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Wednesday, February 25, 2009

ターニング・ポイント

優子

先日、西の魔女と二回目のカウンセリング、それにMKPの男連中とも会ってきたんだ。
英語でしゃべると、伝えにくい部分もあるけど、かえって客観的に自分のことを表現できたりするよ。
前回、西魔女に会った時はまだホント悲しくてボロボロだったけど、今回はだいぶ良くなったと言ったら、まだまだ僕はナマrawだって。
そりゃあそうだよな、優子が消えて、まだ2ヵ月経っていないもん。良くなったつもりでも、まだまだ傷は深いんだろうなあ。気長にやっていくしかないみたい。

彼女と話していて、ふたりの自分がいることに気づいたよ。
・前に進もうとする自分と、
・留まろうとする自分。
それを、魔女はextrovert(外向性)/introvert(内向性)と呼んでいた。
僕は、よっぽど外向きな人間なんだと思う。50年間、ずっとそうやって生きてきた。
だから、優子を失っても、落ち込むことはせずに、必死に悲しんで、喪の作業を進めているってかんじ。
心の危機に直面して、普段の性向がますます顕在化したように思うよ。

つくづく自分でも思うよ。こんな時に、なぜこんなに動いちゃうんだろうって。
悲報直後から保育園のみんなに部屋いっぱいに来てもらって、
その後も、たくさんの人が来てくれて、
お葬式の長い挨拶の文章を作って、
二週間後の授業で泣きながら妻の死をしゃべって、
できる限りの機会を作っては、悲しみ、泣きまくっている。
動かずにいられないんだ。落ち込むのが怖いのかもしれない。
喪の作業を進めるという心理学の定石からすれば、それは望ましいことなのかもしれないけど、
やみくもに外向性が強ければ良いというわけでもなさそうだ。

外向きと内向きのバランスが大切だって西の魔女は言ってたよ。
エクストロは広く、外に向かい、
ントロは深く、内に向かう。
家族療法はエクストロで、個人精神分析はイントロなんだって。なるほどね。これで、僕が家族療法にはまったわけがわかったよ。

優子と僕は両極に位置して、ふたりでバランスを取っていたと思う。
僕は大人数のパーティーを、優子は少人数の深い友を好み、
僕はアウトドア、優子はインドア、
僕はオーケストラ、優子は室内楽、
僕は海外に出て国際会議で発表し、優子は箱入り娘(会議通訳のブースだって)で、じっくり通訳。
結婚する前から、その差はあったけど、ふたりで生活し始めると、遠心力が働いて両者の差異が大きくなってきたみたい。僕が外向きを引き受けて、優子が内向きを引き受けるような。

優子がいなくなり、バランスが崩れたから、イントロな自分自身を開発しなくっちゃ!!
対人関係では、広げるばかりではなく、深めることを新しく会得する時期が来たみたい。
エクストロな自分は、優子を失った穴を埋めるために、新しいパートナーを求めたい、なんて実は考えていたんだ。でも、魔女にもMKPにも言われたよ。あまりに早すぎるって。ナマの傷口がふさがっていないのに、新しいグラフトを移植できるはずがない。埋めようとしたって拒絶反応が起きると、理屈ではわかっているはずなのにね。

優子が2-3年前、冗談っぽく言っていたよね。「私が先に死んだら、祐馬ちゃんが許したなら、再婚してもいいよ」って。優子も自分の命の限界を何となく感じていたの?でも、こんなに早くそれが来るとは思いもしなかったよ。でも、確かにそれは当たってるかも。子どもたちが成長し、それを受け入れられるようになる時期まで待つくらいが、ちょうど良い潮時なのかも。

それにしても、今、急に打ち抜かれた風穴はスースーさびしすぎて、身に沁みるよ。どうにか手当てをしたい。じゃあ、外に向けて新しい関係を作るのではなく、今の関係を深めたらいいかも。
今、いる友だちと、ゆっくり、じっくり、深く語りたい。そのひとつがMKPの仲間なんだ。

それと、残された家族との関係を深めよう。
祐馬は難しいよ。
僕の気持ちがちょっと離れると、父親を求めてくる。それを受けて近づこうとすると反発してくる。
まあ、それは多感な思春期の特徴でもあるのだが。怒らず、あきらめず、彼女が心地よい距離から、温かくそばに居てあげたい。

仕事もそうだな。
前から思っていたんだ。50歳は人生のターニング・ポイントだって。
今までの右肩上がりの上昇志向的ライフスタイルから、山を降りてクールダウンしていくライフスタイルへ。
前者の僕は、
仕事をいっぱい詰め込み、
たくさんの人々に会い、
学会で発表して業績を積み上げ、
自分の領土を広げていくような仕事の仕方だった。

後者を選ぶなら、
仕事を選び、
今までの仕事を文章に落としていく作業。研究業績を上げるための専門誌への論文ではなく、広く一般向けの本を著わすとか。
前者の価値観だと、一般書より専門書を目指せみたいな感じだけど、後者なら、質の高い一般書を目指すのも良いかも。

前者なら、新しい知識を求め、それを人々に広げていくような研究活動。
後者なら、少数の人とじっくり向き合い、深めてゆく中で、私が何かのお役にたてるような臨床活動。

優子の死で、僕の生き方もこれから大きく変わるよ。

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