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Monday, February 9, 2009

嫉妬妄想

優子

今日からroutine workに戻り、一週間ぶりに多摩サイ走ったよ。すると、さっそく優子が入り込んできた。
電車通勤は本か音楽、車はラジオか音楽。だけど、チャリは何もできないし、多摩サイは通い慣れ、道の穴ぼこの位置までわかってるから、道路のことを考える必要もないし、僕にとって唯一ボケっと何も考えない時間なんだ。すると、当然の如く、優子が入ってくるよ。じゃあ、優子に命名権を売ろうか。多摩サイの大田区ー府中の区間は優子多摩サイと名付けますって。春になったら優子多摩サイツーリング大会を開こう!参加エントリーを受け付けます。

でも、優子の入り方が以前と変わってきたんだ。前は、優子が死んだ時やお葬式の悲しい場面ばかりだったけど、今は、ブログネタを考えるようになったんだ。だから、優子多摩サイを走った後は、ブログの筆(指)も走ったりして。

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子どもたち。

また、パパとママのことを話してあげるね。
ユクーテさんが、昨日のブログ記事読んで「昔の出来事でも、ちょっと妬いてしまったり?」だって。
実は、ママのお葬式には、パパの知っているだけでも三人の元カレが来てくれていたんだよ!といっても、ママの片思いだったり、短い間だけの付き合いだったりいろいろだけど。
その人たちは、毎年年賀状を交換していて、いつだったか、ママが何となく、この人、前ちょっと付き合っていたんだ!なんて、ボソっと言うものだから、パパも毎年気にはなってはいたんだ。
ママが死んで、お正月に来たばかりの年賀状を見ながら、いろんな人に訃報を伝えたんだけど、なにしろパパの心は爆発していたから、家に来てくれた保育園ママ・パパたちに連絡をお願いしたんだ。でも、元カレだけは、パパが電話して、直接告げたかったんだ。その時は、どうしてそうしたか自分でもよくわからなかったけど、今から思えば、パパのライバルだけど、優子に深くかかわってくれた人には、ぜひ、お葬式に来てさよならしてほしいって思ったのかな。ママはとても多感で、可愛かったから、たくさんの人から愛され、そしてまた、ママもたくさんの人を愛したんだよ、きっと。
10代後半から20前半って、そんな時期なんだ。

なんか、こんなこと言うと、パパは心の広い人みたいに思われちゃうかもしれないけど、初めのころはぜんぜんそんなことなかったんだよ。ひとつ、面白いエピソードを紹介してあげよう。というか、パパの恥ずかしい一面なんだけど。

ママは、高校の音楽の部活の、ある先輩をすごく尊敬して、あこがれて、恋心を抱いていたんだ。仮に、和田さんとでもしておこうか。たしか、パパとママの披露宴か、そのあとのパーティーにも来てくれたんだ。その時は、パパはあまり話しできなかったけど、ママはぜひ呼びたいって。

それで、新婚生活が始まり、ある晩、さあ、これからふたりで夕食食べようと思ったら、電話がかかってきて、優子が出たら「あ~ら、和田さん、お電話ありがとう!」って、とっても嬉しそうに長電話しているんだ。パパは、先に一人でご飯を食べられず、いいかげんムカついて、ママに怒っても、あら、先に食べてればいいのに、って、あまりパパの気持ちわかってなくて。

その後、何日かして、病院の当直で泊まりの日があったんだ。パパはなぜか留守中に和田さんをうちに呼んでふたりで楽しくしてるんじゃないだろうかって、思い始めちゃったんだよ。こういうのを嫉妬妄想っていうのだけど。
思い始めたら止まらなくなり、どんどん心配になっちゃって、院長に「すみません、急に体調が悪くなって...」とウソ言って、当直をやめて夜、家に帰ってきたんだ。院長はすごくイヤな顔をしていたけど。
そ~っと家のドアを開けて、男の靴がないかチェックして...
ママはびっくりして、あら、今日は泊まりじゃなかったの?
パパは、ほっとするやら、恥ずかしいやら、「いや、...まあ、...その別に。...ちょっと疲れちゃって...
とか言って。
その後、パパのこの心境をママに伝えたと思うんだけど、ママは、あら、何言ってんの、バカねえ、みたいな感じだったかな。ママは、和田さんとの関係をパパに説明してくれて、高校時代はあこがれていたけど、Tikiが心配するような関係じゃないから安心してって。その後も、和田さんとは時々連絡してたりしてたみたいだったんだ。パパも優子の言うことは信じようと思ってたけど、なんとなく妬けたりして、心中はいまいちだったね。

そして、結婚の翌年から始まったロンドン留学時代、たまたま和田さんが出張でロンドンに来るという知らせを受け、ママは、Tikiも一緒に来てよ、と言って、三人で会うことになったんだ。パパとしては和田さんとちゃんと話すのは初めてだからね。さあ、これから対決だ!とかちょっと緊張して、ソーホーのインドだか中華だかのレストランで会食したんだ。会ってみれば、ふつうのやさしそうな人だし、パパの疑心暗鬼も溶け、ママ・パパの共通の友だちになったんだ。

その後も和田さんのコンサートをママが見に行ったり、ママのフルートの発表会のときには和田さんが伴奏してくれたり、ママと和田さんの付き合いはずっと続いていたんだよ。パパも何度か一緒に行って、「やあ、和田さん久しぶりです」なんて話したりもしたけど、最近はパパも忙しくて、あまり和田さんにも会えなかったんだ。考えてみればママのフルートの発表会には一度も行けなかったよ。ごめんね、優子!

結婚して始めのころは、パパもママとの関係に自信なかったから、和田さんにけっこう妬いていたんだと思う。でも、年月がたち、ママとパパの絆が深まってきたら、どんな男の人が現れても、パパママの絆の方が強いから大丈夫って、別に心配しなくなったよ。ママちんにとって、和田さんは高校時代からずっと続いている、大切な人だし、そのことで別にパパとママの関係が影響することはないし、今は、和田さんに、優子を支えてくれてありがとう、って言いたいよ。

ここまで書いてきて、こんど、和田さんと二人で飲みたくなったよ。
和田さんにとっても、優子を失った悲しみは大きいと思うんだ。
ふたりでしみじみ優子のことを話したら、パパも救われるような気がする。
あれほど優子が慕っていた人だから、とてもいい人なんだと思う。
和田さんは、このブログ、見てるかなあ?

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えっ、何、遊馬、パパのことキモいって!?
まあ、キミがパパの気持ちをわかるのは、あと10年くらいしてからだろうね(笑)。

1 comment:

  1. たまたま「和田さん」の名前が私に近かったので
    ちょっとびっっくりしました。

    同じ人(この場合は優子さん)を、違う時期、違う
    心の深さで思った人同士、というのは、共感を呼ぶ
    ものだとおもいます。

    私も人生50年になって、ようやく、そうした心の
    微妙な働きがわかるようになってきました。

    だから:
    >ここまで書いてきて、こんど、和田さんと二人で飲みたくなったよ。
    >和田さんにとっても、優子を失った悲しみは大きいと思うんだ。
    >ふたりでしみじみ優子のことを話したら、パパも救われるような気がする。

    ・・・というところは、妻を亡くしたわけではない私には
    「わかる」とはいえませんが、共感できるような気がします。

    こういう人生のこもごもは、本当に良い意味で歳をとって
    からでないとわからないことが多いのかもしれません。

    祐馬さんがパパの気持ちをわかるのも、十年といわず
    二十年かもしれませんね。

    きっとそのころ、このブログのバックアップを読んで、
    70歳になったお父さんの20年前の気持ちをわかる!
    と思うようになるのかもしれません。

    その意味でも、リアルタイムでこうしてブログをつづって
    いくというのは、深い意味があると思います。

    引き続き応援しています。

    祐馬さんも、「ふーん、きっと10年、20年で、
    人生のことはもっとわかってくるらしい」と思って
    長い目でお父さんを見つめてあげてくださいね♪

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