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Sunday, May 17, 2009

「婚活」時代:中年オトコ編:その2

妻と死別した男性の心理

 離婚とは違い、突然の死によって失った妻を美化・理想化する。存命中は、それほど仲が良いというわけでもなく、ケンカしたり、それほどうまくいっていない場合でも、先立たれたとたんに、喪失を嘆き悲しみ、素晴らしい妻だった、とても愛していたなどと言い出す。
 新しいパートナーを求める場合、オトコが亡くした妻への思いをどう整理できているかが、まず重要な課題になる。亡くした妻のイメージを心の中に残し、悲しみにくれ、心の整理ができないオトコは、耐えられない寂しさや孤独感を補うために、新たなパートナーを求めようとする。しかし、それは愛情による結びつきではなく、亡くしたものを悼む病的な愛着であり、依存でしかない。
 恋愛は幻想である。愛情とは、その人が客観的にはどうであっても、当人にとって、この世で一番素敵な人と思い込めるからこそ、1対1のexclusiveな夫婦関係を維持できる。しかし、まだ亡き妻の影を引きずり、この世とあの世を混同しているオトコにとって、たとえこの世では一番の女性に出会えたとしても、あの世も含めると、二番にしかならない。新しいパートナーとの関係の中に過去の妻が顔を出してくる。それは、亡くしたオトコの心の中だけでなく、新しい女性の心の中にも現われる。そして、ふたりの親密な関係の樹立を阻害する。それを避けるために、妻を亡くしたオトコは、新しい関係を考える前に、亡くした妻に対する気持ちを十分に整理する必要がある。
 それを理解しやすいように例えれば、亡くした妻を、いわゆる元カノにするプロセスである。若い頃、付き合っていた女性と別れ、新たな女性と付き合っているとしよう。そのデートの最中に、突然、元カノが現れたらどうなるか。元カノと気持ちの上でもちゃんと別れていないと、今の彼女を捨てて元カノの方へ走ってしまうかもしれない。そうではなく、元カノとはいろいろあったけど、最終的に気持ちの中でもしっかりさよならができていれば、突然街で出会ってもちょっとびっくり、気まずい思いはするだろうが、新たな関係にひびが入ることはない。
 突然死んでしまった妻に、どうやって「さようなら」を告げるのか。それがいわゆる喪の仕事(mourning work)と呼ばれる心理的な作業である。それは、亡くした妻に対する悲しみ、喪失感、怒り、愛情、恨みなど、複雑に絡み合った感情を、さまざまな方法を用いて表出してゆく。その作業は心理的な痛み(負担)を伴うので、通常は、押し隠して、自分でも見えないように心に蓋をしてしまうことがよく見られる。特に男性は悲しみや不安といった否定的な感情を扱うことが苦手であり、涙や弱さを見せてはいけないと教え込まれてきた。内面はとても悲しい・さびしいのに、それを押し隠していると、一見平気でも、内面はぐちゃぐちゃで、仕事や日常生活の中では支障がなくても、新たな関係を求めようとするとうまくいかなくなる。
 喪の作業はさまざまな方法で自分の感情を表現することで達成される。ひとりよりも、それを受け止めてくれる相手がいる方が望ましい。友達や身近な信頼できる人とゆっくり話す、心理カウンセラーや精神科医などの専門家と会う、手紙や日記などにして書きとめる。最近は、インターネットを活用してブログなどに自分の気持ちをかき出し、知り合いなどに読んでもらうとなお良い。
 避けなければいけないのは、新たなパートナーとの関係の中に喪の作業を持ち込むことである。デートの場所に亡妻のお墓参りを選んだり、会話の中に自然に亡妻の話が出てきたりするのは、オトコがまだ妻を亡くした痛みから抜け出していない証拠である。また、その逆に、親しくなっても亡妻や過去のことを全く話せない、話したくない場合もある。これは、亡妻を想起することが辛く、痛みが伴うために、自分の気持ちに蓋をしている。この状態では喪の作業はちっとも進まず、亡妻を亡くした悲しみを、いつまでも心の中にため込んでいることになる。そのような状態では、新たなパートナーと恋愛はできない。愛情という深い、親密な感覚に蓋をしているからである。
 親密になるためには、お互いに自分のすべてを知ってもらうことが大切だ。女性にとって、オトコが妻を亡くしたという事実だけ知り、その内容について知ることができないと、相手との心理的な距離が空いてしまう。オトコは、現在の心の中にある亡妻ではなく、過去の記憶の中にある亡妻を語れることが大切だ。そんなこと、できるのかどうか、筆者はまだわからないが。
 この作業を消化するには、時間というファクターも大切な要因である。喪の作業が効率的になされたとしても、新しいパートナーのことを考える余裕が出るまでにはどんなに少なく見積もっても1年から2年ほどかかる。
 亡くした当初の深い悲しみが消え、4-5ヶ月たつと、一見、元気になり、心の痛手を乗り越えたと自分自身で錯覚することがある。その時期に、自分はもう大丈夫だからと、新たなパートナーを求めようといろいろ考えたり、身近な異性の友人などに恋心を抱くことがある。しかし、それは多少行動力が出てきたオトコにが新たに開発した喪の作業の一部に過ぎず、本来の恋愛感情ではない。寂しさ・悲しみを補てんするため、空想にふけっているだけであって、まだまだ、新たな関係を築く心の体制は整っていない。そんなせっかちの人の話はよく聞いて癒してあげる程度にとどめ、その人の話に乗って具体的な行動に出ない方が良い。

(続く)

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