倒れた時のスキー場のシーンが、何度も自動的に頭の中でプレイバックされるんだ。これをトラウマというのかなあ。
でも、あの時は怖くも悲しくも何ともなかったのだけど。ただ、淡々とやらなきゃならないことをやっていただけなのに。

Holms & Raheが発表した有名な研究があるんだ。そこには、配偶者の死が、ストレスの第一位に挙げれている。大学院生のころ、それを読んだ時は、「~ん、そうなんだ。そりゃあそうだろうなあ!」くらいにしか思わなかった。これは、実際にリストにあるようなストレスを経験したわけではなく、「配偶者の死」によるストレスを100としたら次の出来事は数字で表すといくつくらいですか?ということをたくさんの人に聞いて作った表なんだ。だから、みんな想像しているだけなわけ。確かにそうだろうな。配偶者の死が世の中で最も辛いだろうというのは、客観的に見れば簡単に納得できることだ。でも、すでに40年も前の話だし、夫婦中心主義みたいなアメリカの研究だし、我々にはどれくらいあてはまるのかなあと半分マユツバに思っていた。それに、「まだ成長していない子どもの死」とか、「火事で家を失う」とか、「ホームレスになる」とか、「事故で自分の車がつぶれる」とかの項目がないじゃん!

それでも、今、自分がどれほどの悲しみや苦しみを体験しているのか、相対的に想像がつかない。まわりの人が、ずっと前の知り合いだった人までメッセージを送ってくれるし、まわりから見たらというか、一般的にいえば、すっごく悲しく辛いのだっていうのはよくわかる。でも、自分の体験としてはわからない。ついでに、このページを読んでみても、別に僕はふつうに生活しているんだ。たしかに、不眠亡くなった人のことが頭から離れない現実感が感じられないという項目は当てはまるのだけど、種々の身体の症状はないし、物事に集中できるし、意欲の低下や無気力感なんかはない。というかむしろその逆に動き回っているんだけど。ってことは、落ち着きのない過剰な行動というのが当てはまるのか。亡くなった人を思い出させる場所や物に引き寄せられてしまったり、反対に避けるというのがあるから、お葬式のビデオみたいなことが起きるんだ。万座スキー場にはまた行けるかなあ?あのスキー場は割と気に入っているし草津に近いから、また行きたいんだけど...

今日は、英語人のアテンドを友だちがやってくれるので、僕はオフなんだ。走らずに、のんびりゆっくりできるよ。でも、それが怖い。心の隙間から、優子風が入ってきてしまうから。
結局、なんだかんだ理由をくっつけて走ってしまうんだろうなあ。やらなきゃいけないことは山積みだし。

1 comment:

  1. 私には想像が付きませんが、配偶者の死はやはり
    一番辛いことの一つだと思います。

    その中で、手探りで、grief workを続けていく事により
    3週間、3か月、1年、3年…という年月の中で、
    落ち着きどころを探っていくのだと思います。

    Tikiさんとご家族が「落ち着きどころを探る」のを
    影ながら、応援しています♪

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